2012年6月3日日曜日

「第29回二人の会」(喜多六平太記念能楽堂・平成24年6月2日)

能「當麻」
シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生閑
ワキツレ・宝生欣哉
ワキツレ・大日向寛
アイ・野村万作
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌仙幸
小鼓・成田達志
大鼓・国川純
太鼓・観世元伯
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・大村定・粟谷明生・長島茂・友枝雄人・内田成信・金子敬一郎

伺うところによると「二人の会」も次回の30回が最終回とのことで、香川さんがシテをお勤めになるのはこの会では今回が最後。 その最後の番組は「當麻」。能が単なる演劇に留まらず、或る種の「奉納」としての機能を今尚喪なっていないと感じ、 とりわけ香川さんの舞台を拝見してきて、その思いを都度新たにしている私にとって、棹尾を飾るに相応しい最高の番組である。

能ではしばしば前シテとして登場する謎めいた人物が、何らかの執心により成仏することが出来ないでいるところを、 ワキの僧の回向により成仏をするという構造を持つが、この能では、囃子に呼び出されて前場で登場する化尼と呼ばれる 老いた尼は、彼女が伴う化女と呼ばれる若い女とともに、明らかにこの世ならぬ雰囲気を漂わせつつ、だがそこには憂いも鬱屈も 微塵も感じさせない。三熊野から大和路を経て京都に向かう途上であることを告げる聖もまた、喜多流では匿名の念仏聖ではなく、 間接的な仕方ではあるが、明らかに一遍という固有名を備えた人物であることが名乗りによって見所に明かされるのだが、 その聖に対して明かされる老尼の来訪の目的は「法事」である。同時に、舞台上の時間における「今」が時正の時節という季節の節目、 昼夜が等しくなる日、釈迦入滅の日というこれまた特定の日付を持った日であることが告げられる。「法事」とは特別な「日付」、 一回性の出来事を記憶し、それを繰り返し思い起こすことによって伝承する行為に他ならない。

こうした特定の日付の参照は実際には他の能でもしばしば起きているかも知れず、別に「當麻」の能に限られるわけではないの かも知れない。それこそ統計的な調査でもすれば客観的な事実が明らかになるのかも知れないが、にも関わらずそうした事実とは 別の位相で、この能を拝見していると、固有名をもった存在、一回性の出来事を記念する日付を記憶し伝えるための反復と いった側面がとりわけ強く感じられるという事実はなくならない。それはアイの門前の男の語りにも及び、そこでは(まるで後シテを 予告するかのように)中将姫が生身のまま浄土に赴いたとされる日付、皐月14日への言及がなされる。

実はワキの聖が出会った老尼と若い女は阿弥陀如来と観世音菩薩の化身に他ならず、後シテもまた、中将姫の精魂であり、 従ってここには成仏を願う心のベクトルもなければ、苦患の様を示しつつ遂には解脱するプロセスもない。中将姫伝説の総体のうちには 例えば継子虐めのようなモチーフも含まれるのだが、この能においてはそれは直接語られないし、伝説に基づくもう一つの能である 「雲雀山」での中将姫を守り抜く乳母の物狂いもまた、ここで語られることはない。「世の成り行き」の仮借なさと、そこでの暴力は 作品の外側においやられてしまい、この能の中では専ら、前場においては當麻曼荼羅の由来の中で生身の弥陀如来の来迎という 出来事が語られるし、後場の舞もひたすら浄土讃仰の舞であり、それらはいわば瞬間の裡への永遠の到来により絶対的な瞬間が (原理的には無限に)引き延ばされた断面なのだ。

決定的な瞬間とは、未来から 何かが到来するそれであり、例えばホワイトヘッドのプロセス形而上学における時間論の一解釈である「時の逆流」こそが事態を 適切に言い当てていると感じられるようなそれである。場違いを承知で自分の知る限り、類比できるものを探すとすれば、 例えば(背景となる筋書きも内容も全く異なるが)ゲーテの「ファウスト」の第2部終幕が要求し、マーラーが第8交響曲の 第2部で実現したような時間の流れが思い浮かぶ。表面的な否定の契機の不在についても並行しており、 「ファウスト」の終幕が繰り広げられる森深き山峡にも背後の文脈から射す死の影を読者が感じ取ることができることもまた、 ここでは二上山が(折口信夫の「死者の書」ではそれは明示的に扱われているのだが)死の影が差す場所であり、 それゆえ西方浄土のいわば「門」の如き存在であったことと並行しているかのようだ。 一方で、(それをここで詳述することは最早場違いとなるだろうから控えるが)一見したところ全く異質なものと思われるかも知れないが、 一回性の出来事が生じた「日付」を記憶し、「他なるもの」に向かう「対話」として詩を考えていたパウル・ツェランのこと、更には そうしたツェランの詩を取り上げ、一回性の出来事が反復によってしか他者には伝えることのできない構造についての 思考を、更には「芸術」と「崇高」の関わりの様相についての思考を繰り広げたジャック・デリダのことを思い浮かべずにはいられなかった こともまた、これは専ら自分の備忘のために書きとめておくことにする。

そうしたことから寧ろ雰囲気は脇能のそれに近接する感さえあるこの曲は、人物の解釈であるとか人間的な心理の過程の表現で あるとかといった水準での演出の斬新さのようなものを受け付けず、そうしたものの介在無しに寧ろ直接に演者の技量や心境が 問われるという意味で難曲であろうことは素人目にも明らかなことなのだが、この日の上演はシテの香川さんは勿論、ワキの宝生閑さん、 友枝昭世さん地頭の地謡、一噌仙幸の笛と国川さん、成田さんの大小に更に後場では観世元伯さんの太鼓が加わる囃子、 そして野村万作さんのアイ狂言と、全てが揃った理想的なものであった。永遠を閉じ込めた瞬間を拡大して示すことに成功した 演奏に接して、私は途轍もなく高密度に圧縮されたもので、寧ろ簡潔とさえ形容したくなるような不思議な時間感覚を味わった。 夢の中の時間の流れが現実の時間の長さとは無関係であるように、終わってみると一瞬のことのような、でもたった二時間程度とは 到底思えないような長い時間が経過したような感覚に囚われた。それはまさに「時の逆流」に相応しい圧倒的な経験であり、 能の上演自体が、「當麻」の作品の題材である決定的な出来事の反復そのものであるかのように感じられた。このような上演に よってこそ、或る日付を持った一回性の出来事が時間を通って記憶され、継承されていくに違いない。そうした上演に接することが できた僥倖に感謝したいと思う。能の上演時間の全体が、というわけではないにしても、思わず「奇跡」という言葉を使いたく なるような瞬間の訪れを幾たびとなく感じた。

印象に残った部分を挙げるのは、それが多すぎて困難な程であるのは香川さんの近年の演能では常のことになっているが、 特に圧倒的であったのは、前場の頂点、否、全曲の頂点と言っても良い當麻曼荼羅の由来を語るクセの部分。 地謡の謡いの克明さに、まるでその場に立ち会っているかのような感覚に戦慄を覚えた程。 一般的な意味での人間的な表情とは異なるのだが、化尼の表情がいつしか変わっていき、 文字通り生身では決して見ることのできない筈のものに遭遇しているような感覚に捕われ、軽い恐慌状態に 陥りかかったように感じる。そして引き続いて「音楽」が鳴り響く中、シテの昇天の足どりによって老尼が紫雲に昇って 二上山へと昇っていく様を、シテが橋掛りを通って揚幕に消えて中入りとなるまで、まるで当たり前のように観ることになる。 クセ以降の囃子の効果は、囃子の響きそのものが「音楽」の模倣・表現であるというのではなく、寧ろ聴こえないはずの「音楽」の、 そしてその聴こえない音響がもたらす万華鏡のような色彩の共感覚を暗示的に浮かびあがらせるかのようだ。

後半では、まず囃子に呼び出されて揚幕が上がって橋掛かりに中将姫が出現する瞬間が圧倒的である。 以前の三輪では作り物の幕が後見によって降ろされた瞬間に会場が声にならないどよめきのようなものに包まれたのを はっきりと覚えているが、今回も中将姫が橋掛かりに現れた瞬間、やはり会場が一瞬凍りついたような緊張に包まれたのが 感じられた。早舞では、かつてやはり香川さんが舞った翁を拝見した折に感じたような、身体の芯からじわじわと暖かみが 湧き上がってくるような感覚を再び経験する。勿論、段の区切りはあるし時間は経過しているのだが、にも関わらず停止した 瞬間の中にいるような不思議な感覚である。それは自分が何か別の秩序のリズムに同期している身体の感覚のもたらす ものなのかも知れない。

実のところ前日までの疲れが抜けきらず能楽堂を訪れたこともあって、「當麻」という作品が要求する緊張に自分がついて いけるかに懸念を感じていたのだが、それもまた素晴らしい上演の前には杞憂であった。逆に自分の中に蓄積した澱の ようなものが流れ出し、恰も新らしい身体を得たような気分で能楽堂を後にすることができたことを、香川さんをはじめとする 演者の方々への敬意と感謝の気持ちを篭めて最後に記しておきたいと思う。(2012.6.3,4)

2012年4月8日日曜日

「第6回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成24年4月7日)

能「安宅」 延年之舞・貝立
シテ・香川靖嗣
ツレ・友枝雄人・内田成信・粟谷浩之・佐々木多門・大島輝久・金子敬一郎・狩野了一
子方・内田貴成
ワキ・宝生欣哉
アイ・野村萬斎・深田博治
後見・塩津哲生・内田安信・友枝真也
笛・松田弘之
小鼓・鵜澤洋太郎
大鼓・国川純
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・出雲康雅・大村定・粟谷明生・中村邦生・長島茂・粟谷充雄

初回より毎年欠かさずに拝見させていただいている香川靖嗣の會も6回目。身辺の慌しさ故に観能の機会を絞って後は、この会が その年に拝見する最初の能となるというのにも何時しか慣れてしまい、生活のリズムのようなものになっていると感じられる。と同時に、 昨年は東日本大震災の直後で、演能中にも余震があるという異様な状況であったことが否でも思い出される。今年は暦のいたずらで 4月の第1週の週末の開催となり、2月から4月初頭にかけての慌しさが収まりつつあり、気力・体力が徐々に恢復する途上での観能 となった。番組は初めて拝見することになる「安宅」、題材はあまりに有名な話である意味で過剰な程の先入観に浸されている物語が 香川さんの演能ではどのような舞台になるものか、想像もつかないまま目黒の舞台に到着した。

そういう次第だから、このストーリー性が強く、場面の変化に富み、為所、見所の多い有名な現在能にあるであろう様々な演出上の 工夫による差異について書くことは私にはできない。そのかわり震災から1年を経て、未だ傷の癒えぬまま、(移動の電車の中での読書の題材として、 丁度ヘーゲルの「精神現象学」を読み返している最中であったので、その用語を借りるならば、)「世の成り行き」(Weltlauf)に揉まれ、 「不幸な意識」の裡にあって展望もないまま一難去ってまた一難の状況に右往左往している自分にとって、慰藉され、力づけられるところの 多い舞台であったことを劈頭に記すとともに、回を追う毎に芸境を深められ、ご自身で「不得手」と語られる曲において、かくも完成度の高く、 感動的な上演を達成された香川さんに深い敬意と感謝の気持ちを述べておきたい。 この会では恒例の冒頭のお話で、馬場あき子先生は「弁慶はわたしたち庶民が生み出した」といった意味のことをおっしゃっていらしたが、 そうであるならば「私の弁慶」を投影した拝見の仕方にも一分の理があることになるだろうと考えることにして、以下に拝見した印象を 記しておくことにする。

開曲は宝生欣哉さんの富樫の名乗りから。太刀持ちとの対話により場面の設定がなされ、その後次第の囃子に誘われてまず子方の 義経が、ついでシテの弁慶が、そしてその後に付き随って立衆が橋掛かりに登場する。子方の内田貴成君は当初の配役の怪我のため 急遽の代役とのことだったが、折り目正しい演技と謡も勿論だが、立っているときだけでなく、着座したり床机にかけているときも姿勢良く、 落ち着いていて、見事に義経を演じていたと思う。能のみならず、他の様々なジャンルで義経は様々に演じられているが、 私見ではその中で義経に投影されたイメージを最も鮮やかに演じているように感じられ、代役とは思えない素晴らしい演技だったと思う。

その義経とのやりとりから浮かび上がる弁慶は、何よりも義経のことを思い、追い詰められた状況で次から次へと押し寄せる危難に対し、 沈着冷静に部下をまとめて対処することで切り抜けていく有能なリーダーであり、状況の推移に応じて変化する弁慶の心理が詞や 謡の端々に克明に浮かび上がるのが印象的だった。枚挙に暇がないところをほんの一例をあげれば、有名な勧進帳を読む場面、 「もとより勧進帳はあらばこそ」の詞に篭められた一瞬の心の動きは見所の肺腑を突くような激しさを内に秘めているように感じられた。

長大な道行から始まって場面と登場人物が次々と入れ替わる構造の能だが、囃子の先導での場面転換は非常にスムーズで、 巨視的な構造の把握も確かなものに感じられた。特に松田弘之さんの笛の鮮やかさには瞠目すべきものがあって、とりわけ 要所要所でのここぞという間合いでの一閃は圧倒的だった。またこの上演でも立衆のツレが7人と非常に登場人物の多い能だが、 連吟となる冒頭の道行きやノットの迫力もさることながら、立衆の所作も統率が取れていて、少しも雑然としてやかましい感じにならないのは見事。 更には他の芸能であればもっと写実的に演じられるであろう勧進帳を覗き込もうとする富樫とそれを妨げる弁慶のやりとりも、強力に扮したものの富樫に 見咎められた義経を弁慶が打つ場面も簡潔な型で表現されていたのが却ってまるで心理劇を観るような奥行きを感じさせる。

これほど素晴らしい演能となるとある部分を取り立てること自体躊躇われるくらいなのだが、全曲の流れの中であえて特に印象に 残った部分ということになれば、勧進帳を読み終え、義経の強力の扮装を見咎められたのをあえて主君を打擲する演技により切り抜けて 無事に関を通過した後、一行が一息入れる場面だろうか。 先ほどの振る舞いを詫びる弁慶の詞に対して義経が「これ弁慶が謀にあらず八幡の」と詞を返し、それを友枝昭世さん地頭の地謡が引き継ぐところで 雰囲気が一気に変わるのは地謡の力量であろう。更に子方が「げにや現在の果を見て過去未来を知るといふ事」と謡うのを地謡が再び受け、 今度は弁慶が「たださながらに十余人」と謡うところは、前段の読み物の場面の緊張と、後続の場面が用意する全曲のもう一つの頂点たる 延年之舞の間にあって、ゆったりとした、いわばアドルノのマーラー論における「一時止揚」(Suspension)に相当する局面であり、 奥州への道程の中途での中休み、エピソードを為す。この部分のシテと子方の対話、子方の謡を、ついでシテの謡を引き取る地謡の 音調の穏やかさは心に沁みて忘れ難い。

けれどもここでもエピソードは本質的な意味を担っていて、この場面こそが義経・弁慶主従の置かれた境遇を照らし出す機能を担っている。 つかの間の平穏のもとで、主従は自分達の置かれた絶望的な状況を再認せざるを得ない。突飛な連想で牽強付会の謗りを承知で敢えて 感じたままを記せば、それは丁度、震災後の1年をどこか緊張しつつ過して再び巡った春の中で、 だが自分達の置かれた状況が依然として多難で予断を許さないものであることを否でも再認せざるを得ない自分の心境に呼応するようで、 その穏やかさが却って胸を打つ。

それゆえ富樫との再会もまた、道行における何度目かの試練に過ぎず、前の場面が自ずと準備したものであるとさえ感じられるのだが、 その試練に対して弁慶が延年之舞を舞うことによって作品上の2度目の頂点が形作られる。曲の終盤で舞を納めることそのものが 機能的には(まずもって見所にとって)アドルノの言う「充足」(Erfüllung)であるのだが、ここでは更に、ありもしない勧進帳を読み上げる機転のみならず、 図らずも主君を打擲することにより危難を脱することを余儀なくされ、そうした状況におかれた主君と己の立場にやりきれなさを感じた 弁慶の心情の充足のためのものでもあるだろう。その一方で、未来に到来するであろう更なる試練を予感し、それに立ち向かうにあたり己の 力のみを恃むことの限界を弁えている弁慶が主君の将来を慮り、神に願う気持ちを感じずには居られない。 能の舞には色々とあるけれど、現在能のこの作品においては舞はまさに生身の人間が捧げる祈りそのものなのだ。

その一方で最初に深く一礼して始めるの弁慶の舞は舞い進むに従い、だんだんと非人間的な力に充たされていくかにさえ感じられるほどの見事さで、 そこに居るのは一人の人間ではなく、馬場さんが語っておられたように、見所も含めた「世の成り行き」に翻弄されながら生きていく人間の願いや 思いが産み出した「弁慶」の姿が結晶化したものであるかのように感じられる。見所はそれに引き寄せられ、いつしか個別的な心情を超えて、 己の心を舞に虚心に同調させずには居られない。勿論、そうしたことが可能になるのはシテの香川さんの圧倒的な技量あってのことで、無条件で 起きることが約束されているわけでは全くないのだが、この上演においてはそうしたことがあたかも必然であるかのように起きたと感じられた。

延年の舞の途中でまるで何物かを切り裂き、「突破」(Durchbruch)するかのように、掛け声とともに弁慶が空中に飛んで降りる型があり、一瞬沈黙が支配する。 丁度作品の巨視的な構成と呼応するように、それを境に音調が変わり、松田さんの笛の一閃とともに舞の音調そのものもまた「充足」の 局面に入って再び高潮してゆく。そこから最後に、既にその場を離れた弁慶や立衆を追うように弁慶が橋掛かりに進んで揚幕の前で留めるまで、 見所は息をするのを忘れたかのように静まりかえって、その余韻は終演後、囃子方が橋掛かりにかかるころまで続く。まばらな拍手はこの上演が 見所にもたらしたものが、単なる演劇の鑑賞とは質の異なるものであることを物語るものに違いない。

現在能であっても、能は単なる写実的でリアルな心情の表現に留まることはないのだ。 そもそもがフィクショナルな存在である弁慶が舞う延年之舞は、物語の内側においては弁慶が義経の運命を思う心情の表出であるとともに、 様々な人の思いを集約するアトラクターのような働きをしているに違いない。だからこそ、私のように、他の上演と比較して特徴を述べることはおろか、 この上演の素晴らしさを技術的に言い当てる適切な言葉を持たない者であっても、この上演の帯びていた凄まじい力に対峙した印象を 述べることはできるのだと思いたい。それは長く続いた緊張の中で痛めつけられ、その挙句に痛みの感覚すら 麻痺しかかってしまい、その一方で貴重な何かに接しても感動することが出来なくなってしまい、干上がりかかっていた人間の心にも注がれ、 沁みわたり、鳴り響いて心を甦らせる滝の水のようなものであったことをここに証言することで、この貴重な舞台を拝見しての感想の結びとしたい。 (2012.4.8初稿)