2009年10月30日金曜日

「喜多流職分会2009年10月自主公演能」(喜多六平太記念能楽堂・平成21年10月25日)

能「三井寺」
シテ・香川靖嗣
子方・金子龍晟
ワキ・宝生閑
ワキツレ・梅村昌功
ワキツレ・御厨誠吾
アイ・三宅右矩
アイ・三宅近成
後見・長田驍・狩野琇鵬
笛・松田弘之
小鼓・森澤勇司
大鼓・柿原崇志
地謡・塩津哲生・大島政允・大村定・谷大作・佐藤章雄・狩野了一・粟谷浩之・大島輝久

前の週に非常に大きな緊張を伴う催しを済ませ、些か気が抜けた感じのある週末、前日は反動でどっと出た疲れで潰れ、 図らずも観能当日、出かける間際まで仕事をこなすことになってしまい、開演時間を過ぎて番組最初の曲が終わる頃、 ようやく目黒の舞台に着く。休憩時間に席を探すが、大変な賑わいで、何と2階席まで最前列が指定席になっているという 状況であることを知り、結局1階後方の桟敷で拝見することにする。 目黒の舞台の桟敷はこれまでも何度か経験があるが、正座が苦にならなければ非常に良い条件で拝見できる。 幸いこの日に拝見したのは「三井寺」で目付け柱に接するように鐘楼の作り物が出るので、シテと正対する場面も 少なくなく、じっくりと拝見できてよかった。

三井寺は謡の能という印象が私にはある。世阿弥作のような求心的な感じはなく、寧ろ遠心的に散乱するような趣は あるものの、あの近江の景色を詠み込んだ道行や鐘の段など、詞が産み出すイメージの世界の印象は鮮烈だ。 だが、今回拝見した能の印象は、そうした先入観とは些か趣が異なるものであった。感覚としては、前々回、常ならぬ コンディションで拝見した「砧」のときと似た分裂感に近い印象を抱いたように思う。当日ただちに感想を書こうかと思ったのだが、 1週間の隔たりをおいて今筆を執っているのも、そうした感覚が一時的なものなのか、それとももう少ししっかりと根を下ろした ものなのかを確認したかったという理由がなくはない。そしてどうやら、その点に関して、印象にぶれはないようだ。

三井寺はいわゆる子別れものの現在能で、現在能でしばしばあるように構成が複雑で、場面転換が多く、アイが重要な 役割を果たし、場面毎のシチュエーションは非常に具体的だ。これまた子別れ物の多くがそうであるように、空間の移動が 場面を転換させる契機となるのだが、ここでそれを引き起こすきっかけとなるのはシテが清水の門前の宿で見た霊夢である。 夏に御仕舞で拝見した「柏崎」のシテがそうであるように、ここでも自分の意志では制御できない力に導かれるようにしてシテは旅立つ。 この冒頭のシーンは圧倒的で、松田さんの笛、柿原さん、森澤さんの大小の囃子も雰囲気に満ちていて、何よりも 香川さんのシテの雰囲気と見事に調和しているように思われ、素晴らしかったと思う。霊夢を蒙った後のシテの表情は、一見して 夢から醒めずにぼうっとしているようでいて、観る者をたじろがせるような、何かに憑かれたような凄みがあって強く印象に 残っている。

ところが、場面が転換して謡が徐々に主導権を持ち始めると、些か様相が異なってくる。「砧」のときも似たような印象を 持ったのだが、謡が産み出す世界と、それ以外の場の雰囲気が溶け合わずに、並存するような感じがしたのだ。 謡そのものは、緩急もあり、調子の変化にも富んでいて、丁寧に詞を辿ろうとしているようなのだが、何というか、 地謡が一つの楽器となるような印象が薄く、私の勘違いかも知れないが、ところどころ地頭の意図が全体に 徹底していないような感じを覚える瞬間もあったと記憶している。技術的なことはわからないし、当否について判断する力は 私にはないが、とにかく、囃子とシテが産み出す明確な色調と、肌合いも違えば色合いも異なる地謡の感触が、 溶け合うことなく共存しているように感じられたのは確かで、もともと遠心的で子別れ物としてみた場合には心理的な 必然性のようなものが必ずしも作品自体の裡に充分に仕組まれているわけではなさそうなこの能に演奏が一貫したドライブを与えて、 一つの解釈を結晶させ、観ている者にカタルシスを与える方向には向かっていなかったように感じられた。 もしそれが意図されたことであるならば成功していたということになるのだろうが、最後の場面も今ひとつ乗り切れずに、 私としては最後まですっきりとしないまま能楽堂を後にすることになった。個人的に子方が出る能というのがどちらかといえば 苦手なこともこうした反応の形成に与っているかも知れない(勿論これは演奏の出来不出来の問題とは全く関係ない)が、 ともあれ、舞台の上に横溢する感情の流れに身を浸すというところまでは行かなかった。

こう書いてしまえば如何にもネガティブにとられてしまうかも知れないので、急いで付け加えておけば、実は、1週間後の今なお くっきりと印象に残った場面は決して少なくない。冒頭、霊夢を蒙って目覚めた場面については既に書いたので繰り返さないが、 笛に導かれて笹を持って橋掛かりに出たシテの姿は鮮烈で、今でもまざまざと思い浮かべることができるほどだし、 鐘を突く場面も見事、面の表情も豊かで血が通っているかのようで、その変化には心打たれる瞬間も度々で、視覚的には 印象的な瞬間というのが非常に多い舞台だったと思う。(2009.10.30)

2009年9月6日日曜日

「第87回川崎市定期能」(川崎能楽堂・平成21年9月5日)

能「夕顔」
シテ・香川靖嗣
ワキ・工藤和哉
ワキツレ・殿田謙吉
アイ・野村扇丞
後見・友枝昭世・井上真也
笛・槻宅聡
小鼓・森澤勇司
大鼓・柿原弘和
地謡・中村邦生・粟谷明生・長島茂・友枝雄人・内田成信・金子敬一郎


前回の「砧」に引き続いて、今度は川崎能楽堂での「夕顔」を拝見。ただし今度は(別にゆとりができた訳ではないが)きちんとした スケジュールに則っての観能で、心のどこかには澱のようなものが残っていはしても、前回と異なって気持ちよく見所に着くことができた。
「夕顔」は「源氏物語」に取材した能であり、謡のそこかしこに「源氏物語」のことばが織り込まれていはするものの、怪異譚的な側面を 切り捨てて、夕顔の法華経による成仏のよろこびの舞を中心に据えた、人によってはクリシェであると感じるかも知れない程に複式夢幻能の 型式に素直に収まった、すっきりとした構成を備えている。同じ題材に取材した「半蔀」に比べても一層、宗教性や透明感が勝っていて、 普通の意味での心理的な解釈を受け付けない。五条のなにがしの院とは融の大臣がかつて住まった処であるという読み込みがあるらしいが、 そういえばこの能はどこか「融」に通じる部分があるかも知れない。 (これは能が終わってから気付いたことなのだが、そうして思い起こしてみると、玉蔓にゆかりある豊後から来たという設定になっているワキの僧の工藤さんは、 以前拝見した香川さんの「融」でもやはりワキを演じられていたことに思い当たった。偶然かどうかは詳らかにしないが、「融」の時と同様、今回もまた ぴったりと役柄に填まっていたと感じられた。) 夕顔は寧ろここでは植物の精のようで、曲の雰囲気はその宗教性ともども、 精霊をシテとする蔓物に近づくかのようだ。囃方も謡もそうした曲の趣に相応しく、前半はどこか鄙びた雰囲気のある、そして後半は透明で決して 淀まない響きで非常にコヒーレンスの高い演奏だったと思う。その中で後場のシテの到着を告げる一声の笛だけは見所の隅々まで空気を圧するような 強さを湛えていたのが印象的だった。
前場、幕の向こうから声がするのをワキ僧が驚いているとシテが現れる。シテは常座で全く姿勢を変える事無く、その場所の謂われを謡う。 ワキとの問答の後、正中で着座してからは不動の姿勢の中で、謡の内容に照応するように、微かに面を照らしたり、曇らせたりすることによる 表情の変化が印象的で些かも弛緩するところがない。香川さんのシテでの前場の素晴らしさはいつものことながら、この曲のような奇を衒ったところのない作品では 一層その充実が際立つかのようで、簡潔な型で魔法のように詞通りに本当に気配を消してしまう前場の最後の部分には何時ものことながら 驚いてしまう。
しかしこの能の白眉は何といっても後場の序の舞にある。舞は僧に対する感謝の合掌で始まる。つまりこれは成仏のプロセスではなく、それが 既に成し遂げられたことに対するよろこびと感謝の舞なのだ。舞は信じがたいほどの透明感と純度の高さで、序の舞だから時間の流れはゆっくりと したものだが、その歩みは決して重たくない。寧ろためらいなく、淀みなく、だが急く事無く、溢れ出る泉の流れのように自然である。 足拍子は空間のどこかから響いてくるようだし、運びはほとんど重さというのを感じさせない。しかし何より印象的なのは、舞手の表情の穏やかな 笑みで、だから謡の詞に「夕顔の笑みの眉」とあるのを聴いて、あらためて心打たれるのである。そう、それは仏の笑みなのだ。
キリの夜明けは圧倒的である。舞台を風が吹き通り、光が満ち溢れ、その光の中にシテは溶け込んでいく。橋掛りの途中でシテは留めるが、 拍子を踏むことはない。囃子が動きを止めてからも見所も全く動かず、ワキの僧とともにシテが去ってゆくのを見送る。場内の空気の調子が 変わってしまい、すっかりと澄み切って清められたかのような印象を誰もが抱いたのではないか。見所もまたその余韻に浸り続けて動かない。 これは能ならではの本当に素晴らしい経験なのだと思う。拝見する前に心に蟠っていたものが溶けてなくなり、自分もまた新しい身体を得たかの ような気分で見所を後にすることができた。
恐らく能を観たことのない人、もっと言えば能を観たことがあっても、このような素晴らしい舞台に接した経験がない人には、私の書いた印象が (筆力不足はあって不十分ではあっても)本当に観た人間の心身に起きたことであることがわからないかも知れない。あるいはまた、冷静に そうした印象はそれ自体かりそめのもの、もっといえば仮象に過ぎない、まやかしに過ぎないとして嘲笑する人がいるかも知れない。一方で私の 様な観方は、能の持つ芸術的な、独自の美的価値をないがしろにしているという批判も考えられよう。だが私はそのいずれに対しても 反論したいとは思わない。百歩譲ってそうした人の言い分を認めてなお、私にはこのような舞台を拝見できることの意義は明らかだし、 私はこうした経験無しに「世の成り行き」をやり過ごせそうには思えないし、生憎私は、たとえそれが間違っていたとしても、そうした「世の成り行き」の 中で自分の居場所を主張するだけの生き方はできない。決して理解してもらえることはないだろうが、ともあれ私には「別の場所」が必要だし、 別の価値観の中でないと生きていけないのだ。そしてそうした私にとって香川さんの演能を拝見することは他では得難い、 かけがえのない心の糧なのだということをこの演能を拝見することで改めて確認した次第である。(2009.9.6)

「国立能楽堂2009年9月定例公演」(国立能楽堂・平成21年9月2日)

能「砧」
シテ・香川靖嗣
ツレ・狩野了一
ワキ・宝生閑
ワキツレ・大日方寛
アイ・野村万蔵
後見・内田安信・中村邦生
笛・一噌仙幸
小鼓・横山晴明
大鼓・柿原崇志
太鼓・助川治
地謡・塩津哲生・大村定・長島茂・友枝雄人・内田成信・佐々木多門・大島輝久・井上真也

この演能の感想を書くことは非常に難しい。というのもこのとき私は普通のコンディションでなかったからである。私事を細々書いても仕方ないので仔細は省略するが、 前夜にちょっとしたトラブルに巻き込まれた私は普段の心理状態ではなかったし、体力的にも2時間にもわたる大曲に対峙して集中し続けることは困難な状況にあったのだ。 しかしそうした個人的な事情を抜きにしても、この演能には異様な点が幾つもあったように感じる。実は「砧」を拝見するのはこれが初めてではない。そして前回拝見した別の シテによる演能は非常にストレートで分かりやすい心理劇であったという印象がある。もっともそれは「観やすい」作品であるということではなく、この能の持つちょっと形容しがたい 冷たさや、悪循環ともいうべき麻痺したかのような時間性に、ある種のしんどさを覚えたのも記憶している。だが、今回拝見して感じた異様さは、それとは違った種類のものであった。

それゆえ以下に記す印象のどこまでがそうした個人的な体調や心理状態に起因するもので、どこからが演能や作品自体の力によるものか、正直なところ判断することに 非常な困難を感じている。だが演能に入り込めなかったというのではなく、その中にまるで漂うようにして身を浸しつつ、それでいながらこうした異様な感じを覚えた経験はこれまでになかった。 今の私には自分の経験を分析する手段も時間的な余裕もないけれど、とにかく感じたことをできるたけそのまま書いておこうと思う。観能のような心の奥底にまで働きかける力のある 経験は、それゆえに直ちに解決することを拒みはしても、その印象は永続的だ。もしかしたらある折にふと「わかる」瞬間が来るかもしれないし、最後まで謎のまま自分の裡に蟠り 続けるかも知れないが、いずれにせよ今の私にできることは、その印象を書きとめておくことしかなさそうである。

些か突飛だが、私がこの演能を拝見して思い浮かべたのは、シェーンベルクの芸術作品についての言葉だった。モノドラマ「期待」のような音楽を書いた彼は、しかし本当の芸術というのは 情緒的に訴えるところのない、精神的な冷気を感じさせるようなものであるといったようなことを言っていて、それは別のところで述べているマーラーの第9交響曲に対するコメント、すなわち 非人称的で動物的なぬくもりを断念した、精神的な冷気に快感を覚えるような人の音楽という評価と通じていたように思う。一方世阿弥は晩年に自作の「砧」について、後世の人には 良さがわからないだろうという言葉とともに、この能について「冷えた」という形容を用いていたのではなかったか。勿論、シェーンベルクの言葉を世阿弥自身の言った「冷えた」という形容と無媒介に 単純に結びつけるのは牽強付会の謗りを免れないだろう。だが、その距離を測る作業は今のところ時間の制約もあって不可能だし、 何より一見したところ精神分析の題材にでもなりそうな心理劇でありながら、そして謡も囃子も、演者の所作もそうした心理に徹底的に寄り添っていながら、単純な感情移入を 拒むような冷たさを目の当たりにして、そうした連想が働いたという事実はそれとして書き留めておくことにしたい。

それに関連して感じたのは、屈指の名文とされる世阿弥の謡の詞章の、何というべきか、ある種の自律性のようなものだった。謡と囃子と所作や舞といった要素が組み合わさって 能は成立するが、常とは異なって、ここではまるで謡が自律した世界と独自のロジックを持っていて、それが舞台の上での出来事や囃子の音楽と併置されたまま、溶け合わずに 並進するかのような印象を覚えたのである。実を言えばとりわけ世阿弥の能の幾つかの作品において、謡が独自の世界を作り上げる印象を受けたことは一再ならずあった。だがその場合でも それは囃子とともに舞台に働きかけて風景を一変させて、作品が示す世界を豊穣なものにする働きをしていたのに対し、この「砧」では、それとは異なって、囃子と舞台と謡がそれぞれ 固有の論理をもって溶け合わずに衝突するような感じを抱いたのだ。些か異様な感じさえ覚えたくらい重い位取りで始まり、楽音というよりは寧ろ楽器によるミュージック・コンクレートを 聴くような、しばしば無機的なノイズや物音に近づくかのような、音楽的というよりは寧ろ音響的な囃子の感触、これまた複雑なニュアンスを備え、時折人声ではない別の何かの 音にさえ聞こえる謡、前場ではシテとツレとが、後場ではシテとワキとが、対峙しながら全く別の空間にいるかのように孤立して、相手に対して訴えてもその声は本当の意味で相手の 元に届かないかのような閉塞感、そうしたものが相俟って、心の奥底に潜む調停不可能な対立感情、解消不可能でアクセスを遮断して抑圧するしかないようなしこりを目の当たりに するような感覚を覚えたのである。

それでも後場になり、シテに焦点が集中するようになると、シテのおかれた状況の苛酷さが見所に突き刺さるように感じられるようになる。だがそれもまた彼女の心情に同化できるというのではなく、 その葛藤の大きさや苦しみの質自体とその強度が見所を圧倒してしまうのだ。共感というのとは異なって、寧ろ、見所の一人一人が抱えている筈の傷(その理由様々であってよく、心的な 機構の上で同型の機能をすればよい)を探知して暴き出すかのような感覚すら覚えた。(レムの「ソラリス」をご存知の方は、その中で「海」がやったことを思い浮かべていただければと 思う。海は同情とか共感とかではなく、全く「理解」することなく、人間の心の裡のトラウマを実体化することによってしか人間とコミュニケーションする手段を持たない。ついでに言えば、「ソラリス」での 「海」は脱神秘化された絶対的他者、異物として「神の胎児」であるが、翻ってみると「砧」という作品は、能の由来やら他の多くの能のありようを思えば些か異様とさえ映る程に宗教性を欠いていて いることに思いあたる。そしてこのこともまた、「砧」という作品の持つ苛酷さ、救いの無さを強めるのに与っているに違いない。これは単なる臆測に過ぎないが、私はそこに世阿弥が晩年に抱いていて しかも心の裡に抱えておかざるを得なかった深い怨嗟の感情、あてどのない呪詛の念のようなものが映りこんでいるような気さえする。彼が後世の人にはわかるまいと言ったのは、この能に彼が 注ぎ込んだ思いの大きさを念頭においてのことではなかったか。あるいはまた突飛な連想であることを承知で言えば、晩年のショスタコーヴィチの幾つかの作品に垣間見ることができる謎めいた、 やはりこれも冷え冷えとした風景の中にも、どこかで通じるものがあるように思えてならない。あるいはまた失意の中で「砧」と同一の題材の漢詩の翻案を歌詞とした交響曲を作曲し、 世を去る間際に「私を求めるものは私が誰であるかを知っているし、そうでない人には知る必要はない」と言ったマーラーはどうだろうか。)

上記のような印象が自分の心理的・身体的なコンディションによるものかも知れないことは既に述べたが、それとは別に、こうした印象が、実は演奏上の齟齬、例えば謡と演者との 解釈の方向性のずれによって生じたものかも知れないという可能性もまた否定できないだろう。だが、技術的なことは私にはわからないし、そんなに幾つもの演能を観ているわけではない 私にはそうした側面の成否を判断する力はない。しかし統一的な演出というのをもともと想定しない能の場合、そうした謡、囃子と演者の、あるいは演者間のぶつかり合いは寧ろ起きて当然で、 しかもそれが必ずしもマイナスに働かないどころか、場合によっては非常に素晴らしい結果をもたらすこともありうることを思えば、やはりそこには演奏の出来・不出来とか解釈の不一致と いったような次元を超えた、「砧」という作品固有の何かがあるのではないかという感じを拭い難い。

終演後、私は再び「世の成り行き」に、件のトラブルの現場に舞い戻ることになった。だが戻るとき、私の状態は来たときとは些か異なったものではなかったかと思う。 トラブルの内容は作品とは全く関係のないものだったが、心的な機制という点ではこの能はその折の私には皮肉にも恰好の内容であったのかも知れない。心のどこかで何かが 麻痺していくような不思議な感覚を覚えながら、私は能楽堂を後にした。勿論、こんな状況での観能は二度と御免蒙りたいが、それでもなおこの観能は私にとって ある種の(逆説的な)糧となったように感じている。この冷え冷えとした風景もまた決して疎遠なものではない。私にはその風景から世阿弥の声が聞こえるような気がする。その声は、だが、 「お前らになぞ、私の声は聞こえまい」と語っているのだ、、、(2009.9.6)

2009年8月26日水曜日

「平成21年喜多流素謡・仕舞の会」(喜多六平太記念能楽堂・平成21年8月25日)

仕舞「柏崎」道行
シテ・香川靖嗣
地謡・狩野了一・金子敬一郎・粟谷充雄・粟谷浩之

「柏崎」は能を一度拝見したけれど、全体としては話が整理されていない 感じで、やや印象が散漫な中、今回取り上げられた道行きの部分だけは その場所が自分にとって馴染みのあるという個人的な理由もあって鮮明に 記憶していたのだが、今回のお仕舞は風景と心象のリアリティにおいて それを更に超えた力を備えたものに感じられた。木島、浅野、井上といった 地名が詠み込まれた謡が進む中、香川さんの舞はお仕舞であるにも関わらず、 その人となりや心持ち、自分でも制御できない心の深い部分からの 衝動によって善光寺へと歩む心の状態で会場を充たしてしまう。それは やはりある種の宗教的な感情に違いなく、この心の動きこそが善光寺で 彼女を待ち受ける劇的な再会を無意識の裡に予感しているに違いない。 そして見所はその道行きを外から眺めるのではなく、彼女が見て感じる風景をともに 経験するのだ。千曲川に沿って善光寺に向かう途中、浅野に差し掛かったところで 雪が舞い始めるところで、思わず私は落涙しそうになった。柏崎の物語が どのような実話に基づくものか詳らかにしないが、時代も違えば状況も 違うけれども、私もまた雪の降りしきる北信の地の空気を、その地を 囲む山々を知っていて、その風景を媒介にそうした過去の記憶と己とが 出会って、その心に触れ、同化する。そうした化学反応のような自分の 心の変化をまざまざと経験することができた。このお仕舞でやっと私は 我に返った思いがしたのである。

2009年4月5日日曜日

「第3回香川靖嗣の會」(宝生能楽堂・平成21年4月4日)

能「石橋」
シテ・香川靖嗣
ワキ・森常好
アイ・野村萬斎
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・松田弘之
小鼓・鵜沢洋太郎
大鼓・亀井忠雄
太鼓・観世元伯
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・出雲康雅・長島茂・粟谷充雄・金子敬一郎・大島輝久

幸運にも初回より拝見させていただいている香川靖嗣さんの個人の会も今回で3回目。これまでとは異なって舞台は水道橋の宝生能楽堂。 そして自分にとって能を拝見するのは今年になって初めて。曲は「石橋」である。「石橋」を拝見するのは3度目、前回は香川さんが地頭を勤められた舞台で、 前場の謡が描き出す、人を寄せつけないような風景の巨大さと険しさ、目も眩むような高さ、圧倒的な垂直方向の感覚が強く印象に残っていた。

今回の印象をあえて一言で言えば、渦の運動の多様さ、 豊饒さ、果てることを知らない流体の運動の感覚ということになるだろうか。香川さんの獅子は、生き物というよりはコスミックな秩序、法則が 獅子の形を借りて自己展開していく様相に思われた。比喩ではなく、カオスの縁の豊かさ、複雑さを目の当たりにするようであった。 物語では獅子は文殊菩薩の化身ということになっているようだが、私には人間が獅子を演じて動き回るというよりは、ある時はそこから力が湧き出し、 またある時はそこに力が収斂する特異点が相空間上に描く軌道と、そうした力の場の動的で果てしない変容が、獅子の形を借りてそこで 展開されているように感じられたのである。馬場さんがお話で、喜多流の一人獅子独特の巻毛の赤頭に言及され、渦とは「力」であるとおっしゃっていたが、 それを見事なまでに完璧に体現した舞台であったと思う。シテだけではなく、謡も囃子も一体となり、異次元の、普段は接することのできない 根源的な何かを舞台の上で展開する様が体験できた稀有な機会であった。それは恐らく「神変」という表現に相応しいものであったに違いない。 だが、私の感じ方をありのままに書けば、上述のような言い方になる。

しかし、だからといって、それは舞台に具体的なイメージが欠如していたということではない。寧ろ逆で、早くも森常好さんの寂昭法師が石橋への到着を 告げた直後、松田さんの笛の音色で明確に定位される前場の光景のリアリティはこれまでのどの舞台よりも確かなものだった。 友枝昭世さん地頭の地謡の肌触り、亀井忠雄さん、鵜沢洋太郎さんの大小の鼓の音色の変化、間合いの変化、掛け声までもが、眼前に広がる 風景の、ひんやりとした温度や空気の湿り具合、常に流動して止まない空気の流れの質感、そして時々刻々変化する光の調子までをも克明に 浮び上がらせる様は圧巻である。見所もまた、舞台を見ながら頂きも底も窺うことのできない程の広漠とした空間の広がりの中に立ち尽くすしかない。 クセの間、地謡が謡い進む中をシテの樵翁は着座して動かないが、それにより周囲の空間の巨大さが、そして絶えず変化する空気の流れと光の 調子が寧ろ鮮明に感じられるのだ。前場の頂点は、クセの後半、大小がまるで空気を切り裂くような拍子に合わない手によって眩いばかりの光の変化を告げ、 舞台に虹をかけるとそれに呼応するように、シテが立ち上がるところにあったと思う。いつしか何も音のしない筈の囃子と謡の合間の沈黙に、 鳴り続ける滝の水の音が基調の響きのように聞こえるような気すらしてくる。

そうした前場があらばこそ、後場の劈頭の乱序は、相転移が起き、「向こう側」が出来する際の急激な、めくるめくような風景の変化を告げる。 囃子には観世元伯さんの太鼓が加わり、空気の流れが急変し、光の調子もまるで稲妻が明滅するように慌しく変わり、乱流が現われる。 幾つもの渦が形成されては消え、あるいは融合して大きな渦となり、そこに獅子が現われるのだ。 それは地上のものというよりは、空間的なスケールも時間的なスケールももっと巨大なものを連想させる。例えば木星を 覆うメタンの海、その絶え間ない流動が生み出し、人間のスケールを超えて存在し続ける巨大な渦である大赤斑のことを私は思わずにはいられなかった。 獅子の動きもまた、渦をまくような回転の運動と、上下の動き、急激な静と動の対比、力強い動きと繊細で軽やかな戯れの対比が鮮明で、その変化の 鮮明さ、移り変わるニュアンスの豊かさはとても人間が演じているとは思えない。それは秩序とカオスの間にある相転移の場、カオスの縁の持つ多様性を 思わせる。見所に居る私は、姿勢を正して臍の下に力を込めて、自分に向かって飛び込んでくる音と気の粒子を五感の全てを解放して受け止める他ない。 息をするのも忘れて、自分を舞台のリズムに同調させるしかない。

そうしているうちに獅子は舞い納め、留拍子を踏んで全てが静止する。暫くは感覚が麻痺したようになって、我に返って椅子の背に凭れて息をついたのは、 ようやく囃子と地謡が立ち上がって拍手が起きてからだったように記憶している。生身の人間がそのままでは見ることが許されない何かに一瞬だけ触れるような感覚は、 能の持つ呪術的な力によるものなのだろうが、振り返ってみれば香川さんの演能では、繰り返し起きていることではある。「翁」もそうだったし、「三輪」も、「絵馬」も そうだった。前回拝見した「定家」すら、人間的なものを超えた大きな秩序を感じさせるものであった。だが、これほどまでの力の奔流を目の当たりにしたのは 「石橋」という曲ゆえかも知れないし、その一方で、この演能を体験した時間と、その前後の時間の流れ方のギャップの大きさが何時になく大きかったから なのかも知れない。帰路、水道橋の雑踏の中で、今しがた自分が経験したはずの何かの異様さと、自分が引き戻された時間の流れとの 間の懸隔に、戸惑いと苛立ちと軽い絶望感のようなものが混じった形容し難い気分に襲われた。

近年とみに身辺が慌しく、それが毎年累進し、とうとう今年は休日の外出の回数を大幅に減らさざるを得ない状況にまで至った。 今回もまた、まるで仕事を途中で抜けて能楽堂に駆けつけるような仕儀となり、自分が接するものが持つ価値の大きさに相応しい姿勢で拝見できるものか、 大いに危ぶんだのだが、それは杞憂であった。初めて訪れた水道橋の能楽堂に足を踏み入れて見所の方々の中に居る時に、桜を愛でる暇も、花曇りの風情を 味わう時間もありはしない私のような人間が、その場に居ることが酷く場違いであるという感覚からどうしても逃れられなかったけれども、 舞台を拝見していた時間だけはそうした感覚はどこかに消え失せ、豊饒この上ない時を経験することができた。

そして今再び、自分がこのような主観的な感想を書き留めることが、自分が受け取ったものの豊かさと大きさに比して、全く取るに足らないと いう感覚から逃れられずにいる。だが、とにかく、このような私にかくも素晴らしい演能を拝見する機会を与えてくださった方々に感謝したい。 そしてこれからも貴重な機会を逸することのないよう、香川さんの能を拝見する時間だけは確保しておかなくてはならないように感じている。 前回「定家」を拝見したときに、その記憶が自分よりも永く存続するような出来事に立ち会っているという感じを抱いた。今回もまた、 その場にいるのが自分のような人間であることが勿体無いように感じた。だがともかくも、 幸運にも自分には、そうしたものに接する機会が開かれているのだから、それを手放してはいけないのだと思う。公演冒頭、馬場さんは ワキの寂昭こと大江定基について解説しながら、一人一人にとっての「石橋」ということを語られたが、その顰に倣って言えば、 香川さんの演能は、それ自体、私にとっての「石橋」であるに違いないのである。(2009.4.5)

2009年1月10日土曜日

「第22回二人の会」喜多實先生二十三回忌追善(喜多六平太記念能楽堂・平成20年12月23日)

能「定家」
シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生閑
ワキツレ・宝生欣哉・則久英志
アイ・野村万作
後見・高林白牛口二・中村邦生
笛・一噌仙幸
小鼓・大倉源次郎
大鼓・柿原崇志
地謡・友枝昭世・塩津哲生・出雲康雅・大村定・長島茂・狩野了一・大島輝久・内田成信

能の上演は一回性のもので、それは過ぎ去っていく宿命を帯びている。一方でその一回性が「奇跡」が成立する条件を構成するのだろう。 歴史に刻み込まれるような瞬間は、それが二度と繰り返されない、取替えの利かないものであるからこそ、時を経ても決して色褪せることのない 輝きを放つのだろう。こうした事情は何も能の上演に限ったことではないが、こと自分の経験に照らした時に、能はそうした側面をとりわけ強く備えているように 感じられる。そしてこの上演を終えた後、直ちに私はその場に居合わせることができた幸運を思った。そしてそうした気持ちは今でも変わらない。そればかりか 寧ろ益々強まっているくらいなのだ。観た自分がいつかこの世から滅したのちも語り継がれていくような、永続的な価値のあるものに、自己にゆるされた 限られた時間の裡で出会えることは何と素晴らしいことか。だからまず、シテの香川さんをはじめとする演者の方々に感謝の言葉を述べたい。

禅竹の能である「定家」は暗示的で多様な解釈を受け容れる或る種の曖昧さを備えているので、色々なやり方が可能だし、そうした解釈が徹底した場合には 素晴らしいものになるのはすでに経験済みであり、それだけに今回の演能が、作品にどのような光を当てるのか大きな期待を抱いて目黒の舞台に赴いたのだが、 私が拝見したものは、私個人のそうした興味などを遙かに超えた、あえて「完璧」という形容をしたくなるような一つの世界を呈示するものだった。 言葉が追いつかないのは、優れた演能を拝見した時にいつも感じることではあるが、今回はもう書くのを止めて沈黙することを選びたくなるほどその世界は 完成されていて、純粋なものであった。だからここではほんの断片的な印象を記すことしかできない。そう、今回については、自分が永久に、自分が受け止めた ものに追いつけないことが直ちにわかってしまったので、何を書いても仕様がない、という気持ちを抑えることができないでいるのである。

実際、この舞台にかける演者の方々の意気込みも並々ならぬものを感じさせ、囃子とワキによって為される前場の雨の降り込める寒々とした 風景のリアリティは、ワキと見所の視線の同化という言い古された表現を、実質を備えた重みあるものとする。風景の持つ色彩はくすんでいるが、 この上演では、全く色を喪い、完全に枯れ果てた荒涼ではない。墳は過ぎ去った時間の経過の長さを感じさせても、葛は命を失っていない。 季節の移ろいに従いはしても、それはそうした大きな秩序の一部であるかのように、長い時間の中を生き続けているのだということを感じさせる。 そしてそのような印象は、シテの持つ不思議な存在感と調和して、眼前の風景が人間的なものを超えた秩序を垣間見させるもので あることを示唆するかのようだ。

能を拝見して最も強く感じたのは、人間の卑小な感情や思念を超えた、もっと大きな秩序の存在だろうか。香川さんのシテは、前場も後場も、 その装束からして、人間であるよりは寧ろ、葛の精のような純粋さと透明さと品格を備えている。前場の面もどこか陰影を秘めているし、後場もまた、 痛々しい痩女なのだが、恐らくは小町物のような老女物においてと似たような感じで、それは冒しがたい気品と、純粋さ、強さを備えていて、美しい。 後場で葛に覆われた墳から式子内親王の霊が出現するところでは、香川さんの演能ではよくあることではあるのだが、見所のどよめきとも溜め息とも つかない反応が広がる。

序の舞の時間の流れをどのように形容したら良いだろうか。私は、それがいつか終わって、彼女が墳に戻ることをどこかで知っている。それは あらずじを知っているからとか、そういった作品世界の外側の知識や文脈が齎すものであるというよりは、その舞の持つ内的なリズムがそれを 内包しているというべきだろう。それと同時に、その舞は一回性のものではなく、永遠に繰り返されるのだろう、だからある意味ではそれは 永遠に等しいのだということもまた、感じずにはいられない。見るものの一生よりもそれは遙かに長く繰り返されるのだ。これまでもそうだったし、 これからもそうだろう。喜多流独特であるらしい、たどたどしい運びによる舞の持つリズムは、それが恋の妄執の苦しみの表現であるといった ような説明を受け付けないような、ほとんど人間的な感情からは離れてしまった存在のあり方の象徴であるかのようだ。そしてそれは 過去の幸福を偲んでのではなく、確かに報恩の舞なのだ、と私には感じられた。少なくとも舞っているその瞬間、彼女の心は過去への 執着からは解き放たれているのだ。一瞬、何段目のどこであったかは記憶していないが、時間の方向の感覚が完全に喪われるのを感じる。「永遠」の出来。

そうした宙吊りにされた時間を、まるで始めからそうすることが定められていたかのように彼女自らが断ち切り、舞が終わると彼女は墳に戻り、うずくまり、 扇で顔を隠す。能はここで終わるが、物語はそうではない。それはきっと反復されるに違いない、それは人間の秩序を超えたより大きな秩序、 ヘルダーリンの最晩年の断片に垣間見られるような非人称的な宇宙のリズムとでもいうべきものに通じているように感じられ、あるいはそのようにしてまた、 舞はきっと繰り返されるに違いないというように私には思われた。

劈頭に降り込めていた雨の音は終演時には聴こえたであろうか。否、私には、葛がひっそりと、けれどもしっかりと、永遠の劫の流れの中に佇んでいる ように感じられた。時刻がいつなのか、季節がいつなのかもわからない、そうした時空の中に葛に覆われた墳を見たように感じられた。 その感覚を私はうまく言葉にすることができない。一つだけ、そうした終演の雰囲気のなかで謡われた「融」末尾の、あの詞章が、私にはその場に 如何にも相応しいように感じられたことは記録しておきたい。後は、それがそれ自体、独自の確固たる世界を持っていて、だから、私がその場で感じたことの 如何なる説明にも、注釈にもならないことを断った上でなお、帰路に思い起こさずには居られなかったある詩の断片を以下に掲げておきたい。

野は荒涼として 遙かな山の上に
ただ青い空が輝いている、いくつもの小径のように
自然の現われるのは 同じようだ、吹く風は
爽やかに、自然はただ明るさにつつまれている。

大地の円は天空に包まれているのが見える
昼のうち また 明るい夜
空高く星くずの現われ出でるとき
そして 広く広がった生はいっそう霊的になる

(ヘルダーリン「冬」野村一郎訳)

*   *   *

素晴らしい演能を可能にする条件の一つに、見所の雰囲気があるということもまた今回強く感じられたことで、いつもにも増して張り詰めた雰囲気と 深い静寂は、この一度きりの演能に立ち会う見所の期待の大きさ、集中の高さを物語るとともに、そうした見所の静かな気迫が演者の気持ちと 触れ合って、この歴史に残るであろう上演を引き出したように思われる。そうした方々に交じって演能に立ち会えたことに感謝したいと思う。

最後になってしまったが、この催しは勿論、「定家」一番よりなっていたわけではなく、塩津さんの舞囃子「春日龍神」を劈頭に喜多流の名手の 仕舞三番を含む豪華な番組で、先代宗家の追善に相応しく、喜多流の実力の高さを印象づけるもので、帰路、口々にそのような感想を語り合う 見巧者と思しき方々が何組もいらしたことが、そのレベルの高さを物語っていよう。個人的にはとりわけ友枝昭世さんの仕舞「歌占」はいつもながら 何か異次元のものと感じられた。上述の通り、追善ゆえ番組の最後は「融」の結びで締めくくられたが、その詞が如何にも直截に心に響き、確かにこれは今日の 名人の方々を育てられた先代宗家にとって最高の追善であったに違いないと感じられた。

残念ながら、私には今回の演能がどんなに圧倒的なものであったかを、自分が受け取ったものに見合ったレベルで書き残すことができない。だがそれは、 自分が受け取ったもの以上のもの、自分の受容能力を超えて、もっともっと高い価値のあるものであったに違いないのだ。この文章は演能の価値に 比べれば全く不十分なのである。だから是非、当日見所に居られた方々に、より的確な記録を認められることをお願いせずにいられない。私よりも より的確に演能の価値を理解でき、また、それを書き留めることができる方々が見所には数多く居られたに違いないのだから。この上演を拝見した 者はそれを語り継がなければならない、とさえ私には感じられるのだ。それゆえ、この文章は未定稿のまま留まるだろう。手を加え、あたう限り、少しでも 自分が受け止めたものに近づけていかなければと思っている。(2009.1.10 未定稿のまま公開)

2008年11月24日月曜日

「喜多流職分会2008年11月自主公演能」(喜多六平太記念能楽堂・平成20年11月23日)

能「綾鼓」
シテ・香川靖嗣
ツレ・金子敬一郎
ワキ・宝生閑
アイ・野村扇丞
後見・狩野琇鵬・高林白牛口二
笛・藤田六郎兵衛
小鼓・曽和正博
大鼓・柿原崇志
太鼓・小寺佐七
地謡・出雲康雅・大村定・長島茂・笠井陸・高林呻二・狩野了一・大島輝久・塩津圭介

喜多流の「綾鼓」は、クセやキリの詞章が土岐善麿さんにより書き改められ、実質は新作に近いという話を聞いて いたが、実際に拝見してみた印象も、紛れも無く能でありながら、そこに滲み出る雰囲気はどことなく近代的で、 ニュアンスに富んでいながら輪郭がはっきりしており、心理の上では微妙な陰影や多様な様相を見せ、古作の 能とは異なって陰惨な印象の、救いの無い話でありながら、凄絶でありながら同時に磨きぬかれた美しさが全篇に 漲っているように感じられた。勿論そうした印象は、思わず完璧という言葉を使いたくなるような隙の無い 上演の完成度の高さによるものであったに違いない。会場は静まり返り、見所は金縛りにあったかのような 沈黙の中、固唾を呑んで舞台を拝見することになった。否、その魔術的な作用は終演後も続いた。 今回程に附祝言が開放感を持って響いたことはかつてなかったように感じられる。

作品について特に印象的だったのは、「見えること/見えないこと」「聴こえること/聴こえないこと」の 対立の鮮明さ。幕開け、脇座に女御が座るのが脇正面から拝見している私にとっては相対するかたちに なるのだが、彼女は実は見えない筈なのである。正先に出された作り物の桂の木には綾織りの鼓が かけられ、その音は、庭掃きの老人がこの上もない強さをもって打つにも関わらず聴こえない。老人が 身を投げて後の鬼は通常の知覚にとっては見えない筈の存在なのだが、今度は池のほとりに姿を現した 女御には浪音に鼓の音が聴こえ、鳴らない筈の鼓の響きに包まれながら、鬼は女御を捉えて引き降ろす。 終曲で鬼は音も無く波間に見えなくなり、舞台には伏して泣き崩れる女御が取り残される。 見える筈のないものが見え、そこに見えているものが不可視である。同様に、聴こえないものが聴こえ、 聴こえるものが聴こえない。物語の内側での錯誤が、能の演出上の工夫と渾然一体となって見所を 襲い、見所もまたそうした錯誤に否応無く巻き込まれる。これはまさにリアリズムによらない能ならではの 経験であり、その力に改めて圧倒されてしまった。

鮮烈な印象が残った部分も枚挙に暇がない。前半の頂点は、打っても鳴らない鼓に次第に苛立つ 緊張の高まりの凄み、「たばかられ」の部分でそれが一気に崩れ、伏して嘆く様の痛ましさ。この 部分での藤田六郎兵衛さんの笛の音は、老人の涙そのものであると私には感じられた。笛の音とともに、 面からどっと涙が溢れるように私には見えたのである。香川さんのシテは、装束によって告げられる身分の 低さよりも、思いの強さや一途さが感じられ、決して品位を喪うことがない。そういえば、最初に 拝見したのは「阿漕」であったが、これもまた所謂「卑賤物」であるにも関わらず、陰惨ではあるけれど 決して下品にも野卑にもならない強さが感じられたのを数年経った今なお思い出すことができる。 今回の演能も同じように数年経っても決してその印象の強度が喪われないようなものであったと思う。

後半の鬼も、非人間的な執拗さと仮借なさの中に、それに埋もれてしまうことの無い一途で、ほとんど 純粋といってしまいたくなるような強烈な心の傾きが秘められているように私には感じられた。 それは救済や解決には決して向かうことなく、ひたすら執拗さと仮借なさを補強することにしかならず、 無限に悪循環の中を彷徨わざるを得ない、全く救いのない感情の軌跡なのだ。 最後に橋掛かりから、舞台中央に伏して嘆く女御を振りかえる心に人間的な感情を 読み取るのは恐らく間違っているのだろう。だが、行き場のない強烈な心の動きがかくも完璧に、 しかも紛れも無く美しく立ち現われているのを目の当たりにするのはそれだけで心を揺さぶられる 経験であり、そうした見所自身の心の動揺を鬼の「心」に投影してしまいたくもなる。それほどまでに 香川さんの表現は鮮烈を極め、鬼の姿はどこをとっても美しかった。上述のように今回は脇正面から 拝見したので、例えば女御の打ちかかる様は背後から見ることになるのだが、それは凄惨でありながら 戦慄すべき美しさを備えていて、一瞬ごとに彫刻として定着させるが可能ではないかとさえ感じられたのである。

鬼を呼び出す囃子もまた仮借なく、執拗で、非情な勁さを備えながら、くぐもった陰に籠もるような虚ろさを帯びている。 これが神を呼ぶときにはあんなに透明で凛とした響きを放つ同じ楽器とは思えない。曽和正博さん、柿原崇志さん、 小寺佐七さんという名手揃っての演奏は、鼓の音を主題としたこの作品に相応しい。金子敬一郎さんのツレの女御は、 前半は脇座で全く動かないことによる「不可視」の表現と、後半の狂気の表現の対比が鮮やかで とりわけ「あらおもしろの鼓の声や」の表現は凄まじかった。

不可視の女御を代理して老人を死に追いやり、今度は老人の憤死を告げて女御を狂気に 追いやる不吉で非情な進行役である女御の臣下を演じられた宝生閑さんは、いつものことながら、 最初の出、最初の名乗りで、身分関係や舞台の雰囲気といった諸々を正確に定位する。その後も 舞台は臣下の介入によって句読点が打たれつつ進められていくのだが、その場面転換もまた鮮やかなことこの上ない。 臣下の従者たるアイの野村扇丞さんも舞台の調子の把握が見事。出雲康雅さん地頭の地謡も 多彩で圧倒的な表現力で、特に終幕の謡は聴き手の心を凍りつかせるような凄みがあった。 狩野琇鵬さん、高林白牛口二さんの後見も含め、先代の宗家である喜多実さんが初演した この作品に対する意気込みのようなものが感じられたように思える。このような素晴らしい舞台を 実現された演者の方に御礼を申し上げたい。また チケットを譲っていただき、このような舞台を拝見する機会をくださった方に感謝申し上げたい。

香川さんは1ヵ月後の12月23日にも喜多実さんの追善公演である塩津さんとの共催の 「二人の会」で「定家」を演じられる。性別も身分も変わるが、こちらも救いの無い執心物という点では 共通した部分がある。今から拝見するのが待ち遠しく感じられる。(2008.11.24)