2009年10月30日金曜日

「喜多流職分会2009年10月自主公演能」(喜多六平太記念能楽堂・平成21年10月25日)

能「三井寺」
シテ・香川靖嗣
子方・金子龍晟
ワキ・宝生閑
ワキツレ・梅村昌功
ワキツレ・御厨誠吾
アイ・三宅右矩
アイ・三宅近成
後見・長田驍・狩野琇鵬
笛・松田弘之
小鼓・森澤勇司
大鼓・柿原崇志
地謡・塩津哲生・大島政允・大村定・谷大作・佐藤章雄・狩野了一・粟谷浩之・大島輝久

前の週に非常に大きな緊張を伴う催しを済ませ、些か気が抜けた感じのある週末、前日は反動でどっと出た疲れで潰れ、 図らずも観能当日、出かける間際まで仕事をこなすことになってしまい、開演時間を過ぎて番組最初の曲が終わる頃、 ようやく目黒の舞台に着く。休憩時間に席を探すが、大変な賑わいで、何と2階席まで最前列が指定席になっているという 状況であることを知り、結局1階後方の桟敷で拝見することにする。 目黒の舞台の桟敷はこれまでも何度か経験があるが、正座が苦にならなければ非常に良い条件で拝見できる。 幸いこの日に拝見したのは「三井寺」で目付け柱に接するように鐘楼の作り物が出るので、シテと正対する場面も 少なくなく、じっくりと拝見できてよかった。

三井寺は謡の能という印象が私にはある。世阿弥作のような求心的な感じはなく、寧ろ遠心的に散乱するような趣は あるものの、あの近江の景色を詠み込んだ道行や鐘の段など、詞が産み出すイメージの世界の印象は鮮烈だ。 だが、今回拝見した能の印象は、そうした先入観とは些か趣が異なるものであった。感覚としては、前々回、常ならぬ コンディションで拝見した「砧」のときと似た分裂感に近い印象を抱いたように思う。当日ただちに感想を書こうかと思ったのだが、 1週間の隔たりをおいて今筆を執っているのも、そうした感覚が一時的なものなのか、それとももう少ししっかりと根を下ろした ものなのかを確認したかったという理由がなくはない。そしてどうやら、その点に関して、印象にぶれはないようだ。

三井寺はいわゆる子別れものの現在能で、現在能でしばしばあるように構成が複雑で、場面転換が多く、アイが重要な 役割を果たし、場面毎のシチュエーションは非常に具体的だ。これまた子別れ物の多くがそうであるように、空間の移動が 場面を転換させる契機となるのだが、ここでそれを引き起こすきっかけとなるのはシテが清水の門前の宿で見た霊夢である。 夏に御仕舞で拝見した「柏崎」のシテがそうであるように、ここでも自分の意志では制御できない力に導かれるようにしてシテは旅立つ。 この冒頭のシーンは圧倒的で、松田さんの笛、柿原さん、森澤さんの大小の囃子も雰囲気に満ちていて、何よりも 香川さんのシテの雰囲気と見事に調和しているように思われ、素晴らしかったと思う。霊夢を蒙った後のシテの表情は、一見して 夢から醒めずにぼうっとしているようでいて、観る者をたじろがせるような、何かに憑かれたような凄みがあって強く印象に 残っている。

ところが、場面が転換して謡が徐々に主導権を持ち始めると、些か様相が異なってくる。「砧」のときも似たような印象を 持ったのだが、謡が産み出す世界と、それ以外の場の雰囲気が溶け合わずに、並存するような感じがしたのだ。 謡そのものは、緩急もあり、調子の変化にも富んでいて、丁寧に詞を辿ろうとしているようなのだが、何というか、 地謡が一つの楽器となるような印象が薄く、私の勘違いかも知れないが、ところどころ地頭の意図が全体に 徹底していないような感じを覚える瞬間もあったと記憶している。技術的なことはわからないし、当否について判断する力は 私にはないが、とにかく、囃子とシテが産み出す明確な色調と、肌合いも違えば色合いも異なる地謡の感触が、 溶け合うことなく共存しているように感じられたのは確かで、もともと遠心的で子別れ物としてみた場合には心理的な 必然性のようなものが必ずしも作品自体の裡に充分に仕組まれているわけではなさそうなこの能に演奏が一貫したドライブを与えて、 一つの解釈を結晶させ、観ている者にカタルシスを与える方向には向かっていなかったように感じられた。 もしそれが意図されたことであるならば成功していたということになるのだろうが、最後の場面も今ひとつ乗り切れずに、 私としては最後まですっきりとしないまま能楽堂を後にすることになった。個人的に子方が出る能というのがどちらかといえば 苦手なこともこうした反応の形成に与っているかも知れない(勿論これは演奏の出来不出来の問題とは全く関係ない)が、 ともあれ、舞台の上に横溢する感情の流れに身を浸すというところまでは行かなかった。

こう書いてしまえば如何にもネガティブにとられてしまうかも知れないので、急いで付け加えておけば、実は、1週間後の今なお くっきりと印象に残った場面は決して少なくない。冒頭、霊夢を蒙って目覚めた場面については既に書いたので繰り返さないが、 笛に導かれて笹を持って橋掛かりに出たシテの姿は鮮烈で、今でもまざまざと思い浮かべることができるほどだし、 鐘を突く場面も見事、面の表情も豊かで血が通っているかのようで、その変化には心打たれる瞬間も度々で、視覚的には 印象的な瞬間というのが非常に多い舞台だったと思う。(2009.10.30)