2009年8月26日水曜日

「平成21年喜多流素謡・仕舞の会」(喜多六平太記念能楽堂・平成21年8月25日)

仕舞「柏崎」道行
シテ・香川靖嗣
地謡・狩野了一・金子敬一郎・粟谷充雄・粟谷浩之

「柏崎」は能を一度拝見したけれど、全体としては話が整理されていない 感じで、やや印象が散漫な中、今回取り上げられた道行きの部分だけは その場所が自分にとって馴染みのあるという個人的な理由もあって鮮明に 記憶していたのだが、今回のお仕舞は風景と心象のリアリティにおいて それを更に超えた力を備えたものに感じられた。木島、浅野、井上といった 地名が詠み込まれた謡が進む中、香川さんの舞はお仕舞であるにも関わらず、 その人となりや心持ち、自分でも制御できない心の深い部分からの 衝動によって善光寺へと歩む心の状態で会場を充たしてしまう。それは やはりある種の宗教的な感情に違いなく、この心の動きこそが善光寺で 彼女を待ち受ける劇的な再会を無意識の裡に予感しているに違いない。 そして見所はその道行きを外から眺めるのではなく、彼女が見て感じる風景をともに 経験するのだ。千曲川に沿って善光寺に向かう途中、浅野に差し掛かったところで 雪が舞い始めるところで、思わず私は落涙しそうになった。柏崎の物語が どのような実話に基づくものか詳らかにしないが、時代も違えば状況も 違うけれども、私もまた雪の降りしきる北信の地の空気を、その地を 囲む山々を知っていて、その風景を媒介にそうした過去の記憶と己とが 出会って、その心に触れ、同化する。そうした化学反応のような自分の 心の変化をまざまざと経験することができた。このお仕舞でやっと私は 我に返った思いがしたのである。

2009年4月5日日曜日

「第3回香川靖嗣の會」(宝生能楽堂・平成21年4月4日)

能「石橋」
シテ・香川靖嗣
ワキ・森常好
アイ・野村萬斎
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・松田弘之
小鼓・鵜沢洋太郎
大鼓・亀井忠雄
太鼓・観世元伯
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・出雲康雅・長島茂・粟谷充雄・金子敬一郎・大島輝久

幸運にも初回より拝見させていただいている香川靖嗣さんの個人の会も今回で3回目。これまでとは異なって舞台は水道橋の宝生能楽堂。 そして自分にとって能を拝見するのは今年になって初めて。曲は「石橋」である。「石橋」を拝見するのは3度目、前回は香川さんが地頭を勤められた舞台で、 前場の謡が描き出す、人を寄せつけないような風景の巨大さと険しさ、目も眩むような高さ、圧倒的な垂直方向の感覚が強く印象に残っていた。

今回の印象をあえて一言で言えば、渦の運動の多様さ、 豊饒さ、果てることを知らない流体の運動の感覚ということになるだろうか。香川さんの獅子は、生き物というよりはコスミックな秩序、法則が 獅子の形を借りて自己展開していく様相に思われた。比喩ではなく、カオスの縁の豊かさ、複雑さを目の当たりにするようであった。 物語では獅子は文殊菩薩の化身ということになっているようだが、私には人間が獅子を演じて動き回るというよりは、ある時はそこから力が湧き出し、 またある時はそこに力が収斂する特異点が相空間上に描く軌道と、そうした力の場の動的で果てしない変容が、獅子の形を借りてそこで 展開されているように感じられたのである。馬場さんがお話で、喜多流の一人獅子独特の巻毛の赤頭に言及され、渦とは「力」であるとおっしゃっていたが、 それを見事なまでに完璧に体現した舞台であったと思う。シテだけではなく、謡も囃子も一体となり、異次元の、普段は接することのできない 根源的な何かを舞台の上で展開する様が体験できた稀有な機会であった。それは恐らく「神変」という表現に相応しいものであったに違いない。 だが、私の感じ方をありのままに書けば、上述のような言い方になる。

しかし、だからといって、それは舞台に具体的なイメージが欠如していたということではない。寧ろ逆で、早くも森常好さんの寂昭法師が石橋への到着を 告げた直後、松田さんの笛の音色で明確に定位される前場の光景のリアリティはこれまでのどの舞台よりも確かなものだった。 友枝昭世さん地頭の地謡の肌触り、亀井忠雄さん、鵜沢洋太郎さんの大小の鼓の音色の変化、間合いの変化、掛け声までもが、眼前に広がる 風景の、ひんやりとした温度や空気の湿り具合、常に流動して止まない空気の流れの質感、そして時々刻々変化する光の調子までをも克明に 浮び上がらせる様は圧巻である。見所もまた、舞台を見ながら頂きも底も窺うことのできない程の広漠とした空間の広がりの中に立ち尽くすしかない。 クセの間、地謡が謡い進む中をシテの樵翁は着座して動かないが、それにより周囲の空間の巨大さが、そして絶えず変化する空気の流れと光の 調子が寧ろ鮮明に感じられるのだ。前場の頂点は、クセの後半、大小がまるで空気を切り裂くような拍子に合わない手によって眩いばかりの光の変化を告げ、 舞台に虹をかけるとそれに呼応するように、シテが立ち上がるところにあったと思う。いつしか何も音のしない筈の囃子と謡の合間の沈黙に、 鳴り続ける滝の水の音が基調の響きのように聞こえるような気すらしてくる。

そうした前場があらばこそ、後場の劈頭の乱序は、相転移が起き、「向こう側」が出来する際の急激な、めくるめくような風景の変化を告げる。 囃子には観世元伯さんの太鼓が加わり、空気の流れが急変し、光の調子もまるで稲妻が明滅するように慌しく変わり、乱流が現われる。 幾つもの渦が形成されては消え、あるいは融合して大きな渦となり、そこに獅子が現われるのだ。 それは地上のものというよりは、空間的なスケールも時間的なスケールももっと巨大なものを連想させる。例えば木星を 覆うメタンの海、その絶え間ない流動が生み出し、人間のスケールを超えて存在し続ける巨大な渦である大赤斑のことを私は思わずにはいられなかった。 獅子の動きもまた、渦をまくような回転の運動と、上下の動き、急激な静と動の対比、力強い動きと繊細で軽やかな戯れの対比が鮮明で、その変化の 鮮明さ、移り変わるニュアンスの豊かさはとても人間が演じているとは思えない。それは秩序とカオスの間にある相転移の場、カオスの縁の持つ多様性を 思わせる。見所に居る私は、姿勢を正して臍の下に力を込めて、自分に向かって飛び込んでくる音と気の粒子を五感の全てを解放して受け止める他ない。 息をするのも忘れて、自分を舞台のリズムに同調させるしかない。

そうしているうちに獅子は舞い納め、留拍子を踏んで全てが静止する。暫くは感覚が麻痺したようになって、我に返って椅子の背に凭れて息をついたのは、 ようやく囃子と地謡が立ち上がって拍手が起きてからだったように記憶している。生身の人間がそのままでは見ることが許されない何かに一瞬だけ触れるような感覚は、 能の持つ呪術的な力によるものなのだろうが、振り返ってみれば香川さんの演能では、繰り返し起きていることではある。「翁」もそうだったし、「三輪」も、「絵馬」も そうだった。前回拝見した「定家」すら、人間的なものを超えた大きな秩序を感じさせるものであった。だが、これほどまでの力の奔流を目の当たりにしたのは 「石橋」という曲ゆえかも知れないし、その一方で、この演能を体験した時間と、その前後の時間の流れ方のギャップの大きさが何時になく大きかったから なのかも知れない。帰路、水道橋の雑踏の中で、今しがた自分が経験したはずの何かの異様さと、自分が引き戻された時間の流れとの 間の懸隔に、戸惑いと苛立ちと軽い絶望感のようなものが混じった形容し難い気分に襲われた。

近年とみに身辺が慌しく、それが毎年累進し、とうとう今年は休日の外出の回数を大幅に減らさざるを得ない状況にまで至った。 今回もまた、まるで仕事を途中で抜けて能楽堂に駆けつけるような仕儀となり、自分が接するものが持つ価値の大きさに相応しい姿勢で拝見できるものか、 大いに危ぶんだのだが、それは杞憂であった。初めて訪れた水道橋の能楽堂に足を踏み入れて見所の方々の中に居る時に、桜を愛でる暇も、花曇りの風情を 味わう時間もありはしない私のような人間が、その場に居ることが酷く場違いであるという感覚からどうしても逃れられなかったけれども、 舞台を拝見していた時間だけはそうした感覚はどこかに消え失せ、豊饒この上ない時を経験することができた。

そして今再び、自分がこのような主観的な感想を書き留めることが、自分が受け取ったものの豊かさと大きさに比して、全く取るに足らないと いう感覚から逃れられずにいる。だが、とにかく、このような私にかくも素晴らしい演能を拝見する機会を与えてくださった方々に感謝したい。 そしてこれからも貴重な機会を逸することのないよう、香川さんの能を拝見する時間だけは確保しておかなくてはならないように感じている。 前回「定家」を拝見したときに、その記憶が自分よりも永く存続するような出来事に立ち会っているという感じを抱いた。今回もまた、 その場にいるのが自分のような人間であることが勿体無いように感じた。だがともかくも、 幸運にも自分には、そうしたものに接する機会が開かれているのだから、それを手放してはいけないのだと思う。公演冒頭、馬場さんは ワキの寂昭こと大江定基について解説しながら、一人一人にとっての「石橋」ということを語られたが、その顰に倣って言えば、 香川さんの演能は、それ自体、私にとっての「石橋」であるに違いないのである。(2009.4.5)

2009年1月10日土曜日

「第22回二人の会」喜多實先生二十三回忌追善(喜多六平太記念能楽堂・平成20年12月23日)

能「定家」
シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生閑
ワキツレ・宝生欣哉・則久英志
アイ・野村万作
後見・高林白牛口二・中村邦生
笛・一噌仙幸
小鼓・大倉源次郎
大鼓・柿原崇志
地謡・友枝昭世・塩津哲生・出雲康雅・大村定・長島茂・狩野了一・大島輝久・内田成信

能の上演は一回性のもので、それは過ぎ去っていく宿命を帯びている。一方でその一回性が「奇跡」が成立する条件を構成するのだろう。 歴史に刻み込まれるような瞬間は、それが二度と繰り返されない、取替えの利かないものであるからこそ、時を経ても決して色褪せることのない 輝きを放つのだろう。こうした事情は何も能の上演に限ったことではないが、こと自分の経験に照らした時に、能はそうした側面をとりわけ強く備えているように 感じられる。そしてこの上演を終えた後、直ちに私はその場に居合わせることができた幸運を思った。そしてそうした気持ちは今でも変わらない。そればかりか 寧ろ益々強まっているくらいなのだ。観た自分がいつかこの世から滅したのちも語り継がれていくような、永続的な価値のあるものに、自己にゆるされた 限られた時間の裡で出会えることは何と素晴らしいことか。だからまず、シテの香川さんをはじめとする演者の方々に感謝の言葉を述べたい。

禅竹の能である「定家」は暗示的で多様な解釈を受け容れる或る種の曖昧さを備えているので、色々なやり方が可能だし、そうした解釈が徹底した場合には 素晴らしいものになるのはすでに経験済みであり、それだけに今回の演能が、作品にどのような光を当てるのか大きな期待を抱いて目黒の舞台に赴いたのだが、 私が拝見したものは、私個人のそうした興味などを遙かに超えた、あえて「完璧」という形容をしたくなるような一つの世界を呈示するものだった。 言葉が追いつかないのは、優れた演能を拝見した時にいつも感じることではあるが、今回はもう書くのを止めて沈黙することを選びたくなるほどその世界は 完成されていて、純粋なものであった。だからここではほんの断片的な印象を記すことしかできない。そう、今回については、自分が永久に、自分が受け止めた ものに追いつけないことが直ちにわかってしまったので、何を書いても仕様がない、という気持ちを抑えることができないでいるのである。

実際、この舞台にかける演者の方々の意気込みも並々ならぬものを感じさせ、囃子とワキによって為される前場の雨の降り込める寒々とした 風景のリアリティは、ワキと見所の視線の同化という言い古された表現を、実質を備えた重みあるものとする。風景の持つ色彩はくすんでいるが、 この上演では、全く色を喪い、完全に枯れ果てた荒涼ではない。墳は過ぎ去った時間の経過の長さを感じさせても、葛は命を失っていない。 季節の移ろいに従いはしても、それはそうした大きな秩序の一部であるかのように、長い時間の中を生き続けているのだということを感じさせる。 そしてそのような印象は、シテの持つ不思議な存在感と調和して、眼前の風景が人間的なものを超えた秩序を垣間見させるもので あることを示唆するかのようだ。

能を拝見して最も強く感じたのは、人間の卑小な感情や思念を超えた、もっと大きな秩序の存在だろうか。香川さんのシテは、前場も後場も、 その装束からして、人間であるよりは寧ろ、葛の精のような純粋さと透明さと品格を備えている。前場の面もどこか陰影を秘めているし、後場もまた、 痛々しい痩女なのだが、恐らくは小町物のような老女物においてと似たような感じで、それは冒しがたい気品と、純粋さ、強さを備えていて、美しい。 後場で葛に覆われた墳から式子内親王の霊が出現するところでは、香川さんの演能ではよくあることではあるのだが、見所のどよめきとも溜め息とも つかない反応が広がる。

序の舞の時間の流れをどのように形容したら良いだろうか。私は、それがいつか終わって、彼女が墳に戻ることをどこかで知っている。それは あらずじを知っているからとか、そういった作品世界の外側の知識や文脈が齎すものであるというよりは、その舞の持つ内的なリズムがそれを 内包しているというべきだろう。それと同時に、その舞は一回性のものではなく、永遠に繰り返されるのだろう、だからある意味ではそれは 永遠に等しいのだということもまた、感じずにはいられない。見るものの一生よりもそれは遙かに長く繰り返されるのだ。これまでもそうだったし、 これからもそうだろう。喜多流独特であるらしい、たどたどしい運びによる舞の持つリズムは、それが恋の妄執の苦しみの表現であるといった ような説明を受け付けないような、ほとんど人間的な感情からは離れてしまった存在のあり方の象徴であるかのようだ。そしてそれは 過去の幸福を偲んでのではなく、確かに報恩の舞なのだ、と私には感じられた。少なくとも舞っているその瞬間、彼女の心は過去への 執着からは解き放たれているのだ。一瞬、何段目のどこであったかは記憶していないが、時間の方向の感覚が完全に喪われるのを感じる。「永遠」の出来。

そうした宙吊りにされた時間を、まるで始めからそうすることが定められていたかのように彼女自らが断ち切り、舞が終わると彼女は墳に戻り、うずくまり、 扇で顔を隠す。能はここで終わるが、物語はそうではない。それはきっと反復されるに違いない、それは人間の秩序を超えたより大きな秩序、 ヘルダーリンの最晩年の断片に垣間見られるような非人称的な宇宙のリズムとでもいうべきものに通じているように感じられ、あるいはそのようにしてまた、 舞はきっと繰り返されるに違いないというように私には思われた。

劈頭に降り込めていた雨の音は終演時には聴こえたであろうか。否、私には、葛がひっそりと、けれどもしっかりと、永遠の劫の流れの中に佇んでいる ように感じられた。時刻がいつなのか、季節がいつなのかもわからない、そうした時空の中に葛に覆われた墳を見たように感じられた。 その感覚を私はうまく言葉にすることができない。一つだけ、そうした終演の雰囲気のなかで謡われた「融」末尾の、あの詞章が、私にはその場に 如何にも相応しいように感じられたことは記録しておきたい。後は、それがそれ自体、独自の確固たる世界を持っていて、だから、私がその場で感じたことの 如何なる説明にも、注釈にもならないことを断った上でなお、帰路に思い起こさずには居られなかったある詩の断片を以下に掲げておきたい。

野は荒涼として 遙かな山の上に
ただ青い空が輝いている、いくつもの小径のように
自然の現われるのは 同じようだ、吹く風は
爽やかに、自然はただ明るさにつつまれている。

大地の円は天空に包まれているのが見える
昼のうち また 明るい夜
空高く星くずの現われ出でるとき
そして 広く広がった生はいっそう霊的になる

(ヘルダーリン「冬」野村一郎訳)

*   *   *

素晴らしい演能を可能にする条件の一つに、見所の雰囲気があるということもまた今回強く感じられたことで、いつもにも増して張り詰めた雰囲気と 深い静寂は、この一度きりの演能に立ち会う見所の期待の大きさ、集中の高さを物語るとともに、そうした見所の静かな気迫が演者の気持ちと 触れ合って、この歴史に残るであろう上演を引き出したように思われる。そうした方々に交じって演能に立ち会えたことに感謝したいと思う。

最後になってしまったが、この催しは勿論、「定家」一番よりなっていたわけではなく、塩津さんの舞囃子「春日龍神」を劈頭に喜多流の名手の 仕舞三番を含む豪華な番組で、先代宗家の追善に相応しく、喜多流の実力の高さを印象づけるもので、帰路、口々にそのような感想を語り合う 見巧者と思しき方々が何組もいらしたことが、そのレベルの高さを物語っていよう。個人的にはとりわけ友枝昭世さんの仕舞「歌占」はいつもながら 何か異次元のものと感じられた。上述の通り、追善ゆえ番組の最後は「融」の結びで締めくくられたが、その詞が如何にも直截に心に響き、確かにこれは今日の 名人の方々を育てられた先代宗家にとって最高の追善であったに違いないと感じられた。

残念ながら、私には今回の演能がどんなに圧倒的なものであったかを、自分が受け取ったものに見合ったレベルで書き残すことができない。だがそれは、 自分が受け取ったもの以上のもの、自分の受容能力を超えて、もっともっと高い価値のあるものであったに違いないのだ。この文章は演能の価値に 比べれば全く不十分なのである。だから是非、当日見所に居られた方々に、より的確な記録を認められることをお願いせずにいられない。私よりも より的確に演能の価値を理解でき、また、それを書き留めることができる方々が見所には数多く居られたに違いないのだから。この上演を拝見した 者はそれを語り継がなければならない、とさえ私には感じられるのだ。それゆえ、この文章は未定稿のまま留まるだろう。手を加え、あたう限り、少しでも 自分が受け止めたものに近づけていかなければと思っている。(2009.1.10 未定稿のまま公開)

2008年11月24日月曜日

「喜多流職分会2008年11月自主公演能」(喜多六平太記念能楽堂・平成20年11月23日)

能「綾鼓」
シテ・香川靖嗣
ツレ・金子敬一郎
ワキ・宝生閑
アイ・野村扇丞
後見・狩野琇鵬・高林白牛口二
笛・藤田六郎兵衛
小鼓・曽和正博
大鼓・柿原崇志
太鼓・小寺佐七
地謡・出雲康雅・大村定・長島茂・笠井陸・高林呻二・狩野了一・大島輝久・塩津圭介

喜多流の「綾鼓」は、クセやキリの詞章が土岐善麿さんにより書き改められ、実質は新作に近いという話を聞いて いたが、実際に拝見してみた印象も、紛れも無く能でありながら、そこに滲み出る雰囲気はどことなく近代的で、 ニュアンスに富んでいながら輪郭がはっきりしており、心理の上では微妙な陰影や多様な様相を見せ、古作の 能とは異なって陰惨な印象の、救いの無い話でありながら、凄絶でありながら同時に磨きぬかれた美しさが全篇に 漲っているように感じられた。勿論そうした印象は、思わず完璧という言葉を使いたくなるような隙の無い 上演の完成度の高さによるものであったに違いない。会場は静まり返り、見所は金縛りにあったかのような 沈黙の中、固唾を呑んで舞台を拝見することになった。否、その魔術的な作用は終演後も続いた。 今回程に附祝言が開放感を持って響いたことはかつてなかったように感じられる。

作品について特に印象的だったのは、「見えること/見えないこと」「聴こえること/聴こえないこと」の 対立の鮮明さ。幕開け、脇座に女御が座るのが脇正面から拝見している私にとっては相対するかたちに なるのだが、彼女は実は見えない筈なのである。正先に出された作り物の桂の木には綾織りの鼓が かけられ、その音は、庭掃きの老人がこの上もない強さをもって打つにも関わらず聴こえない。老人が 身を投げて後の鬼は通常の知覚にとっては見えない筈の存在なのだが、今度は池のほとりに姿を現した 女御には浪音に鼓の音が聴こえ、鳴らない筈の鼓の響きに包まれながら、鬼は女御を捉えて引き降ろす。 終曲で鬼は音も無く波間に見えなくなり、舞台には伏して泣き崩れる女御が取り残される。 見える筈のないものが見え、そこに見えているものが不可視である。同様に、聴こえないものが聴こえ、 聴こえるものが聴こえない。物語の内側での錯誤が、能の演出上の工夫と渾然一体となって見所を 襲い、見所もまたそうした錯誤に否応無く巻き込まれる。これはまさにリアリズムによらない能ならではの 経験であり、その力に改めて圧倒されてしまった。

鮮烈な印象が残った部分も枚挙に暇がない。前半の頂点は、打っても鳴らない鼓に次第に苛立つ 緊張の高まりの凄み、「たばかられ」の部分でそれが一気に崩れ、伏して嘆く様の痛ましさ。この 部分での藤田六郎兵衛さんの笛の音は、老人の涙そのものであると私には感じられた。笛の音とともに、 面からどっと涙が溢れるように私には見えたのである。香川さんのシテは、装束によって告げられる身分の 低さよりも、思いの強さや一途さが感じられ、決して品位を喪うことがない。そういえば、最初に 拝見したのは「阿漕」であったが、これもまた所謂「卑賤物」であるにも関わらず、陰惨ではあるけれど 決して下品にも野卑にもならない強さが感じられたのを数年経った今なお思い出すことができる。 今回の演能も同じように数年経っても決してその印象の強度が喪われないようなものであったと思う。

後半の鬼も、非人間的な執拗さと仮借なさの中に、それに埋もれてしまうことの無い一途で、ほとんど 純粋といってしまいたくなるような強烈な心の傾きが秘められているように私には感じられた。 それは救済や解決には決して向かうことなく、ひたすら執拗さと仮借なさを補強することにしかならず、 無限に悪循環の中を彷徨わざるを得ない、全く救いのない感情の軌跡なのだ。 最後に橋掛かりから、舞台中央に伏して嘆く女御を振りかえる心に人間的な感情を 読み取るのは恐らく間違っているのだろう。だが、行き場のない強烈な心の動きがかくも完璧に、 しかも紛れも無く美しく立ち現われているのを目の当たりにするのはそれだけで心を揺さぶられる 経験であり、そうした見所自身の心の動揺を鬼の「心」に投影してしまいたくもなる。それほどまでに 香川さんの表現は鮮烈を極め、鬼の姿はどこをとっても美しかった。上述のように今回は脇正面から 拝見したので、例えば女御の打ちかかる様は背後から見ることになるのだが、それは凄惨でありながら 戦慄すべき美しさを備えていて、一瞬ごとに彫刻として定着させるが可能ではないかとさえ感じられたのである。

鬼を呼び出す囃子もまた仮借なく、執拗で、非情な勁さを備えながら、くぐもった陰に籠もるような虚ろさを帯びている。 これが神を呼ぶときにはあんなに透明で凛とした響きを放つ同じ楽器とは思えない。曽和正博さん、柿原崇志さん、 小寺佐七さんという名手揃っての演奏は、鼓の音を主題としたこの作品に相応しい。金子敬一郎さんのツレの女御は、 前半は脇座で全く動かないことによる「不可視」の表現と、後半の狂気の表現の対比が鮮やかで とりわけ「あらおもしろの鼓の声や」の表現は凄まじかった。

不可視の女御を代理して老人を死に追いやり、今度は老人の憤死を告げて女御を狂気に 追いやる不吉で非情な進行役である女御の臣下を演じられた宝生閑さんは、いつものことながら、 最初の出、最初の名乗りで、身分関係や舞台の雰囲気といった諸々を正確に定位する。その後も 舞台は臣下の介入によって句読点が打たれつつ進められていくのだが、その場面転換もまた鮮やかなことこの上ない。 臣下の従者たるアイの野村扇丞さんも舞台の調子の把握が見事。出雲康雅さん地頭の地謡も 多彩で圧倒的な表現力で、特に終幕の謡は聴き手の心を凍りつかせるような凄みがあった。 狩野琇鵬さん、高林白牛口二さんの後見も含め、先代の宗家である喜多実さんが初演した この作品に対する意気込みのようなものが感じられたように思える。このような素晴らしい舞台を 実現された演者の方に御礼を申し上げたい。また チケットを譲っていただき、このような舞台を拝見する機会をくださった方に感謝申し上げたい。

香川さんは1ヵ月後の12月23日にも喜多実さんの追善公演である塩津さんとの共催の 「二人の会」で「定家」を演じられる。性別も身分も変わるが、こちらも救いの無い執心物という点では 共通した部分がある。今から拝見するのが待ち遠しく感じられる。(2008.11.24)

2008年4月6日日曜日

「第2回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成20年4月5日)

能「湯谷」三段之舞・膝行
シテ・香川靖嗣
ツレ・狩野了一
ワキ・宝生閑
ワキツレ・則久英志
後見・内田安信・中村邦生
笛・一噌仙幸
小鼓・曽和正博
大鼓・柿原崇志
地謡・友枝昭世・塩津哲生・粟谷能夫・大村定・粟谷明生・友枝雄人・金子敬一郎・佐々木多門

第2回香川靖嗣の會を拝見しに目黒の舞台へ。今回の番組は「湯谷」。「湯谷・松風は米の飯」ということばがあるそうで、 名曲であると話には聞いているが、私は能を観るのは今回が初めて。ここのところ平日は強度の緊張を強いられる日々が続き、 その反動で微熱が出た状態での観能となってしまい、能を拝見するだけの気力、体力が残っているかどうかに些かの不安を感じつつ家を出る。 番組に相応しい陽気の中能楽堂に着いて、客席に入ってまず驚いたのが、置けそうなところには全て置いたのではないかというくらいの 夥しい補助席の数。記念すべき第1回であった前回も盛会だったが、今回も前回同様、その補助席も桟敷も全てが埋まる大変な盛会だった。

そして舞台もまた素晴らしかった。演能が終わって帰り際に、お世話になっている方にお会いしてご挨拶したのだが、以前にもそういうことがあったように、 今回もうまく言葉が出て来ず、「大変結構でした」というのが精一杯だったくらいだ。あまりの素晴らしさに、自分の体調のことなどすっかり 忘れてしまい、身も心もすっかりリフレッシュしたような気持ちになった一方で、何というか、自分の「容量のなさ」みたいなものを痛感しもした。 私のような、経験も知識もない人間が一度拝見しただけでは味わいつくせない程の豊かさを感じたのである。 自分が受け止めることができたのは素晴らしい演能のほんの一部に過ぎないに違いなく、経験も知識もある方が拝見されたなら、 もっともっと深い感動に浸ることができたに違いない、自分には受け止めきれないほどの感興に満ち溢れた演能であったことを感じずにはいられなかった。 一度では到底味わい尽くせないという印象を受けて、確かにこれは「米の飯」なのだろう、と、私なりに納得してしまった。

だがそうはいっても、強烈な感動に押し流され、翻弄され、打ちのめされたのかといえば、そうではない。これまで拝見した香川さんの演能が 素晴らしくなかったことなどないのだが、今回の演能の印象は、これまでのものとは些か趣が異なったものだったように思う。 今回の演能には見所の心を動かしはしても、 徒に不意打ちによって驚かしたり、平衡を喪わせることのない、圧倒的ではあるけれど、安定し調和のとれた充実を感じたのである。 そしてそうした印象は、まず第一には、シテの香川さんをはじめとした、これ以上の贅沢は望むべくもない素晴らしい演者の方々の それぞれの力の合成によるものなのだが、それと同時に「湯谷」という曲の持つ性格に起因するものに思えた。これもいつもの事ながら、 かくも素晴らしい演能を目の当たりにして、私の貧弱な感受性と、それに見合った乏しい筆力をもって、自分の受け止めたものを 表現することの無理を感じつつも、それを承知の上で、それでも些かの感想を記しておきたい。なお、当日の番組は休憩をはさんで「湯谷」の前に 前回同様、馬場あき子さんの解説、そして狂言「千鳥」がついた豪華なもの。狂言もまた素晴らしいものだったが、こちらの感想は別稿としたい。

ワキの平宗盛の名乗りから始まり、湯谷がさりげなく紹介されるところから始まるこの物語は、ツレの朝顔が東国から都にやってくる部分を除いても、 宗盛の館から清水寺へ、更に地主の桜の下での宴の場への移動、そして、そこから東国へと湯谷が向かう終曲の移動という具合に、 空間的な移動が大きい。にも関わらず、アイが登場することもなく、それらが途切れることなく連続して展開される故に、そうした移動や変化は シテのちょっとした所作、要所要所を締めるワキの言葉や地謡や囃子の効果に委ねられているのだが、その場面の変化の克明さは驚異的で、 単調になったり、弛緩してしまったりすることがないから、観ていて飽きることなどあろうはずもない。

最も印象的だったのは、何といっても春爛漫の雰囲気と湯谷の心理の陰影の対比がもたらす何とも言えない微妙な色調のニュアンスの、 その諧調の豊かさである。特に今回の演能では、湯谷の心持ちの移り変わりに明確にフォーカスが当てられて、全体が構成されていると いう印象を強く持った。湯谷が登場してから後の全篇を通じて、一貫した気持ちの流れのようなものが舞台を支配し、それがある時には 風景の後ろに退き、ある時には表層に浮び上がるような、そうした移ろいの感覚を抱いた。この能は現在能で現実の登場人物が登場し、 (当時の、ではあるが)現実の京都を舞台にしているには違いないのだが、私が受け取るのは字義通りの演劇的なリアリティではなく、 寧ろ心象のリアリティだったと思う。三段之舞の小書きによる演出もまた、そうした心の動きを克明に浮び上がらせる働きをしていたように思える。

前半の宗盛の館の場面の中心をなす文の段では(常の演出とは異なって)湯谷が一人で読み上げるやり方が採られていたが、 それ故、段全体が湯谷の気持ちの推移を反映したものになっていて、まるで心の裡に落ちる影が広がっているのを目の当たりに するようで、文を読み終えた後、その内容に動転し、持つ手から文がはらりと落ちる様には胸を衝かれる思いがした。 その後、暇乞いをする湯谷と、それを拒む宗盛との間に走る緊張感、それが花見に繰り出すという動きによって別種の緊張に転換していく 様子と、場面を通じての心理の微妙な変化が、シテ、ワキの所作と地謡と囃子によってきめ細かく、克明に描き出されていく。 抽象化され、様式化されているが故に寧ろ、演劇的な写実には到底及ばない、強い心理的なリアリティが感じられ、改めて能の 表現の凄みを感じた。宗盛の命令で車が出され、花見に繰り出すところは、地謡によって場面が一気に活気付き華やいだ雰囲気に 包まれるが、その中でシテの湯谷のみが心の憂いを引きずり逡巡するコントラストの鮮明さも特に印象に残った部分である。

その後も、春の景色に投影される彼女の気持ちの変化が作品全体の明暗の微妙な変化に繋がっていく。地謡の詞に応じた、 作り物の車の中でのシテの細かい所作が、車の外の風景が湯谷の心に惹き起こす陰影を描き出していく。その視線の向こうには 確かに春の風景が広がっていることを感じさせつつも、見ている私が受け取るのは外の風景そのものではなく、彼女の心に映ったそれに 他ならず、それらは彼女の心に宿る憂いや不安で染め上げられているのである。そうした不安が高まってゆくと、それが頂点に達する 間際に作り物の車が、出されたときと同様の鮮やかさで後見によって下げられ、清水の観音に湯谷が祈る場面となる。

花見のための道行の、特に後半の部分は春の景色の華やかさを描き出さず、寧ろ憂いに沈む湯谷の心にある不安や心配を 引き出していたかのようであったゆえ、その道行が観音参りのためのものに変質しても少しの違和感もない。 ここでもそうだが、この作品は全篇を通して、緊張が高まり爆発しそうになる前に、転調が生じ、緊張が緩和されるプロセスを繰り返してゆく。 緊張が緩むと、そこに、それまで背景に退いていた春の華やいだ風景が浮かび上がってくるのだ。 ここでは観音に対して祈ることよって湯谷の心にもたらされる安らぎが、春の穏やかな雰囲気と溶け合って見る者の心に浸透してくるのを 感じる。春の華やかさも、そこに秘められた憂いも、湯谷という女性の心そのものであるかのような心情と風景の対比と照応とが この作品の持つ独特の雰囲気を形作っているようだ。

湯谷が彼女の持っている輝きの片鱗を示し、外界の春の景色の華やぎの中でそのオーラを解き放つのは、そうした祈りの後、 地主の桜の下、宴を司る役割を果たす時で、心中にある不安をよそに少なくとも表向きは自分の務めを見事に果たす。 宗盛の酒を献じ、所望されて舞う舞もまた見事なものであるが、 それが彼女の心の裡にある憂いにも関わらずのものなのか、あるいはそれゆえのものなのか、判然としない。 村雨の到来は客観的には偶然のなせる業だろうが、それすら彼女の心の動きが外化したかのような印象を覚える。 抑えてきた感情が彼女自身の涙として溢れようとした時、まさに村雨が到来したというように感じられたのである。 そして観音の慈悲の雨と思しき村雨により、結局、湯谷の祈りは通じて東国に下ることができるわけで、 一種の観音利生譚の趣が生じることになる。 私見では湯谷の病気の母を気遣う気持ちの優しさや信仰心といった側面は全曲の雰囲気に対して極めて本質的な意味を 持っていて、それゆえ既述の湯谷の観音への祈りは作品の折り返し点のような重要性を持っているし、観音利生譚という側面も 単なる枠組みに留まることなく、有機的に機能しているように思われる。

物語の展開につれて湯谷の気質に備わっている様々な側面が浮かび上がるが、この作品の頂点で顕れ、それゆえ最も強く 印象に残ったのは、基調となっている彼女の穏やかさ、慎ましさとは一見すると両立し難いものに思われる、しなやかな勁さであると思われる。 それがはっきりとした形をとるのが、村雨に感じて、短冊に歌を書きつけ、宗盛に向かって詠む一瞬である。今回の小書きの一つである膝行は、 そうした彼女の持っているしなやかな勁さを示して鮮やかに感じられた。 この場面こそが全曲の頂点であり、従ってその後に続く転調もまた、最も劇的なものとなる。詠まれた歌に感動した 宗盛が暇を与えた瞬間の湯谷の表情の変化は鮮烈で、それ自体には表情がない面を掛けた演者によって演じられているということを思わず 忘れてしまう。曲の終結に至って、湯谷の表情から憂いが去り、それと同時にようやく喜びが春の景色に浸透していく様子を見るのは感動的である。

その場から直ちに東国への途につく彼女は、だが、喜び勇んでわき目もふらずに一目散に去っていくのではない。最後に至っても、華やいだ春の 景色から陰影が全く喪われてしまうことはない。橋掛かりを使って効果的に演じられる結末の部分では、彼女は立ち止まり、今度は自分を 送り出してくれた宗盛が居るはずの都に思いを致すのだ。

一曲の作品のなかでこれだけ豊かな心情の移ろいが、しかもきめ細かく描き出されるのは驚異的で、これだけをもって圧倒的な演能だったと思う。 しかもそれは最初にも述べた通り、他の能ではしばしばみられる激しい情念の噴出や、見所を揺さぶり、突き動かすような類のものではない。 そうした種類の能が素晴らしい演奏で上演されたときに、能の持つ鋭さが心の奥深くに消し難い印象を残すことはこれまでも何度となく経験してきたが、 この能はそうした能とは異なって、観る者を寧ろ安定に導き、癒すような働きがあるように感じた。

とはいってもそれはこの能が一面的で表面的な ものであることを意味しない。外面的には駘蕩たる春の風情に満ちているが、そこには不安や憂いが確固として存在する。 しかもそれは決して意表をつく取り合わせの妙ということではなく、そもそも春という季節がそうした憂いと容易に結びつく傾向にあることは 事実として学術的にも検証されているという話を聴いたこともあり、我が身に照らしても納得がいくし、能の作品には春の景色の中で 生じる悲劇を描いたものも少なくない。だが、この能はそうした作品ともまた一線を画しているように感じられる。

それは作品中に造形された湯谷という女性の持つ性質によるもので、それこそがこの作品全体を性格づけているのだと思う。 恐らく、湯谷その人にせよ、背景となる風景にせよ、その外面的な華やかさのみを際立たせようとしても、これほどの感動を見るものに 与えることはないのではなかろうか。今回の演能では、母を思う心の優しさとそれゆえの不安、信仰心、そして、それが当座は 自分の気持ちに反するものであっても自分に課された役割を果たしつつ、自分の気持ちをはっきりと伝え、暇乞いに成功する賢明さ といった側面を克明に表現することにより、この作品に豊かなニュアンスと彩りをもたらすことに成功していたように私には感じられた。 華やかさだけではなく、憂いだけでもなく、その両者のバランスを保ち、微妙なニュアンスの多様性を表現することは決して単純なことではないが、 それは全篇を導く湯谷の気持ちに含まれる純粋さや一途さのようなものを表現することによって可能になっていたように思われてならない。

そうした湯谷に対する宗盛もまた、器量の大きな、物事の見えた人間でなくてはならない。私が幼少より馴染んできた平家物語の 宗盛像を外挿してしまえば、自分勝手で我儘な見栄っ張りであると思い込んでしまいがちで、実際拝見するまではそのように勝手に イメージしていたのだが、宝生閑さんの宗盛は、最初の名乗りから既に全く異なった人物造形を告げていて、暇乞いを一旦拒んで 花見に連れ出し、湯谷に舞を舞わせ、歌を詠ませたのち、宴が村雨によって終わったときに暇を与えるその全体が、宗盛が湯谷の 心情を思いやって、更には湯谷の気質を知りぬいた上で仕組んだ芝居ではなかったかと思わせるような感じすらあった。劇中では 湯谷が己の勤めを果たし、宴の場で歌を詠んで暇乞いをすることによって、晴れて東国へ下ることができるようにいわば仕組むのだが、 劇の構成上はワキの宗盛はいわゆる狂言回しの役割で、見所に対してシテの湯谷の持つ魅力を披露する場を用意する 機能を果たしていて、言ってみれば宴は見所のために用意されているともいえる。宗盛の名乗りで始まる湯谷という番組一番全体が、 宗盛が演出した芝居であるかのようで、その構成の巧みさを感ぜずにはいられない。

地謡と囃子の雄弁さも特筆される。友枝さん地頭の地謡の表現のニュアンスの多彩さは驚異的で、風景の華やかさと心理的な 陰影の微妙な押し退きが鮮明に感じられる。そしてまたそうした地謡と囃子の調子の変化によって場面の転換や、 状況の心理的な緊張の高まりや弛緩、空間的な移動、温度や湿度の具合が克明に表現されていく、その手応えの確かさは圧倒的だった。 囃子については例えば、朝顔が登場する部分―それは、空間的な移動と、都と東国というトポスの交替を伴う―の笛の音色の変化、 あるいは、湯谷の内面の憂いが表現されるところでの大小の音色の繊細さ、更には、文の段の後、暇乞いをする湯谷と、 それを拒む宗盛と間に緊張が走るときの緊張の表出と印象に残った場面は枚挙に暇がない。 とりわけ柿原さんの大鼓が謡を支える時の絶妙の呼吸、湯谷の憂いに呼応するときの溜息のような音色のかそけさには息を呑んだ。

帰途、能楽堂を出て目黒の駅へと向かう途上に桜がまさに散り始めていることに気づく。もちろん行きがけも 同じ道を通ったし、桜も目にしていたのだが、夕暮の微風に吹かれて散る桜の風情を感受する自分の 心持ちは最早同じものではない。何もないはずの舞台の上で、だが確かに湯谷の姿の周囲に観た桜を 通して見る風景は何と微妙な陰影に満ちた豊かなものであるか。素晴らしい演能の余韻を味わいつつ、 帰途についた。(2008.4.6初稿、4.7補筆修正)

2008年1月13日日曜日

「国立能楽堂2008年1月普及公演」(国立能楽堂・平成20年1月12日)

能「羽衣」舞込
シテ・香川靖嗣
ワキ・殿田謙吉
ワキツレ・坂苗融
ワキツレ・梅村昌功
後見・内田安信・佐々木宗生
笛・藤田次郎
小鼓・曽和正博
大鼓・佃良勝
太鼓・三島元太郎
地謡・友枝昭世・塩津哲生・出雲康雅・大村定・金子敬一郎・内田成信・大島輝久・塩津圭介

能はどこで終わるのだろう。

今回拝見した「羽衣」舞込の場合、去ってゆく天少女が紛れてしまった霞を眺めて立ち尽くすワキの白龍が留める。 形式的にはここで作品は終わる。そしてワキ、ワキツレが去り、後見が作り物を片付け、 笛が立ち上がるのをきっかけに、地謡が切戸口から、そして囃方が舞台を出て橋掛かりを渡って去っていき、 鏡板の松の前の舞台が空虚な空間になる頃合にやっと拍手がまばらに起きるが、それも多くはないし長くも続かない。

だがそのときですら舞台の上には或る種の気配、はっきりとした雰囲気を持つ空気によって充たされたままである。 このようなことは優れた演能の後にはしばしば起きることで、他のジャンルの場合と異なって、ここでは拍手の多寡というのは 何の尺度にもなりえない。見所の他の方が拍手をすることを云々するつもりはないが、自分では決してやらない。 私にとって能を観ることは、どちらかといえば奉納の儀式に立ち会うのに近いものに感じられるから、というのが理由だが、 今回の「羽衣」に関しては、自分もまた天少女が舞い、去ってゆく現場に居るように感じられて、能を観賞するという 距離感がなくなってしまったからというのが正しい。超自然的な経験に対して、人はただ驚き、呆然と立ちつくすしかない。 勿論、見たもののあまりの美しさに涙が出てくることはある。悲しいからではなく、あまりに純粋で透明で美しいが故に 涙が出てきてしまう。

恐らくは舞込の小書きによってもたらされたに違いない、天少女が後に残した雰囲気はそれほどに強烈だったのだ。 長い国立能楽堂の橋掛かりを存分に使って、くるくると廻りながら、時折、すでに遙か下方となった地上を見下ろしつつ (実際その瞬間、正面から見ている私からすると丁度脇正面の見所のあたりの空間に浦の風景が、そして富士山が 「見える」のだ)、どんどん舞い上がって小さくなっていって消えてゆく様は圧倒的で、白龍ともどもただ呆然と眺めるしかなかったのだ。

香川さんの演じる天少女は、最初から人間とは思えない透明感を持っていたけれど、とりわけ羽衣を身に纏ったのちは、 重力から自由であるかのようだった。ここでは天女の舞というのは、(背景としてはそうであっても)そう名づけられた芸能の名称では もはやないし、比喩でさえない。まさにそう名づける他ないものなのだ。玲瓏と響く足拍子も、地面を踏んで響いてくるものには聴こえない。 まるで体重を持たないかのようで、序の舞では何ということか、床が消えてしまう。それ以降、天少女は最早空中に 漂っているとしか思えない。どうしてそんなことが可能なのかはわからないが、見たありのままを書けばそういうことになる。 序の舞は通常の時間の流れが止まってしまい、天体の運行のような何かより大きな秩序、ここでは例えば月の満ち欠けの ような人間を超えたリズムのようだし、破の舞の後の所作では、シテの動きにつれて清々しい気と香りが撒き散らされるかの ようだった。所作、装束、面とどれをとってもそれは人間を超越した存在であることを示しているようだ。天少女というけれど、 それは加齢によって喪われる人間的な若さとはおよそ無縁で、そもそも年齢というものを超えているように感じられた。

それゆえあの有名は「疑いは人間にあり」ということばも全く自然なものに聴こえる。彼女は非人間的で純粋な存在なのだ。 冒頭のワキ方の謡による克明な情景描写、非常に具体的なトポスの定位は、天少女の雰囲気で全編を支配する意図で あれば省略すべきだろうが、今回能としては初めて「羽衣」を拝見する私にとっては寧ろ、天少女が人間から如何に掛け離れた 存在であり、天少女の舞を見ることが如何に非現実的なことであるかを浮き上がらせるコントラストの鋭さを齎しているように 感じられた。ワキの殿田さんはそうした経験をする人間の反応を鮮やかに演じられていたと思う。そしてまた、天少女も感情なき 存在では決してなく、白龍の態度に最初は困惑するし、その様子を見て衣を返した白龍の純粋さに対する感応もまた確かにある。 それゆえ天女の舞は、己の裡にある純粋さの分だけ、それを見ることが叶った白龍をはじめとする人間のためのものでもあるのだろう。

囃方の素晴らしさも特筆される。藤田さんの笛は最初は浦の風光の広がりを浮かび上がらせ、始めは地上の風景であったものが、 ついには天球の音楽になる。曽和さんの小鼓の音のまろやかさは、それが膜質打楽器であることを忘れ去れるようなものだったし、 佃さんの大鼓のしなやかさ、三島さんの太鼓も空気が鳴るようで、思わずうっとりとしてしまう。およそ濁りや夾雑物とは無縁で、 それがいかにもシテの天少女のイメージに相応しい。物着のアシライも素晴らしく、時の経過を忘れさせてしまうような美しさだった。 友枝さん地頭の地謡は柔らかで流麗でいて、細かいニュアンスの変化に充ちたもので、これまたシテのイメージにぴったり。

「三輪」「絵馬」のような神体、「杜若」のような非人間的な存在を演じる時の香川さんの素晴らしさは既に何度も経験してきたが、 今回の「羽衣」もまた、香川さんならではの透明感に満ちた圧倒的なものだった。そして今回はとりわけ囃方の奏でる音楽や地謡の 調子がそうしたシテの雰囲気と完全に一体となって天少女の純粋さを表現していたこと、人間的なワキを中心とする前場の克明さと 後場の人間離れした雰囲気との対比の鮮明が印象的だった。

こうした舞台を拝見できることは本当に幸せなことだと思う。 今年最初の観能がこのような素晴らしいものであったことに対して、香川さんをはじめとする演奏者の方々に御礼を申し上げたい。 (2008.1.13)

2007年12月20日木曜日

「喜多流職分会2007年12月自主公演能」(喜多六平太記念能楽堂・平成19年12月16日)

能「蝉丸」
シテ・香川靖嗣
ツレ・大村定
ワキ・高井松男
アイ・山本則俊
後見・内田安信・塩津圭介
笛・一噌庸二
小鼓・荒木賀光
大鼓・佃良勝
地謡・友枝昭世・出雲康雅・中村邦生・高林呻二・金子敬一郎・内田成信・粟谷充雄・井上真也

「蝉丸」を能として観るのは初めてだが、仕舞や能の一部の記録映像、写真などで見たことはあり、これもまた、 観たい能の代表格であった。それをこのような素晴らしい演者で拝見することが叶い、期待を膨らませて目黒の舞台へ。
この12月の公演はこれ一度きりの変則的な二部構成で、いつもと開演時間が異なる。事情があって指定席をとるのを 遠慮したため、整理券を貰うために早めに行くべくWebページを確認すると開演が30分遅くなっている。年間予定表は 未修正のまま。念のため少し早めに着いてみると貼り紙があり、整理券配布開始が更に15分遅くなっている。 実際には、その貼り紙より10分早く整理券配布が始まった。第一部が稀曲「道明寺」を含んでいて、 終演時刻の予測が難しかったものと忖度するが、当日は木枯らしが吹き荒ぶ天気で、日陰の風の通り道で行列を 作って動かずに待つのはなかなか辛いものがあった。

だが演能が始まってしまえば、そんなことはどうでも良くなってしまう。これもまた期待を上回る素晴らしい演能だった。
「蝉丸」はいわゆるタイトルロールがシテではなくツレである些か変則的な能で、この種の能の多くがそうであるように、 ツレの役割が非常に大きい。いわゆる両シテ物である。また、アイの博雅三位の役割は現行の形態では非常に簡単なものに なっているが、その背後にはいわゆる蝉丸伝説がこの能に至るまでの来歴が畳み込まれている。 ワキの清貫の重要性もそうで、ここではかなり明確な性格付けがされていて、総じてこの能では、シテは勿論、ツレ、ワキ、 アイの力量が観能の印象に大きく影響することは確かなことだと思う。
そして、その意味でもこの演能は非常に充実していたと思う。囃子も友枝さん地頭の謡も素晴らいものだった。
ワキは川崎での「弱法師」と同じく高井さんだったが、冒頭の印象的な「さだめなき世はなかなかに」から始まって、 自分に課された蝉丸を「捨てる」役目に苦悩する様子を見事に演じられていたと思う。大村さんの蝉丸は、 こちらも「弱法師」を連想させる品のある若々しい雰囲気で、それだけに一層、舞台の上で僧体になり、 清貫が去って一人になる様は痛ましい。(父帝には)「捨てられて」の一言に込められた絶望に、見所も胸が塞がれる思いがする。

そこに登場するのが山本則俊さんの博雅三位。則俊さんのアイは、拝見して3年経ってなお忘れがたい「藤戸」の送り込み、 最近では「班女」の口開けと、素晴らしい舞台に接しているが、今回もまた実に感動的で、作り物の藁屋に蝉丸を送り込む のを拝見して、再度目頭が熱くなるのを感じた。実際のアイの詞は簡略化され、劇の上での役割は藁屋に蝉丸を入れるだけ なのだが、それによって前場ではその末尾に至ってようやく詞でのみ言及される琵琶の存在を浮かび上がらせ、 後場に繋げる機能を担っているし、同時に、前場の救いようのない終わりに対して、これまた(直接言及されはしないが) 琵琶を媒介にして蝉丸が全く孤立した存在ではないことが示されるのである。思えば逆髪もまた、琵琶の音に 牽かれて蝉丸との邂逅を果たすのだ。
召されれば再びやって来ると述べて彼はその場を去るが、その約束は、恐らくは能全体の終曲の更に後にも続く筈なのだ。 逆髪と別れた蝉丸は、だが全くの孤独ではない。後述するが、終曲の別れは決して絶望の裡にあるのではないと感じられたのだが、 それを準備するものとして、博雅三位の存在があることを私は思わずにいられないのである。筋書き上は関係はないのだが、 劇の構成上、博雅三位の出現が、逆髪との邂逅を心理的に準備しているとすら言いうるかもしれない。 この能においてタイトルの蝉丸は、寧ろ様々な伝承の交差点、結節点と考えることができるくらい、色々な物語の記憶が 織り込まれているのだが、それらが有機的に結びついて一つの作品を構成している有様はまさに驚異的である。
そしてそうした豊かさを、山本則俊さんの詞と演技を通じて受け取ることができたように感じられたのである。殊更に演劇的に なるわけではなく、寧ろ、これまた長い伝統に根ざした高度な様式性に支えられた、無駄無く虚飾の無い詞と動きに 強い気持ちが込められることによってこそ、それが可能になっているように思われた。

シテである香川さん演じる逆髪は、後場でようやく登場する。だが、その登場によって物語の場がリセットされる だけでなく、その諧調までもそれまでとは全く異なってしまう。しかしとりわけ印象的だったのは、それだけでなく、 登場した逆髪に対する印象が、私が漠然とイメージしていた逆髪像ともまた異なったものだったことである。 逆髪は恐らく逢坂の関にまつわる「坂の神」に由来するのだろうが、それもあってか一般には、名乗りで自ら言及する 逆立つ髪の異様さ、そのマージナリティや異形性が強調されることが多いと思われる。
だが、この日の逆髪はまず出で立ち上、髪の異様さは示されない。彼女の異様さは外面的には手に持つ笹によって 示される。まるで笹こそが逆立つ髪の一部であるかのように。橋掛かり、一の松の辺りでの演技では、面の表情の変化が 印象的で、その変貌は詞や型付けとあいまって、本当の人間の表情のようにしか見えない。最後は「面白やな」と 達観に至る認識を述べるその過程では、その表情は悲しみや絶望、怒り、諦観といった様々な状態を巡っていくのだ。 そしてそうした気分の変動は、その後の絶望の表出、それに続き、最後に水に映る己の姿を見ての嘆きで終わる鮮烈な 道行にも引き継がれる。揺れ動く笹はそうした心境を反映するかのようである。
けれども基調はここでは何よりも、彼女の心の清澄さにあるように感じられた。装束もまた、詞に鏤められた流水の イメージとの呼応を考慮しての選択と感じられたが、それは彼女の流謫の身の上を示すと同時に、そうしたあてどのない道行の中で 示される「狂女なれど、心は清滝川と知るべし」の詞に集約されるような、心の清らかさ、透明感と強く響きあうように 思われる。だから道行に先立つ感情の噴出も、道行を閉じる嘆きもその清らかさを覆すようには見えなかった。とりわけ 水に映る己れを「あさましや」といい、己の狂気に言い及ぶその姿には、寧ろ醒めて冴え冴えとした自己認識すら 感じられたのである。ここに反対物の一致や価値の転倒を読み取るのはそんなに困難なことではなかろうが、 このようは演能に接すれば、そうした図式を抽象することに如何ほどの意味があるのかとさえ思われる。

そうした逆髪の心境に、琵琶の音に導かれての弟宮の蝉丸との邂逅が、もう一度大きな転調をもたらす。それを 象徴するのは、またしても笹であると私には感じられた。笹が逆髪の手から落ちる瞬間、彼女は正気に、坂神から 一人の女性に戻ったのだと感じられたのである。終曲では再び別れが訪れ、蝉丸は残り、逆髪は去ってゆく。 だが、私にはそれが元に戻ったようには感じられなかった。二人の心のそれぞれに非可逆的な変化が生じていたのでは、 邂逅は決して無ではなかったのではないかと、そのように思えた。
勿論、こうした感じ方は観ている私の心境を登場人物に投影したものに過ぎないかも知れない。実際、私は終曲で 自分が抱いていた感覚が何であるのかすら、正確に言い表す言葉を持たないのだ。だが、それは劈頭から 前場の末尾に至るあまりに痛々しい経緯からも、普通に抱かれている逆髪のイメージからも予想だにしなかった ものであり、それだけに一層、(感覚それ自体は静謐なものであったけれど)衝撃的だった。
「泣く泣く別れおわします」筈の終曲に、それにも関わらず私は、絶望とは異なる何かを感じたように 思う。それは少なくとも琵琶とともに庵の前に立つ蝉丸の心のどこかにあったように感じられるし、 こちらはずっと自信がないのだが、再び遠くに去ってゆく逆髪にもあったのではと思われてならないのだ。 いや、それは逆髪の心の裡にあったものの反映だったのではないだろうか。

というわけで、実のところ受けた印象の強さにも関わらず、今回私は自分が感じたものをまだ分析しきれて いない。私のような者でも、この蝉丸という作品が古来どれだけ広く深く論じられてきたかについては 仄聞しているが、私が実演に接して感じたのは、この能の持つ底知れぬ奥深さであったような気がする。 実に色々な解釈や見方を受け入れる作品なのではないかと思える一方、それは単純な分析や説明を 受け付けるようなものではなく、だからこそ議論が尽きないのかも知れないとさえ思われる。
いずれにしても今回の演能は非常に鮮烈な印象の、強い説得力のあるものだった。 そしてそれを拝見できたことが得難い経験であったことは確かだし、自分にとって価値が測り知れない 大きさを持つことは確かなことなのである。(2007.12.20)