2009年12月26日土曜日

「第24回二人の会」(宝生能楽堂・平成21年12月23日)

能「道成寺」
シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生閑
ワキツレ・宝生欣哉
ワキツレ・御厨誠吾
アイ・山本東次郎
アイ・山本則重
後見・友枝昭世・中村邦生・高林白牛口二
鐘後見・塩津哲生・狩野了一・佐々木多門・塩津圭介・佐藤寛泰
笛・一噌幸弘
小鼓・飯田清一
大鼓・柿原崇志
太鼓・観世元伯
地謡・粟谷能夫・出雲康雅・粟谷明生・長嶋茂・友枝雄人・内田成信・金子敬一郎・粟谷充雄

「道成寺」の実演を拝見するのは初めてだが、これまで録音・録画などで観た限り、能としてはかなり特殊な作品といった印象を持っていた。若い能楽師の修行のプロセスで 「道成寺」の披きが重視されることもあり、有名な作品ではあるけれども、もともとが観世信光作の「鐘巻」の改作と言われているこの作品は、どちらかといえば技巧重視で、 見せ場は多いけれど心の中に消し難く印象が残るような強度を備えているようには思えなかった。拝見しての感想を一言で言えば、かなり特殊な作品という印象は変わらないが、 表面的で深みに欠けた作品であるという認識はどこかに吹き飛んでしまった。そればかりかこれまでに拝見した能の中でも屈指の、強烈な印象を残す、貴重な経験となった。

勿論それには、この番組を演じた方々の一人ひとりの高度な力量に加え、この番組にかける一種異様に感じられる程の凄みさえ感じさせる集中が決定的な寄与をしていたことに 疑問の余地はない。「道成寺」といえばまずは前場のクセを省かれたその空白に嵌め込まれたかのような乱拍子が有名で、シテと小鼓がクローズアップされることが多く、 勿論この上演でもそのやりとりは見事なものであったが、個人的には乱拍子に至るまでの緊張感の圧倒的な高まり、そして乱拍子の後の急の舞から鐘入りまでのドライブの凄まじさが 一層印象に残ったように感じている。乱拍子はもともと別系統の芸能から取り込まれたもののようで、通常の能の様式の持つ運動とは異なった感触が強いが、この点でもまた、 異様なのは乱拍子だけではなく、鐘入りをはじめとする垂直方向の動きの多さに加え、作品の構造自体の異様さ、更には構成原理が、いわば「崩壊の論理」とでも言うべきものに 拠っている点の方が強く印象に残った。とにかく最初から最後まで、凄まじいまでの緊張感に貫かれた圧倒的な上演で、その凄みを言葉で伝えることなどよく為し能うところではないが、 それでも順次、印象に残った点を書き留めて置きたい。

「道成寺」はワキの僧の詞から始まる。宝生閑さんの謡は最初から高い緊張感を湛えていて、曲の調子をはっきりと定めてしまう。アイの能力を演じる山本東次郎さんとのやりとりも 通常ならアイの語りに相当する縁起を述べる部分も圧倒的で、とりわけ縁起の部分はまるで眼前に光景が甦るような生々しさ。後場の蛇身との対決の力感、末尾の留め拍子の 晴れやかさも鮮やかで、この破格の作品の枠組みを揺ぎ無く支えていたように感じられた。

「道成寺」でも特にシテ方が下掛りの場合には、アイの役割の重要性が非常に高まり、アイが鐘を運び入れて釣る行為が作品中の演技として組み込まれる。こうした役柄では 山本家の技術の確かさと格調の高さは上演全体の緊張感と格に決定的に寄与しているように感じられた。鐘を釣るのは能力姿の山本則重さんだが、ミスの許されない重責を見事に 果たされ、一回で鐘を釣ることができたのは圧倒的で、その手際に応えるかのようにその後の演能の緊張が一気に高まったように感じられた。鐘を釣る一対の竹竿は山本則俊さん、 則秀さんが裃姿で運びこんで準備するのだが、そうした道具の扱いの隅々にまで気持ちが行き届き、様式的にも美しい所作で準備がされるのも圧巻であった。アイはこの能では まさに「狂言回し」という言葉に相応しく、ワキの僧が命じる禁を破って白拍子を招じ入れ、カタストロフを引き起こす原因を作るのだが、その能力を演じたのは山本東次郎さん。 宝生閑さんとのやりとりも素晴らしいが、なによりも鐘入りの後の間狂言での則重さんとのやりとりが素晴らしく、ほろ苦い滑稽感により客席から笑いを引き出しつつも、 自らの引き起こしたスキャンダルの成り行きに怯える心理を見事に表現していた。ワキとアイの演じる道成寺の僧と能力は今日風に言えば不祥事を起こした企業でその善後策に 奔走するような側面があると思うのだが、そうした危機感、緊張感が作品に厚みを持たせていたように私には感じられた。アイに関してはもう一言、ワキが留めて 曲が終わった後、この能では上がった鐘を再び降ろし、鐘を釣った綱を外し、鐘に巻いて仕舞う作業があるのだが、この役割は山本則俊さんを中心とした山本家の方々が担うことになる。 そしてこの際の所作がまた見事でかつ正確で、この素晴らしい演能に相応しいものであったことを追記しておきたい。作品としての能は既に終わっていたとしても、行為としての 能の上演はまだ終わっていない。それは恐らく演者が舞台を去って誰もいなくなったときに終わるのだろうが、この後者の意味合いにおいてもこの演能は実に印象深く感動的で、 思わず能がただの演劇ではなく、宗教的な奉納の要素を持つことに思いを致さざるを得ないような厳粛さに充ちていたと思う。一見能としては破格に見える「道成寺」が、ある意味では 最も能らしく深い宗教的な感覚を備えたものであることを強く感じた。

破格といえばこの能のシテの登場もまた風変わりで、名乗りの後、上げ歌で道行を謡ってツキゼリフとなるのだが、まず印象的だったのは道成寺に向かう白拍子の表情で、 劈頭に「結縁を望む」と語るとおり、登場から既にそれはまるで清姫の霊が救いを求めて現れたかのようで、一般に道成寺物でイメージされるような官能性とは程遠いものと 私には感じられた。従ってアイに鐘供養拝見を乞うやりとりも、アイが白拍子の容色に惑わされたというような一般的な説明を受け付けるようなものではなく、寧ろアイはシテの 異様な切迫感、救いを求める心の必死さに負けたのではないかとさえ感じられた。

そうした宗教的な救済を求める感情の横溢は今回の演能の主要なトーンを規定していたように思われる。一噌幸弘さんの笛も、どちらかといえば不気味で緊迫した 演奏でそうしたシテの心象を表出していたように思えたし、柿原崇志さんと飯田清一さんの大小、観世元伯さんの太鼓も、異様な程の緊迫感でシテの心の裡の激しい衝迫を告げていた。 とりわけ凄まじかったのは、乱拍子の前、大鼓がシテに挑むように打つ部分で、直後の乱拍子が脈絡なく嵌め込まれるのでなく、シテの気持ちの高まりと一致したかの ような印象を産み出していたように感じられた。全体を通して柿原さんの演奏は、いつも以上に気迫が籠っていて、作品の演奏に大きな音楽的な流れを作り出していたと思うし、 囃子方の演奏は、あたかも全体で別の一つの楽器であるかのような理想的なものであったと思われる。複数の楽器の合奏が別の一つ楽器となるというのは、 ヘルムート・ラッヘンマンが全く異なる現代の西欧現代音楽の文脈である種の目標として語っていることだが、それが能楽においてはこのように比喩ではなくごく当たり前の こととして実現しているのは圧巻である。

この作品は改作の過程で前場のクセが省略されることにより、地謡の役割は相対的に限定されているかのような印象があるが、粟谷能夫さん地頭の地謡の表現は、 冒頭から圧倒的な表現力を持っていて、囃子と相俟って作品の音楽的な流れを見事に制御していたように感じられた。

このようにワキ、アイ、囃子、地謡が素晴らしい緊張感を絶やすことなく、有機的に噛み合って作品を形作る理想的な条件の下での香川さんのシテは表現する言葉を 喪う程に圧倒的で、特に乱拍子の後の急の舞から鐘入りまでの一連の流れは、今思い出しても動悸が早まり、胸が苦しくなるような激しさを備えていて、烏帽子を 飛ばして鐘に挑みかかる部分あたりから、目頭が熱くなるのを堪えることができなくなってしまった。それが一般に言われるところの恋の執心であるかどうかは、少なくとも 私にとっては副次的なものに感じられる。彼女はかつて自らが破壊した鐘が再興された供養の折にこの寺に訪れることによって、救われることを求めてきたのだ。 だけれども、結果は彼女の望みどおりにはならず、またしても彼女はかつて自分が辿った破滅の途を再び辿ることになってしまう。烏帽子を飛ばして鐘に向かった彼女の 心境は、寧ろ端的な絶望、やはりこうなってしまうのかという諦念とどこにも行き場のない怒りがないまぜになった深くて激しい感情ではなかっただろうか。

そうした感情の奔流は、鐘が再び上がったときに蛇身に戻って(私はあえて「戻って」という言い方をしたいと思う)姿を現した時の、あの例えようのない眼の表情に 直面した時に再び私を襲うことになる。私は偶々ワキ柱の近くの席で拝見していたこともあって、ワキ越しにまともに正面からシテと相対することになってしまったのだ。 勿論それは人間の演者が面をつけて演技をしているのであって、所詮は仮象に過ぎない等と冷静に言ってみたところで、実際に拝見した時に自分が目の当たりに したものの衝撃の大きさの前では意味を持たない。確かに私はあの眼から気がこちらに向かってくるのを感じたのだし、蛇身である彼女の耐え難く、行き場の無い 深くて強い悲しみの感情の波をまともに被ってしまったのである。それは私が勝手に想像していた「道成寺」のイメージとは全く懸け離れたものであったが故に、 全くの不意打ちであった私もまた、その感情の波に呑まれてしまい、その後を涙無しで見ることができなかった。

「道成寺」は、能としては異例な垂直方向の運動が非常に目立つ作品であるけれど、今回の演能を拝見して感じたのは、そうした動きが作品の構造の中で 心理的な区切りの機能をしているということであった。例えば乱拍子にしても、実際に拝見して印象的だったのは、小鼓の間合いを計る部分よりもその後に 打たれる段毎の句読点の持つ心理的な効果の方だったし、これは他の作品でも普通におこなわる足拍子が、この作品の脈絡ではいつもとは少し違って、 あたかもその後に来る「崩壊」のプロセスを呼び寄せる機能を果たしているような感じを受けたのである。この能では、高まった緊張は頂点に達した後、 まるで相転移現象を起こしたかのように突如として崩壊し、そのことによって次のフェーズへの移行が行われるのである。最も大きな崩壊は、勿論鐘入りの 鐘の落下と同時の飛び込みであるし、次は僧に祈り伏せられて橋掛かりで飛び上がって安座する部分だろう。最後の崩壊は、 日高川に飛び込むべく、揚幕に向かって飛び込む部分である。

こうした展開の仕方をする能は思いつく限りでは他に類例が見当たらず、それゆえやはりこの「道成寺」という作品は能としては特殊なのではないかという 印象となるのだが、牽強付会の謗りを覚悟にあえて類比したものを求めるのであれば、私はマーラーの交響曲の一部が備えている「崩壊の論理」と 呼ばれている構造原理が最も近いのではないかという気がする。勿論この点についてきちんとした論証をするのは現在の自分の手には能力的にも 時間的にも到底負えない課題だが、今回の演能から受けた印象に最も近いものを探すとすれば、私の場合、マーラーの第6交響曲のフィナーレ(第4楽章)が まず思い浮かぶのである。マーラーはこの作品で伝統的な形式を限界まで拡張し、そこにハンマーのような異質な楽器、非音楽的な音響を 持ち込み、しかもその音響を作品の構造上の決定的な地点での相転移のきっかけとして用いることで、通常想定しているのとは全く逆のやり方で 作品をいわば否定的に構成してみせた。それと似たような構造上の感触を「道成寺」に私は強く感じるのである。

だがそれよりも何よりも決定的なのは、烏帽子を飛ばして鐘入りする時の白拍子の絶望の表情であり、鐘が上がったときに観た、あの例えようもなく 深い悲しみの表情である。恐らくはそれを私は決して忘れることができないだろう。きっと誰もが心のどこかに潜ませていて、だから決して未知ではなく、 けれども常には安全に閉じ込めておける感情、けれどもそれゆえに祈りが、救済が必要とされる動因となるような心の動きが、この「道成寺」という 作品には際立って純粋な、生でむき出しな形で息づいている。「道成寺」が能の中で特別視されるのは決して故ないことではないのだろう。通常の能と 異なって救済の失敗を内在する論理によって組み替えられたこの作品には、にも関わらず(あるいはそれ故に)、 能の持つ超越的なものへの感覚、宗教的なものへの結びつきのいわば「根」にあたるものがもっとも純粋な形で息づいているのだ。今回の演能はそうした根源的なものを 余す事無く開示したという点で、比類のない圧倒的なものだったのだと思う。こうした演能に接することができた幸運に感謝するとともに、香川さんを はじめとする演者の方々に御礼を申し上げることでこの感想の結びとしたい。(2009.12.26初稿, 12.31加筆,2010.2.15読者のご指摘を受け、鐘入りの 部分の所作を「飛び上がっての安座」ではなく、「飛び込み」に訂正。ご指摘に感謝します。)

2009年10月30日金曜日

「喜多流職分会2009年10月自主公演能」(喜多六平太記念能楽堂・平成21年10月25日)

能「三井寺」
シテ・香川靖嗣
子方・金子龍晟
ワキ・宝生閑
ワキツレ・梅村昌功
ワキツレ・御厨誠吾
アイ・三宅右矩
アイ・三宅近成
後見・長田驍・狩野琇鵬
笛・松田弘之
小鼓・森澤勇司
大鼓・柿原崇志
地謡・塩津哲生・大島政允・大村定・谷大作・佐藤章雄・狩野了一・粟谷浩之・大島輝久

前の週に非常に大きな緊張を伴う催しを済ませ、些か気が抜けた感じのある週末、前日は反動でどっと出た疲れで潰れ、 図らずも観能当日、出かける間際まで仕事をこなすことになってしまい、開演時間を過ぎて番組最初の曲が終わる頃、 ようやく目黒の舞台に着く。休憩時間に席を探すが、大変な賑わいで、何と2階席まで最前列が指定席になっているという 状況であることを知り、結局1階後方の桟敷で拝見することにする。 目黒の舞台の桟敷はこれまでも何度か経験があるが、正座が苦にならなければ非常に良い条件で拝見できる。 幸いこの日に拝見したのは「三井寺」で目付け柱に接するように鐘楼の作り物が出るので、シテと正対する場面も 少なくなく、じっくりと拝見できてよかった。

三井寺は謡の能という印象が私にはある。世阿弥作のような求心的な感じはなく、寧ろ遠心的に散乱するような趣は あるものの、あの近江の景色を詠み込んだ道行や鐘の段など、詞が産み出すイメージの世界の印象は鮮烈だ。 だが、今回拝見した能の印象は、そうした先入観とは些か趣が異なるものであった。感覚としては、前々回、常ならぬ コンディションで拝見した「砧」のときと似た分裂感に近い印象を抱いたように思う。当日ただちに感想を書こうかと思ったのだが、 1週間の隔たりをおいて今筆を執っているのも、そうした感覚が一時的なものなのか、それとももう少ししっかりと根を下ろした ものなのかを確認したかったという理由がなくはない。そしてどうやら、その点に関して、印象にぶれはないようだ。

三井寺はいわゆる子別れものの現在能で、現在能でしばしばあるように構成が複雑で、場面転換が多く、アイが重要な 役割を果たし、場面毎のシチュエーションは非常に具体的だ。これまた子別れ物の多くがそうであるように、空間の移動が 場面を転換させる契機となるのだが、ここでそれを引き起こすきっかけとなるのはシテが清水の門前の宿で見た霊夢である。 夏に御仕舞で拝見した「柏崎」のシテがそうであるように、ここでも自分の意志では制御できない力に導かれるようにしてシテは旅立つ。 この冒頭のシーンは圧倒的で、松田さんの笛、柿原さん、森澤さんの大小の囃子も雰囲気に満ちていて、何よりも 香川さんのシテの雰囲気と見事に調和しているように思われ、素晴らしかったと思う。霊夢を蒙った後のシテの表情は、一見して 夢から醒めずにぼうっとしているようでいて、観る者をたじろがせるような、何かに憑かれたような凄みがあって強く印象に 残っている。

ところが、場面が転換して謡が徐々に主導権を持ち始めると、些か様相が異なってくる。「砧」のときも似たような印象を 持ったのだが、謡が産み出す世界と、それ以外の場の雰囲気が溶け合わずに、並存するような感じがしたのだ。 謡そのものは、緩急もあり、調子の変化にも富んでいて、丁寧に詞を辿ろうとしているようなのだが、何というか、 地謡が一つの楽器となるような印象が薄く、私の勘違いかも知れないが、ところどころ地頭の意図が全体に 徹底していないような感じを覚える瞬間もあったと記憶している。技術的なことはわからないし、当否について判断する力は 私にはないが、とにかく、囃子とシテが産み出す明確な色調と、肌合いも違えば色合いも異なる地謡の感触が、 溶け合うことなく共存しているように感じられたのは確かで、もともと遠心的で子別れ物としてみた場合には心理的な 必然性のようなものが必ずしも作品自体の裡に充分に仕組まれているわけではなさそうなこの能に演奏が一貫したドライブを与えて、 一つの解釈を結晶させ、観ている者にカタルシスを与える方向には向かっていなかったように感じられた。 もしそれが意図されたことであるならば成功していたということになるのだろうが、最後の場面も今ひとつ乗り切れずに、 私としては最後まですっきりとしないまま能楽堂を後にすることになった。個人的に子方が出る能というのがどちらかといえば 苦手なこともこうした反応の形成に与っているかも知れない(勿論これは演奏の出来不出来の問題とは全く関係ない)が、 ともあれ、舞台の上に横溢する感情の流れに身を浸すというところまでは行かなかった。

こう書いてしまえば如何にもネガティブにとられてしまうかも知れないので、急いで付け加えておけば、実は、1週間後の今なお くっきりと印象に残った場面は決して少なくない。冒頭、霊夢を蒙って目覚めた場面については既に書いたので繰り返さないが、 笛に導かれて笹を持って橋掛かりに出たシテの姿は鮮烈で、今でもまざまざと思い浮かべることができるほどだし、 鐘を突く場面も見事、面の表情も豊かで血が通っているかのようで、その変化には心打たれる瞬間も度々で、視覚的には 印象的な瞬間というのが非常に多い舞台だったと思う。(2009.10.30)

2009年9月6日日曜日

「第87回川崎市定期能」(川崎能楽堂・平成21年9月5日)

能「夕顔」
シテ・香川靖嗣
ワキ・工藤和哉
ワキツレ・殿田謙吉
アイ・野村扇丞
後見・友枝昭世・井上真也
笛・槻宅聡
小鼓・森澤勇司
大鼓・柿原弘和
地謡・中村邦生・粟谷明生・長島茂・友枝雄人・内田成信・金子敬一郎


前回の「砧」に引き続いて、今度は川崎能楽堂での「夕顔」を拝見。ただし今度は(別にゆとりができた訳ではないが)きちんとした スケジュールに則っての観能で、心のどこかには澱のようなものが残っていはしても、前回と異なって気持ちよく見所に着くことができた。
「夕顔」は「源氏物語」に取材した能であり、謡のそこかしこに「源氏物語」のことばが織り込まれていはするものの、怪異譚的な側面を 切り捨てて、夕顔の法華経による成仏のよろこびの舞を中心に据えた、人によってはクリシェであると感じるかも知れない程に複式夢幻能の 型式に素直に収まった、すっきりとした構成を備えている。同じ題材に取材した「半蔀」に比べても一層、宗教性や透明感が勝っていて、 普通の意味での心理的な解釈を受け付けない。五条のなにがしの院とは融の大臣がかつて住まった処であるという読み込みがあるらしいが、 そういえばこの能はどこか「融」に通じる部分があるかも知れない。 (これは能が終わってから気付いたことなのだが、そうして思い起こしてみると、玉蔓にゆかりある豊後から来たという設定になっているワキの僧の工藤さんは、 以前拝見した香川さんの「融」でもやはりワキを演じられていたことに思い当たった。偶然かどうかは詳らかにしないが、「融」の時と同様、今回もまた ぴったりと役柄に填まっていたと感じられた。) 夕顔は寧ろここでは植物の精のようで、曲の雰囲気はその宗教性ともども、 精霊をシテとする蔓物に近づくかのようだ。囃方も謡もそうした曲の趣に相応しく、前半はどこか鄙びた雰囲気のある、そして後半は透明で決して 淀まない響きで非常にコヒーレンスの高い演奏だったと思う。その中で後場のシテの到着を告げる一声の笛だけは見所の隅々まで空気を圧するような 強さを湛えていたのが印象的だった。
前場、幕の向こうから声がするのをワキ僧が驚いているとシテが現れる。シテは常座で全く姿勢を変える事無く、その場所の謂われを謡う。 ワキとの問答の後、正中で着座してからは不動の姿勢の中で、謡の内容に照応するように、微かに面を照らしたり、曇らせたりすることによる 表情の変化が印象的で些かも弛緩するところがない。香川さんのシテでの前場の素晴らしさはいつものことながら、この曲のような奇を衒ったところのない作品では 一層その充実が際立つかのようで、簡潔な型で魔法のように詞通りに本当に気配を消してしまう前場の最後の部分には何時ものことながら 驚いてしまう。
しかしこの能の白眉は何といっても後場の序の舞にある。舞は僧に対する感謝の合掌で始まる。つまりこれは成仏のプロセスではなく、それが 既に成し遂げられたことに対するよろこびと感謝の舞なのだ。舞は信じがたいほどの透明感と純度の高さで、序の舞だから時間の流れはゆっくりと したものだが、その歩みは決して重たくない。寧ろためらいなく、淀みなく、だが急く事無く、溢れ出る泉の流れのように自然である。 足拍子は空間のどこかから響いてくるようだし、運びはほとんど重さというのを感じさせない。しかし何より印象的なのは、舞手の表情の穏やかな 笑みで、だから謡の詞に「夕顔の笑みの眉」とあるのを聴いて、あらためて心打たれるのである。そう、それは仏の笑みなのだ。
キリの夜明けは圧倒的である。舞台を風が吹き通り、光が満ち溢れ、その光の中にシテは溶け込んでいく。橋掛りの途中でシテは留めるが、 拍子を踏むことはない。囃子が動きを止めてからも見所も全く動かず、ワキの僧とともにシテが去ってゆくのを見送る。場内の空気の調子が 変わってしまい、すっかりと澄み切って清められたかのような印象を誰もが抱いたのではないか。見所もまたその余韻に浸り続けて動かない。 これは能ならではの本当に素晴らしい経験なのだと思う。拝見する前に心に蟠っていたものが溶けてなくなり、自分もまた新しい身体を得たかの ような気分で見所を後にすることができた。
恐らく能を観たことのない人、もっと言えば能を観たことがあっても、このような素晴らしい舞台に接した経験がない人には、私の書いた印象が (筆力不足はあって不十分ではあっても)本当に観た人間の心身に起きたことであることがわからないかも知れない。あるいはまた、冷静に そうした印象はそれ自体かりそめのもの、もっといえば仮象に過ぎない、まやかしに過ぎないとして嘲笑する人がいるかも知れない。一方で私の 様な観方は、能の持つ芸術的な、独自の美的価値をないがしろにしているという批判も考えられよう。だが私はそのいずれに対しても 反論したいとは思わない。百歩譲ってそうした人の言い分を認めてなお、私にはこのような舞台を拝見できることの意義は明らかだし、 私はこうした経験無しに「世の成り行き」をやり過ごせそうには思えないし、生憎私は、たとえそれが間違っていたとしても、そうした「世の成り行き」の 中で自分の居場所を主張するだけの生き方はできない。決して理解してもらえることはないだろうが、ともあれ私には「別の場所」が必要だし、 別の価値観の中でないと生きていけないのだ。そしてそうした私にとって香川さんの演能を拝見することは他では得難い、 かけがえのない心の糧なのだということをこの演能を拝見することで改めて確認した次第である。(2009.9.6)

「国立能楽堂2009年9月定例公演」(国立能楽堂・平成21年9月2日)

能「砧」
シテ・香川靖嗣
ツレ・狩野了一
ワキ・宝生閑
ワキツレ・大日方寛
アイ・野村万蔵
後見・内田安信・中村邦生
笛・一噌仙幸
小鼓・横山晴明
大鼓・柿原崇志
太鼓・助川治
地謡・塩津哲生・大村定・長島茂・友枝雄人・内田成信・佐々木多門・大島輝久・井上真也

この演能の感想を書くことは非常に難しい。というのもこのとき私は普通のコンディションでなかったからである。私事を細々書いても仕方ないので仔細は省略するが、 前夜にちょっとしたトラブルに巻き込まれた私は普段の心理状態ではなかったし、体力的にも2時間にもわたる大曲に対峙して集中し続けることは困難な状況にあったのだ。 しかしそうした個人的な事情を抜きにしても、この演能には異様な点が幾つもあったように感じる。実は「砧」を拝見するのはこれが初めてではない。そして前回拝見した別の シテによる演能は非常にストレートで分かりやすい心理劇であったという印象がある。もっともそれは「観やすい」作品であるということではなく、この能の持つちょっと形容しがたい 冷たさや、悪循環ともいうべき麻痺したかのような時間性に、ある種のしんどさを覚えたのも記憶している。だが、今回拝見して感じた異様さは、それとは違った種類のものであった。

それゆえ以下に記す印象のどこまでがそうした個人的な体調や心理状態に起因するもので、どこからが演能や作品自体の力によるものか、正直なところ判断することに 非常な困難を感じている。だが演能に入り込めなかったというのではなく、その中にまるで漂うようにして身を浸しつつ、それでいながらこうした異様な感じを覚えた経験はこれまでになかった。 今の私には自分の経験を分析する手段も時間的な余裕もないけれど、とにかく感じたことをできるたけそのまま書いておこうと思う。観能のような心の奥底にまで働きかける力のある 経験は、それゆえに直ちに解決することを拒みはしても、その印象は永続的だ。もしかしたらある折にふと「わかる」瞬間が来るかもしれないし、最後まで謎のまま自分の裡に蟠り 続けるかも知れないが、いずれにせよ今の私にできることは、その印象を書きとめておくことしかなさそうである。

些か突飛だが、私がこの演能を拝見して思い浮かべたのは、シェーンベルクの芸術作品についての言葉だった。モノドラマ「期待」のような音楽を書いた彼は、しかし本当の芸術というのは 情緒的に訴えるところのない、精神的な冷気を感じさせるようなものであるといったようなことを言っていて、それは別のところで述べているマーラーの第9交響曲に対するコメント、すなわち 非人称的で動物的なぬくもりを断念した、精神的な冷気に快感を覚えるような人の音楽という評価と通じていたように思う。一方世阿弥は晩年に自作の「砧」について、後世の人には 良さがわからないだろうという言葉とともに、この能について「冷えた」という形容を用いていたのではなかったか。勿論、シェーンベルクの言葉を世阿弥自身の言った「冷えた」という形容と無媒介に 単純に結びつけるのは牽強付会の謗りを免れないだろう。だが、その距離を測る作業は今のところ時間の制約もあって不可能だし、 何より一見したところ精神分析の題材にでもなりそうな心理劇でありながら、そして謡も囃子も、演者の所作もそうした心理に徹底的に寄り添っていながら、単純な感情移入を 拒むような冷たさを目の当たりにして、そうした連想が働いたという事実はそれとして書き留めておくことにしたい。

それに関連して感じたのは、屈指の名文とされる世阿弥の謡の詞章の、何というべきか、ある種の自律性のようなものだった。謡と囃子と所作や舞といった要素が組み合わさって 能は成立するが、常とは異なって、ここではまるで謡が自律した世界と独自のロジックを持っていて、それが舞台の上での出来事や囃子の音楽と併置されたまま、溶け合わずに 並進するかのような印象を覚えたのである。実を言えばとりわけ世阿弥の能の幾つかの作品において、謡が独自の世界を作り上げる印象を受けたことは一再ならずあった。だがその場合でも それは囃子とともに舞台に働きかけて風景を一変させて、作品が示す世界を豊穣なものにする働きをしていたのに対し、この「砧」では、それとは異なって、囃子と舞台と謡がそれぞれ 固有の論理をもって溶け合わずに衝突するような感じを抱いたのだ。些か異様な感じさえ覚えたくらい重い位取りで始まり、楽音というよりは寧ろ楽器によるミュージック・コンクレートを 聴くような、しばしば無機的なノイズや物音に近づくかのような、音楽的というよりは寧ろ音響的な囃子の感触、これまた複雑なニュアンスを備え、時折人声ではない別の何かの 音にさえ聞こえる謡、前場ではシテとツレとが、後場ではシテとワキとが、対峙しながら全く別の空間にいるかのように孤立して、相手に対して訴えてもその声は本当の意味で相手の 元に届かないかのような閉塞感、そうしたものが相俟って、心の奥底に潜む調停不可能な対立感情、解消不可能でアクセスを遮断して抑圧するしかないようなしこりを目の当たりに するような感覚を覚えたのである。

それでも後場になり、シテに焦点が集中するようになると、シテのおかれた状況の苛酷さが見所に突き刺さるように感じられるようになる。だがそれもまた彼女の心情に同化できるというのではなく、 その葛藤の大きさや苦しみの質自体とその強度が見所を圧倒してしまうのだ。共感というのとは異なって、寧ろ、見所の一人一人が抱えている筈の傷(その理由様々であってよく、心的な 機構の上で同型の機能をすればよい)を探知して暴き出すかのような感覚すら覚えた。(レムの「ソラリス」をご存知の方は、その中で「海」がやったことを思い浮かべていただければと 思う。海は同情とか共感とかではなく、全く「理解」することなく、人間の心の裡のトラウマを実体化することによってしか人間とコミュニケーションする手段を持たない。ついでに言えば、「ソラリス」での 「海」は脱神秘化された絶対的他者、異物として「神の胎児」であるが、翻ってみると「砧」という作品は、能の由来やら他の多くの能のありようを思えば些か異様とさえ映る程に宗教性を欠いていて いることに思いあたる。そしてこのこともまた、「砧」という作品の持つ苛酷さ、救いの無さを強めるのに与っているに違いない。これは単なる臆測に過ぎないが、私はそこに世阿弥が晩年に抱いていて しかも心の裡に抱えておかざるを得なかった深い怨嗟の感情、あてどのない呪詛の念のようなものが映りこんでいるような気さえする。彼が後世の人にはわかるまいと言ったのは、この能に彼が 注ぎ込んだ思いの大きさを念頭においてのことではなかったか。あるいはまた突飛な連想であることを承知で言えば、晩年のショスタコーヴィチの幾つかの作品に垣間見ることができる謎めいた、 やはりこれも冷え冷えとした風景の中にも、どこかで通じるものがあるように思えてならない。あるいはまた失意の中で「砧」と同一の題材の漢詩の翻案を歌詞とした交響曲を作曲し、 世を去る間際に「私を求めるものは私が誰であるかを知っているし、そうでない人には知る必要はない」と言ったマーラーはどうだろうか。)

上記のような印象が自分の心理的・身体的なコンディションによるものかも知れないことは既に述べたが、それとは別に、こうした印象が、実は演奏上の齟齬、例えば謡と演者との 解釈の方向性のずれによって生じたものかも知れないという可能性もまた否定できないだろう。だが、技術的なことは私にはわからないし、そんなに幾つもの演能を観ているわけではない 私にはそうした側面の成否を判断する力はない。しかし統一的な演出というのをもともと想定しない能の場合、そうした謡、囃子と演者の、あるいは演者間のぶつかり合いは寧ろ起きて当然で、 しかもそれが必ずしもマイナスに働かないどころか、場合によっては非常に素晴らしい結果をもたらすこともありうることを思えば、やはりそこには演奏の出来・不出来とか解釈の不一致と いったような次元を超えた、「砧」という作品固有の何かがあるのではないかという感じを拭い難い。

終演後、私は再び「世の成り行き」に、件のトラブルの現場に舞い戻ることになった。だが戻るとき、私の状態は来たときとは些か異なったものではなかったかと思う。 トラブルの内容は作品とは全く関係のないものだったが、心的な機制という点ではこの能はその折の私には皮肉にも恰好の内容であったのかも知れない。心のどこかで何かが 麻痺していくような不思議な感覚を覚えながら、私は能楽堂を後にした。勿論、こんな状況での観能は二度と御免蒙りたいが、それでもなおこの観能は私にとって ある種の(逆説的な)糧となったように感じている。この冷え冷えとした風景もまた決して疎遠なものではない。私にはその風景から世阿弥の声が聞こえるような気がする。その声は、だが、 「お前らになぞ、私の声は聞こえまい」と語っているのだ、、、(2009.9.6)

2009年8月26日水曜日

「平成21年喜多流素謡・仕舞の会」(喜多六平太記念能楽堂・平成21年8月25日)

仕舞「柏崎」道行
シテ・香川靖嗣
地謡・狩野了一・金子敬一郎・粟谷充雄・粟谷浩之

「柏崎」は能を一度拝見したけれど、全体としては話が整理されていない 感じで、やや印象が散漫な中、今回取り上げられた道行きの部分だけは その場所が自分にとって馴染みのあるという個人的な理由もあって鮮明に 記憶していたのだが、今回のお仕舞は風景と心象のリアリティにおいて それを更に超えた力を備えたものに感じられた。木島、浅野、井上といった 地名が詠み込まれた謡が進む中、香川さんの舞はお仕舞であるにも関わらず、 その人となりや心持ち、自分でも制御できない心の深い部分からの 衝動によって善光寺へと歩む心の状態で会場を充たしてしまう。それは やはりある種の宗教的な感情に違いなく、この心の動きこそが善光寺で 彼女を待ち受ける劇的な再会を無意識の裡に予感しているに違いない。 そして見所はその道行きを外から眺めるのではなく、彼女が見て感じる風景をともに 経験するのだ。千曲川に沿って善光寺に向かう途中、浅野に差し掛かったところで 雪が舞い始めるところで、思わず私は落涙しそうになった。柏崎の物語が どのような実話に基づくものか詳らかにしないが、時代も違えば状況も 違うけれども、私もまた雪の降りしきる北信の地の空気を、その地を 囲む山々を知っていて、その風景を媒介にそうした過去の記憶と己とが 出会って、その心に触れ、同化する。そうした化学反応のような自分の 心の変化をまざまざと経験することができた。このお仕舞でやっと私は 我に返った思いがしたのである。

2009年4月5日日曜日

「第3回香川靖嗣の會」(宝生能楽堂・平成21年4月4日)

能「石橋」
シテ・香川靖嗣
ワキ・森常好
アイ・野村萬斎
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・松田弘之
小鼓・鵜沢洋太郎
大鼓・亀井忠雄
太鼓・観世元伯
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・出雲康雅・長島茂・粟谷充雄・金子敬一郎・大島輝久

幸運にも初回より拝見させていただいている香川靖嗣さんの個人の会も今回で3回目。これまでとは異なって舞台は水道橋の宝生能楽堂。 そして自分にとって能を拝見するのは今年になって初めて。曲は「石橋」である。「石橋」を拝見するのは3度目、前回は香川さんが地頭を勤められた舞台で、 前場の謡が描き出す、人を寄せつけないような風景の巨大さと険しさ、目も眩むような高さ、圧倒的な垂直方向の感覚が強く印象に残っていた。

今回の印象をあえて一言で言えば、渦の運動の多様さ、 豊饒さ、果てることを知らない流体の運動の感覚ということになるだろうか。香川さんの獅子は、生き物というよりはコスミックな秩序、法則が 獅子の形を借りて自己展開していく様相に思われた。比喩ではなく、カオスの縁の豊かさ、複雑さを目の当たりにするようであった。 物語では獅子は文殊菩薩の化身ということになっているようだが、私には人間が獅子を演じて動き回るというよりは、ある時はそこから力が湧き出し、 またある時はそこに力が収斂する特異点が相空間上に描く軌道と、そうした力の場の動的で果てしない変容が、獅子の形を借りてそこで 展開されているように感じられたのである。馬場さんがお話で、喜多流の一人獅子独特の巻毛の赤頭に言及され、渦とは「力」であるとおっしゃっていたが、 それを見事なまでに完璧に体現した舞台であったと思う。シテだけではなく、謡も囃子も一体となり、異次元の、普段は接することのできない 根源的な何かを舞台の上で展開する様が体験できた稀有な機会であった。それは恐らく「神変」という表現に相応しいものであったに違いない。 だが、私の感じ方をありのままに書けば、上述のような言い方になる。

しかし、だからといって、それは舞台に具体的なイメージが欠如していたということではない。寧ろ逆で、早くも森常好さんの寂昭法師が石橋への到着を 告げた直後、松田さんの笛の音色で明確に定位される前場の光景のリアリティはこれまでのどの舞台よりも確かなものだった。 友枝昭世さん地頭の地謡の肌触り、亀井忠雄さん、鵜沢洋太郎さんの大小の鼓の音色の変化、間合いの変化、掛け声までもが、眼前に広がる 風景の、ひんやりとした温度や空気の湿り具合、常に流動して止まない空気の流れの質感、そして時々刻々変化する光の調子までをも克明に 浮び上がらせる様は圧巻である。見所もまた、舞台を見ながら頂きも底も窺うことのできない程の広漠とした空間の広がりの中に立ち尽くすしかない。 クセの間、地謡が謡い進む中をシテの樵翁は着座して動かないが、それにより周囲の空間の巨大さが、そして絶えず変化する空気の流れと光の 調子が寧ろ鮮明に感じられるのだ。前場の頂点は、クセの後半、大小がまるで空気を切り裂くような拍子に合わない手によって眩いばかりの光の変化を告げ、 舞台に虹をかけるとそれに呼応するように、シテが立ち上がるところにあったと思う。いつしか何も音のしない筈の囃子と謡の合間の沈黙に、 鳴り続ける滝の水の音が基調の響きのように聞こえるような気すらしてくる。

そうした前場があらばこそ、後場の劈頭の乱序は、相転移が起き、「向こう側」が出来する際の急激な、めくるめくような風景の変化を告げる。 囃子には観世元伯さんの太鼓が加わり、空気の流れが急変し、光の調子もまるで稲妻が明滅するように慌しく変わり、乱流が現われる。 幾つもの渦が形成されては消え、あるいは融合して大きな渦となり、そこに獅子が現われるのだ。 それは地上のものというよりは、空間的なスケールも時間的なスケールももっと巨大なものを連想させる。例えば木星を 覆うメタンの海、その絶え間ない流動が生み出し、人間のスケールを超えて存在し続ける巨大な渦である大赤斑のことを私は思わずにはいられなかった。 獅子の動きもまた、渦をまくような回転の運動と、上下の動き、急激な静と動の対比、力強い動きと繊細で軽やかな戯れの対比が鮮明で、その変化の 鮮明さ、移り変わるニュアンスの豊かさはとても人間が演じているとは思えない。それは秩序とカオスの間にある相転移の場、カオスの縁の持つ多様性を 思わせる。見所に居る私は、姿勢を正して臍の下に力を込めて、自分に向かって飛び込んでくる音と気の粒子を五感の全てを解放して受け止める他ない。 息をするのも忘れて、自分を舞台のリズムに同調させるしかない。

そうしているうちに獅子は舞い納め、留拍子を踏んで全てが静止する。暫くは感覚が麻痺したようになって、我に返って椅子の背に凭れて息をついたのは、 ようやく囃子と地謡が立ち上がって拍手が起きてからだったように記憶している。生身の人間がそのままでは見ることが許されない何かに一瞬だけ触れるような感覚は、 能の持つ呪術的な力によるものなのだろうが、振り返ってみれば香川さんの演能では、繰り返し起きていることではある。「翁」もそうだったし、「三輪」も、「絵馬」も そうだった。前回拝見した「定家」すら、人間的なものを超えた大きな秩序を感じさせるものであった。だが、これほどまでの力の奔流を目の当たりにしたのは 「石橋」という曲ゆえかも知れないし、その一方で、この演能を体験した時間と、その前後の時間の流れ方のギャップの大きさが何時になく大きかったから なのかも知れない。帰路、水道橋の雑踏の中で、今しがた自分が経験したはずの何かの異様さと、自分が引き戻された時間の流れとの 間の懸隔に、戸惑いと苛立ちと軽い絶望感のようなものが混じった形容し難い気分に襲われた。

近年とみに身辺が慌しく、それが毎年累進し、とうとう今年は休日の外出の回数を大幅に減らさざるを得ない状況にまで至った。 今回もまた、まるで仕事を途中で抜けて能楽堂に駆けつけるような仕儀となり、自分が接するものが持つ価値の大きさに相応しい姿勢で拝見できるものか、 大いに危ぶんだのだが、それは杞憂であった。初めて訪れた水道橋の能楽堂に足を踏み入れて見所の方々の中に居る時に、桜を愛でる暇も、花曇りの風情を 味わう時間もありはしない私のような人間が、その場に居ることが酷く場違いであるという感覚からどうしても逃れられなかったけれども、 舞台を拝見していた時間だけはそうした感覚はどこかに消え失せ、豊饒この上ない時を経験することができた。

そして今再び、自分がこのような主観的な感想を書き留めることが、自分が受け取ったものの豊かさと大きさに比して、全く取るに足らないと いう感覚から逃れられずにいる。だが、とにかく、このような私にかくも素晴らしい演能を拝見する機会を与えてくださった方々に感謝したい。 そしてこれからも貴重な機会を逸することのないよう、香川さんの能を拝見する時間だけは確保しておかなくてはならないように感じている。 前回「定家」を拝見したときに、その記憶が自分よりも永く存続するような出来事に立ち会っているという感じを抱いた。今回もまた、 その場にいるのが自分のような人間であることが勿体無いように感じた。だがともかくも、 幸運にも自分には、そうしたものに接する機会が開かれているのだから、それを手放してはいけないのだと思う。公演冒頭、馬場さんは ワキの寂昭こと大江定基について解説しながら、一人一人にとっての「石橋」ということを語られたが、その顰に倣って言えば、 香川さんの演能は、それ自体、私にとっての「石橋」であるに違いないのである。(2009.4.5)

2009年1月10日土曜日

「第22回二人の会」喜多實先生二十三回忌追善(喜多六平太記念能楽堂・平成20年12月23日)

能「定家」
シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生閑
ワキツレ・宝生欣哉・則久英志
アイ・野村万作
後見・高林白牛口二・中村邦生
笛・一噌仙幸
小鼓・大倉源次郎
大鼓・柿原崇志
地謡・友枝昭世・塩津哲生・出雲康雅・大村定・長島茂・狩野了一・大島輝久・内田成信

能の上演は一回性のもので、それは過ぎ去っていく宿命を帯びている。一方でその一回性が「奇跡」が成立する条件を構成するのだろう。 歴史に刻み込まれるような瞬間は、それが二度と繰り返されない、取替えの利かないものであるからこそ、時を経ても決して色褪せることのない 輝きを放つのだろう。こうした事情は何も能の上演に限ったことではないが、こと自分の経験に照らした時に、能はそうした側面をとりわけ強く備えているように 感じられる。そしてこの上演を終えた後、直ちに私はその場に居合わせることができた幸運を思った。そしてそうした気持ちは今でも変わらない。そればかりか 寧ろ益々強まっているくらいなのだ。観た自分がいつかこの世から滅したのちも語り継がれていくような、永続的な価値のあるものに、自己にゆるされた 限られた時間の裡で出会えることは何と素晴らしいことか。だからまず、シテの香川さんをはじめとする演者の方々に感謝の言葉を述べたい。

禅竹の能である「定家」は暗示的で多様な解釈を受け容れる或る種の曖昧さを備えているので、色々なやり方が可能だし、そうした解釈が徹底した場合には 素晴らしいものになるのはすでに経験済みであり、それだけに今回の演能が、作品にどのような光を当てるのか大きな期待を抱いて目黒の舞台に赴いたのだが、 私が拝見したものは、私個人のそうした興味などを遙かに超えた、あえて「完璧」という形容をしたくなるような一つの世界を呈示するものだった。 言葉が追いつかないのは、優れた演能を拝見した時にいつも感じることではあるが、今回はもう書くのを止めて沈黙することを選びたくなるほどその世界は 完成されていて、純粋なものであった。だからここではほんの断片的な印象を記すことしかできない。そう、今回については、自分が永久に、自分が受け止めた ものに追いつけないことが直ちにわかってしまったので、何を書いても仕様がない、という気持ちを抑えることができないでいるのである。

実際、この舞台にかける演者の方々の意気込みも並々ならぬものを感じさせ、囃子とワキによって為される前場の雨の降り込める寒々とした 風景のリアリティは、ワキと見所の視線の同化という言い古された表現を、実質を備えた重みあるものとする。風景の持つ色彩はくすんでいるが、 この上演では、全く色を喪い、完全に枯れ果てた荒涼ではない。墳は過ぎ去った時間の経過の長さを感じさせても、葛は命を失っていない。 季節の移ろいに従いはしても、それはそうした大きな秩序の一部であるかのように、長い時間の中を生き続けているのだということを感じさせる。 そしてそのような印象は、シテの持つ不思議な存在感と調和して、眼前の風景が人間的なものを超えた秩序を垣間見させるもので あることを示唆するかのようだ。

能を拝見して最も強く感じたのは、人間の卑小な感情や思念を超えた、もっと大きな秩序の存在だろうか。香川さんのシテは、前場も後場も、 その装束からして、人間であるよりは寧ろ、葛の精のような純粋さと透明さと品格を備えている。前場の面もどこか陰影を秘めているし、後場もまた、 痛々しい痩女なのだが、恐らくは小町物のような老女物においてと似たような感じで、それは冒しがたい気品と、純粋さ、強さを備えていて、美しい。 後場で葛に覆われた墳から式子内親王の霊が出現するところでは、香川さんの演能ではよくあることではあるのだが、見所のどよめきとも溜め息とも つかない反応が広がる。

序の舞の時間の流れをどのように形容したら良いだろうか。私は、それがいつか終わって、彼女が墳に戻ることをどこかで知っている。それは あらずじを知っているからとか、そういった作品世界の外側の知識や文脈が齎すものであるというよりは、その舞の持つ内的なリズムがそれを 内包しているというべきだろう。それと同時に、その舞は一回性のものではなく、永遠に繰り返されるのだろう、だからある意味ではそれは 永遠に等しいのだということもまた、感じずにはいられない。見るものの一生よりもそれは遙かに長く繰り返されるのだ。これまでもそうだったし、 これからもそうだろう。喜多流独特であるらしい、たどたどしい運びによる舞の持つリズムは、それが恋の妄執の苦しみの表現であるといった ような説明を受け付けないような、ほとんど人間的な感情からは離れてしまった存在のあり方の象徴であるかのようだ。そしてそれは 過去の幸福を偲んでのではなく、確かに報恩の舞なのだ、と私には感じられた。少なくとも舞っているその瞬間、彼女の心は過去への 執着からは解き放たれているのだ。一瞬、何段目のどこであったかは記憶していないが、時間の方向の感覚が完全に喪われるのを感じる。「永遠」の出来。

そうした宙吊りにされた時間を、まるで始めからそうすることが定められていたかのように彼女自らが断ち切り、舞が終わると彼女は墳に戻り、うずくまり、 扇で顔を隠す。能はここで終わるが、物語はそうではない。それはきっと反復されるに違いない、それは人間の秩序を超えたより大きな秩序、 ヘルダーリンの最晩年の断片に垣間見られるような非人称的な宇宙のリズムとでもいうべきものに通じているように感じられ、あるいはそのようにしてまた、 舞はきっと繰り返されるに違いないというように私には思われた。

劈頭に降り込めていた雨の音は終演時には聴こえたであろうか。否、私には、葛がひっそりと、けれどもしっかりと、永遠の劫の流れの中に佇んでいる ように感じられた。時刻がいつなのか、季節がいつなのかもわからない、そうした時空の中に葛に覆われた墳を見たように感じられた。 その感覚を私はうまく言葉にすることができない。一つだけ、そうした終演の雰囲気のなかで謡われた「融」末尾の、あの詞章が、私にはその場に 如何にも相応しいように感じられたことは記録しておきたい。後は、それがそれ自体、独自の確固たる世界を持っていて、だから、私がその場で感じたことの 如何なる説明にも、注釈にもならないことを断った上でなお、帰路に思い起こさずには居られなかったある詩の断片を以下に掲げておきたい。

野は荒涼として 遙かな山の上に
ただ青い空が輝いている、いくつもの小径のように
自然の現われるのは 同じようだ、吹く風は
爽やかに、自然はただ明るさにつつまれている。

大地の円は天空に包まれているのが見える
昼のうち また 明るい夜
(ヘルダーリン「冬」野村一郎訳)

*   *   *

素晴らしい演能を可能にする条件の一つに、見所の雰囲気があるということもまた今回強く感じられたことで、いつもにも増して張り詰めた雰囲気と 深い静寂は、この一度きりの演能に立ち会う見所の期待の大きさ、集中の高さを物語るとともに、そうした見所の静かな気迫が演者の気持ちと 触れ合って、この歴史に残るであろう上演を引き出したように思われる。そうした方々に交じって演能に立ち会えたことに感謝したいと思う。

最後になってしまったが、この催しは勿論、「定家」一番よりなっていたわけではなく、塩津さんの舞囃子「春日龍神」を劈頭に喜多流の名手の 仕舞三番を含む豪華な番組で、先代宗家の追善に相応しく、喜多流の実力の高さを印象づけるもので、帰路、口々にそのような感想を語り合う 見巧者と思しき方々が何組もいらしたことが、そのレベルの高さを物語っていよう。個人的にはとりわけ友枝昭世さんの仕舞「歌占」はいつもながら 何か異次元のものと感じられた。上述の通り、追善ゆえ番組の最後は「融」の結びで締めくくられたが、その詞が如何にも直截に心に響き、確かにこれは今日の 名人の方々を育てられた先代宗家にとって最高の追善であったに違いないと感じられた。

残念ながら、私には今回の演能がどんなに圧倒的なものであったかを、自分が受け取ったものに見合ったレベルで書き残すことができない。だがそれは、 自分が受け取ったもの以上のもの、自分の受容能力を超えて、もっともっと高い価値のあるものであったに違いないのだ。この文章は演能の価値に 比べれば全く不十分なのである。だから是非、当日見所に居られた方々に、より的確な記録を認められることをお願いせずにいられない。私よりも より的確に演能の価値を理解でき、また、それを書き留めることができる方々が見所には数多く居られたに違いないのだから。この上演を拝見した 者はそれを語り継がなければならない、とさえ私には感じられるのだ。それゆえ、この文章は未定稿のまま留まるだろう。手を加え、あたう限り、少しでも 自分が受け止めたものに近づけていかなければと思っている。(2009.1.10 未定稿のまま公開)