2009年9月6日日曜日

「国立能楽堂2009年9月定例公演」(国立能楽堂・平成21年9月2日)

能「砧」
シテ・香川靖嗣
ツレ・狩野了一
ワキ・宝生閑
ワキツレ・大日方寛
アイ・野村万蔵
後見・内田安信・中村邦生
笛・一噌仙幸
小鼓・横山晴明
大鼓・柿原崇志
太鼓・助川治
地謡・塩津哲生・大村定・長島茂・友枝雄人・内田成信・佐々木多門・大島輝久・井上真也

この演能の感想を書くことは非常に難しい。というのもこのとき私は普通のコンディションでなかったからである。私事を細々書いても仕方ないので仔細は省略するが、 前夜にちょっとしたトラブルに巻き込まれた私は普段の心理状態ではなかったし、体力的にも2時間にもわたる大曲に対峙して集中し続けることは困難な状況にあったのだ。 しかしそうした個人的な事情を抜きにしても、この演能には異様な点が幾つもあったように感じる。実は「砧」を拝見するのはこれが初めてではない。そして前回拝見した別の シテによる演能は非常にストレートで分かりやすい心理劇であったという印象がある。もっともそれは「観やすい」作品であるということではなく、この能の持つちょっと形容しがたい 冷たさや、悪循環ともいうべき麻痺したかのような時間性に、ある種のしんどさを覚えたのも記憶している。だが、今回拝見して感じた異様さは、それとは違った種類のものであった。

それゆえ以下に記す印象のどこまでがそうした個人的な体調や心理状態に起因するもので、どこからが演能や作品自体の力によるものか、正直なところ判断することに 非常な困難を感じている。だが演能に入り込めなかったというのではなく、その中にまるで漂うようにして身を浸しつつ、それでいながらこうした異様な感じを覚えた経験はこれまでになかった。 今の私には自分の経験を分析する手段も時間的な余裕もないけれど、とにかく感じたことをできるたけそのまま書いておこうと思う。観能のような心の奥底にまで働きかける力のある 経験は、それゆえに直ちに解決することを拒みはしても、その印象は永続的だ。もしかしたらある折にふと「わかる」瞬間が来るかもしれないし、最後まで謎のまま自分の裡に蟠り 続けるかも知れないが、いずれにせよ今の私にできることは、その印象を書きとめておくことしかなさそうである。

些か突飛だが、私がこの演能を拝見して思い浮かべたのは、シェーンベルクの芸術作品についての言葉だった。モノドラマ「期待」のような音楽を書いた彼は、しかし本当の芸術というのは 情緒的に訴えるところのない、精神的な冷気を感じさせるようなものであるといったようなことを言っていて、それは別のところで述べているマーラーの第9交響曲に対するコメント、すなわち 非人称的で動物的なぬくもりを断念した、精神的な冷気に快感を覚えるような人の音楽という評価と通じていたように思う。一方世阿弥は晩年に自作の「砧」について、後世の人には 良さがわからないだろうという言葉とともに、この能について「冷えた」という形容を用いていたのではなかったか。勿論、シェーンベルクの言葉を世阿弥自身の言った「冷えた」という形容と無媒介に 単純に結びつけるのは牽強付会の謗りを免れないだろう。だが、その距離を測る作業は今のところ時間の制約もあって不可能だし、 何より一見したところ精神分析の題材にでもなりそうな心理劇でありながら、そして謡も囃子も、演者の所作もそうした心理に徹底的に寄り添っていながら、単純な感情移入を 拒むような冷たさを目の当たりにして、そうした連想が働いたという事実はそれとして書き留めておくことにしたい。

それに関連して感じたのは、屈指の名文とされる世阿弥の謡の詞章の、何というべきか、ある種の自律性のようなものだった。謡と囃子と所作や舞といった要素が組み合わさって 能は成立するが、常とは異なって、ここではまるで謡が自律した世界と独自のロジックを持っていて、それが舞台の上での出来事や囃子の音楽と併置されたまま、溶け合わずに 並進するかのような印象を覚えたのである。実を言えばとりわけ世阿弥の能の幾つかの作品において、謡が独自の世界を作り上げる印象を受けたことは一再ならずあった。だがその場合でも それは囃子とともに舞台に働きかけて風景を一変させて、作品が示す世界を豊穣なものにする働きをしていたのに対し、この「砧」では、それとは異なって、囃子と舞台と謡がそれぞれ 固有の論理をもって溶け合わずに衝突するような感じを抱いたのだ。些か異様な感じさえ覚えたくらい重い位取りで始まり、楽音というよりは寧ろ楽器によるミュージック・コンクレートを 聴くような、しばしば無機的なノイズや物音に近づくかのような、音楽的というよりは寧ろ音響的な囃子の感触、これまた複雑なニュアンスを備え、時折人声ではない別の何かの 音にさえ聞こえる謡、前場ではシテとツレとが、後場ではシテとワキとが、対峙しながら全く別の空間にいるかのように孤立して、相手に対して訴えてもその声は本当の意味で相手の 元に届かないかのような閉塞感、そうしたものが相俟って、心の奥底に潜む調停不可能な対立感情、解消不可能でアクセスを遮断して抑圧するしかないようなしこりを目の当たりに するような感覚を覚えたのである。

それでも後場になり、シテに焦点が集中するようになると、シテのおかれた状況の苛酷さが見所に突き刺さるように感じられるようになる。だがそれもまた彼女の心情に同化できるというのではなく、 その葛藤の大きさや苦しみの質自体とその強度が見所を圧倒してしまうのだ。共感というのとは異なって、寧ろ、見所の一人一人が抱えている筈の傷(その理由様々であってよく、心的な 機構の上で同型の機能をすればよい)を探知して暴き出すかのような感覚すら覚えた。(レムの「ソラリス」をご存知の方は、その中で「海」がやったことを思い浮かべていただければと 思う。海は同情とか共感とかではなく、全く「理解」することなく、人間の心の裡のトラウマを実体化することによってしか人間とコミュニケーションする手段を持たない。ついでに言えば、「ソラリス」での 「海」は脱神秘化された絶対的他者、異物として「神の胎児」であるが、翻ってみると「砧」という作品は、能の由来やら他の多くの能のありようを思えば些か異様とさえ映る程に宗教性を欠いていて いることに思いあたる。そしてこのこともまた、「砧」という作品の持つ苛酷さ、救いの無さを強めるのに与っているに違いない。これは単なる臆測に過ぎないが、私はそこに世阿弥が晩年に抱いていて しかも心の裡に抱えておかざるを得なかった深い怨嗟の感情、あてどのない呪詛の念のようなものが映りこんでいるような気さえする。彼が後世の人にはわかるまいと言ったのは、この能に彼が 注ぎ込んだ思いの大きさを念頭においてのことではなかったか。あるいはまた突飛な連想であることを承知で言えば、晩年のショスタコーヴィチの幾つかの作品に垣間見ることができる謎めいた、 やはりこれも冷え冷えとした風景の中にも、どこかで通じるものがあるように思えてならない。あるいはまた失意の中で「砧」と同一の題材の漢詩の翻案を歌詞とした交響曲を作曲し、 世を去る間際に「私を求めるものは私が誰であるかを知っているし、そうでない人には知る必要はない」と言ったマーラーはどうだろうか。)

上記のような印象が自分の心理的・身体的なコンディションによるものかも知れないことは既に述べたが、それとは別に、こうした印象が、実は演奏上の齟齬、例えば謡と演者との 解釈の方向性のずれによって生じたものかも知れないという可能性もまた否定できないだろう。だが、技術的なことは私にはわからないし、そんなに幾つもの演能を観ているわけではない 私にはそうした側面の成否を判断する力はない。しかし統一的な演出というのをもともと想定しない能の場合、そうした謡、囃子と演者の、あるいは演者間のぶつかり合いは寧ろ起きて当然で、 しかもそれが必ずしもマイナスに働かないどころか、場合によっては非常に素晴らしい結果をもたらすこともありうることを思えば、やはりそこには演奏の出来・不出来とか解釈の不一致と いったような次元を超えた、「砧」という作品固有の何かがあるのではないかという感じを拭い難い。

終演後、私は再び「世の成り行き」に、件のトラブルの現場に舞い戻ることになった。だが戻るとき、私の状態は来たときとは些か異なったものではなかったかと思う。 トラブルの内容は作品とは全く関係のないものだったが、心的な機制という点ではこの能はその折の私には皮肉にも恰好の内容であったのかも知れない。心のどこかで何かが 麻痺していくような不思議な感覚を覚えながら、私は能楽堂を後にした。勿論、こんな状況での観能は二度と御免蒙りたいが、それでもなおこの観能は私にとって ある種の(逆説的な)糧となったように感じている。この冷え冷えとした風景もまた決して疎遠なものではない。私にはその風景から世阿弥の声が聞こえるような気がする。その声は、だが、 「お前らになぞ、私の声は聞こえまい」と語っているのだ、、、(2009.9.6)

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