2015年9月6日日曜日

「第105回川崎市定期能」(川崎能楽堂・平成27年9月5日)

狂言「口真似」
シテ・山本則俊
アド・山本凛太郎
アド・若松隆


能「藤戸」
シテ・香川靖嗣
ワキ・森常好
ワキツレ・森常太郎
アイ・山本則重
後見・内田成信・佐々木多門
笛・槻宅聡
小鼓・森貴史
大鼓・柿原光博
地謡・中村邦生・長島茂・狩野了一・友枝雄人・金子敬一郎・大島輝久


川崎能楽堂での観能は久しぶりのこと、番組は狂言「口真似」と能「藤戸」で、「藤戸」と言えば、 以前同じ舞台で別の流儀で拝見したのが唯一だが、その時の山本則俊さんのアイの演技が鮮烈な印象となって残っていた。 今回は香川靖嗣さんのシテで則重さんがアイを勤め、能に先立つ狂言のシテを則俊さんが勤めるという番組で、 これは見逃すことはできないと考えて訪れたのだが、期待に違わぬ素晴らしい舞台であった。 こじんまりとした川崎の舞台は、舞台と見所の距離が小さく、囃子の響きが空気を切り裂いて直接耳に届き、 通常より少ない6人の地謡でも迫力十分、 150席程度の見所は満席。途中休憩を挟まずに約1時間40分程の間、見所もまた、開演5分前にはほぼ着席して 静寂が保たれ、その後も終演迄緊張を切らすことなく舞台に没入する充実した時間であった。

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狂言「口真似」では冒頭、お酒を貰った主が一緒に飲むに相応しい相手を太郎冠者に探してくるように言いつけるのだが、 命じられた太郎冠者の則俊さんが、他を探すまでも無く自分がいるではないかと言うところで早速見所に笑いが広がると、 後は巧みな間合いの詞の掛け合いのリズムに乗って話が展開していく。相手に相応しい条件について無理難題を 言われて考えあぐねた太郎冠者は知己であるらしい下の町の住人を訪ねて連れて帰る。若松さん勤める住人は 酒癖は悪いらしいのだが、素面では礼儀正しいという住人が来たと知って凛太郎君勤める主が、太郎冠者に、 自分の口真似をするように命じると、その後は太郎冠者の独擅場、自分に酒を持ってくるように命じられたのを、 口真似で客である若松さんに命じ、たまりかねて主が自分を叱責するのを、「言い付けの通り」口真似で客を叱責し、 というのが繰り返される単純なつくりの話だが、これが則俊さんを中心とした山本家によって演じられると、 極上の音楽を名人の演奏で聴いているかのような印象を抱くことになる。

場面場面の転換の鮮やかさ、全体の見通しの良さ、そして、口真似をするところは単に滑稽なだけではなく、 舞台を対称的に使った所作も含めた反復の美しさを備えているのである。 口真似が惹き起こすナンセンスな状況を見ながら、それがどこまで続くのかを見所は固唾を持って見守るしかないのだが、 絶妙の間合いで繰り返される口真似が一回、もう一回とナンセンスの度合いを高めていくのは、 名人芸という外、形容する言葉が思い浮かばない。
主に引き倒された太郎冠者が、止めを刺すように口真似によって客を引き倒して、主がそうしたように自分も 舞台を去ってゆき、最後に落ちをつけるように引き倒された客人が後を追って舞台を去っていく瞬間に、 酒に呼ばれたのに訳もわからないまま小突かれ、引き倒される、客観的に見れば不条理な状況に巻き込まれた 客人の寒々しさのようなものを一瞬感じさせつつ、けれども最後までテンポよくリズミカルに作品を閉じる 手際の鮮やかさは見所に圧倒的な印象を残す。

息をつく暇も無いその音楽的と形容するのが相応しい舞台に見所も引き込まれて、拍手が起きて 舞台上が無人に戻っても見所の緊張はすぐにはほどけず、次の番組である能のお調べが聞こえてきてようやく 空気が入れ替わるような感じであった。時間にすればほんの15分程度の小品であるが、狂言の精髄を観るかの如き 充実の時間で、拝見できたのが僥倖と感じられる素晴らしい舞台であった。顧みれば以前拝見した「鎌腹」の舞台以来、 幾度と無く経験してきてはいるのだが、その度に感動を新たにし、その芸の凄味さえ感じさせる切れ味の良さに 圧倒されるのである。初見の人でもこの一番を見れば狂言が如何に奥深く、完成度の高いものであるかを知ることが できようという素晴らしい上演であった。

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続く藤戸も冒頭の囃子とワキの謡による場面の設定がまず鮮明で、一気に作品の世界に引き込まれる。 ワキの盛綱が新領主として晴がましく藤戸に着くまでの駘蕩とし、光に満ちた春の空気が、 訴訟がある者は申出よと触れを出したあとの笛の一閃で空気がさっと変わり、 日が翳ったかのようにひんやりとしたものが舞台の上を流れ出すと、 幕が上って前シテの中年の女の登場となる。詞の上では老女となっているが、いわゆる姥ではなく、 だが面の効果も相俟って、その若さが寧ろ彼女の置かれた状況の苛酷さと憔悴の激しさを強調するかのようで、 俯き加減の面の表情は、彼女が単なる訴訟とは異なった決意を裡に秘めていることを感じさせずにはおかない。

最初は知らない振りをする盛綱も、追及の激しさに耐え切れず、 遂に自分が恩賞を受けた先陣の功と引き換えに行った非情の行為を語ることになるのだが、 ワキの森常好さんによる盛綱の心の動揺と変容の表現も明晰なら、嘆きと恨みが交替し、 悲しみに沈むかと思えば、ワキに詰め寄るようにして迫るシテの香川さん演じる女の心情の揺らめきの表現も克明で、 面が切られ、あるいは膝立ちのまま盛綱にむかってにじり寄り、最後には立ち上がって盛綱に迫って跳ね除けられて 安座してシオル型の一つ一つが、見る者の心に突き刺さってくるような鋭さを帯びているし、そのプロセスを 謡い上げる中村さん地頭の地謡も、緩急を大きくつけて心情の切迫と悲嘆の交替の激しさを感じさせて、 シテの感情を増幅して圧巻であった。

悔恨を新たにした盛綱がアイを呼んで、女を家まで送るように言いつけるとアイによる送り込みとなる。 則重さんのアイは同情に充ちた送り込みもさることながら、それ以上に、その後の盛綱への語りにおける、 身分の違いを超えて自分の気持を述べる気迫、正義感に充ち、物怖じしない堂々たる態度が印象的で、 数年前の則俊さんの、深い同情とやり場のない怒りがほとばしる裂帛の気を、今尚思い浮かべることのできる 圧倒的な送り込みとはまた異なった仕方で、見所の共感を呼びおこす素晴らしいものだったと思う。 藤戸のアイのやり方として、この山本家のやり方がどのように位置づけられるのか、知識のない私には詳らかにしないが、 いわば見所の代弁者のようにして舞台との紐帯となるこのアイの役割は、戦争状態における非戦闘員の殺害という、 決して遠い過去の物語の中でだけ起きているわけではない出来事を題材とする藤戸という能を特色づけるものとして、 更には、寧ろそうした題材がまさに今日の状況に対して強いインパクトを持つように思われるだけに、 それ抜きには考えられない程の説得力を備えたものに感じられる。

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後場は一転して、夕闇が広がっていく中での管弦講の場面となる。囃子の表現はここでも素晴らしく、 太鼓が加わって、シテである漁夫の霊を呼び出していく。後シテの漁夫の霊は母親の年齢に対応するかのように 若く設定されていて、それだけに命を絶たれることになった彼の無念さが一層痛切に見所に伝わってくるかのようだ。

今回の上演で私が強く感じたのは、前場と後場の間に張り巡らされた連関で、 前場の母の嘆き恨みのエコーであるかのように、 漁夫の霊もまた盛綱に迫ってゆく様は、眼前には紛れもなく漁夫の霊が見えているにも関わらず、 記憶のどこかでそれが前場の光景と重なり合うかのようで、私は思わずワキがどのようにそれを受け止めているのかを 確認してしまった程であった。けれども今度は、殺害の場面を描写するのはワキの語りではなく、シテの所作であり、 圧倒的な表現力をもった地謡であって、思わず眼をそむけて天を仰ぎたくなるような鮮明さでそれは描写されるのだが、 ここでも幽かに前場でワキの語りに対して見せた前シテの母親の表情が二重写しになるのを感じずにはいられなかった。

上述のように、戦争が惹き起こす状況の非情さ、悲惨さを告発する能として、今回の演能は強い説得力を持つもの だったのだが、にも関わらず、今回の演能の圧巻はその後、後シテが恨みの頂点でワキに詰め寄ろうとした瞬間に、 まるで何かに撃たれたかのように或る種の相転移が起き、一転してシテが成仏していく、その劇的な転換に あったように感じられる。

変化する筈のない面の表情が一変し、それまで闇の中にあった舞台が一転してぼうっとした光に包まれたかのような 予期せぬ変化に私は圧倒されてしまった。勿論、詞を読めばそのようになっているのかも知れないが、聊か語弊のある 言い方を承知で言えば、この作品における成仏は、それ自体が奉納であり鎮魂である能という芸能の或る種の 約束事のようなものであり、特にこの作品の場合には形式的な結末には収まらない剰余があるという印象を 抜き難く持っていただけに、今回の演能の印象は一層圧倒的なものがあったのである。

それはシテの力量も勿論だが、まずもっては地謡の力によるものであり、またそれを支える囃子方の気迫に満ちた 演奏によるものであり、更には、前場におけるワキの心情の表出、アイのワキへの訴えといったものが、恰も背景を なすが如くに間接的に働きかけた結果なのは間違いない。仮にこの結末が能舞台の上で起きたヴァーチャルなものであると 割り切ったとしても、その力の凄まじさは圧倒的なものであって、能の上演が今尚、奉納や鎮魂といった力を 喪っていないことを目の当たりにさせられたように思うが、今回の演能はそうしたレベルを突き抜けて、 この能が扱っているような現実に対してどのように向き合うべきかについて、何か重要なものを与えてくれたように 感じられてならない。勿論それは、明確なメッセージの伝達が意図されたということではなくて、端的に優れた 上演によって浮かび上がってくるものであって、見所がそれぞれの文脈において受け止めるべきものなのだろうと思う。

年に一度二度の観能の機会しかなく、いわば万年初心者の私が、そもそもそれを充分に受け止めることが出来た筈は なかろうし、辛うじて受け止めたものすら、それを適切に言語化することが出来るとも思わないのだが、 そうした限界を承知の上で尚も強いて言うならば、ここで救いや赦しについて論ずることは一見容易に見えて、 実際にそれを実現することが如何に困難であるかということとともに、だがその困難さを正面から受け止めることの 裡にしか、救いや赦しの実現への可能性はないのだということを、頭での理解としてではなく、 全身で受け止めた実感とでも言う他にないものとして感じ取れたということであろうか。 奉納のおける鎮魂の祈りは赦しや救いに至る十分条件ではないけれど、祈り無くして赦しも救いもありはすまい。 芸能というのはそうした可能性の場を開き、見る者をそうした可能性にいざなうものなのではなかろうか。 能が持つそうした、奥深く、測り知れない力を改めて強く感じされられた観能であった。そうした得難い経験を 可能にしたシテの香川さんを初めとする演者の方々に感謝したい。

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偶然にも私はこの半月くらいの間に、マーラー祝祭管弦楽団による「大地の歌」のコンサート、 三輪眞弘さんの「海ゆかば」の詞を題材とした作品「万葉集の一節を主題とする変奏曲」の再演、 そしてこの「藤戸」の演能と、それぞれ素晴らしい舞台に立て続けに立ち会うことができたのだが、 マーラーのコンサートはユダヤ人のホロコーストやアルメニア人ジェノサイドの記憶に関連付けられた ものであったし、三輪さんの作品ははっきりと太平洋戦争における「玉砕」と「特攻」を扱っていた。 それ以前から、戦争を知らない世代であることを自覚しつつ、太平洋戦争の回避と終結に向けての様々な人々の 苦闘の軌跡を辿り、他方でアッツ島、ペリリュー島、硫黄島、沖縄での「玉砕」を強いられた人々、 ニューギニアやビルマで直面した想像を絶する状況に立ち向かった人々、あるいは特攻に抗して戦うことを選んだ 人々の跡を辿る作業を自分なりの仕方で続けてきた。 そのせいもあってか、「藤戸」という能を「海ゆかば水漬く屍」という詞との連想抜きに拝見することが困難な 状態で私は今回の演能を拝見したのだが、そのこともまた、一層、今回の演能の最後に起きたことを何か不可能事が 実現してしまったかのような奇跡の出来として感じると同時に、そうした奇跡の起きる条件として、上記のような ことを感じることの背景となっていたかも知れない。

従って、こうした感じ方は私の個人的な文脈に基づいた主観的なものであるかも知れないけれど、 だからといって、受け止めたものの重みは聊かも減殺されることはないし、こうした受け止め方をした人間が 見所に居たということを書き留めておくことに何某かの意義がないこともあるまいと考え、客観的な観能の記録を 逸脱することを覚悟の上で、更には自分の受け止めたものの重みを担うことが自分の容量を全く超えたことで あることを認めた上で、そのことを書き留めておく次第である。(2015.9.6初稿)

2015年4月12日日曜日

「第9回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成27年4月4日)

「第9回香川靖嗣の會」

能「木賊」
シテ・香川靖嗣
子方・大島伊織
ツレ・内田成信・佐々木多門・友枝真也
ワキ・宝生閑
ワキツレ・宝生欣哉・則久英志
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌仙幸
小鼓・曽和正博
大鼓・國川純
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・狩野了一・友枝雄人・金子敬一郎・大島輝久

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 毎年4月の最初の土曜日に行われる「香川靖嗣の会」を拝見することは、ここ数年、日常の些事への埋没から自分を引き離し、 人事を超えた大きな秩序の持つ呼吸に辛うじて自分を同調させることのできる貴重な機会となっている。今年は、幾つか 重畳していたもののうちの殆どが幸いにも何等かの句切りを迎え、だが最後の一つのピークが4月の始まりを跨いで 観能の日の数日後に句切りがつくという、何時に無く微妙な間合いとなってしまった。

 しかも番組は尉物狂いの難曲・稀曲とされる「木賊」。難曲というのは、第一義的には演者にとってのものなのであろうが、 見所にとってもそれは物心両面での準備を必要とするものに違いない。稀曲とされ、事後的に見ればシテの一度きりの 演能になることも考えられるような状況であるのみならず、能を観ることを日常とされている専門の研究者の方や 見巧者の方々とは異なって、自分にとっても今後拝見する機会が恐らくはないであろう状況に対するには あまりに気持ちの余裕が無さ過ぎることや、観能後、直ちに日常に戻らなければならず、しかもそのまま一週間が 過ぎてしまったような状況で、十全な受容ができる筈もなく、以下の文章は、そうした制約の中で、それでもなお 何を観て何を感じたかの記録に過ぎないことを予めお詫びする他無い。

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 恒例の番組最初の馬場あき子さんのお話は、今回は木賊という植物そのものや木賊刈りの説明から入って、前段の素材となる、 舞台である信濃の園原にちなんだ帚木の伝承や、物語の枠組みを為す旦過などの説明を交えながら、丁寧に物語を 追ってゆく。だが伺っているうちに感じるのは寧ろ、如何に自分が作品の背景となっている世界と疎遠であるかと いうことであった。木賊という植物にしても然り、園原という場所にしても然り、物語の筋書きにしても然り。 だが冷静に考えてみればこれは愚かしい反応であって、同じ程度に疎遠な世界を扱った作品は幾らでもあり、 そうしたことを意識することなく作品に接する場合もあって、疎遠であっても有無を言わさぬ力で自分の中に 消し難い印象を残すこともまた、幾らでもあったし、今後もあるであろう筈なのだ。 要するに、日常からの気持ちの切替が出来ない準備不足の状態で見所に着いて、これから拝見する番組に 対する自分の身の置き処のようなものを見出しかねて、寄る辺なさを感じてしまったということなのだろう。

 それでもなお強いてそうした疎外感の由来を問うならば、老いということを色々な場面で意識せずにはいられない、 しかも他人事ではなく、そろそろ我が事としても感じずにはいられない年齢に差し掛かっていはするものの、 我が子を喪った、しかも死別ではなく、生き別れとなった男親の心情というものに、同情以上のものを感じることが できるのか、ということに思い至らざるを得ない。一週間を経た今考えると、そうした感じ方自体、 実は私が予め知ってしまっている(だが舞台は拝見したことのない)「木賊」という作品の所謂 「あらすじ」や詞章に対して、それをどう受け止めていいのかについての戸惑いのようなものを、 いわば先入観のような形で事前に抱えこんでしまっていたことが原因なのだろうと思う。まさに難曲たる 所以とされる、世阿弥と伝えられる作者の、年老いた男の物狂いを見せるという趣向に、率直に言って、 或る種掴みどころの無さを感じ、聊か尻込みしてしまっていたということだ。

 そうした中、馬場さんのお話で鮮烈な印象で私の中に刻み込まれたのは、形見の装束を纏っての舞に 因んで、シベリア抑留で喪った子供を悼んで窪田空穂が詠んだ長大な歌の中にも、形見を纏うという ことが出てくるのに言及されたことであった。

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 それでは実際の演能を拝見した結果はどうであったか。端的に言えば、それがこれまでと同様に、非常に完成度の 高い演能であり、シテは勿論、ワキも囃子方も地謡も、その演奏は圧倒的であったのは間違いない。特に囃子方の 描き出す前場の秋の鄙びた山奥の風景の臨場感、鮮やかなシテによる木賊刈りの所作とそれに続く、 風景が見えてくるようなシテとワキの帚木に纏わる遣り取りと、前場は見所の連続であったし、 一転して老人の心の動きをそのまま音響化したかのような後場の囃子の自在さや、これまた緩急自在の地謡の、 壮絶なばかりの表現の雄弁さは圧倒的であり、開曲から終曲まで全く弛緩することなく物語の世界に 向き合うことができ、特に後半は、簡潔でシンプルであるという印象さえ抱いたほどで、難曲とされる 大曲を一気に観終えてしまった感じさえ抱いたのである。

 物着の後の序の舞は、老いというものが孕む時間性が昇華されたような、或る種異形な壮絶なもので、 時折止まってしまうその時間の歩みは、罅割れた感触の、無慚ささえ感じさせるようなものであった。 妄執とか過度の愛情といった側面よりも、もはやそうしたものすら過去のものとなりつつあり、 舞を続けることができずに、時折立ち尽くしてしまうという、老いというものの苛酷さが浮かび上がって くるように感じられたのである。形見を纏い、嘗て見た子供の所作を記憶を辿りながら舞う行為は、 強烈な呪術的な機能を持ち、効果を備えている筈であるが、そこに老いが介在することで、単純な物狂いで あることが許されず、心は回想に赴くことはあっても、それは長い時間の経過とそれに伴う身体の衰えに 妨げられて、最早本来持っている力の解放に至らないかのようだ。だが、実際にはそうした瞬間にこそ、 「奇跡」は起きるのであって、少なくとも私には、妄執に憑かれた老醜を晒すことの結果としてではなく、 寧ろ老いの結果としてそこから心ならずも脱落してしまったその瞬間にこそ、再会が可能になったかのように 感じられたのである。老いて何事かを断念することを余儀なくされるような状況に到って初めて可能になる こともまたあるのではないかといったことを私は感じずにはいられなかった。

 勿論それは、現実の演者の生理としての老いの表れではなく、永年の鍛錬があって始めて可能な、 高度な技術に裏付けれた「表現」であり、だから聊かも劇的な持続としての弛緩を意味するものではない。 恐らくは作者が意図したのは、まさにこうした異化効果、或る種の醒めて冷え切ったような感覚と、 その果てにある或る種の境地のようなもの(それを安易に「悟り」といって良いものかどうか、 私には判断しかねる)だったのではないだろうか。だからここで問題なのは、物語の「現実」の界面に おいてそうであろうような老醜自体の写実的な表現ではないし、異様でグロテスクでさえあるかも 知れない妄執の直接的な表現でもない。そうしたものが舞う老人の心の裡には尚、渦巻いているのかも知れなくとも、 舞を見ている者が目の当たりにするのは最早それ自体ではない。それは舞台で演じられ、展開されている個別の 具体的な物語の中の個別の人間が持つ具体的な年齢や境遇といったものの直接的な帰結ではなく、 登場人物の心理や生理の表現、演出といった次元とは異なった、あえて言えばより根源的な、 或る意味ではもっと普遍的な、有限の寿命を定められ、老いて行く事を運命づけられ、しかもそれを意識し、 直面していくように定められた人間の悲しみや徒労感のようなものに根差したものと感じられたのである。

 そうしたものが一体、どのようにして表現されうるものなのか、私如き一見の者にはわかろうはずはないのだが、 どこかそれは、いわゆる表現とは別の次元で、単なる表現に留まらない、恐らくは表現の背後に秘められた、 もしかしたら演者自身も必ずしも意識的に分析しきれているわけではないかも知れない、思いにすら至らない 感慨の如きものが暈のように覆い被さることで可能になっているような印象を受けた。単なる高度な技術だけではなく、 それを前提として、更なる余白の如きものが必要とされるのだとすれば、確かにこれは「難曲」であり、 繰り返し演じるような作品ではないのかも知れず、一期一会の演能だからこそ可能になるものなのかも知れない。 少なくとも私には、そのように感じられた。

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 分類すれば現在能ということになるこの作品は、だが、能よりは寧ろ後世の他のジャンルに 相応しいものであるかも知れない、物語的な筋書きの展開に応じた登場人物の造形があるわけでもないし、 「弱法師」や「歌占」のように、父子の関係を扱いながら、或る種の世界観のようなものを背景にした 複雑な陰影を孕んだ構成上の工夫があるわけでもない。寧ろ、こちらは母親の物狂いの道行を中核とする 「柏崎」に似たような、或る種の原型(アーキタイプ)的な物語が形式的な枠組みとして用意されていて、 物着を伴う物狂いの舞を見せるというシンプルな趣向の作品であり、単純にそれを追うことに終始すれば、 構造を図式的になぞるだけの説明調の平板さに陥りかねない。既に述べた後半の印象の簡潔さや シンプルさは、そうした点と関わりなくはないだろう。例えば、ツレの一人がワキに僧に対して、 シテの老人の振る舞いに対して事前に警告をする詞などは、合理的というよりは、如何にも 古風な物語調で、寧ろアイの語りとして分離される前の雰囲気を感じさせる。

 のみならず、これは演出上の伝統の問題かも知れないが、意図してのことかどうかを問わず、 物語の叙述の具体性や自然さ、設定の整合性のようなことに重きをおくならば、 例えば老体の父親に対して年齢が離れすぎている子方を出すことの不自然さは否めないし、 自分の導師であるワキの僧に願って信濃に残した父親との再会の旅をしてきた筈の松若の心理を描くことは 寧ろ意図的に拒絶されているかも知れず、その結果として、しばしば「舞を見せるための設定」として説明されるように、 松若がなぜ直ちに名乗ることを控えたのかの理由が明かされることもない。一般にはそうした点が 「難曲」たる所以とされるようであり、実際、私の場合も、今回の観能において、何かに非常に心打たれたり、 深く感情移入してしまって感情がかき乱されるといったようなことは起きなかったのは事実である。

 しかしながら、だからといって、そうした一見したところ不自然であったり、不整合であったりする 部分を合理化し、整合性のある一貫した解釈により作品を読み直すことが唯一の行き方なのかといえば、 このこの作品に関しては、そうとばかりは言えないようにも思えるのである。勿論例えば、或る意味では 醜態を晒す親の姿から逆算して、松若は過保護に反抗するようにしてか、そうではなくても父親の 態度か、あるいは明示されてはいなくとも何等かの行動に対してか反撥して出奔・出家したのであって、 従って、父親の事が気になって帰郷したものの、父親を目の前にして名乗りを上げることに対して 逡巡することもまた、そうした過去を背景とした心理的な葛藤であるとして合理化することも できなくはないだろう。だが、それは例えばこの作品の末尾の、現在能として演じられた出来事を、 恰も過去の物語であるかのように括ってしまう操作とは相容れないし、理由や背景を具体化するよりは 省略し、曖昧化していきつつ、老いた父親の心境を序の舞に托す構想と必ずしも整合しないように思われる。 同様に、老人が街道に面したところに家を構え、旦過をするのも、居なくなった子の消息を得る 目的のための手段であると考えることもできようが、単なる目的-手段の図式でそれを捉えて 事足れりとしていいのかと言えば、必ずしもそうとは言えないのではなかろうか。

 老人がこれまでずっと繰り返してきて、これからも恐らく死に至るまで繰り返すことになるであろう 旦過のある回において、物狂いの舞に疲れ果てた末の夢か現かも不分明な状態で、供応の相手である 僧達の中に生き別れになった我が子の姿を見出すことがあるとしたらどうだろう。 死者が歳を取らないように、彼が見出す我が子は、彼が纏う衣裳の似合う、別れた時の年齢のままであるより 他ないのではないか。そしてそれは、この後も(禅竹の能のように)果てし無く反復されるのだろう。あるいはまた、 再会が現実のものであったとしても、老人が再会したものが、自立して成長した修行僧ではなく、 自分が追い求めている、生き別れになった当時の子供でしかないとしたら、(むしろこれは元雅の能に おいて示唆されそうなことではあるが)、この再会は祝福されたものではありえず、別離が繰り返される ことになるのではないか。或はまた、曲の末尾が告げるように、これは或る種の縁起の説話の如きものであり、 寧ろシテは一貫して、子供と生き別れになり、旦過により消息を尋ねたが、本当は遂に再会できずに 死んでしまった老人の幽霊なのではないか、つまりこれは、今は生きていないある他者の物語なのではないか。 そして更に終曲において、これまで演じられた出来事を過去のものとして括ることにより、現在の時間から 引き剥がされ、出来事そのものと見えた舞台は、実は出来事の「再現」なのだという相対化さえ行われているのであると。

 実際にはこれらの仮定は、意図と結果の履き違いに起因する 行き過ぎた深読みであって、整合的な解釈としては成立しないのかも知れないが、能が必ずしも外面的な 現実の歴史よりも、その中で苛酷な運命に耐え忍ぶ人間の心の現実を浮かび上がらせるものであると したならば、上記のような仮定は、少なくとも一面の真実をも捉えていないと断言することもまた、できない のではなかろうか。前場の木賊刈りの段では、月を磨くことにかけて真理を捉えることを述べ、 帚木の伝承に関する問答と僧と交わし、僧に酒を勧めるにあたって陶淵明を引用する姿と、序の舞が 終って泣き崩れてしまう姿との落差はあまりに大きく、だがそれらが作品の時間の中で並存するように、 この作品は仕組まれているのである。あたかもキュビズムの絵画のように、ここでは幾つもの可能世界が重なりあい、 並存していて、単純な解釈を許さないのではなかろうか。単純な感情移入を拒むという点も、この作品をいわゆる 人情劇と捉えれば欠点ということになるのだろうが、私見では、決してそうではなくて、まさにこのようなかたちでした 提示できない何かがあり、それが寧ろ作者の世阿弥の狙いだったのではないかという気がしてならないのである。

 物狂いであっても女性がシテである場合の華やかさもなく、同じ老体であっても植物の精霊がシテである「西行桜」の ような透明感でもないし、「伯母捨」のような、現実の悲惨さを超越した境地が開示されるわけではなく、 序の舞という形式は、ここでは通常期待されるものとは異なったものを担うべく、作者によって 意図されたのではなかったか。「難曲」というのは、一見したところ寧ろ能固有の形式に向かって 物語を抽象するように見えて、その中で或る種の換骨奪胎が意図されているが故ではなかろうか、 という感じを私は抱かずにはいられなかった。普通の意味合いでは美でもなく、崇高さでもない、 もしかしたら通常はそうしたものに対立するものとして考えられがちだが、本当ははそうしたものの 単純な裏返しでもない何かを舞台の上に出現させることが、作者の意図だったのではないか。

 更に言えば、寧ろそれは、見る者が己の心の中にもそれに類するものがあるのに気付いたときに、 そのようなものとして気付かせ、悟らせるように差し向けられたもののように私には思われた。 勿論私個人としては、そうとはっきりと認識したとは到底言えず、寧ろ、当日の印象を反芻した結果として、 そのような予感の如きものを抱いたに過ぎないが、その一方で、そのように心に働きかける、 グレゴリー・ベイトソン風に言えば「心の無意識のエクササイズ」として、或は「木賊」という作品 自体がそのことを示唆しているように、心を磨く或る種の修練の如きものとして、 能という様式は測り知れない力を備えているし、この「木賊」の演能は、そうした能という様式の備えた ポテンシャル、そして私の想像するところでは作者である世阿弥が能という形式に託したものを 十分に解き放ち、実現したものであると感じられたのである。

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 そういう意味合いでは、或る意味では定型的・図式的とも言えるハッピー・エンドの結末に対して、 私は必ずしも物語の人物の心理に共感してその場面に立ち会ったとは言えず、寧ろ、或る種の儀礼の終わりを 確認するような感覚に捉われていたように思えるのだが、この演能を拝見して私が受け取ったものは、 実は、物語の筋書きの上で結末が要求する表面的な晴れやかさとは異なった次元での安堵、 達成感のようなものではなかったかと思えるのである。

 終演後、最後に笛、小鼓、大鼓の順にゆったりと橋掛りを渡ってゆく囃子方が、 今や誰もいない空っぽの空間となった背後の舞台に残していく気配の中に、私は、その時点では 確かなものではなく、一週間を経過した今尚、予感めいたものでしかなく、いつかそれが確かな ものになるのが何時になるのかもわからないし、そもそも確かになることがあるのかもわからないけれど、 決して無ではなく、寧ろ日常に立ち返ることを後押ししてくれる何かを感じ取ったように思える。 繰り返しになるが、私は自分が受け止めた何かを的確に言語化することが、差し当たりはできそうにない。

 だがその一方で、全く別の文脈で、気にはなりつつもやはり意味を図りかねていたある言葉、 ここしばらくは日常の多忙に紛れ、すっかり埋もれてしまった言葉がふと浮かび上がってきたのを 感じた。それは20世紀のフランスを代表する哲学者の一人、ジャック・デリダが、その晩年に何度か 繰り返して言及し、彼の最期の対談の題名にもなった言葉、«Apprendre à vivre enfin» (『生きることを学ぶ、終に』)であることを、備忘のために記しておくこととしたい。 こう言えば聊か牽強付会めくのは避け難いが、私にとって(「木賊」一番のみならず、だが、 とりわけても「木賊」一番は優れてそうであったようなのだが)能を拝見することは、 まさにそうすることの実践の、そして同時にそうすることの困難や不可能性を認識する場のようなのである。 そうした認識を踏まえ、そうした認識を獲られたことを踏まえて、最後に主催者を初めとする演者の方々や 拝見する機会を与えて下さった方々への御礼の言葉を記して、拙い感想の結びとしたい。(2015.4.11/12)