2011年4月17日日曜日

「第5回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成23年4月2日)

能「朝長」
シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生閑
ワキツレ・工藤和哉
ワキツレ・御厨誠吾
アイ・山本則重
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌幸弘
小鼓・曽和正博
大鼓・国川純
太鼓・金春国和
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・狩野了一・友枝雄人・金子敬一郎・佐々木多門

平成23年3月11日の東日本大震災の後、様々なジャンルの様々な公演がある場合には已む無く、ある場合には自粛という主旨で中止される中、 「第5回香川靖嗣の會」の公演は中止することなく上演されることを心の中で願いつつ、私は3月を過していた。少なくとも私の中では能ははっきりと 祭祀的な意味を備えているし、とりわけ香川さんの演能にそれを強く感じてきた私にとって、元雅が深い思いを潜ませたに違いない鎮魂の能「朝長」が他ならぬ 香川さんのシテで上演されることは是非とも実現されて欲しいことであったが、更に言えば、軽微で間接的とはいえ震災の影響から無関係ではありえなかった私自身が 何よりまずそれを拝見することを強く望んでいたのだと思う。

月替わって4月2日、暖かく晴れたこの日も公演中に余震に見舞われる中、幸い「朝長」は最後まで上演され、私はそれに 立ち会うことができた。私には本当に心から能楽堂を訪れ、能を拝見することがしみじみとありがたく感じられたし、その気持ちを終演後に主催者にお伝え せずにいられなかった。この時期に公演を(しかもそれが個人の主宰する会であってみれば尚のこと)実施するについては非常に大きな困難と、それに劣らぬ 心理的な葛藤がおありであったことと拝察する。だがそうした状況下での決断は上演に常ならぬ異様な力を齎したと私には感じられた。 主催者をはじめとした演者の方々に見所も一体となったこの公演は、能の持つ深く強く大きな力を闡明する稀有な出来事となったことを、 主催者、共演者の方々、および公演を支えられた多くの方々に対する敬意とともに、まず劈頭に書き留めておかずにはいられない。

*   *   *

香川靖嗣の会は毎回、開演に先立ってお話があるのだが、今回は番組が「朝長」ということで三宅晶子先生のお話であった。三宅先生ご自身も偶然の符合に 驚かれていたが、「光陰を惜しみ給へや」という題は「朝長」という作品の核心であるとともに、この公演の置かれた状況にあまりに相応しい。乱に敗れて落ちのびようと する途上で傷を負って自害しなくてはならなかった朝長という人物像が、個人の悲劇を超え、運命の前に無念の最期を遂げる人間の思いを集約するアトラクターの ように感じられ、だから朝長の鎮魂のための供養もまた単に一個人に向けてのものとは感じられない。否、正確を期するならば、朝長を供養するのが匿名の旅の 僧ではなく、彼の最期を知る青墓の長者であり、朝長ゆかりの僧であり、そうした彼らを前シテ、ワキとして前場を構想した如何にも元雅らしい着想が、逆説的にその 人物造形の「個別性」を通して、普遍的な、けれども個別性を決して喪わない祈りへと見所を導くのだというべきだろう。観音殲法は朝長という個人を知る 彼らの個々の懺悔の刻であり、そうであることを通して見所一人ひとりの懺悔へと通じているのだという感覚を逃れることは私にはできなかった。

前場はまぎれもなく春の風景の中で展開されるが、その透明な光の感じがかえって心の中に疼く痛みを射通すように感じられる。災厄の後も季節の巡りは超然と していて、変わらぬ光と風とが却って、非可逆なカタストロフィックな出来事が起きたこと、最早かつてのようではなく、同じではないこと、相転移のこちら側に来て しまったのだということを厳然とした事実として思い起こさせる。そうした透明感とどこかに潜む蟠りがもたらす重い空気の共存を描き出すのは名人揃いの囃子方である。 繰り返しになるが、前シテを亡霊とするのではなく、残された生者とし、ワキを縁なき旅の僧ではなく、朝長にゆかりのある僧とするのは隅田川や弱法師の作者でもある 元雅らしい着想で、後シテを呼び出す枠となる供養もまた偶々なされるのではなく、ここではそもそも前場の登場人物たちがそのために集うのだ。 「偶々」があるとすれば本来別々に各人が抱いている思いが出会い、集うことにあるのだろうが、そうしたシンクロニシティを偶然と呼ぶことはできまい。 まさに「光陰を惜しむ」気持ちが一見偶然に見える邂逅を用意するという消息を、元雅の作劇法は見事に示しているように私には感じられた。 そうして出会った想いの深さを語りだすのは地謡で、まるでギリシア悲劇のコロスのようにその「場」の想いを、だがコロスとははっきりと異なってあくまで「個」が 秘める想いをシテに直接語らせるのではなく、地謡に語らせるのは能ならではで、能としては別段の新機軸ではないのだろうが、それが元雅の構想の下で 持つ効果は格別のものがあるように思われた。謡の進行とともにいつしか深い慟哭の調子を帯びるかのような囃子の移ろいもまた見事で、特に小鼓の奥行きに 富んだ深い響きが耳に残る。

後場の観音殲法を準備するのはアイの語りと語りのあとの告知であるが、それを担うアイの語りは格調高く、場の雰囲気を一層高めて後場を用意する。 「殲法」の小書きこそないが、明らかに供養の儀式を思い起こさせずにはいない太鼓の響きに導かれるようにして登場する朝長の霊は颯爽とした若武者 姿で、三宅さんが事前に紹介された十六の面が帯びるまっすぐな勁さに私は心を打たれた。その朝長がまず「光陰を惜しみ給へや」と 語りかけるのはワキとの対話で、その後、朝長の語りは己のことのみならず父の運命にも触れつつ、前シテであった長者にも向けられる。作劇法から長者の 姿は当然舞台にはないが、それは前場で長者が語るときに朝長の姿が不在であるのと対称である。通常のつくりであれば、シテの姿は前後で異なるけれど、 いずれも結果としてはシテとワキとの対話になることを思えば、このことが持つ効果は決して小さなものではない。見所もまた幽明境を異にしつつ再会する 二人を同時に見ることができず、つまり「再会」は舞台の上では決して実現せず、それゆえそれぞれを相手の心の裡に浮かび上がるものとして、 同様に心の裡に思い浮かべるしかないのだから。

地謡が戦乱を語るクセの謡の最中に、冒頭でも述べたように余震に見舞われ、一瞬会場に緊張が走るが、まるで拡がりかかる動揺をねじ伏せるように謡と囃子が 舞台を進めていく。その中でシテが「梓弓、もとの身ながらたまきはる」と魂魄別れての苦しみを謡うのを聴いて身を切られるような想いに囚われる事無く いることは不可能である。見所の意識は最早生きて供養するものの側にあるのではなく、まさに修羅道の苦しみの裡に共にあるかのようだ。 最後に朝長が自分の最期の様を見せるのもあまりにリアルで、それが過去のこととは思えない。故あってこの感想を書き留めるのは拝見してから 2週間も経ってからなのだが、今思い起こしてもその最期の様がフラッシュバックのように鮮明に甦り、それを見たときの自分の情態が再現されて 息苦しくなるほどだ。

2週間前に会場で私が受け止めたものが、客観的に見てどこまでこの上演自体の備えた質に由来するものであるか、冷静に考えれば判断し難い部分が あるのは確かなことだが、こと今回に関しては、それを客観的に分離することにどれだけの意義があるのか、と問い返したい気持ちを抑えることができそうにない。 そもそも演者の高い技量は今更私如きが言っても始まらないことだろうし、私は寧ろ、震災からさほどの時を経ずに、まさに「光陰を惜しむ」ようにして、舞台の演者 全員がこれ一度きりの思いをぶつけあって創りあげられたに違いないこの舞台の持つ、状況と不可分の力の莫大さを書き留めておくことを積極的に選びたいと思う。

震災から約1ヶ月が経ち、この文章を綴る時間がようやく出来たときに、自分が経験したこの舞台と良く似た意味合いを帯びた、私が知っているある別の事実に ふと思い当たった。それは1948年5月、第二次世界大戦後ワルターがはじめてウィーンを訪れて演奏したマーラーの第2交響曲の演奏記録である。 戦争の記憶が生々しい時期のこの一期一会の演奏の持つ例外的な力、それに立ち会った会場の異様な雰囲気は録音記録の音質の制約を越えて尚、 充分に感じ取ることができる。「原光」と題され、「子供の魔法の角笛」に収められた天使と争うヤコブの歌(だがそれを歌うのは女声なのだが)と、クロップシュトックの 有名な賛歌「復活」を核に作曲者自身が自ら書き下ろしたテキストが歌われるこの曲の歌詞が、これほどまでに重みを持って一言一言噛み締めるように歌われ、 それを支えるパッセージが各楽器によって歌われ、聴き手の心に染み渡ってくる演奏は稀であろうと思う。それを私は半世紀以上の時を経て異郷の地で聴いている。 だが、ここで記録する「朝長」はその上演に立ち会うことができたのだ。どんなに拙く、主観的なものであっても自分の経験を記録せずにはおけない、 そうした経験であったことは間違いない。恐らくこの後も折に触れ、そのときの経験を、震災に纏わる様々な記憶ともども反芻することになるだろう。 そのためにもこのようにして、感じたことを感じたまま記録しておく次第である。(2011.4.17初稿)

2011年1月2日日曜日

「第26回二人の会」(喜多六平太記念能楽堂・平成22年12月23日)

能「井筒」段之序
シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生欣哉
アイ・野村万作
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌仙幸
小鼓・大倉源次郎
大鼓・国川純
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・長島茂・狩野了一・友枝雄人・内田成信・金子敬一郎・佐々木多門

身辺の多忙が昂進した挙句、顧みれば2010年に能舞台を訪れたのはわずかに2回、だが、1年の終りにこれだけは見逃すまいと期した一番が 「第26回二人の会」での香川さんの「井筒」。いつにもまして圧倒的な経験であり、その経験を書き留めるべき自分のことばの欠乏を前に呆然としつつ、 再び慌しい年末の日常に立ち戻らざるを得なかったものの、そこで受け止めたものの或る種の「異様さ」が、そこで演じられたものにたとえ遠く及ばずとも 己れの受け止めたものを言語化せずにおくことを許さないかのようで、言葉足らずになることを覚悟しつつ、ここに記録する次第である。 いつもながら補助席も一杯の見所に加え、いつもに増して多いカメラが、この一番を記憶する眼差し、証言をするであろう眼差しの多様とともに この一番の重みを物語る。それらの証言に伍することはもとより意図するところではない。ただ己れの受け止めたものの「異様さ」の導きに任せて 書き留めておきたい。

「井筒」を作者の世阿弥は「直(すぐ)なる能」と自ら評したというのが心のどこかにひっかかっていたのか、あるいはこれまで拝見した能や 仕舞の経験がそうさせたのか、私は「井筒」という作品を、豊饒ではあるけれど決して複雑ではない、奥行きに富んではいるけれど、 ある意味で抽象的な、言ってみれば時間の自己運動の如きものとして捉えていた。勿論ここでの時間というのは人間の意識のそれであるから、 決して人間的な感情と疎遠のものであるわけではないけれど、例えば、そうしたものが蒸留され抽象化された運動として序の舞を捉えていた。 だがこの日に拝見したそれは、そうした先入観を完膚なきまでに打ち砕く強度と、見る者の心の奥底にありながら、それを無意識の裡に抑圧する ことでやり過ごしていられるような不気味なものを引き出すような凄惨な美しさに満ちたものだったように思える。他所では過去の感情を浄化するもので ありえたかも知れない月の光は、ここでは決して澄み切ったノスタルジアを浸すものなどではなく、寧ろ見てはならないもの、だけれども見ずには居られないもの、 一度は抑圧して忘れようとしたものを浮かび上がらせ、再認させる媒体であるかのようだったし、序の舞もまた、懐かしさに充ちた回想へと解(ほど)けて行く 回想の時間性の運動などではなく、寧ろそのたゆとうようにゆっくりとした何時終わるとも知れぬ律動は、この世ならぬ狂おしさを帯びたものと感じられたのである。

囃子方が刻み、提示する時間も滑らかに流れるものではなく、寧ろ各段毎の変化が明確で、まるで場面が転換するごとに一階層降りた 部屋の扉が一つ開かれ、別の空気の流れ、別の光の調子に不連続に移行するかのようだ。それは寧ろ夢の論理に近くて、一見したところ 非連続で飛躍していながら、背後にある無意識の論理によりあたかもそうなるのが自然なことのように転轍が達成される。

前場の女性の表情は一見したところ穏やかで、慎ましやかでいて、心の奥底にある何かに憑りつかれたような虚ろさもまた漂っている感じがする。 実のところ私は、井筒の女の回想が満ち足りたものであるとすれば、なぜそうした満ち足りた回想が何度も反復されねばならないのか、 言い換えれば幽霊となって現れなければならない理由を訝しく思っていたのだが、今回の香川さんの演じる前場の里女の表情を見て、 私が作り上げてきた先入観があっさり覆されるのを感じずにはいられなかった。彼女もまた、道成寺の女と同様、あるいは松風と同様、 「救い」を求めて現れずにはいられないのだ。勿論彼女は感情を顕わにし、その強い情念を身体的な動きに転嫁したりはしない。 だが、あのイグセの部分の静かさの裡に、どんなにか深く激しい感情が篭められていることか。ふと移ろう表情が一瞬見せる、どこか絶望したような 翳りを見てとって、思わずぞっとせずにはいられない。年齢もまた不思議な揺れを示すかのようで、ある瞬間には幼女のような純真さがよぎったかと思えば、 ふとした折に、まるで老女と見紛うばかりの表情が垣間見られたりして、一見「直なる」作品のうちに複雑に畳み込まれた時間の重畳を見るかのようだ。

だから後場の序の舞もまた、ノスタルジアの、過去に向かって下降しながら解(ほど)ける時間などではない。否、そういう側面がない訳ではないだろうが、 到底それだけでは汲み尽せない、行き場のない、逼塞して滞るほかない想いが、もう一度自分の因って来る由縁を確認するために歩みだすかの如く、 底知れない感情が背後に隠れていることに気付かずにはいられない。「段之序」の小書きにより謡われる詞もそうした機序を強調する。 舞は過去に遡及することで自分が喪失したものを回復するための、癒しを、救いを求める心の動きそのものであるかのようだ。

舞い終えて後、井戸を覗き込むあの有名な型の部分もまた、正視するのが憚られるような痛々しさを私は感じずにはいられなかった。 彼女が井戸の水に映る姿に認めたのは、一体何だったのだろうか。舞の後、自分が喪失したものが回復されたことを彼女は再認できた だろうか。彼女の心の傷は恢復しただろうか。過去を遡り、己を虚しくして喪ったものに到達したその瞬間に、時間は逆転する。 井戸から顔を上げたのちの姿は正視に耐えぬ程に傷ましい。逃がし止めのように時間が弾け、彼女が待ち続けた時間の堆積が「老い」となって その表情に現れるかのようだ。いっぺんに老婆のような表情に面が変わる様は圧倒的で、生身の人間が演技して作り出す表情に優る、 仮面劇である能が持つパラドクシカルな凄みを再認した。

些か突飛な連想だが、私は井戸に映る己の姿を覗き込むもう一つの能、「蝉丸」の逆髪のことをふと思い浮かずには いられなかった。勿論、彼女達2人を並行して論じることはできない。井戸を覗き込むときの心持ちも、井戸の水に見出すものも、 逆髪と井筒の女ではほとんど正反対と言っても良いだろう。私には寧ろ、狂女であるはずの逆髪の方に澄み切った自己認識を、 美しく柔和であるはずの井筒の女の方に盲目的で無意識的な、そして決して癒されることのない狂おしくも絶望的な想いを感じずには いられない。彼女の心は恐らく癒されることなく、夜明けとともにひととき消えても再び、時間を折り返し、遡行しようとする舞は、 井戸を覗き込む所作は繰り返されるに違いない。井戸の水鏡の反映が呼び起す反復の裡に彼女は閉じ込められてしまっている。 もう一つだけ対照となる例を挙げれば、彼女は、例えば「定家」のシテのように墳に戻るのではない。香川さんが演じられた 式子内親王は痛々しい痩女でありながら、その序の舞は報恩の舞だし、少なくとも舞っているその瞬間、彼女の心は過去への 執着からは解き放たれていると確かに感じられたのに対し、井筒の女の舞は、それ自体、過去への執着そのものなのだし、 にも関わらず、あるいはそれゆえに一層、圧倒的に美しい。面の表情も柔和で、笑みを湛えていながら、どこかに道成寺の あの絶望的な悲しみを湛えた「蛇」の表情の美しさの影が揺曳する感覚を断ち切ることができない。

「直なる能」と言ったとき世阿弥が言わんとしたことを曲解しようというつもりはないけれど、この演能を拝見して感じたのは、 この能はある意味では、人間が救いを求めざるを得ないような心的な傷を巡っての物語を端的に、月の光と井戸の水鏡という シンプルな舞台装置を用いて率直に劇化したものであるといえるかもしれないということである。だがそこで展開される心の動きの 深さ、激しさ、表層の柔和さや雅やかさの背後にある不気味なものを抉り出したのは、シテの香川さん、そして友枝さん率いる地謡と 囃子方の力量によるものに違いない。繰り返しになるが、ここに記したのは例年にもまして能に接する機会を断たれた人間が一度きり 受け止めた甚だ一面的な印象に過ぎないし、その上、自分の容量と能力の限界に応じて、受け止めた僅かなものすら 十全に言語化できてないことを強調せずにはいられない。更にその上、その演能の凄みは寧ろ言語化される手前の深淵を開示 するものに違いないのである。香川さんの能を拝見していつも感じるのは、そこで展開される出来事が、自分の容量を遥かに超えた 豊かさを持つものであることだが、今回もそれを強く感じずにはいられなかったことを付記して一旦筆を擱くことにする。(2011.1.2,3)

2010年4月4日日曜日

「第4回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成22年4月3日)

能「実盛」
シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生閑
ワキツレ・大日向寛
ワキツレ・御厨誠吾
アイ・野村扇丞
後見・内田安信・友枝雄人
笛・一噌仙幸
小鼓・大倉源次郎
大鼓・柿原崇志
太鼓・観世元伯
地謡・友枝昭世・塩津哲生・長島茂・狩野了一・金子敬一郎・内田成信・大島輝久・井上真也

昨年の同じ時期に第3回の舞台を拝見した折、「桜を愛でる暇も、花曇りの風情を味わう時間もありはしない」といった言葉を書き付けてから1年、 身辺の慌しさは累進することすらあれ、決して緩むことはなく、けれどもそれゆえに一層、それが自分にとってかけがえのないもの、手放してはならないもので あるという気持ちは強まり、数か月分の疲れを引きずりつつも、今度は親しんだ目黒の舞台へと向かう。番組は「実盛」。あろうことか、これが初演とのお話で、 この一番の貴重さと、それを拝見できる幸運に思いを致しつつ開演を待つ。この会の常で最初に馬場あき子さんのお話があるが、齢を考えればまだ本当には 理解できていないと窘められるかも知れないことを承知で、それでも私がこの「実盛」に共感しているその根拠の幾つかに触れる内容で、肺腑を抉られるような 気持ちになる。実際には狂言一番と休憩の後、「実盛」を拝見することになるのだが、本当なら今の季節に相応しい筈の狂言よりも、私の心境は「実盛」の 舞台にこそ相応しく、久しぶりに能楽堂の見所に居ることに現実感をなかなか感じることができず、何か幻でも見ているかのうちに「実盛」の開演となる。

前場は非常に強い宗教性を帯びた舞台。遊行僧による法話の席という前場の場面設定のせいなのだろうが、宝生閑さん演じる僧の荘重な謡によって 定位された場の雰囲気が囃子によって増幅される中、気付くと幕が上がっていて橋掛かりに翁がいる。勿論それと知っている人はその出を待つこともできた だろうが、私は全く不意を討たれた。翁の歩みから、それが生身の人間ではなく幽霊であることがわかるし、舞台に翁が入ってくると すうっと背景が遠のいて、遊行僧と翁だけの空間が形成される。口開けの狂言が告げたように、舞台の上で繰り広げられている対話は、外からは 不可視であるというのが何の不思議もない、当然のことのように思われる。その一方で、なかなか名を名乗りたがらない翁の心情(幽霊に対して適切な 言い方かどうかはわからないが)がまるで我が事のように自然に感じられる。名を名乗らないというのも、この作品においては鬢髭を墨で染めて正体を 隠して最期の戦に挑んだ実盛が「名のれ名のれと責むれども、ついに名のらず」という姿勢と響きあっていて、だから一瞬その逡巡の理由について 混乱してしまいそうになるほどだ。複式夢幻能の常とは異なり、前場と後場の対比はぎりぎりまで弱められる。昼と夜の対比があり、 名乗る前と後の対比はあるけれど、遊行僧と実盛の霊だけの閉じた(他人からは)不可視の空間という場の印象も一貫している。

後場の懺悔の物語を私は涙なくして拝見できなかった。その多くは単純化して言ってしまえば共感と同情の涙であったかと思う。だけれども 拝見した舞台には単なる自己憐憫や感傷といった退嬰を拒み、それを超えていく何かがあったと私には感じられた。それがどこまでシテの立ち姿や 所作の圧倒的な美しさ、そこに込められた強い気迫によるものなのか、実盛を演じる上でのいわゆる解釈によるものなのかを分離することに 意味があるようには思えない。だが舞台に現れた実盛は敗残した老武者であるよりも寧ろ、己の運命を従容しつつもなお、最後まで自己の本懐を 遂げようとする強烈な意志の持ち主として感じられたのだ。そればかりではない、こんな感じ方は論理的には全くナンセンスだけれども、 私には何百年もの時を隔てて、実盛その人の魂に逢ったような生々しさ、実在感を感じ取らずにはいられなかった。

倒叙によりまず最初に首洗いの物語がなされるが、まずはその場面の克明さ、鮮烈さに 息を呑まずには居られない。義仲が気付くところでは、それに思い当たった義仲の心の裡の動揺が伝わってくるかのようだし、呼び出された樋口の 驚きにも胸を衝かれる。首洗いの場面も髪がみるみる白くなり、墨が水にながれる様が見える。こう書けば当たり前のことのようだが、 これらが謡と扇を使った所作だけで眼前に繰り広げられるのであり、後から思えば全く信じがたい。と同時に写実を捨て、颯爽としては いるけれど大将のいで立ちでもなければ髪も白髪の老武者姿で後場の実盛を演じるところに、まさに「見えないもの」を伝えることのできる 能の奥深さを垣間見ることができるような気がする。

クセで「故郷に錦を飾る」決意をし、己が死に場所に選んだ戦に大将のいで立ちで臨む経緯を語るところは堂々としていて、その決意の揺ぎ無さを 感じる。心のどこかで既に安堵しているような、澄み切った心境が伝わってくる。そういう心持ちで討たれた人間が何故成仏できずに怨霊となって いるのか訝しく感じられる程だ。もちろんその理由は最後に明かされる。彼はかつて自分が命を賭して助けた義仲を死ぬ前に一目見たかったに 違いない。その心情の背後には、運命の悪戯で平家に仕える身となって最期を迎えることになるまでの時間の重みがあるのだろう。 実盛の表情がどんどんと澄み切ったものになっていくように感じられたのは、後場の懺悔の物語がそうした生の時間の重みから、今度こそ 解き放たれるプロセスそのものであると思えば納得がいく。思えば不思議なことだが、馬から落ちて最早これまでと観念したときの 「戦にはしつかれたり」という言葉が、今回は悲痛一方には感じられなかった。寧ろそれは自分が選択した「死に方」を全うする瞬間が いよいよ到達したことの認識と、義仲に討たれるという最後の望みが叶わなかったことへの諦観が入り混じったものと感じられたのだ。

恐らく実盛その人が最期に至るまでそうであったに違いないように、老修羅物でありながら老体であることや諦念ばかりを強調するのではなく、 必ずしも自分の思い通りになったわけではなくとも己の最期を納得がいく仕方で全うしようとする矜持、それを一つ一つ実行していく勁さと 澄み切った心境といったものを同時に感じさせる舞台であった。組討の部分の老人とは思えない程の、職業軍人の非情なまでの 手際の鮮やかさ〈まさに「修羅」を垣間見たような思いがして、私は思わずぞっとした〉と、馬から落ちてどうと倒れた後の疲労感、諦観の対比の鋭さ、 更には懺悔の物語を終え、終曲で祈りつつ留め拍子を踏むときの横顔に浮かんでいた、ほとんど「晴れやか」と形容したくなるような微笑を湛えた表情を 忘れることができない。シテの能面の表情の微妙な変化の多様さとその一つ一つから感じ取れる含蓄の深さは特筆すべきもので、彼が生きて きた時間の長さとその行路の険しさを感じさせるような、幾重にも折り重なる心情の複雑な屈折が現れていたものが、最後には本当に安らぎに 充ちた微笑に変わっていくその変容の様は、見所の心に強いカタルシスを惹き起こさせる。こうした舞台の後では拍手は無用なものとしか感じられない。 シテが去り、ワキとワキツレが去り、囃子と地謡が去った何も無い能舞台にも確かに何か「気」が、「気配」が遺されている。それは私の心の中にも 広がっている。

演奏は囃子、地謡とも完璧と形容したくなるほどの密度の濃い、充実したもので、特に後場での地謡は圧倒的だったが、そればかりではなく、 シテの謡に込められた多様な感情に応え、時に寄り添うかのような大鼓の音色の変化の細やかさ、ほとんど澄み切ったものでありながら、 どこかに心の呻きを遺し、寂寥感を押さえることのできない実盛の心境を映し出すような笛の音色が特に印象に残った。

能楽堂を出てしまえば否応無く「世の成り行き」に引き戻されるのは避け難い。けれどもこうした舞台を拝見した後では決して元通りということはない。 もちろん私個人の問題が何か解決したわけでもないし、解決のための手がかりが得られたわけではない。更に言えば自分の心に起きた変化にしてみても、 意識に捉えうるレベルでのそれに限ってしまえば、それが育って大きな転換をもたらすような何かに至るものではないかも知れない。 そもそも最初にも述べたように、本当の意味では未だ私には実盛の心境などわかりはしないのかも知れないのだ。だがそうであったとしてもそれは、 今日拝見した舞台から受け取ったものが未だ自分には汲み尽せない程の豊かさを備えたものであるということに違いない。馬場さんは劈頭の解説で、 ご自身にとってこの「実盛」という能が突きつける物の重みを率直に語られていたけれど、私はまだその重みを充分に受け止める程に熟していないのだろう。 だが、舞台を拝見して受け取ったものは、賢しらな反省的な自己意識が己の限界と思い為した範囲を超えて、私の奥底に沁みわたり、何時の日か、 思いも拠らぬ時に何かを惹き起こす伏流となるような気はしている。それほどまでの力に充ちた演能であった。

あるいはまた、老武者の若振舞いが、見方によっては滑稽ですらある可能性に馬場さんは言及されていたけれど、だからといってそれは実盛の選択に対する否定であったり、 拒絶であるわけではないだろう。冷静な人からすれば実盛の行為は愚かしくさえあるのかも知れないけれど、少なくとも今の私にとって、そうした愚かしさは「世の成り行き」の中で 己を全うするのには必要なものに思えてならないのである。少なくとも私はそうした愚かさなしにやっていくことは出来そうにない。

実盛の最期は客観的には無慚なものに違いないのかも知れない。だがその無慚さは実盛その人が死して後、手塚を、樋口を、義仲を絶句させ、 涙を流させた。死して後ではあるけれど義仲との再会は確かに成就したと言ってはならないのだろうか。そればかりではない。そうした実盛の生き様は 200年を隔てて世阿弥に最高傑作の能を書かせ、更に数百年の後、このような名演によって語り継がれている。彼は見事に「錦を飾った」のだ。 そしてそうした事実そのものが今の私にとっては「世の成り行き」の中で生きるためのかけがえのない糧のように感じられるのである。(2010.4.4初稿)

2009年12月26日土曜日

「第24回二人の会」(宝生能楽堂・平成21年12月23日)

能「道成寺」
シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生閑
ワキツレ・宝生欣哉
ワキツレ・御厨誠吾
アイ・山本東次郎
アイ・山本則重
後見・友枝昭世・中村邦生・高林白牛口二
鐘後見・塩津哲生・狩野了一・佐々木多門・塩津圭介・佐藤寛泰
笛・一噌幸弘
小鼓・飯田清一
大鼓・柿原崇志
太鼓・観世元伯
地謡・粟谷能夫・出雲康雅・粟谷明生・長嶋茂・友枝雄人・内田成信・金子敬一郎・粟谷充雄

「道成寺」の実演を拝見するのは初めてだが、これまで録音・録画などで観た限り、能としてはかなり特殊な作品といった印象を持っていた。若い能楽師の修行のプロセスで 「道成寺」の披きが重視されることもあり、有名な作品ではあるけれども、もともとが観世信光作の「鐘巻」の改作と言われているこの作品は、どちらかといえば技巧重視で、 見せ場は多いけれど心の中に消し難く印象が残るような強度を備えているようには思えなかった。拝見しての感想を一言で言えば、かなり特殊な作品という印象は変わらないが、 表面的で深みに欠けた作品であるという認識はどこかに吹き飛んでしまった。そればかりかこれまでに拝見した能の中でも屈指の、強烈な印象を残す、貴重な経験となった。

勿論それには、この番組を演じた方々の一人ひとりの高度な力量に加え、この番組にかける一種異様に感じられる程の凄みさえ感じさせる集中が決定的な寄与をしていたことに 疑問の余地はない。「道成寺」といえばまずは前場のクセを省かれたその空白に嵌め込まれたかのような乱拍子が有名で、シテと小鼓がクローズアップされることが多く、 勿論この上演でもそのやりとりは見事なものであったが、個人的には乱拍子に至るまでの緊張感の圧倒的な高まり、そして乱拍子の後の急の舞から鐘入りまでのドライブの凄まじさが 一層印象に残ったように感じている。乱拍子はもともと別系統の芸能から取り込まれたもののようで、通常の能の様式の持つ運動とは異なった感触が強いが、この点でもまた、 異様なのは乱拍子だけではなく、鐘入りをはじめとする垂直方向の動きの多さに加え、作品の構造自体の異様さ、更には構成原理が、いわば「崩壊の論理」とでも言うべきものに 拠っている点の方が強く印象に残った。とにかく最初から最後まで、凄まじいまでの緊張感に貫かれた圧倒的な上演で、その凄みを言葉で伝えることなどよく為し能うところではないが、 それでも順次、印象に残った点を書き留めて置きたい。

「道成寺」はワキの僧の詞から始まる。宝生閑さんの謡は最初から高い緊張感を湛えていて、曲の調子をはっきりと定めてしまう。アイの能力を演じる山本東次郎さんとのやりとりも 通常ならアイの語りに相当する縁起を述べる部分も圧倒的で、とりわけ縁起の部分はまるで眼前に光景が甦るような生々しさ。後場の蛇身との対決の力感、末尾の留め拍子の 晴れやかさも鮮やかで、この破格の作品の枠組みを揺ぎ無く支えていたように感じられた。

「道成寺」でも特にシテ方が下掛りの場合には、アイの役割の重要性が非常に高まり、アイが鐘を運び入れて釣る行為が作品中の演技として組み込まれる。こうした役柄では 山本家の技術の確かさと格調の高さは上演全体の緊張感と格に決定的に寄与しているように感じられた。鐘を釣るのは能力姿の山本則重さんだが、ミスの許されない重責を見事に 果たされ、一回で鐘を釣ることができたのは圧倒的で、その手際に応えるかのようにその後の演能の緊張が一気に高まったように感じられた。鐘を釣る一対の竹竿は山本則俊さん、 則秀さんが裃姿で運びこんで準備するのだが、そうした道具の扱いの隅々にまで気持ちが行き届き、様式的にも美しい所作で準備がされるのも圧巻であった。アイはこの能では まさに「狂言回し」という言葉に相応しく、ワキの僧が命じる禁を破って白拍子を招じ入れ、カタストロフを引き起こす原因を作るのだが、その能力を演じたのは山本東次郎さん。 宝生閑さんとのやりとりも素晴らしいが、なによりも鐘入りの後の間狂言での則重さんとのやりとりが素晴らしく、ほろ苦い滑稽感により客席から笑いを引き出しつつも、 自らの引き起こしたスキャンダルの成り行きに怯える心理を見事に表現していた。ワキとアイの演じる道成寺の僧と能力は今日風に言えば不祥事を起こした企業でその善後策に 奔走するような側面があると思うのだが、そうした危機感、緊張感が作品に厚みを持たせていたように私には感じられた。アイに関してはもう一言、ワキが留めて 曲が終わった後、この能では上がった鐘を再び降ろし、鐘を釣った綱を外し、鐘に巻いて仕舞う作業があるのだが、この役割は山本則俊さんを中心とした山本家の方々が担うことになる。 そしてこの際の所作がまた見事でかつ正確で、この素晴らしい演能に相応しいものであったことを追記しておきたい。作品としての能は既に終わっていたとしても、行為としての 能の上演はまだ終わっていない。それは恐らく演者が舞台を去って誰もいなくなったときに終わるのだろうが、この後者の意味合いにおいてもこの演能は実に印象深く感動的で、 思わず能がただの演劇ではなく、宗教的な奉納の要素を持つことに思いを致さざるを得ないような厳粛さに充ちていたと思う。一見能としては破格に見える「道成寺」が、ある意味では 最も能らしく深い宗教的な感覚を備えたものであることを強く感じた。

破格といえばこの能のシテの登場もまた風変わりで、名乗りの後、上げ歌で道行を謡ってツキゼリフとなるのだが、まず印象的だったのは道成寺に向かう白拍子の表情で、 劈頭に「結縁を望む」と語るとおり、登場から既にそれはまるで清姫の霊が救いを求めて現れたかのようで、一般に道成寺物でイメージされるような官能性とは程遠いものと 私には感じられた。従ってアイに鐘供養拝見を乞うやりとりも、アイが白拍子の容色に惑わされたというような一般的な説明を受け付けるようなものではなく、寧ろアイはシテの 異様な切迫感、救いを求める心の必死さに負けたのではないかとさえ感じられた。

そうした宗教的な救済を求める感情の横溢は今回の演能の主要なトーンを規定していたように思われる。一噌幸弘さんの笛も、どちらかといえば不気味で緊迫した 演奏でそうしたシテの心象を表出していたように思えたし、柿原崇志さんと飯田清一さんの大小、観世元伯さんの太鼓も、異様な程の緊迫感でシテの心の裡の激しい衝迫を告げていた。 とりわけ凄まじかったのは、乱拍子の前、大鼓がシテに挑むように打つ部分で、直後の乱拍子が脈絡なく嵌め込まれるのでなく、シテの気持ちの高まりと一致したかの ような印象を産み出していたように感じられた。全体を通して柿原さんの演奏は、いつも以上に気迫が籠っていて、作品の演奏に大きな音楽的な流れを作り出していたと思うし、 囃子方の演奏は、あたかも全体で別の一つの楽器であるかのような理想的なものであったと思われる。複数の楽器の合奏が別の一つ楽器となるというのは、 ヘルムート・ラッヘンマンが全く異なる現代の西欧現代音楽の文脈である種の目標として語っていることだが、それが能楽においてはこのように比喩ではなくごく当たり前の こととして実現しているのは圧巻である。

この作品は改作の過程で前場のクセが省略されることにより、地謡の役割は相対的に限定されているかのような印象があるが、粟谷能夫さん地頭の地謡の表現は、 冒頭から圧倒的な表現力を持っていて、囃子と相俟って作品の音楽的な流れを見事に制御していたように感じられた。

このようにワキ、アイ、囃子、地謡が素晴らしい緊張感を絶やすことなく、有機的に噛み合って作品を形作る理想的な条件の下での香川さんのシテは表現する言葉を 喪う程に圧倒的で、特に乱拍子の後の急の舞から鐘入りまでの一連の流れは、今思い出しても動悸が早まり、胸が苦しくなるような激しさを備えていて、烏帽子を 飛ばして鐘に挑みかかる部分あたりから、目頭が熱くなるのを堪えることができなくなってしまった。それが一般に言われるところの恋の執心であるかどうかは、少なくとも 私にとっては副次的なものに感じられる。彼女はかつて自らが破壊した鐘が再興された供養の折にこの寺に訪れることによって、救われることを求めてきたのだ。 だけれども、結果は彼女の望みどおりにはならず、またしても彼女はかつて自分が辿った破滅の途を再び辿ることになってしまう。烏帽子を飛ばして鐘に向かった彼女の 心境は、寧ろ端的な絶望、やはりこうなってしまうのかという諦念とどこにも行き場のない怒りがないまぜになった深くて激しい感情ではなかっただろうか。

そうした感情の奔流は、鐘が再び上がったときに蛇身に戻って(私はあえて「戻って」という言い方をしたいと思う)姿を現した時の、あの例えようのない眼の表情に 直面した時に再び私を襲うことになる。私は偶々ワキ柱の近くの席で拝見していたこともあって、ワキ越しにまともに正面からシテと相対することになってしまったのだ。 勿論それは人間の演者が面をつけて演技をしているのであって、所詮は仮象に過ぎない等と冷静に言ってみたところで、実際に拝見した時に自分が目の当たりに したものの衝撃の大きさの前では意味を持たない。確かに私はあの眼から気がこちらに向かってくるのを感じたのだし、蛇身である彼女の耐え難く、行き場の無い 深くて強い悲しみの感情の波をまともに被ってしまったのである。それは私が勝手に想像していた「道成寺」のイメージとは全く懸け離れたものであったが故に、 全くの不意打ちであった私もまた、その感情の波に呑まれてしまい、その後を涙無しで見ることができなかった。

「道成寺」は、能としては異例な垂直方向の運動が非常に目立つ作品であるけれど、今回の演能を拝見して感じたのは、そうした動きが作品の構造の中で 心理的な区切りの機能をしているということであった。例えば乱拍子にしても、実際に拝見して印象的だったのは、小鼓の間合いを計る部分よりもその後に 打たれる段毎の句読点の持つ心理的な効果の方だったし、これは他の作品でも普通におこなわる足拍子が、この作品の脈絡ではいつもとは少し違って、 あたかもその後に来る「崩壊」のプロセスを呼び寄せる機能を果たしているような感じを受けたのである。この能では、高まった緊張は頂点に達した後、 まるで相転移現象を起こしたかのように突如として崩壊し、そのことによって次のフェーズへの移行が行われるのである。最も大きな崩壊は、勿論鐘入りの 鐘の落下と同時の飛び込みであるし、次は僧に祈り伏せられて橋掛かりで飛び上がって安座する部分だろう。最後の崩壊は、 日高川に飛び込むべく、揚幕に向かって飛び込む部分である。

こうした展開の仕方をする能は思いつく限りでは他に類例が見当たらず、それゆえやはりこの「道成寺」という作品は能としては特殊なのではないかという 印象となるのだが、牽強付会の謗りを覚悟にあえて類比したものを求めるのであれば、私はマーラーの交響曲の一部が備えている「崩壊の論理」と 呼ばれている構造原理が最も近いのではないかという気がする。勿論この点についてきちんとした論証をするのは現在の自分の手には能力的にも 時間的にも到底負えない課題だが、今回の演能から受けた印象に最も近いものを探すとすれば、私の場合、マーラーの第6交響曲のフィナーレ(第4楽章)が まず思い浮かぶのである。マーラーはこの作品で伝統的な形式を限界まで拡張し、そこにハンマーのような異質な楽器、非音楽的な音響を 持ち込み、しかもその音響を作品の構造上の決定的な地点での相転移のきっかけとして用いることで、通常想定しているのとは全く逆のやり方で 作品をいわば否定的に構成してみせた。それと似たような構造上の感触を「道成寺」に私は強く感じるのである。

だがそれよりも何よりも決定的なのは、烏帽子を飛ばして鐘入りする時の白拍子の絶望の表情であり、鐘が上がったときに観た、あの例えようもなく 深い悲しみの表情である。恐らくはそれを私は決して忘れることができないだろう。きっと誰もが心のどこかに潜ませていて、だから決して未知ではなく、 けれども常には安全に閉じ込めておける感情、けれどもそれゆえに祈りが、救済が必要とされる動因となるような心の動きが、この「道成寺」という 作品には際立って純粋な、生でむき出しな形で息づいている。「道成寺」が能の中で特別視されるのは決して故ないことではないのだろう。通常の能と 異なって救済の失敗を内在する論理によって組み替えられたこの作品には、にも関わらず(あるいはそれ故に)、 能の持つ超越的なものへの感覚、宗教的なものへの結びつきのいわば「根」にあたるものがもっとも純粋な形で息づいているのだ。今回の演能はそうした根源的なものを 余す事無く開示したという点で、比類のない圧倒的なものだったのだと思う。こうした演能に接することができた幸運に感謝するとともに、香川さんを はじめとする演者の方々に御礼を申し上げることでこの感想の結びとしたい。(2009.12.26初稿, 12.31加筆,2010.2.15読者のご指摘を受け、鐘入りの 部分の所作を「飛び上がっての安座」ではなく、「飛び込み」に訂正。ご指摘に感謝します。)

2009年10月30日金曜日

「喜多流職分会2009年10月自主公演能」(喜多六平太記念能楽堂・平成21年10月25日)

能「三井寺」
シテ・香川靖嗣
子方・金子龍晟
ワキ・宝生閑
ワキツレ・梅村昌功
ワキツレ・御厨誠吾
アイ・三宅右矩
アイ・三宅近成
後見・長田驍・狩野琇鵬
笛・松田弘之
小鼓・森澤勇司
大鼓・柿原崇志
地謡・塩津哲生・大島政允・大村定・谷大作・佐藤章雄・狩野了一・粟谷浩之・大島輝久

前の週に非常に大きな緊張を伴う催しを済ませ、些か気が抜けた感じのある週末、前日は反動でどっと出た疲れで潰れ、 図らずも観能当日、出かける間際まで仕事をこなすことになってしまい、開演時間を過ぎて番組最初の曲が終わる頃、 ようやく目黒の舞台に着く。休憩時間に席を探すが、大変な賑わいで、何と2階席まで最前列が指定席になっているという 状況であることを知り、結局1階後方の桟敷で拝見することにする。 目黒の舞台の桟敷はこれまでも何度か経験があるが、正座が苦にならなければ非常に良い条件で拝見できる。 幸いこの日に拝見したのは「三井寺」で目付け柱に接するように鐘楼の作り物が出るので、シテと正対する場面も 少なくなく、じっくりと拝見できてよかった。

三井寺は謡の能という印象が私にはある。世阿弥作のような求心的な感じはなく、寧ろ遠心的に散乱するような趣は あるものの、あの近江の景色を詠み込んだ道行や鐘の段など、詞が産み出すイメージの世界の印象は鮮烈だ。 だが、今回拝見した能の印象は、そうした先入観とは些か趣が異なるものであった。感覚としては、前々回、常ならぬ コンディションで拝見した「砧」のときと似た分裂感に近い印象を抱いたように思う。当日ただちに感想を書こうかと思ったのだが、 1週間の隔たりをおいて今筆を執っているのも、そうした感覚が一時的なものなのか、それとももう少ししっかりと根を下ろした ものなのかを確認したかったという理由がなくはない。そしてどうやら、その点に関して、印象にぶれはないようだ。

三井寺はいわゆる子別れものの現在能で、現在能でしばしばあるように構成が複雑で、場面転換が多く、アイが重要な 役割を果たし、場面毎のシチュエーションは非常に具体的だ。これまた子別れ物の多くがそうであるように、空間の移動が 場面を転換させる契機となるのだが、ここでそれを引き起こすきっかけとなるのはシテが清水の門前の宿で見た霊夢である。 夏に御仕舞で拝見した「柏崎」のシテがそうであるように、ここでも自分の意志では制御できない力に導かれるようにしてシテは旅立つ。 この冒頭のシーンは圧倒的で、松田さんの笛、柿原さん、森澤さんの大小の囃子も雰囲気に満ちていて、何よりも 香川さんのシテの雰囲気と見事に調和しているように思われ、素晴らしかったと思う。霊夢を蒙った後のシテの表情は、一見して 夢から醒めずにぼうっとしているようでいて、観る者をたじろがせるような、何かに憑かれたような凄みがあって強く印象に 残っている。

ところが、場面が転換して謡が徐々に主導権を持ち始めると、些か様相が異なってくる。「砧」のときも似たような印象を 持ったのだが、謡が産み出す世界と、それ以外の場の雰囲気が溶け合わずに、並存するような感じがしたのだ。 謡そのものは、緩急もあり、調子の変化にも富んでいて、丁寧に詞を辿ろうとしているようなのだが、何というか、 地謡が一つの楽器となるような印象が薄く、私の勘違いかも知れないが、ところどころ地頭の意図が全体に 徹底していないような感じを覚える瞬間もあったと記憶している。技術的なことはわからないし、当否について判断する力は 私にはないが、とにかく、囃子とシテが産み出す明確な色調と、肌合いも違えば色合いも異なる地謡の感触が、 溶け合うことなく共存しているように感じられたのは確かで、もともと遠心的で子別れ物としてみた場合には心理的な 必然性のようなものが必ずしも作品自体の裡に充分に仕組まれているわけではなさそうなこの能に演奏が一貫したドライブを与えて、 一つの解釈を結晶させ、観ている者にカタルシスを与える方向には向かっていなかったように感じられた。 もしそれが意図されたことであるならば成功していたということになるのだろうが、最後の場面も今ひとつ乗り切れずに、 私としては最後まですっきりとしないまま能楽堂を後にすることになった。個人的に子方が出る能というのがどちらかといえば 苦手なこともこうした反応の形成に与っているかも知れない(勿論これは演奏の出来不出来の問題とは全く関係ない)が、 ともあれ、舞台の上に横溢する感情の流れに身を浸すというところまでは行かなかった。

こう書いてしまえば如何にもネガティブにとられてしまうかも知れないので、急いで付け加えておけば、実は、1週間後の今なお くっきりと印象に残った場面は決して少なくない。冒頭、霊夢を蒙って目覚めた場面については既に書いたので繰り返さないが、 笛に導かれて笹を持って橋掛かりに出たシテの姿は鮮烈で、今でもまざまざと思い浮かべることができるほどだし、 鐘を突く場面も見事、面の表情も豊かで血が通っているかのようで、その変化には心打たれる瞬間も度々で、視覚的には 印象的な瞬間というのが非常に多い舞台だったと思う。(2009.10.30)

2009年9月6日日曜日

「第87回川崎市定期能」(川崎能楽堂・平成21年9月5日)

能「夕顔」
シテ・香川靖嗣
ワキ・工藤和哉
ワキツレ・殿田謙吉
アイ・野村扇丞
後見・友枝昭世・井上真也
笛・槻宅聡
小鼓・森澤勇司
大鼓・柿原弘和
地謡・中村邦生・粟谷明生・長島茂・友枝雄人・内田成信・金子敬一郎


前回の「砧」に引き続いて、今度は川崎能楽堂での「夕顔」を拝見。ただし今度は(別にゆとりができた訳ではないが)きちんとした スケジュールに則っての観能で、心のどこかには澱のようなものが残っていはしても、前回と異なって気持ちよく見所に着くことができた。
「夕顔」は「源氏物語」に取材した能であり、謡のそこかしこに「源氏物語」のことばが織り込まれていはするものの、怪異譚的な側面を 切り捨てて、夕顔の法華経による成仏のよろこびの舞を中心に据えた、人によってはクリシェであると感じるかも知れない程に複式夢幻能の 型式に素直に収まった、すっきりとした構成を備えている。同じ題材に取材した「半蔀」に比べても一層、宗教性や透明感が勝っていて、 普通の意味での心理的な解釈を受け付けない。五条のなにがしの院とは融の大臣がかつて住まった処であるという読み込みがあるらしいが、 そういえばこの能はどこか「融」に通じる部分があるかも知れない。 (これは能が終わってから気付いたことなのだが、そうして思い起こしてみると、玉蔓にゆかりある豊後から来たという設定になっているワキの僧の工藤さんは、 以前拝見した香川さんの「融」でもやはりワキを演じられていたことに思い当たった。偶然かどうかは詳らかにしないが、「融」の時と同様、今回もまた ぴったりと役柄に填まっていたと感じられた。) 夕顔は寧ろここでは植物の精のようで、曲の雰囲気はその宗教性ともども、 精霊をシテとする蔓物に近づくかのようだ。囃方も謡もそうした曲の趣に相応しく、前半はどこか鄙びた雰囲気のある、そして後半は透明で決して 淀まない響きで非常にコヒーレンスの高い演奏だったと思う。その中で後場のシテの到着を告げる一声の笛だけは見所の隅々まで空気を圧するような 強さを湛えていたのが印象的だった。
前場、幕の向こうから声がするのをワキ僧が驚いているとシテが現れる。シテは常座で全く姿勢を変える事無く、その場所の謂われを謡う。 ワキとの問答の後、正中で着座してからは不動の姿勢の中で、謡の内容に照応するように、微かに面を照らしたり、曇らせたりすることによる 表情の変化が印象的で些かも弛緩するところがない。香川さんのシテでの前場の素晴らしさはいつものことながら、この曲のような奇を衒ったところのない作品では 一層その充実が際立つかのようで、簡潔な型で魔法のように詞通りに本当に気配を消してしまう前場の最後の部分には何時ものことながら 驚いてしまう。
しかしこの能の白眉は何といっても後場の序の舞にある。舞は僧に対する感謝の合掌で始まる。つまりこれは成仏のプロセスではなく、それが 既に成し遂げられたことに対するよろこびと感謝の舞なのだ。舞は信じがたいほどの透明感と純度の高さで、序の舞だから時間の流れはゆっくりと したものだが、その歩みは決して重たくない。寧ろためらいなく、淀みなく、だが急く事無く、溢れ出る泉の流れのように自然である。 足拍子は空間のどこかから響いてくるようだし、運びはほとんど重さというのを感じさせない。しかし何より印象的なのは、舞手の表情の穏やかな 笑みで、だから謡の詞に「夕顔の笑みの眉」とあるのを聴いて、あらためて心打たれるのである。そう、それは仏の笑みなのだ。
キリの夜明けは圧倒的である。舞台を風が吹き通り、光が満ち溢れ、その光の中にシテは溶け込んでいく。橋掛りの途中でシテは留めるが、 拍子を踏むことはない。囃子が動きを止めてからも見所も全く動かず、ワキの僧とともにシテが去ってゆくのを見送る。場内の空気の調子が 変わってしまい、すっかりと澄み切って清められたかのような印象を誰もが抱いたのではないか。見所もまたその余韻に浸り続けて動かない。 これは能ならではの本当に素晴らしい経験なのだと思う。拝見する前に心に蟠っていたものが溶けてなくなり、自分もまた新しい身体を得たかの ような気分で見所を後にすることができた。
恐らく能を観たことのない人、もっと言えば能を観たことがあっても、このような素晴らしい舞台に接した経験がない人には、私の書いた印象が (筆力不足はあって不十分ではあっても)本当に観た人間の心身に起きたことであることがわからないかも知れない。あるいはまた、冷静に そうした印象はそれ自体かりそめのもの、もっといえば仮象に過ぎない、まやかしに過ぎないとして嘲笑する人がいるかも知れない。一方で私の 様な観方は、能の持つ芸術的な、独自の美的価値をないがしろにしているという批判も考えられよう。だが私はそのいずれに対しても 反論したいとは思わない。百歩譲ってそうした人の言い分を認めてなお、私にはこのような舞台を拝見できることの意義は明らかだし、 私はこうした経験無しに「世の成り行き」をやり過ごせそうには思えないし、生憎私は、たとえそれが間違っていたとしても、そうした「世の成り行き」の 中で自分の居場所を主張するだけの生き方はできない。決して理解してもらえることはないだろうが、ともあれ私には「別の場所」が必要だし、 別の価値観の中でないと生きていけないのだ。そしてそうした私にとって香川さんの演能を拝見することは他では得難い、 かけがえのない心の糧なのだということをこの演能を拝見することで改めて確認した次第である。(2009.9.6)

「国立能楽堂2009年9月定例公演」(国立能楽堂・平成21年9月2日)

能「砧」
シテ・香川靖嗣
ツレ・狩野了一
ワキ・宝生閑
ワキツレ・大日方寛
アイ・野村万蔵
後見・内田安信・中村邦生
笛・一噌仙幸
小鼓・横山晴明
大鼓・柿原崇志
太鼓・助川治
地謡・塩津哲生・大村定・長島茂・友枝雄人・内田成信・佐々木多門・大島輝久・井上真也

この演能の感想を書くことは非常に難しい。というのもこのとき私は普通のコンディションでなかったからである。私事を細々書いても仕方ないので仔細は省略するが、 前夜にちょっとしたトラブルに巻き込まれた私は普段の心理状態ではなかったし、体力的にも2時間にもわたる大曲に対峙して集中し続けることは困難な状況にあったのだ。 しかしそうした個人的な事情を抜きにしても、この演能には異様な点が幾つもあったように感じる。実は「砧」を拝見するのはこれが初めてではない。そして前回拝見した別の シテによる演能は非常にストレートで分かりやすい心理劇であったという印象がある。もっともそれは「観やすい」作品であるということではなく、この能の持つちょっと形容しがたい 冷たさや、悪循環ともいうべき麻痺したかのような時間性に、ある種のしんどさを覚えたのも記憶している。だが、今回拝見して感じた異様さは、それとは違った種類のものであった。

それゆえ以下に記す印象のどこまでがそうした個人的な体調や心理状態に起因するもので、どこからが演能や作品自体の力によるものか、正直なところ判断することに 非常な困難を感じている。だが演能に入り込めなかったというのではなく、その中にまるで漂うようにして身を浸しつつ、それでいながらこうした異様な感じを覚えた経験はこれまでになかった。 今の私には自分の経験を分析する手段も時間的な余裕もないけれど、とにかく感じたことをできるたけそのまま書いておこうと思う。観能のような心の奥底にまで働きかける力のある 経験は、それゆえに直ちに解決することを拒みはしても、その印象は永続的だ。もしかしたらある折にふと「わかる」瞬間が来るかもしれないし、最後まで謎のまま自分の裡に蟠り 続けるかも知れないが、いずれにせよ今の私にできることは、その印象を書きとめておくことしかなさそうである。

些か突飛だが、私がこの演能を拝見して思い浮かべたのは、シェーンベルクの芸術作品についての言葉だった。モノドラマ「期待」のような音楽を書いた彼は、しかし本当の芸術というのは 情緒的に訴えるところのない、精神的な冷気を感じさせるようなものであるといったようなことを言っていて、それは別のところで述べているマーラーの第9交響曲に対するコメント、すなわち 非人称的で動物的なぬくもりを断念した、精神的な冷気に快感を覚えるような人の音楽という評価と通じていたように思う。一方世阿弥は晩年に自作の「砧」について、後世の人には 良さがわからないだろうという言葉とともに、この能について「冷えた」という形容を用いていたのではなかったか。勿論、シェーンベルクの言葉を世阿弥自身の言った「冷えた」という形容と無媒介に 単純に結びつけるのは牽強付会の謗りを免れないだろう。だが、その距離を測る作業は今のところ時間の制約もあって不可能だし、 何より一見したところ精神分析の題材にでもなりそうな心理劇でありながら、そして謡も囃子も、演者の所作もそうした心理に徹底的に寄り添っていながら、単純な感情移入を 拒むような冷たさを目の当たりにして、そうした連想が働いたという事実はそれとして書き留めておくことにしたい。

それに関連して感じたのは、屈指の名文とされる世阿弥の謡の詞章の、何というべきか、ある種の自律性のようなものだった。謡と囃子と所作や舞といった要素が組み合わさって 能は成立するが、常とは異なって、ここではまるで謡が自律した世界と独自のロジックを持っていて、それが舞台の上での出来事や囃子の音楽と併置されたまま、溶け合わずに 並進するかのような印象を覚えたのである。実を言えばとりわけ世阿弥の能の幾つかの作品において、謡が独自の世界を作り上げる印象を受けたことは一再ならずあった。だがその場合でも それは囃子とともに舞台に働きかけて風景を一変させて、作品が示す世界を豊穣なものにする働きをしていたのに対し、この「砧」では、それとは異なって、囃子と舞台と謡がそれぞれ 固有の論理をもって溶け合わずに衝突するような感じを抱いたのだ。些か異様な感じさえ覚えたくらい重い位取りで始まり、楽音というよりは寧ろ楽器によるミュージック・コンクレートを 聴くような、しばしば無機的なノイズや物音に近づくかのような、音楽的というよりは寧ろ音響的な囃子の感触、これまた複雑なニュアンスを備え、時折人声ではない別の何かの 音にさえ聞こえる謡、前場ではシテとツレとが、後場ではシテとワキとが、対峙しながら全く別の空間にいるかのように孤立して、相手に対して訴えてもその声は本当の意味で相手の 元に届かないかのような閉塞感、そうしたものが相俟って、心の奥底に潜む調停不可能な対立感情、解消不可能でアクセスを遮断して抑圧するしかないようなしこりを目の当たりに するような感覚を覚えたのである。

それでも後場になり、シテに焦点が集中するようになると、シテのおかれた状況の苛酷さが見所に突き刺さるように感じられるようになる。だがそれもまた彼女の心情に同化できるというのではなく、 その葛藤の大きさや苦しみの質自体とその強度が見所を圧倒してしまうのだ。共感というのとは異なって、寧ろ、見所の一人一人が抱えている筈の傷(その理由様々であってよく、心的な 機構の上で同型の機能をすればよい)を探知して暴き出すかのような感覚すら覚えた。(レムの「ソラリス」をご存知の方は、その中で「海」がやったことを思い浮かべていただければと 思う。海は同情とか共感とかではなく、全く「理解」することなく、人間の心の裡のトラウマを実体化することによってしか人間とコミュニケーションする手段を持たない。ついでに言えば、「ソラリス」での 「海」は脱神秘化された絶対的他者、異物として「神の胎児」であるが、翻ってみると「砧」という作品は、能の由来やら他の多くの能のありようを思えば些か異様とさえ映る程に宗教性を欠いていて いることに思いあたる。そしてこのこともまた、「砧」という作品の持つ苛酷さ、救いの無さを強めるのに与っているに違いない。これは単なる臆測に過ぎないが、私はそこに世阿弥が晩年に抱いていて しかも心の裡に抱えておかざるを得なかった深い怨嗟の感情、あてどのない呪詛の念のようなものが映りこんでいるような気さえする。彼が後世の人にはわかるまいと言ったのは、この能に彼が 注ぎ込んだ思いの大きさを念頭においてのことではなかったか。あるいはまた突飛な連想であることを承知で言えば、晩年のショスタコーヴィチの幾つかの作品に垣間見ることができる謎めいた、 やはりこれも冷え冷えとした風景の中にも、どこかで通じるものがあるように思えてならない。あるいはまた失意の中で「砧」と同一の題材の漢詩の翻案を歌詞とした交響曲を作曲し、 世を去る間際に「私を求めるものは私が誰であるかを知っているし、そうでない人には知る必要はない」と言ったマーラーはどうだろうか。)

上記のような印象が自分の心理的・身体的なコンディションによるものかも知れないことは既に述べたが、それとは別に、こうした印象が、実は演奏上の齟齬、例えば謡と演者との 解釈の方向性のずれによって生じたものかも知れないという可能性もまた否定できないだろう。だが、技術的なことは私にはわからないし、そんなに幾つもの演能を観ているわけではない 私にはそうした側面の成否を判断する力はない。しかし統一的な演出というのをもともと想定しない能の場合、そうした謡、囃子と演者の、あるいは演者間のぶつかり合いは寧ろ起きて当然で、 しかもそれが必ずしもマイナスに働かないどころか、場合によっては非常に素晴らしい結果をもたらすこともありうることを思えば、やはりそこには演奏の出来・不出来とか解釈の不一致と いったような次元を超えた、「砧」という作品固有の何かがあるのではないかという感じを拭い難い。

終演後、私は再び「世の成り行き」に、件のトラブルの現場に舞い戻ることになった。だが戻るとき、私の状態は来たときとは些か異なったものではなかったかと思う。 トラブルの内容は作品とは全く関係のないものだったが、心的な機制という点ではこの能はその折の私には皮肉にも恰好の内容であったのかも知れない。心のどこかで何かが 麻痺していくような不思議な感覚を覚えながら、私は能楽堂を後にした。勿論、こんな状況での観能は二度と御免蒙りたいが、それでもなおこの観能は私にとって ある種の(逆説的な)糧となったように感じている。この冷え冷えとした風景もまた決して疎遠なものではない。私にはその風景から世阿弥の声が聞こえるような気がする。その声は、だが、 「お前らになぞ、私の声は聞こえまい」と語っているのだ、、、(2009.9.6)