2016年9月18日日曜日

「第11回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成28年9月3日)


「第11回香川靖嗣の會」
能「遊行柳」

シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生欣哉
ワキツレ・大日向寛
ワキツレ・御厨誠吾
アイ・山本東次郎
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌幸弘
小鼓・鵜澤洋太郎
大鼓・國川純
太鼓・観世元伯
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・狩野了一・友枝雄人・金子敬一郎・大島輝久

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毎年春に開催される「香川靖嗣の會」が今年は秋にも催されるということで目黒の舞台を訪れる。 一月前には川崎で「六浦」を拝見しているから、今年三度目の観能。近年は多忙にかまけて年一度という ことも珍しくないので、このように拝見できる機会をたくさん頂けるのは只ゝ有難いことである。 能の演目は「遊行柳」、前に狂言「鐘の音」が演じられたが、こちらも川崎の「佐渡狐」に続けて 山本則俊さんの圧巻の舞台が拝見できたので、別に感想を纏めることとして、以下では「遊行柳」の 感想を記しておきたい。

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恒例の最初のお話は金子直樹さん。非常に丁寧な解説で、「遊行柳」についてはそれが観世信光の 晩年の作であり、世阿弥の「西行桜」を意識した作品であることを軸にして、対比をさせながら 「遊行柳」の特徴を説きおこす内容のお話だった。私は以前に一度だけ「遊行柳」の舞台を拝見した ことがあるが、その時の印象は率直に言ってあまり良いものではなく、率直に言えば、それ以降、 寧ろ苦手な作品であるという意識があって、故に、香川さんが演じたらあの作品が どのような光を放つだろうと思いつつ舞台に足を運んだという事情もあって、お話の趣旨は勿論、 この作品の独自の魅力に目を向けさせるといった方向にあったに違いないのだが、図らずも事前に どこがしっくりこなかったのかをおさらいをするような感じになってしまった。

私のような能の万年初心者が作品の出来を云々するなどもっての外の事かも知れないが、 それでも自分が知る限り、能の作品の中には観る者の心に入り込んで、時として生き方を 変えてしまうかも知れないような作品もあれば、奉納としての性格をはっきりと持つ作品もある 一方で、小品ではあるけれど、演じ方によっては非常に味わい深く、観る者をひととき魅了する ような作品もある。勿論、観る者の側のキャパシティもあり、当日のコンディションもあり、 作品の価値を正しく受け止められないということもあるのだが、この「遊行柳」は、理由は何であれ、 私にとって受け止め方の難しい作品であることは間違いない。そして結論を先に書いてしまえば、 そういう感覚は、またしても圧倒的な舞台となり、以前の印象を全く書き換えてしまった今回の 演能に接した後でも、まだ完全になくなった訳ではないように感じられる。

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演奏は今回もまた、たいそう充実したものであったと思う。曲頭の囃子も決して重たく もたれることなく、むしろ淡々と寂れた雰囲気を設定するし、その中で前シテが遊行上人に 声をかける瞬間の鮮烈さは、香川さんの舞台ならではのもの。その後西行の故事を中心とした語りが 続き、それが済むと作り物の陰に隠れるようにしてシテの演じる老人が消えてしまうまでは あっという間である。前シテの老人は「上品な」という形容が充てられるようだが、単に上品である だけではなく、丁度脇能の前シテの叟がそうであるような、老いとは一見したところ相反しかねない 生気をも感じさせ、後場の老い木の精の性格の未来完了的な予示となっているように思われた。

アイの里人は山本東次郎さん。格調高い、見事な語りに圧倒されているうちに時間が経ち、 作り物の中で行われている物着の時間つなぎであることなど微塵も感じさせない。

その後、太鼓も加わった囃子に導かれて後シテが作り物の中から現われる瞬間の、空気の感じや 光の調子が一変して、舞台上はおろか見所も含めた空間全体を包み込んでしまう有様は香川さんの 演能を拝見してきて一度ならず経験してきているのだが、今回もまた圧倒的なものであった。 そこに居るのが植物の精であるという、かつてはいざ知らず、現代の日常においては全く疎遠な認識の 様態が、ごく当たり前の、自然なことであるように可能になることの不思議さは、こればかりは 実際の舞台に接してみなければわからないだろう。例えば人間の幽霊を演じるのであれば、 寧ろ過日の面影が蘇ったかのように生々しくということも可能だろう。だが、人ならぬ神であったり 植物の精であったりということであれば、人間とは異なる他者となり、そうした者が持つであろう 存在感を纏わなくてはならないということになるのだけれど、香川さんはそうした閾を、 いともやすやすと乗り越えてしまえるのである。いや、「やすやすと」というのはあくまでも 見所で結果だけを受け取る者の気安さが可能にしている言い方であって、実際にそれを あたかも「やすやすと」乗り越えてしまうためには、どんな修練があり、どんな芸の秘密があるのか、 どのような心持ちにより可能となるのか、最早、観る者の想像を超えてしまっているという他ないのである。

ところがその後、序の舞に到るまでの、本来ならば聴かせどころであるべき部分が、やはりどうも うまく受け止め切れない。舞台で起きていることを眺めていればそんなことはないのに、 謡の内容がそこに重ねては更に上書いていくイメージの連なり方が、うまく焦点を結びつつ ある種のコヒーレンスを保って変転していくに到らず、次々と方向を変えつつ切り替わっていくので、 頭ではその繋がりを追えたとしても、どこかで実感が追い付かない感覚が残ってしまうのである。 これは謡の表現力が足りないということではなく、舞台上の所作がそうとわからないというような ことでは全くない、寧ろ逆に、友枝さんを地頭とする謡の表現が豊かであるが故に、またそうした謡の変化に 応じた香川さんの演じるシテの、例えば御簾が揺れたり、蹴鞠を暗示したりする所作が鮮明であるが故に、 一層その感じがましてしまうように思われてならない。前回「遊行柳」に接した時の印象は跡形もなく 掻き消されてしまって、只々舞台の上で起きることに見入る他ないのではあるけれど、作品自体が それが定着することを妨げている感覚をところどころで抱いてしまったということである。

例えば、「柳桜をこき交ぜて」という、和歌に基づく有名な一節、冒頭触れた金子さんのお話のお題でも ある一節も、それに続く故事との重畳というものが生じる暇がなく、次々と、一つ一つはそれなりに 趣があるだけではなく、固有の奥行を備えた場面が切り替わっていくのを受け身で眺めている感じになってしまう。 金子さんのお話によれば、それこそが信光の持ち味なのだ、ということになるのだろうが、 結局のところその持ち味が、少なくとも私にとってはかえって印象を薄める結果になっているように しか思えないのである。

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そうした印象も、序の舞に到達してしまえばたちまち掻き消えてしまう。信光が誂えた文脈を超えて、 舞はまっすぐに、人間の寿命を超えてひっそりと生き続ける巨木のイメージに辿り着くかのようだ。 そう、ここでは朽木の姿をしていたとしても、それは春が巡るたびに蘇って青葉を茂らせる、人間の 尺度からすれば永遠にも比すべき生命力とどこかで繋がっているように思われる。舞台を離れれば、それは 倒れて埋没しても再び発芽してくる逞しい生命力を持つが故に、霊が宿ると考えられ、風に揺れる古木の枝から 幽霊のイメージに繋がり、反転して却って死を連想させさえするという柳のイメージに繋がっていくのかも 知れない。遠く離れた西洋における柳がユダが首を吊った木、別離や死との強い連想を持ち、墓地に植えられる ことの多い木でありながら、他方では悪魔を払い、占いを行う杖であり、オルフェウスを悪魔から救った 存在でもあるという両義性もまた、人間とは全く異質の生命を持つ存在に対する感受性の産物なのであろう。

いや、このように書くのはその場に出現した出来事を歪めているという非難を受けることになるかも知れない。 序の舞そのものは、老体の能に相応しく、運びもたどたどしく、流れる時間も時折、一休みするかのような 淀みを生じながら続いていったのであって、寧ろそこには、植物もまた、一つ一つの個体としてみれば 遺伝子の搬体として有限の生命と老いとを運命づけられていることをも認識させるようなものだったから。

だが、にも関わらず、やはりそこには老いだけではない永遠の生命を思わせるような何かがあったように 私には感じられたのである。そしてそれは、その前では植物も人間も隔たるところのない、「仏性」と言われる何か と関わりがあるもののように思われた。ある意味では「永遠に老い続ける」柳の精は、祈り、感謝しつつ舞うことで その老いの向こう側にある何かに、舞っている瞬間だけは実際に触れているという感じを持ったのである。

ここで些かの逸脱をお許し願えば、これは遊行ではなく禅宗の道元の「正法眼蔵」なのだが、例えば「このゆえに、 花開の万木百草、これ古仏の道得なり、古仏の問処なり。」から「心仏はかならず古なるべきがゆえに、古心は 椅子竹木なり。」(「古仏心」)という認識へのプロセスを思い浮かべずにはいられない。 ここで最後の「古なる」とは寧ろ本源とか真理とかに近いものであろうが、信光がそういう詞を書いた文字通りと いうことではなく、まさにここで道元が言葉を組み替えて意味をずらすことによって己が得たもの言い当てようとする 運動と通じるものを、演能に観ることができたように感じられるのだ。それは作者によっても演者によっても 意図されたものではないだろう。まさにシテが演じる老い木の精が体現するように、老いの受動性の先にある「脱落」 (これもまた、道元の文脈での意味を重ね合わせて頂いて構わない)を見据えた時、あの序の舞こそ「修証一等」を 具現したものと見ることはできないだろうか、という消し難い印象を持つのである。更に言えば、 「悉有仏性」もまた、一般的な「草木国土悉皆成仏」といったポテンシャルとしてのとらえ方よりも、 道元が「正法眼蔵」で用いた、エネルゲイアとしての捉え方の方が、演能を通じて感じ取ったものにより近いようにも 思えるのだ。

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こうした感じ方、老いの中に永遠の生命に通じる何かを見るという認識の在り様が、信光が意図したところであるか どうかは私のような素人には詳らかしない。だが、事前に用意された詞の寧ろ余白の部分においてであれ、 今回の演能に接して私が受け取ったものにそうした側面が含まれたいたのは事実だし、その余白は能が様式的に 備えていて、単なる演劇と見なすことに最も強く抗い、奉納や祭祀といった呪術的なものへの通路となり、 そうした思考から遠ざかった人間に対してさえ、その心理の奥底の無意識的な部分に働きかけることを可能にする 側面なのである。

能を見ることについて知識も豊富なら技術的な細部にも通じておられ、なおかつ 瞬間瞬間に奥深い部分まで汲み尽くすことが出来る多くの優れた見所の方々がおっしゃる香川さんの演能の持つ 硬質の肌触りと人間離れした透明感、そして長年の厳しい修練の賜物である揺るぎない技術は、或る時には作者の意図や 作品の出来を超えた何かを提示することがある、そうした貴重な場に立ち会うことができたのではないかというような ことを、今回の演能を通じて強く感じた。最後にこのような貴重な経験をさせていただいたことに対し、香川さんを はじめとする演者の方々に対し敬意と感謝の意を表するとともに、年に2回の公演を企画され、運営に携わられた方々にも 同じく敬意と感謝の気持ちを述べて感想の結びとしたい。(2016.9.18公開)

2016年8月28日日曜日

「第108回川崎市定期能」(川崎能楽堂・平成28年8月6日)


「第108回川崎市定期能」第1部
能「六浦」

シテ・香川靖嗣
ワキ・森常好
ワキツレ・森常太郎
アイ・山本泰太郎
後見・友枝雄人・友枝雄太郎
笛・栗林祐輔
小鼓・森貴史
大鼓・大倉慶乃助
太鼓・小寺真佐人
地謡・大村定・中村邦生・長島茂・友枝真也・谷友矩・塩津圭介

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能を拝見することには、或る種の非日常的な出来事の追体験といった側面があるように思われる。 それは能舞台での演能を介した仮想的な経験であり、決して現実の経験ではない。 「追体験」、という言い方をしたが、実のところ、オリジナルの体験すら仮想のものであっても 構わない。実際、多くの能が取材するのは史実そのものではなく、先行する文学作品であり、 全くの虚構の物語の架空の登場人物をシテとする作品も珍しくない。その一方で、そうした虚構が 現実の世界と持つ接点の中で、その出来事が生じたとされる特定の場所が占める割合は決して 小さくはないのであろう。能であれば謡蹟巡りであろうが、これは別に能に限った訳ではなく、 作品の舞台となった場所を訪れる、いわゆる「聖地巡礼」は、現代においても世代を超えて尚、 途絶えることはないようだ。

と、上記のようなことからこの感想を書き出したのは、川崎能楽堂で拝見したこの日の番組が、 「六浦」であったからに他ならない。JR川崎駅から程近い川崎能楽堂に向かう途中、京浜急行の高架が 望めるが、その京浜急行は「六浦」の舞台である称名寺のある金沢八景へと通じている。 金沢八景は現在でこそ地名になっているが、元来は、六浦村・金沢村一帯の風物を、瀟相八景に 倣って選んだもの(同工のものとして「近江八景」が著名であろう)であり、 その中には能の舞台である称名寺の晩鐘(「称名晩鐘」)も含まれる。 実際には開発の進んだ現在の金沢八景近郊に昔日の面影を見出すのは難しいのは、他の多くの謡蹟と同じ、 作品が霊感を受け取った風景は、逆説的に今や作品の中にのみ残っていると言うべきであるとはいえ、 月がどこに沈み、日がどちらから上がるといったような詞が産み出す作品の空間が 現実に知っている風景の記憶に重なり合う経験は一種独特のものがあるように感じられる。 そうしたことが起きることで、逆に自分が作品の世界の中に、肉体を備え、光や空気の調子を 具体的に感じ取ることができる存在として定位し、恰もその世界で生きているかのような感覚が 一層強くなって、その風景の中に棲む登場人物の思いを、まるで現実に出会ったかのように 受けとめることができるように感じられるのだ。

そうした体験は、近年目覚しい発達を遂げている仮想現実、拡張現実のテクノロジーによって、 遠くはない将来にはごく当たり前のものになるのかも知れないが、例えば巷で話題のゲームが 惹き起こす現実との齟齬を見聞するにつけても、能楽の備えているポテンシャルの大きさには 圧倒されずには居られない。

一例だけ挙げれば、以前、香川さんのお仕舞で「柏崎」の 道行の部分を拝見したことがあるが、偶々私がその経路の一部を何度か実際に訪れたことがあり、 風景の記憶を持っていたために、物狂いとなって善光寺に向かうシテの想いを、何よりもまず 身体的なものとして受けとめてしまい、打ちのめされてしまったのであった。 一曲の能ではないから、時間にすれば数分足らず、装束もつけず、囃子も伴わないお仕舞にも関わらず、 それが産み出すリアリティは今でも自分がその時に見たと感じた風景を思い出すことができ、 その時の心理状態を思い出せる程まで克明なものであった。 勿論、数百年の年月を隔てて私が見た風景と、彼女が見た風景が同じものである訳はなく、 だからここで問題なのは、具体的に測定できる細部の現実との類似の度合い等ではないし、もっと言えば、 彼女が具体的な実在の誰かをどこまで忠実になぞった人物であるかすら問題ではないのだ。

説明のために出来事のタイプとトークンの区別を持ち出せば、ここではトークン間の類似度が 問題になっているのではないのだ。作品として蒸留・抽象され、結晶化された経験のタイプと、 そのタイプに(可能的に)属しうるトークンとの間のゆらぎが演奏によって惹き起こされ、 それによって「経験」が可能となるという消息が問題になっているのであり、純粋なタイプも トークンも現実においてはいずれも抽象に過ぎない。演奏が惹き起こす経験というのは 一見すると非現実的なものと捉えられがちだが、それは実は現実の経験と形式的には 何ら異なることがなく、寧ろ常に作動している「想像力/構想力」を介した人間の「経験」の 原基の如きものとさえ言いうるかも知れないのである。かくして能を拝見することは、 逆説的に、現実よりもより生々しい「経験」の場であるとさえ言えるかも知れないのだ。

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前置きが長くなったが、今回「六浦」の舞台を拝見して、その体験を反芻しつつ考えたのは 実際、上記のようなことであったのである。勿論それは、能であれば自動的に保証されるという ものではない。現実よりも生々しい「経験」を可能にするのは、先ずは単(ひとえ)に演者の 技量であろう。とりわけ「六浦」という作品について言えば、これは極限的な状況に置かれた 人間の心理を扱ったものではないし、荘厳な宗教的経験であったり、圧倒的な呪術的強度を 備えて見所を捉えてしまうような類の作品ではない。序の舞が舞われる典型的な蔓物ではあるが、 その舞は報恩のそれであり、シテである楓の精は離れがたい妄執に囚われ、救済を求めて ワキの僧の前に現われる訳ではない。構成も切り詰めすぎの感すらある程に簡潔であり、 鄙びた風情の中にも、落ち着いて気品のある小品といった趣のこのような作品は、賢しらな 解釈を受け付ける余地のない分、演者の技量を要するのではないかという気がする。

今回の演奏は囃方は若手で固められ、川崎能楽堂での演奏の常で、小じんまりとした能楽堂のサイズに あわせて6人の地謡も前列も若々しい顔ぶれであったが、それもまたこの作品の持つ、屈折なく 素直な曲柄を考えればプラスに寄与したように思われる。喜多流は他の流儀と異なって、 演出上も色無しとはしないのが常のようだが、この日の装束、特に後場のそれは 白の長絹(紐が緑色でアクセントとなっている)に萌黄色の大口で、 青葉の楓の永遠の若々しさ、透明で純粋な心をもつ一方で、歌に詠まれて名を上げた後は 身を退くという含羞とも謙虚とも取れる身の処し方を貫いてきた楓の精の、 もしかしたら純朴とも見える程に控え目でありつつ、一本筋の通った存在様態に相応しいものと 感じられた。

実は「六浦」は能の上演をこれまで何度か拝見しており、記憶する限りこれが3度目になる。 私のように人生も半ばに達してから能を拝見するようになり、しかも多忙にかまけて、 その頻度といえば年に数回という人間の場合、いわゆる名作・人気曲の類すら未だ実演に接する 機会を得ない作品が数多あることを思えば、やや例外的といって良いが、いずれも喜多流の 他の方がシテを勤められた過去の上演(後場の装束は萌黄色の長絹に緋の大口であったと記憶する)と 比べて、何よりもまず印象的であったのが、シテの持つ透明感と気品であり、 それは人間も含めた動物的な存在とは懸け離れた、瑞々しい生命感を漲らせつつも体温のようなものを感じさせない、 植物の精ならではのものと感じられたが、それは例えば常とは異なる装束の選択にも現われていたように思われる。

一方で、これも川崎能楽堂で、能を拝見し初めて間もない頃に拝見することができた「杜若」から始まって、 これまで拝見してきた香川さんがシテを勤めた演能の中における植物の精をシテとする作品の 印象は実に鮮明なものがある。のみならず、狭義での植物の精をシテとする能だけではなく、 以前、川崎能楽堂で拝見した「夕顔」は、源氏物語に取材し、その登場人物をシテとするものであったが、 シテの印象は寧ろ、その名前の由来となった夕顔の精ではないかと紛うばかりの儚げな透明感に溢れたものであったし、 客観的には疑いなく陰惨な題材を扱った「伯母捨」さえ、どこかで人間の秩序を超えた存在となって、 まるで月と同化して舞っているかのようであったし、禅竹の手になる「定家」のような哲学的な晦渋さを備え、 人間の運命をより大きな秩序から俯瞰した感のある能ですら、シテがあたかも定家葛の精であるかのように純粋で穢れなく、 人間的な心理の次元をどこかで超えてしまっていて、深々とした寂寥感を感じさせるものであった程である。 上に挙げた演能はどれも皆、清冽で、観終えてた後、日常の中で萎びかかった心が洗われ、甦るような感覚に 捉われたものだったが、今回の演能もまた、そうした印象を強く抱くような純度の高いものであった。

もちろんそれは解釈の不在を意味するものでは全くなく、隅々まで気持の行き届いた所作も謡も、 詞章の深い読みに裏打ちされたものではあるのだが、その上演の有り様は、能を人間の心理を 中心に据えた心理劇の如きものと見做すモダンな方向性ではなく、もともと能が備えていた筈の、 人間とは異なる存在に対する畏怖や人間を超えた秩序に対する感応といった、非人間的なものへの 感受性を感じさせるもので、それだけに一層より深く人間の心理の奥底の、無意識の領域に届くような 強度を帯びたもののように思われるのである。近年の個人の会での演能の充実に接しての今回の演能では、 円熟を突き抜けて可能となる自在さが、人間の尺度からすれば永遠に歳を取らないとさえ感じさせるような 純粋さや若々しさを実現していたように感じられた。

このように書いてしまえば、解釈よりは技術に、内容よりは外形的な所作に重点が置かれ、 古風で反時代的な上演と受け取られてしまい兼ねないが、決してそうではない。 そうではないどころか、舞台の上に一瞬だけ、日常を超えた何かを現出させるという点においては、 冒頭に述べたような今日のテクノロジーに優るとも劣らない先鋭さを帯びているのである。 今や感性すらも情報処理の対象となりつつあるが、一見したところ古式ゆかしく 反時代的な存在であると見做されかねない能楽が見所の心に働きかける「魔術」もまた、今後少しずつ 解明されていくのであろう。だが、もしそうなったとしても、この「六浦」の能を拝見して 経験することができた「出来事」の質は些かもその鮮明さと深みを喪うことはないであろう。

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夢幻能の定型に忠実に、前場では称名寺に着いた都の僧の下に謎めいた雰囲気の女性が現れて、 本堂の庭の青葉の楓の由来を聞かせるのだが、最後になって彼女こそがその楓の精であることが 告げられると姿が消えてしまう。こうして筋書きを書いてしまえば、能の物語としてはありきたりの、 他方では現実離れした御伽噺の如きものと受け取られることであろう。だが舞台を拝見すれば、 それは全く自然なこととしか思えない一方で、定型に忠実でありながらも、そのありようが極めて ユニークな質を帯びていること、しかもそれが他の作品にはない確固たる質感、リアリティとでも 呼ばすにはおけないものを感じずにはいられないのである。かてて加えて、こと私の場合に限って言えば、 その印象の一部は、現実の場所の記憶の木霊であることに気づかされる。現実と仮想の空間の交錯が起きて、 かえって現実への拠り所が危うくなるかのような、眩暈に近い感覚に捉われるのである。

植物と人間との交感ということについても、しばしば「草木国土悉皆成仏」という言葉で語られる、 日本独特のアミニズムに基づいた独特の仏教観に言及されるのが常であり、実際に「六浦」も またそうした文脈に位置づけられる作品なのではあろう。だが演能を拝見するという経験が呼びおこすのは、 そうした知識よりはより具体的である意味では日常的な位相を備えた感覚である。 例えばそれは、近くの里山に在って時折足を運ぶ谷戸の一番奥まった処にひっそりと佇む巨大な樹木を、 或は冬晴れの日の午後に、或は夏の早朝に訪れた時に感じられる何かにより近いようなのだ。

人間とは全く異なった形態で、だが決して無関係にではなく、一つのバイオスフィアの 成員として自分の目前に佇む巨木。全く自分とは異なった過去を持ち、偶然に導かれてそこを自分が (ワキの僧のように)訪れることによってその存在に遭遇した、だが実際には知らぬままに同じ圏に 住まっていた筈の、自分とは全く異質の存在。動物のように周囲の状況に応じて動き回ることもなく、 だがもしかしたら私よりも遥に長い寿命を持ち、遥に多くの季節の循環の中を生き抜いていく存在。 そうした存在が自分と同様に「生きている」ということに気づく瞬間というのがあって、 それは滅多に起きることではないかも知れないけれど、何か大袈裟な天変地異や奇跡の如きものでは全くなく、 密やかで、日常的なもの、鄙びた風景の中でいつ起きても不思議はないようなものに違いない。

いや、それはお前の勝手読みだ、個人的な事情に過ぎないと言われてしまえば返す言葉はないのだが、 藤谷和歌集の冷泉為相の故事に取材した「六浦」の能は、だがその典拠を遡行した果てでは、 個別の出来事を越えて、感受性が触発される場をより普遍的な仕方で指し示しているのであって、 私の場合には偶々それが、自分の具体的な経験の記憶の中から汲み上げられると上記のような感覚に なるのでないかというように思えてならないのである。

否、それが個人的な戯言であることは認めても良かろう。それでもなおそうした経験を惹き起こした 演能を拝見したという事実は残る。そしてそれは、いつでもどこでも起きるようなものではないし、 もっと言えば、「六浦」という作品が上演されれば自動的に惹起されることが保証されているものでも なかろう。能楽の持つ呪術的、神話的な側面、人間の無意識に働きかける力は、最高度の技量と隅々まで 行き届いた解釈の賜物なのだ。その結果としてこの日の演能の最後、キリの場面で起きた事については 恐らくその場で一緒に見所に居た方々は同意してくれることであろうと思う。このような経験をもたらした 演者の方々への敬意とともに、そこで何が起きたかについて、以下に、筆の及ぶ限りで書き留めることをもって この感想の結びとしたい。

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報恩の祈りの型から始まって、時間の流れ方が変わってしまったかのように続く序の舞も、 夜が白々と明けていくに連れて鳴り響く鐘の音とともに終わりを告げる。金沢八景は東に向けて海が 開けていて、西の方には丘陵が聳えているので、曙の光は海の方から訪れるのに対して、 西の山にはまだ月が懸っている。夜が明けるに従って、空が色彩の氾濫となる中に、海岸特有の 強い風が吹き渡ると、青葉の楓のある庭は周囲の紅葉した葉が舞い巡る色彩の饗宴と化すのである。
私はこれを比喩として語っているのでは決してない。客観的に分析すれば、それはシテの所作が 惹き起こした効果である或る種の幻覚の如きものということになるのであろうが、 演能に向きあって、自分もまたワキの僧とともに仮想の、何時とも知れぬ称名寺の庭に居る人間は、 その風を実際に肌に感じ、視界全体にぐるぐると回る色彩の氾濫を目の当たりにして眩暈に襲われた筈である。

その風が止むと、もう其処は鄙びた(架空の世界での)日常の称名寺であり、楓の精の姿は勿論、 影も形もない。ワキの僧が留拍子を踏めば、その鄙びた日常も消えて、 現実の能楽堂の舞台が目前にあるばかりである。だが先ほど見た、一時の奇跡のような色彩の 氾濫の印象は心の中に確かに残っていて、微妙に現実感がずれているのを感じつつ席を立ち、 御礼の挨拶をして能楽堂を後にする。

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勿論、その時に見た風景は、今このように書いている時にも心の裡に容易に思い浮かべることができる。 自分の心の中に、外から何かが訪れた瞬間の経験、能がもたらす経験の印象は、そんなに簡単に 薄まるものではなく、恐らくは日常の中で無意識の裡に沈殿して埋もれてしまうことはあっても 喪われることはなく、また何かの折にふと甦ることになるもののようである。それを私自身は 十分には受けとめることが出来ず、辛うじてこのような拙い記録をしか遺せないけれど、 他の方が恐らくはそれに相応しい仕方で受けとめて下さるであろうと思う。そしてそれは 世代を超えて、これまでも続いて来たし、これからも続いていくに違いない。

もっともその存続もまた、無条件で保証されたものではあり得ないだろう。 だが、個人の無力はそのようにして補償され、人間がその歴史の中で見出した価値というものが継承されていく、 そのプロセスの中に自分もまた属しているのだ、という認識を持つことは何とも心強いことに感じられるし、 自分がわずかばかりでも、結果を受け取るだけという間接的な仕方であっても、それでも尚、 「神の衣を織る」ことに与っていると思うこと程大きな慰めはない。 それはその場限りの感動とか、個人的な嗜好の問題を超えたものであり、 自分のやり方の不十分さ、不完全さは承知の上で、それでも尚、このようにそれを証言することは、 それを受け取った者の或る種の義務の如きものである、ということを改めて強く感じずにはいられないのである。 (2016.8.6-28)

2016年6月11日土曜日

「第10回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成28年4月4日)


「第10回香川靖嗣の會」
能「野宮」

シテ・香川靖嗣
ワキ・森常好
アイ・高野和憲
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌隆之
小鼓・大倉源次郎
大鼓・柿原崇志
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・狩野了一・金子敬一郎・大島輝久・友枝真也

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 今回で10回目となる「香川靖嗣の会」。概ね4月の最初の土曜日に催されるので、 往き帰りの道端に桜を見ながらの観能となる。今年もまたそうであったが、 季節の循環の確かさに比べて、微視的な、と言われもしよう自分の周辺の状況は 常に揺らいで定まることがない。諸般の事情から、一旦は書き始めた感想を完成させる ことができないまま、2か月以上の時間が経過してしまった。それでもなお、感想を書きあげて 今、それを公開しようとするのは、この感想自体の価値ではなく、自分が幸運にも 経験することのできた演能自体の価値故であり、たとえ時期を逸してしまってもなお、 その感想を記録しておくことをある種の義務と考えているが故であることを、 かくも公開が遅れたことに対するお詫びとともに、最初に御断りしておきたい。
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恒例の馬場あき子さんのお話は、「野宮」という能の解説を超えて、 典拠たる「源氏物語」における六条御息所についての詳細を極めた紹介で、 100万文字、20万語に及ぶ長大な「源氏物語」を何度も逍遥して目立たぬ小径迄知り尽くし、 恰もその作品世界の一員であるかのような行き届いた解説であった。

私個人について言えば、「源氏物語」の世界は、日本の古典であっても、幼少の頃より親しんできた 「平家物語」の世界と比べて、疎遠であったし、今でも疎遠であり続けていると言わざるを得ず、 寧ろ能を拝見することが「源氏物語」の世界への唯一の通路であると言っても過言ではない程であって、 直接的な能作者に限定されず、莫大な影響力を持っていた源氏物語が後世に遺した巨大な影響力の 圏に属する有名無名の人々の受容のプロセスの総体を背景とした解釈を通じて、 その世界を遠目に眺めているに過ぎない。

そうした私にとって印象的だったのは、従来様々な説が唱えられて来たらしいこの「野宮」という能の 作者を禅竹であると馬場さんが言い切っておられた点で、これについては寧ろこの日の観能を終えた後、 演能から受けた印象に照らして非常に腑に落ちたのを覚えている。厳密には永劫というわけではなくとも、 人間の尺度からすれば永遠に等しいような大きな時間の流れの中に置かれた、 有限の生を運命付けられた個体としての人間の、自己の限界をはみ出してしまった思念の寄る辺なさ、 だがまさに同じその思念の力によって個体としての限界を超え、 しばしば円環的と言われる時間構造(だがそれは能の作品自体の構造ではなく、観る者にとっては暗示され、 示唆されるといった形で浮かび上がってくるものなのだが)の中に閉じ込められて解脱を得ることができず、 本来ならば悪循環である筈の輪廻の中において、自己を超越し、或る意味において永遠に漸近し続けるという 逆説を突きつけられたように感じたのだったが、それは例えばかつてやはり香川さんのシテで「定家」を 拝見した時に受けた印象と構造的には並行するものがあったような気がするのである。(念のためお断りして おけば、だからといって、「野宮」と「定家」が似ていると言いたい訳ではなく、寧ろ直接的な印象は 全く異なるといっても良いのだが、その印象の由来については後で触れることになろう。)

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この演能を拝見して最も鮮烈に感じられたのは、虚構の物語の一登場人物に過ぎない人間の 途方もない存在感であったように思われる。しかもそれは、上述のような私の「源氏物語」との接点の 希薄さを考えれば、ほぼ人の一生に等しい年月の時間経過を内包する「源氏物語」という作品の厚みと、 その中で一際存在感を放って六条御息所が幾度と無く登場することに起因するわけではないだろう。 勿論、冒頭に記した馬場さんのような方であればそうした 感じ方も可能だろうが、私の場合にはそうしたことは望むべくもなく、 それは専ら演能の力によるものに違いない。例えば同じ禅竹の「定家」の式子内親王であっても、 あるいは平家物語の人物であっても、能のシテとして造形された人物は、既にあくまでも物語の世界の それであって現実に過去生きた人物とは異なるには違いないし、他方では、六条御息所についても 徽子女王というモデルが比定されたりもしているようだが、こと六条御息所の場合について言えば、 そのリアリティは逆説的に見えようとも、フィクションの中にこそ存するのは確かであり、 より直接的には、目の前にある能舞台で繰り広げられる、高度に様式化され、抽象化された エピソードそのものに在るのは間違いない。勿論それは、謡の詞章や型付けに依存していはしようが、 力の源泉はあくまでも一度きりの演能の数時間の時間の中で起きた出来事であるのは疑いない。

勿論、こんな事は当たり前の事であって改めて書くようなことではないのだろうし、 実際にこのように書いてみたところで、具体的に経験したものの凄みの前には空疎にしか感じられないが、 それでも尚、虚構と現実のこうした交差を目の当たりにしての、えもいわれぬ感覚のあまりに強さに対して、 こうしたことを書き連ねて反芻してみる他、私には為す術がないのである。

桜の季節に秋の気配の濃いこの能を演じるのには色々と困難が伴うだろうが、少なくとも能舞台に向かっている間は、 外は満開の桜の季節であることなど、完全に消し去られてしまうのである。 まるで夢の中で現実とは異なる季節に迷い込んで、醒めてみると、夢の中の強固な現実感のせいで、 かえって現実の方が幻めいて感じられるといった具合で、仮想現実、拡張現実を経験するのに、 何も最近流行の最新のテクノロジーなど不要なものに感じられてならない。しかも登場する人物は全くの虚構の存在の、 更にその亡霊に過ぎない筈なのに、今尚記憶の中に克明に残っている人物の存在感は、実在の人物よりも寧ろ 鮮明な程なのだ。

毎回の「香川靖嗣の會」の演能が如何に素晴らしいものであるかについても、それを具体的に 書くことは技術的な細部を言い当てるだけの知識がない私には手に余ることで、何回か回を重ねる毎に その思いは強まるばかりである。恐らくは毎回撮影されているであろう舞台写真の一葉の方が 多くを語ることであろうから、総体的な印象については上に記したことにとどめ、以下では、 自分の上記の印象に関連した細部について、幾つか具体的に書き留めておくに止めたい。

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前場、僧の前に登場する御息所の霊の姿に先ず胸を衝かれる。既に源氏物語自体の中で御息所の 年齢設定には曖昧なところがあるようだが、馬場さんのお話ではその若さに触れられていた。 思えば霊が現われる時に往時の何時の姿をとるものなのか、ということをあまり考えたことがなく、 何とはなしに「死者は歳をとらない」という言葉からか、没した年齢をイメージしていたようなのだが、 そこに現われたのは「葵上」他のエピソードでの生霊となる程の激しさとは一見して懸け離れた、 犯しがたい気品と誇り、そして知性を感じさせつつも、儚さ、脆さを感じさせるような寂しさを 纏った若い女性の姿であった。

後場で笛に導かれて車に載って橋掛かりを横切って登場し、彼女にとってはほとんど外傷的とも呼べる 経験であったに違いない車争いの場面を回想する箇所でも、そうした印象は変わらない。 身分のせいでもあり、知性のせいでもあるのだろうが、それ自体半ば無意識的な反応の如きものとして 撓めて押し殺してしまった思念は、彼女自身にも制御不可能な形で出口を求めて奔流の様に迸ることになる。 だけれどもそれはここでは最早、ほんの一瞬、或る種の気配の如きものとして感じられるに過ぎない。

それは実際に舞台の上でも、折節、その気品に満ちた相貌に一瞬翳を落してよぎっていたように感じられる。 これもまた既に言い古された修辞の類と取られてしまうのだろうが、美しく寂しげな表情の中に、 一瞬、あの「葵上」の般若の、鬼の表情が揺曳するのを現実に目の当たりにすると、こうした複雑な 構造を持った心の微妙な変化を見所に感じ取らせる能楽の凄み、そして勿論、そうした能楽の持つ ポテンシャルを十二分に汲み尽くして、一度限りの舞台の上に表現しきることのできるシテの技量に 圧倒されずにはいられない。

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私が強く感じたのは、恐らくはそういうプロセス自体を客観視することさえできる知性の持ち主にとって、 それは担い難い業の如きものとして感じられるのではないか、といったことだった。 実際、そのプロセスは原理的に停止することができず、断念は断念の不可能性に他ならない。 それが故に彼女は幾度と無く、この場所に立ち戻り、回想し、この悪循環からの脱出を願いつつも ついに果しえない。しかもそれは、生前にこの地を訪れた時に既にそうだった筈なのだ。 言ってみれば、ここでは最初の1回目というのが欠落しているかのようである。 勿論始めは自尊心、誇りといった言葉で形容し、説明できたものかも知れないが、それもまた、 この地を訪れることにした時点で既に無意味なものとなっていたのではないかという気がしてならない。 否、私は「源氏物語」においてどうであったかを語る権利はないから、この能においてどうであったかを 言うことしかできないが、少なくともここでは、原作の「源氏物語」の文脈を最早離れ、自意識を備え、 最早そのようではないものとして過去を回想し、現在とは断絶した未来を思い描くことのできる、 自伝的自己を備えた人間の宿命の如き構造自体が立ち現われているように感じられたのである。

そもそも御息所にとってこの場所での出来事というのは、かつて既に、それまでの過去を断ち切る、 彼女の生の軌道における特異点の如きものであった筈である。彼女は霊となって後、成仏できないことを 嘆いて祈るのではない。その祈りは初めからこの場所に構造的に含まれていた筈なのである。それを思えば、 一般にこの能の最大の見せ場ということになっている、鳥居が形成する結界のこちらと向うを行き来する型は、 そうした構造にはそぐわないものになるだろう。実際にシテが祈る型が挿入された替わりに、鳥居から 足を踏み出す型はなく、寧ろそのことが一層痛ましさを感じさせずにはおかないかのようだ。 それ自体が彼女の不幸であったかも知れない程までに聡明であった彼女は、己が囚われている業に 対して無意識であったのではなく、寧ろ初めから自覚的であり、それゆえに、それを受容することに 耐え難さを覚えたのではないか。彼女が囚われた閉域は(そうした側面が含まれない訳ではないが) 自分で制御できない嫉妬心に留まるものではなく、(これまたそうした要素がなかったわけではなくても) 身分や年齢差という彼女の生きた社会が強制する障碍のみがそうした状況を惹き起こした訳でもないだろう。 嫉妬に身を任せた挙句の修羅場や身分違いの恋ならば寧ろ巷に溢れていると言ってよい。(そういう意味では 「葵上」は同じ人物を描きながら、その把握は全く異質なものに感じられる。)

彼女の相貌の背後に秘められた或る種凄惨で正視に堪えないものは、通常であればそうしたものとは 無縁なものとしてイメージされる、理性的なものが持たざるを得ない宿命なのではないのか。 ここで理性と狂気の弁証法を持ち出すつもりはないけれど、馬場さんのおっしゃられた 無常と妖艶の関係は、異質のものの出会いなのではなく、無常であるからこそ妖艶が成立するといった 構造を持っているように思われる。これは私だけの感じ方かも知れないが、私がそこに見たのは、 異質のものの取り合わせが産み出す興趣といったものとは懸け離れた、正視に堪えないほどの痛々しさを 感じさせる美しさであったが、私にはそれが、本能的に振舞うことや、自然な感情に身を任せることから 身を引き離し、自分では決して解消できないアンチノミーを抱え込んでしまった「人間」の精神の 姿のように思われたのである。彼女は一方で、自分がそこに閉じ込められた閉域から出て行くことを 願いながら、結局のところその閉域に留まることを自ら選ぶ。だから祈りから始まる序の舞の後に、 この一曲限り、急の舞が続かなくてはならないし、来た時と同じ破れ車に再び乗って帰っていく外ない。 「火宅」というのは、まさにその閉域を指し示す名前なのだ。

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このように書くと、豊穣な間テキスト性に支えられ、現実の人間以上に存在感のある御息所の個性が 揮発してしまったとか、観る者が汲み尽くせない程繊細で豊穣な細部に満ちた、円熟の極みと言う他ない 香川さんの演能を不当に図式化してしまったという謗りを受けるかも知れない。 だが、そうではないのだ。 例えば、ジュリアン・ジェインズのbicameral mindの仮説を思い浮かべていただいてもいい。人は意識を持つ存在ということ自体、必然的で自明なことではないし、 具体的な意識や自己の様態は、寧ろ社会的・文化的な環境により水路づけられる可塑性を備え、 それゆえ例えば一卵性双生児すら、同一の意識を持つわけではない。御息所が虚構の人格であるが故に、 既述の様に、「葵上」と「野宮」の対比では、異なった可能世界の提示といった感があるし、 構造的には良く似た円環構造を持つ禅竹の能においても、例えばこれもまた香川さんのシテで拝見した ことのある「定家」を思い浮かべた時に、反復の中に自ら帰っていく様相のあまりの違いに驚かされる。 虚実皮膜という言葉があるけれど、ここではそれに留まらず、寧ろ純然たる虚構の存在であるからこそ、 端的に、人間の存在の持つ儚さと美しさとを、或る種の普遍性を備えつつも、同時に具体的で、 より直接観る者の心を揺さぶることができる仕方で提示することができるのであり、恐らくは1000年近い 年月を隔てて、だが自分もまた囚われている共通の宿命の構造が、可能な限り最も美しい形象を伴って 提示されているからこそ、それに共感しつつ、自分自身のみでは決して到達し得ない慰謝を感じ取ることが 可能なのだと思う。

勿論、こうした感じ方が、例えば当日の見所の全員に共有されるという意味合いで 普遍的であるというつもりはない。否、寧ろこれは、私だけのごく私的な経験であり、非常に偏向した受容の 仕方であることを認めるに吝かではない。だがそれを認めたからといって、その経験がある仕方で個別性を 超えた普遍性を備えた美の経験であること、そしてそれが祈りという契機と固く結びついていて、 かつ上述のような意味合いでの意識と自伝的自己を備えた人間の構造の奥底に達する根源性を備えて いることについては譲るつもりもない。人によってはたかが一回の演能の鑑賞に過ぎないのに、何を大袈裟な、 とおっしゃるかも知れないが、最早美しかった、面白かった、上手かったでは済まされないような 演能というのがありえて、例えば今回のケースがそれに当るのだと私は思う。このような経験をしてしまえば、 技術的な個別の細部がどうだったというのも、受けとったものの総体の不可分の一部として記録するので なければ意味がないように思えるのである。

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近年のテクノロジーの発達は、仮想現実や拡張現実というのを或る種の比喩に留まらない、本当に現実との 境界を曖昧にしかねないものにしようとしているようだし、ナノテクノロジーを活用した医療技術や 遺伝子操作等によって、現在の人間にとって逃れがたい宿命であった筈の個体としての有限性が ある技術的特異点(シンギュラリティ)に到達した向こう側では最早宿命ではなくなるといった主張が 現実味を帯びつつある現在において、このような演能に立ち会うことができるということは、単なる 伝統の継承を超えた可能性を感じさせるものであるように思われる。勿論、テクノロジーの可能性と、 それと裏腹の危険性を自覚的に引き受けた現代の先鋭的な試みは貴重だし、その中にも際立った成果が見られることを 知らない訳ではないのだが、そうした先端での最上の成果と拮抗し、ほとんどそれを圧倒しかねないような 達成に、伝統芸能の舞台で接することができるのは驚きでもあり、だが、数百年の年月を経て受け継がれてきた ことを思えば、寧ろ当然のことのようにも感じられ、いずれにしても、そこに人間持つ無限の可能性を感じさせずに いられない。

些か極端な言い方になるが、「香川靖嗣の會」を拝見することは、自分には及びもつかないようなことを達成する力を 人間が持っていることを身をもって体験する機会であるように感じられてならない。 そのような貴重な経験をいつもさせていただいていることに対する感謝の気持を記して、この感想を終えたい。 (2016.4-6, 6.11公開 7.11修正)