2015年4月12日日曜日

「第9回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成27年4月4日)

「第9回香川靖嗣の會」

能「木賊」
シテ・香川靖嗣
子方・大島伊織
ツレ・内田成信・佐々木多門・友枝真也
ワキ・宝生閑
ワキツレ・宝生欣哉・則久英志
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌仙幸
小鼓・曽和正博
大鼓・國川純
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・狩野了一・友枝雄人・金子敬一郎・大島輝久

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 毎年4月の最初の土曜日に行われる「香川靖嗣の会」を拝見することは、ここ数年、日常の些事への埋没から自分を引き離し、 人事を超えた大きな秩序の持つ呼吸に辛うじて自分を同調させることのできる貴重な機会となっている。今年は、幾つか 重畳していたもののうちの殆どが幸いにも何等かの句切りを迎え、だが最後の一つのピークが4月の始まりを跨いで 観能の日の数日後に句切りがつくという、何時に無く微妙な間合いとなってしまった。

 しかも番組は尉物狂いの難曲・稀曲とされる「木賊」。難曲というのは、第一義的には演者にとってのものなのであろうが、 見所にとってもそれは物心両面での準備を必要とするものに違いない。稀曲とされ、事後的に見ればシテの一度きりの 演能になることも考えられるような状況であるのみならず、能を観ることを日常とされている専門の研究者の方や 見巧者の方々とは異なって、自分にとっても今後拝見する機会が恐らくはないであろう状況に対するには あまりに気持ちの余裕が無さ過ぎることや、観能後、直ちに日常に戻らなければならず、しかもそのまま一週間が 過ぎてしまったような状況で、十全な受容ができる筈もなく、以下の文章は、そうした制約の中で、それでもなお 何を観て何を感じたかの記録に過ぎないことを予めお詫びする他無い。

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 恒例の番組最初の馬場あき子さんのお話は、今回は木賊という植物そのものや木賊刈りの説明から入って、前段の素材となる、 舞台である信濃の園原にちなんだ帚木の伝承や、物語の枠組みを為す旦過などの説明を交えながら、丁寧に物語を 追ってゆく。だが伺っているうちに感じるのは寧ろ、如何に自分が作品の背景となっている世界と疎遠であるかと いうことであった。木賊という植物にしても然り、園原という場所にしても然り、物語の筋書きにしても然り。 だが冷静に考えてみればこれは愚かしい反応であって、同じ程度に疎遠な世界を扱った作品は幾らでもあり、 そうしたことを意識することなく作品に接する場合もあって、疎遠であっても有無を言わさぬ力で自分の中に 消し難い印象を残すこともまた、幾らでもあったし、今後もあるであろう筈なのだ。 要するに、日常からの気持ちの切替が出来ない準備不足の状態で見所に着いて、これから拝見する番組に 対する自分の身の置き処のようなものを見出しかねて、寄る辺なさを感じてしまったということなのだろう。

 それでもなお強いてそうした疎外感の由来を問うならば、老いということを色々な場面で意識せずにはいられない、 しかも他人事ではなく、そろそろ我が事としても感じずにはいられない年齢に差し掛かっていはするものの、 我が子を喪った、しかも死別ではなく、生き別れとなった男親の心情というものに、同情以上のものを感じることが できるのか、ということに思い至らざるを得ない。一週間を経た今考えると、そうした感じ方自体、 実は私が予め知ってしまっている(だが舞台は拝見したことのない)「木賊」という作品の所謂 「あらすじ」や詞章に対して、それをどう受け止めていいのかについての戸惑いのようなものを、 いわば先入観のような形で事前に抱えこんでしまっていたことが原因なのだろうと思う。まさに難曲たる 所以とされる、世阿弥と伝えられる作者の、年老いた男の物狂いを見せるという趣向に、率直に言って、 或る種掴みどころの無さを感じ、聊か尻込みしてしまっていたということだ。

 そうした中、馬場さんのお話で鮮烈な印象で私の中に刻み込まれたのは、形見の装束を纏っての舞に 因んで、シベリア抑留で喪った子供を悼んで窪田空穂が詠んだ長大な歌の中にも、形見を纏うという ことが出てくるのに言及されたことであった。

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 それでは実際の演能を拝見した結果はどうであったか。端的に言えば、それがこれまでと同様に、非常に完成度の 高い演能であり、シテは勿論、ワキも囃子方も地謡も、その演奏は圧倒的であったのは間違いない。特に囃子方の 描き出す前場の秋の鄙びた山奥の風景の臨場感、鮮やかなシテによる木賊刈りの所作とそれに続く、 風景が見えてくるようなシテとワキの帚木に纏わる遣り取りと、前場は見所の連続であったし、 一転して老人の心の動きをそのまま音響化したかのような後場の囃子の自在さや、これまた緩急自在の地謡の、 壮絶なばかりの表現の雄弁さは圧倒的であり、開曲から終曲まで全く弛緩することなく物語の世界に 向き合うことができ、特に後半は、簡潔でシンプルであるという印象さえ抱いたほどで、難曲とされる 大曲を一気に観終えてしまった感じさえ抱いたのである。

 物着の後の序の舞は、老いというものが孕む時間性が昇華されたような、或る種異形な壮絶なもので、 時折止まってしまうその時間の歩みは、罅割れた感触の、無慚ささえ感じさせるようなものであった。 妄執とか過度の愛情といった側面よりも、もはやそうしたものすら過去のものとなりつつあり、 舞を続けることができずに、時折立ち尽くしてしまうという、老いというものの苛酷さが浮かび上がって くるように感じられたのである。形見を纏い、嘗て見た子供の所作を記憶を辿りながら舞う行為は、 強烈な呪術的な機能を持ち、効果を備えている筈であるが、そこに老いが介在することで、単純な物狂いで あることが許されず、心は回想に赴くことはあっても、それは長い時間の経過とそれに伴う身体の衰えに 妨げられて、最早本来持っている力の解放に至らないかのようだ。だが、実際にはそうした瞬間にこそ、 「奇跡」は起きるのであって、少なくとも私には、妄執に憑かれた老醜を晒すことの結果としてではなく、 寧ろ老いの結果としてそこから心ならずも脱落してしまったその瞬間にこそ、再会が可能になったかのように 感じられたのである。老いて何事かを断念することを余儀なくされるような状況に到って初めて可能になる こともまたあるのではないかといったことを私は感じずにはいられなかった。

 勿論それは、現実の演者の生理としての老いの表れではなく、永年の鍛錬があって始めて可能な、 高度な技術に裏付けれた「表現」であり、だから聊かも劇的な持続としての弛緩を意味するものではない。 恐らくは作者が意図したのは、まさにこうした異化効果、或る種の醒めて冷え切ったような感覚と、 その果てにある或る種の境地のようなもの(それを安易に「悟り」といって良いものかどうか、 私には判断しかねる)だったのではないだろうか。だからここで問題なのは、物語の「現実」の界面に おいてそうであろうような老醜自体の写実的な表現ではないし、異様でグロテスクでさえあるかも 知れない妄執の直接的な表現でもない。そうしたものが舞う老人の心の裡には尚、渦巻いているのかも知れなくとも、 舞を見ている者が目の当たりにするのは最早それ自体ではない。それは舞台で演じられ、展開されている個別の 具体的な物語の中の個別の人間が持つ具体的な年齢や境遇といったものの直接的な帰結ではなく、 登場人物の心理や生理の表現、演出といった次元とは異なった、あえて言えばより根源的な、 或る意味ではもっと普遍的な、有限の寿命を定められ、老いて行く事を運命づけられ、しかもそれを意識し、 直面していくように定められた人間の悲しみや徒労感のようなものに根差したものと感じられたのである。

 そうしたものが一体、どのようにして表現されうるものなのか、私如き一見の者にはわかろうはずはないのだが、 どこかそれは、いわゆる表現とは別の次元で、単なる表現に留まらない、恐らくは表現の背後に秘められた、 もしかしたら演者自身も必ずしも意識的に分析しきれているわけではないかも知れない、思いにすら至らない 感慨の如きものが暈のように覆い被さることで可能になっているような印象を受けた。単なる高度な技術だけではなく、 それを前提として、更なる余白の如きものが必要とされるのだとすれば、確かにこれは「難曲」であり、 繰り返し演じるような作品ではないのかも知れず、一期一会の演能だからこそ可能になるものなのかも知れない。 少なくとも私には、そのように感じられた。

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 分類すれば現在能ということになるこの作品は、だが、能よりは寧ろ後世の他のジャンルに 相応しいものであるかも知れない、物語的な筋書きの展開に応じた登場人物の造形があるわけでもないし、 「弱法師」や「歌占」のように、父子の関係を扱いながら、或る種の世界観のようなものを背景にした 複雑な陰影を孕んだ構成上の工夫があるわけでもない。寧ろ、こちらは母親の物狂いの道行を中核とする 「柏崎」に似たような、或る種の原型(アーキタイプ)的な物語が形式的な枠組みとして用意されていて、 物着を伴う物狂いの舞を見せるというシンプルな趣向の作品であり、単純にそれを追うことに終始すれば、 構造を図式的になぞるだけの説明調の平板さに陥りかねない。既に述べた後半の印象の簡潔さや シンプルさは、そうした点と関わりなくはないだろう。例えば、ツレの一人がワキに僧に対して、 シテの老人の振る舞いに対して事前に警告をする詞などは、合理的というよりは、如何にも 古風な物語調で、寧ろアイの語りとして分離される前の雰囲気を感じさせる。

 のみならず、これは演出上の伝統の問題かも知れないが、意図してのことかどうかを問わず、 物語の叙述の具体性や自然さ、設定の整合性のようなことに重きをおくならば、 例えば老体の父親に対して年齢が離れすぎている子方を出すことの不自然さは否めないし、 自分の導師であるワキの僧に願って信濃に残した父親との再会の旅をしてきた筈の松若の心理を描くことは 寧ろ意図的に拒絶されているかも知れず、その結果として、しばしば「舞を見せるための設定」として説明されるように、 松若がなぜ直ちに名乗ることを控えたのかの理由が明かされることもない。一般にはそうした点が 「難曲」たる所以とされるようであり、実際、私の場合も、今回の観能において、何かに非常に心打たれたり、 深く感情移入してしまって感情がかき乱されるといったようなことは起きなかったのは事実である。

 しかしながら、だからといって、そうした一見したところ不自然であったり、不整合であったりする 部分を合理化し、整合性のある一貫した解釈により作品を読み直すことが唯一の行き方なのかといえば、 このこの作品に関しては、そうとばかりは言えないようにも思えるのである。勿論例えば、或る意味では 醜態を晒す親の姿から逆算して、松若は過保護に反抗するようにしてか、そうではなくても父親の 態度か、あるいは明示されてはいなくとも何等かの行動に対してか反撥して出奔・出家したのであって、 従って、父親の事が気になって帰郷したものの、父親を目の前にして名乗りを上げることに対して 逡巡することもまた、そうした過去を背景とした心理的な葛藤であるとして合理化することも できなくはないだろう。だが、それは例えばこの作品の末尾の、現在能として演じられた出来事を、 恰も過去の物語であるかのように括ってしまう操作とは相容れないし、理由や背景を具体化するよりは 省略し、曖昧化していきつつ、老いた父親の心境を序の舞に托す構想と必ずしも整合しないように思われる。 同様に、老人が街道に面したところに家を構え、旦過をするのも、居なくなった子の消息を得る 目的のための手段であると考えることもできようが、単なる目的-手段の図式でそれを捉えて 事足れりとしていいのかと言えば、必ずしもそうとは言えないのではなかろうか。

 老人がこれまでずっと繰り返してきて、これからも恐らく死に至るまで繰り返すことになるであろう 旦過のある回において、物狂いの舞に疲れ果てた末の夢か現かも不分明な状態で、供応の相手である 僧達の中に生き別れになった我が子の姿を見出すことがあるとしたらどうだろう。 死者が歳を取らないように、彼が見出す我が子は、彼が纏う衣裳の似合う、別れた時の年齢のままであるより 他ないのではないか。そしてそれは、この後も(禅竹の能のように)果てし無く反復されるのだろう。あるいはまた、 再会が現実のものであったとしても、老人が再会したものが、自立して成長した修行僧ではなく、 自分が追い求めている、生き別れになった当時の子供でしかないとしたら、(むしろこれは元雅の能に おいて示唆されそうなことではあるが)、この再会は祝福されたものではありえず、別離が繰り返される ことになるのではないか。或はまた、曲の末尾が告げるように、これは或る種の縁起の説話の如きものであり、 寧ろシテは一貫して、子供と生き別れになり、旦過により消息を尋ねたが、本当は遂に再会できずに 死んでしまった老人の幽霊なのではないか、つまりこれは、今は生きていないある他者の物語なのではないか。 そして更に終曲において、これまで演じられた出来事を過去のものとして括ることにより、現在の時間から 引き剥がされ、出来事そのものと見えた舞台は、実は出来事の「再現」なのだという相対化さえ行われているのであると。

 実際にはこれらの仮定は、意図と結果の履き違いに起因する 行き過ぎた深読みであって、整合的な解釈としては成立しないのかも知れないが、能が必ずしも外面的な 現実の歴史よりも、その中で苛酷な運命に耐え忍ぶ人間の心の現実を浮かび上がらせるものであると したならば、上記のような仮定は、少なくとも一面の真実をも捉えていないと断言することもまた、できない のではなかろうか。前場の木賊刈りの段では、月を磨くことにかけて真理を捉えることを述べ、 帚木の伝承に関する問答と僧と交わし、僧に酒を勧めるにあたって陶淵明を引用する姿と、序の舞が 終って泣き崩れてしまう姿との落差はあまりに大きく、だがそれらが作品の時間の中で並存するように、 この作品は仕組まれているのである。あたかもキュビズムの絵画のように、ここでは幾つもの可能世界が重なりあい、 並存していて、単純な解釈を許さないのではなかろうか。単純な感情移入を拒むという点も、この作品をいわゆる 人情劇と捉えれば欠点ということになるのだろうが、私見では、決してそうではなくて、まさにこのようなかたちでした 提示できない何かがあり、それが寧ろ作者の世阿弥の狙いだったのではないかという気がしてならないのである。

 物狂いであっても女性がシテである場合の華やかさもなく、同じ老体であっても植物の精霊がシテである「西行桜」の ような透明感でもないし、「伯母捨」のような、現実の悲惨さを超越した境地が開示されるわけではなく、 序の舞という形式は、ここでは通常期待されるものとは異なったものを担うべく、作者によって 意図されたのではなかったか。「難曲」というのは、一見したところ寧ろ能固有の形式に向かって 物語を抽象するように見えて、その中で或る種の換骨奪胎が意図されているが故ではなかろうか、 という感じを私は抱かずにはいられなかった。普通の意味合いでは美でもなく、崇高さでもない、 もしかしたら通常はそうしたものに対立するものとして考えられがちだが、本当ははそうしたものの 単純な裏返しでもない何かを舞台の上に出現させることが、作者の意図だったのではないか。

 更に言えば、寧ろそれは、見る者が己の心の中にもそれに類するものがあるのに気付いたときに、 そのようなものとして気付かせ、悟らせるように差し向けられたもののように私には思われた。 勿論私個人としては、そうとはっきりと認識したとは到底言えず、寧ろ、当日の印象を反芻した結果として、 そのような予感の如きものを抱いたに過ぎないが、その一方で、そのように心に働きかける、 グレゴリー・ベイトソン風に言えば「心の無意識のエクササイズ」として、或は「木賊」という作品 自体がそのことを示唆しているように、心を磨く或る種の修練の如きものとして、 能という様式は測り知れない力を備えているし、この「木賊」の演能は、そうした能という様式の備えた ポテンシャル、そして私の想像するところでは作者である世阿弥が能という形式に託したものを 十分に解き放ち、実現したものであると感じられたのである。

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 そういう意味合いでは、或る意味では定型的・図式的とも言えるハッピー・エンドの結末に対して、 私は必ずしも物語の人物の心理に共感してその場面に立ち会ったとは言えず、寧ろ、或る種の儀礼の終わりを 確認するような感覚に捉われていたように思えるのだが、この演能を拝見して私が受け取ったものは、 実は、物語の筋書きの上で結末が要求する表面的な晴れやかさとは異なった次元での安堵、 達成感のようなものではなかったかと思えるのである。

 終演後、最後に笛、小鼓、大鼓の順にゆったりと橋掛りを渡ってゆく囃子方が、 今や誰もいない空っぽの空間となった背後の舞台に残していく気配の中に、私は、その時点では 確かなものではなく、一週間を経過した今尚、予感めいたものでしかなく、いつかそれが確かな ものになるのが何時になるのかもわからないし、そもそも確かになることがあるのかもわからないけれど、 決して無ではなく、寧ろ日常に立ち返ることを後押ししてくれる何かを感じ取ったように思える。 繰り返しになるが、私は自分が受け止めた何かを的確に言語化することが、差し当たりはできそうにない。

 だがその一方で、全く別の文脈で、気にはなりつつもやはり意味を図りかねていたある言葉、 ここしばらくは日常の多忙に紛れ、すっかり埋もれてしまった言葉がふと浮かび上がってきたのを 感じた。それは20世紀のフランスを代表する哲学者の一人、ジャック・デリダが、その晩年に何度か 繰り返して言及し、彼の最期の対談の題名にもなった言葉、«Apprendre à vivre enfin» (『生きることを学ぶ、終に』)であることを、備忘のために記しておくこととしたい。 こう言えば聊か牽強付会めくのは避け難いが、私にとって(「木賊」一番のみならず、だが、 とりわけても「木賊」一番は優れてそうであったようなのだが)能を拝見することは、 まさにそうすることの実践の、そして同時にそうすることの困難や不可能性を認識する場のようなのである。 そうした認識を踏まえ、そうした認識を獲られたことを踏まえて、最後に主催者を初めとする演者の方々や 拝見する機会を与えて下さった方々への御礼の言葉を記して、拙い感想の結びとしたい。(2015.4.11/12)

2014年4月6日日曜日

「第8回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成26年4月5日)

能「江口」平調返
シテ・香川靖嗣
ツレ・内田成信・佐々木多門
ワキ・宝生閑
ワキツレ・則久英志・大日方寛
アイ・山本東次郎
後見・塩津哲生・内田安信・中村邦生
笛・一噌仙幸
小鼓・曽和正博
大鼓・柿原崇志
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・大村定・長島茂・友枝雄人・金子敬一郎・大島輝久

今年で8回目となる「香川靖嗣の会」は毎年4月の最初の土曜日に行われる。多忙な日常に埋没している裡にそれでも季節は巡り、 そして桜の花の時期に能を拝見することが、自分を超えた大きな秩序の持つ呼吸に辛うじて自分を同調させることのできる 貴重な機会となっているという思いを今回程強く感じたことはない。

昨年はとうとう前回の「香川靖嗣の会」での「伯母捨」一番 のみしか拝見できずに1年が過ぎてしまい、その同じ流れの中で、前日の深夜、当日の朝まで多忙に追われ、澱のように蓄積した 疲労の中で、それでも気持ちの遣り繰りをつけて能楽堂に足を運びさえすれば、そのような貧しく窮まった自分が受け取るには 過剰であることが最早明白な価値を備えた、必ずや記憶され記録されるべき、これ一度きりの演能に立ち会うことが出来、 そのことで自分が自分を超えた秩序との繋がりを保てているのだということを、拝見して後にこれほど強く感じ噛み締めたことは なかった。

それは一つには、今回の番組が「江口」であったことにも拠るのではないかとも思うが、そうであったとして、 それはまずもって、想像しうる限りでこの上を考えることのできない程に素晴らしい舞台を実現した香川さんをはじめとする 演者の方々の力があってのことなのは明らかなことだ。能楽の技術的・専門的な細部は詳らかにしないが、それでもなお 受け止めたものの純粋さ、透明感、何よりそれが人間の有限性を超越した何かに由来するに違いないと確信させる 圧倒的な強度は見所の全ての人にとって明らかであったと思う。拙い感想を以下に記すにあたり、演者の方々への敬意と 感謝の気持ちをまず書いておかねばならないと感じている。

馬場あき子さんが、毎回恒例のそのお話の冒頭述べられた通りに満席の盛会の中、馬場さんのお話は、作品の背景である 性空上人の説話や西行のこと、更には背景となった江口の遊女の社会がどういったものであったかといった点から、 今回演じられる小書の内容にも渉る詳細なものであった。これはいつものことであるが、内容もさることながら、そのお話の音調が 明確に備えている質に感銘を新たにする。演能の前のお話以外にも、馬場さんの文章や対談の記録などを時折 拝見することがあるけれど、それらから感じられるものと共通で、突飛な言い方かも知れないが、 言葉の選び方、内容の運び方によって、同じ日本語を使ってもかくも確固として日常とは一線を画した独自の世界を 築くことができるのだという感じを持ったのである。つまらない比較だが、例えばビジネスでも話術の巧拙はあり、 文章の規範があるけれど、それとは全く異質の世界であり、全く異なる価値の尺度があって、そこでは言葉が 全く別の表情を帯びる、その在り様を目の当たりにしたわけである。これまではそのお話を聴くうちに (少なくとも私にとっての)非日常への移行ができる緩衝装置として機能していたものが、今回についてはほんの 数時間前までいた世界とのあまりの相違に、馬場さんのお話そのものに対して或る種の眩暈のようなものを 覚えたのではないかという気がする。

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休憩を挟んで「江口」。まずワキの僧たちが登場し、道行の後、江口に到着すると、古い能らしく、アイが 演じる所の者を呼び出して、江口の遊女に纏わる故事を偲ぼうとするところに、橋掛りの幕の更に向こうから シテの江口の遊女の霊の呼び掛けがある。こう書くと何でもないことのようだが、決してもたれることはないが、 じっくりと克明な運びで場面設定がされるその過程自体が大変に密度の高いもので、あっという間に舞台の上に 江口の渡しのあたりの風景が広がっていく様の確実さは、例えば近年のヴァーチャル・リアリティ等の テクノロジーを駆使したマルチメディア・アートなど全く寄せ付けない程のもので、古典芸能が磨き上げてきた 人間の想像力を解き放つ力の凄味を感じずにはいられない。僧との遣り取りのうちにこれはいわば型どおりに 正体が明かされて前場が終わり、今度は本当のアイ狂言となる。

能は「幽霊」という存在様式をあたかも自明のようにして扱うのだけれど、普段は幽霊などとは無縁の世界に 生きている人間が、舞台の上に現れる幽霊に何の違和感も覚えないのは、能自体が単なる見世物ではなく、 超越的なものへの通路を開く、祭祀的・奉納的な側面を備えていて、その力が現在に至るまで継承されているからに 違いない。だがそうした条件の上で、実際に幽霊を舞台の上に呼び出すべく風景を変容させるのは囃子方の芸の力であり、 舞台の上に幽霊を現出させるのはシテと地謡の芸の力である。

現実離れした世界が確固たるリアリティをもって現れるという点では、後場は更に圧倒的であった。 これまでもしばしば、事実としてはそれは能舞台で作り物を用いて演じられたに違いなくても、記憶から呼び出してみると 舞台は消えて、恰もそれを自分がかつて実際に見たように風景が再構成される経験はしばしばしてきたが、今回の場合もそうで、 記憶から再構成される風景の中では橋掛りは消え、水面に浮かぶ舟にのった遊女の舟遊びが、だが現実離れした内側から 発するような光に照らされて浮かび上がるのが見えるばかりである。

その後シテのみ舞台に残ってのクセは、これも(少なくとも私には)些か古風に感じられる所作を伴う舞グセであり、 あたかもシテの心境を托した舞を見るかのようでいて、実際には、既に達観して或る種の悟りの境地に達している者が 自分の到達した地点から自分が生きてきた世界を眺めるような、どこか現実離れした不思議な透明感があるように感じられた。 後でその時の感じを反芻しつつふと頭の中をよぎったのは、伝承によれば性空上人は目を閉ざせば仏がいて、目を開ければ 遊女が舞っている、という経験をしたという話で、それを強いて遊女から菩薩への変化の過程ということに帰着させて しまえば、クセの部分からその変容は徐々に始まっているような印象であったということになるのかも知れない。例えば 「凡そ心なく草木、情けある人倫、いづれ哀れを遁るべき、かくは思い知りながら」というように、クセの詞はまるで 波の満ち引きのように、息のめぐらしのように、或る瞬間には語られる迷いの世界の中にいるようで、次の瞬間には そうした迷いを解脱した境地、前生も来世も、世々の終わりをわきまえた境地にいるかのようである。

だが最も印象的だったのは、舞の出だしの囃子の不思議な効果であったと思う。事前の解説によれば恐らく主として 囃子方の小書きによる効果なのだろうが、普段とは別の次元に落ち込むような感覚、時間や空間が変容していくような感覚が 大小の独特のリズムと間合いによって生じる。シテの舞も、段を重ねる裡には徐々に常の序の舞のようにも見えてくるのだが、 最初のうちはまるで人間が常に生きているのとは異なる別種の時間の流れの澱みに落ち込んだかのような、どこかがずれていて、 だがそれゆえに普段は見えない何かがふとしたはずみで滲み出してきて、だんだんと見えてきてしまっているような感覚に囚われた。

それが心の奥底から浮かび上がってきたものなのか、外部のどこかから 到来したものなのかはわからない。が、心の奥底の無意識の領域というのは、結局意識にとってはそれも一つの外部で あることには変わりなく、そうした自分でも知らない領域を人間は自己の内側に抱えているのであって、そういう意味では 自分の奥底にこそ自分とは他なるものへの通路が穿たれているというのが人間の精神のあり方であることを思えば、 今回の演能は、まさにそうした心の奥底まで照らし出すような力を備えていたということなのだと思う。

そして序の舞が終わり、謡が再び始まった瞬間には、気付けばもうそこにいるのは遊女ではない。だが、例えば序の舞が 遊女が仏身となる過程であるというのを序の舞の間に認識できていたわけではない。それは結果からのいわば因果を 逆向きに辿った推論であるに過ぎない。しかもそれは意識的に行われるとは限らず、意識の閾域下の無意識的な編集の 結果、あたかもそのような順序で出来事が継起したかのように、意識は思い込まされるものなのである。確かなのは、 舞が終わったときには時間・空間の意識が変質してしまい、普段自分が生きている現実では絶対に経験できないような、 透明で純粋なものに充たされた場のうちに何かが立っているのが見えるということだけなのだ。

「江口」は馬場さんのお話にもあった様に、遊女が仏身になる、あるいは普賢菩薩が遊女として化身していたのが、 その本当の姿を現すという出来事を主題とした能であるということで、ほとんど能評のみならず能に関連した文章を 普段読むことのない私ですら、お仕舞や演能の記録や評論の類に、仏になったように見えたとか、象が現れたとか いう文章を目にすることがある作品である。勿論、それらは恐らく決して修辞の類ではなく、 見たままを書いたものなのだろうと思うし、私も観能の際に類似の経験をすることはしばしばある。 そうした経験について言えば、勿論それを現実と取り違えるようなことはなく、そうした印象が虚構(ただしいわゆる 錯覚に近いことが生じることはままあるが)であり、或る種の心理的な効果に過ぎないことは前提となっていて、 例えば今回なら、キリで曇に乗って去っていくくだりの橋掛りでの所作は、あたかも詞章の内容を目の当たりに したかのような印象を与えるものであったし、序の舞が終わった瞬間、気付いた時には、或る種の相転移の あちら側に既に移っていて、遊女が仏身になる、あるいは普賢菩薩が遊女として化身していたのが、その本当の姿を現した かはともかく、後場の始まりで舟遊びをしていた存在とは異なる存在がそこにいるということは明らかなことに思われた。 勿論それは、シテの力量、地謡と囃子の力量の合わさった結果であり、そうしたことが常に起きるわけではなく、 この日演じられた演者の方々にとってさえ、一期一会の経験に属するようなことなのではないかと思えば、そうした場に 立ち会えた僥倖に感謝すべきなのだと思う。

だが、その上で、「仏を見た」という証言の方はどういうことなのか?ワキの僧は、性空上人がかつてそうであったように、 文字通り仏を見たのだろうが、その物語の上演を見所で観ている人間が「仏を見る」というとき、 それは正確に何が起きたということなのだろうか?能において、神様や天女が出てくるのは、幽霊が出てくるのと 同じことで別段珍しいことではないのだから、能の作品に仏が出てきても不思議はないには違いないが、 今回の演能を拝見して私が常ならぬひっかかりを感じているのは、そういう水準の話ではない。そうではなくて、 最高度の演能であればこその経験であるには違いなくとも、 技術的な達成といった次元を超えた何かに触れたのではないか、ということなのである。 それが私の主観的な思い込みであったとしても、それが私に起きたというのは疑いない。デカルトの意地悪な霊の しわざかどうかはこの際問題ではなく、そうであったとしても、それが起きたのは私にとっては疑いないことなのだ。

今回の演能の後半において私が経験した状態が、なんとも名状し難く、言語化し難いものではありながら、 演劇的な効果の水準を超えて、寧ろ祭祀や儀礼の次元に近い性質の、或る種の「神的なものの場」とでも名付けるほかないもの だったのではないかということである。その印象は自分の心の中の空間の中にたちまち同化して定着できるようなものではなく、 寧ろ謎めいて、容易に同化し難いものでありながら、寧ろそれが持つ力の作用によって自己の内面の抽象的な空間の中の 配置が変わって風景が一変してしまうような、自分にとって異質なものの経験なのである。

再びそれを反芻しようとしても、今となっては、演能を拝見したのは勿論のこと疑いえぬ事実だとしても、 そこで自分が「見た」ものが何であったか、どのようであったのかを正確に再構成すること自体困難であり、 己の風景の中に起きた変容を再認した結果をいわば間接的な証拠として、辛うじて確かに 何か見たに違いない筈だという他ない、といった有様なのだ。そしてもしかしたら、その同じ経験が、或る人にとっては まさに仏に変化する演技を鑑賞するのではなく、文字通り「仏を見る」ことそのものなのかも知れない、否、 いずれの日か、それが「仏を見る」ことだったのだと思い当たることになるのかも知れないという気さえするのである。

勿論、だからといって何か宗教的で神秘的な、あるいは超常現象の如きものを経験したと言いたいわけではない。何なら即物的に、 自分の脳内にあるネットワークの、普段は気付かない奥底の領域が測量されるような経験をしたという言い方をしても いいのである。「人間ならば誰もが心の奥底に宿しているはずの合理的思考を越えた内なる宇宙を想起させるための 儀式のようなもの、そこには自我もなく思想や感情もない、というより、そこからぼくらの思考や感情が湧き出してくる、 そのありかをぼくらの前に一瞬だけ、顕わにする技法」というのは、コンピュータ音楽、メディア・アートの領域で 際立った活動をされている三輪眞弘さんが音楽とは何かについての自問の中で記した言葉だが、能楽が、今回の上演のような 当代きっての名人達によって演じられたとき、まさに現代における最先端を見据えた異なる領域での問いかけに対する 応答になりうるようなポテンシャルを備えているのだということを身をもって経験したということなのだろうと思う。

私は日常として能に接しているわけではないから、まずもって能楽が演じられる現実そのものが自分の生きている現実との 接点を持たないということがまずあって、更に能が演じられることによって現出する時空は、それがかつて実際に起きた 事実に取材したものであったとしても、或る種ヴァーチャルな世界に属しているものなのだが、一見すると儚く無力に、あるいは 時として余剰で無駄にさえ見えかねない(実際、能楽に接することなく生きている人は大勢いるし、私の普段の生の圏に おいては圧倒的な多数派である)そうしたヴァーチャルな世界こそ、現実を生きる意味なり価値なりを与えるものであり、 ヴァーチャルなものこそ人間の精神にとってはなくてはならない次元なのであるということを認識したように感じている。 「仮の宿」というのは、そうしたリアリティとヴァーチャリティの認識における転倒を端的に言い当てた言葉ではなかろうか。

世の成り行きに巻き込まれていれば、自分がその中で遣り遂げたものの裡にも、何某か、自己の有限性を超えたものに 通じる途があるという信念すら危うくなってしまう。遊女の境遇にある者の語りは、時代も環境も全く異なってはいても、 自分には決して無縁なものとは思われない。仮の宿に心を留めて、随縁真如の波の立たぬ日もないというのは、まさに自分の生きる 現実のことに他ならないではないか。そしてそういう私にとって、今回、偶々「江口」の演能に接した経験というのは、 自分が生きる狭隘な世界における成り行きに対する無力感の向こう側に、自己の有限性を超えたものに通じる場が 気付かずして存在しているという認識を、単にそうした事柄を主題とした作品が演じられたという水準を超えて、 まさに上演そのものが備えている力によって、自己の有限性を超えたものに通じる場を現出せしめることによって 再認させる出来事であったといえると思う。こうしたことを確認もせずに言うのは不遜の謗りを免れないかも知れないが、 こうした経験をするときというのは、恐らくは演者の方々の心持ちが見所にも伝播して共有される、それもおそらくは 会場の大半を占めておられたに違いない、技術的にも充分な知識をお持ちで、常日頃から能をご覧になって、 その世界をずっと良く知っておられる方々だけではなく、一年振りに能を拝見するような私のような人間の心にも 伝わっていることの結果であるに違いなく、であるとすれば演者の方々もまさにご自分の力量によってそうした 「神的なものの場」が開けたのを経験されたのではないかというように思う。そしてもしかしたら、その経験こそ、 「仏を見る」という言葉で指し示されていたものに相違なく、ただ信心のない私にはそれが、そうと明確に 認識できるような形を取らなかっただけに過ぎないのではと。或いはまた、主観的には臨死経験として受け止められる ヴィジョンというのが、その人の文化的・宗教的環境に応じて異なるものになるにも関わらず、脳のある部位が 刺激されることによって惹き起こされるらしいというメカニズムの点では共通性があるという知見を思い 浮かべてもいいかも知れない。

勿論、観能の時間が終わり、 それをこのように反芻する時間も過ぎればまた、世の成り行きの波間に漂う状態に戻るには違いないけれど、 或る種の「神的なものの場」に接した印象は、それが客観的には錯覚であるとしてもなお決して無ではない。 能と同様に祭祀的な側面を持っていたギリシア悲劇を念頭にアリストテレスが定義した意味での カタルシスの作用は、単なる気分転換に留まることなく、かつて「魂」と呼ばれた心の或る領域に対して 不可逆的な作用を及ぼすものに違いないのだ。(ちなみにアリストテレスの悲劇論におけるカタルシスは、 それが登場人物についてのものなのか、観客についてのものなのかに関して諸説あることは、今回の経験から すれば寧ろ当然のことのように思われる。そもそもその2つを区別することができるような状況というのは カタルシスとは呼べないのではないか、と。)

いつものことではあるが、今回の演能がどんなに優れたものであったかについてはそれを語るに相応しい人達に 委ねて、私はここでこのように、普段能楽とは無縁の生活を送っている人間にとってさえ、今回の演能に接した ことがどんなに得難い経験であったかを証言することに留め、最後にもう一度、主催者を初めとする演者の方々や 拝見する機会を与えて下さった方々への御礼の言葉を記して、拙い感想の結びとしたい。(2014.4.6,7,8)

2013年4月14日日曜日

「第7回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成25年4月6日)

能「伯母捨」
シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生閑
ワキツレ・宝生欣哉・御厨誠吾
アイ・山本東次郎
後見・塩津哲生・中村邦生・友枝雄人
笛・一噌仙幸
小鼓・大倉源次郎
大鼓・柿原崇志
太鼓・観世元伯
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・内田成信・金子敬一郎・大島輝久・佐々木多門

2007年の初回から数えて7回目となる今回の香川靖嗣の會は、老女物の中でもいわゆる「三老女」の一つである「伯母捨」が取り上げられた。 いつもの通りの公演冒頭の馬場さんのお話では、永く能に親しみ、とりわけても香川さんの演能に立ち会ってきた方々にとって「いよいよ」という 言葉がぴったりくる番組であることを、いつになくインティメイトで期待感に溢れた熱の籠った口調で語られていたが、まだ能を拝見するように なってようやく十年を過ぎたくらいの私のような人間にとっては寧ろ、これまで話には聞くばかりで拝見する機会がなかったあの「伯母捨」を 拝見できるという、自己の文脈において「いよいよ」という言葉がぴったりくる。

生憎の春の嵐の到来が予告される日となったにも関わらず、いつもの通り補助席が出て満席の盛会も、この期を逃せば恐らくは再び 拝見することの適わないまさに一期一会の機会であると考えれば不思議はない。私のように年に数回ばかりしか演能を拝見する 余裕のない人間にしてみれば僥倖とでも言うべき機会であった。

だがその「いよいよ」の番組を拝見しての印象はと言えば、一週間を経てもなお、自分が受け止めたものを十分に言葉にすることが できるようには思えない。否、受け止めたものを十分に言語化して定着させることができないもどかしさは毎度のことであり、 今回に限ったわけでもないのだが、今回については自分の観たものが、自分の中で咀嚼されることなく、その異質性を 保持したまま自分の内部に埋め込まれてしまったような感覚がある。あるいは自分が気づかないだけで自分の奥底に 秘められている自分自身にとっても未知の部屋の存在に気づかされたような感覚と言い換えても良いだろう。

幸いにも香川靖嗣の會を毎回欠かさず拝見させて頂いてきて、回を重ねる毎にとみに最近強く感じるのは、その演能の内容が、 私のような人間が受け止めるにはあまりに豊かであまりに価値あるものなのだということである。今回は更に番組が「伯母捨」で あったことが加わって、自分が見所で観たものを、それに相応しい仕方で受け止めるだけの準備が自分に出来ていないことを 痛感せざるを得ない。だが、私としては、そうした事態を踏まえた上で、自分が感じたことを書きとめておくほかない。それは 自分の不確かな記憶の中に封じ込めておくにはあまりに大きな価値を有しているので、それを自分の外部に定着させ、記録する ことが恰も自分にも果たすことのできる最低限度の義務であるかのように感じている。以下は未だ観能の記録にすら達してない、 演能を拝見したとりとめのない印象に過ぎないが、ともあれそれを書き留めておくことにする。

老女物の中でも特に別格の稀曲というイメージからの先入観とは裏腹に、実際に拝見してみると、勿論、常ならぬ雰囲気が鮮烈に 感じられることは確かだが、「伯母捨」の能の構造自体はそっけないと思われるほどに非常に簡素なつくりの複式夢幻能であることに気づかされる。 何よりもまず、前場があまりにあっさりと経過することに驚かされる。だがそれは複式夢幻能の「典型」であるということではなく、 実は「複式夢幻能」に常には存在しているはずの脈絡のようなものがほとんど削ぎ落とされてしまっていることに起因しているように思われるのだ。

里の女と見えたものが実は捨てられた老女の霊であることが明かされるが、その由来は語られることなく消えてしまう。常ならばいわば前場の 「復習」のように由来を語る間狂言で、だがここでは初めてその脈絡が明かされる。具体的な固有名まで織り込まれたアイの語りは 演者の力量も相俟って、能の本編でのしかしたら意図的な「言い落とし」をあたかも補償するかのような克明なものだ。

だが後場ではその脈絡が敷衍されることなく、あたかもそうした過去の経緯など別世界での出来事であるかのように月夜の舞となる。 舞を終えた後、一瞬だけ過去への意識の流れが迸るが、まさにそれを契機にして夜が明け始め、ワキはシテを残したまま舞台を去ってしまう。 シテもまた自分の妄執を語ることもなければ、回向による成仏もなく、ワキが先に去った後も舞台に残るシテは最後は蹲ったまま、 (まるで葛が覆う塚に帰っていく「定家」のシテのように、恐らくは「再び」)石となり、山と同化してしまう。終曲後、シテが立ち上がり、 橋掛かりを通って舞台を去っていくのを見所は見守ることになるが、それは作品の末尾で現実とは異なった或る別の次元で凝固してしまった 時間を、日常の次元の時間の流れに戻すために必要な行為とさえ感じられる。

順序が前後するが、太鼓がついて人間的な秩序からの離脱が強調される序の舞もまた、まばゆいばかりの月光の氾濫の中で、 時間の経過を拒むように歩みを緩め、そこかしこで今にも立ち止まりそうになる。実際にはそれが終わって停止すれば、 彼女は再び石と化する他ないのだ。「伯母捨」の能は、他の蔓物の能がいわば 背景として潜ませていた闇を物語の外部にいわば押しやってしまい、その結果として透明で神々しい月光に満たされた世界のみを 見所に提示するかに見える。だがそこまでして排除しなければならなかった闇の深さを舞台の上に満ち溢れているかのように感じられる 光のまばゆさによって測ることができるように、一見すると無心にさえ感じられるその舞は、繰り返し繰り返し石から甦らせるだけの 衝迫が支えているものであることをその舞そのものから感じ取らずにはいられない。

実際に初めは仏性の顕現であるかのような神々しさを帯びているというのに、舞が終わった後になって あの「わが心慰めかねつ更科や姨捨山に照る月を見て」の歌が、ついで「返せや返せ昔の秋を」という詞が謡われるとき、 彼女が己の妄執と呼ぶもの、彼女を石と化し、山となった状態から一人の老女の姿に呼び戻す力の存在がようやく顕らかになるように 感じられ、見所は非常に簡素なつくりの複式夢幻能と見えた作品の構造そのものの背後に潜む力の大きさに気づかされる。

番組冒頭に馬場さんも言及されていたことだが、この老女には若き日の栄華があったわけでもないとしたら、「かへせやかへせ昔の秋を」 と呼びかける昔とは、一体どんなものであったのか?自分の妄執の原因となった出来事は能の時空においてはいわば抑圧され、 ワキと見所は辛うじてアイの語りを通して知るばかりだ。その昔というのが捨てられた山中で降り注ぐ月光の下に垣間見た浄土の光景の中を 舞い遊ぶ経験のことであるとしても、その舞は(少なくともそれを経験している意識の水準では)常に最後まで辿り着くことなく終わってしまい、 彼女はそれによって救われることはないかのようだ。

修羅能であっても蔓物であっても、シテは自分の妄執の根拠に辿り着くことによって、 それを言語化し、反復することによって開放されるのだが、そうした心的な機制はここでは機能していないかのように思える。 寧ろ円環を描くように、夜明けとともに中断される月夜の舞が繰り返されるかのようなのだ。彼女が確かに観たと思った浄土の光景は、 彼女の凍りついた心に映し出された幻想ではなかったか、彼女は自分の受けた傷を自分の内奥深くにクリプト化して埋め込み、 それごと心を凍らせることによってしか清澄さを獲得することができなかったのではないかとさえ思える。それゆえその舞はこの世ならぬ美しさに 充たされつつ、どこか目を背けたくなる程の痛ましさを孕んでいるのではなかろうか。例えば「阿漕」のような、老女物の対極にあると見做されて いる作品(「三卑賤」という言い方もあるようだ)のシテは自分の妄執を反復しつつも、救いを得られずに永遠に悪循環を繰り返すほかない。 捨てられた者がそこに己の安らぎを見出した幻想に回帰し続けるほかないというのは、それが自分の蒙った傷からの恢復ではなく、 その傷をいわば封じ込めることによって辛うじて確保することのできた束の間の平安の達成を盲目的に反復する無意識の力のなせる業では なかろうか。

だがしかし、月光に充ちた浄化された世界を開示する序の舞を繰り返し舞うことが、自分自身からも隔てて、恰も自分の中にもう一つの 外部を穿つが如く、心の奥深くに封じ込めずにはいられない程の力を持つ経験の闇の濃さのいわば反作用の如きものであるとするならば、 一体いずれが救いであるのかは人間の判断を超えた問いではなかろうか。人は序の舞が始まるその瞬間にはあたかも救いが成就したかの 思いに捉われてぞっとする。あたかも人間が人間のままでは辿り着けない何かに触れたような感じがして、寄る辺なさに捉われずにはいられない。 捨てられるという極限的な状況こそがそれを可能にしたに違いないという認識自体におののかずにはいられない。更にはそうした極限的な 状況におかれた人間が自分の脳内に生み出した幻想に過ぎないのかも知れないという可能性の冷徹な認識に自らたじろがずにはいられない。

これは「老女物」の能が演者に課すとされる、一見したところ矛盾しているかにさえ見えるパラドキシカルな制約と構造的に同型ではなかろうか。 人がその一生の果てに最後に追い求めるものは、実はその時点では既に徹底的に損なわれている当のものであるかのような、極限的な、 だけれども実は人間という儚い存在にとっては当たり前であり、貴賎や貧富、栄耀の有無を問わずに突きつけられざるを得ない状況を 目の当たりにして、見所もまた、その美しさと勁さに打たれつつ、同時に自分の心の奥底のどこかが麻痺し、凍り付いていることを感じず にはいられない。だがその美しさと勁さとが、人間の尺度を越えたものに接したときに人が感じる「崇高さ」に達するものであるとしたら、 それはまさに「老女物」のようなパラドキシカルな形でのみ人間にとって開示可能なものなのではないかと思われる。あるいはこの後、 更に自分が老いていくにつれわかってくるものなのかも知れないが、今、この地点で接した私には、差し当たりそのように受け止める他ない。

アドルノが全く別の文化的伝統の中での一つの極限とでも言うべきある作品に対して用いた「救い主の危険」ということばが脳裏をよぎる。 能はかくして単なる趣味・娯楽ではありえず、演劇としての内容すら捨象した極限において、三輪眞弘さんがこれまた一見したところ 全く異なる文脈で音楽の定義として述べた「人間ならば誰もが心の奥底に宿しているはずの合理的思考を越えた内なる宇宙を 想起させるための儀式のようなもの、そこには自我もなく思想や感情もない、というより、そこからぼくらの思考や感情が湧き出してくる、 そのありかをぼくらの前に一瞬だけ、顕わにする技法」こそが相応しいものに感じられる。それは虚構であったとして、幻想であったとして、 だが、そこで確かに実現されるのだ。そしてそれを実現するためには一生をかけた鍛錬の裏づけをもった名人の芸の力が必要なのだ。

演奏の素晴らしさについては改めて言うまでもないし、私のように技術的な方面には疎い人間がそれを十分に記録できるとも思えない。 自分の聴いたのは確かに様式化した能のお囃子であり、謡であり、語りであった筈なのだが、自分の心に定着し、 残っているのは、その文字通りの音色や節回しであったり間合いであったりというよりは、もっと大きな風景や気象の変化、 もしかしたら人間的な尺度を半ば超えているのであろう、地質学的・天文学的とでもいうべきリズム・呼吸のようなものであり、 その中に、ほとんどその風景に同化し、風景の一部となりかかりつつ、だが決して完全には同化し消滅することのない、 或る種の「念」とでも呼ぶほかないものの気配である。

あるいはそれは、この日の観能によって呼び起された、自分の内奥の、 無意識の領域の声の幽かなこだまなのかも知れない。日常の世の成り行きとの関わりのなかでは埋没し、意識されることのないその声は、 だが実は、そうした日々をやり過ごすための原動力であるかも知れないとも思う。それが「幻想」であったとしても、月光の下で垣間見ることの できた風景があれば、それを反芻することが或る種の救いになりえるのだ。勿論、それ自体「仮初め」の、ある意味では失敗を運命づけられた 救済なのであるが、それでもなお、彼女はそれを反復し続けるだろう。

私は「伯母捨」の老女に同化できるほどの年齢ではないけれど、その限りにおいてはそうした状況の構造が自分にとって全く異質なものとも 感じられない。否、もしかしたら能を拝見すること自体がある意味では私にとっての還るべき「昔の秋」なのかも知れないとも思う。 何よりもそれらによって何とか日々を生きる力を獲ていることは間違いないことだし、春の嵐の日に数時間の間に確かに接することが叶った 「伯母捨」の舞台が、今後自分が繰り返し繰り返しそこに戻るべき経験となったことは確かなことに思われるのだ。

というわけで、このとりとめのない印象を連ねた文章の結びとして、かくも素晴らしい舞台を実現した香川さんをはじめとする演者の方々に 敬意と感謝の気持ちを記して筆を擱く事にしたい。 (2013.4.13-14)

2012年6月3日日曜日

「第29回二人の会」(喜多六平太記念能楽堂・平成24年6月2日)

能「當麻」
シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生閑
ワキツレ・宝生欣哉
ワキツレ・大日向寛
アイ・野村万作
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌仙幸
小鼓・成田達志
大鼓・国川純
太鼓・観世元伯
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・大村定・粟谷明生・長島茂・友枝雄人・内田成信・金子敬一郎

伺うところによると「二人の会」も次回の30回が最終回とのことで、香川さんがシテをお勤めになるのはこの会では今回が最後。 その最後の番組は「當麻」。能が単なる演劇に留まらず、或る種の「奉納」としての機能を今尚喪なっていないと感じ、 とりわけ香川さんの舞台を拝見してきて、その思いを都度新たにしている私にとって、棹尾を飾るに相応しい最高の番組である。

能ではしばしば前シテとして登場する謎めいた人物が、何らかの執心により成仏することが出来ないでいるところを、 ワキの僧の回向により成仏をするという構造を持つが、この能では、囃子に呼び出されて前場で登場する化尼と呼ばれる 老いた尼は、彼女が伴う化女と呼ばれる若い女とともに、明らかにこの世ならぬ雰囲気を漂わせつつ、だがそこには憂いも鬱屈も 微塵も感じさせない。三熊野から大和路を経て京都に向かう途上であることを告げる聖もまた、喜多流では匿名の念仏聖ではなく、 間接的な仕方ではあるが、明らかに一遍という固有名を備えた人物であることが名乗りによって見所に明かされるのだが、 その聖に対して明かされる老尼の来訪の目的は「法事」である。同時に、舞台上の時間における「今」が時正の時節という季節の節目、 昼夜が等しくなる日、釈迦入滅の日というこれまた特定の日付を持った日であることが告げられる。「法事」とは特別な「日付」、 一回性の出来事を記憶し、それを繰り返し思い起こすことによって伝承する行為に他ならない。

こうした特定の日付の参照は実際には他の能でもしばしば起きているかも知れず、別に「當麻」の能に限られるわけではないの かも知れない。それこそ統計的な調査でもすれば客観的な事実が明らかになるのかも知れないが、にも関わらずそうした事実とは 別の位相で、この能を拝見していると、固有名をもった存在、一回性の出来事を記念する日付を記憶し伝えるための反復と いった側面がとりわけ強く感じられるという事実はなくならない。それはアイの門前の男の語りにも及び、そこでは(まるで後シテを 予告するかのように)中将姫が生身のまま浄土に赴いたとされる日付、皐月14日への言及がなされる。

実はワキの聖が出会った老尼と若い女は阿弥陀如来と観世音菩薩の化身に他ならず、後シテもまた、中将姫の精魂であり、 従ってここには成仏を願う心のベクトルもなければ、苦患の様を示しつつ遂には解脱するプロセスもない。中将姫伝説の総体のうちには 例えば継子虐めのようなモチーフも含まれるのだが、この能においてはそれは直接語られないし、伝説に基づくもう一つの能である 「雲雀山」での中将姫を守り抜く乳母の物狂いもまた、ここで語られることはない。「世の成り行き」の仮借なさと、そこでの暴力は 作品の外側においやられてしまい、この能の中では専ら、前場においては當麻曼荼羅の由来の中で生身の弥陀如来の来迎という 出来事が語られるし、後場の舞もひたすら浄土讃仰の舞であり、それらはいわば瞬間の裡への永遠の到来により絶対的な瞬間が (原理的には無限に)引き延ばされた断面なのだ。

決定的な瞬間とは、未来から 何かが到来するそれであり、例えばホワイトヘッドのプロセス形而上学における時間論の一解釈である「時の逆流」こそが事態を 適切に言い当てていると感じられるようなそれである。場違いを承知で自分の知る限り、類比できるものを探すとすれば、 例えば(背景となる筋書きも内容も全く異なるが)ゲーテの「ファウスト」の第2部終幕が要求し、マーラーが第8交響曲の 第2部で実現したような時間の流れが思い浮かぶ。表面的な否定の契機の不在についても並行しており、 「ファウスト」の終幕が繰り広げられる森深き山峡にも背後の文脈から射す死の影を読者が感じ取ることができることもまた、 ここでは二上山が(折口信夫の「死者の書」ではそれは明示的に扱われているのだが)死の影が差す場所であり、 それゆえ西方浄土のいわば「門」の如き存在であったことと並行しているかのようだ。 一方で、(それをここで詳述することは最早場違いとなるだろうから控えるが)一見したところ全く異質なものと思われるかも知れないが、 一回性の出来事が生じた「日付」を記憶し、「他なるもの」に向かう「対話」として詩を考えていたパウル・ツェランのこと、更には そうしたツェランの詩を取り上げ、一回性の出来事が反復によってしか他者には伝えることのできない構造についての 思考を、更には「芸術」と「崇高」の関わりの様相についての思考を繰り広げたジャック・デリダのことを思い浮かべずにはいられなかった こともまた、これは専ら自分の備忘のために書きとめておくことにする。

そうしたことから寧ろ雰囲気は脇能のそれに近接する感さえあるこの曲は、人物の解釈であるとか人間的な心理の過程の表現で あるとかといった水準での演出の斬新さのようなものを受け付けず、そうしたものの介在無しに寧ろ直接に演者の技量や心境が 問われるという意味で難曲であろうことは素人目にも明らかなことなのだが、この日の上演はシテの香川さんは勿論、ワキの宝生閑さん、 友枝昭世さん地頭の地謡、一噌仙幸の笛と国川さん、成田さんの大小に更に後場では観世元伯さんの太鼓が加わる囃子、 そして野村万作さんのアイ狂言と、全てが揃った理想的なものであった。永遠を閉じ込めた瞬間を拡大して示すことに成功した 演奏に接して、私は途轍もなく高密度に圧縮されたもので、寧ろ簡潔とさえ形容したくなるような不思議な時間感覚を味わった。 夢の中の時間の流れが現実の時間の長さとは無関係であるように、終わってみると一瞬のことのような、でもたった二時間程度とは 到底思えないような長い時間が経過したような感覚に囚われた。それはまさに「時の逆流」に相応しい圧倒的な経験であり、 能の上演自体が、「當麻」の作品の題材である決定的な出来事の反復そのものであるかのように感じられた。このような上演に よってこそ、或る日付を持った一回性の出来事が時間を通って記憶され、継承されていくに違いない。そうした上演に接することが できた僥倖に感謝したいと思う。能の上演時間の全体が、というわけではないにしても、思わず「奇跡」という言葉を使いたく なるような瞬間の訪れを幾たびとなく感じた。

印象に残った部分を挙げるのは、それが多すぎて困難な程であるのは香川さんの近年の演能では常のことになっているが、 特に圧倒的であったのは、前場の頂点、否、全曲の頂点と言っても良い當麻曼荼羅の由来を語るクセの部分。 地謡の謡いの克明さに、まるでその場に立ち会っているかのような感覚に戦慄を覚えた程。 一般的な意味での人間的な表情とは異なるのだが、化尼の表情がいつしか変わっていき、 文字通り生身では決して見ることのできない筈のものに遭遇しているような感覚に捕われ、軽い恐慌状態に 陥りかかったように感じる。そして引き続いて「音楽」が鳴り響く中、シテの昇天の足どりによって老尼が紫雲に昇って 二上山へと昇っていく様を、シテが橋掛りを通って揚幕に消えて中入りとなるまで、まるで当たり前のように観ることになる。 クセ以降の囃子の効果は、囃子の響きそのものが「音楽」の模倣・表現であるというのではなく、寧ろ聴こえないはずの「音楽」の、 そしてその聴こえない音響がもたらす万華鏡のような色彩の共感覚を暗示的に浮かびあがらせるかのようだ。

後半では、まず囃子に呼び出されて揚幕が上がって橋掛かりに中将姫が出現する瞬間が圧倒的である。 以前の三輪では作り物の幕が後見によって降ろされた瞬間に会場が声にならないどよめきのようなものに包まれたのを はっきりと覚えているが、今回も中将姫が橋掛かりに現れた瞬間、やはり会場が一瞬凍りついたような緊張に包まれたのが 感じられた。早舞では、かつてやはり香川さんが舞った翁を拝見した折に感じたような、身体の芯からじわじわと暖かみが 湧き上がってくるような感覚を再び経験する。勿論、段の区切りはあるし時間は経過しているのだが、にも関わらず停止した 瞬間の中にいるような不思議な感覚である。それは自分が何か別の秩序のリズムに同期している身体の感覚のもたらす ものなのかも知れない。

実のところ前日までの疲れが抜けきらず能楽堂を訪れたこともあって、「當麻」という作品が要求する緊張に自分がついて いけるかに懸念を感じていたのだが、それもまた素晴らしい上演の前には杞憂であった。逆に自分の中に蓄積した澱の ようなものが流れ出し、恰も新らしい身体を得たような気分で能楽堂を後にすることができたことを、香川さんをはじめとする 演者の方々への敬意と感謝の気持ちを篭めて最後に記しておきたいと思う。(2012.6.3,4)

2012年4月8日日曜日

「第6回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成24年4月7日)

能「安宅」 延年之舞・貝立
シテ・香川靖嗣
ツレ・友枝雄人・内田成信・粟谷浩之・佐々木多門・大島輝久・金子敬一郎・狩野了一
子方・内田貴成
ワキ・宝生欣哉
アイ・野村萬斎・深田博治
後見・塩津哲生・内田安信・友枝真也
笛・松田弘之
小鼓・鵜澤洋太郎
大鼓・国川純
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・出雲康雅・大村定・粟谷明生・中村邦生・長島茂・粟谷充雄

初回より毎年欠かさずに拝見させていただいている香川靖嗣の會も6回目。身辺の慌しさ故に観能の機会を絞って後は、この会が その年に拝見する最初の能となるというのにも何時しか慣れてしまい、生活のリズムのようなものになっていると感じられる。と同時に、 昨年は東日本大震災の直後で、演能中にも余震があるという異様な状況であったことが否でも思い出される。今年は暦のいたずらで 4月の第1週の週末の開催となり、2月から4月初頭にかけての慌しさが収まりつつあり、気力・体力が徐々に恢復する途上での観能 となった。番組は初めて拝見することになる「安宅」、題材はあまりに有名な話である意味で過剰な程の先入観に浸されている物語が 香川さんの演能ではどのような舞台になるものか、想像もつかないまま目黒の舞台に到着した。

そういう次第だから、このストーリー性が強く、場面の変化に富み、為所、見所の多い有名な現在能にあるであろう様々な演出上の 工夫による差異について書くことは私にはできない。そのかわり震災から1年を経て、未だ傷の癒えぬまま、(移動の電車の中での読書の題材として、 丁度ヘーゲルの「精神現象学」を読み返している最中であったので、その用語を借りるならば、)「世の成り行き」(Weltlauf)に揉まれ、 「不幸な意識」の裡にあって展望もないまま一難去ってまた一難の状況に右往左往している自分にとって、慰藉され、力づけられるところの 多い舞台であったことを劈頭に記すとともに、回を追う毎に芸境を深められ、ご自身で「不得手」と語られる曲において、かくも完成度の高く、 感動的な上演を達成された香川さんに深い敬意と感謝の気持ちを述べておきたい。 この会では恒例の冒頭のお話で、馬場あき子先生は「弁慶はわたしたち庶民が生み出した」といった意味のことをおっしゃっていらしたが、 そうであるならば「私の弁慶」を投影した拝見の仕方にも一分の理があることになるだろうと考えることにして、以下に拝見した印象を 記しておくことにする。

開曲は宝生欣哉さんの富樫の名乗りから。太刀持ちとの対話により場面の設定がなされ、その後次第の囃子に誘われてまず子方の 義経が、ついでシテの弁慶が、そしてその後に付き随って立衆が橋掛かりに登場する。子方の内田貴成君は当初の配役の怪我のため 急遽の代役とのことだったが、折り目正しい演技と謡も勿論だが、立っているときだけでなく、着座したり床机にかけているときも姿勢良く、 落ち着いていて、見事に義経を演じていたと思う。能のみならず、他の様々なジャンルで義経は様々に演じられているが、 私見ではその中で義経に投影されたイメージを最も鮮やかに演じているように感じられ、代役とは思えない素晴らしい演技だったと思う。

その義経とのやりとりから浮かび上がる弁慶は、何よりも義経のことを思い、追い詰められた状況で次から次へと押し寄せる危難に対し、 沈着冷静に部下をまとめて対処することで切り抜けていく有能なリーダーであり、状況の推移に応じて変化する弁慶の心理が詞や 謡の端々に克明に浮かび上がるのが印象的だった。枚挙に暇がないところをほんの一例をあげれば、有名な勧進帳を読む場面、 「もとより勧進帳はあらばこそ」の詞に篭められた一瞬の心の動きは見所の肺腑を突くような激しさを内に秘めているように感じられた。

長大な道行から始まって場面と登場人物が次々と入れ替わる構造の能だが、囃子の先導での場面転換は非常にスムーズで、 巨視的な構造の把握も確かなものに感じられた。特に松田弘之さんの笛の鮮やかさには瞠目すべきものがあって、とりわけ 要所要所でのここぞという間合いでの一閃は圧倒的だった。またこの上演でも立衆のツレが7人と非常に登場人物の多い能だが、 連吟となる冒頭の道行きやノットの迫力もさることながら、立衆の所作も統率が取れていて、少しも雑然としてやかましい感じにならないのは見事。 更には他の芸能であればもっと写実的に演じられるであろう勧進帳を覗き込もうとする富樫とそれを妨げる弁慶のやりとりも、強力に扮したものの富樫に 見咎められた義経を弁慶が打つ場面も簡潔な型で表現されていたのが却ってまるで心理劇を観るような奥行きを感じさせる。

これほど素晴らしい演能となるとある部分を取り立てること自体躊躇われるくらいなのだが、全曲の流れの中であえて特に印象に 残った部分ということになれば、勧進帳を読み終え、義経の強力の扮装を見咎められたのをあえて主君を打擲する演技により切り抜けて 無事に関を通過した後、一行が一息入れる場面だろうか。 先ほどの振る舞いを詫びる弁慶の詞に対して義経が「これ弁慶が謀にあらず八幡の」と詞を返し、それを友枝昭世さん地頭の地謡が引き継ぐところで 雰囲気が一気に変わるのは地謡の力量であろう。更に子方が「げにや現在の果を見て過去未来を知るといふ事」と謡うのを地謡が再び受け、 今度は弁慶が「たださながらに十余人」と謡うところは、前段の読み物の場面の緊張と、後続の場面が用意する全曲のもう一つの頂点たる 延年之舞の間にあって、ゆったりとした、いわばアドルノのマーラー論における「一時止揚」(Suspension)に相当する局面であり、 奥州への道程の中途での中休み、エピソードを為す。この部分のシテと子方の対話、子方の謡を、ついでシテの謡を引き取る地謡の 音調の穏やかさは心に沁みて忘れ難い。

けれどもここでもエピソードは本質的な意味を担っていて、この場面こそが義経・弁慶主従の置かれた境遇を照らし出す機能を担っている。 つかの間の平穏のもとで、主従は自分達の置かれた絶望的な状況を再認せざるを得ない。突飛な連想で牽強付会の謗りを承知で敢えて 感じたままを記せば、それは丁度、震災後の1年をどこか緊張しつつ過して再び巡った春の中で、 だが自分達の置かれた状況が依然として多難で予断を許さないものであることを否でも再認せざるを得ない自分の心境に呼応するようで、 その穏やかさが却って胸を打つ。

それゆえ富樫との再会もまた、道行における何度目かの試練に過ぎず、前の場面が自ずと準備したものであるとさえ感じられるのだが、 その試練に対して弁慶が延年之舞を舞うことによって作品上の2度目の頂点が形作られる。曲の終盤で舞を納めることそのものが 機能的には(まずもって見所にとって)アドルノの言う「充足」(Erfüllung)であるのだが、ここでは更に、ありもしない勧進帳を読み上げる機転のみならず、 図らずも主君を打擲することにより危難を脱することを余儀なくされ、そうした状況におかれた主君と己の立場にやりきれなさを感じた 弁慶の心情の充足のためのものでもあるだろう。その一方で、未来に到来するであろう更なる試練を予感し、それに立ち向かうにあたり己の 力のみを恃むことの限界を弁えている弁慶が主君の将来を慮り、神に願う気持ちを感じずには居られない。 能の舞には色々とあるけれど、現在能のこの作品においては舞はまさに生身の人間が捧げる祈りそのものなのだ。

その一方で最初に深く一礼して始めるの弁慶の舞は舞い進むに従い、だんだんと非人間的な力に充たされていくかにさえ感じられるほどの見事さで、 そこに居るのは一人の人間ではなく、馬場さんが語っておられたように、見所も含めた「世の成り行き」に翻弄されながら生きていく人間の願いや 思いが産み出した「弁慶」の姿が結晶化したものであるかのように感じられる。見所はそれに引き寄せられ、いつしか個別的な心情を超えて、 己の心を舞に虚心に同調させずには居られない。勿論、そうしたことが可能になるのはシテの香川さんの圧倒的な技量あってのことで、無条件で 起きることが約束されているわけでは全くないのだが、この上演においてはそうしたことがあたかも必然であるかのように起きたと感じられた。

延年の舞の途中でまるで何物かを切り裂き、「突破」(Durchbruch)するかのように、掛け声とともに弁慶が空中に飛んで降りる型があり、一瞬沈黙が支配する。 丁度作品の巨視的な構成と呼応するように、それを境に音調が変わり、松田さんの笛の一閃とともに舞の音調そのものもまた「充足」の 局面に入って再び高潮してゆく。そこから最後に、既にその場を離れた弁慶や立衆を追うように弁慶が橋掛かりに進んで揚幕の前で留めるまで、 見所は息をするのを忘れたかのように静まりかえって、その余韻は終演後、囃子方が橋掛かりにかかるころまで続く。まばらな拍手はこの上演が 見所にもたらしたものが、単なる演劇の鑑賞とは質の異なるものであることを物語るものに違いない。

現在能であっても、能は単なる写実的でリアルな心情の表現に留まることはないのだ。 そもそもがフィクショナルな存在である弁慶が舞う延年之舞は、物語の内側においては弁慶が義経の運命を思う心情の表出であるとともに、 様々な人の思いを集約するアトラクターのような働きをしているに違いない。だからこそ、私のように、他の上演と比較して特徴を述べることはおろか、 この上演の素晴らしさを技術的に言い当てる適切な言葉を持たない者であっても、この上演の帯びていた凄まじい力に対峙した印象を 述べることはできるのだと思いたい。それは長く続いた緊張の中で痛めつけられ、その挙句に痛みの感覚すら 麻痺しかかってしまい、その一方で貴重な何かに接しても感動することが出来なくなってしまい、干上がりかかっていた人間の心にも注がれ、 沁みわたり、鳴り響いて心を甦らせる滝の水のようなものであったことをここに証言することで、この貴重な舞台を拝見しての感想の結びとしたい。 (2012.4.8初稿)

2011年12月30日金曜日

「第28回二人の会」(喜多六平太記念能楽堂・平成23年12月23日)

能「松風」身留
シテ・香川靖嗣
ツレ・塩津哲生
ワキ・宝生欣哉
アイ・野村扇丞
後見・中村邦生・粟谷浩之
笛・一噌仙幸
小鼓・大倉源次郎
大鼓・柿原崇志
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・大村定・長島茂・友枝雄人・内田成信・金子敬一郎・佐々木多門

今年の観能は震災直後の「朝長」とこの「松風」のみ。震災の影響もあるだろうし、それ以外の要因もあるだろうが、今年の後半は多忙を極め、 気力・体力の限界に近い状態が続く最中、「松風」を拝見することになってしまい、私は目黒に足を運ぶことを逡巡せざるを得なかった。 自分の体調のせいで、舞台の質に相応しく拝見できるかどうかについて、率直に言って全く自信が持てなかったのである。以前の「砧」も 異様な状況での拝見になったが、その時の感覚がトラウマのように自分の意識の奥底に澱んでいるのが生々しく思い起こされること自体が 現在の自分の状態を告げているようにも思えたのだ。

そして拝見し終えて後、その演能のあまりの素晴らしさに引き擦り込まれ、集中して拝見できた一方で、その感想を纏める段になれば、 そこで起きたことを果たして自分が十二分に受け止め得たかどうかについては心もとないこと夥しい状況であることをこうして事前に申し開きせざるを得ない。 既に拝見してから一週間が経過してしまったが、その間に自分の中で受け止めた印象を反芻し、整理し、あるいは熟成させることが出来た訳ではなく、 寧ろその逆に、再び相対せざるを得なかった多忙に紛れてしまいかねない状況であったのだ。そうした状況に抗しえて、心中に鮮烈に刻印されている 印象を僅かでも書き留めることができるとすれば、それは一にかかって演能の素晴らしさのもたらすもの以外あり得ない。 「申楽談義」には、この作品は「こと多き能なれども、これはよし」とあるが、まさにそれを実証するような、細部に亙り、隅々まで充実した 圧倒的な演能であった。何時にもまして、まず香川さんを始めとする演者の方々に対して御礼申し上げたい。

実を言えば、目黒に足を運ぶことに躊躇いを感じた理由の一つに、番組がまさに「松風」であるということがあった。これもまた全く私個人の問題で あって、他人から見れば理解しがたいであろう心理的な機制によって、例えば「朝長」のような追悼の、慰霊の能であればともかく、「松風」のような 能を、その作品に相応しく受容できる自信がなかったのである。

だがこの懸念もまた、演能そのものの質によってあっさり覆されることになった。ただし上記のような心境の人間が受け止めたものは非常に個別的で 客観性を欠いたものであることは容易に想像される。従って以下はあくまでも上記のような文脈でこの舞台を拝見した人間の印象ということで ご了承いただければと思う。

この演奏で何といっても印象的だったのは、その囃子の雰囲気である。劈頭の名乗りの笛から始まって、例外的な「真ノ一声」、「物着」のアシライ、 舞からキリへと全編にわたって、濃密な海の気配、そして交替する現実感、場を支配する感情の表出と、どれをとっても最高の演奏と感じられた。 特に圧倒されたのは、絶妙の間合いで打ち込まれた柿原さんの大鼓の音によって始まった「物着」のアシライで、「物着」が物語の流れの中断、 中入りなどではなく、紛れも無く作品構成上、最も重要な部分ですらあって、実際には動かずに後見が装束を替えるのを座して待つシテの心情が、 その前の部分から全く途切れる事無く、寧ろ堰を切ったように高まり、溢れていくのを目の当たりにした思いがして、不覚にも私は涙を堪えることができず 天井を仰ぐ他なかった。考えてみれば「物着」というのは松風が自分の意識の奥底の核心的な部分、彼女がこの世に最早存在していない にも関わらず、幽霊として出現せずにはいられない根拠に真直ぐと降りていくことそのものなのであるから寧ろ当然なのかも知れないが、そうした 知的な解釈による理解は、その場を支配する感情の力の途方もない強さの前に色褪せてしまう。

そして物着を終えて立ち上がった時の表情は、最早元のままではあり得ない。それは普通の言い方をすれば「憑かれた」状態ということなので あろうが、物着のアシライによって舞台を支配してしまった彼女の思念の強さ、立ち上がった彼女の表情は、見所が見るものの現実感の 遠近法を変えてしまう。見所は最早ワキの僧の視線でもなく、諫止する村雨の立場でもなく、松風の見るものにこそ最高の実在性を見出すのだ。 生者ではなく幽霊である筈のものが更に憑かれるというのは冷静に考えればそれ自体異様な状況だが、ここでは物着によって、あたかも松風が 実在性を獲得したかのような逆転が起き、その後の中の舞も破の舞も、見ている者にとっては、それこそが紛うかたなき現実としか思えない。

だがそれは、今回の演能に関して言えば、まさに「真ノ一声」によってシテが舞台に登場するところから周到に用意されていたようにさえ思える。 登場した時点から、村雨と松風の存在の在り様は、通常の演出であれば意図するであるような双子的な類似性からは程遠く、香川さんの 演じる松風の存在感は、人間を離れた何かのそれであり、村雨と強いコントラストをなす。村雨は旅の僧や(少なくとも最初の部分での)見所と 松風との媒介のような存在であって、だから最初は連吟を通してしか松風の声は届かない。松風が一人で語り始めると風景が変容し、 現実の須磨の浦ではなく、或る種ヴァーチャルな時空間の中で汐汲みが行われる。その後塩屋に宿を請う僧と問答するのも、まずは村雨であり、 再び連吟ののち、幽霊としての己を明かすところに至ってようやく松風の声が単独で響くのだ。松風の声が単独で響くと時空が歪み、ヴァーチャルな 世界に舞台が変容することが潮の満ち引きのように繰り返されるのは能ならではで、ワキの僧が立つ現実から、幽霊が出現する位相、幽霊である 松風の心象のヴァーチャルな位相、そして物着の後の位相と、幾つかの相を遍歴するのも、囃子と地謡の名人芸的な自在さによるものに違いない。 一噌仙幸さんの笛はそうした相の移行を告げ、大倉源次郎さんの小鼓は虚ろになる現実感を、柿原崇志さんの大鼓は満ちてくる感情の波の 高まりを自在に表出する。相の移行の後の場の定位を行うのは友枝さん地頭の地謡である。

このように書けば、如何にも作品を図式的に捉えたかの如き印象を与えるかも知れないが、事実はその逆で、見所に居る私は舞台で 繰り広げられるそうした多重的な世界の往還の傍観者ではなく、寧ろ同伴者のような感じで舞台の上の出来事を経験したのである。 非常に極端な言い方になるのを懼れずに言えば、物着の後、舞の間、私は松風の見た世界、しかも彼女が幽霊ではなく、実在で ありえたかも知れない世界を経験した、私は松風そのものであったとすら言いうるかも知れない。こうした経験を可能にするのが能という芸術 なのだということを改めて実感し、その力の大きさに圧倒されたのである。

まだまだ印象に残った細部は数知れない。今回特に印象的だったのは香川さんの謡が実に明晰で、面を通してでありながら、そのニュアンスの 多様さと併せて、詞が一字一句はっきりと聴き取れ、心の中に真直ぐに飛び込んで、それがたちまちに風景となり心情と化すことであった。 囃子も、地謡もそうだが、香川さんの謡も、物質的な音を聴くのでなく、そのまま意味内容が聴き手の心の中に響きわたり、風景が眼前に 繰り広げられ、心情が押し寄せてくるかのようであった。

「真ノ一声」で登場したのと対を為すように、破の舞の後、松風は「松に吹き来る、風」そのものと化す。最後に残ったワキの僧が留めるのは 常の通りであっても、去っていったのは風の精か何かのようで、そこには人間的な感情というのが最早ほとんどないかのようだ。残った松風の 中に立ち尽くす僧とともに現実に還る私は、だけれども、不思議と晴々とした気持ちになっていることに驚く。まるで能を拝見することで、 自分の中に蟠っていた澱のようなもの、固着していたシコリのようなものが一時、洗い流されたような気持ち、或る種のカタルシスを得たのだと思う。

ここから先は、再び私の個人的な文脈での連想を書き留めておくことをお許しいただきたい。私は今回の「松風」を拝見していて、それが自分の中に 封じ込めてあった風景に働きかける力を感じた。例えば汐汲みで松島が、千賀の塩竃が呼び出されるとき、それを「融」の能への間テキスト的な 参照としてよりは、震災の津波が押し寄せた、私の心の中に刻み込まれた東北の海岸の風景を呼び覚ますものとして受け止めた。突飛な連想、 こじつけであると頭では思っても、松風が抱く作り物の松を見て、そのまま陸前高田で、一本だけ津波に耐えて後、今や無慚にも立ち枯れつつある松の ことを思わずにはいられなかった。「松風」の能そのものは恋の執心の物語かも知れないし、そこには背景となる伝説があり、それは私の連想とは 全く関係のないものであることはわかっていても、震災と津波によって断ち切られてしまい、心の奥底に沈められてしまった数々の思いが、 物着の後立ち上がって松に向かう松風の姿に重なるのを止めることができなかった。「松風」という作品の見方として間違いであっても、 抗い難い力によって損なわれてしまったものの恢復を待ち続ける深い思いが、このようにして極限までの美しさを備えた上演によって、 これからもずっと後世に伝え続けられること、そしてその演能の中の一瞬、かりそめであったとしても、ヴァーチャルとリアルが反転して、 「あの松こそは行平よ」が真実になる瞬間を実現することができる芸術があることの重みを感じずにはいられない。

能は芸能であり、見る人を楽しませるものである一方で、常に奉納であり、そこには人間の祈りが込められているのだということを、今回私は身をもって 感じずには居られなかった。そして勿論、そうした認識はどんな演能であっても無条件に実現するようなものではありえない。そしてまた、 私が感じたカタルシスは、震災によって蒙った自分自身の傷に対するそれであったかも知れないとも思う。優れた能の上演は、病んだ心を癒し、 救う力を持っているのだ。だから最後に改めて、香川さんを始めとする演者の方々に、そしてこの上演を拝見する機会を与えて下さった方に 御礼申し上げて、この拙い感想の結びとしたい。(2011.12.30初稿)

2011年4月17日日曜日

「第5回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成23年4月2日)

能「朝長」
シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生閑
ワキツレ・工藤和哉
ワキツレ・御厨誠吾
アイ・山本則重
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌幸弘
小鼓・曽和正博
大鼓・国川純
太鼓・金春国和
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・狩野了一・友枝雄人・金子敬一郎・佐々木多門

平成23年3月11日の東日本大震災の後、様々なジャンルの様々な公演がある場合には已む無く、ある場合には自粛という主旨で中止される中、 「第5回香川靖嗣の會」の公演は中止することなく上演されることを心の中で願いつつ、私は3月を過していた。少なくとも私の中では能ははっきりと 祭祀的な意味を備えているし、とりわけ香川さんの演能にそれを強く感じてきた私にとって、元雅が深い思いを潜ませたに違いない鎮魂の能「朝長」が他ならぬ 香川さんのシテで上演されることは是非とも実現されて欲しいことであったが、更に言えば、軽微で間接的とはいえ震災の影響から無関係ではありえなかった私自身が 何よりまずそれを拝見することを強く望んでいたのだと思う。

月替わって4月2日、暖かく晴れたこの日も公演中に余震に見舞われる中、幸い「朝長」は最後まで上演され、私はそれに 立ち会うことができた。私には本当に心から能楽堂を訪れ、能を拝見することがしみじみとありがたく感じられたし、その気持ちを終演後に主催者にお伝え せずにいられなかった。この時期に公演を(しかもそれが個人の主宰する会であってみれば尚のこと)実施するについては非常に大きな困難と、それに劣らぬ 心理的な葛藤がおありであったことと拝察する。だがそうした状況下での決断は上演に常ならぬ異様な力を齎したと私には感じられた。 主催者をはじめとした演者の方々に見所も一体となったこの公演は、能の持つ深く強く大きな力を闡明する稀有な出来事となったことを、 主催者、共演者の方々、および公演を支えられた多くの方々に対する敬意とともに、まず劈頭に書き留めておかずにはいられない。

*   *   *

香川靖嗣の会は毎回、開演に先立ってお話があるのだが、今回は番組が「朝長」ということで三宅晶子先生のお話であった。三宅先生ご自身も偶然の符合に 驚かれていたが、「光陰を惜しみ給へや」という題は「朝長」という作品の核心であるとともに、この公演の置かれた状況にあまりに相応しい。乱に敗れて落ちのびようと する途上で傷を負って自害しなくてはならなかった朝長という人物像が、個人の悲劇を超え、運命の前に無念の最期を遂げる人間の思いを集約するアトラクターの ように感じられ、だから朝長の鎮魂のための供養もまた単に一個人に向けてのものとは感じられない。否、正確を期するならば、朝長を供養するのが匿名の旅の 僧ではなく、彼の最期を知る青墓の長者であり、朝長ゆかりの僧であり、そうした彼らを前シテ、ワキとして前場を構想した如何にも元雅らしい着想が、逆説的にその 人物造形の「個別性」を通して、普遍的な、けれども個別性を決して喪わない祈りへと見所を導くのだというべきだろう。観音殲法は朝長という個人を知る 彼らの個々の懺悔の刻であり、そうであることを通して見所一人ひとりの懺悔へと通じているのだという感覚を逃れることは私にはできなかった。

前場はまぎれもなく春の風景の中で展開されるが、その透明な光の感じがかえって心の中に疼く痛みを射通すように感じられる。災厄の後も季節の巡りは超然と していて、変わらぬ光と風とが却って、非可逆なカタストロフィックな出来事が起きたこと、最早かつてのようではなく、同じではないこと、相転移のこちら側に来て しまったのだということを厳然とした事実として思い起こさせる。そうした透明感とどこかに潜む蟠りがもたらす重い空気の共存を描き出すのは名人揃いの囃子方である。 繰り返しになるが、前シテを亡霊とするのではなく、残された生者とし、ワキを縁なき旅の僧ではなく、朝長にゆかりのある僧とするのは隅田川や弱法師の作者でもある 元雅らしい着想で、後シテを呼び出す枠となる供養もまた偶々なされるのではなく、ここではそもそも前場の登場人物たちがそのために集うのだ。 「偶々」があるとすれば本来別々に各人が抱いている思いが出会い、集うことにあるのだろうが、そうしたシンクロニシティを偶然と呼ぶことはできまい。 まさに「光陰を惜しむ」気持ちが一見偶然に見える邂逅を用意するという消息を、元雅の作劇法は見事に示しているように私には感じられた。 そうして出会った想いの深さを語りだすのは地謡で、まるでギリシア悲劇のコロスのようにその「場」の想いを、だがコロスとははっきりと異なってあくまで「個」が 秘める想いをシテに直接語らせるのではなく、地謡に語らせるのは能ならではで、能としては別段の新機軸ではないのだろうが、それが元雅の構想の下で 持つ効果は格別のものがあるように思われた。謡の進行とともにいつしか深い慟哭の調子を帯びるかのような囃子の移ろいもまた見事で、特に小鼓の奥行きに 富んだ深い響きが耳に残る。

後場の観音殲法を準備するのはアイの語りと語りのあとの告知であるが、それを担うアイの語りは格調高く、場の雰囲気を一層高めて後場を用意する。 「殲法」の小書きこそないが、明らかに供養の儀式を思い起こさせずにはいない太鼓の響きに導かれるようにして登場する朝長の霊は颯爽とした若武者 姿で、三宅さんが事前に紹介された十六の面が帯びるまっすぐな勁さに私は心を打たれた。その朝長がまず「光陰を惜しみ給へや」と 語りかけるのはワキとの対話で、その後、朝長の語りは己のことのみならず父の運命にも触れつつ、前シテであった長者にも向けられる。作劇法から長者の 姿は当然舞台にはないが、それは前場で長者が語るときに朝長の姿が不在であるのと対称である。通常のつくりであれば、シテの姿は前後で異なるけれど、 いずれも結果としてはシテとワキとの対話になることを思えば、このことが持つ効果は決して小さなものではない。見所もまた幽明境を異にしつつ再会する 二人を同時に見ることができず、つまり「再会」は舞台の上では決して実現せず、それゆえそれぞれを相手の心の裡に浮かび上がるものとして、 同様に心の裡に思い浮かべるしかないのだから。

地謡が戦乱を語るクセの謡の最中に、冒頭でも述べたように余震に見舞われ、一瞬会場に緊張が走るが、まるで拡がりかかる動揺をねじ伏せるように謡と囃子が 舞台を進めていく。その中でシテが「梓弓、もとの身ながらたまきはる」と魂魄別れての苦しみを謡うのを聴いて身を切られるような想いに囚われる事無く いることは不可能である。見所の意識は最早生きて供養するものの側にあるのではなく、まさに修羅道の苦しみの裡に共にあるかのようだ。 最後に朝長が自分の最期の様を見せるのもあまりにリアルで、それが過去のこととは思えない。故あってこの感想を書き留めるのは拝見してから 2週間も経ってからなのだが、今思い起こしてもその最期の様がフラッシュバックのように鮮明に甦り、それを見たときの自分の情態が再現されて 息苦しくなるほどだ。

2週間前に会場で私が受け止めたものが、客観的に見てどこまでこの上演自体の備えた質に由来するものであるか、冷静に考えれば判断し難い部分が あるのは確かなことだが、こと今回に関しては、それを客観的に分離することにどれだけの意義があるのか、と問い返したい気持ちを抑えることができそうにない。 そもそも演者の高い技量は今更私如きが言っても始まらないことだろうし、私は寧ろ、震災からさほどの時を経ずに、まさに「光陰を惜しむ」ようにして、舞台の演者 全員がこれ一度きりの思いをぶつけあって創りあげられたに違いないこの舞台の持つ、状況と不可分の力の莫大さを書き留めておくことを積極的に選びたいと思う。

震災から約1ヶ月が経ち、この文章を綴る時間がようやく出来たときに、自分が経験したこの舞台と良く似た意味合いを帯びた、私が知っているある別の事実に ふと思い当たった。それは1948年5月、第二次世界大戦後ワルターがはじめてウィーンを訪れて演奏したマーラーの第2交響曲の演奏記録である。 戦争の記憶が生々しい時期のこの一期一会の演奏の持つ例外的な力、それに立ち会った会場の異様な雰囲気は録音記録の音質の制約を越えて尚、 充分に感じ取ることができる。「原光」と題され、「子供の魔法の角笛」に収められた天使と争うヤコブの歌(だがそれを歌うのは女声なのだが)と、クロップシュトックの 有名な賛歌「復活」を核に作曲者自身が自ら書き下ろしたテキストが歌われるこの曲の歌詞が、これほどまでに重みを持って一言一言噛み締めるように歌われ、 それを支えるパッセージが各楽器によって歌われ、聴き手の心に染み渡ってくる演奏は稀であろうと思う。それを私は半世紀以上の時を経て異郷の地で聴いている。 だが、ここで記録する「朝長」はその上演に立ち会うことができたのだ。どんなに拙く、主観的なものであっても自分の経験を記録せずにはおけない、 そうした経験であったことは間違いない。恐らくこの後も折に触れ、そのときの経験を、震災に纏わる様々な記憶ともども反芻することになるだろう。 そのためにもこのようにして、感じたことを感じたまま記録しておく次第である。(2011.4.17初稿)