2025年12月24日水曜日

「第26回香川靖嗣の會」(喜多能楽堂・令和7年12月14日)

 能「八島」弓流 那須

シテ・香川靖嗣
ツレ・佐々木多門

ワキ・宝生欣哉
ワキツレ・宝生尚哉、宝生朝哉→小林克都

笛・槻宅聡
大鼓・国川純
小鼓・鵜沢洋太郎

後見・塩津哲生、中村邦生
地謡・友枝昭世、長島茂、狩野了一、友枝雄人、金子敬一郎、内田成信、大島輝久、友枝真也

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 「第26回香川靖嗣の会」を拝見しに、改装成った目黒の喜多能楽堂を訪れた。能舞台を訪れることは昨年の「第25回香川靖嗣の会」以来だが、その時には喜多能楽堂は改装中で、矢来能楽堂での開催となったため、喜多能楽堂を訪れるのは何と6年振り。曇天の中、目黒駅まで辿り着き、駅を降りて能楽堂への道を歩むと、多少の変化はあるものの、ほとんど変わらない道筋の佇まいに、6年の経過を思わず忘れそうになる。能楽堂も、内装は一新されたけれども、当然のこととして基本的な造りは変わらず、私にとってはその変わらなさの方が、ここでも6年の歳月の経過を打ち消してくれるかのように感じられる。昨年はお会いできなかった、お世話になった旧知の方が今回は遠路遥々舞台拝見にいらしていて、ご挨拶が叶ったこともまた、隔たりの感覚を紛らわせてくれたように思える。着席して目前に眺める能舞台も、鏡板の前田青邨の松も、橋掛も昔の記憶と違うことなく、前回初めて訪れた矢来能楽堂での所在なさとうって変わって、とはいえ歳月の隔たりのもたらす懐かしさというようなものとも無縁で、ごく単純に旧に復していつもの舞台を拝見するといった感覚だろうか、違うところと言えば、今尚、感染症に罹患するわけにはいかない立場であることから、周囲の咳とかが稍々気になることくらいで、後はこれもこれまでと変わらない圧倒的な舞台に没頭して時が経つのを忘れてしまうことになった。

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 演目は「八島」。シテが演ずる源義経は、私にとって「平家物語」等で馴染みの人物であるけれど、この曲は初見となる。演能前の、これもいつも通りの、小書(今回はシテ方の「弓流」に、アイ方の「那須」が加わる)の解説も織り込まれた、金子直樹先生の丁寧でわかりやすいお話は、「勝修羅のむなしさ」というタイトルの下、勝ち戦の武将をシテとする「勝修羅」物に分類されるこの能が、しかしそうした単純な分類に幾つかの点で収まらない点を指摘されたもので、それは実際に拝見しての印象とも違うことはない。作者世阿弥の自信作であるというお話もあったが、義経という「物語」における稀代のヒーローを主人公とし、人口に膾炙したエピソードをふんだんに織り込むサービスも怠りない一方で、「勝修羅」という言葉からのイメージとは異なって、単純には割り切れない屈折や陰影を孕んでいる点で、確かに実に世阿弥らしい能と感じられた。

 開演直後、囃子方の間合いと調子に、これが修羅物であること、そして修羅物を随分と長いこと拝見していないことに直ちに気付かされる。(この文章を書くにあたり過去の観能記録を振り返ってみたのだが、前回私が修羅物を拝見したのは、何と15年近く前、東日本大震災の直後の2011年の第5回香川靖嗣の會での「朝長」まで遡る。)宝生欣哉さんのワキの僧がワキツレを従えて登場し、屋島への到着が描写され、笛の一声で、今度は香川さんのシテの老人がツレを従えて登場して、僧が一夜の宿を乞うやりとりになるが、この冒頭の部分で感じられたのは、場面や人物の設定がいつにも増してこの能では物語として明確で、いわゆるストーリー性が強いことだ。風景の克明な描写を含む長大な謡や、ワキとシテの詞のやりとりがそうした印象に与っているに違いない。一夜の宿を乞う僧の依頼を一旦は老人が断るところなども昔話のような感触で、見所は舞台上で繰り広げられるやりとりが生み出す確固とした手応えのある物語の空間にすっかり引き込まれしまって後、地謡が入るとようやく僧が塩屋に入り、場所の故事を尋ねる場面に切り替わる。元暦元年三月十八日という具体的な日付も織り込まれたシテの謡に導かれて、聴きごたえのある香川さんと佐々木多門さんの掛け合いと、その後を引き取る友枝昭世さん率いる地謡によって描き出される戦の描写は鮮明にして克明、しかもその内容たるや、世阿弥の贅をこらした趣向と言うべきか、景清と三保の谷の錣引きであったり、佐藤継信や菊王の最期であったりという、いわば「お馴染みの」物語であり、本来ならば悲惨な出来事も、ともすれば「昔語り」に回収され、中和されてしまうかにさえ感じられる。しかしこうした印象はより多く、この能そのものよりも、子供の頃から「平家物語」他の軍記物、更に長じては、それに取材した他の能や浄瑠璃などを受容してきたことによって形づくられてきたイメージという私の側の文脈がもたらすものかも知れず、世阿弥の詞章は、二人の最期に戦場も静まり返り、(丁度、キリでもう一度そうなるように)磯の波と松風の音だけが残る様を描写して「昔語り」を終えることで、勝ち負けを問わない戦の虚しさ、ひいては人間の営みそのものの虚しさをさえ浮かび上がらせるかのようだ。

 名を尋ねる僧に対して、老人は、後で夢の中で見せる修羅場で名乗ると告げ、更には名乗りよりも「よし常=義経」の「憂き世」を見せるから目覚めてはならないと告げて姿を消す。掛詞に隠された名乗りは恐らくワキの僧に直ちには気付かれることがない。一方で見所が感じるのは、それ自体は生き生きとして鮮明な「昔語り」と、その後に残った現実の風景との落差であり、金子先生のおっしゃられた「勝修羅の虚しさ」というのを既に前半の終わりで否応なく感じずにはいられない。いつものことで、自分の表現する語彙の乏しさに嘆息する他ないが、何もない舞台に、春先の海浜の風景を浮かび上がらせ、更に、塩屋の中での語りとともに、目の前の光景が同じ場所でのかつての戦の時点に切り替わり、それが終わると再び、春の海浜の鄙びた静けさが戻るのが、謡とシテの抑制された所作によって鮮明に浮かび上がるのは見事という他ない。

 前場がそうであったように、アイ狂言もまた、役割とか筋書が具体的で、実は老人のものだとばかり思っていた塩屋がアイのものであり、自分に断りもなく僧が塩屋にいるのを発見して咎めることになっているのは他に例があまり思い浮かばない趣向に感じられた。それが小書き「那須」固有のものであるかどうかは詳らかにしないが、世阿弥の仕組んだ前場の趣向からすれば一貫したものと感じられ、違和感はない。続く那須与一の語りは、アイ方の見せ場だが、気迫の籠った迫真の仕方語り、特に指名された与一の心の葛藤から、小舟もろとも波間に揺れる扇、一瞬の凪を捉えて放たれる矢が扇を見事射て空高く飛ばす様と、息もつかせぬ緊張の連続と眼前に見るような鮮やかさで、これも世阿弥が「八島」の能に仕組んだ趣向に違和感なく収まっていると感じた。実は「那須」は、これも遥か以前(調べてみると2006年だった)狂言の会で、独立の作品として今は亡き山本則俊さんにより演じられたのを拝見して、その時も深い感銘を受けたのだったが、アイ狂言としてもとても自然な流れになっており、舞台はそのまま後の場へと流れ込む。

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 この日の後場の舞台の見事さについて私は形容する言葉を持たない。こちらは紛れもない現実である筈の舞台が、舞台で演じられる夢の中の出来事と同様、限りなく鮮明で、永続的に心に刻み込まれて忘れ難いものであるにも関わらず、一度きり演じられて(勿論、舞台写真は撮影されたのだろうけれど)残らないことが余りにもったいなく、だけれどもそれを書き留めようとしても全く言葉が追い付かない無力感、顧みればそれは実はいつも感じることなのだけれども、今回、拝見しながらいつもにもましてその場で強く感じたのは、自分が途轍もない、完璧という言葉が相応しいような圧倒的な舞台に立ち会っているということ、そして自分が、その出来事を受け止めるには全然足りない、その場に居る事に値しない存在であるという、いたたまれない気持ちだった。印象は拝見して後も些かも鮮明さを喪うことがないのだが、その替わりに、その印象を解きほぐして、感動が由って来るところを分析することもまたできそうにない。只々圧倒されて、義経の霊が橋掛かりを通って幕の向こうに去ったのをワキの僧立ちあがって身じろぎもせず舞台上で見収めるや、囃子が留めたその瞬間、私は落涙することを堪えることができなかったということを以て、自分が受けた感銘の強さを証言する他に為す術がない。

 そう言ってしまっては身も蓋もないから、言葉足らずになることを承知で言えば、香川さんのシテは勿論だが、槻宅さん、国川さん、鵜沢さんの囃子方も友枝昭世さん地頭の地謡も、修羅物特有のノリ地の効果も相俟って、これ以上のものを想像することは出来ないと感じさせる程の大きな流れを生み出して、見所はそのうねりを全身で受け止める他ない。特にそのキリの夜明けの描写、瞬く間に戦場の光景が掻き消え、喧噪も遠のいて、シテが橋掛かりを渡って幕に消えると、再び春の早朝の、波の音と松風だけが残るという変化の鮮やかさ、その鮮やかさがもたらす夢の世界と現実とのギャップに眩暈のようなものを感じずにはいられない。と当時に、自分が物凄いものを観てしまったという思いが湧いてきて、それが全身にじわじわと広がり、ひととき作品が与えてくれる印象を凌駕して、内容を問わず、素晴らしい実演に接したことによる感動が心を占めることになる。その感動は何よりもまず、囃子・謡ともども、音曲としての圧倒的な質の高さに拠るものに違いない。それは洋の東西、ジャンルの違いなどものともしないものであり、その一方で、それが心に働きかけ、魂を揺さぶる仕方は、能楽固有のものであり、他に比較すべきものを思い浮かべることができない。

 それに加えて今回は「八島」という曲の持つ、一種独特の、複雑で微妙な陰影が手に取るように感じ取れて、その作品の見事さに圧倒されたという側面もあるだろう。再び作品の側の印象が心を支配すると、このような複雑で屈折に富みつつも、心の奥底を抉るような深く強い印象を与える作品というのが他にあっただろうかと思い浮かべて、(これは冷静に考えれば当たり前のことを言っているに過ぎないが)あまたある他の傑作・名作と異なる、全くユニークな質を備えていることを確認することになる。この題材にしてこの作品を創り上げたことに世阿弥はしてやったりと思ったに違いなく、その得意な気持ちすら手に取るようにわかる気がする程だ。

 これは寧ろパラドキシカルなこととも思えるが、時として夢幻能を拝見した時に浮かぶ疑問、なぜ霊となって回帰するのか、過去の出来事を反復せずにはいられないのかについての疑問が、ことこの作品に限っては答が自明のことに思えて浮かばないことに気付く。何故義経の霊が回帰し、修羅場を演じるのかということについては、彼が軍事の天才であって、戦場は彼がその能力と存在価値を最大限に発揮できる場だったからに違いないのだ。それはトラウマのフラッシュバックというよりは、自分がそれに賭した事柄に対する執心なのではないか。屋島の戦のみならず、壇之浦への言及も含む後場は、だから負修羅物を含む他の修羅物におけるような陰惨な「修羅道の苦しみ」とはやや性質を異にして、勿論、だからといって前向きで晴れがましいものではあり得ないのだが、何か、修羅でしかありえない自分の在り方を再確認しているかのような、不思議な色合いを帯びているかのようだ。「弓流」の小書もまた、単なる趣向を超えて、義経が己れのアイデンティティを賭したその思いの、客観的に見れば不合理で奇矯に感じられるかも知れない強さがそこに集約されていて、その思いを再度確認すべく義経の霊は、繰り返し繰り返しそれを強迫的に反復せずにはいられない、或る種の象徴的な所作なのではないかという印象をさえ覚えた。

 確かにそれは客観的には妄執かも知れないけれども、だけれども人間が「世の成り行き」の中を生きていくためには必要なものであって、具体的に何で、どのように顕れるかは人それぞれであっても、人は皆、そのようなものを抱えて生きている、とどのつまりは、自分もまた同様の(勿論、もっと卑小でみすぼらしいものだけれどもそれでもやはり同類の)修羅に過ぎないのだということを感じたのではないかと思う。これもまた突飛な連想かも知れないが、思わず私は、死後ではなく、常には意識の統制の下に抑え込まれている思念のようなものが、意識の働きが弱った時に、しばしば職業譫妄のようなものとして浮かび上がってくることがあることを思い浮かずにはいられなかった。(私が脈絡もなく思いついた例を2つだけ挙げるならば、一つは大指揮者であったマーラーが、死の床で指揮をする仕草をともに、うわ言でモーツァルトに呼び掛けたという回想を、もう一つは、太平洋戦争末期にビルマにおいて絶望的な防衛戦・退却戦を戦い抜いた宮崎繁三郎中将が、数十年の後、これも死の床において「敵中突破で分離した部隊を間違いなく掌握したか?」といううわ言を繰り返したという、これはその話を聞いただけでも心が締め付けられるような回想を挙げることができる。)私個人について言えば、その余りに鮮烈で圧倒的な上演は、一方で身体を通して魂を揺さぶって強烈なカタルシスをもたらすものでありながら、まさにそうであるが故に他方で、どちらかと言えば苦々しい人間の業のようなものへの認識を呼び起すものだったようだ。それを我が事として反芻し、自分の業を再認識するよう、見所の一人一人に問いかけられているように思えたのである。

 このような見方・感じ方は、この能本来の、文字通りの「修羅道」を生きながらにして経験しなくてはならなかった人々の苦しみを思えば、余りに平和呆けした安直なものとお叱りを受けるかも知れず、その批判は甘んじて引き受けざるを得ないけれども、幸いにしてそうした平和な暮らしが出来ていることへの感謝の思いの一方で、人それぞれの「常の憂き世」に、その人なりの「修羅の苦しみ」というものがあって、それはだが、ことによったらその人の存在の意味や価値と表裏一体の関係にあるのでは、という思いもまた払いのけることができない。

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 このように書き綴って来て、まるで演能の記録からは遠く離れた、勝手な主観的な反応、思いを綴っているだけなのではという事を自ら思わざるを得ないし、実際にそのような批判があればそれは甘受する他ないだろうとも思う。だけれども、事実として私がこの日の演能から受け取ったものは、まさしくこのようにしか語れないものだったのだから仕方ない。それにもまして思うのは、一時の個人のエフェメールな印象を超え、このようなことを可能にする能という芸能の奥深さ、世阿弥の作品の見事さであり、それを一期一会の舞台で会を重ねる度に過たず実現し続けることができる香川さんをはじめとする演者の技量の卓越である。繰り返しになるが、この日の演能は、私のこのような舌足らずの言葉で尽くせるものではないし、私のような限られたキャパシティの者に十分に受け取れ切れるものではなく、もっと遥かに価値ある巨大なものだったことは間違いなく、だがそれを伝えることは私に能く為し得るものではない。恐らくは専門的な見地からは、細かく見て技術的に際立っていた箇所が数えきれない程あったに違いないことは想像がつくし、そうでなくても印象に残った部分を挙げようと思えば幾らでも挙げることはできるが、今回については、総体としての印象の大きさが勝って、技術的なことに疎い人間が細部を云々することに意味があるとも思えない。そうしたことは当日見所に居られた、それに相応しい方々に委ね、香川さんをはじめとする演者の方々への畏敬と感謝の気持ちを込めて一旦筆を措くこととさせて頂く。

(2025.12.24初稿)

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