2011年12月30日金曜日

「第28回二人の会」(喜多六平太記念能楽堂・平成23年12月23日)

能「松風」身留
シテ・香川靖嗣
ツレ・塩津哲生
ワキ・宝生欣哉
アイ・野村扇丞
後見・中村邦生・粟谷浩之
笛・一噌仙幸
小鼓・大倉源次郎
大鼓・柿原崇志
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・大村定・長島茂・友枝雄人・内田成信・金子敬一郎・佐々木多門

今年の観能は震災直後の「朝長」とこの「松風」のみ。震災の影響もあるだろうし、それ以外の要因もあるだろうが、今年の後半は多忙を極め、 気力・体力の限界に近い状態が続く最中、「松風」を拝見することになってしまい、私は目黒に足を運ぶことを逡巡せざるを得なかった。 自分の体調のせいで、舞台の質に相応しく拝見できるかどうかについて、率直に言って全く自信が持てなかったのである。以前の「砧」も 異様な状況での拝見になったが、その時の感覚がトラウマのように自分の意識の奥底に澱んでいるのが生々しく思い起こされること自体が 現在の自分の状態を告げているようにも思えたのだ。

そして拝見し終えて後、その演能のあまりの素晴らしさに引き擦り込まれ、集中して拝見できた一方で、その感想を纏める段になれば、 そこで起きたことを果たして自分が十二分に受け止め得たかどうかについては心もとないこと夥しい状況であることをこうして事前に申し開きせざるを得ない。 既に拝見してから一週間が経過してしまったが、その間に自分の中で受け止めた印象を反芻し、整理し、あるいは熟成させることが出来た訳ではなく、 寧ろその逆に、再び相対せざるを得なかった多忙に紛れてしまいかねない状況であったのだ。そうした状況に抗しえて、心中に鮮烈に刻印されている 印象を僅かでも書き留めることができるとすれば、それは一にかかって演能の素晴らしさのもたらすもの以外あり得ない。 「申楽談義」には、この作品は「こと多き能なれども、これはよし」とあるが、まさにそれを実証するような、細部に亙り、隅々まで充実した 圧倒的な演能であった。何時にもまして、まず香川さんを始めとする演者の方々に対して御礼申し上げたい。

実を言えば、目黒に足を運ぶことに躊躇いを感じた理由の一つに、番組がまさに「松風」であるということがあった。これもまた全く私個人の問題で あって、他人から見れば理解しがたいであろう心理的な機制によって、例えば「朝長」のような追悼の、慰霊の能であればともかく、「松風」のような 能を、その作品に相応しく受容できる自信がなかったのである。

だがこの懸念もまた、演能そのものの質によってあっさり覆されることになった。ただし上記のような心境の人間が受け止めたものは非常に個別的で 客観性を欠いたものであることは容易に想像される。従って以下はあくまでも上記のような文脈でこの舞台を拝見した人間の印象ということで ご了承いただければと思う。

この演奏で何といっても印象的だったのは、その囃子の雰囲気である。劈頭の名乗りの笛から始まって、例外的な「真ノ一声」、「物着」のアシライ、 舞からキリへと全編にわたって、濃密な海の気配、そして交替する現実感、場を支配する感情の表出と、どれをとっても最高の演奏と感じられた。 特に圧倒されたのは、絶妙の間合いで打ち込まれた柿原さんの大鼓の音によって始まった「物着」のアシライで、「物着」が物語の流れの中断、 中入りなどではなく、紛れも無く作品構成上、最も重要な部分ですらあって、実際には動かずに後見が装束を替えるのを座して待つシテの心情が、 その前の部分から全く途切れる事無く、寧ろ堰を切ったように高まり、溢れていくのを目の当たりにした思いがして、不覚にも私は涙を堪えることができず 天井を仰ぐ他なかった。考えてみれば「物着」というのは松風が自分の意識の奥底の核心的な部分、彼女がこの世に最早存在していない にも関わらず、幽霊として出現せずにはいられない根拠に真直ぐと降りていくことそのものなのであるから寧ろ当然なのかも知れないが、そうした 知的な解釈による理解は、その場を支配する感情の力の途方もない強さの前に色褪せてしまう。

そして物着を終えて立ち上がった時の表情は、最早元のままではあり得ない。それは普通の言い方をすれば「憑かれた」状態ということなので あろうが、物着のアシライによって舞台を支配してしまった彼女の思念の強さ、立ち上がった彼女の表情は、見所が見るものの現実感の 遠近法を変えてしまう。見所は最早ワキの僧の視線でもなく、諫止する村雨の立場でもなく、松風の見るものにこそ最高の実在性を見出すのだ。 生者ではなく幽霊である筈のものが更に憑かれるというのは冷静に考えればそれ自体異様な状況だが、ここでは物着によって、あたかも松風が 実在性を獲得したかのような逆転が起き、その後の中の舞も破の舞も、見ている者にとっては、それこそが紛うかたなき現実としか思えない。

だがそれは、今回の演能に関して言えば、まさに「真ノ一声」によってシテが舞台に登場するところから周到に用意されていたようにさえ思える。 登場した時点から、村雨と松風の存在の在り様は、通常の演出であれば意図するであるような双子的な類似性からは程遠く、香川さんの 演じる松風の存在感は、人間を離れた何かのそれであり、村雨と強いコントラストをなす。村雨は旅の僧や(少なくとも最初の部分での)見所と 松風との媒介のような存在であって、だから最初は連吟を通してしか松風の声は届かない。松風が一人で語り始めると風景が変容し、 現実の須磨の浦ではなく、或る種ヴァーチャルな時空間の中で汐汲みが行われる。その後塩屋に宿を請う僧と問答するのも、まずは村雨であり、 再び連吟ののち、幽霊としての己を明かすところに至ってようやく松風の声が単独で響くのだ。松風の声が単独で響くと時空が歪み、ヴァーチャルな 世界に舞台が変容することが潮の満ち引きのように繰り返されるのは能ならではで、ワキの僧が立つ現実から、幽霊が出現する位相、幽霊である 松風の心象のヴァーチャルな位相、そして物着の後の位相と、幾つかの相を遍歴するのも、囃子と地謡の名人芸的な自在さによるものに違いない。 一噌仙幸さんの笛はそうした相の移行を告げ、大倉源次郎さんの小鼓は虚ろになる現実感を、柿原崇志さんの大鼓は満ちてくる感情の波の 高まりを自在に表出する。相の移行の後の場の定位を行うのは友枝さん地頭の地謡である。

このように書けば、如何にも作品を図式的に捉えたかの如き印象を与えるかも知れないが、事実はその逆で、見所に居る私は舞台で 繰り広げられるそうした多重的な世界の往還の傍観者ではなく、寧ろ同伴者のような感じで舞台の上の出来事を経験したのである。 非常に極端な言い方になるのを懼れずに言えば、物着の後、舞の間、私は松風の見た世界、しかも彼女が幽霊ではなく、実在で ありえたかも知れない世界を経験した、私は松風そのものであったとすら言いうるかも知れない。こうした経験を可能にするのが能という芸術 なのだということを改めて実感し、その力の大きさに圧倒されたのである。

まだまだ印象に残った細部は数知れない。今回特に印象的だったのは香川さんの謡が実に明晰で、面を通してでありながら、そのニュアンスの 多様さと併せて、詞が一字一句はっきりと聴き取れ、心の中に真直ぐに飛び込んで、それがたちまちに風景となり心情と化すことであった。 囃子も、地謡もそうだが、香川さんの謡も、物質的な音を聴くのでなく、そのまま意味内容が聴き手の心の中に響きわたり、風景が眼前に 繰り広げられ、心情が押し寄せてくるかのようであった。

「真ノ一声」で登場したのと対を為すように、破の舞の後、松風は「松に吹き来る、風」そのものと化す。最後に残ったワキの僧が留めるのは 常の通りであっても、去っていったのは風の精か何かのようで、そこには人間的な感情というのが最早ほとんどないかのようだ。残った松風の 中に立ち尽くす僧とともに現実に還る私は、だけれども、不思議と晴々とした気持ちになっていることに驚く。まるで能を拝見することで、 自分の中に蟠っていた澱のようなもの、固着していたシコリのようなものが一時、洗い流されたような気持ち、或る種のカタルシスを得たのだと思う。

ここから先は、再び私の個人的な文脈での連想を書き留めておくことをお許しいただきたい。私は今回の「松風」を拝見していて、それが自分の中に 封じ込めてあった風景に働きかける力を感じた。例えば汐汲みで松島が、千賀の塩竃が呼び出されるとき、それを「融」の能への間テキスト的な 参照としてよりは、震災の津波が押し寄せた、私の心の中に刻み込まれた東北の海岸の風景を呼び覚ますものとして受け止めた。突飛な連想、 こじつけであると頭では思っても、松風が抱く作り物の松を見て、そのまま陸前高田で、一本だけ津波に耐えて後、今や無慚にも立ち枯れつつある松の ことを思わずにはいられなかった。「松風」の能そのものは恋の執心の物語かも知れないし、そこには背景となる伝説があり、それは私の連想とは 全く関係のないものであることはわかっていても、震災と津波によって断ち切られてしまい、心の奥底に沈められてしまった数々の思いが、 物着の後立ち上がって松に向かう松風の姿に重なるのを止めることができなかった。「松風」という作品の見方として間違いであっても、 抗い難い力によって損なわれてしまったものの恢復を待ち続ける深い思いが、このようにして極限までの美しさを備えた上演によって、 これからもずっと後世に伝え続けられること、そしてその演能の中の一瞬、かりそめであったとしても、ヴァーチャルとリアルが反転して、 「あの松こそは行平よ」が真実になる瞬間を実現することができる芸術があることの重みを感じずにはいられない。

能は芸能であり、見る人を楽しませるものである一方で、常に奉納であり、そこには人間の祈りが込められているのだということを、今回私は身をもって 感じずには居られなかった。そして勿論、そうした認識はどんな演能であっても無条件に実現するようなものではありえない。そしてまた、 私が感じたカタルシスは、震災によって蒙った自分自身の傷に対するそれであったかも知れないとも思う。優れた能の上演は、病んだ心を癒し、 救う力を持っているのだ。だから最後に改めて、香川さんを始めとする演者の方々に、そしてこの上演を拝見する機会を与えて下さった方に 御礼申し上げて、この拙い感想の結びとしたい。(2011.12.30初稿)

2011年4月17日日曜日

「第5回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成23年4月2日)

能「朝長」
シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生閑
ワキツレ・工藤和哉
ワキツレ・御厨誠吾
アイ・山本則重
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌幸弘
小鼓・曽和正博
大鼓・国川純
太鼓・金春国和
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・狩野了一・友枝雄人・金子敬一郎・佐々木多門

平成23年3月11日の東日本大震災の後、様々なジャンルの様々な公演がある場合には已む無く、ある場合には自粛という主旨で中止される中、 「第5回香川靖嗣の會」の公演は中止することなく上演されることを心の中で願いつつ、私は3月を過していた。少なくとも私の中では能ははっきりと 祭祀的な意味を備えているし、とりわけ香川さんの演能にそれを強く感じてきた私にとって、元雅が深い思いを潜ませたに違いない鎮魂の能「朝長」が他ならぬ 香川さんのシテで上演されることは是非とも実現されて欲しいことであったが、更に言えば、軽微で間接的とはいえ震災の影響から無関係ではありえなかった私自身が 何よりまずそれを拝見することを強く望んでいたのだと思う。

月替わって4月2日、暖かく晴れたこの日も公演中に余震に見舞われる中、幸い「朝長」は最後まで上演され、私はそれに 立ち会うことができた。私には本当に心から能楽堂を訪れ、能を拝見することがしみじみとありがたく感じられたし、その気持ちを終演後に主催者にお伝え せずにいられなかった。この時期に公演を(しかもそれが個人の主宰する会であってみれば尚のこと)実施するについては非常に大きな困難と、それに劣らぬ 心理的な葛藤がおありであったことと拝察する。だがそうした状況下での決断は上演に常ならぬ異様な力を齎したと私には感じられた。 主催者をはじめとした演者の方々に見所も一体となったこの公演は、能の持つ深く強く大きな力を闡明する稀有な出来事となったことを、 主催者、共演者の方々、および公演を支えられた多くの方々に対する敬意とともに、まず劈頭に書き留めておかずにはいられない。

*   *   *

香川靖嗣の会は毎回、開演に先立ってお話があるのだが、今回は番組が「朝長」ということで三宅晶子先生のお話であった。三宅先生ご自身も偶然の符合に 驚かれていたが、「光陰を惜しみ給へや」という題は「朝長」という作品の核心であるとともに、この公演の置かれた状況にあまりに相応しい。乱に敗れて落ちのびようと する途上で傷を負って自害しなくてはならなかった朝長という人物像が、個人の悲劇を超え、運命の前に無念の最期を遂げる人間の思いを集約するアトラクターの ように感じられ、だから朝長の鎮魂のための供養もまた単に一個人に向けてのものとは感じられない。否、正確を期するならば、朝長を供養するのが匿名の旅の 僧ではなく、彼の最期を知る青墓の長者であり、朝長ゆかりの僧であり、そうした彼らを前シテ、ワキとして前場を構想した如何にも元雅らしい着想が、逆説的にその 人物造形の「個別性」を通して、普遍的な、けれども個別性を決して喪わない祈りへと見所を導くのだというべきだろう。観音殲法は朝長という個人を知る 彼らの個々の懺悔の刻であり、そうであることを通して見所一人ひとりの懺悔へと通じているのだという感覚を逃れることは私にはできなかった。

前場はまぎれもなく春の風景の中で展開されるが、その透明な光の感じがかえって心の中に疼く痛みを射通すように感じられる。災厄の後も季節の巡りは超然と していて、変わらぬ光と風とが却って、非可逆なカタストロフィックな出来事が起きたこと、最早かつてのようではなく、同じではないこと、相転移のこちら側に来て しまったのだということを厳然とした事実として思い起こさせる。そうした透明感とどこかに潜む蟠りがもたらす重い空気の共存を描き出すのは名人揃いの囃子方である。 繰り返しになるが、前シテを亡霊とするのではなく、残された生者とし、ワキを縁なき旅の僧ではなく、朝長にゆかりのある僧とするのは隅田川や弱法師の作者でもある 元雅らしい着想で、後シテを呼び出す枠となる供養もまた偶々なされるのではなく、ここではそもそも前場の登場人物たちがそのために集うのだ。 「偶々」があるとすれば本来別々に各人が抱いている思いが出会い、集うことにあるのだろうが、そうしたシンクロニシティを偶然と呼ぶことはできまい。 まさに「光陰を惜しむ」気持ちが一見偶然に見える邂逅を用意するという消息を、元雅の作劇法は見事に示しているように私には感じられた。 そうして出会った想いの深さを語りだすのは地謡で、まるでギリシア悲劇のコロスのようにその「場」の想いを、だがコロスとははっきりと異なってあくまで「個」が 秘める想いをシテに直接語らせるのではなく、地謡に語らせるのは能ならではで、能としては別段の新機軸ではないのだろうが、それが元雅の構想の下で 持つ効果は格別のものがあるように思われた。謡の進行とともにいつしか深い慟哭の調子を帯びるかのような囃子の移ろいもまた見事で、特に小鼓の奥行きに 富んだ深い響きが耳に残る。

後場の観音殲法を準備するのはアイの語りと語りのあとの告知であるが、それを担うアイの語りは格調高く、場の雰囲気を一層高めて後場を用意する。 「殲法」の小書きこそないが、明らかに供養の儀式を思い起こさせずにはいない太鼓の響きに導かれるようにして登場する朝長の霊は颯爽とした若武者 姿で、三宅さんが事前に紹介された十六の面が帯びるまっすぐな勁さに私は心を打たれた。その朝長がまず「光陰を惜しみ給へや」と 語りかけるのはワキとの対話で、その後、朝長の語りは己のことのみならず父の運命にも触れつつ、前シテであった長者にも向けられる。作劇法から長者の 姿は当然舞台にはないが、それは前場で長者が語るときに朝長の姿が不在であるのと対称である。通常のつくりであれば、シテの姿は前後で異なるけれど、 いずれも結果としてはシテとワキとの対話になることを思えば、このことが持つ効果は決して小さなものではない。見所もまた幽明境を異にしつつ再会する 二人を同時に見ることができず、つまり「再会」は舞台の上では決して実現せず、それゆえそれぞれを相手の心の裡に浮かび上がるものとして、 同様に心の裡に思い浮かべるしかないのだから。

地謡が戦乱を語るクセの謡の最中に、冒頭でも述べたように余震に見舞われ、一瞬会場に緊張が走るが、まるで拡がりかかる動揺をねじ伏せるように謡と囃子が 舞台を進めていく。その中でシテが「梓弓、もとの身ながらたまきはる」と魂魄別れての苦しみを謡うのを聴いて身を切られるような想いに囚われる事無く いることは不可能である。見所の意識は最早生きて供養するものの側にあるのではなく、まさに修羅道の苦しみの裡に共にあるかのようだ。 最後に朝長が自分の最期の様を見せるのもあまりにリアルで、それが過去のこととは思えない。故あってこの感想を書き留めるのは拝見してから 2週間も経ってからなのだが、今思い起こしてもその最期の様がフラッシュバックのように鮮明に甦り、それを見たときの自分の情態が再現されて 息苦しくなるほどだ。

2週間前に会場で私が受け止めたものが、客観的に見てどこまでこの上演自体の備えた質に由来するものであるか、冷静に考えれば判断し難い部分が あるのは確かなことだが、こと今回に関しては、それを客観的に分離することにどれだけの意義があるのか、と問い返したい気持ちを抑えることができそうにない。 そもそも演者の高い技量は今更私如きが言っても始まらないことだろうし、私は寧ろ、震災からさほどの時を経ずに、まさに「光陰を惜しむ」ようにして、舞台の演者 全員がこれ一度きりの思いをぶつけあって創りあげられたに違いないこの舞台の持つ、状況と不可分の力の莫大さを書き留めておくことを積極的に選びたいと思う。

震災から約1ヶ月が経ち、この文章を綴る時間がようやく出来たときに、自分が経験したこの舞台と良く似た意味合いを帯びた、私が知っているある別の事実に ふと思い当たった。それは1948年5月、第二次世界大戦後ワルターがはじめてウィーンを訪れて演奏したマーラーの第2交響曲の演奏記録である。 戦争の記憶が生々しい時期のこの一期一会の演奏の持つ例外的な力、それに立ち会った会場の異様な雰囲気は録音記録の音質の制約を越えて尚、 充分に感じ取ることができる。「原光」と題され、「子供の魔法の角笛」に収められた天使と争うヤコブの歌(だがそれを歌うのは女声なのだが)と、クロップシュトックの 有名な賛歌「復活」を核に作曲者自身が自ら書き下ろしたテキストが歌われるこの曲の歌詞が、これほどまでに重みを持って一言一言噛み締めるように歌われ、 それを支えるパッセージが各楽器によって歌われ、聴き手の心に染み渡ってくる演奏は稀であろうと思う。それを私は半世紀以上の時を経て異郷の地で聴いている。 だが、ここで記録する「朝長」はその上演に立ち会うことができたのだ。どんなに拙く、主観的なものであっても自分の経験を記録せずにはおけない、 そうした経験であったことは間違いない。恐らくこの後も折に触れ、そのときの経験を、震災に纏わる様々な記憶ともども反芻することになるだろう。 そのためにもこのようにして、感じたことを感じたまま記録しておく次第である。(2011.4.17初稿)

2011年1月2日日曜日

「第26回二人の会」(喜多六平太記念能楽堂・平成22年12月23日)

能「井筒」段之序
シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生欣哉
アイ・野村万作
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌仙幸
小鼓・大倉源次郎
大鼓・国川純
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・長島茂・狩野了一・友枝雄人・内田成信・金子敬一郎・佐々木多門

身辺の多忙が昂進した挙句、顧みれば2010年に能舞台を訪れたのはわずかに2回、だが、1年の終りにこれだけは見逃すまいと期した一番が 「第26回二人の会」での香川さんの「井筒」。いつにもまして圧倒的な経験であり、その経験を書き留めるべき自分のことばの欠乏を前に呆然としつつ、 再び慌しい年末の日常に立ち戻らざるを得なかったものの、そこで受け止めたものの或る種の「異様さ」が、そこで演じられたものにたとえ遠く及ばずとも 己れの受け止めたものを言語化せずにおくことを許さないかのようで、言葉足らずになることを覚悟しつつ、ここに記録する次第である。 いつもながら補助席も一杯の見所に加え、いつもに増して多いカメラが、この一番を記憶する眼差し、証言をするであろう眼差しの多様とともに この一番の重みを物語る。それらの証言に伍することはもとより意図するところではない。ただ己れの受け止めたものの「異様さ」の導きに任せて 書き留めておきたい。

「井筒」を作者の世阿弥は「直(すぐ)なる能」と自ら評したというのが心のどこかにひっかかっていたのか、あるいはこれまで拝見した能や 仕舞の経験がそうさせたのか、私は「井筒」という作品を、豊饒ではあるけれど決して複雑ではない、奥行きに富んではいるけれど、 ある意味で抽象的な、言ってみれば時間の自己運動の如きものとして捉えていた。勿論ここでの時間というのは人間の意識のそれであるから、 決して人間的な感情と疎遠のものであるわけではないけれど、例えば、そうしたものが蒸留され抽象化された運動として序の舞を捉えていた。 だがこの日に拝見したそれは、そうした先入観を完膚なきまでに打ち砕く強度と、見る者の心の奥底にありながら、それを無意識の裡に抑圧する ことでやり過ごしていられるような不気味なものを引き出すような凄惨な美しさに満ちたものだったように思える。他所では過去の感情を浄化するもので ありえたかも知れない月の光は、ここでは決して澄み切ったノスタルジアを浸すものなどではなく、寧ろ見てはならないもの、だけれども見ずには居られないもの、 一度は抑圧して忘れようとしたものを浮かび上がらせ、再認させる媒体であるかのようだったし、序の舞もまた、懐かしさに充ちた回想へと解(ほど)けて行く 回想の時間性の運動などではなく、寧ろそのたゆとうようにゆっくりとした何時終わるとも知れぬ律動は、この世ならぬ狂おしさを帯びたものと感じられたのである。

囃子方が刻み、提示する時間も滑らかに流れるものではなく、寧ろ各段毎の変化が明確で、まるで場面が転換するごとに一階層降りた 部屋の扉が一つ開かれ、別の空気の流れ、別の光の調子に不連続に移行するかのようだ。それは寧ろ夢の論理に近くて、一見したところ 非連続で飛躍していながら、背後にある無意識の論理によりあたかもそうなるのが自然なことのように転轍が達成される。

前場の女性の表情は一見したところ穏やかで、慎ましやかでいて、心の奥底にある何かに憑りつかれたような虚ろさもまた漂っている感じがする。 実のところ私は、井筒の女の回想が満ち足りたものであるとすれば、なぜそうした満ち足りた回想が何度も反復されねばならないのか、 言い換えれば幽霊となって現れなければならない理由を訝しく思っていたのだが、今回の香川さんの演じる前場の里女の表情を見て、 私が作り上げてきた先入観があっさり覆されるのを感じずにはいられなかった。彼女もまた、道成寺の女と同様、あるいは松風と同様、 「救い」を求めて現れずにはいられないのだ。勿論彼女は感情を顕わにし、その強い情念を身体的な動きに転嫁したりはしない。 だが、あのイグセの部分の静かさの裡に、どんなにか深く激しい感情が篭められていることか。ふと移ろう表情が一瞬見せる、どこか絶望したような 翳りを見てとって、思わずぞっとせずにはいられない。年齢もまた不思議な揺れを示すかのようで、ある瞬間には幼女のような純真さがよぎったかと思えば、 ふとした折に、まるで老女と見紛うばかりの表情が垣間見られたりして、一見「直なる」作品のうちに複雑に畳み込まれた時間の重畳を見るかのようだ。

だから後場の序の舞もまた、ノスタルジアの、過去に向かって下降しながら解(ほど)ける時間などではない。否、そういう側面がない訳ではないだろうが、 到底それだけでは汲み尽せない、行き場のない、逼塞して滞るほかない想いが、もう一度自分の因って来る由縁を確認するために歩みだすかの如く、 底知れない感情が背後に隠れていることに気付かずにはいられない。「段之序」の小書きにより謡われる詞もそうした機序を強調する。 舞は過去に遡及することで自分が喪失したものを回復するための、癒しを、救いを求める心の動きそのものであるかのようだ。

舞い終えて後、井戸を覗き込むあの有名な型の部分もまた、正視するのが憚られるような痛々しさを私は感じずにはいられなかった。 彼女が井戸の水に映る姿に認めたのは、一体何だったのだろうか。舞の後、自分が喪失したものが回復されたことを彼女は再認できた だろうか。彼女の心の傷は恢復しただろうか。過去を遡り、己を虚しくして喪ったものに到達したその瞬間に、時間は逆転する。 井戸から顔を上げたのちの姿は正視に耐えぬ程に傷ましい。逃がし止めのように時間が弾け、彼女が待ち続けた時間の堆積が「老い」となって その表情に現れるかのようだ。いっぺんに老婆のような表情に面が変わる様は圧倒的で、生身の人間が演技して作り出す表情に優る、 仮面劇である能が持つパラドクシカルな凄みを再認した。

些か突飛な連想だが、私は井戸に映る己の姿を覗き込むもう一つの能、「蝉丸」の逆髪のことをふと思い浮かずには いられなかった。勿論、彼女達2人を並行して論じることはできない。井戸を覗き込むときの心持ちも、井戸の水に見出すものも、 逆髪と井筒の女ではほとんど正反対と言っても良いだろう。私には寧ろ、狂女であるはずの逆髪の方に澄み切った自己認識を、 美しく柔和であるはずの井筒の女の方に盲目的で無意識的な、そして決して癒されることのない狂おしくも絶望的な想いを感じずには いられない。彼女の心は恐らく癒されることなく、夜明けとともにひととき消えても再び、時間を折り返し、遡行しようとする舞は、 井戸を覗き込む所作は繰り返されるに違いない。井戸の水鏡の反映が呼び起す反復の裡に彼女は閉じ込められてしまっている。 もう一つだけ対照となる例を挙げれば、彼女は、例えば「定家」のシテのように墳に戻るのではない。香川さんが演じられた 式子内親王は痛々しい痩女でありながら、その序の舞は報恩の舞だし、少なくとも舞っているその瞬間、彼女の心は過去への 執着からは解き放たれていると確かに感じられたのに対し、井筒の女の舞は、それ自体、過去への執着そのものなのだし、 にも関わらず、あるいはそれゆえに一層、圧倒的に美しい。面の表情も柔和で、笑みを湛えていながら、どこかに道成寺の あの絶望的な悲しみを湛えた「蛇」の表情の美しさの影が揺曳する感覚を断ち切ることができない。

「直なる能」と言ったとき世阿弥が言わんとしたことを曲解しようというつもりはないけれど、この演能を拝見して感じたのは、 この能はある意味では、人間が救いを求めざるを得ないような心的な傷を巡っての物語を端的に、月の光と井戸の水鏡という シンプルな舞台装置を用いて率直に劇化したものであるといえるかもしれないということである。だがそこで展開される心の動きの 深さ、激しさ、表層の柔和さや雅やかさの背後にある不気味なものを抉り出したのは、シテの香川さん、そして友枝さん率いる地謡と 囃子方の力量によるものに違いない。繰り返しになるが、ここに記したのは例年にもまして能に接する機会を断たれた人間が一度きり 受け止めた甚だ一面的な印象に過ぎないし、その上、自分の容量と能力の限界に応じて、受け止めた僅かなものすら 十全に言語化できてないことを強調せずにはいられない。更にその上、その演能の凄みは寧ろ言語化される手前の深淵を開示 するものに違いないのである。香川さんの能を拝見していつも感じるのは、そこで展開される出来事が、自分の容量を遥かに超えた 豊かさを持つものであることだが、今回もそれを強く感じずにはいられなかったことを付記して一旦筆を擱くことにする。(2011.1.2,3)