「第12回香川靖嗣の會」
能「隅田川」
シテ・香川靖嗣
子方・大島伊織
ワキ・宝生欣哉
ワキツレ・御厨誠吾
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌幸弘
小鼓・曽和正博
大鼓・國川純
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・友枝雄人・金子敬一郎・大島輝久・佐々木多門
4月の第1週の週末に催される「香川靖嗣の會」を拝見するようになってから、もう10年以上にもなることにふと気づいた。 昨年からは秋にも開催されることになったので、今回が12回目。初回の「絵馬 女体」を拝見して以来、 幸いなことに1回も欠かさず拝見することが叶って、今回は「隅田川」。 年毎に春の訪れのありようは微妙に異なって、今年は雨が今にも降りそうな気配の曇天。 綻び始めたまま、陽射しを待って歩みを緩めた桜の下、聊か沈鬱な風景の中を目黒の舞台を訪れるのは、 番組に如何にも相応しいように感じられる。
冒頭記した感慨は、それが恰も年中行事のように、すっかり習慣となっているが故に他ならないのだが、身辺の慌ただしさは徒然に移ろっても、まるで季節の循環の一部であるかのように演能を拝見できることが どんなに有難いことか、回数を重ねるにつれて、身に沁みて感じられる。世間一般には能は音楽劇の一種であり、 能楽鑑賞は趣味娯楽と見做されるであろうけれども、近年は多くても年に数回、もっぱら香川さんの演能のみを拝見する ばかりである私にとっては、それは寧ろ、季節の循環や暦日に従って毎年繰り返される宗教的な祭祀や儀礼に 近しいものと感じられる。勿論、こうした感じ方には、能楽そのものが今なお喪うことなく保持し続けている奉納的な性格、 そしてそうした性格と不可分の、観る者の奥深く、無意識の領域に迄働きかける力が与かっているのだろう。 そしてまた、これまでも拝見する度に、自分が経験している演能が、自分の容量を遥かに超えた豊かさと深さを備えていることを感じ、 辛うじて受け止めたものさえも、それを言語化することの困難を味わって来たが、今回は「隅田川」という作品の性質も相俟って、 それが極まった感があることを、帰路、迫る夕闇の中で更に深く憂いに沈むかのような桜の下を通りつつ感じずにはいられなかった。
恒例の番組の冒頭のお話の中で馬場さんは、ご自分が最初に御覧になった能が「隅田川」であったことを披露され、 初めて観る人にも、何十回と観ている人にも、それぞれ相応のものを与える能楽の奥深さについてお話されたのだったが、 私はと言えば上述のような次第で、「隅田川」を拝見するのはようやく二度目、もう十年も前になる前回の観能の経験を 今回のものと突き合わせて何事か論ずるだけの知識もなく、自分が辛うじて受け止め得たもの、その場で生じた出来事から すれば次元も解像度もお話にならない程縮退した、色褪せた残像に過ぎないものを記すのが精一杯である。 幾つもの場面、所作が、その時に感じた強い情緒的な反応もろとも、つい先ほど拝見したばかりかのように克明に 思い出されるのだが、それを記述しようと試みたところで到底、観たものに到達することはできそうにない。いつものことでは あるが、シテは勿論、子方も、ワキもワキツレも、囃子方も地謡も、更には後見に到るまで、全く弛緩することなく 全曲が演じられ、その完成度は、それが舞台で行われているフィクションであることを忘れてしまう程の圧倒的な上演であったことのみ記して、 具体的な細部については、それを能くする知識と経験をお持ちの方の評に委ねることとし、ここでは専ら、 自分が感じたこと考えたことのみを記すことにしたい。
「隅田川」を前回拝見した時に感じたのは、元雅の手になるこの作品が、世阿弥的な能の形式をに巧妙にずらし、 顛倒させ、尚且つ能としての本質を損なわないばかりか、その組み換えによって作品に比類ない力と、全くオリジナルな深みとをもたらすことに 成功しているように思われるということであった。それはいわゆる複式夢幻能と呼ばれる形式を典型として思い浮かべつつ この作品に接すれば誰もが直ぐに気付くことであろうし、他方でそこから逸脱した作品は幾らでもあって、 その逸脱の力学は様々であるのだが、ことこの作品においてはそこに作者の元雅の明確な主張があり、彼の意図と密接な 関係にあるように思われたのである。
この作品は、分類すれば物狂いがシテである現在能ということになるのだろうが、 物狂いや道行を見せることに焦点があるわけではなく、それらは物語の背景を形成するに過ぎない。 あまりに有名な、業平の故事を踏まえた都鳥を巡っての遣り取りは、これも複式夢幻能の前場に多い、 所謂名所教えを踏まえてはいても、看過できない捻りが加えられていて、問うのはシテであり、しかもワキは シテに対して適切に応えることができずにシテに咎められるといった具合になっている。まだ挙げれば幾つも 指摘はできようが、このような組み換えの最大のポイントはと言えば、物狂いの能の定型である、約束されていた筈の 再会がここでは失敗し、結果として物語が強い悲劇性を帯びる点にあるのはよく指摘される点である。
馬場さんは初めて「隅田川」をご覧になった折、ワキの装束が渡し守としては不相応に立派に過ぎることを 不思議に感じたとのことだが、私が気になったのは、この作品には前場と後場を繋いで物語の経緯を説明するアイがおらず、 ワキがその役割を果たしているように感じられる点であった。 通常なら諸国一見の僧であるワキが道行を経て物語の起きる場所に辿り着くと、 それを待ち受けているかのようにシテが出現するのだが、ここではそれも逆転し、到着するのはシテの方である。 その後、シテとワキツレを乗せたワキの渡り守が隅田川を渡すことが、前場と後場を繋ぐ道行の代補となり、 その渡しの最中に、ワキが丁度その日に行われる念仏供養の由縁となった1年前の出来事を物語ることで 物語の背景が解き明かされるから、アイの登場する余地は残されていない。 常にはワキの同行者であるワキツレもまた、別の役割を与えられており、限られた語りの中で、いわば「第三の視線」として、 一見したところ不在となった本来のワキの位置にいるようでいて、寧ろ見所の代表のような役割を果たすように感じられる。
プロットから独立した舞事がないことと相俟って、そうした組み換えによって弛緩なく自然に物語の運びが実現されており、 その感触は寧ろ「現代的」な演劇に通じるものがあるといって良いように感じられる。勿論「現代的」というのは 己の属する時代の束縛を受けた都度都度の受容者側の認識であって、恐らくは寧ろ時代を超えた普遍性を備えていると いうべきなのだろう。それゆえまた、その「現代性」をもって元雅という人の天才を論じるのは片手落ちな見方に過ぎず、寧ろ そこに見るべきは、そこに込められた元雅の思いの深さなのだ、ということに気づいたのは、これは前回ではなく、 今回の演能に接してであった。
とはいえ、上述のようなことを演能を拝見しながら考えたというわけではない。寧ろその場でまず思い当たったのは、 上述の役割をずらしていくプロセスの帰結として、不在となるシテの位置を埋めるのが、 実は子方の梅若の霊なのだという点である。のみならず、それが私が前回拝見した時に不思議に思ったもう一つの点、 即ち供養される側である筈の子方が自ら念仏を唱えて出現することとどこかで釣り合っているのだ、ということにも同時に 思い当たったのだった。それは例えば世阿弥の夢幻能であれば曖昧さ無くシテとワキに分配される、救済されるものと救済するものと の間の関係に揺らぎが生じているということなのだが、今回の演能を拝見して感じたのは、それが元雅の意図と一致し、 作劇法とも一致した一貫性のあるものだということであり、しかもそれは強い必然性を帯びているとさえ感じられたのであった。
かくして現在能の形式を取りながら、その中で夢幻能におけるが如く霊を出現させることで、祭祀的・宗教的な 性格を強く帯びるようになるばかりではなく、夢幻能では供養によってシテが成仏するプロセスに 焦点があるのに対して、ここでは視点の反転が起きていて、供養によって救済されるのは、寧ろ供養する側であることが 示唆されているように思われるのだ。そしてそれが元雅が企図したことであり、「人間憂いの花盛り」という認識から その憂いの最中にいる側が供養によって救いを得るということに正確に見合っていることに思い当たることになる。 そしてそれは単に物語の世界の論理に留まらず、恐らくは演能する者、更にはその演能を拝見する見所にまで及んでいるのでは なかろうか。
このように書くと、如何にも分析的な見方をしているように 思われるが、これはその場で気づいたことを理屈で跡づけて見たに過ぎない。 実際、今回感じたのは、観る者を巻き込み、舞台の上で演じられているという虚構性を思わず忘れさせ、 時空を超えて供養に自らも立ち会っているかのような迫真性で心の奥底まで突き動かす、 その力の凄まじいばかりの大きさであった。勿論それもまた能楽というジャンルの持つ奥深さの現われなのだろうが、だからといってこの日に経験したようなことがいつも無条件で起きる訳ではなかろう。ひとつには上で自分が気づいた範囲でその特徴を記述した「隅田川」という作品の力があり、そしてもちろん、シテ、子方、ワキ方、囃子方、地謡から後見に到るまで、開曲から終演に到るまで全く弛緩することなく、まるで自己触媒反応を起こすが如く、相互に触発し合うことで達成された最高度の上演によってのみ実現されるものに違いない。舞台の上で起きている出来事が虚構であることを忘れ、自らも供養の 参加者であり、涙を堪えようとすれば、時折視線を逸らさなくてはならない程にまで 眼前で起きている出来事に烈しく心を揺すぶられるような経験であった。
そして自らも供養の参加者であるということは、まさに梅若の姿の目撃者であるということに他ならない。 梅若の姿は、シテの個人的な幻覚などではない。彼女に同情して供養に参加したワキやワキツレもまた、 その姿を見たに違いない。そして見所もまた、その目撃者となることを元雅は意図したのではないか。 この日の舞台は、作者元雅が意図した通りの、子方を出す演出であったが、「申楽談義」にて父世阿弥と 子方を出すことの是非について議論した際に、子方を出さない演出を提案する世阿弥に対し、 元雅が「えすまじき」と言ったその意図と心情とが圧倒的な深さ、説得力をもって伝わってきたと感じた。 元雅は是が非でも梅若を登場させたかったし、その気持ちは、作品の論理として貫徹されている、 そしてそれを今回の上演は揺るぎなく闡明した、と思われたのである。
実際、この日の舞台を観た者は恐らく皆、これで梅若が現れないとしたら、それはあまりに残酷に過ぎて耐え難いと 思われたに違いない。そして梅若の霊が現れたことを自らも確認し、供養がもたらした奇跡に安堵し、深いカタルシスを感じたのではなかろうか。 少なくも私はそう感じ、念仏をする子方の声が響いた時に供養の功徳が成就したと感じ、 剰えそうであることを「必然」とさえ感じたのである。ただしここでいう「必然」とは現実の世界の因果の謂いではない。 現実の世界ではその論理は完遂し難く、寧ろ脆く崩れ去ってしまう不可能なものであろう。だがそうであるからこそ、 その論理が完遂するような場が、虚構としてであれ、現実の中で実現することを願わずにはいられないのではないか。少なくとも元雅は、 冷徹な現実の最中で、そのようなものとして作品を企図せずにはいられなかったのではないか。
(例によってこれは些か突飛な連想と見なされるであろうから注記的に触れておくと、私は子方を出す演出に関して、 仏像というものの在り様のことを考えざるを得なかった。仏像の前で祈ることは、偶像崇拝ではない。祈りは仏像という オブジェ自体に向かうのではなく、仏像を通じて仏を念ずることだろうからである。そして仏像は美術品ではないから、 美的価値のみでそれを評価すべきではないこと、だけれども様々な造像があり、他方で観る者の心持に応じて、 同じ像が異なる姿を現すこと、更にはしばしば祈りの対象である筈の仏(像)がそれ自体祈っている姿に造像されること、 そうしたことをこの演能を拝見して思い起こさずにはいられなかった。更にはそれらは総じて、能を演ずること、 それを拝見することと通じているように思われてならないのである。否、能ばかりではなく、 それは芸術一般に通じるのかも知れない。序でに言えば、「隅田川」の称名は阿弥陀仏に対してであるけれど、 その阿弥陀の脇侍である観世音菩薩が相手に応じて様々な姿に変じて現れることも思ったし、更に音を観ずるという、 今日的には共感覚を思わせるようなあり方が、とりわけこの日の演能においては、一つには称名の声と梅若の出現という 「隅田川」という作品のあり方に、だがそれに加えてこの日の、まさに音を観、姿を聴くといった理想的な演能のあり方に通じているのではないかと 思い至ったのである。精緻に論じるだけの知識もなければ、確信を以て読み手を説得するだけの経験の裏付けもない私は、 寧ろ、この日の演能を経験することによって、こうした認識の門前にようやく立てたに過ぎず、それ故、括弧入れした 形で触れるのが精一杯であるが、このことに一言触れておかずにはいられず、追記した次第である。)
馬場さんがこの作品の中核を示す詞として取り上げられた「人間憂いの花盛り」という詞は「生死長夜の月の影、 不定の雲覆へり」と続き、実際には月の光の下で念仏供養が行われるのだが、その光は、 例えば「伯母捨」がそうであったような荘厳な光の氾濫には程遠く、ともすれば朧に霞み勝ちのように思われる。 そうした薄闇の中、1年遅れて辿り着いた母の前に既に亡き子供が現れるのだ。 それは時間にすればほんの一時のことに過ぎず、互に手をとりかわそうと近付くと、その姿は儚くも消えてしまう。 だが、それが一瞬のことであったにせよ、念仏供養の声が、打ち鳴らされる鉦の音が、 梅若の霊を呼び起こし、出現させたという事実は残る。母親は確かに梅若の声を聴くのみならず、その姿を見たのだし、 そのことを供養に参加したワキやワキツレも見たに違いなく、母と共に彼らがこの供養の功徳を後世に伝えていったに 違いないのである。否、そこで梅若の姿を見、梅若の出現の必然を証言するのは、物語の世界の内側の登場人物だけでは ないのではないか。その優れた演奏により出現を必然のものとして可能にした演者の全て、見所の全てもひっくるめて そうなのではないか。「人間憂いの花盛り」を我が事と感じたのは、演能の場にいた全員であったのではないか。 演じられる虚構と演じる現実の区別は、常には裁然たるものであるし、例えば演能を批評するため にはその区別は前提であろうが、私はことこの日の演能に関しては、その区別が乗り越えられ、廃棄されてしまったが 故に可能となった経験の側につきたいと思うのである。
梅若が舞台の上に一瞬だけ出現し、母の姿と交錯するが早いか塚の中に消えてゆくことによって、その後のキリの 風景は意味合いを全く変えてしまうかのように思われる。夜明けの光の中に見えるのは現実には草生した塚だけであろう。 梅若が蘇生するような奇跡、あるいは梅若が1年前に世を去るのとは異なった因果の成り行きは我々の生きる この世界の現実には用意されていないのだ。そうしたこの現実の世界とは異なった秩序が支配する世界と 一瞬だけ触れ合った後のキリの風景は異様である。梅若は決して蘇りはしなかった。 だが梅若の姿は供養を共にした者達にとって、紛れもない現実であった。勿論それは客観的には、せいぜいが 共同幻想として片づけられてしまうのかも知れない。だがそれを幻想と呼ぶにせよ、今ひとつの現実と捉えるにせよ、 そうした機序を乞い求める現実は紛れもなく存在する。しかもそれは「隅田川」の能の舞台となった中世に固有の事情などではない。まさに能が演じられる今、ここの現実においても状況は変わるところがない。そうした現実と日々対峙しなくてはならない 「憂いの花盛り」に居る人間とは、今ここで演能を拝見する自分達のことではないのか。
夜が明けて、演能も果てて、作品の外側の現実が戻ってくる筈の終演のひととき、作品の内外のあわいを歩むかのように 橋掛かりを通って舞台を去るシテの姿に、上述のような体験を経た見所は何を見ただろうか?能を観ることにより 自分の内側に侵入してきた何物かに浸されたまま、自分もまた同じように能楽堂を去っていく他ない。だが、その後に 来るものは、観る前と同じ現実である筈はない。供養の功徳により梅若の姿を一瞬でも観ることが叶った母は、 (梅若伝説のあるバージョンの伝えるところとは異なるが)身を投げて果てるようなことはなかったのではないか。 見所もまた「憂いの花盛り」の現実に戻っても、同じ風景を見てもどこかが違う。それを言い当てることなど 到底できないけれど、或はまた他人が見ても一見して違いがわからなくとも、自分の奥底に何かが降りてきて、 それにより何かが変わったように思えてならない。いや寧ろそれは予感に近いもの、変わっていくポテンシャルを 獲得した、否、もっとささやかにその契機を得たに過ぎないかも知れない。一般にはモダンで悲劇性の強い作品と 呼ばれる作品を拝見して、だが私が拝見し終えて感じたのは、救いのない現実に対する絶望ではなく、寧ろ ベクトルとして逆を向いたものであるように感じている。勿論これは、私だけの主観的な感じ方かも知れない。 例えば、(とはいえ、これは思いつきで持ち出すのではなく、あの終演の感じに似たものとして、終演の折、 自分の中から浮かび上がってきたものなのだが)マーラーの第9交響曲の終曲のアダージョを聴いて、 そこに何を読み取るのかは人それぞれなのと同じことかも知れない。自作の「子供の死の歌」の引用をはじめとする 断片がきれぎれに白んでいく空に漂うのが見え、夜明けの風景が聴こえるそのコーダは、主体が揮発して 空と化する地点を示していながら、しばしば解説として見かける「死のアレゴリー」という言い方には 大きな誤解が潜んでいるように思われて、到底首肯できないのだが、それを同じようなことを私は ここでも感じたのである。
更に、これは是非とも付け加えて置きたいのだが、これまで記してきた、私の中に湧き上がってきた思念や認識が、後から想起しても尚、生々しく蘇る光景の凄まじさ、リアリティに根差したものであることに気付いてみると、この日の演能が如何に素晴らしいものであったかに思い当たるのである。例えば、上に記したキリの風景にしても、私は塚の作り物が置かれた能舞台を見所から眺めていたに過ぎないというのが客観的な現実の筈である。基層の響きのように確かに聞こえていた筈の川の流れる音、水辺の空気の持つ匂い、刻々と変わる光の調子、それらは全て、シテの所作が生み出したものなのだという事実を前に、私は絶句せざるを得ない。そもそも私は現実の梅若塚を訪れたことがないのである。勿論それは、これまでも記してきたように、香川さんの演能の度に、見方によってはごく当たり前のように起きていることなのだけれども、そもそもそれがごく当たり前に起きるということ自体、如何に稀有で、当たり前などとは言えないことであるか。
私は梅若の供養の場に自分もまた本当にいて、その一部始終をこの目で見て、それを証言しているとどこかで思ってしまっていて、そう思う方が自然であることに気づいて、絶句せざるを得ない。まだ年若く、しかも鄙びた周囲の風景にそぐわない雰囲気を漂わせている物狂いの女が、渡し守に向かって彼方の鳥の名を問うた時に、自分もまた、川辺に遠く、都鳥を確かに見たと、或は、渡し守にが自分が一年前に儚くなった少年の物語をして聞かせた物狂いの女性が、その子の母と知った時の「言語道断」という詞の響きを、その時の母親の表情ともども、自分もまたその場に居合わせて我が事のように受け止めたと、更にはまた、母親が鳴らす鉦が響き、称名の声が交響する中に、ひと際高く、子供の声が混じった時の母親の表情を、そしてその直後の「なうなう今の念仏の声は、、、」と問う母の詞の持つ、形容しつくせぬ響きを、その場で聴いたとしか思えないのである。否、こうして書き始めれば、果てがない、ないからこそ、最初に具体的な細部については書かないと宣言した筈ではなかったか、、、
如何なる言葉を尽しても到底及びもつかないような経験というものがある。単に自分の言語的な能力が、 その深みや質に及ばす、それに見合った仕方で表現することが困難であるというのではなく、 寧ろ原理的に経験を後から言語を媒体として定着させるという方法自体がそぐわないと感じられるような 類の経験というものがある。自分が自分に可能な限り受け止めたものは時間の経過にも関わらず、 まるでつい先程経験したことのように生々しく、克明に想起できるのだけれども、言葉で説明することに 抵抗するような経験というものがある。総じて能というのは、それが優れた演能である場合には、 必ずやそうした側面を幾許か含み持つものであることは、これまでの香川さんの演能を拝見してきて 都度感じてきたことだった。更に加えて、演能が行われる外的な一度限りの状況が、それ故にその演能だけしか 原理的に持ち得ないアウラを付与することもあるだろう。(このように書きながら、私は東日本大震災の直後の「朝長」のことを思い浮かべている。)だが今回の演能に接して感じたのは、それらのいずれとも 異なる質の経験、通常、単なる演劇の鑑賞の場では恐らく不可能な、だけれども能楽では可能な、上演がそのまま儀礼・祭祀と化してしまうかのような経験であった。
「隅田川」の能の典拠である梅若伝説は、それ自体は厳密にはフィクション、虚構ということに なるのかも知れない。現在においても能舞台の外で、梅若塚が実在し、供養が営まれているけれど、 それはある種の転倒の産物であるという見方もできよう。しかもそれは梅若伝説に限った話ではなく、 多くの霊験譚や縁起というのは須らく後付の脚色を伴っていて、そのまま事実と見做すことができないのであろう。 だが、偶々読んでいた白洲正子さんの観音巡礼記にもそうした考えが記されていたように記憶するのだが、 伝説にも、単なる事実だけを見ていたら取りこぼしてしまう「真実」があるに違いないし、 翻って、舞台の上で演じられる供養という点ではもう一レベル虚構の度合いが高い筈の演能に、 逆説的に、現実の供養では時と共に変質して、もしかしたら損なわれ、喪われてしまったかも知れない「真実」の 記憶が、数世紀の長きに亘って保持され続けていて、その一端に触れたという確かな実感を持ったのである。
梅若伝説に因んだ議論の一つに梅若が亡くなったのは隅田川の西岸か東岸か、というものがあるらしい。 だがこの日の演能に接して感じたのは、事実の詮索以上に、それが川辺で起きたというトポスの設定、そして 渡河という行為の持つ象徴的な意味合いの方であった。人はそこに、どうしても三途の川や賽の河原を 重ね合わせずにはいられないし、川というのが結界であり、渡河は疑似的な仮死の経験であって、 供養というものの本質が端的に示されていて、異界である向う岸においてこそ、梅若に再会することが 可能になるというのもごく自然に理解できるように感じられる。
そしてシテである母は一人で渡河するわけではない。有名な渡し守と母とのやり取りでは梅若という名前とともに 彼の命日である3月15日という日付が確認される。梅若の死は既に起きてしまい、取り返しのつかない、 反復不可能な一回性の不可逆な出来事だが、供養という営みは、不可能な反復というアポリアに挑むことによって その日を記念し、記憶する。梅若の死が忘却の河の流れに押し流されることなく記憶されるためには、否、 そもそも幻想であろうとなかろうと、母が梅若との再会を果たすためには、ワキやワキツレに代表される人々が 1年後の3月15日に供養を営まなくてはならなかった。供養を行うのは、梅若の死に遭遇した母親一人ではない。 ワキやワキツレも一緒に向う岸に渡って、共に供養をし、恐らくは共に梅若の姿を垣間見るのである。 少なくとも元雅の論理はそういうものであったに違いない。元雅はそうでなくてはならないと思えばこそ、 子方を出すことにあれ程拘ったに違いない。この日の演能を拝見して私はそれを理屈で納得したというよりは、 そのように悟らされた、それは冷静な分析的な認識ではなく、そうでなくてはならない、という強烈な共感を伴う 直観として私の心を満たしたように思う。
こうしたことは冷静な人から見れば、半可通で能に接している人間の滑稽な思い込みに過ぎないかも知れないが、 それを認めた上で尚、この日の演能が、例え錯覚であったにせよ、そうした直観を惹き起こす力を備えていたという 事実は残るであろう。更に言えば、「隅田川」の能という形式の中で行われる梅若の供養、梅若の母親の供養は、 その背後にある、個別には記憶する者が絶え、忘れ去られてしまった無名の数多の梅若達、梅若の母達の供養でも あるのだし、数世紀に渉り繰り返されてきた「隅田川」の演能を通じ、その都度の見所の供養でもあり、 その一端に自分が連なっているのだという印象を持ったのである。勿論、神事仏事がそうであるように、 記憶の継承にとっては儀礼が反復され、継承されることが第一義的に重要なのだろうが、優れた演能は 単にそうした記憶に事実として与かるだけではなく、自己の関与の持つそうしたパースペクティブへの気づきを与えてくれる ものだとするならば、この日の演奏はそれを私のようなたった二度きり「隅田川」を拝見した人間にすら 可能にした、稀有な達成であったに違いない。そしてそうした気付きに関してならば、 これまでも香川さんの演能を拝見してきて、都度感じてきたことではあるのだが、今回は、 加えて「隅田川」という作品の持つ比類ない力により、個人の寿命のスケールを超えた大きなものに触れることができただけではなく、 更にそれを拝見することで自分がそうした大きなものに与かることが叶ったような感じがする。 このような経験を可能にしてくださった香川さんをはじめとする演者の方々に感謝の気持ちを述べて、 拙い感想の締めくくりとしたい。 (2017.4.20暫定公開, 22加筆修正,27修正)