2018年9月24日月曜日

「第15回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成30年9月15日)

狂言「鐘の音」
シテ・山本則俊
アド・山本泰太郎
アド・若松隆

能「天鼓」
シテ・香川靖嗣
ワキ・森常好
アイ・山本則重
後見・塩津哲生、中村邦生
笛・一噌幸弘
小鼓・曽和正博
大鼓・国川純
太鼓・小寺佐七
地謡・友枝昭世、粟谷能生、出雲康雅、粟谷明生、長島茂、友枝雄人、内田成信、佐々木多門

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 春秋2回開催となって3年目の香川靖嗣の會、春の「桜川」に続いて、秋の「天鼓」を拝見しに、 目黒の舞台を訪れる。昨年の「山姥」は急用のため拝見できなかったため、秋は「遊行柳」以来となる。 番組の前半は山本則俊さんの圧倒的な狂言「鐘の音」。いつも通り、こちらは別に感想を纏めることとして、 以下では「天鼓」の感想を記しておきたい。

 一言だけ記せば、「天鼓」が鼓の「音」についての物語で あるように、「鐘の音」も音に関わり、かつその祝言性が強く感じ取れたこと(これはそれぞれの持つ 演能の性格による部分も大きいだろうが、私個人としては、まさにそれを経験するために舞台を訪れて いるというそのものに他ならない)、いずれも後半の舞、仕方話が劇の内部に埋め込まれつつも そこから超出して、文字通り舞台を奉納そのものとする点において共通していて、番組構成の巧みさを 感じた。

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冒頭のお話は秋の恒例で金子直樹先生。例によって丁寧な解説で、特に印象的だったのは、 この作品については、いわゆる典拠が知られていないことを、世阿弥的な類型からすれば形式的には破格と 感じられる、ワキによる冒頭の長大な「物語」の提示の理由と関連づけられて言及された点と、 「藤戸」との構造的な類似性を、両者における前シテの感情のコントラストと共に指摘されていた点、 更には、喜多流では常には入らない太鼓が入ることと、楽の調子が盤渉調で奏されるという点。

 拝見すればわかることだが、単にシテが前後で異なるだけではなく、前場の末尾のアイによる送リ込ミも 共通していて鮮明な印象を残す。シテが前後で異なるということでは「朝長」が思い浮かぶが、 いずれも作者として元雅が擬定されていることは興味深い。前シテの息子を喪った父親の感情が、 「藤戸」の母親と異なって、冷えきっていることを金子先生は指摘されていたが、単純には分裂している という印象を与えかねない前場と後場の関係や、恨みが物語を展開させる動因となっていないという点も含め、 見方によってはやや不自然と感じる向きもあろう設定は、後場に現われる天鼓の霊が、理不尽な死への恨みを 述べることを一切せず、追悼の管弦講に感謝し、只管に鼓との再会を喜び、楽を舞うことと対応していているようだ。不自然といえばこちらの方が一層徹底していて、枠組みを借りつつも、作者の意図が全く別の処に在る 事は明らかなことのように思われる。そしてそれは結局、典拠がない、「ありえたかも知れない物語」を作者が仮構した点と結びついている、というのが 拝見しての感想であった。漢の時代の中国という、外国の話というのも、要するに「今」でなく、かつての「此処」ですらない、「ありえたかも知れない」 想像上の極東の国に物語を設定したということであろう。

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 上のように書くと、如何にも冷静に、頭で演能を拝見したように取られるかも知れないので 急いで否定しておくと、この日の演能は、これまで私が拝見した能の中でも、音楽的な経験の密度の 充実の点では屈指のものであって、囃子、地謡、そして後場の中核をなす楽の舞に、只々圧倒される他 なかった。終演後、香川さんの下で永年に亘って能を習われてきた方にそうした感想を告げたところ、 「自分が舞いたいと感じた」と仰っておられたが、この日の演能の素晴らしさを語るのに、 これ以上の言葉があるとも思えない。

 能は一面においては演劇であり、多くの場合、眼前で心の動きが無意識のレベルまで露わにされ、 生の軌跡が浮かび上がるのに涙し、カタルシスを感じることになるのだが、この作品は、典拠に拠らず、 物語を仮構することによって、「音楽」そのもの(その起源においてそれは舞を必須の構成要素と していた点は留意しておいて良いだろう)を提示することに主眼があったのではと思わずにはいられない、 かほど左様にその「音楽」は圧倒的であり、見所で坐っていながらにして、音の奔流に巻き込まれて 眩暈を感じる程の強烈さであった。音楽を聴いていて、悲しいわけでもないのに、そこに立ちあがる音楽の美しさ、しなやかな勁さ、身体に沁みとおるその密度に圧倒され、感極まって涙を 堪えきれなくなることが時々起きるが、今回の観能で起きたのはまさにそれであった。

 後場の楽において鼓と再会した天鼓が無心に舞を舞う姿は、限りなく透明で純粋なものだ。 母親が鼓の夢を見て懐胎したという謂れを持つ少年天鼓は、天から降ってきた鼓そのもの、要するに鼓の精なのだが、 更にそれは、謂わば音楽の化身に他ならないだろう。 香川さんが、舞だけ切り取ったとしても、それだけで見所を圧倒することができるシテであることは、数多いとは到底いえないこれまでの観能の中でさえしばしば 経験してきたのだが、今回の経験はその中でも、その純粋さと透明感、輝きと軽やかさにおいて際立ったものだった。 人間ならぬ精霊を演じて、その無垢を、神々しさを、人間離れした純粋さを体現することにかけて 香川さんに替る存在は考えられないが、音楽の精が舞うことが作品の中核をなす「天鼓」という曲は まさにうってつけの作品であろう。勿論それは、作品に対する細心の配慮と長年の鍛錬に裏打ちされたものに 違いないのだが、拝見している最中には、そうしたことは忘れ去られ、見所もまた無心になって 笑みを浮かべ、恍惚とした表情を湛えた精霊の舞に自らを同化させる外ない。

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 些か先走ってしまったが、観能後暫くの時を隔てた現時点ですら、演能の一齣一齣が鮮やかに 思い浮かぶ。どの細部をとっても充実していて枚挙に暇はないのだが、印象に残った箇所を 時系列で記しておくことにしたい。

 まずは問題の冒頭、森常好さんによるワキの「物語」。天鼓の父、王伯を訪れた臣下という 劇中の役割を帯びていて、だがナレーションのようでもある不思議な感じ。ワキはシテに対する 外部の視線を構成すると言われるが、常のワキの役割とも異なるように感じられる。 論理的な解釈としてよりも、感覚的印象として、1レベル外側、物語を外部から語るかのように 感じられる。喩えて言うなれば、夢を見ている意識が、それが夢であることを意識しつつ夢の中の登場人物でも あるかのような二重性に近いだろうか。

 前場の頂点は、鳴らなくなった鼓を鳴らすという無理難題を命ぜられ、抵抗することもできずに 召喚される他ない王伯(彼が「罪」という言葉を口にするのを聞いて、ぎくりとする。一体何が 罪なのか、見所は戸惑うしかない)によって音が鳴らされた瞬間であろう。 はっきりと翁の表情が変わって、それまで滅していたかに見えた何かが確かに甦ったことが感じ取れる。 亡き子供への思いが鼓を鳴らすと説明すればわかりやすそうだが、舞台を拝見した印象はそうではない。 子供の形見、否、寧ろ分身という方が相応しいかも知れない鼓と再会し、それを手にとった時に、王伯の心の中に 何かが起きたのだ。

 そもそもが王伯夫婦にとっての天鼓は、竹取の翁にとってのかぐや姫のような 存在であったろう。鼓がそうであるように、天鼓自身もまた、天からの授かり物なのだ。天鼓が地上に降り立つにあたって何故王伯夫妻が 選ばれたのか、物語は説明をしないけれど、ともかくも鼓に再会した瞬間に、再び王伯の中で何かが起きて、 結果として鼓が鳴る。そうした何かを備えた人物として王伯は設定されていて、尚且つ鳴った鼓が、凍てついた王伯の心を溶かし、失ったかに見えた力を甦らせていく、その変容のプロセスを、 動きの抑制された舞台の上で目の当たりにするのは、奇跡に立ち会っているようなものだ。 だけれどもその抑制された動きによって、実際に打ち鳴らされるわけではない鼓の音が一瞬響いたように 見所が錯覚し、いや、もしかしたらそれは王伯の心の裡で何かが甦った徴候ではないかと見所が いぶかしむのは、能の様式の力であり、香川さんの巧まざる演技の力でなくてなんであろう。

 金子先生が予め指摘されていたように、その転換こそは論理的には後の場の管弦講を準備するものなのだが、 王伯が鼓を鳴らすことが既に招魂に他ならず、その聴こえない音は、時が逆流し、 蘇生と復活が行われる時間論的な消息を告げるものであることの実感が論理を圧倒してしまうように 感じられる。王伯は再び呼び出されたのだ、王伯を通じて、見所の我々にも「来たれ」の召喚の声が 鳴り響いたのだという揺るぎのない感覚に捉われる。逆説的なことだが、それを惹き起こしたのは、受動性の極みに達した 王伯の、自己放棄そのものなのではないかというようにも感じられる。

 以前拝見した「藤戸」の送リ込ミを彷彿とさせる山本則重さんの送リ込ミとそれに続く見事なアイの語りの後、 見所の意識が集中する揚幕から出現するのは、論理的には天鼓の「亡霊」ということになるのだろうし、 実際、本人がそのように名乗リもするのだが、私には、これこそが本来の天鼓の姿である、寧ろ鼓の精が本来の姿で出現したようにさえ感じられる。管弦講への感謝を述べはしても、自分が被った理不尽な死についての 呪詛はない。王伯と同様、天鼓もまた到来した鼓との再会と自己の蘇生の響きとを聴き取るばかりであるかの ようであって、生前の天鼓を知らない私は、もともと天鼓というのは、このようにこの世ならぬ、透明で 純粋な存在ではなかったかと思わずにはいられない。微笑を湛えて無心に舞っているのは年齢というものを超越した永遠の子供であり、その姿は人間が現実には遁れることのできない老いから自由であるかのようで、実際にはそれを人間が演じているという事実は、舞台を拝見している時間の中では忘れ去られてしまう。

 鼓が設えられた一畳台の上での動きの自在さは 驚くべきものだし(実際には、面で視界が著しく制限された状態のはずなのだが、そうしたことは 微塵も感じさせない)、舞となれば、まるで重力から自由でありうるかのように舞台を軽やかに巡って、 時折響く足拍子も、能舞台の床に張られた透明な水平な膜が鼓となって妙音を響かせているかのようだ。

 金子先生の指摘される「藤戸」との共通性は、 水に沈められての死という点にまで及んでいるのだが、「藤戸」との類似はそこまでで、この能の後場において、彼の屍が沈んでいる筈の呂水の水は、盤渉調の青色の奔流によって「生命の水」と化するかのようだ。 追加された太鼓もまた、そうした流れの勢いの印象を強める。既に述べたように囃子の素晴らしさは、空前絶後という形容をしたくなる 程だったが、天鼓を舞へと誘うワキの謡もまた、シテを召喚するマントラのようだ。それに呼応する太鼓を伴う囃子によって流水のイメージが増幅され、波濤の砕けたしぶきが月光に照らされて青白く煌めくのを目にするかに感じられる。 常には西洋のクラシック音楽を聴くときに感じられる共感覚を、能の舞台でかくも鮮明に感じ取ったのは 初めてのことだった。

 楽を舞う天鼓の表情の豊かさ、充溢する喜びの感情は、圧倒的な囃子ともども見所に働きかけ、 会場全体がよろこびの波動によって満たされていく。無心に舞を舞う姿に涙せずにはおれないが、 その涙は音楽をこちらもまた子供の心に還って無心に享受するよろこびのそれであるという他ない。

 キリに至り、シテが舞台を廻るに至り、 見所に座していながらに眩暈のような感覚に襲われて、一体ここはどこなのか?自分は何を見ているのか? 何が幻想で何が現実なのかの区別がなくなっていくかのような感じに支配される。 「また寄りてうつつか夢か」というのは、そうした己の感覚を述べているのではないかと思える程に。「夢、幻となりにけり」で突然舞台が静止し、それまでの絢爛たる音響の坩堝から静寂へと切り替わる。見所は魔法にかかったように、しわぶき一つ立てずに静まり返ったままで、ようやく 地謡が席を立ち、囃子方が橋掛かりを渡って舞台を去る頃になって、我に返ったかのように何時に無く 大きな拍手が舞台を包む。

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 今回の上演が、例えば技術的にどうであったかというのを語るのは私には荷に余ることだが、 最後に幾つか、帰途に思い浮かべたことを記してこの感想の結びとしたい。

 冒頭、ワキが語る物語が、まるで物語の外部のナレーションのようだ、と先に記したが、 それに照応するように、実感としては、後場もまた物語の外部であり、物語を内側から 現世的な視点で眺めた場合には、鼓が鳴ったことで生じた幻想であるもの、まずもって王伯が見て、恐らくはその場に居た人間の共同幻想であったでろうものが、この作品そのものであること、 音楽の持つ呪術的な力が作品を支える原動力でありながら、同時に作品のテーマでもあるといったこの作品のユニークな構造を感じずにはいられなかった。

 一見したところ必然性に乏しく、有機的に機能していないかに思われる物語を支える因果もまた、 外側から眺めたとき、なぜ天鼓は死ななくてはならなかったのかという問いに対して、そもそもが天鼓の存在 そのものが、現世的な秩序、世の成行きを超越した側面を孕んでいることの結果として了解することが できようし、天からの授かりものとしての天鼓と彼を追うように天から降ってきた鼓の二重性もまた、イデアルで人間の耳には聴こえない「天球の音楽」(それを「聴く」ためには法則性を解き明かすための数学が必要とされる)としての音楽と、そうした音楽を化体し、人間に聴き取れるものとするメディアとしての楽器の持つ呪術性という観点から捉えることができるように思われるのである。

 それらは総じて、ジャンルの違いを超えて、メディアアートのような領域で追求されているテーマに そのまま通じているように思われる。そうした見方に立てば、能楽は時代を超え、 今日なお、最高度のポテンシャルを備えた最高級のメディアアートに他ならず、この日の演能は、その考えうる 究極の達成の一つであったというように思えてならないのである。

 そういう文脈において直ちに私が思い浮かべたのは、三輪眞弘さんの「逆シミュレーション音楽」を 初めとする「音楽」の根源を問い直す取り組みであった。例えば「天鼓」という作品の持つ、典拠の欠如という性格もまた。 不在の、架空の典拠を仮構し、「…という夢を見た。」というフレームで作品を括弧入れするという 三輪さんの批判的な姿勢に通じるものを読み取ることができるように思えるのである。そしてなにより少年の形象において、両者に通底するものを見ることができるのではないか。「天鼓」というのは、まさに「新しい時代」で、最後に自分の声で歌を歌うことができた「昇天少年」に他ならないではなかろうか。

  だがそれ以上に重要に思われるのは、「ありえたかもしれない」物語の創造が、まずもって死者の無念を 弔うためのものであること、そのことによって、メタレベルから出発しつつも階層を超えて、 「音楽」そのものとしての呪術性を獲得している点であろう。一見したところ現代の高度なテクノロジーを駆使しているかに見える三輪さんの作品がそうして姿勢において一貫していることは、その試みの射程を捉えるうえで極めて重要な点だと思うが、「天鼓」という作品もまた、典拠を仮構し、 死者の無念を弔いのための「音楽」というフレームを用意するという、ジャンルに対する自己言及的性、 メタな側面を持っていると同時に、それ自体が優れて「音楽」そのものでもあるという点において 著しい並行性を示しているように思われたのである。

 だけれども、それはあくまでも枠組に過ぎない。意図を最高度の実現にもたらすのは、演者の力に他ならないのだ。 それゆえ私がこの演能に接して最も強く感じ、深く納得したことは、プログラムに香川さん御自身が記された、この「天鼓」という作品に 寄せる愛着であり、作品の意図を実現するための太鼓の使用という判断の正しさであった。まさにこの日の演能は、 見所全体を圧倒する「舞う歓び」に満ちたものであり、それはまた、太鼓を伴う盤渉調の囃子によって 持ちうる最高のポテンシャルを実現したものであった。私自身は自分の能力の制限に応じて、 その全体のごく僅かを受けとめただけであるにせよ、見所にとって、この日の演能のような達成に 立ち会うこと以上の歓びがあるとは思えない。心からの感謝の気持を込めて、香川さんをはじめとする演者の方々に 御礼申上げることで感想の結びとする次第である。(2018.9.24 初稿公開)

2018年8月25日土曜日

「第114回川崎市定期能」(川崎能楽堂・平成30年8月11日)

「第114回川崎市定期能」第2部
能「融」

シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生欣哉
アイ・竹山悠樹
後見・友枝昭世・狩野了一
笛・栗林祐輔
小鼓・森貴史
大鼓・大倉慶乃助
太鼓・林雄一郎
地謡・長島茂・金子敬一郎・友枝雄人・内田成信・大島輝久・佐々木多門

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「融」を拝見しに川崎能楽堂を訪れる。香川さんの「融」は2度目。記憶する限り、香川さんの演能で同一演目を2度拝見するのは初めてではないか。前回の記録を紐解くと、喜多流職分会2002年11月自主公演能(喜多六平太記念能楽堂・2002年11月24日)の最後の演目だったようだ。ワキ・工藤和哉、アイ・三宅右矩、後見・佐々木宗生・内田安信、笛・一噌幸弘、小鼓・大倉源次郎、大鼓・柿原崇志、太鼓・金春惣右衛門、地謡・大島政允・出雲康雅・粟谷明生・梅津忠弘・松井彬・金子敬一郎・佐々木多門・大島輝久という演者による演能で、当時はまだ能を定期的に拝見するようになって間もなくのことで、メモ書き程度の短い感想として、「「融」はシテの姿の美しさが何よりも印象的。月の光が満ち溢れるような透明感、高貴さの 中に時折ふと執着の相を垣間見せる融の大臣の表情に驚いた。終結で天上へと戻っていく様は 鮮やかで、ワキの僧の留拍子に思わず、今まで眼前に繰り広げられた光景への驚きの気持ちを 投影してしまった。」と書き留めてあるだけ。だが、この舌足らずの短い感想を書いたことはほとんど忘れてしまっていても、演能そのものの印象の方は、遥かに強く、消し難く刻印されていて、とりわけても後場の舞の鮮やかさと、舞台に溢れる月の光の感じは褪せることなく、15年もの歳月が経過したことに驚いた。

以下、今回の観能の感想を記すが、いつもの通り、それは多分に私の個人的な文脈が影響したものとならざるを得ない。シテは同じでも、ワキ、アイ、地謡、囃子方も異なる。いや、同じ演者であっても15年間の様々な経験があるのだが、それ以上に、目黒の舞台と川崎能楽堂の違いから始まって、当日の体調や心理状態に加え、こちらもまた(観能に留まらない)様々な経験と、その延長にある直近の文脈(何に関心を抱いているか、或はもっと端的に、その時に読みかかっている本は何かetc.)とが観能の方向性を決定づけることは避け難い。それを前提に、端的な印象を述べれば、何よりも今回、この「融」という能が、今日的な言葉で言えば、ヴァーチャル・リアリティを巡っての、だが実際にはその言葉が通常持っている意味合いを超えて、ヴァーチャリティそのものについて、数百年の年月を超えてなおますます光輝を増すかにさえ見える透徹した認識と、その可能性の徹底した展開の達成を強く感じたということになるだろうか。それはまた、これは恐らく狭くて客席と舞台との距離が非常に近いこの能楽堂の特性もあって、特に前場の、如何にも世阿弥らしい僧と潮汲みの翁の対話を通じて浮かび挙がってくる「風景」の強烈なリアリティあってのことに違いない。

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開演時間は15:00で、前に狂言一番の後、休憩なしでお調べが聞こえてきて、そのまま「融」の舞台となる。客席はほぼ満席(中正面奥に若干の補助席が出ていたかも知れない)、外は今年の夏の異常な高温で、連日の「猛暑日」で空気が体温近くまで熱せられているのだが、能楽堂の中はうって変わって、行き届いた空調で、客席に長時間坐っただけだと、肌寒さを覚えるかもしれないくらい。それでも、ライトに照らされた舞台は、演者にとっては過酷な暑さに違いなく、実際に狂言が終わったあと、後見が舞台に落ちた汗を拭った程。一方では客席には毛布が配られて、配慮の行き届いた公演と感じられた。

いつもの通り、地謡は客席の大きさもあって長島さんを地頭とする若手(もう中堅と呼ぶべきかもしれないが)6人。こちれも若手による囃子方ともども空間一杯に音を響かせるが、舞台との距離もあり、(恐らくは演者にとってはそれに応じた工夫をされていると想像される)橋掛かりの短さもあって、正面後方からも橋掛かりでの謡がはっきりと聞き取れ、囃子と交差しても聴き取れなくなることはない。謡や仕舞を御自分もされるような方や研究者であれば詞章を諳んじておられるだろうが、そうではない私のような万年初心者には、その場で詞章がはっきり聴き取れるのは大変に有難く、最初に述べた前場のリアリティにも与っていたに違いない。

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舞台の近さはまた、特に正先にシテが出たときの存在感、その身体に篭められた気が見所に直接伝わる迫力をもたらす。それが能の伝統的な拝見の仕方からしてどうなのかは詳らかにしないが、例えば前場の名所教えの部分では、あたかも自分がワキツレになったかのような心持で、シテやワキの見やる方向を一緒に眺めるといった感じになる。実際には、かつて六条河原院があった現実の場所に行っても(後世、河原院を模して作られたとされる捗成園があり、河原町、本塩竃町という地名が残り、河原町通の東、高瀬川沿いには河原院跡の立て札が立てられていはするけれど)、今見える景色は当然、同一のものではありえない。だが見所の私が、潮汲みの翁と諸国一見の僧とともに見る風景は、「ありえたかもしれない」「かつて」の河原院からの風景なのである。今でも見ることのできるであろう音羽山から始まって、南に転じて稲荷山、深草山、伏見、西に転じて大原、小塩の山といった地名もそうだし、能が演じられている間、それを拝見している我々がいる河原院跡の風景もまたそうであろう。

だが、では「かつて」とはそもそも何時の事なのか?作品が作られた世阿弥の時代の河原院跡なのか?それともそこを訪れた僧が、融の霊である潮汲みの翁に導かれて幻視する、その当時を基準にしても既に「かつて」のものであった、融が生きていた時代のそれなのか?いや、推敲の故事を踏まえて描き出されるその池の風景は、或は先ほど響いていたのではと思い当たる門を叩く音は、現実の出来事であるというよりは、世阿弥が編み上げた仮想の空間でのそれ、「芸術」のみが産み出すことのできる「ありえたかもしれない」風景ではないのか?

勿論、それを現実に舞台の上に現出させるのは、シテを始めとする演者の技量である。何もない舞台で、装束と面と潮汲み桶の小道具による仮装のみによって、そこに潮汲みの翁が現われ、しかもその存在感は詞章の進行に応じて微妙に濃淡を変える。それに応じて現われては消えていく幾つもの時空を異にする世界を自在に行き来することを可能にするその力は、テクノロジーに支えられた今日の仮想現実に遜色ないどころか、専ら知覚や感覚を騙す技術に依拠するそれよりも、人間の備えている想像力のポテンシャルを汲み尽すという点で勝っているとさえ言えるのではなかろうか。

だが、勿論、作品の出来、演者の技量はあれど、それらは能の作品一般に言えることだろうことは、数々の名作を香川さんの舞台で拝見してきた経験から断言できることであって、冒頭に述べた印象は、それに加えて、この「融」という作品が持っている性格によるものなのではないかと思う。

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源融というのは実在の人物ではあるが、この作品の典拠になっているのは、一つには作品の舞台となった河原院の造営の故事であり、もう一つはその没後に起きた怪異に関する伝承のようだ。後者は例えば「江談抄」、あるいは「古事談」「今昔物語」に収められているが、それ自体が能のプロットにできそうな話であり、実際に、観阿弥作とも言われる古作の能は、寧ろそちらに近いらしい。荒廃した河原院を訪れた僧といえば、有名な「八重葎」の歌を詠んだ恵慶がいるが、同じく定家により選ばれた「陸奥の…」の歌が、遡及的に怪異譚を生み出すのに影響があったという見方はできないだろうか?だが世阿弥作の現行曲は、河原院造営の故事拠りつつ、後者については、既に荒廃している河原院を訪れた僧の前に融の霊が出現するという構造のみを借りているようであるけれど、前場がピークに差し掛かったところで、突然手を打って、何かに思い当たって我に還るところ、あるいは後場での名乗りには、怪異譚の翳が差しているという解釈も可能だろうが、舞台の印象は、寧ろ、今日の感覚からすれば権力者の道楽といった醒めた見方も可能な程の、或はそこに執念を感じ取ることさえできそうな、異郷の風景をこの場に再現しようとする思いの強さが勝っているようだ。膨大な人手をかけて、かなりの距離のある難波からわざわざ潮を運び、それを使って自邸で塩を焼いたという伝承は、今日的には、これまたヴァーチャル・リアリティの試みでなくてなんであろう。そして仮装現実の維持は、それが規模の大きな、徹底したものであればあるほど大きなコストを要することになる。恵慶がそうであるように、ワキの僧もまた、そうした夢の跡の廃墟を目の当たりにすることになる。

そしてその廃墟に、一時だけかつての仮想現実を甦らせるのは、今度は言葉の力、芸術の力なのだ。そしてそれは河原院という場所さえ離れて、数百年の年月の隔たりを超えて、何もない能舞台の上に、ありえたかもしれない現実の様々な相を現出させる。冷静に観れば、少なくとも前場は、僧が訪れた現実の河原院の廃墟の中で物語が進行していることになるのだが、見所が舞台上に見る風景は、それに留まらない。空間と時間が常とは異なる仕方で繋がっている、特殊な時空を経験することになる。現在の河原院辺りの風景を確認しようとすれば、今や現地を訪れなくてもGoogle Street Viewのようなツールを介して、仮想的に諸国を一見することが可能になっている。だが、舞台で繰り広げられている時空は、そうした現実の劣化したコピーではない。人間の持つ想像力の限りを尽した、「ありえたかもしれない」、だが現実にはどこにもない、「極東の架空の島」の或る場所がそこに現出しているのではなかろうか。

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そんなものは幻に過ぎない、実は存在しないのだ、と言うだろうか?だが、近年の研究によれば、生々しい現実感を伴う「現実」の知覚の「感じ」は、実際には情報処理の結果、編集されて、あたかもそうであるように思いこまされているに過ぎない、ということがわかってきている。それをもって「現実」そのものを虚構、幻想と見做す消去主義的な立場もあるが、私見ではそれはクオリアは存在しないとする立場と同様、不毛なものに感じられる。それは言ってみれば、向こう側にしか存在しない判断基準がこちら側にないことを根拠に、区別自体をないものと見做す誤謬に基づくものであり、一見して先入観や臆見を批判しているようでいて、実際には、そうすることにより自分だけは特権的な立場にいると思い込む夜郎自大に過ぎない。かてて加えて、もし手前に区別すべき多様な存在の様態があるのであれば、非実在のもとにそれらを葬るのではなく、それらについての存在論を編み上げるべきなのだと思われてならない。観能の感想を超えてしまうので、ここでは目配せをするに留めるが、例えばネルソン・グッドマン的な意味での「世界の制作」として「芸術」を考えることから折り返すようなアプローチが考えられるだろう。「心」そのものではなく、「心」が作り出す「作品」(マーラー風には、それはまさに「世界」の制作に他ならない)を通して「心」と「現実」とに接近することができるのではないか。

ある哲学者は、テクノロジーの発達により将来可能になるとされる人間のサイボーグ化に関して、実は人間はもともと、言語を獲得し、文字を獲得し、アーカイブを外部に蓄積することを始めた時からサイボーグのようなものであり、その身体は生物学的な身体を超えた広がりを持っているし、その心は決して生物個体の中に閉じ込められているわけでもないという主張をしているが、もしそうであれば、それを実感するために、何も最新のテクノロジーなど必要としない筈である。そして実際に、この日に演じられた「融」の能は、まさにそのことを実感させるような強さと深さを持ったものであったと私には感じられた。そして同時に、人を欺く技術としてのヴァーチャル・リアリティーではなく(融が河原院造営で目指したのは、一見そのように見えたとしても、そういうことではなかった筈であるし、少なくとも、それをこの不朽の名作に作品化した世阿弥の意図は別にあった筈だ)、ヴァーチャリティーに向けて開かれた人間の想像力と創造力こそが解き明かすべき領域なのではないか、というようなことを演能の記憶を反芻しつつ思わずにはいられない。少なくとも演能が開示した世界の豊かさと広がりは、私のような人間には到底汲み尽くし得ないような程のものなのだ。同じ作品の同じシテの演能も、時を隔て、場所を違えれば、都度新しく、より深く、広がりあるものとなることにも素直に圧倒されざるを得ない。だがそもそも、実は私の能力のせいで、これだけの豊かさを一度で汲みつくすことはできないのではないかという気もする。それほどまでに細部の隅々にわたるまで気の行き届いた世界は、卑小な自分が住まっていると思い為している現実で完結しているわけでは決してなく、「私」を超えて無限に広がっていて、それは原理的に「私」には汲み尽せないのだ。些か抽象的な言い方になるが、この日の観能が私に語ることを要約すれば、行き着くのはそうした認識のように思われる。(2018年8月25日公開)

2018年4月29日日曜日

「第14回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成30年4月1日)


「第14回香川靖嗣の會」
能「桜川」

シテ・香川靖嗣
子方・内田利成
ワキ・宝生欣哉
ワキツレ・則久英志
ワキツレ・野口琢弘
ワキツレ・大日方寛
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌幸弘
小鼓・成田達志
大鼓・國川純
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・内田成信・友枝雄人・金子敬一郎・大島輝久

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今年の桜は早かった。既に彼岸過ぎには満開で、4月になると間もなくあっという間に散ってしまう。 毎年の春の恒例の「香川靖嗣の會」の今年の番組は「桜川」、恰も予めそれを見越したかのように4月1日の日曜日に 開催され、目黒駅から能楽堂までの道の途中にある満開の桜が早くも散りつつある中を往復しての観能となった。

私事になるが、実はこの回に先立つ第13回、昨年秋の「山姥」の演能は拝見できなかった。初回より欠かさず拝見して きたけれど、途切れる時には誠にあっけない。昨年は春にも、それまでしばらく欠かさず訪れていた さるオーケストラの定期演奏会、しかもプログラムに作品の紹介文を寄稿までした演奏会に行けなかった。 取るに足らないことと言ってしまえばそうなのかも知れないが、年に何度も能楽堂やコンサートホールに足を運ぶ 人にとってのそれと、私のように極限られた機会にしか訪れない人間にとっては重みが異なる。

そして今回「桜川」も、舞台を拝見できるかどうか前日まで予断を許さなかったのであるし、当日も拝見したのは 「桜川」一番のみ。番組では後に続いた狂言も、仕舞「熊坂」は拝見を断念して能楽堂を後にした。 「桜川」の前日の夜は件のオーケストラの今年の演奏会だったのだが、これもキャンセル。そうした中、 同行者の歩行を気遣いながらの往復となれば、桜の景色も同じものではありえない。そして当然、そうした心理は 観能にも翳を落さずにはいない。

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この日の番組は、それまでの十数回と番組の構成が異なって、冒頭恒例の馬場先生のお話はなく、いきなり 能が始まった。その代わりということであろうか、会場で配られたブログラムには馬場先生が寄稿しておられる。 観能の回数が限られる私にとって、演能の時空は、それを囲繞する日常のそれとの間に或る種の不連続面を 持っていて、これまでは馬場先生のお話を拝聴しつつ、その断層を横断していたことを思い起こさずにはいられない。 これもまた演能の内容のみに専念する方にとっては瑣末ということになろうが、口開けにワキツレの人商人が現れて 事情を述べるのが、まるで舞台と現実とのあわいでのことのようで、幕が上り、シテが橋掛りに 現れると漸く風景が見えてくるように感じられる。

これは後から気付いたことなのだが、この曲にはいわゆる道行がない。 勿論、ワキの僧と子方の桜子の寺から桜川への道行がないわけではないのだが、 物狂のシテの方は桜川に既に先に到着しているのだ。桜川は実在の地名のようだが、近隣さえ訪れたことのない私には、 それは寧ろ演能により舞台上に浮かび上がる想像上の場所、再会のための特異点のようなものに感じられる。 もしかしたら、現実に過去に数多起きたであろう類似の出来事のどれとも同じではない、ありえたかも知れない 風景なのではないか。まるで夢の中で訪れた場所のように、時として現実以上に生々しいクオリアに満たされながら、 現実の中には場所を持たないユートピア(非-場所)での出来事のようだ。

勿論シテは自分で筑紫からの道行があったことを語るが、その道程をその場で再現するわけではない。 寧ろそれはこの場に木花開耶姫を呼び出すためであるかのようだ。 世阿弥の手になるらしい、シテや地謡が紡ぎ出す詞章の絢爛さが、或はまた、いわゆる「網之段」を核とする シテの所作の鮮やかさが、現実にはありえない程の舞う桜の散乱で舞台を埋め尽くし、 見所まで香りが届くかの如き心地である。 現実にはこれほどの桜が散れば、もはや枝には桜がなさそうなものだが、あろうことか、 枝は尚一面の桜花に埋め尽くされている、まるでそうした場でなくては再会は生じないのだと いうばかりに、、、

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「桜川」を拝見するのは二度目、20年も前、能を見始めて間もなくの頃に、珍しく他流での上演で拝見したそれは、 駘蕩としつつどこか鄙びた、仄かに明るい風景を見せてくれたという印象のみが残っていたのだが、 今回のそれは寧ろ、「再会」の奇跡が起きるとしたら、その瞬間はどのようなものでありうるかというのを 舞台の上に示したものに感じられた。聊か突飛な連想であることを承知で言えば、「我が子の花は何故咲かないのか?」 という嘆きに接して、例えば曾我物語の或るバージョンにおいて、その結末で年老いた虎御前が自らも空しくなる直前、 咲き誇る夜桜の枝に十郎の姿を見るというくだりがあるのをふと思い浮かべたりもしたのである。 勿論「桜川」は現在能であって、再会は現実のことなのではあるけれど、単なる再会の物語であることを超えて、 それはどこか神話的な非現実感を思わせる点で、寧ろ夢幻能に近い感覚さえ覚えた。物狂というのもまた、 そうした「再会」に至るための心的変容のプロセスとして考えることができるのではなかろうか。

思い起こせば一年前には、同様の状況で、全く異なる残酷な現実を直視した元雅の能「隅田川」を拝見したのだった。 世阿弥作とされる「桜川」と元雅の「隅田川」との対比はあまりにも鮮烈で、更には「桜川」における些か作為の過ぎた状況設定もあって、 それを単なる人情話的な現在能として受容することはできない。自己を喪い、自己の背後から呼び掛ける声(それは 自己の下で常には抑圧されている深層意識と見做してもいいし、より単純に、ジュリアン・ジェインズの二分心の 仮説において、そのように考えられているように、意識の成立以前の心の構造の残滓たる「隠れたる神の声」と 見做すこともできよう。或はまた、膨大な歌の引用がもたらす他者達の声の交響を見るべきなのかも知れない) に応じる「物狂」の果にしか「救い」はないのだという認識こそが示されているようにさえ思われたのであった。世阿弥が巧妙に仕組んだ詞章の織り成す世界は、そのまま「物狂」を通して見る「現実」に外ならず、だが無色透明な現実というのはそもそもありえず、人は皆、自分が埋め込まれた脈絡の厚みを通して、自分の「現実」に向き合う外なく、「物狂」というのはベイトソンの言う「無意識のエクササイズ」に他ならない、といったことが心を去来する。

そう思えば「桜川」という能は実に演じるに厄介な作品であるに違いない。 心理的な掘り下げとか解釈のような賢しらさは却って作品の姿をわかりにくくする危険さえあるのではないか。 寧ろ端的な謡や所作への没入こそが相応しいようにさえ感じられる。 勿論、それを可能にするのは長年の渉る修練がもたらす芸の蓄積の力に違いなく、それゆえ今回の上演は、 まさに作品そのものを「あるべきように」開示する稀有な出来事であったに違いない。

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上述のような繰言は、それ自体が賢しらな後知恵ではないかという反論があるかも知れない。 だがそれに対して私は、冒頭記したような状況での観能となった今回、このような優れた演能に接することが、 同行者にとってどんなにか大きな「慰め」となり、「癒し」となったかという事実を以て応えることができる。 比喩的に「慰め」「癒し」という言葉を使うのは容易いが、比喩としてではなく現実の出来事として それを体験するのは、それがささやかな日常の一部を構成するに過ぎないとしても、常ならば大げさな誇張としてしか受け取られない「救い」という言葉を使うに相応しい稀有な出来事ではないか。

10年以上、14回にも及ぶ蓄積の仮想的な断面を見ることができるとしたら、例えば、忘れもしない東日本大震災の直後の「朝長」のような「出来事」もあったけれど、今回は私的でささやかな、見所の座席のもう一つ隣には共有されえない、だけれども当人たちにとってはかけがえのない、しかも紛れもない「現実」の「出来事」であり、それゆえに外出が叶わず、常の年ならば決まって訪れた桜並木を訪れることが叶わなかった人間にとって、この上ない経験であったのだ。 そうした現実的な力を備えた経験を可能とした、香川さんを始めとする演者および企画に携わられた方々に 心から御礼を申上げて、結びの言葉としたい。
(2018.4.29暫定公開、5.3補筆修正)

2017年4月20日木曜日

「第12回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成29年4月1日)


「第12回香川靖嗣の會」
能「隅田川」

シテ・香川靖嗣
子方・大島伊織
ワキ・宝生欣哉
ワキツレ・御厨誠吾
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌幸弘
小鼓・曽和正博
大鼓・國川純
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・友枝雄人・金子敬一郎・大島輝久・佐々木多門

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4月の第1週の週末に催される「香川靖嗣の會」を拝見するようになってから、もう10年以上にもなることにふと気づいた。 昨年からは秋にも開催されることになったので、今回が12回目。初回の「絵馬 女体」を拝見して以来、 幸いなことに1回も欠かさず拝見することが叶って、今回は「隅田川」。 年毎に春の訪れのありようは微妙に異なって、今年は雨が今にも降りそうな気配の曇天。 綻び始めたまま、陽射しを待って歩みを緩めた桜の下、聊か沈鬱な風景の中を目黒の舞台を訪れるのは、 番組に如何にも相応しいように感じられる。

冒頭記した感慨は、それが恰も年中行事のように、すっかり習慣となっているが故に他ならないのだが、身辺の慌ただしさは徒然に移ろっても、まるで季節の循環の一部であるかのように演能を拝見できることが どんなに有難いことか、回数を重ねるにつれて、身に沁みて感じられる。世間一般には能は音楽劇の一種であり、 能楽鑑賞は趣味娯楽と見做されるであろうけれども、近年は多くても年に数回、もっぱら香川さんの演能のみを拝見する ばかりである私にとっては、それは寧ろ、季節の循環や暦日に従って毎年繰り返される宗教的な祭祀や儀礼に 近しいものと感じられる。勿論、こうした感じ方には、能楽そのものが今なお喪うことなく保持し続けている奉納的な性格、 そしてそうした性格と不可分の、観る者の奥深く、無意識の領域に迄働きかける力が与かっているのだろう。 そしてまた、これまでも拝見する度に、自分が経験している演能が、自分の容量を遥かに超えた豊かさと深さを備えていることを感じ、 辛うじて受け止めたものさえも、それを言語化することの困難を味わって来たが、今回は「隅田川」という作品の性質も相俟って、 それが極まった感があることを、帰路、迫る夕闇の中で更に深く憂いに沈むかのような桜の下を通りつつ感じずにはいられなかった。

恒例の番組の冒頭のお話の中で馬場さんは、ご自分が最初に御覧になった能が「隅田川」であったことを披露され、 初めて観る人にも、何十回と観ている人にも、それぞれ相応のものを与える能楽の奥深さについてお話されたのだったが、 私はと言えば上述のような次第で、「隅田川」を拝見するのはようやく二度目、もう十年も前になる前回の観能の経験を 今回のものと突き合わせて何事か論ずるだけの知識もなく、自分が辛うじて受け止め得たもの、その場で生じた出来事から すれば次元も解像度もお話にならない程縮退した、色褪せた残像に過ぎないものを記すのが精一杯である。 幾つもの場面、所作が、その時に感じた強い情緒的な反応もろとも、つい先ほど拝見したばかりかのように克明に 思い出されるのだが、それを記述しようと試みたところで到底、観たものに到達することはできそうにない。いつものことでは あるが、シテは勿論、子方も、ワキもワキツレも、囃子方も地謡も、更には後見に到るまで、全く弛緩することなく 全曲が演じられ、その完成度は、それが舞台で行われているフィクションであることを忘れてしまう程の圧倒的な上演であったことのみ記して、 具体的な細部については、それを能くする知識と経験をお持ちの方の評に委ねることとし、ここでは専ら、 自分が感じたこと考えたことのみを記すことにしたい。

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「隅田川」を前回拝見した時に感じたのは、元雅の手になるこの作品が、世阿弥的な能の形式をに巧妙にずらし、 顛倒させ、尚且つ能としての本質を損なわないばかりか、その組み換えによって作品に比類ない力と、全くオリジナルな深みとをもたらすことに 成功しているように思われるということであった。それはいわゆる複式夢幻能と呼ばれる形式を典型として思い浮かべつつ この作品に接すれば誰もが直ぐに気付くことであろうし、他方でそこから逸脱した作品は幾らでもあって、 その逸脱の力学は様々であるのだが、ことこの作品においてはそこに作者の元雅の明確な主張があり、彼の意図と密接な 関係にあるように思われたのである。

この作品は、分類すれば物狂いがシテである現在能ということになるのだろうが、 物狂いや道行を見せることに焦点があるわけではなく、それらは物語の背景を形成するに過ぎない。 あまりに有名な、業平の故事を踏まえた都鳥を巡っての遣り取りは、これも複式夢幻能の前場に多い、 所謂名所教えを踏まえてはいても、看過できない捻りが加えられていて、問うのはシテであり、しかもワキは シテに対して適切に応えることができずにシテに咎められるといった具合になっている。まだ挙げれば幾つも 指摘はできようが、このような組み換えの最大のポイントはと言えば、物狂いの能の定型である、約束されていた筈の 再会がここでは失敗し、結果として物語が強い悲劇性を帯びる点にあるのはよく指摘される点である。

馬場さんは初めて「隅田川」をご覧になった折、ワキの装束が渡し守としては不相応に立派に過ぎることを 不思議に感じたとのことだが、私が気になったのは、この作品には前場と後場を繋いで物語の経緯を説明するアイがおらず、 ワキがその役割を果たしているように感じられる点であった。 通常なら諸国一見の僧であるワキが道行を経て物語の起きる場所に辿り着くと、 それを待ち受けているかのようにシテが出現するのだが、ここではそれも逆転し、到着するのはシテの方である。 その後、シテとワキツレを乗せたワキの渡り守が隅田川を渡すことが、前場と後場を繋ぐ道行の代補となり、 その渡しの最中に、ワキが丁度その日に行われる念仏供養の由縁となった1年前の出来事を物語ることで 物語の背景が解き明かされるから、アイの登場する余地は残されていない。 常にはワキの同行者であるワキツレもまた、別の役割を与えられており、限られた語りの中で、いわば「第三の視線」として、 一見したところ不在となった本来のワキの位置にいるようでいて、寧ろ見所の代表のような役割を果たすように感じられる。

プロットから独立した舞事がないことと相俟って、そうした組み換えによって弛緩なく自然に物語の運びが実現されており、 その感触は寧ろ「現代的」な演劇に通じるものがあるといって良いように感じられる。勿論「現代的」というのは 己の属する時代の束縛を受けた都度都度の受容者側の認識であって、恐らくは寧ろ時代を超えた普遍性を備えていると いうべきなのだろう。それゆえまた、その「現代性」をもって元雅という人の天才を論じるのは片手落ちな見方に過ぎず、寧ろ そこに見るべきは、そこに込められた元雅の思いの深さなのだ、ということに気づいたのは、これは前回ではなく、 今回の演能に接してであった。

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とはいえ、上述のようなことを演能を拝見しながら考えたというわけではない。寧ろその場でまず思い当たったのは、 上述の役割をずらしていくプロセスの帰結として、不在となるシテの位置を埋めるのが、 実は子方の梅若の霊なのだという点である。のみならず、それが私が前回拝見した時に不思議に思ったもう一つの点、 即ち供養される側である筈の子方が自ら念仏を唱えて出現することとどこかで釣り合っているのだ、ということにも同時に 思い当たったのだった。それは例えば世阿弥の夢幻能であれば曖昧さ無くシテとワキに分配される、救済されるものと救済するものと の間の関係に揺らぎが生じているということなのだが、今回の演能を拝見して感じたのは、それが元雅の意図と一致し、 作劇法とも一致した一貫性のあるものだということであり、しかもそれは強い必然性を帯びているとさえ感じられたのであった。

かくして現在能の形式を取りながら、その中で夢幻能におけるが如く霊を出現させることで、祭祀的・宗教的な 性格を強く帯びるようになるばかりではなく、夢幻能では供養によってシテが成仏するプロセスに 焦点があるのに対して、ここでは視点の反転が起きていて、供養によって救済されるのは、寧ろ供養する側であることが 示唆されているように思われるのだ。そしてそれが元雅が企図したことであり、「人間憂いの花盛り」という認識から その憂いの最中にいる側が供養によって救いを得るということに正確に見合っていることに思い当たることになる。 そしてそれは単に物語の世界の論理に留まらず、恐らくは演能する者、更にはその演能を拝見する見所にまで及んでいるのでは なかろうか。

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このように書くと、如何にも分析的な見方をしているように 思われるが、これはその場で気づいたことを理屈で跡づけて見たに過ぎない。 実際、今回感じたのは、観る者を巻き込み、舞台の上で演じられているという虚構性を思わず忘れさせ、 時空を超えて供養に自らも立ち会っているかのような迫真性で心の奥底まで突き動かす、 その力の凄まじいばかりの大きさであった。勿論それもまた能楽というジャンルの持つ奥深さの現われなのだろうが、だからといってこの日に経験したようなことがいつも無条件で起きる訳ではなかろう。ひとつには上で自分が気づいた範囲でその特徴を記述した「隅田川」という作品の力があり、そしてもちろん、シテ、子方、ワキ方、囃子方、地謡から後見に到るまで、開曲から終演に到るまで全く弛緩することなく、まるで自己触媒反応を起こすが如く、相互に触発し合うことで達成された最高度の上演によってのみ実現されるものに違いない。舞台の上で起きている出来事が虚構であることを忘れ、自らも供養の 参加者であり、涙を堪えようとすれば、時折視線を逸らさなくてはならない程にまで 眼前で起きている出来事に烈しく心を揺すぶられるような経験であった。

そして自らも供養の参加者であるということは、まさに梅若の姿の目撃者であるということに他ならない。 梅若の姿は、シテの個人的な幻覚などではない。彼女に同情して供養に参加したワキやワキツレもまた、 その姿を見たに違いない。そして見所もまた、その目撃者となることを元雅は意図したのではないか。 この日の舞台は、作者元雅が意図した通りの、子方を出す演出であったが、「申楽談義」にて父世阿弥と 子方を出すことの是非について議論した際に、子方を出さない演出を提案する世阿弥に対し、 元雅が「えすまじき」と言ったその意図と心情とが圧倒的な深さ、説得力をもって伝わってきたと感じた。 元雅は是が非でも梅若を登場させたかったし、その気持ちは、作品の論理として貫徹されている、 そしてそれを今回の上演は揺るぎなく闡明した、と思われたのである。

実際、この日の舞台を観た者は恐らく皆、これで梅若が現れないとしたら、それはあまりに残酷に過ぎて耐え難いと 思われたに違いない。そして梅若の霊が現れたことを自らも確認し、供養がもたらした奇跡に安堵し、深いカタルシスを感じたのではなかろうか。 少なくも私はそう感じ、念仏をする子方の声が響いた時に供養の功徳が成就したと感じ、 剰えそうであることを「必然」とさえ感じたのである。ただしここでいう「必然」とは現実の世界の因果の謂いではない。 現実の世界ではその論理は完遂し難く、寧ろ脆く崩れ去ってしまう不可能なものであろう。だがそうであるからこそ、 その論理が完遂するような場が、虚構としてであれ、現実の中で実現することを願わずにはいられないのではないか。少なくとも元雅は、 冷徹な現実の最中で、そのようなものとして作品を企図せずにはいられなかったのではないか。

(例によってこれは些か突飛な連想と見なされるであろうから注記的に触れておくと、私は子方を出す演出に関して、 仏像というものの在り様のことを考えざるを得なかった。仏像の前で祈ることは、偶像崇拝ではない。祈りは仏像という オブジェ自体に向かうのではなく、仏像を通じて仏を念ずることだろうからである。そして仏像は美術品ではないから、 美的価値のみでそれを評価すべきではないこと、だけれども様々な造像があり、他方で観る者の心持に応じて、 同じ像が異なる姿を現すこと、更にはしばしば祈りの対象である筈の仏(像)がそれ自体祈っている姿に造像されること、 そうしたことをこの演能を拝見して思い起こさずにはいられなかった。更にはそれらは総じて、能を演ずること、 それを拝見することと通じているように思われてならないのである。否、能ばかりではなく、 それは芸術一般に通じるのかも知れない。序でに言えば、「隅田川」の称名は阿弥陀仏に対してであるけれど、 その阿弥陀の脇侍である観世音菩薩が相手に応じて様々な姿に変じて現れることも思ったし、更に音を観ずるという、 今日的には共感覚を思わせるようなあり方が、とりわけこの日の演能においては、一つには称名の声と梅若の出現という 「隅田川」という作品のあり方に、だがそれに加えてこの日の、まさに音を観、姿を聴くといった理想的な演能のあり方に通じているのではないかと 思い至ったのである。精緻に論じるだけの知識もなければ、確信を以て読み手を説得するだけの経験の裏付けもない私は、 寧ろ、この日の演能を経験することによって、こうした認識の門前にようやく立てたに過ぎず、それ故、括弧入れした 形で触れるのが精一杯であるが、このことに一言触れておかずにはいられず、追記した次第である。)

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馬場さんがこの作品の中核を示す詞として取り上げられた「人間憂いの花盛り」という詞は「生死長夜の月の影、 不定の雲覆へり」と続き、実際には月の光の下で念仏供養が行われるのだが、その光は、 例えば「伯母捨」がそうであったような荘厳な光の氾濫には程遠く、ともすれば朧に霞み勝ちのように思われる。 そうした薄闇の中、1年遅れて辿り着いた母の前に既に亡き子供が現れるのだ。 それは時間にすればほんの一時のことに過ぎず、互に手をとりかわそうと近付くと、その姿は儚くも消えてしまう。 だが、それが一瞬のことであったにせよ、念仏供養の声が、打ち鳴らされる鉦の音が、 梅若の霊を呼び起こし、出現させたという事実は残る。母親は確かに梅若の声を聴くのみならず、その姿を見たのだし、 そのことを供養に参加したワキやワキツレも見たに違いなく、母と共に彼らがこの供養の功徳を後世に伝えていったに 違いないのである。否、そこで梅若の姿を見、梅若の出現の必然を証言するのは、物語の世界の内側の登場人物だけでは ないのではないか。その優れた演奏により出現を必然のものとして可能にした演者の全て、見所の全てもひっくるめて そうなのではないか。「人間憂いの花盛り」を我が事と感じたのは、演能の場にいた全員であったのではないか。 演じられる虚構と演じる現実の区別は、常には裁然たるものであるし、例えば演能を批評するため にはその区別は前提であろうが、私はことこの日の演能に関しては、その区別が乗り越えられ、廃棄されてしまったが 故に可能となった経験の側につきたいと思うのである。

梅若が舞台の上に一瞬だけ出現し、母の姿と交錯するが早いか塚の中に消えてゆくことによって、その後のキリの 風景は意味合いを全く変えてしまうかのように思われる。夜明けの光の中に見えるのは現実には草生した塚だけであろう。 梅若が蘇生するような奇跡、あるいは梅若が1年前に世を去るのとは異なった因果の成り行きは我々の生きる この世界の現実には用意されていないのだ。そうしたこの現実の世界とは異なった秩序が支配する世界と 一瞬だけ触れ合った後のキリの風景は異様である。梅若は決して蘇りはしなかった。 だが梅若の姿は供養を共にした者達にとって、紛れもない現実であった。勿論それは客観的には、せいぜいが 共同幻想として片づけられてしまうのかも知れない。だがそれを幻想と呼ぶにせよ、今ひとつの現実と捉えるにせよ、 そうした機序を乞い求める現実は紛れもなく存在する。しかもそれは「隅田川」の能の舞台となった中世に固有の事情などではない。まさに能が演じられる今、ここの現実においても状況は変わるところがない。そうした現実と日々対峙しなくてはならない 「憂いの花盛り」に居る人間とは、今ここで演能を拝見する自分達のことではないのか。

夜が明けて、演能も果てて、作品の外側の現実が戻ってくる筈の終演のひととき、作品の内外のあわいを歩むかのように 橋掛かりを通って舞台を去るシテの姿に、上述のような体験を経た見所は何を見ただろうか?能を観ることにより 自分の内側に侵入してきた何物かに浸されたまま、自分もまた同じように能楽堂を去っていく他ない。だが、その後に 来るものは、観る前と同じ現実である筈はない。供養の功徳により梅若の姿を一瞬でも観ることが叶った母は、 (梅若伝説のあるバージョンの伝えるところとは異なるが)身を投げて果てるようなことはなかったのではないか。 見所もまた「憂いの花盛り」の現実に戻っても、同じ風景を見てもどこかが違う。それを言い当てることなど 到底できないけれど、或はまた他人が見ても一見して違いがわからなくとも、自分の奥底に何かが降りてきて、 それにより何かが変わったように思えてならない。いや寧ろそれは予感に近いもの、変わっていくポテンシャルを 獲得した、否、もっとささやかにその契機を得たに過ぎないかも知れない。一般にはモダンで悲劇性の強い作品と 呼ばれる作品を拝見して、だが私が拝見し終えて感じたのは、救いのない現実に対する絶望ではなく、寧ろ ベクトルとして逆を向いたものであるように感じている。勿論これは、私だけの主観的な感じ方かも知れない。 例えば、(とはいえ、これは思いつきで持ち出すのではなく、あの終演の感じに似たものとして、終演の折、 自分の中から浮かび上がってきたものなのだが)マーラーの第9交響曲の終曲のアダージョを聴いて、 そこに何を読み取るのかは人それぞれなのと同じことかも知れない。自作の「子供の死の歌」の引用をはじめとする 断片がきれぎれに白んでいく空に漂うのが見え、夜明けの風景が聴こえるそのコーダは、主体が揮発して 空と化する地点を示していながら、しばしば解説として見かける「死のアレゴリー」という言い方には 大きな誤解が潜んでいるように思われて、到底首肯できないのだが、それを同じようなことを私は ここでも感じたのである。

更に、これは是非とも付け加えて置きたいのだが、これまで記してきた、私の中に湧き上がってきた思念や認識が、後から想起しても尚、生々しく蘇る光景の凄まじさ、リアリティに根差したものであることに気付いてみると、この日の演能が如何に素晴らしいものであったかに思い当たるのである。例えば、上に記したキリの風景にしても、私は塚の作り物が置かれた能舞台を見所から眺めていたに過ぎないというのが客観的な現実の筈である。基層の響きのように確かに聞こえていた筈の川の流れる音、水辺の空気の持つ匂い、刻々と変わる光の調子、それらは全て、シテの所作が生み出したものなのだという事実を前に、私は絶句せざるを得ない。そもそも私は現実の梅若塚を訪れたことがないのである。勿論それは、これまでも記してきたように、香川さんの演能の度に、見方によってはごく当たり前のように起きていることなのだけれども、そもそもそれがごく当たり前に起きるということ自体、如何に稀有で、当たり前などとは言えないことであるか。

私は梅若の供養の場に自分もまた本当にいて、その一部始終をこの目で見て、それを証言しているとどこかで思ってしまっていて、そう思う方が自然であることに気づいて、絶句せざるを得ない。まだ年若く、しかも鄙びた周囲の風景にそぐわない雰囲気を漂わせている物狂いの女が、渡し守に向かって彼方の鳥の名を問うた時に、自分もまた、川辺に遠く、都鳥を確かに見たと、或は、渡し守にが自分が一年前に儚くなった少年の物語をして聞かせた物狂いの女性が、その子の母と知った時の「言語道断」という詞の響きを、その時の母親の表情ともども、自分もまたその場に居合わせて我が事のように受け止めたと、更にはまた、母親が鳴らす鉦が響き、称名の声が交響する中に、ひと際高く、子供の声が混じった時の母親の表情を、そしてその直後の「なうなう今の念仏の声は、、、」と問う母の詞の持つ、形容しつくせぬ響きを、その場で聴いたとしか思えないのである。否、こうして書き始めれば、果てがない、ないからこそ、最初に具体的な細部については書かないと宣言した筈ではなかったか、、、

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如何なる言葉を尽しても到底及びもつかないような経験というものがある。単に自分の言語的な能力が、 その深みや質に及ばす、それに見合った仕方で表現することが困難であるというのではなく、 寧ろ原理的に経験を後から言語を媒体として定着させるという方法自体がそぐわないと感じられるような 類の経験というものがある。自分が自分に可能な限り受け止めたものは時間の経過にも関わらず、 まるでつい先程経験したことのように生々しく、克明に想起できるのだけれども、言葉で説明することに 抵抗するような経験というものがある。総じて能というのは、それが優れた演能である場合には、 必ずやそうした側面を幾許か含み持つものであることは、これまでの香川さんの演能を拝見してきて 都度感じてきたことだった。更に加えて、演能が行われる外的な一度限りの状況が、それ故にその演能だけしか 原理的に持ち得ないアウラを付与することもあるだろう。(このように書きながら、私は東日本大震災の直後の「朝長」のことを思い浮かべている。)だが今回の演能に接して感じたのは、それらのいずれとも 異なる質の経験、通常、単なる演劇の鑑賞の場では恐らく不可能な、だけれども能楽では可能な、上演がそのまま儀礼・祭祀と化してしまうかのような経験であった。

「隅田川」の能の典拠である梅若伝説は、それ自体は厳密にはフィクション、虚構ということに なるのかも知れない。現在においても能舞台の外で、梅若塚が実在し、供養が営まれているけれど、 それはある種の転倒の産物であるという見方もできよう。しかもそれは梅若伝説に限った話ではなく、 多くの霊験譚や縁起というのは須らく後付の脚色を伴っていて、そのまま事実と見做すことができないのであろう。 だが、偶々読んでいた白洲正子さんの観音巡礼記にもそうした考えが記されていたように記憶するのだが、 伝説にも、単なる事実だけを見ていたら取りこぼしてしまう「真実」があるに違いないし、 翻って、舞台の上で演じられる供養という点ではもう一レベル虚構の度合いが高い筈の演能に、 逆説的に、現実の供養では時と共に変質して、もしかしたら損なわれ、喪われてしまったかも知れない「真実」の 記憶が、数世紀の長きに亘って保持され続けていて、その一端に触れたという確かな実感を持ったのである。

梅若伝説に因んだ議論の一つに梅若が亡くなったのは隅田川の西岸か東岸か、というものがあるらしい。 だがこの日の演能に接して感じたのは、事実の詮索以上に、それが川辺で起きたというトポスの設定、そして 渡河という行為の持つ象徴的な意味合いの方であった。人はそこに、どうしても三途の川や賽の河原を 重ね合わせずにはいられないし、川というのが結界であり、渡河は疑似的な仮死の経験であって、 供養というものの本質が端的に示されていて、異界である向う岸においてこそ、梅若に再会することが 可能になるというのもごく自然に理解できるように感じられる。

そしてシテである母は一人で渡河するわけではない。有名な渡し守と母とのやり取りでは梅若という名前とともに 彼の命日である3月15日という日付が確認される。梅若の死は既に起きてしまい、取り返しのつかない、 反復不可能な一回性の不可逆な出来事だが、供養という営みは、不可能な反復というアポリアに挑むことによって その日を記念し、記憶する。梅若の死が忘却の河の流れに押し流されることなく記憶されるためには、否、 そもそも幻想であろうとなかろうと、母が梅若との再会を果たすためには、ワキやワキツレに代表される人々が 1年後の3月15日に供養を営まなくてはならなかった。供養を行うのは、梅若の死に遭遇した母親一人ではない。 ワキやワキツレも一緒に向う岸に渡って、共に供養をし、恐らくは共に梅若の姿を垣間見るのである。 少なくとも元雅の論理はそういうものであったに違いない。元雅はそうでなくてはならないと思えばこそ、 子方を出すことにあれ程拘ったに違いない。この日の演能を拝見して私はそれを理屈で納得したというよりは、 そのように悟らされた、それは冷静な分析的な認識ではなく、そうでなくてはならない、という強烈な共感を伴う 直観として私の心を満たしたように思う。

こうしたことは冷静な人から見れば、半可通で能に接している人間の滑稽な思い込みに過ぎないかも知れないが、 それを認めた上で尚、この日の演能が、例え錯覚であったにせよ、そうした直観を惹き起こす力を備えていたという 事実は残るであろう。更に言えば、「隅田川」の能という形式の中で行われる梅若の供養、梅若の母親の供養は、 その背後にある、個別には記憶する者が絶え、忘れ去られてしまった無名の数多の梅若達、梅若の母達の供養でも あるのだし、数世紀に渉り繰り返されてきた「隅田川」の演能を通じ、その都度の見所の供養でもあり、 その一端に自分が連なっているのだという印象を持ったのである。勿論、神事仏事がそうであるように、 記憶の継承にとっては儀礼が反復され、継承されることが第一義的に重要なのだろうが、優れた演能は 単にそうした記憶に事実として与かるだけではなく、自己の関与の持つそうしたパースペクティブへの気づきを与えてくれる ものだとするならば、この日の演奏はそれを私のようなたった二度きり「隅田川」を拝見した人間にすら 可能にした、稀有な達成であったに違いない。そしてそうした気付きに関してならば、 これまでも香川さんの演能を拝見してきて、都度感じてきたことではあるのだが、今回は、 加えて「隅田川」という作品の持つ比類ない力により、個人の寿命のスケールを超えた大きなものに触れることができただけではなく、 更にそれを拝見することで自分がそうした大きなものに与かることが叶ったような感じがする。 このような経験を可能にしてくださった香川さんをはじめとする演者の方々に感謝の気持ちを述べて、 拙い感想の締めくくりとしたい。 (2017.4.20暫定公開, 22加筆修正,27修正)

2016年9月18日日曜日

「第11回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成28年9月3日)


「第11回香川靖嗣の會」
能「遊行柳」

シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生欣哉
ワキツレ・大日向寛
ワキツレ・御厨誠吾
アイ・山本東次郎
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌幸弘
小鼓・鵜澤洋太郎
大鼓・國川純
太鼓・観世元伯
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・狩野了一・友枝雄人・金子敬一郎・大島輝久

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毎年春に開催される「香川靖嗣の會」が今年は秋にも催されるということで目黒の舞台を訪れる。 一月前には川崎で「六浦」を拝見しているから、今年三度目の観能。近年は多忙にかまけて年一度という ことも珍しくないので、このように拝見できる機会をたくさん頂けるのは只ゝ有難いことである。 能の演目は「遊行柳」、前に狂言「鐘の音」が演じられたが、こちらも川崎の「佐渡狐」に続けて 山本則俊さんの圧巻の舞台が拝見できたので、別に感想を纏めることとして、以下では「遊行柳」の 感想を記しておきたい。

*   *   *

恒例の最初のお話は金子直樹さん。非常に丁寧な解説で、「遊行柳」についてはそれが観世信光の 晩年の作であり、世阿弥の「西行桜」を意識した作品であることを軸にして、対比をさせながら 「遊行柳」の特徴を説きおこす内容のお話だった。私は以前に一度だけ「遊行柳」の舞台を拝見した ことがあるが、その時の印象は率直に言ってあまり良いものではなく、率直に言えば、それ以降、 寧ろ苦手な作品であるという意識があって、故に、香川さんが演じたらあの作品が どのような光を放つだろうと思いつつ舞台に足を運んだという事情もあって、お話の趣旨は勿論、 この作品の独自の魅力に目を向けさせるといった方向にあったに違いないのだが、図らずも事前に どこがしっくりこなかったのかをおさらいをするような感じになってしまった。

私のような能の万年初心者が作品の出来を云々するなどもっての外の事かも知れないが、 それでも自分が知る限り、能の作品の中には観る者の心に入り込んで、時として生き方を 変えてしまうかも知れないような作品もあれば、奉納としての性格をはっきりと持つ作品もある 一方で、小品ではあるけれど、演じ方によっては非常に味わい深く、観る者をひととき魅了する ような作品もある。勿論、観る者の側のキャパシティもあり、当日のコンディションもあり、 作品の価値を正しく受け止められないということもあるのだが、この「遊行柳」は、理由は何であれ、 私にとって受け止め方の難しい作品であることは間違いない。そして結論を先に書いてしまえば、 そういう感覚は、またしても圧倒的な舞台となり、以前の印象を全く書き換えてしまった今回の 演能に接した後でも、まだ完全になくなった訳ではないように感じられる。

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演奏は今回もまた、たいそう充実したものであったと思う。曲頭の囃子も決して重たく もたれることなく、むしろ淡々と寂れた雰囲気を設定するし、その中で前シテが遊行上人に 声をかける瞬間の鮮烈さは、香川さんの舞台ならではのもの。その後西行の故事を中心とした語りが 続き、それが済むと作り物の陰に隠れるようにしてシテの演じる老人が消えてしまうまでは あっという間である。前シテの老人は「上品な」という形容が充てられるようだが、単に上品である だけではなく、丁度脇能の前シテの叟がそうであるような、老いとは一見したところ相反しかねない 生気をも感じさせ、後場の老い木の精の性格の未来完了的な予示となっているように思われた。

アイの里人は山本東次郎さん。格調高い、見事な語りに圧倒されているうちに時間が経ち、 作り物の中で行われている物着の時間つなぎであることなど微塵も感じさせない。

その後、太鼓も加わった囃子に導かれて後シテが作り物の中から現われる瞬間の、空気の感じや 光の調子が一変して、舞台上はおろか見所も含めた空間全体を包み込んでしまう有様は香川さんの 演能を拝見してきて一度ならず経験してきているのだが、今回もまた圧倒的なものであった。 そこに居るのが植物の精であるという、かつてはいざ知らず、現代の日常においては全く疎遠な認識の 様態が、ごく当たり前の、自然なことであるように可能になることの不思議さは、こればかりは 実際の舞台に接してみなければわからないだろう。例えば人間の幽霊を演じるのであれば、 寧ろ過日の面影が蘇ったかのように生々しくということも可能だろう。だが、人ならぬ神であったり 植物の精であったりということであれば、人間とは異なる他者となり、そうした者が持つであろう 存在感を纏わなくてはならないということになるのだけれど、香川さんはそうした閾を、 いともやすやすと乗り越えてしまえるのである。いや、「やすやすと」というのはあくまでも 見所で結果だけを受け取る者の気安さが可能にしている言い方であって、実際にそれを あたかも「やすやすと」乗り越えてしまうためには、どんな修練があり、どんな芸の秘密があるのか、 どのような心持ちにより可能となるのか、最早、観る者の想像を超えてしまっているという他ないのである。

ところがその後、序の舞に到るまでの、本来ならば聴かせどころであるべき部分が、やはりどうも うまく受け止め切れない。舞台で起きていることを眺めていればそんなことはないのに、 謡の内容がそこに重ねては更に上書いていくイメージの連なり方が、うまく焦点を結びつつ ある種のコヒーレンスを保って変転していくに到らず、次々と方向を変えつつ切り替わっていくので、 頭ではその繋がりを追えたとしても、どこかで実感が追い付かない感覚が残ってしまうのである。 これは謡の表現力が足りないということではなく、舞台上の所作がそうとわからないというような ことでは全くない、寧ろ逆に、友枝さんを地頭とする謡の表現が豊かであるが故に、またそうした謡の変化に 応じた香川さんの演じるシテの、例えば御簾が揺れたり、蹴鞠を暗示したりする所作が鮮明であるが故に、 一層その感じがましてしまうように思われてならない。前回「遊行柳」に接した時の印象は跡形もなく 掻き消されてしまって、只々舞台の上で起きることに見入る他ないのではあるけれど、作品自体が それが定着することを妨げている感覚をところどころで抱いてしまったということである。

例えば、「柳桜をこき交ぜて」という、和歌に基づく有名な一節、冒頭触れた金子さんのお話のお題でも ある一節も、それに続く故事との重畳というものが生じる暇がなく、次々と、一つ一つはそれなりに 趣があるだけではなく、固有の奥行を備えた場面が切り替わっていくのを受け身で眺めている感じになってしまう。 金子さんのお話によれば、それこそが信光の持ち味なのだ、ということになるのだろうが、 結局のところその持ち味が、少なくとも私にとってはかえって印象を薄める結果になっているように しか思えないのである。

*   *   *

そうした印象も、序の舞に到達してしまえばたちまち掻き消えてしまう。信光が誂えた文脈を超えて、 舞はまっすぐに、人間の寿命を超えてひっそりと生き続ける巨木のイメージに辿り着くかのようだ。 そう、ここでは朽木の姿をしていたとしても、それは春が巡るたびに蘇って青葉を茂らせる、人間の 尺度からすれば永遠にも比すべき生命力とどこかで繋がっているように思われる。舞台を離れれば、それは 倒れて埋没しても再び発芽してくる逞しい生命力を持つが故に、霊が宿ると考えられ、風に揺れる古木の枝から 幽霊のイメージに繋がり、反転して却って死を連想させさえするという柳のイメージに繋がっていくのかも 知れない。遠く離れた西洋における柳がユダが首を吊った木、別離や死との強い連想を持ち、墓地に植えられる ことの多い木でありながら、他方では悪魔を払い、占いを行う杖であり、オルフェウスを悪魔から救った 存在でもあるという両義性もまた、人間とは全く異質の生命を持つ存在に対する感受性の産物なのであろう。

いや、このように書くのはその場に出現した出来事を歪めているという非難を受けることになるかも知れない。 序の舞そのものは、老体の能に相応しく、運びもたどたどしく、流れる時間も時折、一休みするかのような 淀みを生じながら続いていったのであって、寧ろそこには、植物もまた、一つ一つの個体としてみれば 遺伝子の搬体として有限の生命と老いとを運命づけられていることをも認識させるようなものだったから。

だが、にも関わらず、やはりそこには老いだけではない永遠の生命を思わせるような何かがあったように 私には感じられたのである。そしてそれは、その前では植物も人間も隔たるところのない、「仏性」と言われる何か と関わりがあるもののように思われた。ある意味では「永遠に老い続ける」柳の精は、祈り、感謝しつつ舞うことで その老いの向こう側にある何かに、舞っている瞬間だけは実際に触れているという感じを持ったのである。

ここで些かの逸脱をお許し願えば、これは遊行ではなく禅宗の道元の「正法眼蔵」なのだが、例えば「このゆえに、 花開の万木百草、これ古仏の道得なり、古仏の問処なり。」から「心仏はかならず古なるべきがゆえに、古心は 椅子竹木なり。」(「古仏心」)という認識へのプロセスを思い浮かべずにはいられない。 ここで最後の「古なる」とは寧ろ本源とか真理とかに近いものであろうが、信光がそういう詞を書いた文字通りと いうことではなく、まさにここで道元が言葉を組み替えて意味をずらすことによって己が得たもの言い当てようとする 運動と通じるものを、演能に観ることができたように感じられるのだ。それは作者によっても演者によっても 意図されたものではないだろう。まさにシテが演じる老い木の精が体現するように、老いの受動性の先にある「脱落」 (これもまた、道元の文脈での意味を重ね合わせて頂いて構わない)を見据えた時、あの序の舞こそ「修証一等」を 具現したものと見ることはできないだろうか、という消し難い印象を持つのである。更に言えば、 「悉有仏性」もまた、一般的な「草木国土悉皆成仏」といったポテンシャルとしてのとらえ方よりも、 道元が「正法眼蔵」で用いた、エネルゲイアとしての捉え方の方が、演能を通じて感じ取ったものにより近いようにも 思えるのだ。

*   *   *

こうした感じ方、老いの中に永遠の生命に通じる何かを見るという認識の在り様が、信光が意図したところであるか どうかは私のような素人には詳らかしない。だが、事前に用意された詞の寧ろ余白の部分においてであれ、 今回の演能に接して私が受け取ったものにそうした側面が含まれたいたのは事実だし、その余白は能が様式的に 備えていて、単なる演劇と見なすことに最も強く抗い、奉納や祭祀といった呪術的なものへの通路となり、 そうした思考から遠ざかった人間に対してさえ、その心理の奥底の無意識的な部分に働きかけることを可能にする 側面なのである。

能を見ることについて知識も豊富なら技術的な細部にも通じておられ、なおかつ 瞬間瞬間に奥深い部分まで汲み尽くすことが出来る多くの優れた見所の方々がおっしゃる香川さんの演能の持つ 硬質の肌触りと人間離れした透明感、そして長年の厳しい修練の賜物である揺るぎない技術は、或る時には作者の意図や 作品の出来を超えた何かを提示することがある、そうした貴重な場に立ち会うことができたのではないかというような ことを、今回の演能を通じて強く感じた。最後にこのような貴重な経験をさせていただいたことに対し、香川さんを はじめとする演者の方々に対し敬意と感謝の意を表するとともに、年に2回の公演を企画され、運営に携わられた方々にも 同じく敬意と感謝の気持ちを述べて感想の結びとしたい。(2016.9.18公開)

2016年8月28日日曜日

「第108回川崎市定期能」(川崎能楽堂・平成28年8月6日)


「第108回川崎市定期能」第1部
能「六浦」

シテ・香川靖嗣
ワキ・森常好
ワキツレ・森常太郎
アイ・山本泰太郎
後見・友枝雄人・友枝雄太郎
笛・栗林祐輔
小鼓・森貴史
大鼓・大倉慶乃助
太鼓・小寺真佐人
地謡・大村定・中村邦生・長島茂・友枝真也・谷友矩・塩津圭介

*   *   *
能を拝見することには、或る種の非日常的な出来事の追体験といった側面があるように思われる。 それは能舞台での演能を介した仮想的な経験であり、決して現実の経験ではない。 「追体験」、という言い方をしたが、実のところ、オリジナルの体験すら仮想のものであっても 構わない。実際、多くの能が取材するのは史実そのものではなく、先行する文学作品であり、 全くの虚構の物語の架空の登場人物をシテとする作品も珍しくない。その一方で、そうした虚構が 現実の世界と持つ接点の中で、その出来事が生じたとされる特定の場所が占める割合は決して 小さくはないのであろう。能であれば謡蹟巡りであろうが、これは別に能に限った訳ではなく、 作品の舞台となった場所を訪れる、いわゆる「聖地巡礼」は、現代においても世代を超えて尚、 途絶えることはないようだ。

と、上記のようなことからこの感想を書き出したのは、川崎能楽堂で拝見したこの日の番組が、 「六浦」であったからに他ならない。JR川崎駅から程近い川崎能楽堂に向かう途中、京浜急行の高架が 望めるが、その京浜急行は「六浦」の舞台である称名寺のある金沢八景へと通じている。 金沢八景は現在でこそ地名になっているが、元来は、六浦村・金沢村一帯の風物を、瀟相八景に 倣って選んだもの(同工のものとして「近江八景」が著名であろう)であり、 その中には能の舞台である称名寺の晩鐘(「称名晩鐘」)も含まれる。 実際には開発の進んだ現在の金沢八景近郊に昔日の面影を見出すのは難しいのは、他の多くの謡蹟と同じ、 作品が霊感を受け取った風景は、逆説的に今や作品の中にのみ残っていると言うべきであるとはいえ、 月がどこに沈み、日がどちらから上がるといったような詞が産み出す作品の空間が 現実に知っている風景の記憶に重なり合う経験は一種独特のものがあるように感じられる。 そうしたことが起きることで、逆に自分が作品の世界の中に、肉体を備え、光や空気の調子を 具体的に感じ取ることができる存在として定位し、恰もその世界で生きているかのような感覚が 一層強くなって、その風景の中に棲む登場人物の思いを、まるで現実に出会ったかのように 受けとめることができるように感じられるのだ。

そうした体験は、近年目覚しい発達を遂げている仮想現実、拡張現実のテクノロジーによって、 遠くはない将来にはごく当たり前のものになるのかも知れないが、例えば巷で話題のゲームが 惹き起こす現実との齟齬を見聞するにつけても、能楽の備えているポテンシャルの大きさには 圧倒されずには居られない。

一例だけ挙げれば、以前、香川さんのお仕舞で「柏崎」の 道行の部分を拝見したことがあるが、偶々私がその経路の一部を何度か実際に訪れたことがあり、 風景の記憶を持っていたために、物狂いとなって善光寺に向かうシテの想いを、何よりもまず 身体的なものとして受けとめてしまい、打ちのめされてしまったのであった。 一曲の能ではないから、時間にすれば数分足らず、装束もつけず、囃子も伴わないお仕舞にも関わらず、 それが産み出すリアリティは今でも自分がその時に見たと感じた風景を思い出すことができ、 その時の心理状態を思い出せる程まで克明なものであった。 勿論、数百年の年月を隔てて私が見た風景と、彼女が見た風景が同じものである訳はなく、 だからここで問題なのは、具体的に測定できる細部の現実との類似の度合い等ではないし、もっと言えば、 彼女が具体的な実在の誰かをどこまで忠実になぞった人物であるかすら問題ではないのだ。

説明のために出来事のタイプとトークンの区別を持ち出せば、ここではトークン間の類似度が 問題になっているのではないのだ。作品として蒸留・抽象され、結晶化された経験のタイプと、 そのタイプに(可能的に)属しうるトークンとの間のゆらぎが演奏によって惹き起こされ、 それによって「経験」が可能となるという消息が問題になっているのであり、純粋なタイプも トークンも現実においてはいずれも抽象に過ぎない。演奏が惹き起こす経験というのは 一見すると非現実的なものと捉えられがちだが、それは実は現実の経験と形式的には 何ら異なることがなく、寧ろ常に作動している「想像力/構想力」を介した人間の「経験」の 原基の如きものとさえ言いうるかも知れないのである。かくして能を拝見することは、 逆説的に、現実よりもより生々しい「経験」の場であるとさえ言えるかも知れないのだ。

*   *   *
前置きが長くなったが、今回「六浦」の舞台を拝見して、その体験を反芻しつつ考えたのは 実際、上記のようなことであったのである。勿論それは、能であれば自動的に保証されるという ものではない。現実よりも生々しい「経験」を可能にするのは、先ずは単(ひとえ)に演者の 技量であろう。とりわけ「六浦」という作品について言えば、これは極限的な状況に置かれた 人間の心理を扱ったものではないし、荘厳な宗教的経験であったり、圧倒的な呪術的強度を 備えて見所を捉えてしまうような類の作品ではない。序の舞が舞われる典型的な蔓物ではあるが、 その舞は報恩のそれであり、シテである楓の精は離れがたい妄執に囚われ、救済を求めて ワキの僧の前に現われる訳ではない。構成も切り詰めすぎの感すらある程に簡潔であり、 鄙びた風情の中にも、落ち着いて気品のある小品といった趣のこのような作品は、賢しらな 解釈を受け付ける余地のない分、演者の技量を要するのではないかという気がする。

今回の演奏は囃方は若手で固められ、川崎能楽堂での演奏の常で、小じんまりとした能楽堂のサイズに あわせて6人の地謡も前列も若々しい顔ぶれであったが、それもまたこの作品の持つ、屈折なく 素直な曲柄を考えればプラスに寄与したように思われる。喜多流は他の流儀と異なって、 演出上も色無しとはしないのが常のようだが、この日の装束、特に後場のそれは 白の長絹(紐が緑色でアクセントとなっている)に萌黄色の大口で、 青葉の楓の永遠の若々しさ、透明で純粋な心をもつ一方で、歌に詠まれて名を上げた後は 身を退くという含羞とも謙虚とも取れる身の処し方を貫いてきた楓の精の、 もしかしたら純朴とも見える程に控え目でありつつ、一本筋の通った存在様態に相応しいものと 感じられた。

実は「六浦」は能の上演をこれまで何度か拝見しており、記憶する限りこれが3度目になる。 私のように人生も半ばに達してから能を拝見するようになり、しかも多忙にかまけて、 その頻度といえば年に数回という人間の場合、いわゆる名作・人気曲の類すら未だ実演に接する 機会を得ない作品が数多あることを思えば、やや例外的といって良いが、いずれも喜多流の 他の方がシテを勤められた過去の上演(後場の装束は萌黄色の長絹に緋の大口であったと記憶する)と 比べて、何よりもまず印象的であったのが、シテの持つ透明感と気品であり、 それは人間も含めた動物的な存在とは懸け離れた、瑞々しい生命感を漲らせつつも体温のようなものを感じさせない、 植物の精ならではのものと感じられたが、それは例えば常とは異なる装束の選択にも現われていたように思われる。

一方で、これも川崎能楽堂で、能を拝見し初めて間もない頃に拝見することができた「杜若」から始まって、 これまで拝見してきた香川さんがシテを勤めた演能の中における植物の精をシテとする作品の 印象は実に鮮明なものがある。のみならず、狭義での植物の精をシテとする能だけではなく、 以前、川崎能楽堂で拝見した「夕顔」は、源氏物語に取材し、その登場人物をシテとするものであったが、 シテの印象は寧ろ、その名前の由来となった夕顔の精ではないかと紛うばかりの儚げな透明感に溢れたものであったし、 客観的には疑いなく陰惨な題材を扱った「伯母捨」さえ、どこかで人間の秩序を超えた存在となって、 まるで月と同化して舞っているかのようであったし、禅竹の手になる「定家」のような哲学的な晦渋さを備え、 人間の運命をより大きな秩序から俯瞰した感のある能ですら、シテがあたかも定家葛の精であるかのように純粋で穢れなく、 人間的な心理の次元をどこかで超えてしまっていて、深々とした寂寥感を感じさせるものであった程である。 上に挙げた演能はどれも皆、清冽で、観終えてた後、日常の中で萎びかかった心が洗われ、甦るような感覚に 捉われたものだったが、今回の演能もまた、そうした印象を強く抱くような純度の高いものであった。

もちろんそれは解釈の不在を意味するものでは全くなく、隅々まで気持の行き届いた所作も謡も、 詞章の深い読みに裏打ちされたものではあるのだが、その上演の有り様は、能を人間の心理を 中心に据えた心理劇の如きものと見做すモダンな方向性ではなく、もともと能が備えていた筈の、 人間とは異なる存在に対する畏怖や人間を超えた秩序に対する感応といった、非人間的なものへの 感受性を感じさせるもので、それだけに一層より深く人間の心理の奥底の、無意識の領域に届くような 強度を帯びたもののように思われるのである。近年の個人の会での演能の充実に接しての今回の演能では、 円熟を突き抜けて可能となる自在さが、人間の尺度からすれば永遠に歳を取らないとさえ感じさせるような 純粋さや若々しさを実現していたように感じられた。

このように書いてしまえば、解釈よりは技術に、内容よりは外形的な所作に重点が置かれ、 古風で反時代的な上演と受け取られてしまい兼ねないが、決してそうではない。 そうではないどころか、舞台の上に一瞬だけ、日常を超えた何かを現出させるという点においては、 冒頭に述べたような今日のテクノロジーに優るとも劣らない先鋭さを帯びているのである。 今や感性すらも情報処理の対象となりつつあるが、一見したところ古式ゆかしく 反時代的な存在であると見做されかねない能楽が見所の心に働きかける「魔術」もまた、今後少しずつ 解明されていくのであろう。だが、もしそうなったとしても、この「六浦」の能を拝見して 経験することができた「出来事」の質は些かもその鮮明さと深みを喪うことはないであろう。

*   *   *
夢幻能の定型に忠実に、前場では称名寺に着いた都の僧の下に謎めいた雰囲気の女性が現れて、 本堂の庭の青葉の楓の由来を聞かせるのだが、最後になって彼女こそがその楓の精であることが 告げられると姿が消えてしまう。こうして筋書きを書いてしまえば、能の物語としてはありきたりの、 他方では現実離れした御伽噺の如きものと受け取られることであろう。だが舞台を拝見すれば、 それは全く自然なこととしか思えない一方で、定型に忠実でありながらも、そのありようが極めて ユニークな質を帯びていること、しかもそれが他の作品にはない確固たる質感、リアリティとでも 呼ばすにはおけないものを感じずにはいられないのである。かてて加えて、こと私の場合に限って言えば、 その印象の一部は、現実の場所の記憶の木霊であることに気づかされる。現実と仮想の空間の交錯が起きて、 かえって現実への拠り所が危うくなるかのような、眩暈に近い感覚に捉われるのである。

植物と人間との交感ということについても、しばしば「草木国土悉皆成仏」という言葉で語られる、 日本独特のアミニズムに基づいた独特の仏教観に言及されるのが常であり、実際に「六浦」も またそうした文脈に位置づけられる作品なのではあろう。だが演能を拝見するという経験が呼びおこすのは、 そうした知識よりはより具体的である意味では日常的な位相を備えた感覚である。 例えばそれは、近くの里山に在って時折足を運ぶ谷戸の一番奥まった処にひっそりと佇む巨大な樹木を、 或は冬晴れの日の午後に、或は夏の早朝に訪れた時に感じられる何かにより近いようなのだ。

人間とは全く異なった形態で、だが決して無関係にではなく、一つのバイオスフィアの 成員として自分の目前に佇む巨木。全く自分とは異なった過去を持ち、偶然に導かれてそこを自分が (ワキの僧のように)訪れることによってその存在に遭遇した、だが実際には知らぬままに同じ圏に 住まっていた筈の、自分とは全く異質の存在。動物のように周囲の状況に応じて動き回ることもなく、 だがもしかしたら私よりも遥に長い寿命を持ち、遥に多くの季節の循環の中を生き抜いていく存在。 そうした存在が自分と同様に「生きている」ということに気づく瞬間というのがあって、 それは滅多に起きることではないかも知れないけれど、何か大袈裟な天変地異や奇跡の如きものでは全くなく、 密やかで、日常的なもの、鄙びた風景の中でいつ起きても不思議はないようなものに違いない。

いや、それはお前の勝手読みだ、個人的な事情に過ぎないと言われてしまえば返す言葉はないのだが、 藤谷和歌集の冷泉為相の故事に取材した「六浦」の能は、だがその典拠を遡行した果てでは、 個別の出来事を越えて、感受性が触発される場をより普遍的な仕方で指し示しているのであって、 私の場合には偶々それが、自分の具体的な経験の記憶の中から汲み上げられると上記のような感覚に なるのでないかというように思えてならないのである。

否、それが個人的な戯言であることは認めても良かろう。それでもなおそうした経験を惹き起こした 演能を拝見したという事実は残る。そしてそれは、いつでもどこでも起きるようなものではないし、 もっと言えば、「六浦」という作品が上演されれば自動的に惹起されることが保証されているものでも なかろう。能楽の持つ呪術的、神話的な側面、人間の無意識に働きかける力は、最高度の技量と隅々まで 行き届いた解釈の賜物なのだ。その結果としてこの日の演能の最後、キリの場面で起きた事については 恐らくその場で一緒に見所に居た方々は同意してくれることであろうと思う。このような経験をもたらした 演者の方々への敬意とともに、そこで何が起きたかについて、以下に、筆の及ぶ限りで書き留めることをもって この感想の結びとしたい。

*   *   *
報恩の祈りの型から始まって、時間の流れ方が変わってしまったかのように続く序の舞も、 夜が白々と明けていくに連れて鳴り響く鐘の音とともに終わりを告げる。金沢八景は東に向けて海が 開けていて、西の方には丘陵が聳えているので、曙の光は海の方から訪れるのに対して、 西の山にはまだ月が懸っている。夜が明けるに従って、空が色彩の氾濫となる中に、海岸特有の 強い風が吹き渡ると、青葉の楓のある庭は周囲の紅葉した葉が舞い巡る色彩の饗宴と化すのである。
私はこれを比喩として語っているのでは決してない。客観的に分析すれば、それはシテの所作が 惹き起こした効果である或る種の幻覚の如きものということになるのであろうが、 演能に向きあって、自分もまたワキの僧とともに仮想の、何時とも知れぬ称名寺の庭に居る人間は、 その風を実際に肌に感じ、視界全体にぐるぐると回る色彩の氾濫を目の当たりにして眩暈に襲われた筈である。

その風が止むと、もう其処は鄙びた(架空の世界での)日常の称名寺であり、楓の精の姿は勿論、 影も形もない。ワキの僧が留拍子を踏めば、その鄙びた日常も消えて、 現実の能楽堂の舞台が目前にあるばかりである。だが先ほど見た、一時の奇跡のような色彩の 氾濫の印象は心の中に確かに残っていて、微妙に現実感がずれているのを感じつつ席を立ち、 御礼の挨拶をして能楽堂を後にする。

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勿論、その時に見た風景は、今このように書いている時にも心の裡に容易に思い浮かべることができる。 自分の心の中に、外から何かが訪れた瞬間の経験、能がもたらす経験の印象は、そんなに簡単に 薄まるものではなく、恐らくは日常の中で無意識の裡に沈殿して埋もれてしまうことはあっても 喪われることはなく、また何かの折にふと甦ることになるもののようである。それを私自身は 十分には受けとめることが出来ず、辛うじてこのような拙い記録をしか遺せないけれど、 他の方が恐らくはそれに相応しい仕方で受けとめて下さるであろうと思う。そしてそれは 世代を超えて、これまでも続いて来たし、これからも続いていくに違いない。

もっともその存続もまた、無条件で保証されたものではあり得ないだろう。 だが、個人の無力はそのようにして補償され、人間がその歴史の中で見出した価値というものが継承されていく、 そのプロセスの中に自分もまた属しているのだ、という認識を持つことは何とも心強いことに感じられるし、 自分がわずかばかりでも、結果を受け取るだけという間接的な仕方であっても、それでも尚、 「神の衣を織る」ことに与っていると思うこと程大きな慰めはない。 それはその場限りの感動とか、個人的な嗜好の問題を超えたものであり、 自分のやり方の不十分さ、不完全さは承知の上で、それでも尚、このようにそれを証言することは、 それを受け取った者の或る種の義務の如きものである、ということを改めて強く感じずにはいられないのである。 (2016.8.6-28)

2016年6月11日土曜日

「第10回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成28年4月4日)


「第10回香川靖嗣の會」
能「野宮」

シテ・香川靖嗣
ワキ・森常好
アイ・高野和憲
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌隆之
小鼓・大倉源次郎
大鼓・柿原崇志
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・狩野了一・金子敬一郎・大島輝久・友枝真也

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 今回で10回目となる「香川靖嗣の会」。概ね4月の最初の土曜日に催されるので、 往き帰りの道端に桜を見ながらの観能となる。今年もまたそうであったが、 季節の循環の確かさに比べて、微視的な、と言われもしよう自分の周辺の状況は 常に揺らいで定まることがない。諸般の事情から、一旦は書き始めた感想を完成させる ことができないまま、2か月以上の時間が経過してしまった。それでもなお、感想を書きあげて 今、それを公開しようとするのは、この感想自体の価値ではなく、自分が幸運にも 経験することのできた演能自体の価値故であり、たとえ時期を逸してしまってもなお、 その感想を記録しておくことをある種の義務と考えているが故であることを、 かくも公開が遅れたことに対するお詫びとともに、最初に御断りしておきたい。
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恒例の馬場あき子さんのお話は、「野宮」という能の解説を超えて、 典拠たる「源氏物語」における六条御息所についての詳細を極めた紹介で、 100万文字、20万語に及ぶ長大な「源氏物語」を何度も逍遥して目立たぬ小径迄知り尽くし、 恰もその作品世界の一員であるかのような行き届いた解説であった。

私個人について言えば、「源氏物語」の世界は、日本の古典であっても、幼少の頃より親しんできた 「平家物語」の世界と比べて、疎遠であったし、今でも疎遠であり続けていると言わざるを得ず、 寧ろ能を拝見することが「源氏物語」の世界への唯一の通路であると言っても過言ではない程であって、 直接的な能作者に限定されず、莫大な影響力を持っていた源氏物語が後世に遺した巨大な影響力の 圏に属する有名無名の人々の受容のプロセスの総体を背景とした解釈を通じて、 その世界を遠目に眺めているに過ぎない。

そうした私にとって印象的だったのは、従来様々な説が唱えられて来たらしいこの「野宮」という能の 作者を禅竹であると馬場さんが言い切っておられた点で、これについては寧ろこの日の観能を終えた後、 演能から受けた印象に照らして非常に腑に落ちたのを覚えている。厳密には永劫というわけではなくとも、 人間の尺度からすれば永遠に等しいような大きな時間の流れの中に置かれた、 有限の生を運命付けられた個体としての人間の、自己の限界をはみ出してしまった思念の寄る辺なさ、 だがまさに同じその思念の力によって個体としての限界を超え、 しばしば円環的と言われる時間構造(だがそれは能の作品自体の構造ではなく、観る者にとっては暗示され、 示唆されるといった形で浮かび上がってくるものなのだが)の中に閉じ込められて解脱を得ることができず、 本来ならば悪循環である筈の輪廻の中において、自己を超越し、或る意味において永遠に漸近し続けるという 逆説を突きつけられたように感じたのだったが、それは例えばかつてやはり香川さんのシテで「定家」を 拝見した時に受けた印象と構造的には並行するものがあったような気がするのである。(念のためお断りして おけば、だからといって、「野宮」と「定家」が似ていると言いたい訳ではなく、寧ろ直接的な印象は 全く異なるといっても良いのだが、その印象の由来については後で触れることになろう。)

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この演能を拝見して最も鮮烈に感じられたのは、虚構の物語の一登場人物に過ぎない人間の 途方もない存在感であったように思われる。しかもそれは、上述のような私の「源氏物語」との接点の 希薄さを考えれば、ほぼ人の一生に等しい年月の時間経過を内包する「源氏物語」という作品の厚みと、 その中で一際存在感を放って六条御息所が幾度と無く登場することに起因するわけではないだろう。 勿論、冒頭に記した馬場さんのような方であればそうした 感じ方も可能だろうが、私の場合にはそうしたことは望むべくもなく、 それは専ら演能の力によるものに違いない。例えば同じ禅竹の「定家」の式子内親王であっても、 あるいは平家物語の人物であっても、能のシテとして造形された人物は、既にあくまでも物語の世界の それであって現実に過去生きた人物とは異なるには違いないし、他方では、六条御息所についても 徽子女王というモデルが比定されたりもしているようだが、こと六条御息所の場合について言えば、 そのリアリティは逆説的に見えようとも、フィクションの中にこそ存するのは確かであり、 より直接的には、目の前にある能舞台で繰り広げられる、高度に様式化され、抽象化された エピソードそのものに在るのは間違いない。勿論それは、謡の詞章や型付けに依存していはしようが、 力の源泉はあくまでも一度きりの演能の数時間の時間の中で起きた出来事であるのは疑いない。

勿論、こんな事は当たり前の事であって改めて書くようなことではないのだろうし、 実際にこのように書いてみたところで、具体的に経験したものの凄みの前には空疎にしか感じられないが、 それでも尚、虚構と現実のこうした交差を目の当たりにしての、えもいわれぬ感覚のあまりに強さに対して、 こうしたことを書き連ねて反芻してみる他、私には為す術がないのである。

桜の季節に秋の気配の濃いこの能を演じるのには色々と困難が伴うだろうが、少なくとも能舞台に向かっている間は、 外は満開の桜の季節であることなど、完全に消し去られてしまうのである。 まるで夢の中で現実とは異なる季節に迷い込んで、醒めてみると、夢の中の強固な現実感のせいで、 かえって現実の方が幻めいて感じられるといった具合で、仮想現実、拡張現実を経験するのに、 何も最近流行の最新のテクノロジーなど不要なものに感じられてならない。しかも登場する人物は全くの虚構の存在の、 更にその亡霊に過ぎない筈なのに、今尚記憶の中に克明に残っている人物の存在感は、実在の人物よりも寧ろ 鮮明な程なのだ。

毎回の「香川靖嗣の會」の演能が如何に素晴らしいものであるかについても、それを具体的に 書くことは技術的な細部を言い当てるだけの知識がない私には手に余ることで、何回か回を重ねる毎に その思いは強まるばかりである。恐らくは毎回撮影されているであろう舞台写真の一葉の方が 多くを語ることであろうから、総体的な印象については上に記したことにとどめ、以下では、 自分の上記の印象に関連した細部について、幾つか具体的に書き留めておくに止めたい。

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前場、僧の前に登場する御息所の霊の姿に先ず胸を衝かれる。既に源氏物語自体の中で御息所の 年齢設定には曖昧なところがあるようだが、馬場さんのお話ではその若さに触れられていた。 思えば霊が現われる時に往時の何時の姿をとるものなのか、ということをあまり考えたことがなく、 何とはなしに「死者は歳をとらない」という言葉からか、没した年齢をイメージしていたようなのだが、 そこに現われたのは「葵上」他のエピソードでの生霊となる程の激しさとは一見して懸け離れた、 犯しがたい気品と誇り、そして知性を感じさせつつも、儚さ、脆さを感じさせるような寂しさを 纏った若い女性の姿であった。

後場で笛に導かれて車に載って橋掛かりを横切って登場し、彼女にとってはほとんど外傷的とも呼べる 経験であったに違いない車争いの場面を回想する箇所でも、そうした印象は変わらない。 身分のせいでもあり、知性のせいでもあるのだろうが、それ自体半ば無意識的な反応の如きものとして 撓めて押し殺してしまった思念は、彼女自身にも制御不可能な形で出口を求めて奔流の様に迸ることになる。 だけれどもそれはここでは最早、ほんの一瞬、或る種の気配の如きものとして感じられるに過ぎない。

それは実際に舞台の上でも、折節、その気品に満ちた相貌に一瞬翳を落してよぎっていたように感じられる。 これもまた既に言い古された修辞の類と取られてしまうのだろうが、美しく寂しげな表情の中に、 一瞬、あの「葵上」の般若の、鬼の表情が揺曳するのを現実に目の当たりにすると、こうした複雑な 構造を持った心の微妙な変化を見所に感じ取らせる能楽の凄み、そして勿論、そうした能楽の持つ ポテンシャルを十二分に汲み尽くして、一度限りの舞台の上に表現しきることのできるシテの技量に 圧倒されずにはいられない。

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私が強く感じたのは、恐らくはそういうプロセス自体を客観視することさえできる知性の持ち主にとって、 それは担い難い業の如きものとして感じられるのではないか、といったことだった。 実際、そのプロセスは原理的に停止することができず、断念は断念の不可能性に他ならない。 それが故に彼女は幾度と無く、この場所に立ち戻り、回想し、この悪循環からの脱出を願いつつも ついに果しえない。しかもそれは、生前にこの地を訪れた時に既にそうだった筈なのだ。 言ってみれば、ここでは最初の1回目というのが欠落しているかのようである。 勿論始めは自尊心、誇りといった言葉で形容し、説明できたものかも知れないが、それもまた、 この地を訪れることにした時点で既に無意味なものとなっていたのではないかという気がしてならない。 否、私は「源氏物語」においてどうであったかを語る権利はないから、この能においてどうであったかを 言うことしかできないが、少なくともここでは、原作の「源氏物語」の文脈を最早離れ、自意識を備え、 最早そのようではないものとして過去を回想し、現在とは断絶した未来を思い描くことのできる、 自伝的自己を備えた人間の宿命の如き構造自体が立ち現われているように感じられたのである。

そもそも御息所にとってこの場所での出来事というのは、かつて既に、それまでの過去を断ち切る、 彼女の生の軌道における特異点の如きものであった筈である。彼女は霊となって後、成仏できないことを 嘆いて祈るのではない。その祈りは初めからこの場所に構造的に含まれていた筈なのである。それを思えば、 一般にこの能の最大の見せ場ということになっている、鳥居が形成する結界のこちらと向うを行き来する型は、 そうした構造にはそぐわないものになるだろう。実際にシテが祈る型が挿入された替わりに、鳥居から 足を踏み出す型はなく、寧ろそのことが一層痛ましさを感じさせずにはおかないかのようだ。 それ自体が彼女の不幸であったかも知れない程までに聡明であった彼女は、己が囚われている業に 対して無意識であったのではなく、寧ろ初めから自覚的であり、それゆえに、それを受容することに 耐え難さを覚えたのではないか。彼女が囚われた閉域は(そうした側面が含まれない訳ではないが) 自分で制御できない嫉妬心に留まるものではなく、(これまたそうした要素がなかったわけではなくても) 身分や年齢差という彼女の生きた社会が強制する障碍のみがそうした状況を惹き起こした訳でもないだろう。 嫉妬に身を任せた挙句の修羅場や身分違いの恋ならば寧ろ巷に溢れていると言ってよい。(そういう意味では 「葵上」は同じ人物を描きながら、その把握は全く異質なものに感じられる。)

彼女の相貌の背後に秘められた或る種凄惨で正視に堪えないものは、通常であればそうしたものとは 無縁なものとしてイメージされる、理性的なものが持たざるを得ない宿命なのではないのか。 ここで理性と狂気の弁証法を持ち出すつもりはないけれど、馬場さんのおっしゃられた 無常と妖艶の関係は、異質のものの出会いなのではなく、無常であるからこそ妖艶が成立するといった 構造を持っているように思われる。これは私だけの感じ方かも知れないが、私がそこに見たのは、 異質のものの取り合わせが産み出す興趣といったものとは懸け離れた、正視に堪えないほどの痛々しさを 感じさせる美しさであったが、私にはそれが、本能的に振舞うことや、自然な感情に身を任せることから 身を引き離し、自分では決して解消できないアンチノミーを抱え込んでしまった「人間」の精神の 姿のように思われたのである。彼女は一方で、自分がそこに閉じ込められた閉域から出て行くことを 願いながら、結局のところその閉域に留まることを自ら選ぶ。だから祈りから始まる序の舞の後に、 この一曲限り、急の舞が続かなくてはならないし、来た時と同じ破れ車に再び乗って帰っていく外ない。 「火宅」というのは、まさにその閉域を指し示す名前なのだ。

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このように書くと、豊穣な間テキスト性に支えられ、現実の人間以上に存在感のある御息所の個性が 揮発してしまったとか、観る者が汲み尽くせない程繊細で豊穣な細部に満ちた、円熟の極みと言う他ない 香川さんの演能を不当に図式化してしまったという謗りを受けるかも知れない。 だが、そうではないのだ。 例えば、ジュリアン・ジェインズのbicameral mindの仮説を思い浮かべていただいてもいい。人は意識を持つ存在ということ自体、必然的で自明なことではないし、 具体的な意識や自己の様態は、寧ろ社会的・文化的な環境により水路づけられる可塑性を備え、 それゆえ例えば一卵性双生児すら、同一の意識を持つわけではない。御息所が虚構の人格であるが故に、 既述の様に、「葵上」と「野宮」の対比では、異なった可能世界の提示といった感があるし、 構造的には良く似た円環構造を持つ禅竹の能においても、例えばこれもまた香川さんのシテで拝見した ことのある「定家」を思い浮かべた時に、反復の中に自ら帰っていく様相のあまりの違いに驚かされる。 虚実皮膜という言葉があるけれど、ここではそれに留まらず、寧ろ純然たる虚構の存在であるからこそ、 端的に、人間の存在の持つ儚さと美しさとを、或る種の普遍性を備えつつも、同時に具体的で、 より直接観る者の心を揺さぶることができる仕方で提示することができるのであり、恐らくは1000年近い 年月を隔てて、だが自分もまた囚われている共通の宿命の構造が、可能な限り最も美しい形象を伴って 提示されているからこそ、それに共感しつつ、自分自身のみでは決して到達し得ない慰謝を感じ取ることが 可能なのだと思う。

勿論、こうした感じ方が、例えば当日の見所の全員に共有されるという意味合いで 普遍的であるというつもりはない。否、寧ろこれは、私だけのごく私的な経験であり、非常に偏向した受容の 仕方であることを認めるに吝かではない。だがそれを認めたからといって、その経験がある仕方で個別性を 超えた普遍性を備えた美の経験であること、そしてそれが祈りという契機と固く結びついていて、 かつ上述のような意味合いでの意識と自伝的自己を備えた人間の構造の奥底に達する根源性を備えて いることについては譲るつもりもない。人によってはたかが一回の演能の鑑賞に過ぎないのに、何を大袈裟な、 とおっしゃるかも知れないが、最早美しかった、面白かった、上手かったでは済まされないような 演能というのがありえて、例えば今回のケースがそれに当るのだと私は思う。このような経験をしてしまえば、 技術的な個別の細部がどうだったというのも、受けとったものの総体の不可分の一部として記録するので なければ意味がないように思えるのである。

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近年のテクノロジーの発達は、仮想現実や拡張現実というのを或る種の比喩に留まらない、本当に現実との 境界を曖昧にしかねないものにしようとしているようだし、ナノテクノロジーを活用した医療技術や 遺伝子操作等によって、現在の人間にとって逃れがたい宿命であった筈の個体としての有限性が ある技術的特異点(シンギュラリティ)に到達した向こう側では最早宿命ではなくなるといった主張が 現実味を帯びつつある現在において、このような演能に立ち会うことができるということは、単なる 伝統の継承を超えた可能性を感じさせるものであるように思われる。勿論、テクノロジーの可能性と、 それと裏腹の危険性を自覚的に引き受けた現代の先鋭的な試みは貴重だし、その中にも際立った成果が見られることを 知らない訳ではないのだが、そうした先端での最上の成果と拮抗し、ほとんどそれを圧倒しかねないような 達成に、伝統芸能の舞台で接することができるのは驚きでもあり、だが、数百年の年月を経て受け継がれてきた ことを思えば、寧ろ当然のことのようにも感じられ、いずれにしても、そこに人間持つ無限の可能性を感じさせずに いられない。

些か極端な言い方になるが、「香川靖嗣の會」を拝見することは、自分には及びもつかないようなことを達成する力を 人間が持っていることを身をもって体験する機会であるように感じられてならない。 そのような貴重な経験をいつもさせていただいていることに対する感謝の気持を記して、この感想を終えたい。 (2016.4-6, 6.11公開 7.11修正)