2017年4月20日木曜日

「第12回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成29年4月1日)


「第12回香川靖嗣の會」
能「隅田川」

シテ・香川靖嗣
子方・大島伊織
ワキ・宝生欣哉
ワキツレ・御厨誠吾
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌幸弘
小鼓・曽和正博
大鼓・國川純
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・友枝雄人・金子敬一郎・大島輝久・佐々木多門

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4月の第1週の週末に催される「香川靖嗣の會」を拝見するようになってから、もう10年以上にもなることにふと気づいた。 昨年からは秋にも開催されることになったので、今回が12回目。初回の「絵馬 女体」を拝見して以来、 幸いなことに1回も欠かさず拝見することが叶って、今回は「隅田川」。 年毎に春の訪れのありようは微妙に異なって、今年は雨が今にも降りそうな気配の曇天。 綻び始めたまま、陽射しを待って歩みを緩めた桜の下、聊か沈鬱な風景の中を目黒の舞台を訪れるのは、 番組に如何にも相応しいように感じられる。

冒頭記した感慨は、それが恰も年中行事のように、すっかり習慣となっているが故に他ならないのだが、身辺の慌ただしさは徒然に移ろっても、まるで季節の循環の一部であるかのように演能を拝見できることが どんなに有難いことか、回数を重ねるにつれて、身に沁みて感じられる。世間一般には能は音楽劇の一種であり、 能楽鑑賞は趣味娯楽と見做されるであろうけれども、近年は多くても年に数回、もっぱら香川さんの演能のみを拝見する ばかりである私にとっては、それは寧ろ、季節の循環や暦日に従って毎年繰り返される宗教的な祭祀や儀礼に 近しいものと感じられる。勿論、こうした感じ方には、能楽そのものが今なお喪うことなく保持し続けている奉納的な性格、 そしてそうした性格と不可分の、観る者の奥深く、無意識の領域に迄働きかける力が与かっているのだろう。 そしてまた、これまでも拝見する度に、自分が経験している演能が、自分の容量を遥かに超えた豊かさと深さを備えていることを感じ、 辛うじて受け止めたものさえも、それを言語化することの困難を味わって来たが、今回は「隅田川」という作品の性質も相俟って、 それが極まった感があることを、帰路、迫る夕闇の中で更に深く憂いに沈むかのような桜の下を通りつつ感じずにはいられなかった。

恒例の番組の冒頭のお話の中で馬場さんは、ご自分が最初に御覧になった能が「隅田川」であったことを披露され、 初めて観る人にも、何十回と観ている人にも、それぞれ相応のものを与える能楽の奥深さについてお話されたのだったが、 私はと言えば上述のような次第で、「隅田川」を拝見するのはようやく二度目、もう十年も前になる前回の観能の経験を 今回のものと突き合わせて何事か論ずるだけの知識もなく、自分が辛うじて受け止め得たもの、その場で生じた出来事から すれば次元も解像度もお話にならない程縮退した、色褪せた残像に過ぎないものを記すのが精一杯である。 幾つもの場面、所作が、その時に感じた強い情緒的な反応もろとも、つい先ほど拝見したばかりかのように克明に 思い出されるのだが、それを記述しようと試みたところで到底、観たものに到達することはできそうにない。いつものことでは あるが、シテは勿論、子方も、ワキもワキツレも、囃子方も地謡も、更には後見に到るまで、全く弛緩することなく 全曲が演じられ、その完成度は、それが舞台で行われているフィクションであることを忘れてしまう程の圧倒的な上演であったことのみ記して、 具体的な細部については、それを能くする知識と経験をお持ちの方の評に委ねることとし、ここでは専ら、 自分が感じたこと考えたことのみを記すことにしたい。

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「隅田川」を前回拝見した時に感じたのは、元雅の手になるこの作品が、世阿弥的な能の形式をに巧妙にずらし、 顛倒させ、尚且つ能としての本質を損なわないばかりか、その組み換えによって作品に比類ない力と、全くオリジナルな深みとをもたらすことに 成功しているように思われるということであった。それはいわゆる複式夢幻能と呼ばれる形式を典型として思い浮かべつつ この作品に接すれば誰もが直ぐに気付くことであろうし、他方でそこから逸脱した作品は幾らでもあって、 その逸脱の力学は様々であるのだが、ことこの作品においてはそこに作者の元雅の明確な主張があり、彼の意図と密接な 関係にあるように思われたのである。

この作品は、分類すれば物狂いがシテである現在能ということになるのだろうが、 物狂いや道行を見せることに焦点があるわけではなく、それらは物語の背景を形成するに過ぎない。 あまりに有名な、業平の故事を踏まえた都鳥を巡っての遣り取りは、これも複式夢幻能の前場に多い、 所謂名所教えを踏まえてはいても、看過できない捻りが加えられていて、問うのはシテであり、しかもワキは シテに対して適切に応えることができずにシテに咎められるといった具合になっている。まだ挙げれば幾つも 指摘はできようが、このような組み換えの最大のポイントはと言えば、物狂いの能の定型である、約束されていた筈の 再会がここでは失敗し、結果として物語が強い悲劇性を帯びる点にあるのはよく指摘される点である。

馬場さんは初めて「隅田川」をご覧になった折、ワキの装束が渡し守としては不相応に立派に過ぎることを 不思議に感じたとのことだが、私が気になったのは、この作品には前場と後場を繋いで物語の経緯を説明するアイがおらず、 ワキがその役割を果たしているように感じられる点であった。 通常なら諸国一見の僧であるワキが道行を経て物語の起きる場所に辿り着くと、 それを待ち受けているかのようにシテが出現するのだが、ここではそれも逆転し、到着するのはシテの方である。 その後、シテとワキツレを乗せたワキの渡り守が隅田川を渡すことが、前場と後場を繋ぐ道行の代補となり、 その渡しの最中に、ワキが丁度その日に行われる念仏供養の由縁となった1年前の出来事を物語ることで 物語の背景が解き明かされるから、アイの登場する余地は残されていない。 常にはワキの同行者であるワキツレもまた、別の役割を与えられており、限られた語りの中で、いわば「第三の視線」として、 一見したところ不在となった本来のワキの位置にいるようでいて、寧ろ見所の代表のような役割を果たすように感じられる。

プロットから独立した舞事がないことと相俟って、そうした組み換えによって弛緩なく自然に物語の運びが実現されており、 その感触は寧ろ「現代的」な演劇に通じるものがあるといって良いように感じられる。勿論「現代的」というのは 己の属する時代の束縛を受けた都度都度の受容者側の認識であって、恐らくは寧ろ時代を超えた普遍性を備えていると いうべきなのだろう。それゆえまた、その「現代性」をもって元雅という人の天才を論じるのは片手落ちな見方に過ぎず、寧ろ そこに見るべきは、そこに込められた元雅の思いの深さなのだ、ということに気づいたのは、これは前回ではなく、 今回の演能に接してであった。

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とはいえ、上述のようなことを演能を拝見しながら考えたというわけではない。寧ろその場でまず思い当たったのは、 上述の役割をずらしていくプロセスの帰結として、不在となるシテの位置を埋めるのが、 実は子方の梅若の霊なのだという点である。のみならず、それが私が前回拝見した時に不思議に思ったもう一つの点、 即ち供養される側である筈の子方が自ら念仏を唱えて出現することとどこかで釣り合っているのだ、ということにも同時に 思い当たったのだった。それは例えば世阿弥の夢幻能であれば曖昧さ無くシテとワキに分配される、救済されるものと救済するものと の間の関係に揺らぎが生じているということなのだが、今回の演能を拝見して感じたのは、それが元雅の意図と一致し、 作劇法とも一致した一貫性のあるものだということであり、しかもそれは強い必然性を帯びているとさえ感じられたのであった。

かくして現在能の形式を取りながら、その中で夢幻能におけるが如く霊を出現させることで、祭祀的・宗教的な 性格を強く帯びるようになるばかりではなく、夢幻能では供養によってシテが成仏するプロセスに 焦点があるのに対して、ここでは視点の反転が起きていて、供養によって救済されるのは、寧ろ供養する側であることが 示唆されているように思われるのだ。そしてそれが元雅が企図したことであり、「人間憂いの花盛り」という認識から その憂いの最中にいる側が供養によって救いを得るということに正確に見合っていることに思い当たることになる。 そしてそれは単に物語の世界の論理に留まらず、恐らくは演能する者、更にはその演能を拝見する見所にまで及んでいるのでは なかろうか。

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このように書くと、如何にも分析的な見方をしているように 思われるが、これはその場で気づいたことを理屈で跡づけて見たに過ぎない。 実際、今回感じたのは、観る者を巻き込み、舞台の上で演じられているという虚構性を思わず忘れさせ、 時空を超えて供養に自らも立ち会っているかのような迫真性で心の奥底まで突き動かす、 その力の凄まじいばかりの大きさであった。勿論それもまた能楽というジャンルの持つ奥深さの現われなのだろうが、だからといってこの日に経験したようなことがいつも無条件で起きる訳ではなかろう。ひとつには上で自分が気づいた範囲でその特徴を記述した「隅田川」という作品の力があり、そしてもちろん、シテ、子方、ワキ方、囃子方、地謡から後見に到るまで、開曲から終演に到るまで全く弛緩することなく、まるで自己触媒反応を起こすが如く、相互に触発し合うことで達成された最高度の上演によってのみ実現されるものに違いない。舞台の上で起きている出来事が虚構であることを忘れ、自らも供養の 参加者であり、涙を堪えようとすれば、時折視線を逸らさなくてはならない程にまで 眼前で起きている出来事に烈しく心を揺すぶられるような経験であった。

そして自らも供養の参加者であるということは、まさに梅若の姿の目撃者であるということに他ならない。 梅若の姿は、シテの個人的な幻覚などではない。彼女に同情して供養に参加したワキやワキツレもまた、 その姿を見たに違いない。そして見所もまた、その目撃者となることを元雅は意図したのではないか。 この日の舞台は、作者元雅が意図した通りの、子方を出す演出であったが、「申楽談義」にて父世阿弥と 子方を出すことの是非について議論した際に、子方を出さない演出を提案する世阿弥に対し、 元雅が「えすまじき」と言ったその意図と心情とが圧倒的な深さ、説得力をもって伝わってきたと感じた。 元雅は是が非でも梅若を登場させたかったし、その気持ちは、作品の論理として貫徹されている、 そしてそれを今回の上演は揺るぎなく闡明した、と思われたのである。

実際、この日の舞台を観た者は恐らく皆、これで梅若が現れないとしたら、それはあまりに残酷に過ぎて耐え難いと 思われたに違いない。そして梅若の霊が現れたことを自らも確認し、供養がもたらした奇跡に安堵し、深いカタルシスを感じたのではなかろうか。 少なくも私はそう感じ、念仏をする子方の声が響いた時に供養の功徳が成就したと感じ、 剰えそうであることを「必然」とさえ感じたのである。ただしここでいう「必然」とは現実の世界の因果の謂いではない。 現実の世界ではその論理は完遂し難く、寧ろ脆く崩れ去ってしまう不可能なものであろう。だがそうであるからこそ、 その論理が完遂するような場が、虚構としてであれ、現実の中で実現することを願わずにはいられないのではないか。少なくとも元雅は、 冷徹な現実の最中で、そのようなものとして作品を企図せずにはいられなかったのではないか。

(例によってこれは些か突飛な連想と見なされるであろうから注記的に触れておくと、私は子方を出す演出に関して、 仏像というものの在り様のことを考えざるを得なかった。仏像の前で祈ることは、偶像崇拝ではない。祈りは仏像という オブジェ自体に向かうのではなく、仏像を通じて仏を念ずることだろうからである。そして仏像は美術品ではないから、 美的価値のみでそれを評価すべきではないこと、だけれども様々な造像があり、他方で観る者の心持に応じて、 同じ像が異なる姿を現すこと、更にはしばしば祈りの対象である筈の仏(像)がそれ自体祈っている姿に造像されること、 そうしたことをこの演能を拝見して思い起こさずにはいられなかった。更にはそれらは総じて、能を演ずること、 それを拝見することと通じているように思われてならないのである。否、能ばかりではなく、 それは芸術一般に通じるのかも知れない。序でに言えば、「隅田川」の称名は阿弥陀仏に対してであるけれど、 その阿弥陀の脇侍である観世音菩薩が相手に応じて様々な姿に変じて現れることも思ったし、更に音を観ずるという、 今日的には共感覚を思わせるようなあり方が、とりわけこの日の演能においては、一つには称名の声と梅若の出現という 「隅田川」という作品のあり方に、だがそれに加えてこの日の、まさに音を観、姿を聴くといった理想的な演能のあり方に通じているのではないかと 思い至ったのである。精緻に論じるだけの知識もなければ、確信を以て読み手を説得するだけの経験の裏付けもない私は、 寧ろ、この日の演能を経験することによって、こうした認識の門前にようやく立てたに過ぎず、それ故、括弧入れした 形で触れるのが精一杯であるが、このことに一言触れておかずにはいられず、追記した次第である。)

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馬場さんがこの作品の中核を示す詞として取り上げられた「人間憂いの花盛り」という詞は「生死長夜の月の影、 不定の雲覆へり」と続き、実際には月の光の下で念仏供養が行われるのだが、その光は、 例えば「伯母捨」がそうであったような荘厳な光の氾濫には程遠く、ともすれば朧に霞み勝ちのように思われる。 そうした薄闇の中、1年遅れて辿り着いた母の前に既に亡き子供が現れるのだ。 それは時間にすればほんの一時のことに過ぎず、互に手をとりかわそうと近付くと、その姿は儚くも消えてしまう。 だが、それが一瞬のことであったにせよ、念仏供養の声が、打ち鳴らされる鉦の音が、 梅若の霊を呼び起こし、出現させたという事実は残る。母親は確かに梅若の声を聴くのみならず、その姿を見たのだし、 そのことを供養に参加したワキやワキツレも見たに違いなく、母と共に彼らがこの供養の功徳を後世に伝えていったに 違いないのである。否、そこで梅若の姿を見、梅若の出現の必然を証言するのは、物語の世界の内側の登場人物だけでは ないのではないか。その優れた演奏により出現を必然のものとして可能にした演者の全て、見所の全てもひっくるめて そうなのではないか。「人間憂いの花盛り」を我が事と感じたのは、演能の場にいた全員であったのではないか。 演じられる虚構と演じる現実の区別は、常には裁然たるものであるし、例えば演能を批評するため にはその区別は前提であろうが、私はことこの日の演能に関しては、その区別が乗り越えられ、廃棄されてしまったが 故に可能となった経験の側につきたいと思うのである。

梅若が舞台の上に一瞬だけ出現し、母の姿と交錯するが早いか塚の中に消えてゆくことによって、その後のキリの 風景は意味合いを全く変えてしまうかのように思われる。夜明けの光の中に見えるのは現実には草生した塚だけであろう。 梅若が蘇生するような奇跡、あるいは梅若が1年前に世を去るのとは異なった因果の成り行きは我々の生きる この世界の現実には用意されていないのだ。そうしたこの現実の世界とは異なった秩序が支配する世界と 一瞬だけ触れ合った後のキリの風景は異様である。梅若は決して蘇りはしなかった。 だが梅若の姿は供養を共にした者達にとって、紛れもない現実であった。勿論それは客観的には、せいぜいが 共同幻想として片づけられてしまうのかも知れない。だがそれを幻想と呼ぶにせよ、今ひとつの現実と捉えるにせよ、 そうした機序を乞い求める現実は紛れもなく存在する。しかもそれは「隅田川」の能の舞台となった中世に固有の事情などではない。まさに能が演じられる今、ここの現実においても状況は変わるところがない。そうした現実と日々対峙しなくてはならない 「憂いの花盛り」に居る人間とは、今ここで演能を拝見する自分達のことではないのか。

夜が明けて、演能も果てて、作品の外側の現実が戻ってくる筈の終演のひととき、作品の内外のあわいを歩むかのように 橋掛かりを通って舞台を去るシテの姿に、上述のような体験を経た見所は何を見ただろうか?能を観ることにより 自分の内側に侵入してきた何物かに浸されたまま、自分もまた同じように能楽堂を去っていく他ない。だが、その後に 来るものは、観る前と同じ現実である筈はない。供養の功徳により梅若の姿を一瞬でも観ることが叶った母は、 (梅若伝説のあるバージョンの伝えるところとは異なるが)身を投げて果てるようなことはなかったのではないか。 見所もまた「憂いの花盛り」の現実に戻っても、同じ風景を見てもどこかが違う。それを言い当てることなど 到底できないけれど、或はまた他人が見ても一見して違いがわからなくとも、自分の奥底に何かが降りてきて、 それにより何かが変わったように思えてならない。いや寧ろそれは予感に近いもの、変わっていくポテンシャルを 獲得した、否、もっとささやかにその契機を得たに過ぎないかも知れない。一般にはモダンで悲劇性の強い作品と 呼ばれる作品を拝見して、だが私が拝見し終えて感じたのは、救いのない現実に対する絶望ではなく、寧ろ ベクトルとして逆を向いたものであるように感じている。勿論これは、私だけの主観的な感じ方かも知れない。 例えば、(とはいえ、これは思いつきで持ち出すのではなく、あの終演の感じに似たものとして、終演の折、 自分の中から浮かび上がってきたものなのだが)マーラーの第9交響曲の終曲のアダージョを聴いて、 そこに何を読み取るのかは人それぞれなのと同じことかも知れない。自作の「子供の死の歌」の引用をはじめとする 断片がきれぎれに白んでいく空に漂うのが見え、夜明けの風景が聴こえるそのコーダは、主体が揮発して 空と化する地点を示していながら、しばしば解説として見かける「死のアレゴリー」という言い方には 大きな誤解が潜んでいるように思われて、到底首肯できないのだが、それを同じようなことを私は ここでも感じたのである。

更に、これは是非とも付け加えて置きたいのだが、これまで記してきた、私の中に湧き上がってきた思念や認識が、後から想起しても尚、生々しく蘇る光景の凄まじさ、リアリティに根差したものであることに気付いてみると、この日の演能が如何に素晴らしいものであったかに思い当たるのである。例えば、上に記したキリの風景にしても、私は塚の作り物が置かれた能舞台を見所から眺めていたに過ぎないというのが客観的な現実の筈である。基層の響きのように確かに聞こえていた筈の川の流れる音、水辺の空気の持つ匂い、刻々と変わる光の調子、それらは全て、シテの所作が生み出したものなのだという事実を前に、私は絶句せざるを得ない。そもそも私は現実の梅若塚を訪れたことがないのである。勿論それは、これまでも記してきたように、香川さんの演能の度に、見方によってはごく当たり前のように起きていることなのだけれども、そもそもそれがごく当たり前に起きるということ自体、如何に稀有で、当たり前などとは言えないことであるか。

私は梅若の供養の場に自分もまた本当にいて、その一部始終をこの目で見て、それを証言しているとどこかで思ってしまっていて、そう思う方が自然であることに気づいて、絶句せざるを得ない。まだ年若く、しかも鄙びた周囲の風景にそぐわない雰囲気を漂わせている物狂いの女が、渡し守に向かって彼方の鳥の名を問うた時に、自分もまた、川辺に遠く、都鳥を確かに見たと、或は、渡し守にが自分が一年前に儚くなった少年の物語をして聞かせた物狂いの女性が、その子の母と知った時の「言語道断」という詞の響きを、その時の母親の表情ともども、自分もまたその場に居合わせて我が事のように受け止めたと、更にはまた、母親が鳴らす鉦が響き、称名の声が交響する中に、ひと際高く、子供の声が混じった時の母親の表情を、そしてその直後の「なうなう今の念仏の声は、、、」と問う母の詞の持つ、形容しつくせぬ響きを、その場で聴いたとしか思えないのである。否、こうして書き始めれば、果てがない、ないからこそ、最初に具体的な細部については書かないと宣言した筈ではなかったか、、、

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如何なる言葉を尽しても到底及びもつかないような経験というものがある。単に自分の言語的な能力が、 その深みや質に及ばす、それに見合った仕方で表現することが困難であるというのではなく、 寧ろ原理的に経験を後から言語を媒体として定着させるという方法自体がそぐわないと感じられるような 類の経験というものがある。自分が自分に可能な限り受け止めたものは時間の経過にも関わらず、 まるでつい先程経験したことのように生々しく、克明に想起できるのだけれども、言葉で説明することに 抵抗するような経験というものがある。総じて能というのは、それが優れた演能である場合には、 必ずやそうした側面を幾許か含み持つものであることは、これまでの香川さんの演能を拝見してきて 都度感じてきたことだった。更に加えて、演能が行われる外的な一度限りの状況が、それ故にその演能だけしか 原理的に持ち得ないアウラを付与することもあるだろう。(このように書きながら、私は東日本大震災の直後の「朝長」のことを思い浮かべている。)だが今回の演能に接して感じたのは、それらのいずれとも 異なる質の経験、通常、単なる演劇の鑑賞の場では恐らく不可能な、だけれども能楽では可能な、上演がそのまま儀礼・祭祀と化してしまうかのような経験であった。

「隅田川」の能の典拠である梅若伝説は、それ自体は厳密にはフィクション、虚構ということに なるのかも知れない。現在においても能舞台の外で、梅若塚が実在し、供養が営まれているけれど、 それはある種の転倒の産物であるという見方もできよう。しかもそれは梅若伝説に限った話ではなく、 多くの霊験譚や縁起というのは須らく後付の脚色を伴っていて、そのまま事実と見做すことができないのであろう。 だが、偶々読んでいた白洲正子さんの観音巡礼記にもそうした考えが記されていたように記憶するのだが、 伝説にも、単なる事実だけを見ていたら取りこぼしてしまう「真実」があるに違いないし、 翻って、舞台の上で演じられる供養という点ではもう一レベル虚構の度合いが高い筈の演能に、 逆説的に、現実の供養では時と共に変質して、もしかしたら損なわれ、喪われてしまったかも知れない「真実」の 記憶が、数世紀の長きに亘って保持され続けていて、その一端に触れたという確かな実感を持ったのである。

梅若伝説に因んだ議論の一つに梅若が亡くなったのは隅田川の西岸か東岸か、というものがあるらしい。 だがこの日の演能に接して感じたのは、事実の詮索以上に、それが川辺で起きたというトポスの設定、そして 渡河という行為の持つ象徴的な意味合いの方であった。人はそこに、どうしても三途の川や賽の河原を 重ね合わせずにはいられないし、川というのが結界であり、渡河は疑似的な仮死の経験であって、 供養というものの本質が端的に示されていて、異界である向う岸においてこそ、梅若に再会することが 可能になるというのもごく自然に理解できるように感じられる。

そしてシテである母は一人で渡河するわけではない。有名な渡し守と母とのやり取りでは梅若という名前とともに 彼の命日である3月15日という日付が確認される。梅若の死は既に起きてしまい、取り返しのつかない、 反復不可能な一回性の不可逆な出来事だが、供養という営みは、不可能な反復というアポリアに挑むことによって その日を記念し、記憶する。梅若の死が忘却の河の流れに押し流されることなく記憶されるためには、否、 そもそも幻想であろうとなかろうと、母が梅若との再会を果たすためには、ワキやワキツレに代表される人々が 1年後の3月15日に供養を営まなくてはならなかった。供養を行うのは、梅若の死に遭遇した母親一人ではない。 ワキやワキツレも一緒に向う岸に渡って、共に供養をし、恐らくは共に梅若の姿を垣間見るのである。 少なくとも元雅の論理はそういうものであったに違いない。元雅はそうでなくてはならないと思えばこそ、 子方を出すことにあれ程拘ったに違いない。この日の演能を拝見して私はそれを理屈で納得したというよりは、 そのように悟らされた、それは冷静な分析的な認識ではなく、そうでなくてはならない、という強烈な共感を伴う 直観として私の心を満たしたように思う。

こうしたことは冷静な人から見れば、半可通で能に接している人間の滑稽な思い込みに過ぎないかも知れないが、 それを認めた上で尚、この日の演能が、例え錯覚であったにせよ、そうした直観を惹き起こす力を備えていたという 事実は残るであろう。更に言えば、「隅田川」の能という形式の中で行われる梅若の供養、梅若の母親の供養は、 その背後にある、個別には記憶する者が絶え、忘れ去られてしまった無名の数多の梅若達、梅若の母達の供養でも あるのだし、数世紀に渉り繰り返されてきた「隅田川」の演能を通じ、その都度の見所の供養でもあり、 その一端に自分が連なっているのだという印象を持ったのである。勿論、神事仏事がそうであるように、 記憶の継承にとっては儀礼が反復され、継承されることが第一義的に重要なのだろうが、優れた演能は 単にそうした記憶に事実として与かるだけではなく、自己の関与の持つそうしたパースペクティブへの気づきを与えてくれる ものだとするならば、この日の演奏はそれを私のようなたった二度きり「隅田川」を拝見した人間にすら 可能にした、稀有な達成であったに違いない。そしてそうした気付きに関してならば、 これまでも香川さんの演能を拝見してきて、都度感じてきたことではあるのだが、今回は、 加えて「隅田川」という作品の持つ比類ない力により、個人の寿命のスケールを超えた大きなものに触れることができただけではなく、 更にそれを拝見することで自分がそうした大きなものに与かることが叶ったような感じがする。 このような経験を可能にしてくださった香川さんをはじめとする演者の方々に感謝の気持ちを述べて、 拙い感想の締めくくりとしたい。 (2017.4.20暫定公開, 22加筆修正,27修正)

2016年9月18日日曜日

「第11回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成28年9月3日)


「第11回香川靖嗣の會」
能「遊行柳」

シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生欣哉
ワキツレ・大日向寛
ワキツレ・御厨誠吾
アイ・山本東次郎
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌幸弘
小鼓・鵜澤洋太郎
大鼓・國川純
太鼓・観世元伯
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・狩野了一・友枝雄人・金子敬一郎・大島輝久

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毎年春に開催される「香川靖嗣の會」が今年は秋にも催されるということで目黒の舞台を訪れる。 一月前には川崎で「六浦」を拝見しているから、今年三度目の観能。近年は多忙にかまけて年一度という ことも珍しくないので、このように拝見できる機会をたくさん頂けるのは只ゝ有難いことである。 能の演目は「遊行柳」、前に狂言「鐘の音」が演じられたが、こちらも川崎の「佐渡狐」に続けて 山本則俊さんの圧巻の舞台が拝見できたので、別に感想を纏めることとして、以下では「遊行柳」の 感想を記しておきたい。

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恒例の最初のお話は金子直樹さん。非常に丁寧な解説で、「遊行柳」についてはそれが観世信光の 晩年の作であり、世阿弥の「西行桜」を意識した作品であることを軸にして、対比をさせながら 「遊行柳」の特徴を説きおこす内容のお話だった。私は以前に一度だけ「遊行柳」の舞台を拝見した ことがあるが、その時の印象は率直に言ってあまり良いものではなく、率直に言えば、それ以降、 寧ろ苦手な作品であるという意識があって、故に、香川さんが演じたらあの作品が どのような光を放つだろうと思いつつ舞台に足を運んだという事情もあって、お話の趣旨は勿論、 この作品の独自の魅力に目を向けさせるといった方向にあったに違いないのだが、図らずも事前に どこがしっくりこなかったのかをおさらいをするような感じになってしまった。

私のような能の万年初心者が作品の出来を云々するなどもっての外の事かも知れないが、 それでも自分が知る限り、能の作品の中には観る者の心に入り込んで、時として生き方を 変えてしまうかも知れないような作品もあれば、奉納としての性格をはっきりと持つ作品もある 一方で、小品ではあるけれど、演じ方によっては非常に味わい深く、観る者をひととき魅了する ような作品もある。勿論、観る者の側のキャパシティもあり、当日のコンディションもあり、 作品の価値を正しく受け止められないということもあるのだが、この「遊行柳」は、理由は何であれ、 私にとって受け止め方の難しい作品であることは間違いない。そして結論を先に書いてしまえば、 そういう感覚は、またしても圧倒的な舞台となり、以前の印象を全く書き換えてしまった今回の 演能に接した後でも、まだ完全になくなった訳ではないように感じられる。

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演奏は今回もまた、たいそう充実したものであったと思う。曲頭の囃子も決して重たく もたれることなく、むしろ淡々と寂れた雰囲気を設定するし、その中で前シテが遊行上人に 声をかける瞬間の鮮烈さは、香川さんの舞台ならではのもの。その後西行の故事を中心とした語りが 続き、それが済むと作り物の陰に隠れるようにしてシテの演じる老人が消えてしまうまでは あっという間である。前シテの老人は「上品な」という形容が充てられるようだが、単に上品である だけではなく、丁度脇能の前シテの叟がそうであるような、老いとは一見したところ相反しかねない 生気をも感じさせ、後場の老い木の精の性格の未来完了的な予示となっているように思われた。

アイの里人は山本東次郎さん。格調高い、見事な語りに圧倒されているうちに時間が経ち、 作り物の中で行われている物着の時間つなぎであることなど微塵も感じさせない。

その後、太鼓も加わった囃子に導かれて後シテが作り物の中から現われる瞬間の、空気の感じや 光の調子が一変して、舞台上はおろか見所も含めた空間全体を包み込んでしまう有様は香川さんの 演能を拝見してきて一度ならず経験してきているのだが、今回もまた圧倒的なものであった。 そこに居るのが植物の精であるという、かつてはいざ知らず、現代の日常においては全く疎遠な認識の 様態が、ごく当たり前の、自然なことであるように可能になることの不思議さは、こればかりは 実際の舞台に接してみなければわからないだろう。例えば人間の幽霊を演じるのであれば、 寧ろ過日の面影が蘇ったかのように生々しくということも可能だろう。だが、人ならぬ神であったり 植物の精であったりということであれば、人間とは異なる他者となり、そうした者が持つであろう 存在感を纏わなくてはならないということになるのだけれど、香川さんはそうした閾を、 いともやすやすと乗り越えてしまえるのである。いや、「やすやすと」というのはあくまでも 見所で結果だけを受け取る者の気安さが可能にしている言い方であって、実際にそれを あたかも「やすやすと」乗り越えてしまうためには、どんな修練があり、どんな芸の秘密があるのか、 どのような心持ちにより可能となるのか、最早、観る者の想像を超えてしまっているという他ないのである。

ところがその後、序の舞に到るまでの、本来ならば聴かせどころであるべき部分が、やはりどうも うまく受け止め切れない。舞台で起きていることを眺めていればそんなことはないのに、 謡の内容がそこに重ねては更に上書いていくイメージの連なり方が、うまく焦点を結びつつ ある種のコヒーレンスを保って変転していくに到らず、次々と方向を変えつつ切り替わっていくので、 頭ではその繋がりを追えたとしても、どこかで実感が追い付かない感覚が残ってしまうのである。 これは謡の表現力が足りないということではなく、舞台上の所作がそうとわからないというような ことでは全くない、寧ろ逆に、友枝さんを地頭とする謡の表現が豊かであるが故に、またそうした謡の変化に 応じた香川さんの演じるシテの、例えば御簾が揺れたり、蹴鞠を暗示したりする所作が鮮明であるが故に、 一層その感じがましてしまうように思われてならない。前回「遊行柳」に接した時の印象は跡形もなく 掻き消されてしまって、只々舞台の上で起きることに見入る他ないのではあるけれど、作品自体が それが定着することを妨げている感覚をところどころで抱いてしまったということである。

例えば、「柳桜をこき交ぜて」という、和歌に基づく有名な一節、冒頭触れた金子さんのお話のお題でも ある一節も、それに続く故事との重畳というものが生じる暇がなく、次々と、一つ一つはそれなりに 趣があるだけではなく、固有の奥行を備えた場面が切り替わっていくのを受け身で眺めている感じになってしまう。 金子さんのお話によれば、それこそが信光の持ち味なのだ、ということになるのだろうが、 結局のところその持ち味が、少なくとも私にとってはかえって印象を薄める結果になっているように しか思えないのである。

*   *   *

そうした印象も、序の舞に到達してしまえばたちまち掻き消えてしまう。信光が誂えた文脈を超えて、 舞はまっすぐに、人間の寿命を超えてひっそりと生き続ける巨木のイメージに辿り着くかのようだ。 そう、ここでは朽木の姿をしていたとしても、それは春が巡るたびに蘇って青葉を茂らせる、人間の 尺度からすれば永遠にも比すべき生命力とどこかで繋がっているように思われる。舞台を離れれば、それは 倒れて埋没しても再び発芽してくる逞しい生命力を持つが故に、霊が宿ると考えられ、風に揺れる古木の枝から 幽霊のイメージに繋がり、反転して却って死を連想させさえするという柳のイメージに繋がっていくのかも 知れない。遠く離れた西洋における柳がユダが首を吊った木、別離や死との強い連想を持ち、墓地に植えられる ことの多い木でありながら、他方では悪魔を払い、占いを行う杖であり、オルフェウスを悪魔から救った 存在でもあるという両義性もまた、人間とは全く異質の生命を持つ存在に対する感受性の産物なのであろう。

いや、このように書くのはその場に出現した出来事を歪めているという非難を受けることになるかも知れない。 序の舞そのものは、老体の能に相応しく、運びもたどたどしく、流れる時間も時折、一休みするかのような 淀みを生じながら続いていったのであって、寧ろそこには、植物もまた、一つ一つの個体としてみれば 遺伝子の搬体として有限の生命と老いとを運命づけられていることをも認識させるようなものだったから。

だが、にも関わらず、やはりそこには老いだけではない永遠の生命を思わせるような何かがあったように 私には感じられたのである。そしてそれは、その前では植物も人間も隔たるところのない、「仏性」と言われる何か と関わりがあるもののように思われた。ある意味では「永遠に老い続ける」柳の精は、祈り、感謝しつつ舞うことで その老いの向こう側にある何かに、舞っている瞬間だけは実際に触れているという感じを持ったのである。

ここで些かの逸脱をお許し願えば、これは遊行ではなく禅宗の道元の「正法眼蔵」なのだが、例えば「このゆえに、 花開の万木百草、これ古仏の道得なり、古仏の問処なり。」から「心仏はかならず古なるべきがゆえに、古心は 椅子竹木なり。」(「古仏心」)という認識へのプロセスを思い浮かべずにはいられない。 ここで最後の「古なる」とは寧ろ本源とか真理とかに近いものであろうが、信光がそういう詞を書いた文字通りと いうことではなく、まさにここで道元が言葉を組み替えて意味をずらすことによって己が得たもの言い当てようとする 運動と通じるものを、演能に観ることができたように感じられるのだ。それは作者によっても演者によっても 意図されたものではないだろう。まさにシテが演じる老い木の精が体現するように、老いの受動性の先にある「脱落」 (これもまた、道元の文脈での意味を重ね合わせて頂いて構わない)を見据えた時、あの序の舞こそ「修証一等」を 具現したものと見ることはできないだろうか、という消し難い印象を持つのである。更に言えば、 「悉有仏性」もまた、一般的な「草木国土悉皆成仏」といったポテンシャルとしてのとらえ方よりも、 道元が「正法眼蔵」で用いた、エネルゲイアとしての捉え方の方が、演能を通じて感じ取ったものにより近いようにも 思えるのだ。

*   *   *

こうした感じ方、老いの中に永遠の生命に通じる何かを見るという認識の在り様が、信光が意図したところであるか どうかは私のような素人には詳らかしない。だが、事前に用意された詞の寧ろ余白の部分においてであれ、 今回の演能に接して私が受け取ったものにそうした側面が含まれたいたのは事実だし、その余白は能が様式的に 備えていて、単なる演劇と見なすことに最も強く抗い、奉納や祭祀といった呪術的なものへの通路となり、 そうした思考から遠ざかった人間に対してさえ、その心理の奥底の無意識的な部分に働きかけることを可能にする 側面なのである。

能を見ることについて知識も豊富なら技術的な細部にも通じておられ、なおかつ 瞬間瞬間に奥深い部分まで汲み尽くすことが出来る多くの優れた見所の方々がおっしゃる香川さんの演能の持つ 硬質の肌触りと人間離れした透明感、そして長年の厳しい修練の賜物である揺るぎない技術は、或る時には作者の意図や 作品の出来を超えた何かを提示することがある、そうした貴重な場に立ち会うことができたのではないかというような ことを、今回の演能を通じて強く感じた。最後にこのような貴重な経験をさせていただいたことに対し、香川さんを はじめとする演者の方々に対し敬意と感謝の意を表するとともに、年に2回の公演を企画され、運営に携わられた方々にも 同じく敬意と感謝の気持ちを述べて感想の結びとしたい。(2016.9.18公開)

2016年8月28日日曜日

「第108回川崎市定期能」(川崎能楽堂・平成28年8月6日)


「第108回川崎市定期能」第1部
能「六浦」

シテ・香川靖嗣
ワキ・森常好
ワキツレ・森常太郎
アイ・山本泰太郎
後見・友枝雄人・友枝雄太郎
笛・栗林祐輔
小鼓・森貴史
大鼓・大倉慶乃助
太鼓・小寺真佐人
地謡・大村定・中村邦生・長島茂・友枝真也・谷友矩・塩津圭介

*   *   *
能を拝見することには、或る種の非日常的な出来事の追体験といった側面があるように思われる。 それは能舞台での演能を介した仮想的な経験であり、決して現実の経験ではない。 「追体験」、という言い方をしたが、実のところ、オリジナルの体験すら仮想のものであっても 構わない。実際、多くの能が取材するのは史実そのものではなく、先行する文学作品であり、 全くの虚構の物語の架空の登場人物をシテとする作品も珍しくない。その一方で、そうした虚構が 現実の世界と持つ接点の中で、その出来事が生じたとされる特定の場所が占める割合は決して 小さくはないのであろう。能であれば謡蹟巡りであろうが、これは別に能に限った訳ではなく、 作品の舞台となった場所を訪れる、いわゆる「聖地巡礼」は、現代においても世代を超えて尚、 途絶えることはないようだ。

と、上記のようなことからこの感想を書き出したのは、川崎能楽堂で拝見したこの日の番組が、 「六浦」であったからに他ならない。JR川崎駅から程近い川崎能楽堂に向かう途中、京浜急行の高架が 望めるが、その京浜急行は「六浦」の舞台である称名寺のある金沢八景へと通じている。 金沢八景は現在でこそ地名になっているが、元来は、六浦村・金沢村一帯の風物を、瀟相八景に 倣って選んだもの(同工のものとして「近江八景」が著名であろう)であり、 その中には能の舞台である称名寺の晩鐘(「称名晩鐘」)も含まれる。 実際には開発の進んだ現在の金沢八景近郊に昔日の面影を見出すのは難しいのは、他の多くの謡蹟と同じ、 作品が霊感を受け取った風景は、逆説的に今や作品の中にのみ残っていると言うべきであるとはいえ、 月がどこに沈み、日がどちらから上がるといったような詞が産み出す作品の空間が 現実に知っている風景の記憶に重なり合う経験は一種独特のものがあるように感じられる。 そうしたことが起きることで、逆に自分が作品の世界の中に、肉体を備え、光や空気の調子を 具体的に感じ取ることができる存在として定位し、恰もその世界で生きているかのような感覚が 一層強くなって、その風景の中に棲む登場人物の思いを、まるで現実に出会ったかのように 受けとめることができるように感じられるのだ。

そうした体験は、近年目覚しい発達を遂げている仮想現実、拡張現実のテクノロジーによって、 遠くはない将来にはごく当たり前のものになるのかも知れないが、例えば巷で話題のゲームが 惹き起こす現実との齟齬を見聞するにつけても、能楽の備えているポテンシャルの大きさには 圧倒されずには居られない。

一例だけ挙げれば、以前、香川さんのお仕舞で「柏崎」の 道行の部分を拝見したことがあるが、偶々私がその経路の一部を何度か実際に訪れたことがあり、 風景の記憶を持っていたために、物狂いとなって善光寺に向かうシテの想いを、何よりもまず 身体的なものとして受けとめてしまい、打ちのめされてしまったのであった。 一曲の能ではないから、時間にすれば数分足らず、装束もつけず、囃子も伴わないお仕舞にも関わらず、 それが産み出すリアリティは今でも自分がその時に見たと感じた風景を思い出すことができ、 その時の心理状態を思い出せる程まで克明なものであった。 勿論、数百年の年月を隔てて私が見た風景と、彼女が見た風景が同じものである訳はなく、 だからここで問題なのは、具体的に測定できる細部の現実との類似の度合い等ではないし、もっと言えば、 彼女が具体的な実在の誰かをどこまで忠実になぞった人物であるかすら問題ではないのだ。

説明のために出来事のタイプとトークンの区別を持ち出せば、ここではトークン間の類似度が 問題になっているのではないのだ。作品として蒸留・抽象され、結晶化された経験のタイプと、 そのタイプに(可能的に)属しうるトークンとの間のゆらぎが演奏によって惹き起こされ、 それによって「経験」が可能となるという消息が問題になっているのであり、純粋なタイプも トークンも現実においてはいずれも抽象に過ぎない。演奏が惹き起こす経験というのは 一見すると非現実的なものと捉えられがちだが、それは実は現実の経験と形式的には 何ら異なることがなく、寧ろ常に作動している「想像力/構想力」を介した人間の「経験」の 原基の如きものとさえ言いうるかも知れないのである。かくして能を拝見することは、 逆説的に、現実よりもより生々しい「経験」の場であるとさえ言えるかも知れないのだ。

*   *   *
前置きが長くなったが、今回「六浦」の舞台を拝見して、その体験を反芻しつつ考えたのは 実際、上記のようなことであったのである。勿論それは、能であれば自動的に保証されるという ものではない。現実よりも生々しい「経験」を可能にするのは、先ずは単(ひとえ)に演者の 技量であろう。とりわけ「六浦」という作品について言えば、これは極限的な状況に置かれた 人間の心理を扱ったものではないし、荘厳な宗教的経験であったり、圧倒的な呪術的強度を 備えて見所を捉えてしまうような類の作品ではない。序の舞が舞われる典型的な蔓物ではあるが、 その舞は報恩のそれであり、シテである楓の精は離れがたい妄執に囚われ、救済を求めて ワキの僧の前に現われる訳ではない。構成も切り詰めすぎの感すらある程に簡潔であり、 鄙びた風情の中にも、落ち着いて気品のある小品といった趣のこのような作品は、賢しらな 解釈を受け付ける余地のない分、演者の技量を要するのではないかという気がする。

今回の演奏は囃方は若手で固められ、川崎能楽堂での演奏の常で、小じんまりとした能楽堂のサイズに あわせて6人の地謡も前列も若々しい顔ぶれであったが、それもまたこの作品の持つ、屈折なく 素直な曲柄を考えればプラスに寄与したように思われる。喜多流は他の流儀と異なって、 演出上も色無しとはしないのが常のようだが、この日の装束、特に後場のそれは 白の長絹(紐が緑色でアクセントとなっている)に萌黄色の大口で、 青葉の楓の永遠の若々しさ、透明で純粋な心をもつ一方で、歌に詠まれて名を上げた後は 身を退くという含羞とも謙虚とも取れる身の処し方を貫いてきた楓の精の、 もしかしたら純朴とも見える程に控え目でありつつ、一本筋の通った存在様態に相応しいものと 感じられた。

実は「六浦」は能の上演をこれまで何度か拝見しており、記憶する限りこれが3度目になる。 私のように人生も半ばに達してから能を拝見するようになり、しかも多忙にかまけて、 その頻度といえば年に数回という人間の場合、いわゆる名作・人気曲の類すら未だ実演に接する 機会を得ない作品が数多あることを思えば、やや例外的といって良いが、いずれも喜多流の 他の方がシテを勤められた過去の上演(後場の装束は萌黄色の長絹に緋の大口であったと記憶する)と 比べて、何よりもまず印象的であったのが、シテの持つ透明感と気品であり、 それは人間も含めた動物的な存在とは懸け離れた、瑞々しい生命感を漲らせつつも体温のようなものを感じさせない、 植物の精ならではのものと感じられたが、それは例えば常とは異なる装束の選択にも現われていたように思われる。

一方で、これも川崎能楽堂で、能を拝見し初めて間もない頃に拝見することができた「杜若」から始まって、 これまで拝見してきた香川さんがシテを勤めた演能の中における植物の精をシテとする作品の 印象は実に鮮明なものがある。のみならず、狭義での植物の精をシテとする能だけではなく、 以前、川崎能楽堂で拝見した「夕顔」は、源氏物語に取材し、その登場人物をシテとするものであったが、 シテの印象は寧ろ、その名前の由来となった夕顔の精ではないかと紛うばかりの儚げな透明感に溢れたものであったし、 客観的には疑いなく陰惨な題材を扱った「伯母捨」さえ、どこかで人間の秩序を超えた存在となって、 まるで月と同化して舞っているかのようであったし、禅竹の手になる「定家」のような哲学的な晦渋さを備え、 人間の運命をより大きな秩序から俯瞰した感のある能ですら、シテがあたかも定家葛の精であるかのように純粋で穢れなく、 人間的な心理の次元をどこかで超えてしまっていて、深々とした寂寥感を感じさせるものであった程である。 上に挙げた演能はどれも皆、清冽で、観終えてた後、日常の中で萎びかかった心が洗われ、甦るような感覚に 捉われたものだったが、今回の演能もまた、そうした印象を強く抱くような純度の高いものであった。

もちろんそれは解釈の不在を意味するものでは全くなく、隅々まで気持の行き届いた所作も謡も、 詞章の深い読みに裏打ちされたものではあるのだが、その上演の有り様は、能を人間の心理を 中心に据えた心理劇の如きものと見做すモダンな方向性ではなく、もともと能が備えていた筈の、 人間とは異なる存在に対する畏怖や人間を超えた秩序に対する感応といった、非人間的なものへの 感受性を感じさせるもので、それだけに一層より深く人間の心理の奥底の、無意識の領域に届くような 強度を帯びたもののように思われるのである。近年の個人の会での演能の充実に接しての今回の演能では、 円熟を突き抜けて可能となる自在さが、人間の尺度からすれば永遠に歳を取らないとさえ感じさせるような 純粋さや若々しさを実現していたように感じられた。

このように書いてしまえば、解釈よりは技術に、内容よりは外形的な所作に重点が置かれ、 古風で反時代的な上演と受け取られてしまい兼ねないが、決してそうではない。 そうではないどころか、舞台の上に一瞬だけ、日常を超えた何かを現出させるという点においては、 冒頭に述べたような今日のテクノロジーに優るとも劣らない先鋭さを帯びているのである。 今や感性すらも情報処理の対象となりつつあるが、一見したところ古式ゆかしく 反時代的な存在であると見做されかねない能楽が見所の心に働きかける「魔術」もまた、今後少しずつ 解明されていくのであろう。だが、もしそうなったとしても、この「六浦」の能を拝見して 経験することができた「出来事」の質は些かもその鮮明さと深みを喪うことはないであろう。

*   *   *
夢幻能の定型に忠実に、前場では称名寺に着いた都の僧の下に謎めいた雰囲気の女性が現れて、 本堂の庭の青葉の楓の由来を聞かせるのだが、最後になって彼女こそがその楓の精であることが 告げられると姿が消えてしまう。こうして筋書きを書いてしまえば、能の物語としてはありきたりの、 他方では現実離れした御伽噺の如きものと受け取られることであろう。だが舞台を拝見すれば、 それは全く自然なこととしか思えない一方で、定型に忠実でありながらも、そのありようが極めて ユニークな質を帯びていること、しかもそれが他の作品にはない確固たる質感、リアリティとでも 呼ばすにはおけないものを感じずにはいられないのである。かてて加えて、こと私の場合に限って言えば、 その印象の一部は、現実の場所の記憶の木霊であることに気づかされる。現実と仮想の空間の交錯が起きて、 かえって現実への拠り所が危うくなるかのような、眩暈に近い感覚に捉われるのである。

植物と人間との交感ということについても、しばしば「草木国土悉皆成仏」という言葉で語られる、 日本独特のアミニズムに基づいた独特の仏教観に言及されるのが常であり、実際に「六浦」も またそうした文脈に位置づけられる作品なのではあろう。だが演能を拝見するという経験が呼びおこすのは、 そうした知識よりはより具体的である意味では日常的な位相を備えた感覚である。 例えばそれは、近くの里山に在って時折足を運ぶ谷戸の一番奥まった処にひっそりと佇む巨大な樹木を、 或は冬晴れの日の午後に、或は夏の早朝に訪れた時に感じられる何かにより近いようなのだ。

人間とは全く異なった形態で、だが決して無関係にではなく、一つのバイオスフィアの 成員として自分の目前に佇む巨木。全く自分とは異なった過去を持ち、偶然に導かれてそこを自分が (ワキの僧のように)訪れることによってその存在に遭遇した、だが実際には知らぬままに同じ圏に 住まっていた筈の、自分とは全く異質の存在。動物のように周囲の状況に応じて動き回ることもなく、 だがもしかしたら私よりも遥に長い寿命を持ち、遥に多くの季節の循環の中を生き抜いていく存在。 そうした存在が自分と同様に「生きている」ということに気づく瞬間というのがあって、 それは滅多に起きることではないかも知れないけれど、何か大袈裟な天変地異や奇跡の如きものでは全くなく、 密やかで、日常的なもの、鄙びた風景の中でいつ起きても不思議はないようなものに違いない。

いや、それはお前の勝手読みだ、個人的な事情に過ぎないと言われてしまえば返す言葉はないのだが、 藤谷和歌集の冷泉為相の故事に取材した「六浦」の能は、だがその典拠を遡行した果てでは、 個別の出来事を越えて、感受性が触発される場をより普遍的な仕方で指し示しているのであって、 私の場合には偶々それが、自分の具体的な経験の記憶の中から汲み上げられると上記のような感覚に なるのでないかというように思えてならないのである。

否、それが個人的な戯言であることは認めても良かろう。それでもなおそうした経験を惹き起こした 演能を拝見したという事実は残る。そしてそれは、いつでもどこでも起きるようなものではないし、 もっと言えば、「六浦」という作品が上演されれば自動的に惹起されることが保証されているものでも なかろう。能楽の持つ呪術的、神話的な側面、人間の無意識に働きかける力は、最高度の技量と隅々まで 行き届いた解釈の賜物なのだ。その結果としてこの日の演能の最後、キリの場面で起きた事については 恐らくその場で一緒に見所に居た方々は同意してくれることであろうと思う。このような経験をもたらした 演者の方々への敬意とともに、そこで何が起きたかについて、以下に、筆の及ぶ限りで書き留めることをもって この感想の結びとしたい。

*   *   *
報恩の祈りの型から始まって、時間の流れ方が変わってしまったかのように続く序の舞も、 夜が白々と明けていくに連れて鳴り響く鐘の音とともに終わりを告げる。金沢八景は東に向けて海が 開けていて、西の方には丘陵が聳えているので、曙の光は海の方から訪れるのに対して、 西の山にはまだ月が懸っている。夜が明けるに従って、空が色彩の氾濫となる中に、海岸特有の 強い風が吹き渡ると、青葉の楓のある庭は周囲の紅葉した葉が舞い巡る色彩の饗宴と化すのである。
私はこれを比喩として語っているのでは決してない。客観的に分析すれば、それはシテの所作が 惹き起こした効果である或る種の幻覚の如きものということになるのであろうが、 演能に向きあって、自分もまたワキの僧とともに仮想の、何時とも知れぬ称名寺の庭に居る人間は、 その風を実際に肌に感じ、視界全体にぐるぐると回る色彩の氾濫を目の当たりにして眩暈に襲われた筈である。

その風が止むと、もう其処は鄙びた(架空の世界での)日常の称名寺であり、楓の精の姿は勿論、 影も形もない。ワキの僧が留拍子を踏めば、その鄙びた日常も消えて、 現実の能楽堂の舞台が目前にあるばかりである。だが先ほど見た、一時の奇跡のような色彩の 氾濫の印象は心の中に確かに残っていて、微妙に現実感がずれているのを感じつつ席を立ち、 御礼の挨拶をして能楽堂を後にする。

*   *   *
勿論、その時に見た風景は、今このように書いている時にも心の裡に容易に思い浮かべることができる。 自分の心の中に、外から何かが訪れた瞬間の経験、能がもたらす経験の印象は、そんなに簡単に 薄まるものではなく、恐らくは日常の中で無意識の裡に沈殿して埋もれてしまうことはあっても 喪われることはなく、また何かの折にふと甦ることになるもののようである。それを私自身は 十分には受けとめることが出来ず、辛うじてこのような拙い記録をしか遺せないけれど、 他の方が恐らくはそれに相応しい仕方で受けとめて下さるであろうと思う。そしてそれは 世代を超えて、これまでも続いて来たし、これからも続いていくに違いない。

もっともその存続もまた、無条件で保証されたものではあり得ないだろう。 だが、個人の無力はそのようにして補償され、人間がその歴史の中で見出した価値というものが継承されていく、 そのプロセスの中に自分もまた属しているのだ、という認識を持つことは何とも心強いことに感じられるし、 自分がわずかばかりでも、結果を受け取るだけという間接的な仕方であっても、それでも尚、 「神の衣を織る」ことに与っていると思うこと程大きな慰めはない。 それはその場限りの感動とか、個人的な嗜好の問題を超えたものであり、 自分のやり方の不十分さ、不完全さは承知の上で、それでも尚、このようにそれを証言することは、 それを受け取った者の或る種の義務の如きものである、ということを改めて強く感じずにはいられないのである。 (2016.8.6-28)

2016年6月11日土曜日

「第10回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成28年4月4日)


「第10回香川靖嗣の會」
能「野宮」

シテ・香川靖嗣
ワキ・森常好
アイ・高野和憲
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌隆之
小鼓・大倉源次郎
大鼓・柿原崇志
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・狩野了一・金子敬一郎・大島輝久・友枝真也

*   *   *

 今回で10回目となる「香川靖嗣の会」。概ね4月の最初の土曜日に催されるので、 往き帰りの道端に桜を見ながらの観能となる。今年もまたそうであったが、 季節の循環の確かさに比べて、微視的な、と言われもしよう自分の周辺の状況は 常に揺らいで定まることがない。諸般の事情から、一旦は書き始めた感想を完成させる ことができないまま、2か月以上の時間が経過してしまった。それでもなお、感想を書きあげて 今、それを公開しようとするのは、この感想自体の価値ではなく、自分が幸運にも 経験することのできた演能自体の価値故であり、たとえ時期を逸してしまってもなお、 その感想を記録しておくことをある種の義務と考えているが故であることを、 かくも公開が遅れたことに対するお詫びとともに、最初に御断りしておきたい。
*   *   *
恒例の馬場あき子さんのお話は、「野宮」という能の解説を超えて、 典拠たる「源氏物語」における六条御息所についての詳細を極めた紹介で、 100万文字、20万語に及ぶ長大な「源氏物語」を何度も逍遥して目立たぬ小径迄知り尽くし、 恰もその作品世界の一員であるかのような行き届いた解説であった。

私個人について言えば、「源氏物語」の世界は、日本の古典であっても、幼少の頃より親しんできた 「平家物語」の世界と比べて、疎遠であったし、今でも疎遠であり続けていると言わざるを得ず、 寧ろ能を拝見することが「源氏物語」の世界への唯一の通路であると言っても過言ではない程であって、 直接的な能作者に限定されず、莫大な影響力を持っていた源氏物語が後世に遺した巨大な影響力の 圏に属する有名無名の人々の受容のプロセスの総体を背景とした解釈を通じて、 その世界を遠目に眺めているに過ぎない。

そうした私にとって印象的だったのは、従来様々な説が唱えられて来たらしいこの「野宮」という能の 作者を禅竹であると馬場さんが言い切っておられた点で、これについては寧ろこの日の観能を終えた後、 演能から受けた印象に照らして非常に腑に落ちたのを覚えている。厳密には永劫というわけではなくとも、 人間の尺度からすれば永遠に等しいような大きな時間の流れの中に置かれた、 有限の生を運命付けられた個体としての人間の、自己の限界をはみ出してしまった思念の寄る辺なさ、 だがまさに同じその思念の力によって個体としての限界を超え、 しばしば円環的と言われる時間構造(だがそれは能の作品自体の構造ではなく、観る者にとっては暗示され、 示唆されるといった形で浮かび上がってくるものなのだが)の中に閉じ込められて解脱を得ることができず、 本来ならば悪循環である筈の輪廻の中において、自己を超越し、或る意味において永遠に漸近し続けるという 逆説を突きつけられたように感じたのだったが、それは例えばかつてやはり香川さんのシテで「定家」を 拝見した時に受けた印象と構造的には並行するものがあったような気がするのである。(念のためお断りして おけば、だからといって、「野宮」と「定家」が似ていると言いたい訳ではなく、寧ろ直接的な印象は 全く異なるといっても良いのだが、その印象の由来については後で触れることになろう。)

*   *   *

この演能を拝見して最も鮮烈に感じられたのは、虚構の物語の一登場人物に過ぎない人間の 途方もない存在感であったように思われる。しかもそれは、上述のような私の「源氏物語」との接点の 希薄さを考えれば、ほぼ人の一生に等しい年月の時間経過を内包する「源氏物語」という作品の厚みと、 その中で一際存在感を放って六条御息所が幾度と無く登場することに起因するわけではないだろう。 勿論、冒頭に記した馬場さんのような方であればそうした 感じ方も可能だろうが、私の場合にはそうしたことは望むべくもなく、 それは専ら演能の力によるものに違いない。例えば同じ禅竹の「定家」の式子内親王であっても、 あるいは平家物語の人物であっても、能のシテとして造形された人物は、既にあくまでも物語の世界の それであって現実に過去生きた人物とは異なるには違いないし、他方では、六条御息所についても 徽子女王というモデルが比定されたりもしているようだが、こと六条御息所の場合について言えば、 そのリアリティは逆説的に見えようとも、フィクションの中にこそ存するのは確かであり、 より直接的には、目の前にある能舞台で繰り広げられる、高度に様式化され、抽象化された エピソードそのものに在るのは間違いない。勿論それは、謡の詞章や型付けに依存していはしようが、 力の源泉はあくまでも一度きりの演能の数時間の時間の中で起きた出来事であるのは疑いない。

勿論、こんな事は当たり前の事であって改めて書くようなことではないのだろうし、 実際にこのように書いてみたところで、具体的に経験したものの凄みの前には空疎にしか感じられないが、 それでも尚、虚構と現実のこうした交差を目の当たりにしての、えもいわれぬ感覚のあまりに強さに対して、 こうしたことを書き連ねて反芻してみる他、私には為す術がないのである。

桜の季節に秋の気配の濃いこの能を演じるのには色々と困難が伴うだろうが、少なくとも能舞台に向かっている間は、 外は満開の桜の季節であることなど、完全に消し去られてしまうのである。 まるで夢の中で現実とは異なる季節に迷い込んで、醒めてみると、夢の中の強固な現実感のせいで、 かえって現実の方が幻めいて感じられるといった具合で、仮想現実、拡張現実を経験するのに、 何も最近流行の最新のテクノロジーなど不要なものに感じられてならない。しかも登場する人物は全くの虚構の存在の、 更にその亡霊に過ぎない筈なのに、今尚記憶の中に克明に残っている人物の存在感は、実在の人物よりも寧ろ 鮮明な程なのだ。

毎回の「香川靖嗣の會」の演能が如何に素晴らしいものであるかについても、それを具体的に 書くことは技術的な細部を言い当てるだけの知識がない私には手に余ることで、何回か回を重ねる毎に その思いは強まるばかりである。恐らくは毎回撮影されているであろう舞台写真の一葉の方が 多くを語ることであろうから、総体的な印象については上に記したことにとどめ、以下では、 自分の上記の印象に関連した細部について、幾つか具体的に書き留めておくに止めたい。

*   *   *

前場、僧の前に登場する御息所の霊の姿に先ず胸を衝かれる。既に源氏物語自体の中で御息所の 年齢設定には曖昧なところがあるようだが、馬場さんのお話ではその若さに触れられていた。 思えば霊が現われる時に往時の何時の姿をとるものなのか、ということをあまり考えたことがなく、 何とはなしに「死者は歳をとらない」という言葉からか、没した年齢をイメージしていたようなのだが、 そこに現われたのは「葵上」他のエピソードでの生霊となる程の激しさとは一見して懸け離れた、 犯しがたい気品と誇り、そして知性を感じさせつつも、儚さ、脆さを感じさせるような寂しさを 纏った若い女性の姿であった。

後場で笛に導かれて車に載って橋掛かりを横切って登場し、彼女にとってはほとんど外傷的とも呼べる 経験であったに違いない車争いの場面を回想する箇所でも、そうした印象は変わらない。 身分のせいでもあり、知性のせいでもあるのだろうが、それ自体半ば無意識的な反応の如きものとして 撓めて押し殺してしまった思念は、彼女自身にも制御不可能な形で出口を求めて奔流の様に迸ることになる。 だけれどもそれはここでは最早、ほんの一瞬、或る種の気配の如きものとして感じられるに過ぎない。

それは実際に舞台の上でも、折節、その気品に満ちた相貌に一瞬翳を落してよぎっていたように感じられる。 これもまた既に言い古された修辞の類と取られてしまうのだろうが、美しく寂しげな表情の中に、 一瞬、あの「葵上」の般若の、鬼の表情が揺曳するのを現実に目の当たりにすると、こうした複雑な 構造を持った心の微妙な変化を見所に感じ取らせる能楽の凄み、そして勿論、そうした能楽の持つ ポテンシャルを十二分に汲み尽くして、一度限りの舞台の上に表現しきることのできるシテの技量に 圧倒されずにはいられない。

*   *   *

私が強く感じたのは、恐らくはそういうプロセス自体を客観視することさえできる知性の持ち主にとって、 それは担い難い業の如きものとして感じられるのではないか、といったことだった。 実際、そのプロセスは原理的に停止することができず、断念は断念の不可能性に他ならない。 それが故に彼女は幾度と無く、この場所に立ち戻り、回想し、この悪循環からの脱出を願いつつも ついに果しえない。しかもそれは、生前にこの地を訪れた時に既にそうだった筈なのだ。 言ってみれば、ここでは最初の1回目というのが欠落しているかのようである。 勿論始めは自尊心、誇りといった言葉で形容し、説明できたものかも知れないが、それもまた、 この地を訪れることにした時点で既に無意味なものとなっていたのではないかという気がしてならない。 否、私は「源氏物語」においてどうであったかを語る権利はないから、この能においてどうであったかを 言うことしかできないが、少なくともここでは、原作の「源氏物語」の文脈を最早離れ、自意識を備え、 最早そのようではないものとして過去を回想し、現在とは断絶した未来を思い描くことのできる、 自伝的自己を備えた人間の宿命の如き構造自体が立ち現われているように感じられたのである。

そもそも御息所にとってこの場所での出来事というのは、かつて既に、それまでの過去を断ち切る、 彼女の生の軌道における特異点の如きものであった筈である。彼女は霊となって後、成仏できないことを 嘆いて祈るのではない。その祈りは初めからこの場所に構造的に含まれていた筈なのである。それを思えば、 一般にこの能の最大の見せ場ということになっている、鳥居が形成する結界のこちらと向うを行き来する型は、 そうした構造にはそぐわないものになるだろう。実際にシテが祈る型が挿入された替わりに、鳥居から 足を踏み出す型はなく、寧ろそのことが一層痛ましさを感じさせずにはおかないかのようだ。 それ自体が彼女の不幸であったかも知れない程までに聡明であった彼女は、己が囚われている業に 対して無意識であったのではなく、寧ろ初めから自覚的であり、それゆえに、それを受容することに 耐え難さを覚えたのではないか。彼女が囚われた閉域は(そうした側面が含まれない訳ではないが) 自分で制御できない嫉妬心に留まるものではなく、(これまたそうした要素がなかったわけではなくても) 身分や年齢差という彼女の生きた社会が強制する障碍のみがそうした状況を惹き起こした訳でもないだろう。 嫉妬に身を任せた挙句の修羅場や身分違いの恋ならば寧ろ巷に溢れていると言ってよい。(そういう意味では 「葵上」は同じ人物を描きながら、その把握は全く異質なものに感じられる。)

彼女の相貌の背後に秘められた或る種凄惨で正視に堪えないものは、通常であればそうしたものとは 無縁なものとしてイメージされる、理性的なものが持たざるを得ない宿命なのではないのか。 ここで理性と狂気の弁証法を持ち出すつもりはないけれど、馬場さんのおっしゃられた 無常と妖艶の関係は、異質のものの出会いなのではなく、無常であるからこそ妖艶が成立するといった 構造を持っているように思われる。これは私だけの感じ方かも知れないが、私がそこに見たのは、 異質のものの取り合わせが産み出す興趣といったものとは懸け離れた、正視に堪えないほどの痛々しさを 感じさせる美しさであったが、私にはそれが、本能的に振舞うことや、自然な感情に身を任せることから 身を引き離し、自分では決して解消できないアンチノミーを抱え込んでしまった「人間」の精神の 姿のように思われたのである。彼女は一方で、自分がそこに閉じ込められた閉域から出て行くことを 願いながら、結局のところその閉域に留まることを自ら選ぶ。だから祈りから始まる序の舞の後に、 この一曲限り、急の舞が続かなくてはならないし、来た時と同じ破れ車に再び乗って帰っていく外ない。 「火宅」というのは、まさにその閉域を指し示す名前なのだ。

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このように書くと、豊穣な間テキスト性に支えられ、現実の人間以上に存在感のある御息所の個性が 揮発してしまったとか、観る者が汲み尽くせない程繊細で豊穣な細部に満ちた、円熟の極みと言う他ない 香川さんの演能を不当に図式化してしまったという謗りを受けるかも知れない。 だが、そうではないのだ。 例えば、ジュリアン・ジェインズのbicameral mindの仮説を思い浮かべていただいてもいい。人は意識を持つ存在ということ自体、必然的で自明なことではないし、 具体的な意識や自己の様態は、寧ろ社会的・文化的な環境により水路づけられる可塑性を備え、 それゆえ例えば一卵性双生児すら、同一の意識を持つわけではない。御息所が虚構の人格であるが故に、 既述の様に、「葵上」と「野宮」の対比では、異なった可能世界の提示といった感があるし、 構造的には良く似た円環構造を持つ禅竹の能においても、例えばこれもまた香川さんのシテで拝見した ことのある「定家」を思い浮かべた時に、反復の中に自ら帰っていく様相のあまりの違いに驚かされる。 虚実皮膜という言葉があるけれど、ここではそれに留まらず、寧ろ純然たる虚構の存在であるからこそ、 端的に、人間の存在の持つ儚さと美しさとを、或る種の普遍性を備えつつも、同時に具体的で、 より直接観る者の心を揺さぶることができる仕方で提示することができるのであり、恐らくは1000年近い 年月を隔てて、だが自分もまた囚われている共通の宿命の構造が、可能な限り最も美しい形象を伴って 提示されているからこそ、それに共感しつつ、自分自身のみでは決して到達し得ない慰謝を感じ取ることが 可能なのだと思う。

勿論、こうした感じ方が、例えば当日の見所の全員に共有されるという意味合いで 普遍的であるというつもりはない。否、寧ろこれは、私だけのごく私的な経験であり、非常に偏向した受容の 仕方であることを認めるに吝かではない。だがそれを認めたからといって、その経験がある仕方で個別性を 超えた普遍性を備えた美の経験であること、そしてそれが祈りという契機と固く結びついていて、 かつ上述のような意味合いでの意識と自伝的自己を備えた人間の構造の奥底に達する根源性を備えて いることについては譲るつもりもない。人によってはたかが一回の演能の鑑賞に過ぎないのに、何を大袈裟な、 とおっしゃるかも知れないが、最早美しかった、面白かった、上手かったでは済まされないような 演能というのがありえて、例えば今回のケースがそれに当るのだと私は思う。このような経験をしてしまえば、 技術的な個別の細部がどうだったというのも、受けとったものの総体の不可分の一部として記録するので なければ意味がないように思えるのである。

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近年のテクノロジーの発達は、仮想現実や拡張現実というのを或る種の比喩に留まらない、本当に現実との 境界を曖昧にしかねないものにしようとしているようだし、ナノテクノロジーを活用した医療技術や 遺伝子操作等によって、現在の人間にとって逃れがたい宿命であった筈の個体としての有限性が ある技術的特異点(シンギュラリティ)に到達した向こう側では最早宿命ではなくなるといった主張が 現実味を帯びつつある現在において、このような演能に立ち会うことができるということは、単なる 伝統の継承を超えた可能性を感じさせるものであるように思われる。勿論、テクノロジーの可能性と、 それと裏腹の危険性を自覚的に引き受けた現代の先鋭的な試みは貴重だし、その中にも際立った成果が見られることを 知らない訳ではないのだが、そうした先端での最上の成果と拮抗し、ほとんどそれを圧倒しかねないような 達成に、伝統芸能の舞台で接することができるのは驚きでもあり、だが、数百年の年月を経て受け継がれてきた ことを思えば、寧ろ当然のことのようにも感じられ、いずれにしても、そこに人間持つ無限の可能性を感じさせずに いられない。

些か極端な言い方になるが、「香川靖嗣の會」を拝見することは、自分には及びもつかないようなことを達成する力を 人間が持っていることを身をもって体験する機会であるように感じられてならない。 そのような貴重な経験をいつもさせていただいていることに対する感謝の気持を記して、この感想を終えたい。 (2016.4-6, 6.11公開 7.11修正)

2015年9月6日日曜日

「第105回川崎市定期能」(川崎能楽堂・平成27年9月5日)

狂言「口真似」
シテ・山本則俊
アド・山本凛太郎
アド・若松隆


能「藤戸」
シテ・香川靖嗣
ワキ・森常好
ワキツレ・森常太郎
アイ・山本則重
後見・内田成信・佐々木多門
笛・槻宅聡
小鼓・森貴史
大鼓・柿原光博
地謡・中村邦生・長島茂・狩野了一・友枝雄人・金子敬一郎・大島輝久


川崎能楽堂での観能は久しぶりのこと、番組は狂言「口真似」と能「藤戸」で、「藤戸」と言えば、 以前同じ舞台で別の流儀で拝見したのが唯一だが、その時の山本則俊さんのアイの演技が鮮烈な印象となって残っていた。 今回は香川靖嗣さんのシテで則重さんがアイを勤め、能に先立つ狂言のシテを則俊さんが勤めるという番組で、 これは見逃すことはできないと考えて訪れたのだが、期待に違わぬ素晴らしい舞台であった。 こじんまりとした川崎の舞台は、舞台と見所の距離が小さく、囃子の響きが空気を切り裂いて直接耳に届き、 通常より少ない6人の地謡でも迫力十分、 150席程度の見所は満席。途中休憩を挟まずに約1時間40分程の間、見所もまた、開演5分前にはほぼ着席して 静寂が保たれ、その後も終演迄緊張を切らすことなく舞台に没入する充実した時間であった。

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狂言「口真似」では冒頭、お酒を貰った主が一緒に飲むに相応しい相手を太郎冠者に探してくるように言いつけるのだが、 命じられた太郎冠者の則俊さんが、他を探すまでも無く自分がいるではないかと言うところで早速見所に笑いが広がると、 後は巧みな間合いの詞の掛け合いのリズムに乗って話が展開していく。相手に相応しい条件について無理難題を 言われて考えあぐねた太郎冠者は知己であるらしい下の町の住人を訪ねて連れて帰る。若松さん勤める住人は 酒癖は悪いらしいのだが、素面では礼儀正しいという住人が来たと知って凛太郎君勤める主が、太郎冠者に、 自分の口真似をするように命じると、その後は太郎冠者の独擅場、自分に酒を持ってくるように命じられたのを、 口真似で客である若松さんに命じ、たまりかねて主が自分を叱責するのを、「言い付けの通り」口真似で客を叱責し、 というのが繰り返される単純なつくりの話だが、これが則俊さんを中心とした山本家によって演じられると、 極上の音楽を名人の演奏で聴いているかのような印象を抱くことになる。

場面場面の転換の鮮やかさ、全体の見通しの良さ、そして、口真似をするところは単に滑稽なだけではなく、 舞台を対称的に使った所作も含めた反復の美しさを備えているのである。 口真似が惹き起こすナンセンスな状況を見ながら、それがどこまで続くのかを見所は固唾を持って見守るしかないのだが、 絶妙の間合いで繰り返される口真似が一回、もう一回とナンセンスの度合いを高めていくのは、 名人芸という外、形容する言葉が思い浮かばない。
主に引き倒された太郎冠者が、止めを刺すように口真似によって客を引き倒して、主がそうしたように自分も 舞台を去ってゆき、最後に落ちをつけるように引き倒された客人が後を追って舞台を去っていく瞬間に、 酒に呼ばれたのに訳もわからないまま小突かれ、引き倒される、客観的に見れば不条理な状況に巻き込まれた 客人の寒々しさのようなものを一瞬感じさせつつ、けれども最後までテンポよくリズミカルに作品を閉じる 手際の鮮やかさは見所に圧倒的な印象を残す。

息をつく暇も無いその音楽的と形容するのが相応しい舞台に見所も引き込まれて、拍手が起きて 舞台上が無人に戻っても見所の緊張はすぐにはほどけず、次の番組である能のお調べが聞こえてきてようやく 空気が入れ替わるような感じであった。時間にすればほんの15分程度の小品であるが、狂言の精髄を観るかの如き 充実の時間で、拝見できたのが僥倖と感じられる素晴らしい舞台であった。顧みれば以前拝見した「鎌腹」の舞台以来、 幾度と無く経験してきてはいるのだが、その度に感動を新たにし、その芸の凄味さえ感じさせる切れ味の良さに 圧倒されるのである。初見の人でもこの一番を見れば狂言が如何に奥深く、完成度の高いものであるかを知ることが できようという素晴らしい上演であった。

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続く藤戸も冒頭の囃子とワキの謡による場面の設定がまず鮮明で、一気に作品の世界に引き込まれる。 ワキの盛綱が新領主として晴がましく藤戸に着くまでの駘蕩とし、光に満ちた春の空気が、 訴訟がある者は申出よと触れを出したあとの笛の一閃で空気がさっと変わり、 日が翳ったかのようにひんやりとしたものが舞台の上を流れ出すと、 幕が上って前シテの中年の女の登場となる。詞の上では老女となっているが、いわゆる姥ではなく、 だが面の効果も相俟って、その若さが寧ろ彼女の置かれた状況の苛酷さと憔悴の激しさを強調するかのようで、 俯き加減の面の表情は、彼女が単なる訴訟とは異なった決意を裡に秘めていることを感じさせずにはおかない。

最初は知らない振りをする盛綱も、追及の激しさに耐え切れず、 遂に自分が恩賞を受けた先陣の功と引き換えに行った非情の行為を語ることになるのだが、 ワキの森常好さんによる盛綱の心の動揺と変容の表現も明晰なら、嘆きと恨みが交替し、 悲しみに沈むかと思えば、ワキに詰め寄るようにして迫るシテの香川さん演じる女の心情の揺らめきの表現も克明で、 面が切られ、あるいは膝立ちのまま盛綱にむかってにじり寄り、最後には立ち上がって盛綱に迫って跳ね除けられて 安座してシオル型の一つ一つが、見る者の心に突き刺さってくるような鋭さを帯びているし、そのプロセスを 謡い上げる中村さん地頭の地謡も、緩急を大きくつけて心情の切迫と悲嘆の交替の激しさを感じさせて、 シテの感情を増幅して圧巻であった。

悔恨を新たにした盛綱がアイを呼んで、女を家まで送るように言いつけるとアイによる送り込みとなる。 則重さんのアイは同情に充ちた送り込みもさることながら、それ以上に、その後の盛綱への語りにおける、 身分の違いを超えて自分の気持を述べる気迫、正義感に充ち、物怖じしない堂々たる態度が印象的で、 数年前の則俊さんの、深い同情とやり場のない怒りがほとばしる裂帛の気を、今尚思い浮かべることのできる 圧倒的な送り込みとはまた異なった仕方で、見所の共感を呼びおこす素晴らしいものだったと思う。 藤戸のアイのやり方として、この山本家のやり方がどのように位置づけられるのか、知識のない私には詳らかにしないが、 いわば見所の代弁者のようにして舞台との紐帯となるこのアイの役割は、戦争状態における非戦闘員の殺害という、 決して遠い過去の物語の中でだけ起きているわけではない出来事を題材とする藤戸という能を特色づけるものとして、 更には、寧ろそうした題材がまさに今日の状況に対して強いインパクトを持つように思われるだけに、 それ抜きには考えられない程の説得力を備えたものに感じられる。

*   *   *

後場は一転して、夕闇が広がっていく中での管弦講の場面となる。囃子の表現はここでも素晴らしく、 太鼓が加わって、シテである漁夫の霊を呼び出していく。後シテの漁夫の霊は母親の年齢に対応するかのように 若く設定されていて、それだけに命を絶たれることになった彼の無念さが一層痛切に見所に伝わってくるかのようだ。

今回の上演で私が強く感じたのは、前場と後場の間に張り巡らされた連関で、 前場の母の嘆き恨みのエコーであるかのように、 漁夫の霊もまた盛綱に迫ってゆく様は、眼前には紛れもなく漁夫の霊が見えているにも関わらず、 記憶のどこかでそれが前場の光景と重なり合うかのようで、私は思わずワキがどのようにそれを受け止めているのかを 確認してしまった程であった。けれども今度は、殺害の場面を描写するのはワキの語りではなく、シテの所作であり、 圧倒的な表現力をもった地謡であって、思わず眼をそむけて天を仰ぎたくなるような鮮明さでそれは描写されるのだが、 ここでも幽かに前場でワキの語りに対して見せた前シテの母親の表情が二重写しになるのを感じずにはいられなかった。

上述のように、戦争が惹き起こす状況の非情さ、悲惨さを告発する能として、今回の演能は強い説得力を持つもの だったのだが、にも関わらず、今回の演能の圧巻はその後、後シテが恨みの頂点でワキに詰め寄ろうとした瞬間に、 まるで何かに撃たれたかのように或る種の相転移が起き、一転してシテが成仏していく、その劇的な転換に あったように感じられる。

変化する筈のない面の表情が一変し、それまで闇の中にあった舞台が一転してぼうっとした光に包まれたかのような 予期せぬ変化に私は圧倒されてしまった。勿論、詞を読めばそのようになっているのかも知れないが、聊か語弊のある 言い方を承知で言えば、この作品における成仏は、それ自体が奉納であり鎮魂である能という芸能の或る種の 約束事のようなものであり、特にこの作品の場合には形式的な結末には収まらない剰余があるという印象を 抜き難く持っていただけに、今回の演能の印象は一層圧倒的なものがあったのである。

それはシテの力量も勿論だが、まずもっては地謡の力によるものであり、またそれを支える囃子方の気迫に満ちた 演奏によるものであり、更には、前場におけるワキの心情の表出、アイのワキへの訴えといったものが、恰も背景を なすが如くに間接的に働きかけた結果なのは間違いない。仮にこの結末が能舞台の上で起きたヴァーチャルなものであると 割り切ったとしても、その力の凄まじさは圧倒的なものであって、能の上演が今尚、奉納や鎮魂といった力を 喪っていないことを目の当たりにさせられたように思うが、今回の演能はそうしたレベルを突き抜けて、 この能が扱っているような現実に対してどのように向き合うべきかについて、何か重要なものを与えてくれたように 感じられてならない。勿論それは、明確なメッセージの伝達が意図されたということではなくて、端的に優れた 上演によって浮かび上がってくるものであって、見所がそれぞれの文脈において受け止めるべきものなのだろうと思う。

年に一度二度の観能の機会しかなく、いわば万年初心者の私が、そもそもそれを充分に受け止めることが出来た筈は なかろうし、辛うじて受け止めたものすら、それを適切に言語化することが出来るとも思わないのだが、 そうした限界を承知の上で尚も強いて言うならば、ここで救いや赦しについて論ずることは一見容易に見えて、 実際にそれを実現することが如何に困難であるかということとともに、だがその困難さを正面から受け止めることの 裡にしか、救いや赦しの実現への可能性はないのだということを、頭での理解としてではなく、 全身で受け止めた実感とでも言う他にないものとして感じ取れたということであろうか。 奉納のおける鎮魂の祈りは赦しや救いに至る十分条件ではないけれど、祈り無くして赦しも救いもありはすまい。 芸能というのはそうした可能性の場を開き、見る者をそうした可能性にいざなうものなのではなかろうか。 能が持つそうした、奥深く、測り知れない力を改めて強く感じされられた観能であった。そうした得難い経験を 可能にしたシテの香川さんを初めとする演者の方々に感謝したい。

*   *   *

偶然にも私はこの半月くらいの間に、マーラー祝祭管弦楽団による「大地の歌」のコンサート、 三輪眞弘さんの「海ゆかば」の詞を題材とした作品「万葉集の一節を主題とする変奏曲」の再演、 そしてこの「藤戸」の演能と、それぞれ素晴らしい舞台に立て続けに立ち会うことができたのだが、 マーラーのコンサートはユダヤ人のホロコーストやアルメニア人ジェノサイドの記憶に関連付けられた ものであったし、三輪さんの作品ははっきりと太平洋戦争における「玉砕」と「特攻」を扱っていた。 それ以前から、戦争を知らない世代であることを自覚しつつ、太平洋戦争の回避と終結に向けての様々な人々の 苦闘の軌跡を辿り、他方でアッツ島、ペリリュー島、硫黄島、沖縄での「玉砕」を強いられた人々、 ニューギニアやビルマで直面した想像を絶する状況に立ち向かった人々、あるいは特攻に抗して戦うことを選んだ 人々の跡を辿る作業を自分なりの仕方で続けてきた。 そのせいもあってか、「藤戸」という能を「海ゆかば水漬く屍」という詞との連想抜きに拝見することが困難な 状態で私は今回の演能を拝見したのだが、そのこともまた、一層、今回の演能の最後に起きたことを何か不可能事が 実現してしまったかのような奇跡の出来として感じると同時に、そうした奇跡の起きる条件として、上記のような ことを感じることの背景となっていたかも知れない。

従って、こうした感じ方は私の個人的な文脈に基づいた主観的なものであるかも知れないけれど、 だからといって、受け止めたものの重みは聊かも減殺されることはないし、こうした受け止め方をした人間が 見所に居たということを書き留めておくことに何某かの意義がないこともあるまいと考え、客観的な観能の記録を 逸脱することを覚悟の上で、更には自分の受け止めたものの重みを担うことが自分の容量を全く超えたことで あることを認めた上で、そのことを書き留めておく次第である。(2015.9.6初稿)

2015年4月12日日曜日

「第9回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成27年4月4日)

「第9回香川靖嗣の會」

能「木賊」
シテ・香川靖嗣
子方・大島伊織
ツレ・内田成信・佐々木多門・友枝真也
ワキ・宝生閑
ワキツレ・宝生欣哉・則久英志
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌仙幸
小鼓・曽和正博
大鼓・國川純
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・狩野了一・友枝雄人・金子敬一郎・大島輝久

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 毎年4月の最初の土曜日に行われる「香川靖嗣の会」を拝見することは、ここ数年、日常の些事への埋没から自分を引き離し、 人事を超えた大きな秩序の持つ呼吸に辛うじて自分を同調させることのできる貴重な機会となっている。今年は、幾つか 重畳していたもののうちの殆どが幸いにも何等かの句切りを迎え、だが最後の一つのピークが4月の始まりを跨いで 観能の日の数日後に句切りがつくという、何時に無く微妙な間合いとなってしまった。

 しかも番組は尉物狂いの難曲・稀曲とされる「木賊」。難曲というのは、第一義的には演者にとってのものなのであろうが、 見所にとってもそれは物心両面での準備を必要とするものに違いない。稀曲とされ、事後的に見ればシテの一度きりの 演能になることも考えられるような状況であるのみならず、能を観ることを日常とされている専門の研究者の方や 見巧者の方々とは異なって、自分にとっても今後拝見する機会が恐らくはないであろう状況に対するには あまりに気持ちの余裕が無さ過ぎることや、観能後、直ちに日常に戻らなければならず、しかもそのまま一週間が 過ぎてしまったような状況で、十全な受容ができる筈もなく、以下の文章は、そうした制約の中で、それでもなお 何を観て何を感じたかの記録に過ぎないことを予めお詫びする他無い。

*   *   *

 恒例の番組最初の馬場あき子さんのお話は、今回は木賊という植物そのものや木賊刈りの説明から入って、前段の素材となる、 舞台である信濃の園原にちなんだ帚木の伝承や、物語の枠組みを為す旦過などの説明を交えながら、丁寧に物語を 追ってゆく。だが伺っているうちに感じるのは寧ろ、如何に自分が作品の背景となっている世界と疎遠であるかと いうことであった。木賊という植物にしても然り、園原という場所にしても然り、物語の筋書きにしても然り。 だが冷静に考えてみればこれは愚かしい反応であって、同じ程度に疎遠な世界を扱った作品は幾らでもあり、 そうしたことを意識することなく作品に接する場合もあって、疎遠であっても有無を言わさぬ力で自分の中に 消し難い印象を残すこともまた、幾らでもあったし、今後もあるであろう筈なのだ。 要するに、日常からの気持ちの切替が出来ない準備不足の状態で見所に着いて、これから拝見する番組に 対する自分の身の置き処のようなものを見出しかねて、寄る辺なさを感じてしまったということなのだろう。

 それでもなお強いてそうした疎外感の由来を問うならば、老いということを色々な場面で意識せずにはいられない、 しかも他人事ではなく、そろそろ我が事としても感じずにはいられない年齢に差し掛かっていはするものの、 我が子を喪った、しかも死別ではなく、生き別れとなった男親の心情というものに、同情以上のものを感じることが できるのか、ということに思い至らざるを得ない。一週間を経た今考えると、そうした感じ方自体、 実は私が予め知ってしまっている(だが舞台は拝見したことのない)「木賊」という作品の所謂 「あらすじ」や詞章に対して、それをどう受け止めていいのかについての戸惑いのようなものを、 いわば先入観のような形で事前に抱えこんでしまっていたことが原因なのだろうと思う。まさに難曲たる 所以とされる、世阿弥と伝えられる作者の、年老いた男の物狂いを見せるという趣向に、率直に言って、 或る種掴みどころの無さを感じ、聊か尻込みしてしまっていたということだ。

 そうした中、馬場さんのお話で鮮烈な印象で私の中に刻み込まれたのは、形見の装束を纏っての舞に 因んで、シベリア抑留で喪った子供を悼んで窪田空穂が詠んだ長大な歌の中にも、形見を纏うという ことが出てくるのに言及されたことであった。

*   *   *

 それでは実際の演能を拝見した結果はどうであったか。端的に言えば、それがこれまでと同様に、非常に完成度の 高い演能であり、シテは勿論、ワキも囃子方も地謡も、その演奏は圧倒的であったのは間違いない。特に囃子方の 描き出す前場の秋の鄙びた山奥の風景の臨場感、鮮やかなシテによる木賊刈りの所作とそれに続く、 風景が見えてくるようなシテとワキの帚木に纏わる遣り取りと、前場は見所の連続であったし、 一転して老人の心の動きをそのまま音響化したかのような後場の囃子の自在さや、これまた緩急自在の地謡の、 壮絶なばかりの表現の雄弁さは圧倒的であり、開曲から終曲まで全く弛緩することなく物語の世界に 向き合うことができ、特に後半は、簡潔でシンプルであるという印象さえ抱いたほどで、難曲とされる 大曲を一気に観終えてしまった感じさえ抱いたのである。

 物着の後の序の舞は、老いというものが孕む時間性が昇華されたような、或る種異形な壮絶なもので、 時折止まってしまうその時間の歩みは、罅割れた感触の、無慚ささえ感じさせるようなものであった。 妄執とか過度の愛情といった側面よりも、もはやそうしたものすら過去のものとなりつつあり、 舞を続けることができずに、時折立ち尽くしてしまうという、老いというものの苛酷さが浮かび上がって くるように感じられたのである。形見を纏い、嘗て見た子供の所作を記憶を辿りながら舞う行為は、 強烈な呪術的な機能を持ち、効果を備えている筈であるが、そこに老いが介在することで、単純な物狂いで あることが許されず、心は回想に赴くことはあっても、それは長い時間の経過とそれに伴う身体の衰えに 妨げられて、最早本来持っている力の解放に至らないかのようだ。だが、実際にはそうした瞬間にこそ、 「奇跡」は起きるのであって、少なくとも私には、妄執に憑かれた老醜を晒すことの結果としてではなく、 寧ろ老いの結果としてそこから心ならずも脱落してしまったその瞬間にこそ、再会が可能になったかのように 感じられたのである。老いて何事かを断念することを余儀なくされるような状況に到って初めて可能になる こともまたあるのではないかといったことを私は感じずにはいられなかった。

 勿論それは、現実の演者の生理としての老いの表れではなく、永年の鍛錬があって始めて可能な、 高度な技術に裏付けれた「表現」であり、だから聊かも劇的な持続としての弛緩を意味するものではない。 恐らくは作者が意図したのは、まさにこうした異化効果、或る種の醒めて冷え切ったような感覚と、 その果てにある或る種の境地のようなもの(それを安易に「悟り」といって良いものかどうか、 私には判断しかねる)だったのではないだろうか。だからここで問題なのは、物語の「現実」の界面に おいてそうであろうような老醜自体の写実的な表現ではないし、異様でグロテスクでさえあるかも 知れない妄執の直接的な表現でもない。そうしたものが舞う老人の心の裡には尚、渦巻いているのかも知れなくとも、 舞を見ている者が目の当たりにするのは最早それ自体ではない。それは舞台で演じられ、展開されている個別の 具体的な物語の中の個別の人間が持つ具体的な年齢や境遇といったものの直接的な帰結ではなく、 登場人物の心理や生理の表現、演出といった次元とは異なった、あえて言えばより根源的な、 或る意味ではもっと普遍的な、有限の寿命を定められ、老いて行く事を運命づけられ、しかもそれを意識し、 直面していくように定められた人間の悲しみや徒労感のようなものに根差したものと感じられたのである。

 そうしたものが一体、どのようにして表現されうるものなのか、私如き一見の者にはわかろうはずはないのだが、 どこかそれは、いわゆる表現とは別の次元で、単なる表現に留まらない、恐らくは表現の背後に秘められた、 もしかしたら演者自身も必ずしも意識的に分析しきれているわけではないかも知れない、思いにすら至らない 感慨の如きものが暈のように覆い被さることで可能になっているような印象を受けた。単なる高度な技術だけではなく、 それを前提として、更なる余白の如きものが必要とされるのだとすれば、確かにこれは「難曲」であり、 繰り返し演じるような作品ではないのかも知れず、一期一会の演能だからこそ可能になるものなのかも知れない。 少なくとも私には、そのように感じられた。

*   *   *

 分類すれば現在能ということになるこの作品は、だが、能よりは寧ろ後世の他のジャンルに 相応しいものであるかも知れない、物語的な筋書きの展開に応じた登場人物の造形があるわけでもないし、 「弱法師」や「歌占」のように、父子の関係を扱いながら、或る種の世界観のようなものを背景にした 複雑な陰影を孕んだ構成上の工夫があるわけでもない。寧ろ、こちらは母親の物狂いの道行を中核とする 「柏崎」に似たような、或る種の原型(アーキタイプ)的な物語が形式的な枠組みとして用意されていて、 物着を伴う物狂いの舞を見せるというシンプルな趣向の作品であり、単純にそれを追うことに終始すれば、 構造を図式的になぞるだけの説明調の平板さに陥りかねない。既に述べた後半の印象の簡潔さや シンプルさは、そうした点と関わりなくはないだろう。例えば、ツレの一人がワキに僧に対して、 シテの老人の振る舞いに対して事前に警告をする詞などは、合理的というよりは、如何にも 古風な物語調で、寧ろアイの語りとして分離される前の雰囲気を感じさせる。

 のみならず、これは演出上の伝統の問題かも知れないが、意図してのことかどうかを問わず、 物語の叙述の具体性や自然さ、設定の整合性のようなことに重きをおくならば、 例えば老体の父親に対して年齢が離れすぎている子方を出すことの不自然さは否めないし、 自分の導師であるワキの僧に願って信濃に残した父親との再会の旅をしてきた筈の松若の心理を描くことは 寧ろ意図的に拒絶されているかも知れず、その結果として、しばしば「舞を見せるための設定」として説明されるように、 松若がなぜ直ちに名乗ることを控えたのかの理由が明かされることもない。一般にはそうした点が 「難曲」たる所以とされるようであり、実際、私の場合も、今回の観能において、何かに非常に心打たれたり、 深く感情移入してしまって感情がかき乱されるといったようなことは起きなかったのは事実である。

 しかしながら、だからといって、そうした一見したところ不自然であったり、不整合であったりする 部分を合理化し、整合性のある一貫した解釈により作品を読み直すことが唯一の行き方なのかといえば、 このこの作品に関しては、そうとばかりは言えないようにも思えるのである。勿論例えば、或る意味では 醜態を晒す親の姿から逆算して、松若は過保護に反抗するようにしてか、そうではなくても父親の 態度か、あるいは明示されてはいなくとも何等かの行動に対してか反撥して出奔・出家したのであって、 従って、父親の事が気になって帰郷したものの、父親を目の前にして名乗りを上げることに対して 逡巡することもまた、そうした過去を背景とした心理的な葛藤であるとして合理化することも できなくはないだろう。だが、それは例えばこの作品の末尾の、現在能として演じられた出来事を、 恰も過去の物語であるかのように括ってしまう操作とは相容れないし、理由や背景を具体化するよりは 省略し、曖昧化していきつつ、老いた父親の心境を序の舞に托す構想と必ずしも整合しないように思われる。 同様に、老人が街道に面したところに家を構え、旦過をするのも、居なくなった子の消息を得る 目的のための手段であると考えることもできようが、単なる目的-手段の図式でそれを捉えて 事足れりとしていいのかと言えば、必ずしもそうとは言えないのではなかろうか。

 老人がこれまでずっと繰り返してきて、これからも恐らく死に至るまで繰り返すことになるであろう 旦過のある回において、物狂いの舞に疲れ果てた末の夢か現かも不分明な状態で、供応の相手である 僧達の中に生き別れになった我が子の姿を見出すことがあるとしたらどうだろう。 死者が歳を取らないように、彼が見出す我が子は、彼が纏う衣裳の似合う、別れた時の年齢のままであるより 他ないのではないか。そしてそれは、この後も(禅竹の能のように)果てし無く反復されるのだろう。あるいはまた、 再会が現実のものであったとしても、老人が再会したものが、自立して成長した修行僧ではなく、 自分が追い求めている、生き別れになった当時の子供でしかないとしたら、(むしろこれは元雅の能に おいて示唆されそうなことではあるが)、この再会は祝福されたものではありえず、別離が繰り返される ことになるのではないか。或はまた、曲の末尾が告げるように、これは或る種の縁起の説話の如きものであり、 寧ろシテは一貫して、子供と生き別れになり、旦過により消息を尋ねたが、本当は遂に再会できずに 死んでしまった老人の幽霊なのではないか、つまりこれは、今は生きていないある他者の物語なのではないか。 そして更に終曲において、これまで演じられた出来事を過去のものとして括ることにより、現在の時間から 引き剥がされ、出来事そのものと見えた舞台は、実は出来事の「再現」なのだという相対化さえ行われているのであると。

 実際にはこれらの仮定は、意図と結果の履き違いに起因する 行き過ぎた深読みであって、整合的な解釈としては成立しないのかも知れないが、能が必ずしも外面的な 現実の歴史よりも、その中で苛酷な運命に耐え忍ぶ人間の心の現実を浮かび上がらせるものであると したならば、上記のような仮定は、少なくとも一面の真実をも捉えていないと断言することもまた、できない のではなかろうか。前場の木賊刈りの段では、月を磨くことにかけて真理を捉えることを述べ、 帚木の伝承に関する問答と僧と交わし、僧に酒を勧めるにあたって陶淵明を引用する姿と、序の舞が 終って泣き崩れてしまう姿との落差はあまりに大きく、だがそれらが作品の時間の中で並存するように、 この作品は仕組まれているのである。あたかもキュビズムの絵画のように、ここでは幾つもの可能世界が重なりあい、 並存していて、単純な解釈を許さないのではなかろうか。単純な感情移入を拒むという点も、この作品をいわゆる 人情劇と捉えれば欠点ということになるのだろうが、私見では、決してそうではなくて、まさにこのようなかたちでした 提示できない何かがあり、それが寧ろ作者の世阿弥の狙いだったのではないかという気がしてならないのである。

 物狂いであっても女性がシテである場合の華やかさもなく、同じ老体であっても植物の精霊がシテである「西行桜」の ような透明感でもないし、「伯母捨」のような、現実の悲惨さを超越した境地が開示されるわけではなく、 序の舞という形式は、ここでは通常期待されるものとは異なったものを担うべく、作者によって 意図されたのではなかったか。「難曲」というのは、一見したところ寧ろ能固有の形式に向かって 物語を抽象するように見えて、その中で或る種の換骨奪胎が意図されているが故ではなかろうか、 という感じを私は抱かずにはいられなかった。普通の意味合いでは美でもなく、崇高さでもない、 もしかしたら通常はそうしたものに対立するものとして考えられがちだが、本当ははそうしたものの 単純な裏返しでもない何かを舞台の上に出現させることが、作者の意図だったのではないか。

 更に言えば、寧ろそれは、見る者が己の心の中にもそれに類するものがあるのに気付いたときに、 そのようなものとして気付かせ、悟らせるように差し向けられたもののように私には思われた。 勿論私個人としては、そうとはっきりと認識したとは到底言えず、寧ろ、当日の印象を反芻した結果として、 そのような予感の如きものを抱いたに過ぎないが、その一方で、そのように心に働きかける、 グレゴリー・ベイトソン風に言えば「心の無意識のエクササイズ」として、或は「木賊」という作品 自体がそのことを示唆しているように、心を磨く或る種の修練の如きものとして、 能という様式は測り知れない力を備えているし、この「木賊」の演能は、そうした能という様式の備えた ポテンシャル、そして私の想像するところでは作者である世阿弥が能という形式に託したものを 十分に解き放ち、実現したものであると感じられたのである。

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 そういう意味合いでは、或る意味では定型的・図式的とも言えるハッピー・エンドの結末に対して、 私は必ずしも物語の人物の心理に共感してその場面に立ち会ったとは言えず、寧ろ、或る種の儀礼の終わりを 確認するような感覚に捉われていたように思えるのだが、この演能を拝見して私が受け取ったものは、 実は、物語の筋書きの上で結末が要求する表面的な晴れやかさとは異なった次元での安堵、 達成感のようなものではなかったかと思えるのである。

 終演後、最後に笛、小鼓、大鼓の順にゆったりと橋掛りを渡ってゆく囃子方が、 今や誰もいない空っぽの空間となった背後の舞台に残していく気配の中に、私は、その時点では 確かなものではなく、一週間を経過した今尚、予感めいたものでしかなく、いつかそれが確かな ものになるのが何時になるのかもわからないし、そもそも確かになることがあるのかもわからないけれど、 決して無ではなく、寧ろ日常に立ち返ることを後押ししてくれる何かを感じ取ったように思える。 繰り返しになるが、私は自分が受け止めた何かを的確に言語化することが、差し当たりはできそうにない。

 だがその一方で、全く別の文脈で、気にはなりつつもやはり意味を図りかねていたある言葉、 ここしばらくは日常の多忙に紛れ、すっかり埋もれてしまった言葉がふと浮かび上がってきたのを 感じた。それは20世紀のフランスを代表する哲学者の一人、ジャック・デリダが、その晩年に何度か 繰り返して言及し、彼の最期の対談の題名にもなった言葉、«Apprendre à vivre enfin» (『生きることを学ぶ、終に』)であることを、備忘のために記しておくこととしたい。 こう言えば聊か牽強付会めくのは避け難いが、私にとって(「木賊」一番のみならず、だが、 とりわけても「木賊」一番は優れてそうであったようなのだが)能を拝見することは、 まさにそうすることの実践の、そして同時にそうすることの困難や不可能性を認識する場のようなのである。 そうした認識を踏まえ、そうした認識を獲られたことを踏まえて、最後に主催者を初めとする演者の方々や 拝見する機会を与えて下さった方々への御礼の言葉を記して、拙い感想の結びとしたい。(2015.4.11/12)

2014年4月6日日曜日

「第8回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成26年4月5日)

能「江口」平調返
シテ・香川靖嗣
ツレ・内田成信・佐々木多門
ワキ・宝生閑
ワキツレ・則久英志・大日方寛
アイ・山本東次郎
後見・塩津哲生・内田安信・中村邦生
笛・一噌仙幸
小鼓・曽和正博
大鼓・柿原崇志
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・大村定・長島茂・友枝雄人・金子敬一郎・大島輝久

今年で8回目となる「香川靖嗣の会」は毎年4月の最初の土曜日に行われる。多忙な日常に埋没している裡にそれでも季節は巡り、 そして桜の花の時期に能を拝見することが、自分を超えた大きな秩序の持つ呼吸に辛うじて自分を同調させることのできる 貴重な機会となっているという思いを今回程強く感じたことはない。

昨年はとうとう前回の「香川靖嗣の会」での「伯母捨」一番 のみしか拝見できずに1年が過ぎてしまい、その同じ流れの中で、前日の深夜、当日の朝まで多忙に追われ、澱のように蓄積した 疲労の中で、それでも気持ちの遣り繰りをつけて能楽堂に足を運びさえすれば、そのような貧しく窮まった自分が受け取るには 過剰であることが最早明白な価値を備えた、必ずや記憶され記録されるべき、これ一度きりの演能に立ち会うことが出来、 そのことで自分が自分を超えた秩序との繋がりを保てているのだということを、拝見して後にこれほど強く感じ噛み締めたことは なかった。

それは一つには、今回の番組が「江口」であったことにも拠るのではないかとも思うが、そうであったとして、 それはまずもって、想像しうる限りでこの上を考えることのできない程に素晴らしい舞台を実現した香川さんをはじめとする 演者の方々の力があってのことなのは明らかなことだ。能楽の技術的・専門的な細部は詳らかにしないが、それでもなお 受け止めたものの純粋さ、透明感、何よりそれが人間の有限性を超越した何かに由来するに違いないと確信させる 圧倒的な強度は見所の全ての人にとって明らかであったと思う。拙い感想を以下に記すにあたり、演者の方々への敬意と 感謝の気持ちをまず書いておかねばならないと感じている。

馬場あき子さんが、毎回恒例のそのお話の冒頭述べられた通りに満席の盛会の中、馬場さんのお話は、作品の背景である 性空上人の説話や西行のこと、更には背景となった江口の遊女の社会がどういったものであったかといった点から、 今回演じられる小書の内容にも渉る詳細なものであった。これはいつものことであるが、内容もさることながら、そのお話の音調が 明確に備えている質に感銘を新たにする。演能の前のお話以外にも、馬場さんの文章や対談の記録などを時折 拝見することがあるけれど、それらから感じられるものと共通で、突飛な言い方かも知れないが、 言葉の選び方、内容の運び方によって、同じ日本語を使ってもかくも確固として日常とは一線を画した独自の世界を 築くことができるのだという感じを持ったのである。つまらない比較だが、例えばビジネスでも話術の巧拙はあり、 文章の規範があるけれど、それとは全く異質の世界であり、全く異なる価値の尺度があって、そこでは言葉が 全く別の表情を帯びる、その在り様を目の当たりにしたわけである。これまではそのお話を聴くうちに (少なくとも私にとっての)非日常への移行ができる緩衝装置として機能していたものが、今回についてはほんの 数時間前までいた世界とのあまりの相違に、馬場さんのお話そのものに対して或る種の眩暈のようなものを 覚えたのではないかという気がする。

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休憩を挟んで「江口」。まずワキの僧たちが登場し、道行の後、江口に到着すると、古い能らしく、アイが 演じる所の者を呼び出して、江口の遊女に纏わる故事を偲ぼうとするところに、橋掛りの幕の更に向こうから シテの江口の遊女の霊の呼び掛けがある。こう書くと何でもないことのようだが、決してもたれることはないが、 じっくりと克明な運びで場面設定がされるその過程自体が大変に密度の高いもので、あっという間に舞台の上に 江口の渡しのあたりの風景が広がっていく様の確実さは、例えば近年のヴァーチャル・リアリティ等の テクノロジーを駆使したマルチメディア・アートなど全く寄せ付けない程のもので、古典芸能が磨き上げてきた 人間の想像力を解き放つ力の凄味を感じずにはいられない。僧との遣り取りのうちにこれはいわば型どおりに 正体が明かされて前場が終わり、今度は本当のアイ狂言となる。

能は「幽霊」という存在様式をあたかも自明のようにして扱うのだけれど、普段は幽霊などとは無縁の世界に 生きている人間が、舞台の上に現れる幽霊に何の違和感も覚えないのは、能自体が単なる見世物ではなく、 超越的なものへの通路を開く、祭祀的・奉納的な側面を備えていて、その力が現在に至るまで継承されているからに 違いない。だがそうした条件の上で、実際に幽霊を舞台の上に呼び出すべく風景を変容させるのは囃子方の芸の力であり、 舞台の上に幽霊を現出させるのはシテと地謡の芸の力である。

現実離れした世界が確固たるリアリティをもって現れるという点では、後場は更に圧倒的であった。 これまでもしばしば、事実としてはそれは能舞台で作り物を用いて演じられたに違いなくても、記憶から呼び出してみると 舞台は消えて、恰もそれを自分がかつて実際に見たように風景が再構成される経験はしばしばしてきたが、今回の場合もそうで、 記憶から再構成される風景の中では橋掛りは消え、水面に浮かぶ舟にのった遊女の舟遊びが、だが現実離れした内側から 発するような光に照らされて浮かび上がるのが見えるばかりである。

その後シテのみ舞台に残ってのクセは、これも(少なくとも私には)些か古風に感じられる所作を伴う舞グセであり、 あたかもシテの心境を托した舞を見るかのようでいて、実際には、既に達観して或る種の悟りの境地に達している者が 自分の到達した地点から自分が生きてきた世界を眺めるような、どこか現実離れした不思議な透明感があるように感じられた。 後でその時の感じを反芻しつつふと頭の中をよぎったのは、伝承によれば性空上人は目を閉ざせば仏がいて、目を開ければ 遊女が舞っている、という経験をしたという話で、それを強いて遊女から菩薩への変化の過程ということに帰着させて しまえば、クセの部分からその変容は徐々に始まっているような印象であったということになるのかも知れない。例えば 「凡そ心なく草木、情けある人倫、いづれ哀れを遁るべき、かくは思い知りながら」というように、クセの詞はまるで 波の満ち引きのように、息のめぐらしのように、或る瞬間には語られる迷いの世界の中にいるようで、次の瞬間には そうした迷いを解脱した境地、前生も来世も、世々の終わりをわきまえた境地にいるかのようである。

だが最も印象的だったのは、舞の出だしの囃子の不思議な効果であったと思う。事前の解説によれば恐らく主として 囃子方の小書きによる効果なのだろうが、普段とは別の次元に落ち込むような感覚、時間や空間が変容していくような感覚が 大小の独特のリズムと間合いによって生じる。シテの舞も、段を重ねる裡には徐々に常の序の舞のようにも見えてくるのだが、 最初のうちはまるで人間が常に生きているのとは異なる別種の時間の流れの澱みに落ち込んだかのような、どこかがずれていて、 だがそれゆえに普段は見えない何かがふとしたはずみで滲み出してきて、だんだんと見えてきてしまっているような感覚に囚われた。

それが心の奥底から浮かび上がってきたものなのか、外部のどこかから 到来したものなのかはわからない。が、心の奥底の無意識の領域というのは、結局意識にとってはそれも一つの外部で あることには変わりなく、そうした自分でも知らない領域を人間は自己の内側に抱えているのであって、そういう意味では 自分の奥底にこそ自分とは他なるものへの通路が穿たれているというのが人間の精神のあり方であることを思えば、 今回の演能は、まさにそうした心の奥底まで照らし出すような力を備えていたということなのだと思う。

そして序の舞が終わり、謡が再び始まった瞬間には、気付けばもうそこにいるのは遊女ではない。だが、例えば序の舞が 遊女が仏身となる過程であるというのを序の舞の間に認識できていたわけではない。それは結果からのいわば因果を 逆向きに辿った推論であるに過ぎない。しかもそれは意識的に行われるとは限らず、意識の閾域下の無意識的な編集の 結果、あたかもそのような順序で出来事が継起したかのように、意識は思い込まされるものなのである。確かなのは、 舞が終わったときには時間・空間の意識が変質してしまい、普段自分が生きている現実では絶対に経験できないような、 透明で純粋なものに充たされた場のうちに何かが立っているのが見えるということだけなのだ。

「江口」は馬場さんのお話にもあった様に、遊女が仏身になる、あるいは普賢菩薩が遊女として化身していたのが、 その本当の姿を現すという出来事を主題とした能であるということで、ほとんど能評のみならず能に関連した文章を 普段読むことのない私ですら、お仕舞や演能の記録や評論の類に、仏になったように見えたとか、象が現れたとか いう文章を目にすることがある作品である。勿論、それらは恐らく決して修辞の類ではなく、 見たままを書いたものなのだろうと思うし、私も観能の際に類似の経験をすることはしばしばある。 そうした経験について言えば、勿論それを現実と取り違えるようなことはなく、そうした印象が虚構(ただしいわゆる 錯覚に近いことが生じることはままあるが)であり、或る種の心理的な効果に過ぎないことは前提となっていて、 例えば今回なら、キリで曇に乗って去っていくくだりの橋掛りでの所作は、あたかも詞章の内容を目の当たりに したかのような印象を与えるものであったし、序の舞が終わった瞬間、気付いた時には、或る種の相転移の あちら側に既に移っていて、遊女が仏身になる、あるいは普賢菩薩が遊女として化身していたのが、その本当の姿を現した かはともかく、後場の始まりで舟遊びをしていた存在とは異なる存在がそこにいるということは明らかなことに思われた。 勿論それは、シテの力量、地謡と囃子の力量の合わさった結果であり、そうしたことが常に起きるわけではなく、 この日演じられた演者の方々にとってさえ、一期一会の経験に属するようなことなのではないかと思えば、そうした場に 立ち会えた僥倖に感謝すべきなのだと思う。

だが、その上で、「仏を見た」という証言の方はどういうことなのか?ワキの僧は、性空上人がかつてそうであったように、 文字通り仏を見たのだろうが、その物語の上演を見所で観ている人間が「仏を見る」というとき、 それは正確に何が起きたということなのだろうか?能において、神様や天女が出てくるのは、幽霊が出てくるのと 同じことで別段珍しいことではないのだから、能の作品に仏が出てきても不思議はないには違いないが、 今回の演能を拝見して私が常ならぬひっかかりを感じているのは、そういう水準の話ではない。そうではなくて、 最高度の演能であればこその経験であるには違いなくとも、 技術的な達成といった次元を超えた何かに触れたのではないか、ということなのである。 それが私の主観的な思い込みであったとしても、それが私に起きたというのは疑いない。デカルトの意地悪な霊の しわざかどうかはこの際問題ではなく、そうであったとしても、それが起きたのは私にとっては疑いないことなのだ。

今回の演能の後半において私が経験した状態が、なんとも名状し難く、言語化し難いものではありながら、 演劇的な効果の水準を超えて、寧ろ祭祀や儀礼の次元に近い性質の、或る種の「神的なものの場」とでも名付けるほかないもの だったのではないかということである。その印象は自分の心の中の空間の中にたちまち同化して定着できるようなものではなく、 寧ろ謎めいて、容易に同化し難いものでありながら、寧ろそれが持つ力の作用によって自己の内面の抽象的な空間の中の 配置が変わって風景が一変してしまうような、自分にとって異質なものの経験なのである。

再びそれを反芻しようとしても、今となっては、演能を拝見したのは勿論のこと疑いえぬ事実だとしても、 そこで自分が「見た」ものが何であったか、どのようであったのかを正確に再構成すること自体困難であり、 己の風景の中に起きた変容を再認した結果をいわば間接的な証拠として、辛うじて確かに 何か見たに違いない筈だという他ない、といった有様なのだ。そしてもしかしたら、その同じ経験が、或る人にとっては まさに仏に変化する演技を鑑賞するのではなく、文字通り「仏を見る」ことそのものなのかも知れない、否、 いずれの日か、それが「仏を見る」ことだったのだと思い当たることになるのかも知れないという気さえするのである。

勿論、だからといって何か宗教的で神秘的な、あるいは超常現象の如きものを経験したと言いたいわけではない。何なら即物的に、 自分の脳内にあるネットワークの、普段は気付かない奥底の領域が測量されるような経験をしたという言い方をしても いいのである。「人間ならば誰もが心の奥底に宿しているはずの合理的思考を越えた内なる宇宙を想起させるための 儀式のようなもの、そこには自我もなく思想や感情もない、というより、そこからぼくらの思考や感情が湧き出してくる、 そのありかをぼくらの前に一瞬だけ、顕わにする技法」というのは、コンピュータ音楽、メディア・アートの領域で 際立った活動をされている三輪眞弘さんが音楽とは何かについての自問の中で記した言葉だが、能楽が、今回の上演のような 当代きっての名人達によって演じられたとき、まさに現代における最先端を見据えた異なる領域での問いかけに対する 応答になりうるようなポテンシャルを備えているのだということを身をもって経験したということなのだろうと思う。

私は日常として能に接しているわけではないから、まずもって能楽が演じられる現実そのものが自分の生きている現実との 接点を持たないということがまずあって、更に能が演じられることによって現出する時空は、それがかつて実際に起きた 事実に取材したものであったとしても、或る種ヴァーチャルな世界に属しているものなのだが、一見すると儚く無力に、あるいは 時として余剰で無駄にさえ見えかねない(実際、能楽に接することなく生きている人は大勢いるし、私の普段の生の圏に おいては圧倒的な多数派である)そうしたヴァーチャルな世界こそ、現実を生きる意味なり価値なりを与えるものであり、 ヴァーチャルなものこそ人間の精神にとってはなくてはならない次元なのであるということを認識したように感じている。 「仮の宿」というのは、そうしたリアリティとヴァーチャリティの認識における転倒を端的に言い当てた言葉ではなかろうか。

世の成り行きに巻き込まれていれば、自分がその中で遣り遂げたものの裡にも、何某か、自己の有限性を超えたものに 通じる途があるという信念すら危うくなってしまう。遊女の境遇にある者の語りは、時代も環境も全く異なってはいても、 自分には決して無縁なものとは思われない。仮の宿に心を留めて、随縁真如の波の立たぬ日もないというのは、まさに自分の生きる 現実のことに他ならないではないか。そしてそういう私にとって、今回、偶々「江口」の演能に接した経験というのは、 自分が生きる狭隘な世界における成り行きに対する無力感の向こう側に、自己の有限性を超えたものに通じる場が 気付かずして存在しているという認識を、単にそうした事柄を主題とした作品が演じられたという水準を超えて、 まさに上演そのものが備えている力によって、自己の有限性を超えたものに通じる場を現出せしめることによって 再認させる出来事であったといえると思う。こうしたことを確認もせずに言うのは不遜の謗りを免れないかも知れないが、 こうした経験をするときというのは、恐らくは演者の方々の心持ちが見所にも伝播して共有される、それもおそらくは 会場の大半を占めておられたに違いない、技術的にも充分な知識をお持ちで、常日頃から能をご覧になって、 その世界をずっと良く知っておられる方々だけではなく、一年振りに能を拝見するような私のような人間の心にも 伝わっていることの結果であるに違いなく、であるとすれば演者の方々もまさにご自分の力量によってそうした 「神的なものの場」が開けたのを経験されたのではないかというように思う。そしてもしかしたら、その経験こそ、 「仏を見る」という言葉で指し示されていたものに相違なく、ただ信心のない私にはそれが、そうと明確に 認識できるような形を取らなかっただけに過ぎないのではと。或いはまた、主観的には臨死経験として受け止められる ヴィジョンというのが、その人の文化的・宗教的環境に応じて異なるものになるにも関わらず、脳のある部位が 刺激されることによって惹き起こされるらしいというメカニズムの点では共通性があるという知見を思い 浮かべてもいいかも知れない。

勿論、観能の時間が終わり、 それをこのように反芻する時間も過ぎればまた、世の成り行きの波間に漂う状態に戻るには違いないけれど、 或る種の「神的なものの場」に接した印象は、それが客観的には錯覚であるとしてもなお決して無ではない。 能と同様に祭祀的な側面を持っていたギリシア悲劇を念頭にアリストテレスが定義した意味での カタルシスの作用は、単なる気分転換に留まることなく、かつて「魂」と呼ばれた心の或る領域に対して 不可逆的な作用を及ぼすものに違いないのだ。(ちなみにアリストテレスの悲劇論におけるカタルシスは、 それが登場人物についてのものなのか、観客についてのものなのかに関して諸説あることは、今回の経験から すれば寧ろ当然のことのように思われる。そもそもその2つを区別することができるような状況というのは カタルシスとは呼べないのではないか、と。)

いつものことではあるが、今回の演能がどんなに優れたものであったかについてはそれを語るに相応しい人達に 委ねて、私はここでこのように、普段能楽とは無縁の生活を送っている人間にとってさえ、今回の演能に接した ことがどんなに得難い経験であったかを証言することに留め、最後にもう一度、主催者を初めとする演者の方々や 拝見する機会を与えて下さった方々への御礼の言葉を記して、拙い感想の結びとしたい。(2014.4.6,7,8)