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2025年12月24日水曜日

「第26回香川靖嗣の會」(喜多能楽堂・令和7年12月14日)

 能「八島」弓流 那須

シテ・香川靖嗣
ツレ・佐々木多門

ワキ・宝生欣哉
ワキツレ・宝生尚哉、宝生朝哉→小林克都

笛・槻宅聡
大鼓・国川純
小鼓・鵜沢洋太郎

後見・塩津哲生、中村邦生
地謡・友枝昭世、長島茂、狩野了一、友枝雄人、金子敬一郎、内田成信、大島輝久、友枝真也

*   *   *

 「第26回香川靖嗣の会」を拝見しに、改装成った目黒の喜多能楽堂を訪れた。能舞台を訪れることは昨年の「第25回香川靖嗣の会」以来だが、その時には喜多能楽堂は改装中で、矢来能楽堂での開催となったため、喜多能楽堂を訪れるのは何と6年振り。曇天の中、目黒駅まで辿り着き、駅を降りて能楽堂への道を歩むと、多少の変化はあるものの、ほとんど変わらない道筋の佇まいに、6年の経過を思わず忘れそうになる。能楽堂も、内装は一新されたけれども、当然のこととして基本的な造りは変わらず、私にとってはその変わらなさの方が、ここでも6年の歳月の経過を打ち消してくれるかのように感じられる。昨年はお会いできなかった、お世話になった旧知の方が今回は遠路遥々舞台拝見にいらしていて、ご挨拶が叶ったこともまた、隔たりの感覚を紛らわせてくれたように思える。着席して目前に眺める能舞台も、鏡板の前田青邨の松も、橋掛も昔の記憶と違うことなく、前回初めて訪れた矢来能楽堂での所在なさとうって変わって、とはいえ歳月の隔たりのもたらす懐かしさというようなものとも無縁で、ごく単純に旧に復していつもの舞台を拝見するといった感覚だろうか、違うところと言えば、今尚、感染症に罹患するわけにはいかない立場であることから、周囲の咳とかが稍々気になることくらいで、後はこれもこれまでと変わらない圧倒的な舞台に没頭して時が経つのを忘れてしまうことになった。

*   *   *

 演目は「八島」。シテが演ずる源義経は、私にとって「平家物語」等で馴染みの人物であるけれど、この曲は初見となる。演能前の、これもいつも通りの、小書(今回はシテ方の「弓流」に、アイ方の「那須」が加わる)の解説も織り込まれた、金子直樹先生の丁寧でわかりやすいお話は、「勝修羅のむなしさ」というタイトルの下、勝ち戦の武将をシテとする「勝修羅」物に分類されるこの能が、しかしそうした単純な分類に幾つかの点で収まらない点を指摘されたもので、それは実際に拝見しての印象とも違うことはない。作者世阿弥の自信作であるというお話もあったが、義経という「物語」における稀代のヒーローを主人公とし、人口に膾炙したエピソードをふんだんに織り込むサービスも怠りない一方で、「勝修羅」という言葉からのイメージとは異なって、単純には割り切れない屈折や陰影を孕んでいる点で、確かに実に世阿弥らしい能と感じられた。

 開演直後、囃子方の間合いと調子に、これが修羅物であること、そして修羅物を随分と長いこと拝見していないことに直ちに気付かされる。(この文章を書くにあたり過去の観能記録を振り返ってみたのだが、前回私が修羅物を拝見したのは、何と15年近く前、東日本大震災の直後の2011年の第5回香川靖嗣の會での「朝長」まで遡る。)宝生欣哉さんのワキの僧がワキツレを従えて登場し、屋島への到着が描写され、笛の一声で、今度は香川さんのシテの老人がツレを従えて登場して、僧が一夜の宿を乞うやりとりになるが、この冒頭の部分で感じられたのは、場面や人物の設定がいつにも増してこの能では物語として明確で、いわゆるストーリー性が強いことだ。風景の克明な描写を含む長大な謡や、ワキとシテの詞のやりとりがそうした印象に与っているに違いない。一夜の宿を乞う僧の依頼を一旦は老人が断るところなども昔話のような感触で、見所は舞台上で繰り広げられるやりとりが生み出す確固とした手応えのある物語の空間にすっかり引き込まれしまって後、地謡が入るとようやく僧が塩屋に入り、場所の故事を尋ねる場面に切り替わる。元暦元年三月十八日という具体的な日付も織り込まれたシテの謡に導かれて、聴きごたえのある香川さんと佐々木多門さんの掛け合いと、その後を引き取る友枝昭世さん率いる地謡によって描き出される戦の描写は鮮明にして克明、しかもその内容たるや、世阿弥の贅をこらした趣向と言うべきか、景清と三保の谷の錣引きであったり、佐藤継信や菊王の最期であったりという、いわば「お馴染みの」物語であり、本来ならば悲惨な出来事も、ともすれば「昔語り」に回収され、中和されてしまうかにさえ感じられる。しかしこうした印象はより多く、この能そのものよりも、子供の頃から「平家物語」他の軍記物、更に長じては、それに取材した他の能や浄瑠璃などを受容してきたことによって形づくられてきたイメージという私の側の文脈がもたらすものかも知れず、世阿弥の詞章は、二人の最期に戦場も静まり返り、(丁度、キリでもう一度そうなるように)磯の波と松風の音だけが残る様を描写して「昔語り」を終えることで、勝ち負けを問わない戦の虚しさ、ひいては人間の営みそのものの虚しさをさえ浮かび上がらせるかのようだ。

 名を尋ねる僧に対して、老人は、後で夢の中で見せる修羅場で名乗ると告げ、更には名乗りよりも「よし常=義経」の「憂き世」を見せるから目覚めてはならないと告げて姿を消す。掛詞に隠された名乗りは恐らくワキの僧に直ちには気付かれることがない。一方で見所が感じるのは、それ自体は生き生きとして鮮明な「昔語り」と、その後に残った現実の風景との落差であり、金子先生のおっしゃられた「勝修羅の虚しさ」というのを既に前半の終わりで否応なく感じずにはいられない。いつものことで、自分の表現する語彙の乏しさに嘆息する他ないが、何もない舞台に、春先の海浜の風景を浮かび上がらせ、更に、塩屋の中での語りとともに、目の前の光景が同じ場所でのかつての戦の時点に切り替わり、それが終わると再び、春の海浜の鄙びた静けさが戻るのが、謡とシテの抑制された所作によって鮮明に浮かび上がるのは見事という他ない。

 前場がそうであったように、アイ狂言もまた、役割とか筋書が具体的で、実は老人のものだとばかり思っていた塩屋がアイのものであり、自分に断りもなく僧が塩屋にいるのを発見して咎めることになっているのは他に例があまり思い浮かばない趣向に感じられた。それが小書き「那須」固有のものであるかどうかは詳らかにしないが、世阿弥の仕組んだ前場の趣向からすれば一貫したものと感じられ、違和感はない。続く那須与一の語りは、アイ方の見せ場だが、気迫の籠った迫真の仕方語り、特に指名された与一の心の葛藤から、小舟もろとも波間に揺れる扇、一瞬の凪を捉えて放たれる矢が扇を見事射て空高く飛ばす様と、息もつかせぬ緊張の連続と眼前に見るような鮮やかさで、これも世阿弥が「八島」の能に仕組んだ趣向に違和感なく収まっていると感じた。実は「那須」は、これも遥か以前(調べてみると2006年だった)狂言の会で、独立の作品として今は亡き山本則俊さんにより演じられたのを拝見して、その時も深い感銘を受けたのだったが、アイ狂言としてもとても自然な流れになっており、舞台はそのまま後の場へと流れ込む。

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 この日の後場の舞台の見事さについて私は形容する言葉を持たない。こちらは紛れもない現実である筈の舞台が、舞台で演じられる夢の中の出来事と同様、限りなく鮮明で、永続的に心に刻み込まれて忘れ難いものであるにも関わらず、一度きり演じられて(勿論、舞台写真は撮影されたのだろうけれど)残らないことが余りにもったいなく、だけれどもそれを書き留めようとしても全く言葉が追い付かない無力感、顧みればそれは実はいつも感じることなのだけれども、今回、拝見しながらいつもにもましてその場で強く感じたのは、自分が途轍もない、完璧という言葉が相応しいような圧倒的な舞台に立ち会っているということ、そして自分が、その出来事を受け止めるには全然足りない、その場に居る事に値しない存在であるという、いたたまれない気持ちだった。印象は拝見して後も些かも鮮明さを喪うことがないのだが、その替わりに、その印象を解きほぐして、感動が由って来るところを分析することもまたできそうにない。只々圧倒されて、義経の霊が橋掛かりを通って幕の向こうに去ったのをワキの僧立ちあがって身じろぎもせず舞台上で見収めるや、囃子が留めたその瞬間、私は落涙することを堪えることができなかったということを以て、自分が受けた感銘の強さを証言する他に為す術がない。

 そう言ってしまっては身も蓋もないから、言葉足らずになることを承知で言えば、香川さんのシテは勿論だが、槻宅さん、国川さん、鵜沢さんの囃子方も友枝昭世さん地頭の地謡も、修羅物特有のノリ地の効果も相俟って、これ以上のものを想像することは出来ないと感じさせる程の大きな流れを生み出して、見所はそのうねりを全身で受け止める他ない。特にそのキリの夜明けの描写、瞬く間に戦場の光景が掻き消え、喧噪も遠のいて、シテが橋掛かりを渡って幕に消えると、再び春の早朝の、波の音と松風だけが残るという変化の鮮やかさ、その鮮やかさがもたらす夢の世界と現実とのギャップに眩暈のようなものを感じずにはいられない。と当時に、自分が物凄いものを観てしまったという思いが湧いてきて、それが全身にじわじわと広がり、ひととき作品が与えてくれる印象を凌駕して、内容を問わず、素晴らしい実演に接したことによる感動が心を占めることになる。その感動は何よりもまず、囃子・謡ともども、音曲としての圧倒的な質の高さに拠るものに違いない。それは洋の東西、ジャンルの違いなどものともしないものであり、その一方で、それが心に働きかけ、魂を揺さぶる仕方は、能楽固有のものであり、他に比較すべきものを思い浮かべることができない。

 それに加えて今回は「八島」という曲の持つ、一種独特の、複雑で微妙な陰影が手に取るように感じ取れて、その作品の見事さに圧倒されたという側面もあるだろう。再び作品の側の印象が心を支配すると、このような複雑で屈折に富みつつも、心の奥底を抉るような深く強い印象を与える作品というのが他にあっただろうかと思い浮かべて、(これは冷静に考えれば当たり前のことを言っているに過ぎないが)あまたある他の傑作・名作と異なる、全くユニークな質を備えていることを確認することになる。この題材にしてこの作品を創り上げたことに世阿弥はしてやったりと思ったに違いなく、その得意な気持ちすら手に取るようにわかる気がする程だ。

 これは寧ろパラドキシカルなこととも思えるが、時として夢幻能を拝見した時に浮かぶ疑問、なぜ霊となって回帰するのか、過去の出来事を反復せずにはいられないのかについての疑問が、ことこの作品に限っては答が自明のことに思えて浮かばないことに気付く。何故義経の霊が回帰し、修羅場を演じるのかということについては、彼が軍事の天才であって、戦場は彼がその能力と存在価値を最大限に発揮できる場だったからに違いないのだ。それはトラウマのフラッシュバックというよりは、自分がそれに賭した事柄に対する執心なのではないか。屋島の戦のみならず、壇之浦への言及も含む後場は、だから負修羅物を含む他の修羅物におけるような陰惨な「修羅道の苦しみ」とはやや性質を異にして、勿論、だからといって前向きで晴れがましいものではあり得ないのだが、何か、修羅でしかありえない自分の在り方を再確認しているかのような、不思議な色合いを帯びているかのようだ。「弓流」の小書もまた、単なる趣向を超えて、義経が己れのアイデンティティを賭したその思いの、客観的に見れば不合理で奇矯に感じられるかも知れない強さがそこに集約されていて、その思いを再度確認すべく義経の霊は、繰り返し繰り返しそれを強迫的に反復せずにはいられない、或る種の象徴的な所作なのではないかという印象をさえ覚えた。

 確かにそれは客観的には妄執かも知れないけれども、だけれども人間が「世の成り行き」の中を生きていくためには必要なものであって、具体的に何で、どのように顕れるかは人それぞれであっても、人は皆、そのようなものを抱えて生きている、とどのつまりは、自分もまた同様の(勿論、もっと卑小でみすぼらしいものだけれどもそれでもやはり同類の)修羅に過ぎないのだということを感じたのではないかと思う。これもまた突飛な連想かも知れないが、思わず私は、死後ではなく、常には意識の統制の下に抑え込まれている思念のようなものが、意識の働きが弱った時に、しばしば職業譫妄のようなものとして浮かび上がってくることがあることを思い浮かずにはいられなかった。(私が脈絡もなく思いついた例を2つだけ挙げるならば、一つは大指揮者であったマーラーが、死の床で指揮をする仕草をともに、うわ言でモーツァルトに呼び掛けたという回想を、もう一つは、太平洋戦争末期にビルマにおいて絶望的な防衛戦・退却戦を戦い抜いた宮崎繁三郎中将が、数十年の後、これも死の床において「敵中突破で分離した部隊を間違いなく掌握したか?」といううわ言を繰り返したという、これはその話を聞いただけでも心が締め付けられるような回想を挙げることができる。)私個人について言えば、その余りに鮮烈で圧倒的な上演は、一方で身体を通して魂を揺さぶって強烈なカタルシスをもたらすものでありながら、まさにそうであるが故に他方で、どちらかと言えば苦々しい人間の業のようなものへの認識を呼び起すものだったようだ。それを我が事として反芻し、自分の業を再認識するよう、見所の一人一人に問いかけられているように思えたのである。

 このような見方・感じ方は、この能本来の、文字通りの「修羅道」を生きながらにして経験しなくてはならなかった人々の苦しみを思えば、余りに平和呆けした安直なものとお叱りを受けるかも知れず、その批判は甘んじて引き受けざるを得ないけれども、幸いにしてそうした平和な暮らしが出来ていることへの感謝の思いの一方で、人それぞれの「常の憂き世」に、その人なりの「修羅の苦しみ」というものがあって、それはだが、ことによったらその人の存在の意味や価値と表裏一体の関係にあるのでは、という思いもまた払いのけることができない。

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 このように書き綴って来て、まるで演能の記録からは遠く離れた、勝手な主観的な反応、思いを綴っているだけなのではという事を自ら思わざるを得ないし、実際にそのような批判があればそれは甘受する他ないだろうとも思う。だけれども、事実として私がこの日の演能から受け取ったものは、まさしくこのようにしか語れないものだったのだから仕方ない。それにもまして思うのは、一時の個人のエフェメールな印象を超え、このようなことを可能にする能という芸能の奥深さ、世阿弥の作品の見事さであり、それを一期一会の舞台で会を重ねる度に過たず実現し続けることができる香川さんをはじめとする演者の技量の卓越である。繰り返しになるが、この日の演能は、私のこのような舌足らずの言葉で尽くせるものではないし、私のような限られたキャパシティの者に十分に受け取れ切れるものではなく、もっと遥かに価値ある巨大なものだったことは間違いなく、だがそれを伝えることは私に能く為し得るものではない。恐らくは専門的な見地からは、細かく見て技術的に際立っていた箇所が数えきれない程あったに違いないことは想像がつくし、そうでなくても印象に残った部分を挙げようと思えば幾らでも挙げることはできるが、今回については、総体としての印象の大きさが勝って、技術的なことに疎い人間が細部を云々することに意味があるとも思えない。そうしたことは当日見所に居られた、それに相応しい方々に委ね、香川さんをはじめとする演者の方々への畏敬と感謝の気持ちを込めて一旦筆を措くこととさせて頂く。

(2025.12.24初稿)

2024年9月27日金曜日

「第25回香川靖嗣の會」(矢来能楽堂・令和6年9月22日)

 能「卒都婆小町」

シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生欣哉
ワキツレ・宝生尚哉
笛・松田弘之
大鼓・国川純
小鼓・成田達志
後見・塩津哲生、中村邦生、友枝雄人
地謡・友枝昭世、長島茂、狩野了一、金子敬一郎、内田成信、佐々木多門、大島輝久、友枝真也

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 「第25回香川靖嗣の会」を拝見しに、矢来能楽堂を訪れる。と書き付けてみたものの、5年前に目黒の喜多能楽堂で「檜垣」を拝見した感想を記した折に同じように記した時との目も眩むような隔たりに茫然となるばかりで、筆を先に進めることができない。きっかけは2020年の新型コロナウィルス感染症の流行だが、それに加えて身辺の状況の変化により、既に昨年(2023年)のゴールデンウィークを境に新型コロナウィルス感染症の感染症法上の分類は5類に変更され、舞台公演についても既に開催の制限がなくなったにも関わらず、諸般の事情からスケジュールの調整がつかず、年に2回、土曜日に開催される舞台を拝見することが叶わなかった。今回事前に伺ったお話では、個人の会はこれが最後になるかも知れず、その謂わば「舞い納め」として「卒都婆小町」を舞われるとのこと、偶然にも日曜日の午後の開催ということで訪問の予定が立って向かった先は、だが、あの慣れ親しんだ目黒の舞台ではなく矢来能楽堂。実はこちらは既に40年も前の昔のこと、大学に通っていた頃、日仏学院の夜のクラスに通うべくキャンパスから歩いて市谷船河原町まで通う折、矢来町は通り道にあたっていて、夜の帳の降りた中、囃子や謡が漏れ聞こえる能楽堂の脇を通るのが日常であったのだが、その後能を拝見するようになってからも、矢来能楽堂を訪れることは遂になく、今回初めて赴くことになったのであった。

 最初に川崎能楽堂で「阿漕」を拝見したのが2000年だから、それからでも四半世紀が経過したことになるが、25年の中での5年の空白は決して小さくはない。更に「香川靖嗣の会」も今回が25回目だが、前回拝見した「檜垣」が第19回だったから、こちらも同様に、25回の中で5回の空白を隔ててということになる。その空白の間、いわばその中に逼塞することになり、今なお基本的には続いている「別の日常」に馴化してしまった自分が、突然舞台を再訪したとて、そこで繰り広げられる演能を、その価値に相応しい仕方で受け止められるものか、初めて訪れる能楽堂の寄る辺なさと相俟って、心許なさばかりが先に立つような状態だった。客観的に見れば、見所の一人が偶々抱えているこうした個人的な脈絡など取るに足らない、どうでもいいことであって、これは「香川靖嗣の会」の節目となる重要な公演、しかも曲目は平成19年(2007)以来の再演である老女物の「卒都婆小町」ということで、端的に舞台そのものについて、その重要さに相応しい形での記録こそが求められているに違いないが、まず私がその任に堪えないことをこうして記しておく他ない。

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 以前拝見した折と変わらず、開演するとまず最初に金子直樹先生のお話。「卒都婆小町」に関する様々な情報を淀みなく披露され、公演プログラムにお話のタイトルとして記された「果てを覗く」ことについてのお話の後、香川師が80歳になられて、当初は今回が区切りの舞台であったこと、だが来年もまた、現在改修中で来年に再開される喜多能楽堂で「八島」を舞われることを披露され、能楽の世界には定年がなく、可能な限り香川師の舞台を拝見し続けたい旨を述べられて結びとなった。まさに今回の公演の意義を語り尽くされた感があり、当然その後舞台を拝見するにあたり、その内容に色々な形で影響されずはいられない。例えば、覗き見られる「果て」は、まずもって舞台上の老女となった小野小町のそれだろうが、見所で拝見する自分にとっては、演ずる香川師のそれとも重なってくることは避け難い。後でもう一度触れたいが、逆に「定年がない」というのは小野小町たる老女の生き方についても言いうるのではないかといった感慨を抱いたのは、金子先生のお話あってのことに違いない。こんなことを言えば、小町はとっくの昔に「定年退職」し、引退した果てに、今の「定年後」の姿があるのだから、「定年がない」などと言う言い方は筋違いのナンセンスではないか、という反論が直ちに返ってくることであろうが、私が言いたいのはそういうことではなく、「仕事」については「区切り」というものがあるだろうが、「老い」を生きるという過程には到達点がなく、終わりがない――外からやってくる「死」によって永遠の中断されるほかない――のではということなのだ。ともあれ、金子先生のお話の後、続けて狂言があり、20分の休憩の後、これもいつもの如く、楽屋からお調べが聞こえてくると、いよいよ「卒都婆小町」の開演である。

 実は「卒都婆小町」という曲目を拝見するのは今回が初めてではない。これも以前からのことだと記憶するが、今回もまた金子先生はお話の中で、見所に対し「卒都婆小町」を拝見するのが初めてかどうかを問うて挙手を求めていたが、私は2002年に一度拝見したことがあるという事実に即して手を挙げなかった。とはいうものの、まだ能を拝見するようになってから日の浅い時期であったこともあり、予習不足もあり、恥かしながら特に前半の詞章がその場で聞き取れなかったこと以外はほとんど印象が残っていないというのが正直なところだから拝見したうちに数えるのは適当ではないだろう。また2007年の香川師の演能も拝見できていない。従って実質に即するならば初めて拝見するのと余り変わるところがなく、かつてと異なるのは、能楽の形式に馴染み、詞章もある程度は頭に入っているというくらいのことでしかない。

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 だが舞台に入り込めないのではないかという懸念は、松田さんの笛の一閃で杞憂となって消し飛んでしまった。次第の囃子が時間の流れを形作り、僧たちが歩む山間の風景を定着させるとワキ・ワキツレが登場し、都へと歩みを進める頃には、すっかり、あの、馴染み深い能の「風景」が広がっているのが感じられ、物語の中に自然と引き込まれていく。ありきたりの感想だし、これは能楽に限らず、他の優れた音楽作品にも言えることだと思うが、能楽の持つ様式というのは誠に有難く、一度浸かったきり、二度と浸かることのできないエフェメールで頼りない個人の経験の偶然の脈絡よりも、音曲の持つ形式の力の方が永続的で、頼りがいのある確実なものなのだということを感じずにはいられない。勿論、演者がいて、見所がいて、繰り返し上演されることによって継承されるものであるとは言え、ちっぽけで有限の寿命をしか持たない私よりも遥かに長い年月を既に通り抜けて、「卒都婆小町」は今、私の眼前に再び姿を現しているのだということを思わずにはいられない。こと能に関しては、とりわけでも今回拝見したそれについて言えば、見所が上演を「消費」しているという言い方は全く不適切で、逆に仮初めの媒体に過ぎない己を含めて、上演に立ち会ったすべての人を介して、一人一人の人間のスケールを超えて永続する作品が固有のリズムを刻むことに寄与しているに過ぎないのだという感じを否み難く持ったのである。

 僧たちが阿倍野の松原に着くと、小野小町である老女の登場となる。乞丐人とは所謂、物貰い、乞食のことだが、老女の歩みは遅く、たどたどしくはあっても、しっかりとしており、橋掛りの途中で休む様も、疲労困憊の果てというより、予めそのように休みながら足を運ぶという意思に基づく、己の現在の身体的な状況と折り合っての挙措に見え、その姿には気品すら窺える。橋掛から舞台に出て、予め後見によって中央に置かれた蔓桶=卒塔婆に腰を下ろすのも、ゆっくりとしてはいるけれど危なげなく、寧ろ自分の身体の状態を良く把握して、どうすれば安全に確実に座れるかをわかった上での所作にさえ見える。(勿論それは一方では演ずるシテの高度な技量によってのみ可能となる確からしさに裏打ちされたものであるのだが、それを言うならば、そのシテもまた80歳、世間的には「後期高齢者」に属することになる年齢であることに思い起こせば、瞠目せずにはいられない。否、このような技術的細部一つに限らず、そもそも「老い」を演ずることそのものが、技術と体力とのどんなに微妙なバランスの上に成り立ったものであるかは、頭ではわかっているつもりの私のような素人の想像を遥かに超えるものであるに違いなく、只々驚嘆しつつ拝見する他ないのである。)

 橋掛りで一時佇む老女の姿は、確かに避け難い「老い」を背負ってはいるけれど、「老い」を正面から引き受けて生きている人の姿と私には映ったのである。それゆえ、その後、僧たちとの間に繰り広げられる卒塔婆の功徳を巡っての問答で、僧たちが仏教の教義に従って教化しようとするのをあしらって、却ってやりこめてしまい、僧たちの敬意を勝ち取ることになるのも、ごく自然なことに感じられる。過去が余りに輝かしいものであったが故に、殊更にそれとの対比を連ねていく詞章にも関わらず、今のありのままの姿を見れば、ここでも老残というには程遠く、「老い」が備えるとされる、経験の重みに裏打ちされた智慧のようなものを感じさせ、寧ろトルンスタムの言う「老年的超越」こそ相応しいのではないかとさえ感じられた。問答の合い間の僧に対するちょっとした所作もまた凛として、自信と知性に満ちたものに感じられ、さながら老賢女といった風情であって、寧ろ「老い」の在り方の或る種の理想――勿論、だからといって乞丐人の境遇がなくなるわけではなく、況してや「老い」自体が超克されるはずもないことは、後半の舞台が告げる通りなのではあるが、――を示したものなのでは、とさえ感じられたくらいである。

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 ということで、僧の礼拝を受けて後、戯れ歌を歌って結ばれる前半があまりに生き生きとしているがために、自ら名を名乗った後、厳然とした現実である「老い」に立ち返って、老残を嘆く姿も、寧ろ生きている限りは避け難い「老い」から目を逸らさず、それを正面から受け止めようとしているかに見えるのが却って痛々しく感じられる。詞章に沿って為される所作は、詞章の内容に応じて、或る時には昔日の面影を思い起させるようでもあり、或る時には現実に対する率直な嘆きを伝えるものでもあり、だけれどもそれは「老い」そのものの「表現」なのではなく、「老い」に直面した人間の心の反応を映し出すものと私は受け止めた。ここで「老い」は即自的なもの、生物学的・生理学的な老化そのものではなく、それを我が身の現実として認識する主体にとっての対自的なものであり、自己意識を持ち、自伝的自己を備えた人間であれば誰しもが――勿論、私自身も含めて――直面しなくてはならない状況に他ならず、或る意味では自分のものでもある筈の「果て」を、舞台芸術という仮想現実において「覗き」込んでいるのだ、という思いに囚われずはいられなかった。

(勿論これは、介護を通じて「老い」を目の当たりにし、なおかつ自分もまた遠からず還暦を迎えるという、私個人の個別的な状況がもたらした感慨であることを否定するつもりはなく、5年振りに演能に接した主観的な印象に過ぎないが、それでもなお、己れの恣意が産み出したものを対象に押し付けているのではなく、5年間の空白を経て、ほぼ白紙の状態に立ち返って演能に接し受け止めたものに違いない。勿論、後半のイロエを始めとするシテの所作や謡の見事さや、この能ならではの科白劇として面白さを支えるワキの宝生欣哉さんのシテとの遣り取り、そして久しぶりに接して改めて感じた能楽の囃子の響きの美しさ、奥行きの深さ、松田さんの笛のひらめきに満ちて変幻自在な響き、或いは謡を先導し、或いは時として謡の産み出す時間の流れに楔を打ち込み、更には結節点となる一時休止を刻印する国川さん、成田さんの大小、更に加えて、これもかつてと変わらない、流儀ならではの勁さの裡にも微妙に移ろってゆく表情を紡ぎ出す友枝さん地頭の地謡の素晴らしさについて述べることもできるのだろうが、それは技術的な細部を言い当てることができない私如きが能く為し得ることではないし、名演であればこその印象だということは承知の上で、そうした前提となる技術的な卓越を飛び越えて、かつてにも勝って直截に自分の心に届いたもの、演能に触発されて自分の心に去来したものを書き留めておくことを以て稀有な出来事に立ち会ったことを証言することしか私にはできない。)

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 冒頭の金子先生のお話にもあった通り、観阿弥の原作では盛り沢山で非常に長かったものを世阿弥が改作して切り詰めて成ったらしいこの作品は、詞書だけ読むと、後半の場面の転換、特に老残の嘆きから、深草の少将の霊が憑き、囃子があしらう中、物着をして「百夜通い」が演じられ、それが終わると「悟りの道」への希求が語られて結びとなる流れにはどことなく取って付けたように唐突で、多様な要素を詰め込んでポプリ的に接続したような感じすら受けるのだが、この日の舞台の印象は、そうした先入観をあっさり覆すものであった。

 といっても、論理的なコヒーレンスをそこに見出したというわけではない。寧ろ老残の身となり、他人の助けなしでは生きていくことができなくなり、適切なタイミングで助けが得られなければ我が身一つの振る舞いさえ思うに任せない境遇にあって、強い精神的なストレスに晒されれば、知性の働きは未だ衰えずと雖も、時として過去の記憶は曖昧なものとなり、嗜眠傾向の状態ともなれば、夢と現実、現在と過去との区別が曖昧となるというのは寧ろありふれた状況であろう。常には心の奥底に慎重に秘匿された過去の外傷的な経験が、うつつとも知れぬ夢の中で反復され、それが譫妄となって表に現れることにも何の不思議もあるまい。恐らくは、執心の主体が深草の少将なのか、それとも小町自身なのかさえ最早重要ではなく、深草の少将の執心が転移した形で小町自身の執心となって外化したものであっても構わない。更に言えば、もともと個人の心というものは、他者との遭遇、他者からの触発によって形作られたものであって、他者によって住まわれ、他者の声が交響する空間に過ぎないのであれば、深草の少将の憑依の反復によって一旦己を喪うことを通して、小町は「私」を取り戻すのだ、とさえ言えないだろうか?そしてそうした心の消滅と再生のプロセスこそが「悟り」の条件だとしたらどうだろうか?

 それ故にか、突然憑き物が落ちたように「悟りの道」への希求が語られることにも不自然さは感じられなかった。現在能であるこの作品の場合、霊が最後に成仏するという夢幻能の場合とは異なって、全曲の結びは悟りの達成や成仏を告げるものではなく、まさに「卒都婆小町」詞がそう語るように、或る種の無限遠点としての「悟り」に対する希求が残ることになる。小町が「老年的超越」に到達しているのであれば、既に「悟り」は得られている筈なのだから、更に「悟り」への希求が語られるのは矛盾ではないかという反論がありえようが、そもそも「老年的超越」を或る種の不動点、平衡状態への到達として捉えるのは端的に言って誤謬でしかない。「死」であれば不動点、平衡状態として捉えて問題ないだろうが、「老い」は「死」ではないし、「死」を目指した運動でもなく、どこまで行っても「死」は無限の彼方にあって、この「私」がなおも生きなければならない「老い」とは隔たっている。一般的なイメージとしての到達点としての「悟り」は論理的に仮構された虚像の如きものとして捉えるべきであり、「老年的超越」は、それが「老い」の様態の一つである限りにおいて終わりなき運動であり、「悟り」もまた同様に、或る種の無限遠点への運動として捉え返すべきなのではなかろうか。もしそうだとするならば、この「卒都婆小町」という作品は、端的に人間が誰しも引き受けざるを得ない「老い」についての深い智慧を孕んだ作品であることになる。こう書くと如何にも理屈めくが、理屈ではなくして、舞台を拝見して全身をもって受けた止めた印象は、まさにそうしたものであったと思う。

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 金子先生は「果てを覗く」ということに関して、開曲まもなくのシテの橋掛りへの登場、とりわけ途中での一旦休止について語られ、その背後には小町が生きてきた99年の人生の重みがあるのだと指摘されたが、それを受けて演能に接してみると、終曲後、橋掛りをゆっくりと去っていく小町の向かう先には何があるのだろうかということを考えずにはいられなかった。勝手流ながら些かの敷衍を試みることになるが、それは結局(またしても、相変わらず)「老い」に他ならないのではないか、「卒都婆小町」という作品は、老いて物乞いに迄落ちぶれた小町の落魄ぶりを描き出した作品というよりは、そうした小町の姿や振る舞いを通して「老い」の存在論的構造を示し、「老い」に立ち向かう智慧を授けてくれる作品なのではないかというように思えてならない。

 と同時に、冒頭で触れたように、金子先生は能楽の世界には定年がないということを仰って、今回の演能の後も、香川師が演能を続けられる事を述べておられたが、そのことが頭のどこかにあってか、終曲後、小町の装束を付けたまま、否、より正確には、深草の少将の憑依を表現した物着の姿のまま――つまり深草の少将を「演じる」小町として――、橋掛をわたって舞台から去っていく香川師の姿を拝見して、これでおしまいなのではなく、この後も再び舞台に立ち、演能を続けられるのだな、ということを思わずにいられなかった。勿論、元々は今回の演能を以て一区切りとされるおつもりであったのは承知しているし、「仕事」としてであれば「引退」を宣言してけじめをつける、ということは今後当然にあることと思う。だが、そうであったとしても、次がある限り終わりはないのだ。一見矛盾しているように思われるかも知れないが、私の捉え方をありのままに述べれば、時間論的な構造としては、「もう一度」、「次の一回」があるということが、まさに「終わりがない」ことそのものなのだ。そして実は「永遠」というのは、この世の外に、時間を超越して超然として浮かんでいるのではなく、「次の一回」を繰り返すことによって、時間の中を通って限りなく漸近していくしかないのではないか、更に言えば、恐らくは「悟り」についても同様の構造があるのではないか、「悟った」という瞬間が天啓のように降ってくるのではなく、寧ろ「悟り」に向けての漸近のプロセス自体が、それと気づかれることなく「悟り」そのものであるというような構造があるように思うのである。

*   *   *

 演者が演じた内容をではなく、舞い終えた演者の姿を取り立てて言葉を費やすことが、却って演者に対して失礼に当たることを惧れるが、もしそうだとしたらその点については只々お詫びして寛恕を乞う他なく、冒頭述べたように、特に今回は様々な個人的な要因によって、常に無い状況の下で演能を拝見することになったことも与って、自分が演能から受け止めたものを、そのまま書き留めようとすると自ずとこうならざるを得ない。今回の演能が、これまで拝見してきた数多くの香川師の演能と同様に、大変に素晴らしいものであったことは私が敢えて言うまでもなく、能楽については門外漢に過ぎない私にはそれを適切に記述する言葉の用意がないから、それはその能力をお持ちの他の方々に委ねる他なく、この備忘を演能に立ち会った証言の一つとして受け止めて頂ければ幸いである。

 私にとっては以前同様、否、現在の状況を踏まえれば、以前以上に今回の演能に接したことは得難い経験であり、久しく経験していなかった長時間にわたる緊張でくたくたになった一方で、何かが吹っ切れて、日常に逼塞してほとんど見失いかかっていたものが自分の奥底で蘇るような感覚を抱いた。5年間のブランクの後今回の公演に接することで、香川師の演能を拝見することは、私にとって生きるための糧の如きものなのだということを再認することになったのだと思う。端的な言い方をすれば「もう一度」続ける力を与えて頂いた、そっと肩を押して頂いたような気がして――だが、以前拝見していた時もまた演能に接する毎に、そうしたことは起きていたのではなかったか――、もし状況が許せば更に「次の一回」、「八島」が演じられる舞台にも是非足を運びたい。そうしたことへの感謝の気持ちも込めて、最後に香川師をはじめとする演者の方々に謝意と敬意を表しつつ、この拙い証言を閉じることにさせて頂きたい。(2024.9.26-7初稿, 27公開)

2019年9月15日日曜日

「第17回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・令和元年9月14日)

能「檜垣」
シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生欣哉
アイ・野村万蔵
笛・松田弘之
大鼓・国川純
小鼓・大倉源次郎
後見・塩津哲生、中村邦生、友枝雄人
地謡・友枝昭世、粟谷能夫、粟谷明生、長島茂、狩野了一、内田成信、金子敬一郎、大島輝久

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 「第17回香川靖嗣の会」を拝見しに、目黒の舞台を訪れる。春の公演は事情あって拝見できなかったこともあり、約1年ぶりの観能となった公演の演目は秘曲・稀曲として名高い「檜垣」である。

 喜多流では三老女「伯母捨」「檜垣」「関寺小町」のうち、「関寺小町」は故あって上演されることがないとのことなので、第7回目、2013年の「伯母捨」に加えて今回の「檜垣」の演能をもって香川さんは最奥義を窮められたことになる。同じシテの演能によって全能作品中の双璧とされる二作を拝見できることの重みは測り知れず、それを価値に見合った仕方で受け止められるかどうかは措いて、拝見する側の自分にとっても一生に一度の機会となるであろうことは否でも意識せざるを得ない。

 勿論後述のように、近年は老女物も門外不出というようなことはなく、かつては文字通り秘曲であったこの作品も、他流も含めれば、様々なやり方で複数の演能を経験することもできることだろう。それはそれで大変に意義のあることであろうことは、複数の演能を拝見したことのある他の演目について思いを致せば明らかなことであるけれど、私個人の思いはまた別にあって、多忙の言い訳とか負け惜しみという側面は措いて、そもそもが能を拝見すること自体、私にとっては日常の中に穿たれる特異点の如き重みを持った「出来事」であって、軽々と受け流せるものではない上に、演ずる方にとっても最奥の、一生をかけた修練と経験の蓄積の上で演じられることの重みに少しでも釣り合うように、見所の側にもそれなりの構えがあっても良いのでは、ということを思わないでもない。

 最近特に強く思うのは、能に限らずどんな公演も、様々な脈絡の中で幸運にも接することができた貴重なものであるということで、それだけに自分がそこから受け取ったものを無為に墓の中に持って行くようなことは、単なる消費として到底肯んずることのできないものに感じられる。そういう思いを込めて、いつもながらの拙さ、いつも以上の主観的な見方をご勘弁頂ければと思いつつ、以下に感想を記しておきたい。

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「檜垣」は世阿弥の次男元能が書き留めた聞き書きである『申楽談儀』に「世子作」として登場し、世阿弥作ということになっているが、謡本を読む限り、恒例の開演前の金子先生のお話でも述べられていたように、その謡本の短さが世阿弥としては例外的と感じられ、下敷きとした古作の影響もあってか、一度きり世阿弥がミニマリズムに挑んだかいう印象さえ覚える程だ。一読して印象的なのはそのモチーフの集中性で、特に「水」のイマージュ、とりわけ後撰集の和歌を下敷きにした「水は汲む」への集中とそこに存在する重層性・多義性が際立っているように思われる。常とは異なり、遠心的に拡がっていくのではなく、モノトーンという形容すら思いつく程に、抑制され、集中して檜垣の女の「業」が語られるように思えるのだ。

 今日では寧ろこの世阿弥作の能を通じて知られているようだが、往時は「檜垣嫗」の伝説が厚みをもって堆積していたようで、金子先生のお話では面の選択の問題を介して語られていた「老女か否か?」という問題は、そうした厚みに由来する側面があるようだ。例えばそうした典拠の一つである『大和物語』では「檜垣の御」とあって必ずしも老女ではなく、当時の都からすれば辺境に住む教養ある女性といった側面の方が前面に出ている印象を受ける。そして世阿弥の作品はといえば、そうした伝説の厚みを横断して引用のネットワークを作り出すよりは、堆積の一断面を切断して提示することによって自身の思いをそこに籠めたという印象が強く、伝説上の人物に仮託して「業」、「人間」一般の宿命について、もしかしたらそうした「人間」と根源的な形で関わっている筈の「芸術」の宿命と重ねて浮かび上がらせた作品であると私には感じられる。

 キリの短さについても金子先生が言及されていたが、その点に関しては寧ろ、明確な救済を表す詞を欠く点の方が気になった。思えば男女は違えど、やはり老人がシテの作品である「実盛」もそうで、構造的にも類似点が幾つか指摘できようが、比較はそこまでで、何より「実盛」とは時間の流れ方が異なるように感じられ、それに応じて結末の意味も表面的な共通性のみで考えることには無理がありそうに思われる。個人的な前提知識の差もあって、片や「平家物語」等でよく知った「あの」人物の終焉の地での後日譚といった印象なのに対して、そうした文脈を持たない檜垣の女ではそうしたイメージが持てない分、個人の心情を慮るというよりは、より一般的、普遍的な、言ってみれば「神話的」な物語として受け止めざるを得ないという点が大きく与っているに過ぎないかも知れないが。

 水のイマージュということでは、舞台となる岩戸観音に関連した観音と水(水瓶)の結びつきがあろうが、観音利生譚の体裁をとるわけでもなく、舞台の寺も現在では寧ろ宮本武蔵が『五輪書』を書いたことで有名なようだし、更に本尊は馬頭観音(一般には印を結び、水瓶は持たない)とのことであり、寧ろ上記の後撰集の歌に詠い込まれた白河の河畔にある檜垣の女の庵が物語の舞台となる。実際に能舞台の中央には、檜垣が両脇に意匠された作り物が出され、前場では夕闇に紛れるように作り物の中にシテが入って中入りとなるし、後場では、ワキの僧は岩戸山から降りて、白河の畔の庵を訪ねて檜垣の女の霊の供養をすることになる。

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 開演前のお話の中で、金子先生が見所に対して「檜垣」を既に拝見したことがあるかどうかを問うたところ多くの方が既に一度以上拝見されているとのことで、稀曲であるがゆえに当然初めてと思っていた私は大変に驚いた。だが金子先生のお話によれば、近年は年に何番も出るとのことであり、従って見所の多くを占めるであろう能をきちんと勉強されている方にとっては当然のことかも知れず、却って自分の不勉強を思い知らされることになった。なお観世流においては序の舞に加えて、或いは替えての乱拍子の伝承があるやに仄聞するが、これは檜垣の女が白拍子であったことを思えば趣向としては格好のものには違いなく、近年観世流での上演が際立って多いのに与っている可能性はあるだろう。

 そうした訳で、これが初見となる私にしてみれば、他の「檜垣」の演能との比較のしようはないけれど、それでも尚これまでに拝見して来た演能の経験を辿っても、これほど迄に能の表現が先鋭的に拡大され、或いは深く彫啄され、幅広い表現と圧倒的な力を以て迫って来るのに直面し呑み込まれた経験は、これまでにもなかったと感じられた。

 といってもそれは、何か風変わりな演出があったというようなことでは全くなく、寧ろ普段の演目以上に徹底した表現に全編覆われていたということであって、上述の通り詞章が簡潔で求心的である一方で、或いはもしかしたら稀曲であって上演の伝統が少ない分、表現の自由度が高くなるといったことが影響してはいまいかということを思った程である。

 勿論、再演されることによって深められ、洗練される側面は当然にあろうから、とりわけ喜多流における近年の上演における希少性と再演の微妙な均衡が与って、この日の演奏のような、演奏頻度が少ない作品の上演で危惧されるかも知れない類の不安定性を微塵も感じさせない、奇跡的な達成が可能になったということは考えられるかも知れない。

*   *   *

 あえて能の伝統的な語彙を使わずに言えば(というのも、私個人は寧ろ、現代音楽において試みられる表現の探求に近いものを感じ、それがこのような伝統の中で達成されることにしばしば驚きを感じてきたし、今回はそれが最高度に達していると感じ、圧倒されたからなのだが)、聞き取れない程の呟きから、ごつごつとした感じを時として孕みつつも、曲柄に応じてあくまでも静謐さを基調に遺した地謡、これまた表現の幅を極め、音楽的時間の流れにおいても、時として眩暈を感じさせる程の自在さを感じさせた囃子、そしてそれらに支えられ、或る種の無為を感じさせる程に控え目で繊細でありながら芯の通った響きを基調にしつつ、詞章に応じて時には深淵が口を開けるのを間に当たりにするような悲痛な叫びにまで達するシテの謡もまた、それぞれに圧倒的というほかなく、特に後場、作り物の幕が下ろされて檜垣の女が姿を顕したそのままの姿で謡われた「熱鉄の桶を担い、猛火の釣瓶を提げてこの水を汲む、その水湯となって我が身を焼く事隙なけれども」と地獄の責め苦を語る謡は、耳朶にこびりついて離れない。

 前場、ワキの僧の名ノリの後、囃子にさそわれるようにして登場し、橋掛かりの途中で謡い出す次第から始まって、シテの謡と所作の全てが印象的であったと言って良いのだが、その中であえて特筆すべき箇所を挙げるならば、後で別途取り上げる序の舞とそれに続くキリ以外では、先ずは何と言っても後場でシテが作り物の中から姿を顕わす場面に指を屈するべきだろう。

 香川さんのこれまでの舞台の中で、後場、作り物から後シテが顕れる部分は特に圧倒的で、幾つもの忘れることのできない舞台を思い浮かべることができるが、この舞台においてワキの僧に促されて、老いの身を恥じつつも檜垣の庵の作り物を覆う幕が外されて姿を顕わした瞬間の鮮烈さはそれらに勝るとも劣らないものであった。その場の空気が、光の調子を含めて一変し、それを受け止めた見所の雰囲気もまた一瞬の裡に変わる、相転移と呼ぶのがまこと相応しい一瞬というのが今回もまた経験されたのである。

 謡については既に述べたので繰り返さないが、所作としてはやはり金子先生がお話のタイトルとして採り上げられたクセの「釣瓶の懸縄」の箇所の荒々しいまでの感情の激発もさることながら、寧ろ心に残るのは、それとコントラストを為すように立ち尽くして双肩に運命を受け止めているかに見える動かないシテの気を張り詰めた受動性の印象であった。

 ワキもまた、冒頭の岩戸の霊場の雰囲気の定位の確からしさから始まって、特に後場の始めの重要な場所の移動、岩戸観音から霧の立ち籠める白川辺(檜垣女の住居)への辿り着く場面の転換の「不思議や早く日も暮れて、河霧深く立ちこもる、蔭に庵の燈の、ほのかに見ゆる不思議さよ」の鮮やかさも印象的であったが、そうした描写にも増してこの作品において得難く思われたのは、シテとの自然なやりとりの中でシテの詞と行動とを引き出していく間合いの確からしさであり、それはキリにおける、それまで立ち続けていたシテの跪いての合掌に相応しいものと感じられた。

*   *   *

 だが、少なくとも私個人にとって、この演能において、恐らくは自分の寿命が尽きる迄、恰もトラウマのように刻印された印象を心の中で反芻していくことになる箇所を挙げるとなれば、それは序の舞とそれに続くキリで受けた印象の異様さにあるだろう。あくまでも私個人の印象であり、一般化するつもりは全くないけれど、私にはそれが、檜垣の女個人の運命であるというより、「人間」が担わされた宿命を、その時間論的な構造を、(根源的という意味において)ラディカルにリアライズしたものと感じられたのである。

 曲頭の次第から始まって、その後経過を通じて、一貫して老残の果ての現在と栄華に満ちた過去との間の乗り越えることのできない隔たりが繰り返し強調され、還ることなき隔たりにある「過去」をめがけつつも、寧ろ現在と過去の裡にある深淵を感じさせるかのようであったところに、老残の身を意識しつつ、それでも何物かに突き動かされるようにして舞い始める序の舞もまた、その動きはたどたどしくて、それでもなお抑制された所作は美しく、嘗ての舞の上手を彷彿とさせはしても、やはり現在と過去の間に広がる深淵の前にたじろいでしまい、結果としてその舞は、いずれもそれ自体の存在感を感じさせない現在にも過去にも根拠を持つことのない、何物かの影であるかのように感じられる。

 そうした舞の経過の中で驚くべきことが起きる。段の区切りで囃子が完全に停止し、音楽的な流れが一旦完全に休止してしまうのだ。常には間合いを保ちつつ、残響豊かな能舞台において、仮に物理的には多少の空隙が生じたとしても、前の響きが後の響きに有機的に繋がっていく音楽的持続が成立しているものだが、ここではその持続が断たれてしまう。響きの絶えた、凍りついた瞬間の持続(矛盾した言い方に見えるかも知れないが、それは二次的に構成された時間表象から振り返った、遠近法的倒錯によって生み出される錯覚であり、擬似的な矛盾に過ぎない)の中で、檜垣の女もまた立ち尽くす。音楽が、舞が動きを全く止めてしまうのである。

 いや、それは老女物の序の舞の常の作法であって、老女だから休みを入れつつ舞っていくものなのだから、ごく普通のことに過ぎず、そんな見方をするのはおかしいと見巧者の方は仰るかも知れない。それは事実その通りなのだろうと思うから、それに対して抗弁することはしないが、にも関わらず、私が主観的に受け止めた時間の質は、そういう説明が繰り広げられる地平とは懸け離れたものであったのはこれもまた確かなことであり、それを譲るつもりもまた全くない。そればかりか寧ろ、まさにこの休止こそが「檜垣」という作品の「核心」であり、私は幸いにも、今日最高の演者の方々に導かれて、それに触れることが出来たのだと言いたいようにさえ思っているのである。

 百歩譲って、それでは同じ老女物である「伯母捨」の際はどうであったかという比較をしてみても、勿論そこで開示された時間性もまた根源的なものであったけれど、それはシテが「人間」ならぬものに変成する過程に穿たれた休止であって、こちらは老女物の常の作法の了解の枠内で理解ができるものであったように記憶するのに対して、今回の休止の経験はそれとは全く異質のものだったと言いたいのである。

 それを私は、またもや突飛な牽強付会と断じられることを引き受けつつ、ヘルダーリンが「オイディプスの注解」で提示した「中間休止」ないし「一時停止」、もともとは西欧古典詩法の概念の一つであるcaesuraに由来するけれど、ヘルダーリンを介し、その後ベンヤミンが、アドルノが、更にはドゥルーズが基礎的な時間概念として取り上げるそれに突き合わせてみたいのだ。否、正確には、その瞬間を経験した後、「あっ、これだ」と直観したというのが経験したことの正確な説明になるのであって、そんな瞬間にまさかここで遭遇するとは予期していなかっただけに、それは大きな衝撃であると同時に、啓示的とでも言いたくなるような経験であった。

 それは「蝶番の外れた時間」であり、そこで露わになるのは、檜垣の女が想起する或る個別の過去の経験の想起ではなく、自伝的自己を備え、過去の経験を(必ずしも自明なものとしてではなく)自らのものとして引き受けることを余儀なくされ、その裏返しとして老いを意識し、死を意識することを宿命づけられた「人間」が抱え込んだ「構造」そのもの、人間がその下で生きることを運命付けられた条件そのものなのではないか。「一時停止」した瞬間、永遠に続くとも感じられ、見所にとって耐え難い、パニックを惹き起こしかねないような持続において、老女は一息つくべく休憩していたわけではないと私は断言したいのだ。彼女は寧ろ、その主体にとって全くの受動的な状態、いわば仮想的な死とでも言うべき状態を通過していたように感じられたのである。

 それ故、囃子が再開し、シテが動きを取り戻した瞬間、私は震えが止まらなかった。囃子が掛け声とともに刻んでいくリズムがそのまま、生ある存在が、とはいえ単に生命体であるだけではなく、まさに「人間」のような高度な心性を備えた有機体(だが一方でそれは恐らく「人間」に限定されず、或る種の高度な心性を備えた他の種もまた含まれうるだろう)が刻む「生命のリズム」そのものと感じられ、自分の中で血が巡り、温かみが全身に拡がるのを感じたのである。所作が極度に抑制された静かで控えめな舞において、記憶する限り一度きり足拍子が踏まれたのを私が記憶しているのもまた、「中間休止」の後、シテが動き始めて暫くしてからのことであり、その音は、「中間休止」を潜り抜けることによって、何か不可逆の出来事が出来したことに誠に相応しいものと思われた。

*   *   *

 繰り返しになるが、上記のような感じ方が私の主観的なものであり、自己の文脈への牽強付会であることを否定しようとは思わない。私の側にそのようなことが起きる文脈があることに直ちに思い当たるからで、別の(とはいえ、全く無関係ということはないばかりか、根源では同じ基盤の上に立っていることを私は疑わないが)文脈において、自伝的自己を備えた生命体としての「人間」の宿命や、それと不可分の関係にある「芸術」の起源に関する検討にあたり、四半世紀に亘って温めてきた「時の逆流」という概念を切り口に考えて行くという構想を公にし、検討を進めていくことを表明して間もなく、これから具体的な作業に着手すべく、「中間休止」を先ずは取り上げようとした矢先のことであったことが、このような受け止め方に影響しているのは間違いないことだ。だがだからといって、凡百の経験が「中間休止」の範例となる筈はなく、このような稀有な経験ができたことについて、香川さんを始めとする演者の方々に対しては御礼の言葉が見つからない程である。

 だがその一方で、同時にまた、序の舞に後続するキリの部分が私にとっては大きな謎を突きつけるものとなったことを書き留めて、この感想を終えることにしたい。

 「中間休止」を経て「再開」に、いわば「甦生」に成功した主体は、舞を終えるとそのまま、昔を回想しつつ(「昔に帰れ、白河の波」)、「水を汲み続ける」ことを述べ(「水は運びて参らする」)て、自己の救済を願う詞(「罪を浮べ賜び給へて」)とともに、それまで持っていた扇を水平に保持したまま床に置き、ワキの僧に跪いて合掌した後、扇を床に置いたまま立ち上がり、横を向いて留めた後、そのまま舞台を去ってしまう。床に残された扇の印象は鮮烈なものがあり、見所は否応無くその意味に思いを巡らせることを強いられる。

 それをどのように受け止めるかは、序の舞の「意味」同様に見所が自ら探り当てるべきものなのだろうが、まず詞章に基づいて考えるならば、後場の冒頭、檜垣の作り物から外に出た折には持っていた水汲の桶を舞の前に後見が引き取ったことを思い起こして、ここでの扇は水汲の桶を表していると考えるのが自然だろう。「このように水を汲んで持って参ります」と、汲んだ水を満たした桶を置いて去ったのであると。だが、些か瑣事拘泥めくが、再び水を汲み続けるのであれば、桶を持ち帰らないのは何故なのか?という疑問が湧くかも知れない。そのような見方の先にあるのは、同じく救済の願いを述べて終わってしまう老体の能である「実盛」同様、もう水汲みの必要がなくなったのではないか、輪廻の悪循環から開放され、救済されたことを象徴しているのではないか、という解釈であろうか。

 だが私個人の印象はそれとは些か異なるものであった。先行する序の舞での扇の印象があまりに鮮烈であったためか、扇を置いたことが、直接には恰も舞うことの放棄であるかのように感じられたのである。尤もその帰結するところは大きくは異ならないのかも知れない。というのは、恐らくは舞うことと水を汲むことは必ずやどこかで繋がっているからであり、水を汲む必要がないことは、因果の向きの解釈を中断してしまえば、舞うことの放棄と相関しているのは確実だからである。一見したところ舞うことは彼女の若き日の驕慢と結びつき、執心の原因でもあり、彼女が経験した地獄の責め苦、シジュフォスのように水を永遠に汲み続けること(檜垣の女の伝統そのものにはなくても、或る種の神話的な変換により到達できるヴァリアントとして、もしかしたら桶の底は抜けているのかも知れない)の原因であったかに見える。だとしたら、彼女は僧の法要の功徳で舞うことへの執心から開放され、結果として最早水を汲む必要もなくなったということになるのかも知れない。

 だが再び、私は少し違うようにその場で感じたように思う。確かに舞うことは執心であり、そこからの解脱、開放が目指されるべきなのかも知れない。けれども舞うこととは、人間にとって、まさに生きることそのものではないのか?檜垣の女一個人の固有の運命ではなく、それを我事として受け止めた時、各人なりの「舞うこと」を止めることができるだろうか、と問うてみるべきなのではなかろうか?「業」という言葉で名指されているそれは、世阿弥にとって、そして同じく能楽師である香川さんにとっても、文字通り舞うことに他ならないだろうが、そうではない人間にとってもまた、別に他の何か、生き続ける理由であって良いのではなかろうか?そしてそれは、個別の経験を超えて、今ある姿の「人間」が構造的に抱え込んでしまった宿命の如きものではなかろうか?私はあろうことか、「檜垣」の中に、「人間」が「人間」であり続けるための条件、引き受けざるを得ない宿命のようなものを見てしまったように感じたのである。

*   *   *

 またもや異なる文脈、差し当たりは西洋で主張された説の紹介となり恐縮だが、ジュリアン・ジェインズは西洋の歴史の中でホメロスの『イリアス』の時代においては、現在と心の構造が異なっていて、人間は自伝的自己を備えた意識ある存在ではなく、現在なら「幻聴」として認識される右脳からの「神の言葉」を左脳が受け取って、その命ずるままに行動する「二分心」の時代があったという仮説を提唱している。「二分心」の時代には、コンピュータがプログラムの通りに動作するというのと或る意味では重なる(だが次厳密に言えばそれとは区別される)意味合いにおいて神の命じるままに、現在のみに生きていたものが、農耕と戦乱といった社会構造の変化や文字の発達などといった要因から「神の言葉」が聴こえなくなり、その結果として各人が異なる仕方で、自伝的自己ある高度な意識を備えることと引き換えに、「隠れたる神」への呼びかけを行うことでようやく生きる意味を見出しうるのではないかと論じているのである。(そしてその意識の獲得の過程を、その結果陥ることになった野蛮ともども刻印しているのが、アドルノが『啓蒙の弁証法』において取り上げている『オデュッセイア』に他ならない。)

 そしてそこでは「芸術」「芸能」は、まさに「業」として引き受けることを余儀なくされた「人間」の宿命とされているのである。(「檜垣」に関してしばしば示唆される「遊女」としての「業」に象徴される性的なものとて、単純にそれが個体の有限性と引替えに選択された有性生殖の機構として捉えるのであれば、「人間」の成立から遥かに遡って、寧ろ地球上の「生命」の進化の謎の問題となるであろうけれど、寧ろここでの問題は、やはりジェインズが述べているように、意識を持つ存在となることと呼応して本能から分離した結果、性的なものに対する自己認識が成立したことと呼応していると考えるべきであるように思われる。)

 「人間」の宿命というのが余りに大袈裟で、大上段に振り被った物言いであるという咎めに対しては、芸能が、芸術が何時から存在するのか、何故存在するのか、そして何時まで存在するのか?(というのも、今やAIの発達に伴い、技術的特異点(シンギュラリティ)の向こう側が論じられるようになっているからであるが)ということに限定しても尚、「檜垣」はその根源的な在り方を示し、答を示唆しているように思われる、と応えたい。恐らくはその是非は措いて、人間が人間であり続ける限り芸能・芸術がなくなることはないし、裏返せば「AIによるAIのための芸術」は、現時点の技術的な達成水準においては端的に不可能なのである。芸術は一見したところ余剰、徒花に見えて実際にはそうではなく、人間が人間であることの基本的な条件に関わっているという構造がここで示されているに違いないのである。

 それにしても舞の停止、舞の放棄が何を意味するのかという問いは依然として開かれたままであるが、ここで私にできることは、今ひとつの中間休止たる「息のめぐらし(Atemwende)」こそが「詩」であるとする、パウル・ツェランの講演「子午線」を参照し、かつての執心の対象であり、ここで停止したものが何で、その替わりに解き放たれたものが何であるか、あるいはまた、何がそのことを可能にしたかについて考える導きとすることでしかない。

「(…)
 詩―それは息のめぐらしを意味するものであるかもしれません。詩はもしかするとその道のりを―芸術の道のりでもある道のりを―このような息のめぐらしのために進むのではないでしょうか?
 もしかすると詩は、疎ましいもの、つまり奈落ならびにメドゥーサの首、深淵ならびに自動機械が、まったく同じ方向に並ぶように思われるところ―まさしくそこで、疎ましいものから疎ましいものを区別することに成功するのではないでしょうか。もしかするとそこで、メドゥーサの首はたじろぎすくみ、自動機械は停止してしまうのではないでしょうか―一度しかないこの短い瞬間に?
 もしかするとそこで、一つの「わたし」とともに―そこでそのようにして解き放たれ疎ましいものとなった「わたし」とともに―もう一つの「別のもの」が、自由の身の上となるのではないでしょうか?
 もしかすると詩は、このときから、自己自身となり…こうしてこの芸術のない、芸術から解放されたありかたで、これまでとは別の道のり、しかもやはり芸術の道のりではある道のりを、進んでいくのではないでしょうか―一筋に?
 (…)
 詩は―あれこれの極端な定式化のすえにさらにもう一つ定式化することをお許し下さい―詩は、おのれみずからのぎりぎりの限界において自己主張するものです。―それは、みずからの「もはやない」からみずからの「まだある」の中になおも存続しうるために、みずからを呼びもどし連れもどすものです。
 この「なおまだ」はただ一つの語りかけであるかもしれません。つまり、単なる言葉ではなく、ましてやおそらく言葉からの「語呂合わせ」などではないのです。
 そうではなくて、現実のものとなった言葉、ラディカルではあっても同時にまた言葉によって画される境界や言葉によってひらかれる可能性を記憶しつづけるところの個人的なしるしを帯びた、解き放たれた言葉なのです。
 詩の「なおまだ」は、自分がみずからの存在の傾斜角のもとで、みじめな生き物としてのみずからの存在の傾斜角のもとで語っていることを忘れない人間の詩の中にのみ見出されるものかもしれません。
 とすれば詩は―これまでよりさらに明確に―ひとりひとりの人間の、姿をとった言葉であり、―そのひたすらに内面的な本質からいって、現在であり現前であるのです。
 詩はひとりぼっちなものです。詩はひとりぼっちなものであり、道の途上にあります。詩を書くものは詩につきそって行きます。
 しかし詩はまさにそれゆえに、つまりこの点においてすでに、出会いの中に置かれているのではいでしょうか?―出会いの神秘のうちに。
 (…)」(飯吉光夫訳)

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 そしてそうした認識に立つとき、この能が数多ある作品の中での最奥に位置づけられることも不思議ではないように感じられる。現在と断絶した過去の記憶に基づく自伝的自己としてのアイデンティティーは、そのまま「老い」と「死」の自覚に繋がり、それらを「中間休止」の毎に通過して甦ることによって存続しているという「自己」の「構造そのもの」をここまで端的に提示する作品は他には思いつかない。

 世阿弥の芸能・芸術論がしばしば人間の生き様に関する示唆として読まれるのも不思議なことや不当な拡大解釈ではなく、寧ろ、生きることというのはどこかで美的なものを通じて自分が発生した条件を超えていくことそのものであり、逆にそのような生き方はどこかで芸能・芸術に繋がっているからではなかろうか。そしてその限りにおいてもまた、「檜垣」程に普遍性のある作品は思い浮かばない。そしてもしそうであるならば、個々人の観能の経験をどのようにして自分の事として咀嚼するかは、見所の各々に課せられた宿題なのだろう。

 繰り返しになるが、私個人としては、まさにこのタイミングで他ならぬこの演能に接することができた僥倖を改めて強く感じずにはいられない。これまた人それぞれであることは承知の上で、再度我事として思えば、同じ演能であっても、例えばこれを30歳半ばを過ぎる手前で拝見して同じように受容できたとは到底思えない。更にまた、演者の一生をかけての修行の過程におけるそれも含めた演能の持つ重みを思えば、それに十分に見合ったように自分が受け止められているかどうかについては心許ない限りだが、さりとて、例えばもう数年馬齢を重ねてから接したとて私の能力の限界が変わるとも思えず、受け止め方は恐らく大きく変わることはないのかも知れない。以前、別の演能の感想を記す折、死を直前にしたデリダの「生きることを学ぶ、終に」という言葉を思い浮かべたが、結局のところ、それを愈々我事として何処まで引き受けられるかに懸かっているに違いない。

 だが、そんな宛て処のない思いに耽ることは止め、時間はかかっても、受け止めたものを自分なりに咀嚼し、拙いなりにでも表現や行動に齎すことこそ、受け止めたものに相応しい応答として求められていることに違いない。それについては後日を期することにして、もう一度香川さんを始めとする演者の方々に感謝の言葉を述べて、一旦はこの拙い感想の結びとしたい。(2019.9.15初稿)

2018年9月24日月曜日

「第15回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成30年9月15日)

狂言「鐘の音」
シテ・山本則俊
アド・山本泰太郎
アド・若松隆

能「天鼓」
シテ・香川靖嗣
ワキ・森常好
アイ・山本則重
後見・塩津哲生、中村邦生
笛・一噌幸弘
小鼓・曽和正博
大鼓・国川純
太鼓・小寺佐七
地謡・友枝昭世、粟谷能生、出雲康雅、粟谷明生、長島茂、友枝雄人、内田成信、佐々木多門

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 春秋2回開催となって3年目の香川靖嗣の會、春の「桜川」に続いて、秋の「天鼓」を拝見しに、 目黒の舞台を訪れる。昨年の「山姥」は急用のため拝見できなかったため、秋は「遊行柳」以来となる。 番組の前半は山本則俊さんの圧倒的な狂言「鐘の音」。いつも通り、こちらは別に感想を纏めることとして、 以下では「天鼓」の感想を記しておきたい。

 一言だけ記せば、「天鼓」が鼓の「音」についての物語で あるように、「鐘の音」も音に関わり、かつその祝言性が強く感じ取れたこと(これはそれぞれの持つ 演能の性格による部分も大きいだろうが、私個人としては、まさにそれを経験するために舞台を訪れて いるというそのものに他ならない)、いずれも後半の舞、仕方話が劇の内部に埋め込まれつつも そこから超出して、文字通り舞台を奉納そのものとする点において共通していて、番組構成の巧みさを 感じた。

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冒頭のお話は秋の恒例で金子直樹先生。例によって丁寧な解説で、特に印象的だったのは、 この作品については、いわゆる典拠が知られていないことを、世阿弥的な類型からすれば形式的には破格と 感じられる、ワキによる冒頭の長大な「物語」の提示の理由と関連づけられて言及された点と、 「藤戸」との構造的な類似性を、両者における前シテの感情のコントラストと共に指摘されていた点、 更には、喜多流では常には入らない太鼓が入ることと、楽の調子が盤渉調で奏されるという点。

 拝見すればわかることだが、単にシテが前後で異なるだけではなく、前場の末尾のアイによる送リ込ミも 共通していて鮮明な印象を残す。シテが前後で異なるということでは「朝長」が思い浮かぶが、 いずれも作者として元雅が擬定されていることは興味深い。前シテの息子を喪った父親の感情が、 「藤戸」の母親と異なって、冷えきっていることを金子先生は指摘されていたが、単純には分裂している という印象を与えかねない前場と後場の関係や、恨みが物語を展開させる動因となっていないという点も含め、 見方によってはやや不自然と感じる向きもあろう設定は、後場に現われる天鼓の霊が、理不尽な死への恨みを 述べることを一切せず、追悼の管弦講に感謝し、只管に鼓との再会を喜び、楽を舞うことと対応していているようだ。不自然といえばこちらの方が一層徹底していて、枠組みを借りつつも、作者の意図が全く別の処に在る 事は明らかなことのように思われる。そしてそれは結局、典拠がない、「ありえたかも知れない物語」を作者が仮構した点と結びついている、というのが 拝見しての感想であった。漢の時代の中国という、外国の話というのも、要するに「今」でなく、かつての「此処」ですらない、「ありえたかも知れない」 想像上の極東の国に物語を設定したということであろう。

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 上のように書くと、如何にも冷静に、頭で演能を拝見したように取られるかも知れないので 急いで否定しておくと、この日の演能は、これまで私が拝見した能の中でも、音楽的な経験の密度の 充実の点では屈指のものであって、囃子、地謡、そして後場の中核をなす楽の舞に、只々圧倒される他 なかった。終演後、香川さんの下で永年に亘って能を習われてきた方にそうした感想を告げたところ、 「自分が舞いたいと感じた」と仰っておられたが、この日の演能の素晴らしさを語るのに、 これ以上の言葉があるとも思えない。

 能は一面においては演劇であり、多くの場合、眼前で心の動きが無意識のレベルまで露わにされ、 生の軌跡が浮かび上がるのに涙し、カタルシスを感じることになるのだが、この作品は、典拠に拠らず、 物語を仮構することによって、「音楽」そのもの(その起源においてそれは舞を必須の構成要素と していた点は留意しておいて良いだろう)を提示することに主眼があったのではと思わずにはいられない、 かほど左様にその「音楽」は圧倒的であり、見所で坐っていながらにして、音の奔流に巻き込まれて 眩暈を感じる程の強烈さであった。音楽を聴いていて、悲しいわけでもないのに、そこに立ちあがる音楽の美しさ、しなやかな勁さ、身体に沁みとおるその密度に圧倒され、感極まって涙を 堪えきれなくなることが時々起きるが、今回の観能で起きたのはまさにそれであった。

 後場の楽において鼓と再会した天鼓が無心に舞を舞う姿は、限りなく透明で純粋なものだ。 母親が鼓の夢を見て懐胎したという謂れを持つ少年天鼓は、天から降ってきた鼓そのもの、要するに鼓の精なのだが、 更にそれは、謂わば音楽の化身に他ならないだろう。 香川さんが、舞だけ切り取ったとしても、それだけで見所を圧倒することができるシテであることは、数多いとは到底いえないこれまでの観能の中でさえしばしば 経験してきたのだが、今回の経験はその中でも、その純粋さと透明感、輝きと軽やかさにおいて際立ったものだった。 人間ならぬ精霊を演じて、その無垢を、神々しさを、人間離れした純粋さを体現することにかけて 香川さんに替る存在は考えられないが、音楽の精が舞うことが作品の中核をなす「天鼓」という曲は まさにうってつけの作品であろう。勿論それは、作品に対する細心の配慮と長年の鍛錬に裏打ちされたものに 違いないのだが、拝見している最中には、そうしたことは忘れ去られ、見所もまた無心になって 笑みを浮かべ、恍惚とした表情を湛えた精霊の舞に自らを同化させる外ない。

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 些か先走ってしまったが、観能後暫くの時を隔てた現時点ですら、演能の一齣一齣が鮮やかに 思い浮かぶ。どの細部をとっても充実していて枚挙に暇はないのだが、印象に残った箇所を 時系列で記しておくことにしたい。

 まずは問題の冒頭、森常好さんによるワキの「物語」。天鼓の父、王伯を訪れた臣下という 劇中の役割を帯びていて、だがナレーションのようでもある不思議な感じ。ワキはシテに対する 外部の視線を構成すると言われるが、常のワキの役割とも異なるように感じられる。 論理的な解釈としてよりも、感覚的印象として、1レベル外側、物語を外部から語るかのように 感じられる。喩えて言うなれば、夢を見ている意識が、それが夢であることを意識しつつ夢の中の登場人物でも あるかのような二重性に近いだろうか。

 前場の頂点は、鳴らなくなった鼓を鳴らすという無理難題を命ぜられ、抵抗することもできずに 召喚される他ない王伯(彼が「罪」という言葉を口にするのを聞いて、ぎくりとする。一体何が 罪なのか、見所は戸惑うしかない)によって音が鳴らされた瞬間であろう。 はっきりと翁の表情が変わって、それまで滅していたかに見えた何かが確かに甦ったことが感じ取れる。 亡き子供への思いが鼓を鳴らすと説明すればわかりやすそうだが、舞台を拝見した印象はそうではない。 子供の形見、否、寧ろ分身という方が相応しいかも知れない鼓と再会し、それを手にとった時に、王伯の心の中に 何かが起きたのだ。

 そもそもが王伯夫婦にとっての天鼓は、竹取の翁にとってのかぐや姫のような 存在であったろう。鼓がそうであるように、天鼓自身もまた、天からの授かり物なのだ。天鼓が地上に降り立つにあたって何故王伯夫妻が 選ばれたのか、物語は説明をしないけれど、ともかくも鼓に再会した瞬間に、再び王伯の中で何かが起きて、 結果として鼓が鳴る。そうした何かを備えた人物として王伯は設定されていて、尚且つ鳴った鼓が、凍てついた王伯の心を溶かし、失ったかに見えた力を甦らせていく、その変容のプロセスを、 動きの抑制された舞台の上で目の当たりにするのは、奇跡に立ち会っているようなものだ。 だけれどもその抑制された動きによって、実際に打ち鳴らされるわけではない鼓の音が一瞬響いたように 見所が錯覚し、いや、もしかしたらそれは王伯の心の裡で何かが甦った徴候ではないかと見所が いぶかしむのは、能の様式の力であり、香川さんの巧まざる演技の力でなくてなんであろう。

 金子先生が予め指摘されていたように、その転換こそは論理的には後の場の管弦講を準備するものなのだが、 王伯が鼓を鳴らすことが既に招魂に他ならず、その聴こえない音は、時が逆流し、 蘇生と復活が行われる時間論的な消息を告げるものであることの実感が論理を圧倒してしまうように 感じられる。王伯は再び呼び出されたのだ、王伯を通じて、見所の我々にも「来たれ」の召喚の声が 鳴り響いたのだという揺るぎのない感覚に捉われる。逆説的なことだが、それを惹き起こしたのは、受動性の極みに達した 王伯の、自己放棄そのものなのではないかというようにも感じられる。

 以前拝見した「藤戸」の送リ込ミを彷彿とさせる山本則重さんの送リ込ミとそれに続く見事なアイの語りの後、 見所の意識が集中する揚幕から出現するのは、論理的には天鼓の「亡霊」ということになるのだろうし、 実際、本人がそのように名乗リもするのだが、私には、これこそが本来の天鼓の姿である、寧ろ鼓の精が本来の姿で出現したようにさえ感じられる。管弦講への感謝を述べはしても、自分が被った理不尽な死についての 呪詛はない。王伯と同様、天鼓もまた到来した鼓との再会と自己の蘇生の響きとを聴き取るばかりであるかの ようであって、生前の天鼓を知らない私は、もともと天鼓というのは、このようにこの世ならぬ、透明で 純粋な存在ではなかったかと思わずにはいられない。微笑を湛えて無心に舞っているのは年齢というものを超越した永遠の子供であり、その姿は人間が現実には遁れることのできない老いから自由であるかのようで、実際にはそれを人間が演じているという事実は、舞台を拝見している時間の中では忘れ去られてしまう。

 鼓が設えられた一畳台の上での動きの自在さは 驚くべきものだし(実際には、面で視界が著しく制限された状態のはずなのだが、そうしたことは 微塵も感じさせない)、舞となれば、まるで重力から自由でありうるかのように舞台を軽やかに巡って、 時折響く足拍子も、能舞台の床に張られた透明な水平な膜が鼓となって妙音を響かせているかのようだ。

 金子先生の指摘される「藤戸」との共通性は、 水に沈められての死という点にまで及んでいるのだが、「藤戸」との類似はそこまでで、この能の後場において、彼の屍が沈んでいる筈の呂水の水は、盤渉調の青色の奔流によって「生命の水」と化するかのようだ。 追加された太鼓もまた、そうした流れの勢いの印象を強める。既に述べたように囃子の素晴らしさは、空前絶後という形容をしたくなる 程だったが、天鼓を舞へと誘うワキの謡もまた、シテを召喚するマントラのようだ。それに呼応する太鼓を伴う囃子によって流水のイメージが増幅され、波濤の砕けたしぶきが月光に照らされて青白く煌めくのを目にするかに感じられる。 常には西洋のクラシック音楽を聴くときに感じられる共感覚を、能の舞台でかくも鮮明に感じ取ったのは 初めてのことだった。

 楽を舞う天鼓の表情の豊かさ、充溢する喜びの感情は、圧倒的な囃子ともども見所に働きかけ、 会場全体がよろこびの波動によって満たされていく。無心に舞を舞う姿に涙せずにはおれないが、 その涙は音楽をこちらもまた子供の心に還って無心に享受するよろこびのそれであるという他ない。

 キリに至り、シテが舞台を廻るに至り、 見所に座していながらに眩暈のような感覚に襲われて、一体ここはどこなのか?自分は何を見ているのか? 何が幻想で何が現実なのかの区別がなくなっていくかのような感じに支配される。 「また寄りてうつつか夢か」というのは、そうした己の感覚を述べているのではないかと思える程に。「夢、幻となりにけり」で突然舞台が静止し、それまでの絢爛たる音響の坩堝から静寂へと切り替わる。見所は魔法にかかったように、しわぶき一つ立てずに静まり返ったままで、ようやく 地謡が席を立ち、囃子方が橋掛かりを渡って舞台を去る頃になって、我に返ったかのように何時に無く 大きな拍手が舞台を包む。

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 今回の上演が、例えば技術的にどうであったかというのを語るのは私には荷に余ることだが、 最後に幾つか、帰途に思い浮かべたことを記してこの感想の結びとしたい。

 冒頭、ワキが語る物語が、まるで物語の外部のナレーションのようだ、と先に記したが、 それに照応するように、実感としては、後場もまた物語の外部であり、物語を内側から 現世的な視点で眺めた場合には、鼓が鳴ったことで生じた幻想であるもの、まずもって王伯が見て、恐らくはその場に居た人間の共同幻想であったでろうものが、この作品そのものであること、 音楽の持つ呪術的な力が作品を支える原動力でありながら、同時に作品のテーマでもあるといったこの作品のユニークな構造を感じずにはいられなかった。

 一見したところ必然性に乏しく、有機的に機能していないかに思われる物語を支える因果もまた、 外側から眺めたとき、なぜ天鼓は死ななくてはならなかったのかという問いに対して、そもそもが天鼓の存在 そのものが、現世的な秩序、世の成行きを超越した側面を孕んでいることの結果として了解することが できようし、天からの授かりものとしての天鼓と彼を追うように天から降ってきた鼓の二重性もまた、イデアルで人間の耳には聴こえない「天球の音楽」(それを「聴く」ためには法則性を解き明かすための数学が必要とされる)としての音楽と、そうした音楽を化体し、人間に聴き取れるものとするメディアとしての楽器の持つ呪術性という観点から捉えることができるように思われるのである。

 それらは総じて、ジャンルの違いを超えて、メディアアートのような領域で追求されているテーマに そのまま通じているように思われる。そうした見方に立てば、能楽は時代を超え、 今日なお、最高度のポテンシャルを備えた最高級のメディアアートに他ならず、この日の演能は、その考えうる 究極の達成の一つであったというように思えてならないのである。

 そういう文脈において直ちに私が思い浮かべたのは、三輪眞弘さんの「逆シミュレーション音楽」を 初めとする「音楽」の根源を問い直す取り組みであった。例えば「天鼓」という作品の持つ、典拠の欠如という性格もまた。 不在の、架空の典拠を仮構し、「…という夢を見た。」というフレームで作品を括弧入れするという 三輪さんの批判的な姿勢に通じるものを読み取ることができるように思えるのである。そしてなにより少年の形象において、両者に通底するものを見ることができるのではないか。「天鼓」というのは、まさに「新しい時代」で、最後に自分の声で歌を歌うことができた「昇天少年」に他ならないではなかろうか。

  だがそれ以上に重要に思われるのは、「ありえたかもしれない」物語の創造が、まずもって死者の無念を 弔うためのものであること、そのことによって、メタレベルから出発しつつも階層を超えて、 「音楽」そのものとしての呪術性を獲得している点であろう。一見したところ現代の高度なテクノロジーを駆使しているかに見える三輪さんの作品がそうして姿勢において一貫していることは、その試みの射程を捉えるうえで極めて重要な点だと思うが、「天鼓」という作品もまた、典拠を仮構し、 死者の無念を弔いのための「音楽」というフレームを用意するという、ジャンルに対する自己言及的性、 メタな側面を持っていると同時に、それ自体が優れて「音楽」そのものでもあるという点において 著しい並行性を示しているように思われたのである。

 だけれども、それはあくまでも枠組に過ぎない。意図を最高度の実現にもたらすのは、演者の力に他ならないのだ。 それゆえ私がこの演能に接して最も強く感じ、深く納得したことは、プログラムに香川さん御自身が記された、この「天鼓」という作品に 寄せる愛着であり、作品の意図を実現するための太鼓の使用という判断の正しさであった。まさにこの日の演能は、 見所全体を圧倒する「舞う歓び」に満ちたものであり、それはまた、太鼓を伴う盤渉調の囃子によって 持ちうる最高のポテンシャルを実現したものであった。私自身は自分の能力の制限に応じて、 その全体のごく僅かを受けとめただけであるにせよ、見所にとって、この日の演能のような達成に 立ち会うこと以上の歓びがあるとは思えない。心からの感謝の気持を込めて、香川さんをはじめとする演者の方々に 御礼申上げることで感想の結びとする次第である。(2018.9.24 初稿公開)

2018年4月29日日曜日

「第14回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成30年4月1日)


「第14回香川靖嗣の會」
能「桜川」

シテ・香川靖嗣
子方・内田利成
ワキ・宝生欣哉
ワキツレ・則久英志
ワキツレ・野口琢弘
ワキツレ・大日方寛
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌幸弘
小鼓・成田達志
大鼓・國川純
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・内田成信・友枝雄人・金子敬一郎・大島輝久

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今年の桜は早かった。既に彼岸過ぎには満開で、4月になると間もなくあっという間に散ってしまう。 毎年の春の恒例の「香川靖嗣の會」の今年の番組は「桜川」、恰も予めそれを見越したかのように4月1日の日曜日に 開催され、目黒駅から能楽堂までの道の途中にある満開の桜が早くも散りつつある中を往復しての観能となった。

私事になるが、実はこの回に先立つ第13回、昨年秋の「山姥」の演能は拝見できなかった。初回より欠かさず拝見して きたけれど、途切れる時には誠にあっけない。昨年は春にも、それまでしばらく欠かさず訪れていた さるオーケストラの定期演奏会、しかもプログラムに作品の紹介文を寄稿までした演奏会に行けなかった。 取るに足らないことと言ってしまえばそうなのかも知れないが、年に何度も能楽堂やコンサートホールに足を運ぶ 人にとってのそれと、私のように極限られた機会にしか訪れない人間にとっては重みが異なる。

そして今回「桜川」も、舞台を拝見できるかどうか前日まで予断を許さなかったのであるし、当日も拝見したのは 「桜川」一番のみ。番組では後に続いた狂言も、仕舞「熊坂」は拝見を断念して能楽堂を後にした。 「桜川」の前日の夜は件のオーケストラの今年の演奏会だったのだが、これもキャンセル。そうした中、 同行者の歩行を気遣いながらの往復となれば、桜の景色も同じものではありえない。そして当然、そうした心理は 観能にも翳を落さずにはいない。

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この日の番組は、それまでの十数回と番組の構成が異なって、冒頭恒例の馬場先生のお話はなく、いきなり 能が始まった。その代わりということであろうか、会場で配られたブログラムには馬場先生が寄稿しておられる。 観能の回数が限られる私にとって、演能の時空は、それを囲繞する日常のそれとの間に或る種の不連続面を 持っていて、これまでは馬場先生のお話を拝聴しつつ、その断層を横断していたことを思い起こさずにはいられない。 これもまた演能の内容のみに専念する方にとっては瑣末ということになろうが、口開けにワキツレの人商人が現れて 事情を述べるのが、まるで舞台と現実とのあわいでのことのようで、幕が上り、シテが橋掛りに 現れると漸く風景が見えてくるように感じられる。

これは後から気付いたことなのだが、この曲にはいわゆる道行がない。 勿論、ワキの僧と子方の桜子の寺から桜川への道行がないわけではないのだが、 物狂のシテの方は桜川に既に先に到着しているのだ。桜川は実在の地名のようだが、近隣さえ訪れたことのない私には、 それは寧ろ演能により舞台上に浮かび上がる想像上の場所、再会のための特異点のようなものに感じられる。 もしかしたら、現実に過去に数多起きたであろう類似の出来事のどれとも同じではない、ありえたかも知れない 風景なのではないか。まるで夢の中で訪れた場所のように、時として現実以上に生々しいクオリアに満たされながら、 現実の中には場所を持たないユートピア(非-場所)での出来事のようだ。

勿論シテは自分で筑紫からの道行があったことを語るが、その道程をその場で再現するわけではない。 寧ろそれはこの場に木花開耶姫を呼び出すためであるかのようだ。 世阿弥の手になるらしい、シテや地謡が紡ぎ出す詞章の絢爛さが、或はまた、いわゆる「網之段」を核とする シテの所作の鮮やかさが、現実にはありえない程の舞う桜の散乱で舞台を埋め尽くし、 見所まで香りが届くかの如き心地である。 現実にはこれほどの桜が散れば、もはや枝には桜がなさそうなものだが、あろうことか、 枝は尚一面の桜花に埋め尽くされている、まるでそうした場でなくては再会は生じないのだと いうばかりに、、、

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「桜川」を拝見するのは二度目、20年も前、能を見始めて間もなくの頃に、珍しく他流での上演で拝見したそれは、 駘蕩としつつどこか鄙びた、仄かに明るい風景を見せてくれたという印象のみが残っていたのだが、 今回のそれは寧ろ、「再会」の奇跡が起きるとしたら、その瞬間はどのようなものでありうるかというのを 舞台の上に示したものに感じられた。聊か突飛な連想であることを承知で言えば、「我が子の花は何故咲かないのか?」 という嘆きに接して、例えば曾我物語の或るバージョンにおいて、その結末で年老いた虎御前が自らも空しくなる直前、 咲き誇る夜桜の枝に十郎の姿を見るというくだりがあるのをふと思い浮かべたりもしたのである。 勿論「桜川」は現在能であって、再会は現実のことなのではあるけれど、単なる再会の物語であることを超えて、 それはどこか神話的な非現実感を思わせる点で、寧ろ夢幻能に近い感覚さえ覚えた。物狂というのもまた、 そうした「再会」に至るための心的変容のプロセスとして考えることができるのではなかろうか。

思い起こせば一年前には、同様の状況で、全く異なる残酷な現実を直視した元雅の能「隅田川」を拝見したのだった。 世阿弥作とされる「桜川」と元雅の「隅田川」との対比はあまりにも鮮烈で、更には「桜川」における些か作為の過ぎた状況設定もあって、 それを単なる人情話的な現在能として受容することはできない。自己を喪い、自己の背後から呼び掛ける声(それは 自己の下で常には抑圧されている深層意識と見做してもいいし、より単純に、ジュリアン・ジェインズの二分心の 仮説において、そのように考えられているように、意識の成立以前の心の構造の残滓たる「隠れたる神の声」と 見做すこともできよう。或はまた、膨大な歌の引用がもたらす他者達の声の交響を見るべきなのかも知れない) に応じる「物狂」の果にしか「救い」はないのだという認識こそが示されているようにさえ思われたのであった。世阿弥が巧妙に仕組んだ詞章の織り成す世界は、そのまま「物狂」を通して見る「現実」に外ならず、だが無色透明な現実というのはそもそもありえず、人は皆、自分が埋め込まれた脈絡の厚みを通して、自分の「現実」に向き合う外なく、「物狂」というのはベイトソンの言う「無意識のエクササイズ」に他ならない、といったことが心を去来する。

そう思えば「桜川」という能は実に演じるに厄介な作品であるに違いない。 心理的な掘り下げとか解釈のような賢しらさは却って作品の姿をわかりにくくする危険さえあるのではないか。 寧ろ端的な謡や所作への没入こそが相応しいようにさえ感じられる。 勿論、それを可能にするのは長年の渉る修練がもたらす芸の蓄積の力に違いなく、それゆえ今回の上演は、 まさに作品そのものを「あるべきように」開示する稀有な出来事であったに違いない。

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上述のような繰言は、それ自体が賢しらな後知恵ではないかという反論があるかも知れない。 だがそれに対して私は、冒頭記したような状況での観能となった今回、このような優れた演能に接することが、 同行者にとってどんなにか大きな「慰め」となり、「癒し」となったかという事実を以て応えることができる。 比喩的に「慰め」「癒し」という言葉を使うのは容易いが、比喩としてではなく現実の出来事として それを体験するのは、それがささやかな日常の一部を構成するに過ぎないとしても、常ならば大げさな誇張としてしか受け取られない「救い」という言葉を使うに相応しい稀有な出来事ではないか。

10年以上、14回にも及ぶ蓄積の仮想的な断面を見ることができるとしたら、例えば、忘れもしない東日本大震災の直後の「朝長」のような「出来事」もあったけれど、今回は私的でささやかな、見所の座席のもう一つ隣には共有されえない、だけれども当人たちにとってはかけがえのない、しかも紛れもない「現実」の「出来事」であり、それゆえに外出が叶わず、常の年ならば決まって訪れた桜並木を訪れることが叶わなかった人間にとって、この上ない経験であったのだ。 そうした現実的な力を備えた経験を可能とした、香川さんを始めとする演者および企画に携わられた方々に 心から御礼を申上げて、結びの言葉としたい。
(2018.4.29暫定公開、5.3補筆修正)

2017年4月20日木曜日

「第12回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成29年4月1日)


「第12回香川靖嗣の會」
能「隅田川」

シテ・香川靖嗣
子方・大島伊織
ワキ・宝生欣哉
ワキツレ・御厨誠吾
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌幸弘
小鼓・曽和正博
大鼓・國川純
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・友枝雄人・金子敬一郎・大島輝久・佐々木多門

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4月の第1週の週末に催される「香川靖嗣の會」を拝見するようになってから、もう10年以上にもなることにふと気づいた。 昨年からは秋にも開催されることになったので、今回が12回目。初回の「絵馬 女体」を拝見して以来、 幸いなことに1回も欠かさず拝見することが叶って、今回は「隅田川」。 年毎に春の訪れのありようは微妙に異なって、今年は雨が今にも降りそうな気配の曇天。 綻び始めたまま、陽射しを待って歩みを緩めた桜の下、聊か沈鬱な風景の中を目黒の舞台を訪れるのは、 番組に如何にも相応しいように感じられる。

冒頭記した感慨は、それが恰も年中行事のように、すっかり習慣となっているが故に他ならないのだが、身辺の慌ただしさは徒然に移ろっても、まるで季節の循環の一部であるかのように演能を拝見できることが どんなに有難いことか、回数を重ねるにつれて、身に沁みて感じられる。世間一般には能は音楽劇の一種であり、 能楽鑑賞は趣味娯楽と見做されるであろうけれども、近年は多くても年に数回、もっぱら香川さんの演能のみを拝見する ばかりである私にとっては、それは寧ろ、季節の循環や暦日に従って毎年繰り返される宗教的な祭祀や儀礼に 近しいものと感じられる。勿論、こうした感じ方には、能楽そのものが今なお喪うことなく保持し続けている奉納的な性格、 そしてそうした性格と不可分の、観る者の奥深く、無意識の領域に迄働きかける力が与かっているのだろう。 そしてまた、これまでも拝見する度に、自分が経験している演能が、自分の容量を遥かに超えた豊かさと深さを備えていることを感じ、 辛うじて受け止めたものさえも、それを言語化することの困難を味わって来たが、今回は「隅田川」という作品の性質も相俟って、 それが極まった感があることを、帰路、迫る夕闇の中で更に深く憂いに沈むかのような桜の下を通りつつ感じずにはいられなかった。

恒例の番組の冒頭のお話の中で馬場さんは、ご自分が最初に御覧になった能が「隅田川」であったことを披露され、 初めて観る人にも、何十回と観ている人にも、それぞれ相応のものを与える能楽の奥深さについてお話されたのだったが、 私はと言えば上述のような次第で、「隅田川」を拝見するのはようやく二度目、もう十年も前になる前回の観能の経験を 今回のものと突き合わせて何事か論ずるだけの知識もなく、自分が辛うじて受け止め得たもの、その場で生じた出来事から すれば次元も解像度もお話にならない程縮退した、色褪せた残像に過ぎないものを記すのが精一杯である。 幾つもの場面、所作が、その時に感じた強い情緒的な反応もろとも、つい先ほど拝見したばかりかのように克明に 思い出されるのだが、それを記述しようと試みたところで到底、観たものに到達することはできそうにない。いつものことでは あるが、シテは勿論、子方も、ワキもワキツレも、囃子方も地謡も、更には後見に到るまで、全く弛緩することなく 全曲が演じられ、その完成度は、それが舞台で行われているフィクションであることを忘れてしまう程の圧倒的な上演であったことのみ記して、 具体的な細部については、それを能くする知識と経験をお持ちの方の評に委ねることとし、ここでは専ら、 自分が感じたこと考えたことのみを記すことにしたい。

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「隅田川」を前回拝見した時に感じたのは、元雅の手になるこの作品が、世阿弥的な能の形式をに巧妙にずらし、 顛倒させ、尚且つ能としての本質を損なわないばかりか、その組み換えによって作品に比類ない力と、全くオリジナルな深みとをもたらすことに 成功しているように思われるということであった。それはいわゆる複式夢幻能と呼ばれる形式を典型として思い浮かべつつ この作品に接すれば誰もが直ぐに気付くことであろうし、他方でそこから逸脱した作品は幾らでもあって、 その逸脱の力学は様々であるのだが、ことこの作品においてはそこに作者の元雅の明確な主張があり、彼の意図と密接な 関係にあるように思われたのである。

この作品は、分類すれば物狂いがシテである現在能ということになるのだろうが、 物狂いや道行を見せることに焦点があるわけではなく、それらは物語の背景を形成するに過ぎない。 あまりに有名な、業平の故事を踏まえた都鳥を巡っての遣り取りは、これも複式夢幻能の前場に多い、 所謂名所教えを踏まえてはいても、看過できない捻りが加えられていて、問うのはシテであり、しかもワキは シテに対して適切に応えることができずにシテに咎められるといった具合になっている。まだ挙げれば幾つも 指摘はできようが、このような組み換えの最大のポイントはと言えば、物狂いの能の定型である、約束されていた筈の 再会がここでは失敗し、結果として物語が強い悲劇性を帯びる点にあるのはよく指摘される点である。

馬場さんは初めて「隅田川」をご覧になった折、ワキの装束が渡し守としては不相応に立派に過ぎることを 不思議に感じたとのことだが、私が気になったのは、この作品には前場と後場を繋いで物語の経緯を説明するアイがおらず、 ワキがその役割を果たしているように感じられる点であった。 通常なら諸国一見の僧であるワキが道行を経て物語の起きる場所に辿り着くと、 それを待ち受けているかのようにシテが出現するのだが、ここではそれも逆転し、到着するのはシテの方である。 その後、シテとワキツレを乗せたワキの渡り守が隅田川を渡すことが、前場と後場を繋ぐ道行の代補となり、 その渡しの最中に、ワキが丁度その日に行われる念仏供養の由縁となった1年前の出来事を物語ることで 物語の背景が解き明かされるから、アイの登場する余地は残されていない。 常にはワキの同行者であるワキツレもまた、別の役割を与えられており、限られた語りの中で、いわば「第三の視線」として、 一見したところ不在となった本来のワキの位置にいるようでいて、寧ろ見所の代表のような役割を果たすように感じられる。

プロットから独立した舞事がないことと相俟って、そうした組み換えによって弛緩なく自然に物語の運びが実現されており、 その感触は寧ろ「現代的」な演劇に通じるものがあるといって良いように感じられる。勿論「現代的」というのは 己の属する時代の束縛を受けた都度都度の受容者側の認識であって、恐らくは寧ろ時代を超えた普遍性を備えていると いうべきなのだろう。それゆえまた、その「現代性」をもって元雅という人の天才を論じるのは片手落ちな見方に過ぎず、寧ろ そこに見るべきは、そこに込められた元雅の思いの深さなのだ、ということに気づいたのは、これは前回ではなく、 今回の演能に接してであった。

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とはいえ、上述のようなことを演能を拝見しながら考えたというわけではない。寧ろその場でまず思い当たったのは、 上述の役割をずらしていくプロセスの帰結として、不在となるシテの位置を埋めるのが、 実は子方の梅若の霊なのだという点である。のみならず、それが私が前回拝見した時に不思議に思ったもう一つの点、 即ち供養される側である筈の子方が自ら念仏を唱えて出現することとどこかで釣り合っているのだ、ということにも同時に 思い当たったのだった。それは例えば世阿弥の夢幻能であれば曖昧さ無くシテとワキに分配される、救済されるものと救済するものと の間の関係に揺らぎが生じているということなのだが、今回の演能を拝見して感じたのは、それが元雅の意図と一致し、 作劇法とも一致した一貫性のあるものだということであり、しかもそれは強い必然性を帯びているとさえ感じられたのであった。

かくして現在能の形式を取りながら、その中で夢幻能におけるが如く霊を出現させることで、祭祀的・宗教的な 性格を強く帯びるようになるばかりではなく、夢幻能では供養によってシテが成仏するプロセスに 焦点があるのに対して、ここでは視点の反転が起きていて、供養によって救済されるのは、寧ろ供養する側であることが 示唆されているように思われるのだ。そしてそれが元雅が企図したことであり、「人間憂いの花盛り」という認識から その憂いの最中にいる側が供養によって救いを得るということに正確に見合っていることに思い当たることになる。 そしてそれは単に物語の世界の論理に留まらず、恐らくは演能する者、更にはその演能を拝見する見所にまで及んでいるのでは なかろうか。

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このように書くと、如何にも分析的な見方をしているように 思われるが、これはその場で気づいたことを理屈で跡づけて見たに過ぎない。 実際、今回感じたのは、観る者を巻き込み、舞台の上で演じられているという虚構性を思わず忘れさせ、 時空を超えて供養に自らも立ち会っているかのような迫真性で心の奥底まで突き動かす、 その力の凄まじいばかりの大きさであった。勿論それもまた能楽というジャンルの持つ奥深さの現われなのだろうが、だからといってこの日に経験したようなことがいつも無条件で起きる訳ではなかろう。ひとつには上で自分が気づいた範囲でその特徴を記述した「隅田川」という作品の力があり、そしてもちろん、シテ、子方、ワキ方、囃子方、地謡から後見に到るまで、開曲から終演に到るまで全く弛緩することなく、まるで自己触媒反応を起こすが如く、相互に触発し合うことで達成された最高度の上演によってのみ実現されるものに違いない。舞台の上で起きている出来事が虚構であることを忘れ、自らも供養の 参加者であり、涙を堪えようとすれば、時折視線を逸らさなくてはならない程にまで 眼前で起きている出来事に烈しく心を揺すぶられるような経験であった。

そして自らも供養の参加者であるということは、まさに梅若の姿の目撃者であるということに他ならない。 梅若の姿は、シテの個人的な幻覚などではない。彼女に同情して供養に参加したワキやワキツレもまた、 その姿を見たに違いない。そして見所もまた、その目撃者となることを元雅は意図したのではないか。 この日の舞台は、作者元雅が意図した通りの、子方を出す演出であったが、「申楽談義」にて父世阿弥と 子方を出すことの是非について議論した際に、子方を出さない演出を提案する世阿弥に対し、 元雅が「えすまじき」と言ったその意図と心情とが圧倒的な深さ、説得力をもって伝わってきたと感じた。 元雅は是が非でも梅若を登場させたかったし、その気持ちは、作品の論理として貫徹されている、 そしてそれを今回の上演は揺るぎなく闡明した、と思われたのである。

実際、この日の舞台を観た者は恐らく皆、これで梅若が現れないとしたら、それはあまりに残酷に過ぎて耐え難いと 思われたに違いない。そして梅若の霊が現れたことを自らも確認し、供養がもたらした奇跡に安堵し、深いカタルシスを感じたのではなかろうか。 少なくも私はそう感じ、念仏をする子方の声が響いた時に供養の功徳が成就したと感じ、 剰えそうであることを「必然」とさえ感じたのである。ただしここでいう「必然」とは現実の世界の因果の謂いではない。 現実の世界ではその論理は完遂し難く、寧ろ脆く崩れ去ってしまう不可能なものであろう。だがそうであるからこそ、 その論理が完遂するような場が、虚構としてであれ、現実の中で実現することを願わずにはいられないのではないか。少なくとも元雅は、 冷徹な現実の最中で、そのようなものとして作品を企図せずにはいられなかったのではないか。

(例によってこれは些か突飛な連想と見なされるであろうから注記的に触れておくと、私は子方を出す演出に関して、 仏像というものの在り様のことを考えざるを得なかった。仏像の前で祈ることは、偶像崇拝ではない。祈りは仏像という オブジェ自体に向かうのではなく、仏像を通じて仏を念ずることだろうからである。そして仏像は美術品ではないから、 美的価値のみでそれを評価すべきではないこと、だけれども様々な造像があり、他方で観る者の心持に応じて、 同じ像が異なる姿を現すこと、更にはしばしば祈りの対象である筈の仏(像)がそれ自体祈っている姿に造像されること、 そうしたことをこの演能を拝見して思い起こさずにはいられなかった。更にはそれらは総じて、能を演ずること、 それを拝見することと通じているように思われてならないのである。否、能ばかりではなく、 それは芸術一般に通じるのかも知れない。序でに言えば、「隅田川」の称名は阿弥陀仏に対してであるけれど、 その阿弥陀の脇侍である観世音菩薩が相手に応じて様々な姿に変じて現れることも思ったし、更に音を観ずるという、 今日的には共感覚を思わせるようなあり方が、とりわけこの日の演能においては、一つには称名の声と梅若の出現という 「隅田川」という作品のあり方に、だがそれに加えてこの日の、まさに音を観、姿を聴くといった理想的な演能のあり方に通じているのではないかと 思い至ったのである。精緻に論じるだけの知識もなければ、確信を以て読み手を説得するだけの経験の裏付けもない私は、 寧ろ、この日の演能を経験することによって、こうした認識の門前にようやく立てたに過ぎず、それ故、括弧入れした 形で触れるのが精一杯であるが、このことに一言触れておかずにはいられず、追記した次第である。)

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馬場さんがこの作品の中核を示す詞として取り上げられた「人間憂いの花盛り」という詞は「生死長夜の月の影、 不定の雲覆へり」と続き、実際には月の光の下で念仏供養が行われるのだが、その光は、 例えば「伯母捨」がそうであったような荘厳な光の氾濫には程遠く、ともすれば朧に霞み勝ちのように思われる。 そうした薄闇の中、1年遅れて辿り着いた母の前に既に亡き子供が現れるのだ。 それは時間にすればほんの一時のことに過ぎず、互に手をとりかわそうと近付くと、その姿は儚くも消えてしまう。 だが、それが一瞬のことであったにせよ、念仏供養の声が、打ち鳴らされる鉦の音が、 梅若の霊を呼び起こし、出現させたという事実は残る。母親は確かに梅若の声を聴くのみならず、その姿を見たのだし、 そのことを供養に参加したワキやワキツレも見たに違いなく、母と共に彼らがこの供養の功徳を後世に伝えていったに 違いないのである。否、そこで梅若の姿を見、梅若の出現の必然を証言するのは、物語の世界の内側の登場人物だけでは ないのではないか。その優れた演奏により出現を必然のものとして可能にした演者の全て、見所の全てもひっくるめて そうなのではないか。「人間憂いの花盛り」を我が事と感じたのは、演能の場にいた全員であったのではないか。 演じられる虚構と演じる現実の区別は、常には裁然たるものであるし、例えば演能を批評するため にはその区別は前提であろうが、私はことこの日の演能に関しては、その区別が乗り越えられ、廃棄されてしまったが 故に可能となった経験の側につきたいと思うのである。

梅若が舞台の上に一瞬だけ出現し、母の姿と交錯するが早いか塚の中に消えてゆくことによって、その後のキリの 風景は意味合いを全く変えてしまうかのように思われる。夜明けの光の中に見えるのは現実には草生した塚だけであろう。 梅若が蘇生するような奇跡、あるいは梅若が1年前に世を去るのとは異なった因果の成り行きは我々の生きる この世界の現実には用意されていないのだ。そうしたこの現実の世界とは異なった秩序が支配する世界と 一瞬だけ触れ合った後のキリの風景は異様である。梅若は決して蘇りはしなかった。 だが梅若の姿は供養を共にした者達にとって、紛れもない現実であった。勿論それは客観的には、せいぜいが 共同幻想として片づけられてしまうのかも知れない。だがそれを幻想と呼ぶにせよ、今ひとつの現実と捉えるにせよ、 そうした機序を乞い求める現実は紛れもなく存在する。しかもそれは「隅田川」の能の舞台となった中世に固有の事情などではない。まさに能が演じられる今、ここの現実においても状況は変わるところがない。そうした現実と日々対峙しなくてはならない 「憂いの花盛り」に居る人間とは、今ここで演能を拝見する自分達のことではないのか。

夜が明けて、演能も果てて、作品の外側の現実が戻ってくる筈の終演のひととき、作品の内外のあわいを歩むかのように 橋掛かりを通って舞台を去るシテの姿に、上述のような体験を経た見所は何を見ただろうか?能を観ることにより 自分の内側に侵入してきた何物かに浸されたまま、自分もまた同じように能楽堂を去っていく他ない。だが、その後に 来るものは、観る前と同じ現実である筈はない。供養の功徳により梅若の姿を一瞬でも観ることが叶った母は、 (梅若伝説のあるバージョンの伝えるところとは異なるが)身を投げて果てるようなことはなかったのではないか。 見所もまた「憂いの花盛り」の現実に戻っても、同じ風景を見てもどこかが違う。それを言い当てることなど 到底できないけれど、或はまた他人が見ても一見して違いがわからなくとも、自分の奥底に何かが降りてきて、 それにより何かが変わったように思えてならない。いや寧ろそれは予感に近いもの、変わっていくポテンシャルを 獲得した、否、もっとささやかにその契機を得たに過ぎないかも知れない。一般にはモダンで悲劇性の強い作品と 呼ばれる作品を拝見して、だが私が拝見し終えて感じたのは、救いのない現実に対する絶望ではなく、寧ろ ベクトルとして逆を向いたものであるように感じている。勿論これは、私だけの主観的な感じ方かも知れない。 例えば、(とはいえ、これは思いつきで持ち出すのではなく、あの終演の感じに似たものとして、終演の折、 自分の中から浮かび上がってきたものなのだが)マーラーの第9交響曲の終曲のアダージョを聴いて、 そこに何を読み取るのかは人それぞれなのと同じことかも知れない。自作の「子供の死の歌」の引用をはじめとする 断片がきれぎれに白んでいく空に漂うのが見え、夜明けの風景が聴こえるそのコーダは、主体が揮発して 空と化する地点を示していながら、しばしば解説として見かける「死のアレゴリー」という言い方には 大きな誤解が潜んでいるように思われて、到底首肯できないのだが、それを同じようなことを私は ここでも感じたのである。

更に、これは是非とも付け加えて置きたいのだが、これまで記してきた、私の中に湧き上がってきた思念や認識が、後から想起しても尚、生々しく蘇る光景の凄まじさ、リアリティに根差したものであることに気付いてみると、この日の演能が如何に素晴らしいものであったかに思い当たるのである。例えば、上に記したキリの風景にしても、私は塚の作り物が置かれた能舞台を見所から眺めていたに過ぎないというのが客観的な現実の筈である。基層の響きのように確かに聞こえていた筈の川の流れる音、水辺の空気の持つ匂い、刻々と変わる光の調子、それらは全て、シテの所作が生み出したものなのだという事実を前に、私は絶句せざるを得ない。そもそも私は現実の梅若塚を訪れたことがないのである。勿論それは、これまでも記してきたように、香川さんの演能の度に、見方によってはごく当たり前のように起きていることなのだけれども、そもそもそれがごく当たり前に起きるということ自体、如何に稀有で、当たり前などとは言えないことであるか。

私は梅若の供養の場に自分もまた本当にいて、その一部始終をこの目で見て、それを証言しているとどこかで思ってしまっていて、そう思う方が自然であることに気づいて、絶句せざるを得ない。まだ年若く、しかも鄙びた周囲の風景にそぐわない雰囲気を漂わせている物狂いの女が、渡し守に向かって彼方の鳥の名を問うた時に、自分もまた、川辺に遠く、都鳥を確かに見たと、或は、渡し守にが自分が一年前に儚くなった少年の物語をして聞かせた物狂いの女性が、その子の母と知った時の「言語道断」という詞の響きを、その時の母親の表情ともども、自分もまたその場に居合わせて我が事のように受け止めたと、更にはまた、母親が鳴らす鉦が響き、称名の声が交響する中に、ひと際高く、子供の声が混じった時の母親の表情を、そしてその直後の「なうなう今の念仏の声は、、、」と問う母の詞の持つ、形容しつくせぬ響きを、その場で聴いたとしか思えないのである。否、こうして書き始めれば、果てがない、ないからこそ、最初に具体的な細部については書かないと宣言した筈ではなかったか、、、

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如何なる言葉を尽しても到底及びもつかないような経験というものがある。単に自分の言語的な能力が、 その深みや質に及ばす、それに見合った仕方で表現することが困難であるというのではなく、 寧ろ原理的に経験を後から言語を媒体として定着させるという方法自体がそぐわないと感じられるような 類の経験というものがある。自分が自分に可能な限り受け止めたものは時間の経過にも関わらず、 まるでつい先程経験したことのように生々しく、克明に想起できるのだけれども、言葉で説明することに 抵抗するような経験というものがある。総じて能というのは、それが優れた演能である場合には、 必ずやそうした側面を幾許か含み持つものであることは、これまでの香川さんの演能を拝見してきて 都度感じてきたことだった。更に加えて、演能が行われる外的な一度限りの状況が、それ故にその演能だけしか 原理的に持ち得ないアウラを付与することもあるだろう。(このように書きながら、私は東日本大震災の直後の「朝長」のことを思い浮かべている。)だが今回の演能に接して感じたのは、それらのいずれとも 異なる質の経験、通常、単なる演劇の鑑賞の場では恐らく不可能な、だけれども能楽では可能な、上演がそのまま儀礼・祭祀と化してしまうかのような経験であった。

「隅田川」の能の典拠である梅若伝説は、それ自体は厳密にはフィクション、虚構ということに なるのかも知れない。現在においても能舞台の外で、梅若塚が実在し、供養が営まれているけれど、 それはある種の転倒の産物であるという見方もできよう。しかもそれは梅若伝説に限った話ではなく、 多くの霊験譚や縁起というのは須らく後付の脚色を伴っていて、そのまま事実と見做すことができないのであろう。 だが、偶々読んでいた白洲正子さんの観音巡礼記にもそうした考えが記されていたように記憶するのだが、 伝説にも、単なる事実だけを見ていたら取りこぼしてしまう「真実」があるに違いないし、 翻って、舞台の上で演じられる供養という点ではもう一レベル虚構の度合いが高い筈の演能に、 逆説的に、現実の供養では時と共に変質して、もしかしたら損なわれ、喪われてしまったかも知れない「真実」の 記憶が、数世紀の長きに亘って保持され続けていて、その一端に触れたという確かな実感を持ったのである。

梅若伝説に因んだ議論の一つに梅若が亡くなったのは隅田川の西岸か東岸か、というものがあるらしい。 だがこの日の演能に接して感じたのは、事実の詮索以上に、それが川辺で起きたというトポスの設定、そして 渡河という行為の持つ象徴的な意味合いの方であった。人はそこに、どうしても三途の川や賽の河原を 重ね合わせずにはいられないし、川というのが結界であり、渡河は疑似的な仮死の経験であって、 供養というものの本質が端的に示されていて、異界である向う岸においてこそ、梅若に再会することが 可能になるというのもごく自然に理解できるように感じられる。

そしてシテである母は一人で渡河するわけではない。有名な渡し守と母とのやり取りでは梅若という名前とともに 彼の命日である3月15日という日付が確認される。梅若の死は既に起きてしまい、取り返しのつかない、 反復不可能な一回性の不可逆な出来事だが、供養という営みは、不可能な反復というアポリアに挑むことによって その日を記念し、記憶する。梅若の死が忘却の河の流れに押し流されることなく記憶されるためには、否、 そもそも幻想であろうとなかろうと、母が梅若との再会を果たすためには、ワキやワキツレに代表される人々が 1年後の3月15日に供養を営まなくてはならなかった。供養を行うのは、梅若の死に遭遇した母親一人ではない。 ワキやワキツレも一緒に向う岸に渡って、共に供養をし、恐らくは共に梅若の姿を垣間見るのである。 少なくとも元雅の論理はそういうものであったに違いない。元雅はそうでなくてはならないと思えばこそ、 子方を出すことにあれ程拘ったに違いない。この日の演能を拝見して私はそれを理屈で納得したというよりは、 そのように悟らされた、それは冷静な分析的な認識ではなく、そうでなくてはならない、という強烈な共感を伴う 直観として私の心を満たしたように思う。

こうしたことは冷静な人から見れば、半可通で能に接している人間の滑稽な思い込みに過ぎないかも知れないが、 それを認めた上で尚、この日の演能が、例え錯覚であったにせよ、そうした直観を惹き起こす力を備えていたという 事実は残るであろう。更に言えば、「隅田川」の能という形式の中で行われる梅若の供養、梅若の母親の供養は、 その背後にある、個別には記憶する者が絶え、忘れ去られてしまった無名の数多の梅若達、梅若の母達の供養でも あるのだし、数世紀に渉り繰り返されてきた「隅田川」の演能を通じ、その都度の見所の供養でもあり、 その一端に自分が連なっているのだという印象を持ったのである。勿論、神事仏事がそうであるように、 記憶の継承にとっては儀礼が反復され、継承されることが第一義的に重要なのだろうが、優れた演能は 単にそうした記憶に事実として与かるだけではなく、自己の関与の持つそうしたパースペクティブへの気づきを与えてくれる ものだとするならば、この日の演奏はそれを私のようなたった二度きり「隅田川」を拝見した人間にすら 可能にした、稀有な達成であったに違いない。そしてそうした気付きに関してならば、 これまでも香川さんの演能を拝見してきて、都度感じてきたことではあるのだが、今回は、 加えて「隅田川」という作品の持つ比類ない力により、個人の寿命のスケールを超えた大きなものに触れることができただけではなく、 更にそれを拝見することで自分がそうした大きなものに与かることが叶ったような感じがする。 このような経験を可能にしてくださった香川さんをはじめとする演者の方々に感謝の気持ちを述べて、 拙い感想の締めくくりとしたい。 (2017.4.20暫定公開, 22加筆修正,27修正)

2016年9月18日日曜日

「第11回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成28年9月3日)


「第11回香川靖嗣の會」
能「遊行柳」

シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生欣哉
ワキツレ・大日向寛
ワキツレ・御厨誠吾
アイ・山本東次郎
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌幸弘
小鼓・鵜澤洋太郎
大鼓・國川純
太鼓・観世元伯
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・狩野了一・友枝雄人・金子敬一郎・大島輝久

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毎年春に開催される「香川靖嗣の會」が今年は秋にも催されるということで目黒の舞台を訪れる。 一月前には川崎で「六浦」を拝見しているから、今年三度目の観能。近年は多忙にかまけて年一度という ことも珍しくないので、このように拝見できる機会をたくさん頂けるのは只ゝ有難いことである。 能の演目は「遊行柳」、前に狂言「鐘の音」が演じられたが、こちらも川崎の「佐渡狐」に続けて 山本則俊さんの圧巻の舞台が拝見できたので、別に感想を纏めることとして、以下では「遊行柳」の 感想を記しておきたい。

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恒例の最初のお話は金子直樹さん。非常に丁寧な解説で、「遊行柳」についてはそれが観世信光の 晩年の作であり、世阿弥の「西行桜」を意識した作品であることを軸にして、対比をさせながら 「遊行柳」の特徴を説きおこす内容のお話だった。私は以前に一度だけ「遊行柳」の舞台を拝見した ことがあるが、その時の印象は率直に言ってあまり良いものではなく、率直に言えば、それ以降、 寧ろ苦手な作品であるという意識があって、故に、香川さんが演じたらあの作品が どのような光を放つだろうと思いつつ舞台に足を運んだという事情もあって、お話の趣旨は勿論、 この作品の独自の魅力に目を向けさせるといった方向にあったに違いないのだが、図らずも事前に どこがしっくりこなかったのかをおさらいをするような感じになってしまった。

私のような能の万年初心者が作品の出来を云々するなどもっての外の事かも知れないが、 それでも自分が知る限り、能の作品の中には観る者の心に入り込んで、時として生き方を 変えてしまうかも知れないような作品もあれば、奉納としての性格をはっきりと持つ作品もある 一方で、小品ではあるけれど、演じ方によっては非常に味わい深く、観る者をひととき魅了する ような作品もある。勿論、観る者の側のキャパシティもあり、当日のコンディションもあり、 作品の価値を正しく受け止められないということもあるのだが、この「遊行柳」は、理由は何であれ、 私にとって受け止め方の難しい作品であることは間違いない。そして結論を先に書いてしまえば、 そういう感覚は、またしても圧倒的な舞台となり、以前の印象を全く書き換えてしまった今回の 演能に接した後でも、まだ完全になくなった訳ではないように感じられる。

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演奏は今回もまた、たいそう充実したものであったと思う。曲頭の囃子も決して重たく もたれることなく、むしろ淡々と寂れた雰囲気を設定するし、その中で前シテが遊行上人に 声をかける瞬間の鮮烈さは、香川さんの舞台ならではのもの。その後西行の故事を中心とした語りが 続き、それが済むと作り物の陰に隠れるようにしてシテの演じる老人が消えてしまうまでは あっという間である。前シテの老人は「上品な」という形容が充てられるようだが、単に上品である だけではなく、丁度脇能の前シテの叟がそうであるような、老いとは一見したところ相反しかねない 生気をも感じさせ、後場の老い木の精の性格の未来完了的な予示となっているように思われた。

アイの里人は山本東次郎さん。格調高い、見事な語りに圧倒されているうちに時間が経ち、 作り物の中で行われている物着の時間つなぎであることなど微塵も感じさせない。

その後、太鼓も加わった囃子に導かれて後シテが作り物の中から現われる瞬間の、空気の感じや 光の調子が一変して、舞台上はおろか見所も含めた空間全体を包み込んでしまう有様は香川さんの 演能を拝見してきて一度ならず経験してきているのだが、今回もまた圧倒的なものであった。 そこに居るのが植物の精であるという、かつてはいざ知らず、現代の日常においては全く疎遠な認識の 様態が、ごく当たり前の、自然なことであるように可能になることの不思議さは、こればかりは 実際の舞台に接してみなければわからないだろう。例えば人間の幽霊を演じるのであれば、 寧ろ過日の面影が蘇ったかのように生々しくということも可能だろう。だが、人ならぬ神であったり 植物の精であったりということであれば、人間とは異なる他者となり、そうした者が持つであろう 存在感を纏わなくてはならないということになるのだけれど、香川さんはそうした閾を、 いともやすやすと乗り越えてしまえるのである。いや、「やすやすと」というのはあくまでも 見所で結果だけを受け取る者の気安さが可能にしている言い方であって、実際にそれを あたかも「やすやすと」乗り越えてしまうためには、どんな修練があり、どんな芸の秘密があるのか、 どのような心持ちにより可能となるのか、最早、観る者の想像を超えてしまっているという他ないのである。

ところがその後、序の舞に到るまでの、本来ならば聴かせどころであるべき部分が、やはりどうも うまく受け止め切れない。舞台で起きていることを眺めていればそんなことはないのに、 謡の内容がそこに重ねては更に上書いていくイメージの連なり方が、うまく焦点を結びつつ ある種のコヒーレンスを保って変転していくに到らず、次々と方向を変えつつ切り替わっていくので、 頭ではその繋がりを追えたとしても、どこかで実感が追い付かない感覚が残ってしまうのである。 これは謡の表現力が足りないということではなく、舞台上の所作がそうとわからないというような ことでは全くない、寧ろ逆に、友枝さんを地頭とする謡の表現が豊かであるが故に、またそうした謡の変化に 応じた香川さんの演じるシテの、例えば御簾が揺れたり、蹴鞠を暗示したりする所作が鮮明であるが故に、 一層その感じがましてしまうように思われてならない。前回「遊行柳」に接した時の印象は跡形もなく 掻き消されてしまって、只々舞台の上で起きることに見入る他ないのではあるけれど、作品自体が それが定着することを妨げている感覚をところどころで抱いてしまったということである。

例えば、「柳桜をこき交ぜて」という、和歌に基づく有名な一節、冒頭触れた金子さんのお話のお題でも ある一節も、それに続く故事との重畳というものが生じる暇がなく、次々と、一つ一つはそれなりに 趣があるだけではなく、固有の奥行を備えた場面が切り替わっていくのを受け身で眺めている感じになってしまう。 金子さんのお話によれば、それこそが信光の持ち味なのだ、ということになるのだろうが、 結局のところその持ち味が、少なくとも私にとってはかえって印象を薄める結果になっているように しか思えないのである。

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そうした印象も、序の舞に到達してしまえばたちまち掻き消えてしまう。信光が誂えた文脈を超えて、 舞はまっすぐに、人間の寿命を超えてひっそりと生き続ける巨木のイメージに辿り着くかのようだ。 そう、ここでは朽木の姿をしていたとしても、それは春が巡るたびに蘇って青葉を茂らせる、人間の 尺度からすれば永遠にも比すべき生命力とどこかで繋がっているように思われる。舞台を離れれば、それは 倒れて埋没しても再び発芽してくる逞しい生命力を持つが故に、霊が宿ると考えられ、風に揺れる古木の枝から 幽霊のイメージに繋がり、反転して却って死を連想させさえするという柳のイメージに繋がっていくのかも 知れない。遠く離れた西洋における柳がユダが首を吊った木、別離や死との強い連想を持ち、墓地に植えられる ことの多い木でありながら、他方では悪魔を払い、占いを行う杖であり、オルフェウスを悪魔から救った 存在でもあるという両義性もまた、人間とは全く異質の生命を持つ存在に対する感受性の産物なのであろう。

いや、このように書くのはその場に出現した出来事を歪めているという非難を受けることになるかも知れない。 序の舞そのものは、老体の能に相応しく、運びもたどたどしく、流れる時間も時折、一休みするかのような 淀みを生じながら続いていったのであって、寧ろそこには、植物もまた、一つ一つの個体としてみれば 遺伝子の搬体として有限の生命と老いとを運命づけられていることをも認識させるようなものだったから。

だが、にも関わらず、やはりそこには老いだけではない永遠の生命を思わせるような何かがあったように 私には感じられたのである。そしてそれは、その前では植物も人間も隔たるところのない、「仏性」と言われる何か と関わりがあるもののように思われた。ある意味では「永遠に老い続ける」柳の精は、祈り、感謝しつつ舞うことで その老いの向こう側にある何かに、舞っている瞬間だけは実際に触れているという感じを持ったのである。

ここで些かの逸脱をお許し願えば、これは遊行ではなく禅宗の道元の「正法眼蔵」なのだが、例えば「このゆえに、 花開の万木百草、これ古仏の道得なり、古仏の問処なり。」から「心仏はかならず古なるべきがゆえに、古心は 椅子竹木なり。」(「古仏心」)という認識へのプロセスを思い浮かべずにはいられない。 ここで最後の「古なる」とは寧ろ本源とか真理とかに近いものであろうが、信光がそういう詞を書いた文字通りと いうことではなく、まさにここで道元が言葉を組み替えて意味をずらすことによって己が得たもの言い当てようとする 運動と通じるものを、演能に観ることができたように感じられるのだ。それは作者によっても演者によっても 意図されたものではないだろう。まさにシテが演じる老い木の精が体現するように、老いの受動性の先にある「脱落」 (これもまた、道元の文脈での意味を重ね合わせて頂いて構わない)を見据えた時、あの序の舞こそ「修証一等」を 具現したものと見ることはできないだろうか、という消し難い印象を持つのである。更に言えば、 「悉有仏性」もまた、一般的な「草木国土悉皆成仏」といったポテンシャルとしてのとらえ方よりも、 道元が「正法眼蔵」で用いた、エネルゲイアとしての捉え方の方が、演能を通じて感じ取ったものにより近いようにも 思えるのだ。

*   *   *

こうした感じ方、老いの中に永遠の生命に通じる何かを見るという認識の在り様が、信光が意図したところであるか どうかは私のような素人には詳らかしない。だが、事前に用意された詞の寧ろ余白の部分においてであれ、 今回の演能に接して私が受け取ったものにそうした側面が含まれたいたのは事実だし、その余白は能が様式的に 備えていて、単なる演劇と見なすことに最も強く抗い、奉納や祭祀といった呪術的なものへの通路となり、 そうした思考から遠ざかった人間に対してさえ、その心理の奥底の無意識的な部分に働きかけることを可能にする 側面なのである。

能を見ることについて知識も豊富なら技術的な細部にも通じておられ、なおかつ 瞬間瞬間に奥深い部分まで汲み尽くすことが出来る多くの優れた見所の方々がおっしゃる香川さんの演能の持つ 硬質の肌触りと人間離れした透明感、そして長年の厳しい修練の賜物である揺るぎない技術は、或る時には作者の意図や 作品の出来を超えた何かを提示することがある、そうした貴重な場に立ち会うことができたのではないかというような ことを、今回の演能を通じて強く感じた。最後にこのような貴重な経験をさせていただいたことに対し、香川さんを はじめとする演者の方々に対し敬意と感謝の意を表するとともに、年に2回の公演を企画され、運営に携わられた方々にも 同じく敬意と感謝の気持ちを述べて感想の結びとしたい。(2016.9.18公開)

2016年6月11日土曜日

「第10回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成28年4月4日)


「第10回香川靖嗣の會」
能「野宮」

シテ・香川靖嗣
ワキ・森常好
アイ・高野和憲
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌隆之
小鼓・大倉源次郎
大鼓・柿原崇志
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・狩野了一・金子敬一郎・大島輝久・友枝真也

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 今回で10回目となる「香川靖嗣の会」。概ね4月の最初の土曜日に催されるので、 往き帰りの道端に桜を見ながらの観能となる。今年もまたそうであったが、 季節の循環の確かさに比べて、微視的な、と言われもしよう自分の周辺の状況は 常に揺らいで定まることがない。諸般の事情から、一旦は書き始めた感想を完成させる ことができないまま、2か月以上の時間が経過してしまった。それでもなお、感想を書きあげて 今、それを公開しようとするのは、この感想自体の価値ではなく、自分が幸運にも 経験することのできた演能自体の価値故であり、たとえ時期を逸してしまってもなお、 その感想を記録しておくことをある種の義務と考えているが故であることを、 かくも公開が遅れたことに対するお詫びとともに、最初に御断りしておきたい。
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恒例の馬場あき子さんのお話は、「野宮」という能の解説を超えて、 典拠たる「源氏物語」における六条御息所についての詳細を極めた紹介で、 100万文字、20万語に及ぶ長大な「源氏物語」を何度も逍遥して目立たぬ小径迄知り尽くし、 恰もその作品世界の一員であるかのような行き届いた解説であった。

私個人について言えば、「源氏物語」の世界は、日本の古典であっても、幼少の頃より親しんできた 「平家物語」の世界と比べて、疎遠であったし、今でも疎遠であり続けていると言わざるを得ず、 寧ろ能を拝見することが「源氏物語」の世界への唯一の通路であると言っても過言ではない程であって、 直接的な能作者に限定されず、莫大な影響力を持っていた源氏物語が後世に遺した巨大な影響力の 圏に属する有名無名の人々の受容のプロセスの総体を背景とした解釈を通じて、 その世界を遠目に眺めているに過ぎない。

そうした私にとって印象的だったのは、従来様々な説が唱えられて来たらしいこの「野宮」という能の 作者を禅竹であると馬場さんが言い切っておられた点で、これについては寧ろこの日の観能を終えた後、 演能から受けた印象に照らして非常に腑に落ちたのを覚えている。厳密には永劫というわけではなくとも、 人間の尺度からすれば永遠に等しいような大きな時間の流れの中に置かれた、 有限の生を運命付けられた個体としての人間の、自己の限界をはみ出してしまった思念の寄る辺なさ、 だがまさに同じその思念の力によって個体としての限界を超え、 しばしば円環的と言われる時間構造(だがそれは能の作品自体の構造ではなく、観る者にとっては暗示され、 示唆されるといった形で浮かび上がってくるものなのだが)の中に閉じ込められて解脱を得ることができず、 本来ならば悪循環である筈の輪廻の中において、自己を超越し、或る意味において永遠に漸近し続けるという 逆説を突きつけられたように感じたのだったが、それは例えばかつてやはり香川さんのシテで「定家」を 拝見した時に受けた印象と構造的には並行するものがあったような気がするのである。(念のためお断りして おけば、だからといって、「野宮」と「定家」が似ていると言いたい訳ではなく、寧ろ直接的な印象は 全く異なるといっても良いのだが、その印象の由来については後で触れることになろう。)

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この演能を拝見して最も鮮烈に感じられたのは、虚構の物語の一登場人物に過ぎない人間の 途方もない存在感であったように思われる。しかもそれは、上述のような私の「源氏物語」との接点の 希薄さを考えれば、ほぼ人の一生に等しい年月の時間経過を内包する「源氏物語」という作品の厚みと、 その中で一際存在感を放って六条御息所が幾度と無く登場することに起因するわけではないだろう。 勿論、冒頭に記した馬場さんのような方であればそうした 感じ方も可能だろうが、私の場合にはそうしたことは望むべくもなく、 それは専ら演能の力によるものに違いない。例えば同じ禅竹の「定家」の式子内親王であっても、 あるいは平家物語の人物であっても、能のシテとして造形された人物は、既にあくまでも物語の世界の それであって現実に過去生きた人物とは異なるには違いないし、他方では、六条御息所についても 徽子女王というモデルが比定されたりもしているようだが、こと六条御息所の場合について言えば、 そのリアリティは逆説的に見えようとも、フィクションの中にこそ存するのは確かであり、 より直接的には、目の前にある能舞台で繰り広げられる、高度に様式化され、抽象化された エピソードそのものに在るのは間違いない。勿論それは、謡の詞章や型付けに依存していはしようが、 力の源泉はあくまでも一度きりの演能の数時間の時間の中で起きた出来事であるのは疑いない。

勿論、こんな事は当たり前の事であって改めて書くようなことではないのだろうし、 実際にこのように書いてみたところで、具体的に経験したものの凄みの前には空疎にしか感じられないが、 それでも尚、虚構と現実のこうした交差を目の当たりにしての、えもいわれぬ感覚のあまりに強さに対して、 こうしたことを書き連ねて反芻してみる他、私には為す術がないのである。

桜の季節に秋の気配の濃いこの能を演じるのには色々と困難が伴うだろうが、少なくとも能舞台に向かっている間は、 外は満開の桜の季節であることなど、完全に消し去られてしまうのである。 まるで夢の中で現実とは異なる季節に迷い込んで、醒めてみると、夢の中の強固な現実感のせいで、 かえって現実の方が幻めいて感じられるといった具合で、仮想現実、拡張現実を経験するのに、 何も最近流行の最新のテクノロジーなど不要なものに感じられてならない。しかも登場する人物は全くの虚構の存在の、 更にその亡霊に過ぎない筈なのに、今尚記憶の中に克明に残っている人物の存在感は、実在の人物よりも寧ろ 鮮明な程なのだ。

毎回の「香川靖嗣の會」の演能が如何に素晴らしいものであるかについても、それを具体的に 書くことは技術的な細部を言い当てるだけの知識がない私には手に余ることで、何回か回を重ねる毎に その思いは強まるばかりである。恐らくは毎回撮影されているであろう舞台写真の一葉の方が 多くを語ることであろうから、総体的な印象については上に記したことにとどめ、以下では、 自分の上記の印象に関連した細部について、幾つか具体的に書き留めておくに止めたい。

*   *   *

前場、僧の前に登場する御息所の霊の姿に先ず胸を衝かれる。既に源氏物語自体の中で御息所の 年齢設定には曖昧なところがあるようだが、馬場さんのお話ではその若さに触れられていた。 思えば霊が現われる時に往時の何時の姿をとるものなのか、ということをあまり考えたことがなく、 何とはなしに「死者は歳をとらない」という言葉からか、没した年齢をイメージしていたようなのだが、 そこに現われたのは「葵上」他のエピソードでの生霊となる程の激しさとは一見して懸け離れた、 犯しがたい気品と誇り、そして知性を感じさせつつも、儚さ、脆さを感じさせるような寂しさを 纏った若い女性の姿であった。

後場で笛に導かれて車に載って橋掛かりを横切って登場し、彼女にとってはほとんど外傷的とも呼べる 経験であったに違いない車争いの場面を回想する箇所でも、そうした印象は変わらない。 身分のせいでもあり、知性のせいでもあるのだろうが、それ自体半ば無意識的な反応の如きものとして 撓めて押し殺してしまった思念は、彼女自身にも制御不可能な形で出口を求めて奔流の様に迸ることになる。 だけれどもそれはここでは最早、ほんの一瞬、或る種の気配の如きものとして感じられるに過ぎない。

それは実際に舞台の上でも、折節、その気品に満ちた相貌に一瞬翳を落してよぎっていたように感じられる。 これもまた既に言い古された修辞の類と取られてしまうのだろうが、美しく寂しげな表情の中に、 一瞬、あの「葵上」の般若の、鬼の表情が揺曳するのを現実に目の当たりにすると、こうした複雑な 構造を持った心の微妙な変化を見所に感じ取らせる能楽の凄み、そして勿論、そうした能楽の持つ ポテンシャルを十二分に汲み尽くして、一度限りの舞台の上に表現しきることのできるシテの技量に 圧倒されずにはいられない。

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私が強く感じたのは、恐らくはそういうプロセス自体を客観視することさえできる知性の持ち主にとって、 それは担い難い業の如きものとして感じられるのではないか、といったことだった。 実際、そのプロセスは原理的に停止することができず、断念は断念の不可能性に他ならない。 それが故に彼女は幾度と無く、この場所に立ち戻り、回想し、この悪循環からの脱出を願いつつも ついに果しえない。しかもそれは、生前にこの地を訪れた時に既にそうだった筈なのだ。 言ってみれば、ここでは最初の1回目というのが欠落しているかのようである。 勿論始めは自尊心、誇りといった言葉で形容し、説明できたものかも知れないが、それもまた、 この地を訪れることにした時点で既に無意味なものとなっていたのではないかという気がしてならない。 否、私は「源氏物語」においてどうであったかを語る権利はないから、この能においてどうであったかを 言うことしかできないが、少なくともここでは、原作の「源氏物語」の文脈を最早離れ、自意識を備え、 最早そのようではないものとして過去を回想し、現在とは断絶した未来を思い描くことのできる、 自伝的自己を備えた人間の宿命の如き構造自体が立ち現われているように感じられたのである。

そもそも御息所にとってこの場所での出来事というのは、かつて既に、それまでの過去を断ち切る、 彼女の生の軌道における特異点の如きものであった筈である。彼女は霊となって後、成仏できないことを 嘆いて祈るのではない。その祈りは初めからこの場所に構造的に含まれていた筈なのである。それを思えば、 一般にこの能の最大の見せ場ということになっている、鳥居が形成する結界のこちらと向うを行き来する型は、 そうした構造にはそぐわないものになるだろう。実際にシテが祈る型が挿入された替わりに、鳥居から 足を踏み出す型はなく、寧ろそのことが一層痛ましさを感じさせずにはおかないかのようだ。 それ自体が彼女の不幸であったかも知れない程までに聡明であった彼女は、己が囚われている業に 対して無意識であったのではなく、寧ろ初めから自覚的であり、それゆえに、それを受容することに 耐え難さを覚えたのではないか。彼女が囚われた閉域は(そうした側面が含まれない訳ではないが) 自分で制御できない嫉妬心に留まるものではなく、(これまたそうした要素がなかったわけではなくても) 身分や年齢差という彼女の生きた社会が強制する障碍のみがそうした状況を惹き起こした訳でもないだろう。 嫉妬に身を任せた挙句の修羅場や身分違いの恋ならば寧ろ巷に溢れていると言ってよい。(そういう意味では 「葵上」は同じ人物を描きながら、その把握は全く異質なものに感じられる。)

彼女の相貌の背後に秘められた或る種凄惨で正視に堪えないものは、通常であればそうしたものとは 無縁なものとしてイメージされる、理性的なものが持たざるを得ない宿命なのではないのか。 ここで理性と狂気の弁証法を持ち出すつもりはないけれど、馬場さんのおっしゃられた 無常と妖艶の関係は、異質のものの出会いなのではなく、無常であるからこそ妖艶が成立するといった 構造を持っているように思われる。これは私だけの感じ方かも知れないが、私がそこに見たのは、 異質のものの取り合わせが産み出す興趣といったものとは懸け離れた、正視に堪えないほどの痛々しさを 感じさせる美しさであったが、私にはそれが、本能的に振舞うことや、自然な感情に身を任せることから 身を引き離し、自分では決して解消できないアンチノミーを抱え込んでしまった「人間」の精神の 姿のように思われたのである。彼女は一方で、自分がそこに閉じ込められた閉域から出て行くことを 願いながら、結局のところその閉域に留まることを自ら選ぶ。だから祈りから始まる序の舞の後に、 この一曲限り、急の舞が続かなくてはならないし、来た時と同じ破れ車に再び乗って帰っていく外ない。 「火宅」というのは、まさにその閉域を指し示す名前なのだ。

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このように書くと、豊穣な間テキスト性に支えられ、現実の人間以上に存在感のある御息所の個性が 揮発してしまったとか、観る者が汲み尽くせない程繊細で豊穣な細部に満ちた、円熟の極みと言う他ない 香川さんの演能を不当に図式化してしまったという謗りを受けるかも知れない。 だが、そうではないのだ。 例えば、ジュリアン・ジェインズのbicameral mindの仮説を思い浮かべていただいてもいい。人は意識を持つ存在ということ自体、必然的で自明なことではないし、 具体的な意識や自己の様態は、寧ろ社会的・文化的な環境により水路づけられる可塑性を備え、 それゆえ例えば一卵性双生児すら、同一の意識を持つわけではない。御息所が虚構の人格であるが故に、 既述の様に、「葵上」と「野宮」の対比では、異なった可能世界の提示といった感があるし、 構造的には良く似た円環構造を持つ禅竹の能においても、例えばこれもまた香川さんのシテで拝見した ことのある「定家」を思い浮かべた時に、反復の中に自ら帰っていく様相のあまりの違いに驚かされる。 虚実皮膜という言葉があるけれど、ここではそれに留まらず、寧ろ純然たる虚構の存在であるからこそ、 端的に、人間の存在の持つ儚さと美しさとを、或る種の普遍性を備えつつも、同時に具体的で、 より直接観る者の心を揺さぶることができる仕方で提示することができるのであり、恐らくは1000年近い 年月を隔てて、だが自分もまた囚われている共通の宿命の構造が、可能な限り最も美しい形象を伴って 提示されているからこそ、それに共感しつつ、自分自身のみでは決して到達し得ない慰謝を感じ取ることが 可能なのだと思う。

勿論、こうした感じ方が、例えば当日の見所の全員に共有されるという意味合いで 普遍的であるというつもりはない。否、寧ろこれは、私だけのごく私的な経験であり、非常に偏向した受容の 仕方であることを認めるに吝かではない。だがそれを認めたからといって、その経験がある仕方で個別性を 超えた普遍性を備えた美の経験であること、そしてそれが祈りという契機と固く結びついていて、 かつ上述のような意味合いでの意識と自伝的自己を備えた人間の構造の奥底に達する根源性を備えて いることについては譲るつもりもない。人によってはたかが一回の演能の鑑賞に過ぎないのに、何を大袈裟な、 とおっしゃるかも知れないが、最早美しかった、面白かった、上手かったでは済まされないような 演能というのがありえて、例えば今回のケースがそれに当るのだと私は思う。このような経験をしてしまえば、 技術的な個別の細部がどうだったというのも、受けとったものの総体の不可分の一部として記録するので なければ意味がないように思えるのである。

*   *   *

近年のテクノロジーの発達は、仮想現実や拡張現実というのを或る種の比喩に留まらない、本当に現実との 境界を曖昧にしかねないものにしようとしているようだし、ナノテクノロジーを活用した医療技術や 遺伝子操作等によって、現在の人間にとって逃れがたい宿命であった筈の個体としての有限性が ある技術的特異点(シンギュラリティ)に到達した向こう側では最早宿命ではなくなるといった主張が 現実味を帯びつつある現在において、このような演能に立ち会うことができるということは、単なる 伝統の継承を超えた可能性を感じさせるものであるように思われる。勿論、テクノロジーの可能性と、 それと裏腹の危険性を自覚的に引き受けた現代の先鋭的な試みは貴重だし、その中にも際立った成果が見られることを 知らない訳ではないのだが、そうした先端での最上の成果と拮抗し、ほとんどそれを圧倒しかねないような 達成に、伝統芸能の舞台で接することができるのは驚きでもあり、だが、数百年の年月を経て受け継がれてきた ことを思えば、寧ろ当然のことのようにも感じられ、いずれにしても、そこに人間持つ無限の可能性を感じさせずに いられない。

些か極端な言い方になるが、「香川靖嗣の會」を拝見することは、自分には及びもつかないようなことを達成する力を 人間が持っていることを身をもって体験する機会であるように感じられてならない。 そのような貴重な経験をいつもさせていただいていることに対する感謝の気持を記して、この感想を終えたい。 (2016.4-6, 6.11公開 7.11修正)

2015年4月12日日曜日

「第9回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成27年4月4日)

「第9回香川靖嗣の會」

能「木賊」
シテ・香川靖嗣
子方・大島伊織
ツレ・内田成信・佐々木多門・友枝真也
ワキ・宝生閑
ワキツレ・宝生欣哉・則久英志
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌仙幸
小鼓・曽和正博
大鼓・國川純
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・狩野了一・友枝雄人・金子敬一郎・大島輝久

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 毎年4月の最初の土曜日に行われる「香川靖嗣の会」を拝見することは、ここ数年、日常の些事への埋没から自分を引き離し、 人事を超えた大きな秩序の持つ呼吸に辛うじて自分を同調させることのできる貴重な機会となっている。今年は、幾つか 重畳していたもののうちの殆どが幸いにも何等かの句切りを迎え、だが最後の一つのピークが4月の始まりを跨いで 観能の日の数日後に句切りがつくという、何時に無く微妙な間合いとなってしまった。

 しかも番組は尉物狂いの難曲・稀曲とされる「木賊」。難曲というのは、第一義的には演者にとってのものなのであろうが、 見所にとってもそれは物心両面での準備を必要とするものに違いない。稀曲とされ、事後的に見ればシテの一度きりの 演能になることも考えられるような状況であるのみならず、能を観ることを日常とされている専門の研究者の方や 見巧者の方々とは異なって、自分にとっても今後拝見する機会が恐らくはないであろう状況に対するには あまりに気持ちの余裕が無さ過ぎることや、観能後、直ちに日常に戻らなければならず、しかもそのまま一週間が 過ぎてしまったような状況で、十全な受容ができる筈もなく、以下の文章は、そうした制約の中で、それでもなお 何を観て何を感じたかの記録に過ぎないことを予めお詫びする他無い。

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 恒例の番組最初の馬場あき子さんのお話は、今回は木賊という植物そのものや木賊刈りの説明から入って、前段の素材となる、 舞台である信濃の園原にちなんだ帚木の伝承や、物語の枠組みを為す旦過などの説明を交えながら、丁寧に物語を 追ってゆく。だが伺っているうちに感じるのは寧ろ、如何に自分が作品の背景となっている世界と疎遠であるかと いうことであった。木賊という植物にしても然り、園原という場所にしても然り、物語の筋書きにしても然り。 だが冷静に考えてみればこれは愚かしい反応であって、同じ程度に疎遠な世界を扱った作品は幾らでもあり、 そうしたことを意識することなく作品に接する場合もあって、疎遠であっても有無を言わさぬ力で自分の中に 消し難い印象を残すこともまた、幾らでもあったし、今後もあるであろう筈なのだ。 要するに、日常からの気持ちの切替が出来ない準備不足の状態で見所に着いて、これから拝見する番組に 対する自分の身の置き処のようなものを見出しかねて、寄る辺なさを感じてしまったということなのだろう。

 それでもなお強いてそうした疎外感の由来を問うならば、老いということを色々な場面で意識せずにはいられない、 しかも他人事ではなく、そろそろ我が事としても感じずにはいられない年齢に差し掛かっていはするものの、 我が子を喪った、しかも死別ではなく、生き別れとなった男親の心情というものに、同情以上のものを感じることが できるのか、ということに思い至らざるを得ない。一週間を経た今考えると、そうした感じ方自体、 実は私が予め知ってしまっている(だが舞台は拝見したことのない)「木賊」という作品の所謂 「あらすじ」や詞章に対して、それをどう受け止めていいのかについての戸惑いのようなものを、 いわば先入観のような形で事前に抱えこんでしまっていたことが原因なのだろうと思う。まさに難曲たる 所以とされる、世阿弥と伝えられる作者の、年老いた男の物狂いを見せるという趣向に、率直に言って、 或る種掴みどころの無さを感じ、聊か尻込みしてしまっていたということだ。

 そうした中、馬場さんのお話で鮮烈な印象で私の中に刻み込まれたのは、形見の装束を纏っての舞に 因んで、シベリア抑留で喪った子供を悼んで窪田空穂が詠んだ長大な歌の中にも、形見を纏うという ことが出てくるのに言及されたことであった。

*   *   *

 それでは実際の演能を拝見した結果はどうであったか。端的に言えば、それがこれまでと同様に、非常に完成度の 高い演能であり、シテは勿論、ワキも囃子方も地謡も、その演奏は圧倒的であったのは間違いない。特に囃子方の 描き出す前場の秋の鄙びた山奥の風景の臨場感、鮮やかなシテによる木賊刈りの所作とそれに続く、 風景が見えてくるようなシテとワキの帚木に纏わる遣り取りと、前場は見所の連続であったし、 一転して老人の心の動きをそのまま音響化したかのような後場の囃子の自在さや、これまた緩急自在の地謡の、 壮絶なばかりの表現の雄弁さは圧倒的であり、開曲から終曲まで全く弛緩することなく物語の世界に 向き合うことができ、特に後半は、簡潔でシンプルであるという印象さえ抱いたほどで、難曲とされる 大曲を一気に観終えてしまった感じさえ抱いたのである。

 物着の後の序の舞は、老いというものが孕む時間性が昇華されたような、或る種異形な壮絶なもので、 時折止まってしまうその時間の歩みは、罅割れた感触の、無慚ささえ感じさせるようなものであった。 妄執とか過度の愛情といった側面よりも、もはやそうしたものすら過去のものとなりつつあり、 舞を続けることができずに、時折立ち尽くしてしまうという、老いというものの苛酷さが浮かび上がって くるように感じられたのである。形見を纏い、嘗て見た子供の所作を記憶を辿りながら舞う行為は、 強烈な呪術的な機能を持ち、効果を備えている筈であるが、そこに老いが介在することで、単純な物狂いで あることが許されず、心は回想に赴くことはあっても、それは長い時間の経過とそれに伴う身体の衰えに 妨げられて、最早本来持っている力の解放に至らないかのようだ。だが、実際にはそうした瞬間にこそ、 「奇跡」は起きるのであって、少なくとも私には、妄執に憑かれた老醜を晒すことの結果としてではなく、 寧ろ老いの結果としてそこから心ならずも脱落してしまったその瞬間にこそ、再会が可能になったかのように 感じられたのである。老いて何事かを断念することを余儀なくされるような状況に到って初めて可能になる こともまたあるのではないかといったことを私は感じずにはいられなかった。

 勿論それは、現実の演者の生理としての老いの表れではなく、永年の鍛錬があって始めて可能な、 高度な技術に裏付けれた「表現」であり、だから聊かも劇的な持続としての弛緩を意味するものではない。 恐らくは作者が意図したのは、まさにこうした異化効果、或る種の醒めて冷え切ったような感覚と、 その果てにある或る種の境地のようなもの(それを安易に「悟り」といって良いものかどうか、 私には判断しかねる)だったのではないだろうか。だからここで問題なのは、物語の「現実」の界面に おいてそうであろうような老醜自体の写実的な表現ではないし、異様でグロテスクでさえあるかも 知れない妄執の直接的な表現でもない。そうしたものが舞う老人の心の裡には尚、渦巻いているのかも知れなくとも、 舞を見ている者が目の当たりにするのは最早それ自体ではない。それは舞台で演じられ、展開されている個別の 具体的な物語の中の個別の人間が持つ具体的な年齢や境遇といったものの直接的な帰結ではなく、 登場人物の心理や生理の表現、演出といった次元とは異なった、あえて言えばより根源的な、 或る意味ではもっと普遍的な、有限の寿命を定められ、老いて行く事を運命づけられ、しかもそれを意識し、 直面していくように定められた人間の悲しみや徒労感のようなものに根差したものと感じられたのである。

 そうしたものが一体、どのようにして表現されうるものなのか、私如き一見の者にはわかろうはずはないのだが、 どこかそれは、いわゆる表現とは別の次元で、単なる表現に留まらない、恐らくは表現の背後に秘められた、 もしかしたら演者自身も必ずしも意識的に分析しきれているわけではないかも知れない、思いにすら至らない 感慨の如きものが暈のように覆い被さることで可能になっているような印象を受けた。単なる高度な技術だけではなく、 それを前提として、更なる余白の如きものが必要とされるのだとすれば、確かにこれは「難曲」であり、 繰り返し演じるような作品ではないのかも知れず、一期一会の演能だからこそ可能になるものなのかも知れない。 少なくとも私には、そのように感じられた。

*   *   *

 分類すれば現在能ということになるこの作品は、だが、能よりは寧ろ後世の他のジャンルに 相応しいものであるかも知れない、物語的な筋書きの展開に応じた登場人物の造形があるわけでもないし、 「弱法師」や「歌占」のように、父子の関係を扱いながら、或る種の世界観のようなものを背景にした 複雑な陰影を孕んだ構成上の工夫があるわけでもない。寧ろ、こちらは母親の物狂いの道行を中核とする 「柏崎」に似たような、或る種の原型(アーキタイプ)的な物語が形式的な枠組みとして用意されていて、 物着を伴う物狂いの舞を見せるというシンプルな趣向の作品であり、単純にそれを追うことに終始すれば、 構造を図式的になぞるだけの説明調の平板さに陥りかねない。既に述べた後半の印象の簡潔さや シンプルさは、そうした点と関わりなくはないだろう。例えば、ツレの一人がワキに僧に対して、 シテの老人の振る舞いに対して事前に警告をする詞などは、合理的というよりは、如何にも 古風な物語調で、寧ろアイの語りとして分離される前の雰囲気を感じさせる。

 のみならず、これは演出上の伝統の問題かも知れないが、意図してのことかどうかを問わず、 物語の叙述の具体性や自然さ、設定の整合性のようなことに重きをおくならば、 例えば老体の父親に対して年齢が離れすぎている子方を出すことの不自然さは否めないし、 自分の導師であるワキの僧に願って信濃に残した父親との再会の旅をしてきた筈の松若の心理を描くことは 寧ろ意図的に拒絶されているかも知れず、その結果として、しばしば「舞を見せるための設定」として説明されるように、 松若がなぜ直ちに名乗ることを控えたのかの理由が明かされることもない。一般にはそうした点が 「難曲」たる所以とされるようであり、実際、私の場合も、今回の観能において、何かに非常に心打たれたり、 深く感情移入してしまって感情がかき乱されるといったようなことは起きなかったのは事実である。

 しかしながら、だからといって、そうした一見したところ不自然であったり、不整合であったりする 部分を合理化し、整合性のある一貫した解釈により作品を読み直すことが唯一の行き方なのかといえば、 このこの作品に関しては、そうとばかりは言えないようにも思えるのである。勿論例えば、或る意味では 醜態を晒す親の姿から逆算して、松若は過保護に反抗するようにしてか、そうではなくても父親の 態度か、あるいは明示されてはいなくとも何等かの行動に対してか反撥して出奔・出家したのであって、 従って、父親の事が気になって帰郷したものの、父親を目の前にして名乗りを上げることに対して 逡巡することもまた、そうした過去を背景とした心理的な葛藤であるとして合理化することも できなくはないだろう。だが、それは例えばこの作品の末尾の、現在能として演じられた出来事を、 恰も過去の物語であるかのように括ってしまう操作とは相容れないし、理由や背景を具体化するよりは 省略し、曖昧化していきつつ、老いた父親の心境を序の舞に托す構想と必ずしも整合しないように思われる。 同様に、老人が街道に面したところに家を構え、旦過をするのも、居なくなった子の消息を得る 目的のための手段であると考えることもできようが、単なる目的-手段の図式でそれを捉えて 事足れりとしていいのかと言えば、必ずしもそうとは言えないのではなかろうか。

 老人がこれまでずっと繰り返してきて、これからも恐らく死に至るまで繰り返すことになるであろう 旦過のある回において、物狂いの舞に疲れ果てた末の夢か現かも不分明な状態で、供応の相手である 僧達の中に生き別れになった我が子の姿を見出すことがあるとしたらどうだろう。 死者が歳を取らないように、彼が見出す我が子は、彼が纏う衣裳の似合う、別れた時の年齢のままであるより 他ないのではないか。そしてそれは、この後も(禅竹の能のように)果てし無く反復されるのだろう。あるいはまた、 再会が現実のものであったとしても、老人が再会したものが、自立して成長した修行僧ではなく、 自分が追い求めている、生き別れになった当時の子供でしかないとしたら、(むしろこれは元雅の能に おいて示唆されそうなことではあるが)、この再会は祝福されたものではありえず、別離が繰り返される ことになるのではないか。或はまた、曲の末尾が告げるように、これは或る種の縁起の説話の如きものであり、 寧ろシテは一貫して、子供と生き別れになり、旦過により消息を尋ねたが、本当は遂に再会できずに 死んでしまった老人の幽霊なのではないか、つまりこれは、今は生きていないある他者の物語なのではないか。 そして更に終曲において、これまで演じられた出来事を過去のものとして括ることにより、現在の時間から 引き剥がされ、出来事そのものと見えた舞台は、実は出来事の「再現」なのだという相対化さえ行われているのであると。

 実際にはこれらの仮定は、意図と結果の履き違いに起因する 行き過ぎた深読みであって、整合的な解釈としては成立しないのかも知れないが、能が必ずしも外面的な 現実の歴史よりも、その中で苛酷な運命に耐え忍ぶ人間の心の現実を浮かび上がらせるものであると したならば、上記のような仮定は、少なくとも一面の真実をも捉えていないと断言することもまた、できない のではなかろうか。前場の木賊刈りの段では、月を磨くことにかけて真理を捉えることを述べ、 帚木の伝承に関する問答と僧と交わし、僧に酒を勧めるにあたって陶淵明を引用する姿と、序の舞が 終って泣き崩れてしまう姿との落差はあまりに大きく、だがそれらが作品の時間の中で並存するように、 この作品は仕組まれているのである。あたかもキュビズムの絵画のように、ここでは幾つもの可能世界が重なりあい、 並存していて、単純な解釈を許さないのではなかろうか。単純な感情移入を拒むという点も、この作品をいわゆる 人情劇と捉えれば欠点ということになるのだろうが、私見では、決してそうではなくて、まさにこのようなかたちでした 提示できない何かがあり、それが寧ろ作者の世阿弥の狙いだったのではないかという気がしてならないのである。

 物狂いであっても女性がシテである場合の華やかさもなく、同じ老体であっても植物の精霊がシテである「西行桜」の ような透明感でもないし、「伯母捨」のような、現実の悲惨さを超越した境地が開示されるわけではなく、 序の舞という形式は、ここでは通常期待されるものとは異なったものを担うべく、作者によって 意図されたのではなかったか。「難曲」というのは、一見したところ寧ろ能固有の形式に向かって 物語を抽象するように見えて、その中で或る種の換骨奪胎が意図されているが故ではなかろうか、 という感じを私は抱かずにはいられなかった。普通の意味合いでは美でもなく、崇高さでもない、 もしかしたら通常はそうしたものに対立するものとして考えられがちだが、本当ははそうしたものの 単純な裏返しでもない何かを舞台の上に出現させることが、作者の意図だったのではないか。

 更に言えば、寧ろそれは、見る者が己の心の中にもそれに類するものがあるのに気付いたときに、 そのようなものとして気付かせ、悟らせるように差し向けられたもののように私には思われた。 勿論私個人としては、そうとはっきりと認識したとは到底言えず、寧ろ、当日の印象を反芻した結果として、 そのような予感の如きものを抱いたに過ぎないが、その一方で、そのように心に働きかける、 グレゴリー・ベイトソン風に言えば「心の無意識のエクササイズ」として、或は「木賊」という作品 自体がそのことを示唆しているように、心を磨く或る種の修練の如きものとして、 能という様式は測り知れない力を備えているし、この「木賊」の演能は、そうした能という様式の備えた ポテンシャル、そして私の想像するところでは作者である世阿弥が能という形式に託したものを 十分に解き放ち、実現したものであると感じられたのである。

*   *   *

 そういう意味合いでは、或る意味では定型的・図式的とも言えるハッピー・エンドの結末に対して、 私は必ずしも物語の人物の心理に共感してその場面に立ち会ったとは言えず、寧ろ、或る種の儀礼の終わりを 確認するような感覚に捉われていたように思えるのだが、この演能を拝見して私が受け取ったものは、 実は、物語の筋書きの上で結末が要求する表面的な晴れやかさとは異なった次元での安堵、 達成感のようなものではなかったかと思えるのである。

 終演後、最後に笛、小鼓、大鼓の順にゆったりと橋掛りを渡ってゆく囃子方が、 今や誰もいない空っぽの空間となった背後の舞台に残していく気配の中に、私は、その時点では 確かなものではなく、一週間を経過した今尚、予感めいたものでしかなく、いつかそれが確かな ものになるのが何時になるのかもわからないし、そもそも確かになることがあるのかもわからないけれど、 決して無ではなく、寧ろ日常に立ち返ることを後押ししてくれる何かを感じ取ったように思える。 繰り返しになるが、私は自分が受け止めた何かを的確に言語化することが、差し当たりはできそうにない。

 だがその一方で、全く別の文脈で、気にはなりつつもやはり意味を図りかねていたある言葉、 ここしばらくは日常の多忙に紛れ、すっかり埋もれてしまった言葉がふと浮かび上がってきたのを 感じた。それは20世紀のフランスを代表する哲学者の一人、ジャック・デリダが、その晩年に何度か 繰り返して言及し、彼の最期の対談の題名にもなった言葉、«Apprendre à vivre enfin» (『生きることを学ぶ、終に』)であることを、備忘のために記しておくこととしたい。 こう言えば聊か牽強付会めくのは避け難いが、私にとって(「木賊」一番のみならず、だが、 とりわけても「木賊」一番は優れてそうであったようなのだが)能を拝見することは、 まさにそうすることの実践の、そして同時にそうすることの困難や不可能性を認識する場のようなのである。 そうした認識を踏まえ、そうした認識を獲られたことを踏まえて、最後に主催者を初めとする演者の方々や 拝見する機会を与えて下さった方々への御礼の言葉を記して、拙い感想の結びとしたい。(2015.4.11/12)

2014年4月6日日曜日

「第8回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成26年4月5日)

能「江口」平調返
シテ・香川靖嗣
ツレ・内田成信・佐々木多門
ワキ・宝生閑
ワキツレ・則久英志・大日方寛
アイ・山本東次郎
後見・塩津哲生・内田安信・中村邦生
笛・一噌仙幸
小鼓・曽和正博
大鼓・柿原崇志
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・大村定・長島茂・友枝雄人・金子敬一郎・大島輝久

今年で8回目となる「香川靖嗣の会」は毎年4月の最初の土曜日に行われる。多忙な日常に埋没している裡にそれでも季節は巡り、 そして桜の花の時期に能を拝見することが、自分を超えた大きな秩序の持つ呼吸に辛うじて自分を同調させることのできる 貴重な機会となっているという思いを今回程強く感じたことはない。

昨年はとうとう前回の「香川靖嗣の会」での「伯母捨」一番 のみしか拝見できずに1年が過ぎてしまい、その同じ流れの中で、前日の深夜、当日の朝まで多忙に追われ、澱のように蓄積した 疲労の中で、それでも気持ちの遣り繰りをつけて能楽堂に足を運びさえすれば、そのような貧しく窮まった自分が受け取るには 過剰であることが最早明白な価値を備えた、必ずや記憶され記録されるべき、これ一度きりの演能に立ち会うことが出来、 そのことで自分が自分を超えた秩序との繋がりを保てているのだということを、拝見して後にこれほど強く感じ噛み締めたことは なかった。

それは一つには、今回の番組が「江口」であったことにも拠るのではないかとも思うが、そうであったとして、 それはまずもって、想像しうる限りでこの上を考えることのできない程に素晴らしい舞台を実現した香川さんをはじめとする 演者の方々の力があってのことなのは明らかなことだ。能楽の技術的・専門的な細部は詳らかにしないが、それでもなお 受け止めたものの純粋さ、透明感、何よりそれが人間の有限性を超越した何かに由来するに違いないと確信させる 圧倒的な強度は見所の全ての人にとって明らかであったと思う。拙い感想を以下に記すにあたり、演者の方々への敬意と 感謝の気持ちをまず書いておかねばならないと感じている。

馬場あき子さんが、毎回恒例のそのお話の冒頭述べられた通りに満席の盛会の中、馬場さんのお話は、作品の背景である 性空上人の説話や西行のこと、更には背景となった江口の遊女の社会がどういったものであったかといった点から、 今回演じられる小書の内容にも渉る詳細なものであった。これはいつものことであるが、内容もさることながら、そのお話の音調が 明確に備えている質に感銘を新たにする。演能の前のお話以外にも、馬場さんの文章や対談の記録などを時折 拝見することがあるけれど、それらから感じられるものと共通で、突飛な言い方かも知れないが、 言葉の選び方、内容の運び方によって、同じ日本語を使ってもかくも確固として日常とは一線を画した独自の世界を 築くことができるのだという感じを持ったのである。つまらない比較だが、例えばビジネスでも話術の巧拙はあり、 文章の規範があるけれど、それとは全く異質の世界であり、全く異なる価値の尺度があって、そこでは言葉が 全く別の表情を帯びる、その在り様を目の当たりにしたわけである。これまではそのお話を聴くうちに (少なくとも私にとっての)非日常への移行ができる緩衝装置として機能していたものが、今回についてはほんの 数時間前までいた世界とのあまりの相違に、馬場さんのお話そのものに対して或る種の眩暈のようなものを 覚えたのではないかという気がする。

*   *   *

休憩を挟んで「江口」。まずワキの僧たちが登場し、道行の後、江口に到着すると、古い能らしく、アイが 演じる所の者を呼び出して、江口の遊女に纏わる故事を偲ぼうとするところに、橋掛りの幕の更に向こうから シテの江口の遊女の霊の呼び掛けがある。こう書くと何でもないことのようだが、決してもたれることはないが、 じっくりと克明な運びで場面設定がされるその過程自体が大変に密度の高いもので、あっという間に舞台の上に 江口の渡しのあたりの風景が広がっていく様の確実さは、例えば近年のヴァーチャル・リアリティ等の テクノロジーを駆使したマルチメディア・アートなど全く寄せ付けない程のもので、古典芸能が磨き上げてきた 人間の想像力を解き放つ力の凄味を感じずにはいられない。僧との遣り取りのうちにこれはいわば型どおりに 正体が明かされて前場が終わり、今度は本当のアイ狂言となる。

能は「幽霊」という存在様式をあたかも自明のようにして扱うのだけれど、普段は幽霊などとは無縁の世界に 生きている人間が、舞台の上に現れる幽霊に何の違和感も覚えないのは、能自体が単なる見世物ではなく、 超越的なものへの通路を開く、祭祀的・奉納的な側面を備えていて、その力が現在に至るまで継承されているからに 違いない。だがそうした条件の上で、実際に幽霊を舞台の上に呼び出すべく風景を変容させるのは囃子方の芸の力であり、 舞台の上に幽霊を現出させるのはシテと地謡の芸の力である。

現実離れした世界が確固たるリアリティをもって現れるという点では、後場は更に圧倒的であった。 これまでもしばしば、事実としてはそれは能舞台で作り物を用いて演じられたに違いなくても、記憶から呼び出してみると 舞台は消えて、恰もそれを自分がかつて実際に見たように風景が再構成される経験はしばしばしてきたが、今回の場合もそうで、 記憶から再構成される風景の中では橋掛りは消え、水面に浮かぶ舟にのった遊女の舟遊びが、だが現実離れした内側から 発するような光に照らされて浮かび上がるのが見えるばかりである。

その後シテのみ舞台に残ってのクセは、これも(少なくとも私には)些か古風に感じられる所作を伴う舞グセであり、 あたかもシテの心境を托した舞を見るかのようでいて、実際には、既に達観して或る種の悟りの境地に達している者が 自分の到達した地点から自分が生きてきた世界を眺めるような、どこか現実離れした不思議な透明感があるように感じられた。 後でその時の感じを反芻しつつふと頭の中をよぎったのは、伝承によれば性空上人は目を閉ざせば仏がいて、目を開ければ 遊女が舞っている、という経験をしたという話で、それを強いて遊女から菩薩への変化の過程ということに帰着させて しまえば、クセの部分からその変容は徐々に始まっているような印象であったということになるのかも知れない。例えば 「凡そ心なく草木、情けある人倫、いづれ哀れを遁るべき、かくは思い知りながら」というように、クセの詞はまるで 波の満ち引きのように、息のめぐらしのように、或る瞬間には語られる迷いの世界の中にいるようで、次の瞬間には そうした迷いを解脱した境地、前生も来世も、世々の終わりをわきまえた境地にいるかのようである。

だが最も印象的だったのは、舞の出だしの囃子の不思議な効果であったと思う。事前の解説によれば恐らく主として 囃子方の小書きによる効果なのだろうが、普段とは別の次元に落ち込むような感覚、時間や空間が変容していくような感覚が 大小の独特のリズムと間合いによって生じる。シテの舞も、段を重ねる裡には徐々に常の序の舞のようにも見えてくるのだが、 最初のうちはまるで人間が常に生きているのとは異なる別種の時間の流れの澱みに落ち込んだかのような、どこかがずれていて、 だがそれゆえに普段は見えない何かがふとしたはずみで滲み出してきて、だんだんと見えてきてしまっているような感覚に囚われた。

それが心の奥底から浮かび上がってきたものなのか、外部のどこかから 到来したものなのかはわからない。が、心の奥底の無意識の領域というのは、結局意識にとってはそれも一つの外部で あることには変わりなく、そうした自分でも知らない領域を人間は自己の内側に抱えているのであって、そういう意味では 自分の奥底にこそ自分とは他なるものへの通路が穿たれているというのが人間の精神のあり方であることを思えば、 今回の演能は、まさにそうした心の奥底まで照らし出すような力を備えていたということなのだと思う。

そして序の舞が終わり、謡が再び始まった瞬間には、気付けばもうそこにいるのは遊女ではない。だが、例えば序の舞が 遊女が仏身となる過程であるというのを序の舞の間に認識できていたわけではない。それは結果からのいわば因果を 逆向きに辿った推論であるに過ぎない。しかもそれは意識的に行われるとは限らず、意識の閾域下の無意識的な編集の 結果、あたかもそのような順序で出来事が継起したかのように、意識は思い込まされるものなのである。確かなのは、 舞が終わったときには時間・空間の意識が変質してしまい、普段自分が生きている現実では絶対に経験できないような、 透明で純粋なものに充たされた場のうちに何かが立っているのが見えるということだけなのだ。

「江口」は馬場さんのお話にもあった様に、遊女が仏身になる、あるいは普賢菩薩が遊女として化身していたのが、 その本当の姿を現すという出来事を主題とした能であるということで、ほとんど能評のみならず能に関連した文章を 普段読むことのない私ですら、お仕舞や演能の記録や評論の類に、仏になったように見えたとか、象が現れたとか いう文章を目にすることがある作品である。勿論、それらは恐らく決して修辞の類ではなく、 見たままを書いたものなのだろうと思うし、私も観能の際に類似の経験をすることはしばしばある。 そうした経験について言えば、勿論それを現実と取り違えるようなことはなく、そうした印象が虚構(ただしいわゆる 錯覚に近いことが生じることはままあるが)であり、或る種の心理的な効果に過ぎないことは前提となっていて、 例えば今回なら、キリで曇に乗って去っていくくだりの橋掛りでの所作は、あたかも詞章の内容を目の当たりに したかのような印象を与えるものであったし、序の舞が終わった瞬間、気付いた時には、或る種の相転移の あちら側に既に移っていて、遊女が仏身になる、あるいは普賢菩薩が遊女として化身していたのが、その本当の姿を現した かはともかく、後場の始まりで舟遊びをしていた存在とは異なる存在がそこにいるということは明らかなことに思われた。 勿論それは、シテの力量、地謡と囃子の力量の合わさった結果であり、そうしたことが常に起きるわけではなく、 この日演じられた演者の方々にとってさえ、一期一会の経験に属するようなことなのではないかと思えば、そうした場に 立ち会えた僥倖に感謝すべきなのだと思う。

だが、その上で、「仏を見た」という証言の方はどういうことなのか?ワキの僧は、性空上人がかつてそうであったように、 文字通り仏を見たのだろうが、その物語の上演を見所で観ている人間が「仏を見る」というとき、 それは正確に何が起きたということなのだろうか?能において、神様や天女が出てくるのは、幽霊が出てくるのと 同じことで別段珍しいことではないのだから、能の作品に仏が出てきても不思議はないには違いないが、 今回の演能を拝見して私が常ならぬひっかかりを感じているのは、そういう水準の話ではない。そうではなくて、 最高度の演能であればこその経験であるには違いなくとも、 技術的な達成といった次元を超えた何かに触れたのではないか、ということなのである。 それが私の主観的な思い込みであったとしても、それが私に起きたというのは疑いない。デカルトの意地悪な霊の しわざかどうかはこの際問題ではなく、そうであったとしても、それが起きたのは私にとっては疑いないことなのだ。

今回の演能の後半において私が経験した状態が、なんとも名状し難く、言語化し難いものではありながら、 演劇的な効果の水準を超えて、寧ろ祭祀や儀礼の次元に近い性質の、或る種の「神的なものの場」とでも名付けるほかないもの だったのではないかということである。その印象は自分の心の中の空間の中にたちまち同化して定着できるようなものではなく、 寧ろ謎めいて、容易に同化し難いものでありながら、寧ろそれが持つ力の作用によって自己の内面の抽象的な空間の中の 配置が変わって風景が一変してしまうような、自分にとって異質なものの経験なのである。

再びそれを反芻しようとしても、今となっては、演能を拝見したのは勿論のこと疑いえぬ事実だとしても、 そこで自分が「見た」ものが何であったか、どのようであったのかを正確に再構成すること自体困難であり、 己の風景の中に起きた変容を再認した結果をいわば間接的な証拠として、辛うじて確かに 何か見たに違いない筈だという他ない、といった有様なのだ。そしてもしかしたら、その同じ経験が、或る人にとっては まさに仏に変化する演技を鑑賞するのではなく、文字通り「仏を見る」ことそのものなのかも知れない、否、 いずれの日か、それが「仏を見る」ことだったのだと思い当たることになるのかも知れないという気さえするのである。

勿論、だからといって何か宗教的で神秘的な、あるいは超常現象の如きものを経験したと言いたいわけではない。何なら即物的に、 自分の脳内にあるネットワークの、普段は気付かない奥底の領域が測量されるような経験をしたという言い方をしても いいのである。「人間ならば誰もが心の奥底に宿しているはずの合理的思考を越えた内なる宇宙を想起させるための 儀式のようなもの、そこには自我もなく思想や感情もない、というより、そこからぼくらの思考や感情が湧き出してくる、 そのありかをぼくらの前に一瞬だけ、顕わにする技法」というのは、コンピュータ音楽、メディア・アートの領域で 際立った活動をされている三輪眞弘さんが音楽とは何かについての自問の中で記した言葉だが、能楽が、今回の上演のような 当代きっての名人達によって演じられたとき、まさに現代における最先端を見据えた異なる領域での問いかけに対する 応答になりうるようなポテンシャルを備えているのだということを身をもって経験したということなのだろうと思う。

私は日常として能に接しているわけではないから、まずもって能楽が演じられる現実そのものが自分の生きている現実との 接点を持たないということがまずあって、更に能が演じられることによって現出する時空は、それがかつて実際に起きた 事実に取材したものであったとしても、或る種ヴァーチャルな世界に属しているものなのだが、一見すると儚く無力に、あるいは 時として余剰で無駄にさえ見えかねない(実際、能楽に接することなく生きている人は大勢いるし、私の普段の生の圏に おいては圧倒的な多数派である)そうしたヴァーチャルな世界こそ、現実を生きる意味なり価値なりを与えるものであり、 ヴァーチャルなものこそ人間の精神にとってはなくてはならない次元なのであるということを認識したように感じている。 「仮の宿」というのは、そうしたリアリティとヴァーチャリティの認識における転倒を端的に言い当てた言葉ではなかろうか。

世の成り行きに巻き込まれていれば、自分がその中で遣り遂げたものの裡にも、何某か、自己の有限性を超えたものに 通じる途があるという信念すら危うくなってしまう。遊女の境遇にある者の語りは、時代も環境も全く異なってはいても、 自分には決して無縁なものとは思われない。仮の宿に心を留めて、随縁真如の波の立たぬ日もないというのは、まさに自分の生きる 現実のことに他ならないではないか。そしてそういう私にとって、今回、偶々「江口」の演能に接した経験というのは、 自分が生きる狭隘な世界における成り行きに対する無力感の向こう側に、自己の有限性を超えたものに通じる場が 気付かずして存在しているという認識を、単にそうした事柄を主題とした作品が演じられたという水準を超えて、 まさに上演そのものが備えている力によって、自己の有限性を超えたものに通じる場を現出せしめることによって 再認させる出来事であったといえると思う。こうしたことを確認もせずに言うのは不遜の謗りを免れないかも知れないが、 こうした経験をするときというのは、恐らくは演者の方々の心持ちが見所にも伝播して共有される、それもおそらくは 会場の大半を占めておられたに違いない、技術的にも充分な知識をお持ちで、常日頃から能をご覧になって、 その世界をずっと良く知っておられる方々だけではなく、一年振りに能を拝見するような私のような人間の心にも 伝わっていることの結果であるに違いなく、であるとすれば演者の方々もまさにご自分の力量によってそうした 「神的なものの場」が開けたのを経験されたのではないかというように思う。そしてもしかしたら、その経験こそ、 「仏を見る」という言葉で指し示されていたものに相違なく、ただ信心のない私にはそれが、そうと明確に 認識できるような形を取らなかっただけに過ぎないのではと。或いはまた、主観的には臨死経験として受け止められる ヴィジョンというのが、その人の文化的・宗教的環境に応じて異なるものになるにも関わらず、脳のある部位が 刺激されることによって惹き起こされるらしいというメカニズムの点では共通性があるという知見を思い 浮かべてもいいかも知れない。

勿論、観能の時間が終わり、 それをこのように反芻する時間も過ぎればまた、世の成り行きの波間に漂う状態に戻るには違いないけれど、 或る種の「神的なものの場」に接した印象は、それが客観的には錯覚であるとしてもなお決して無ではない。 能と同様に祭祀的な側面を持っていたギリシア悲劇を念頭にアリストテレスが定義した意味での カタルシスの作用は、単なる気分転換に留まることなく、かつて「魂」と呼ばれた心の或る領域に対して 不可逆的な作用を及ぼすものに違いないのだ。(ちなみにアリストテレスの悲劇論におけるカタルシスは、 それが登場人物についてのものなのか、観客についてのものなのかに関して諸説あることは、今回の経験から すれば寧ろ当然のことのように思われる。そもそもその2つを区別することができるような状況というのは カタルシスとは呼べないのではないか、と。)

いつものことではあるが、今回の演能がどんなに優れたものであったかについてはそれを語るに相応しい人達に 委ねて、私はここでこのように、普段能楽とは無縁の生活を送っている人間にとってさえ、今回の演能に接した ことがどんなに得難い経験であったかを証言することに留め、最後にもう一度、主催者を初めとする演者の方々や 拝見する機会を与えて下さった方々への御礼の言葉を記して、拙い感想の結びとしたい。(2014.4.6,7,8)

2013年4月14日日曜日

「第7回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成25年4月6日)

能「伯母捨」
シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生閑
ワキツレ・宝生欣哉・御厨誠吾
アイ・山本東次郎
後見・塩津哲生・中村邦生・友枝雄人
笛・一噌仙幸
小鼓・大倉源次郎
大鼓・柿原崇志
太鼓・観世元伯
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・内田成信・金子敬一郎・大島輝久・佐々木多門

2007年の初回から数えて7回目となる今回の香川靖嗣の會は、老女物の中でもいわゆる「三老女」の一つである「伯母捨」が取り上げられた。 いつもの通りの公演冒頭の馬場さんのお話では、永く能に親しみ、とりわけても香川さんの演能に立ち会ってきた方々にとって「いよいよ」という 言葉がぴったりくる番組であることを、いつになくインティメイトで期待感に溢れた熱の籠った口調で語られていたが、まだ能を拝見するように なってようやく十年を過ぎたくらいの私のような人間にとっては寧ろ、これまで話には聞くばかりで拝見する機会がなかったあの「伯母捨」を 拝見できるという、自己の文脈において「いよいよ」という言葉がぴったりくる。

生憎の春の嵐の到来が予告される日となったにも関わらず、いつもの通り補助席が出て満席の盛会も、この期を逃せば恐らくは再び 拝見することの適わないまさに一期一会の機会であると考えれば不思議はない。私のように年に数回ばかりしか演能を拝見する 余裕のない人間にしてみれば僥倖とでも言うべき機会であった。

だがその「いよいよ」の番組を拝見しての印象はと言えば、一週間を経てもなお、自分が受け止めたものを十分に言葉にすることが できるようには思えない。否、受け止めたものを十分に言語化して定着させることができないもどかしさは毎度のことであり、 今回に限ったわけでもないのだが、今回については自分の観たものが、自分の中で咀嚼されることなく、その異質性を 保持したまま自分の内部に埋め込まれてしまったような感覚がある。あるいは自分が気づかないだけで自分の奥底に 秘められている自分自身にとっても未知の部屋の存在に気づかされたような感覚と言い換えても良いだろう。

幸いにも香川靖嗣の會を毎回欠かさず拝見させて頂いてきて、回を重ねる毎にとみに最近強く感じるのは、その演能の内容が、 私のような人間が受け止めるにはあまりに豊かであまりに価値あるものなのだということである。今回は更に番組が「伯母捨」で あったことが加わって、自分が見所で観たものを、それに相応しい仕方で受け止めるだけの準備が自分に出来ていないことを 痛感せざるを得ない。だが、私としては、そうした事態を踏まえた上で、自分が感じたことを書きとめておくほかない。それは 自分の不確かな記憶の中に封じ込めておくにはあまりに大きな価値を有しているので、それを自分の外部に定着させ、記録する ことが恰も自分にも果たすことのできる最低限度の義務であるかのように感じている。以下は未だ観能の記録にすら達してない、 演能を拝見したとりとめのない印象に過ぎないが、ともあれそれを書き留めておくことにする。

老女物の中でも特に別格の稀曲というイメージからの先入観とは裏腹に、実際に拝見してみると、勿論、常ならぬ雰囲気が鮮烈に 感じられることは確かだが、「伯母捨」の能の構造自体はそっけないと思われるほどに非常に簡素なつくりの複式夢幻能であることに気づかされる。 何よりもまず、前場があまりにあっさりと経過することに驚かされる。だがそれは複式夢幻能の「典型」であるということではなく、 実は「複式夢幻能」に常には存在しているはずの脈絡のようなものがほとんど削ぎ落とされてしまっていることに起因しているように思われるのだ。

里の女と見えたものが実は捨てられた老女の霊であることが明かされるが、その由来は語られることなく消えてしまう。常ならばいわば前場の 「復習」のように由来を語る間狂言で、だがここでは初めてその脈絡が明かされる。具体的な固有名まで織り込まれたアイの語りは 演者の力量も相俟って、能の本編でのしかしたら意図的な「言い落とし」をあたかも補償するかのような克明なものだ。

だが後場ではその脈絡が敷衍されることなく、あたかもそうした過去の経緯など別世界での出来事であるかのように月夜の舞となる。 舞を終えた後、一瞬だけ過去への意識の流れが迸るが、まさにそれを契機にして夜が明け始め、ワキはシテを残したまま舞台を去ってしまう。 シテもまた自分の妄執を語ることもなければ、回向による成仏もなく、ワキが先に去った後も舞台に残るシテは最後は蹲ったまま、 (まるで葛が覆う塚に帰っていく「定家」のシテのように、恐らくは「再び」)石となり、山と同化してしまう。終曲後、シテが立ち上がり、 橋掛かりを通って舞台を去っていくのを見所は見守ることになるが、それは作品の末尾で現実とは異なった或る別の次元で凝固してしまった 時間を、日常の次元の時間の流れに戻すために必要な行為とさえ感じられる。

順序が前後するが、太鼓がついて人間的な秩序からの離脱が強調される序の舞もまた、まばゆいばかりの月光の氾濫の中で、 時間の経過を拒むように歩みを緩め、そこかしこで今にも立ち止まりそうになる。実際にはそれが終わって停止すれば、 彼女は再び石と化する他ないのだ。「伯母捨」の能は、他の蔓物の能がいわば 背景として潜ませていた闇を物語の外部にいわば押しやってしまい、その結果として透明で神々しい月光に満たされた世界のみを 見所に提示するかに見える。だがそこまでして排除しなければならなかった闇の深さを舞台の上に満ち溢れているかのように感じられる 光のまばゆさによって測ることができるように、一見すると無心にさえ感じられるその舞は、繰り返し繰り返し石から甦らせるだけの 衝迫が支えているものであることをその舞そのものから感じ取らずにはいられない。

実際に初めは仏性の顕現であるかのような神々しさを帯びているというのに、舞が終わった後になって あの「わが心慰めかねつ更科や姨捨山に照る月を見て」の歌が、ついで「返せや返せ昔の秋を」という詞が謡われるとき、 彼女が己の妄執と呼ぶもの、彼女を石と化し、山となった状態から一人の老女の姿に呼び戻す力の存在がようやく顕らかになるように 感じられ、見所は非常に簡素なつくりの複式夢幻能と見えた作品の構造そのものの背後に潜む力の大きさに気づかされる。

番組冒頭に馬場さんも言及されていたことだが、この老女には若き日の栄華があったわけでもないとしたら、「かへせやかへせ昔の秋を」 と呼びかける昔とは、一体どんなものであったのか?自分の妄執の原因となった出来事は能の時空においてはいわば抑圧され、 ワキと見所は辛うじてアイの語りを通して知るばかりだ。その昔というのが捨てられた山中で降り注ぐ月光の下に垣間見た浄土の光景の中を 舞い遊ぶ経験のことであるとしても、その舞は(少なくともそれを経験している意識の水準では)常に最後まで辿り着くことなく終わってしまい、 彼女はそれによって救われることはないかのようだ。

修羅能であっても蔓物であっても、シテは自分の妄執の根拠に辿り着くことによって、 それを言語化し、反復することによって開放されるのだが、そうした心的な機制はここでは機能していないかのように思える。 寧ろ円環を描くように、夜明けとともに中断される月夜の舞が繰り返されるかのようなのだ。彼女が確かに観たと思った浄土の光景は、 彼女の凍りついた心に映し出された幻想ではなかったか、彼女は自分の受けた傷を自分の内奥深くにクリプト化して埋め込み、 それごと心を凍らせることによってしか清澄さを獲得することができなかったのではないかとさえ思える。それゆえその舞はこの世ならぬ美しさに 充たされつつ、どこか目を背けたくなる程の痛ましさを孕んでいるのではなかろうか。例えば「阿漕」のような、老女物の対極にあると見做されて いる作品(「三卑賤」という言い方もあるようだ)のシテは自分の妄執を反復しつつも、救いを得られずに永遠に悪循環を繰り返すほかない。 捨てられた者がそこに己の安らぎを見出した幻想に回帰し続けるほかないというのは、それが自分の蒙った傷からの恢復ではなく、 その傷をいわば封じ込めることによって辛うじて確保することのできた束の間の平安の達成を盲目的に反復する無意識の力のなせる業では なかろうか。

だがしかし、月光に充ちた浄化された世界を開示する序の舞を繰り返し舞うことが、自分自身からも隔てて、恰も自分の中にもう一つの 外部を穿つが如く、心の奥深くに封じ込めずにはいられない程の力を持つ経験の闇の濃さのいわば反作用の如きものであるとするならば、 一体いずれが救いであるのかは人間の判断を超えた問いではなかろうか。人は序の舞が始まるその瞬間にはあたかも救いが成就したかの 思いに捉われてぞっとする。あたかも人間が人間のままでは辿り着けない何かに触れたような感じがして、寄る辺なさに捉われずにはいられない。 捨てられるという極限的な状況こそがそれを可能にしたに違いないという認識自体におののかずにはいられない。更にはそうした極限的な 状況におかれた人間が自分の脳内に生み出した幻想に過ぎないのかも知れないという可能性の冷徹な認識に自らたじろがずにはいられない。

これは「老女物」の能が演者に課すとされる、一見したところ矛盾しているかにさえ見えるパラドキシカルな制約と構造的に同型ではなかろうか。 人がその一生の果てに最後に追い求めるものは、実はその時点では既に徹底的に損なわれている当のものであるかのような、極限的な、 だけれども実は人間という儚い存在にとっては当たり前であり、貴賎や貧富、栄耀の有無を問わずに突きつけられざるを得ない状況を 目の当たりにして、見所もまた、その美しさと勁さに打たれつつ、同時に自分の心の奥底のどこかが麻痺し、凍り付いていることを感じず にはいられない。だがその美しさと勁さとが、人間の尺度を越えたものに接したときに人が感じる「崇高さ」に達するものであるとしたら、 それはまさに「老女物」のようなパラドキシカルな形でのみ人間にとって開示可能なものなのではないかと思われる。あるいはこの後、 更に自分が老いていくにつれわかってくるものなのかも知れないが、今、この地点で接した私には、差し当たりそのように受け止める他ない。

アドルノが全く別の文化的伝統の中での一つの極限とでも言うべきある作品に対して用いた「救い主の危険」ということばが脳裏をよぎる。 能はかくして単なる趣味・娯楽ではありえず、演劇としての内容すら捨象した極限において、三輪眞弘さんがこれまた一見したところ 全く異なる文脈で音楽の定義として述べた「人間ならば誰もが心の奥底に宿しているはずの合理的思考を越えた内なる宇宙を 想起させるための儀式のようなもの、そこには自我もなく思想や感情もない、というより、そこからぼくらの思考や感情が湧き出してくる、 そのありかをぼくらの前に一瞬だけ、顕わにする技法」こそが相応しいものに感じられる。それは虚構であったとして、幻想であったとして、 だが、そこで確かに実現されるのだ。そしてそれを実現するためには一生をかけた鍛錬の裏づけをもった名人の芸の力が必要なのだ。

演奏の素晴らしさについては改めて言うまでもないし、私のように技術的な方面には疎い人間がそれを十分に記録できるとも思えない。 自分の聴いたのは確かに様式化した能のお囃子であり、謡であり、語りであった筈なのだが、自分の心に定着し、 残っているのは、その文字通りの音色や節回しであったり間合いであったりというよりは、もっと大きな風景や気象の変化、 もしかしたら人間的な尺度を半ば超えているのであろう、地質学的・天文学的とでもいうべきリズム・呼吸のようなものであり、 その中に、ほとんどその風景に同化し、風景の一部となりかかりつつ、だが決して完全には同化し消滅することのない、 或る種の「念」とでも呼ぶほかないものの気配である。

あるいはそれは、この日の観能によって呼び起された、自分の内奥の、 無意識の領域の声の幽かなこだまなのかも知れない。日常の世の成り行きとの関わりのなかでは埋没し、意識されることのないその声は、 だが実は、そうした日々をやり過ごすための原動力であるかも知れないとも思う。それが「幻想」であったとしても、月光の下で垣間見ることの できた風景があれば、それを反芻することが或る種の救いになりえるのだ。勿論、それ自体「仮初め」の、ある意味では失敗を運命づけられた 救済なのであるが、それでもなお、彼女はそれを反復し続けるだろう。

私は「伯母捨」の老女に同化できるほどの年齢ではないけれど、その限りにおいてはそうした状況の構造が自分にとって全く異質なものとも 感じられない。否、もしかしたら能を拝見すること自体がある意味では私にとっての還るべき「昔の秋」なのかも知れないとも思う。 何よりもそれらによって何とか日々を生きる力を獲ていることは間違いないことだし、春の嵐の日に数時間の間に確かに接することが叶った 「伯母捨」の舞台が、今後自分が繰り返し繰り返しそこに戻るべき経験となったことは確かなことに思われるのだ。

というわけで、このとりとめのない印象を連ねた文章の結びとして、かくも素晴らしい舞台を実現した香川さんをはじめとする演者の方々に 敬意と感謝の気持ちを記して筆を擱く事にしたい。 (2013.4.13-14)

2012年4月8日日曜日

「第6回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成24年4月7日)

能「安宅」 延年之舞・貝立
シテ・香川靖嗣
ツレ・友枝雄人・内田成信・粟谷浩之・佐々木多門・大島輝久・金子敬一郎・狩野了一
子方・内田貴成
ワキ・宝生欣哉
アイ・野村萬斎・深田博治
後見・塩津哲生・内田安信・友枝真也
笛・松田弘之
小鼓・鵜澤洋太郎
大鼓・国川純
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・出雲康雅・大村定・粟谷明生・中村邦生・長島茂・粟谷充雄

初回より毎年欠かさずに拝見させていただいている香川靖嗣の會も6回目。身辺の慌しさ故に観能の機会を絞って後は、この会が その年に拝見する最初の能となるというのにも何時しか慣れてしまい、生活のリズムのようなものになっていると感じられる。と同時に、 昨年は東日本大震災の直後で、演能中にも余震があるという異様な状況であったことが否でも思い出される。今年は暦のいたずらで 4月の第1週の週末の開催となり、2月から4月初頭にかけての慌しさが収まりつつあり、気力・体力が徐々に恢復する途上での観能 となった。番組は初めて拝見することになる「安宅」、題材はあまりに有名な話である意味で過剰な程の先入観に浸されている物語が 香川さんの演能ではどのような舞台になるものか、想像もつかないまま目黒の舞台に到着した。

そういう次第だから、このストーリー性が強く、場面の変化に富み、為所、見所の多い有名な現在能にあるであろう様々な演出上の 工夫による差異について書くことは私にはできない。そのかわり震災から1年を経て、未だ傷の癒えぬまま、(移動の電車の中での読書の題材として、 丁度ヘーゲルの「精神現象学」を読み返している最中であったので、その用語を借りるならば、)「世の成り行き」(Weltlauf)に揉まれ、 「不幸な意識」の裡にあって展望もないまま一難去ってまた一難の状況に右往左往している自分にとって、慰藉され、力づけられるところの 多い舞台であったことを劈頭に記すとともに、回を追う毎に芸境を深められ、ご自身で「不得手」と語られる曲において、かくも完成度の高く、 感動的な上演を達成された香川さんに深い敬意と感謝の気持ちを述べておきたい。 この会では恒例の冒頭のお話で、馬場あき子先生は「弁慶はわたしたち庶民が生み出した」といった意味のことをおっしゃっていらしたが、 そうであるならば「私の弁慶」を投影した拝見の仕方にも一分の理があることになるだろうと考えることにして、以下に拝見した印象を 記しておくことにする。

開曲は宝生欣哉さんの富樫の名乗りから。太刀持ちとの対話により場面の設定がなされ、その後次第の囃子に誘われてまず子方の 義経が、ついでシテの弁慶が、そしてその後に付き随って立衆が橋掛かりに登場する。子方の内田貴成君は当初の配役の怪我のため 急遽の代役とのことだったが、折り目正しい演技と謡も勿論だが、立っているときだけでなく、着座したり床机にかけているときも姿勢良く、 落ち着いていて、見事に義経を演じていたと思う。能のみならず、他の様々なジャンルで義経は様々に演じられているが、 私見ではその中で義経に投影されたイメージを最も鮮やかに演じているように感じられ、代役とは思えない素晴らしい演技だったと思う。

その義経とのやりとりから浮かび上がる弁慶は、何よりも義経のことを思い、追い詰められた状況で次から次へと押し寄せる危難に対し、 沈着冷静に部下をまとめて対処することで切り抜けていく有能なリーダーであり、状況の推移に応じて変化する弁慶の心理が詞や 謡の端々に克明に浮かび上がるのが印象的だった。枚挙に暇がないところをほんの一例をあげれば、有名な勧進帳を読む場面、 「もとより勧進帳はあらばこそ」の詞に篭められた一瞬の心の動きは見所の肺腑を突くような激しさを内に秘めているように感じられた。

長大な道行から始まって場面と登場人物が次々と入れ替わる構造の能だが、囃子の先導での場面転換は非常にスムーズで、 巨視的な構造の把握も確かなものに感じられた。特に松田弘之さんの笛の鮮やかさには瞠目すべきものがあって、とりわけ 要所要所でのここぞという間合いでの一閃は圧倒的だった。またこの上演でも立衆のツレが7人と非常に登場人物の多い能だが、 連吟となる冒頭の道行きやノットの迫力もさることながら、立衆の所作も統率が取れていて、少しも雑然としてやかましい感じにならないのは見事。 更には他の芸能であればもっと写実的に演じられるであろう勧進帳を覗き込もうとする富樫とそれを妨げる弁慶のやりとりも、強力に扮したものの富樫に 見咎められた義経を弁慶が打つ場面も簡潔な型で表現されていたのが却ってまるで心理劇を観るような奥行きを感じさせる。

これほど素晴らしい演能となるとある部分を取り立てること自体躊躇われるくらいなのだが、全曲の流れの中であえて特に印象に 残った部分ということになれば、勧進帳を読み終え、義経の強力の扮装を見咎められたのをあえて主君を打擲する演技により切り抜けて 無事に関を通過した後、一行が一息入れる場面だろうか。 先ほどの振る舞いを詫びる弁慶の詞に対して義経が「これ弁慶が謀にあらず八幡の」と詞を返し、それを友枝昭世さん地頭の地謡が引き継ぐところで 雰囲気が一気に変わるのは地謡の力量であろう。更に子方が「げにや現在の果を見て過去未来を知るといふ事」と謡うのを地謡が再び受け、 今度は弁慶が「たださながらに十余人」と謡うところは、前段の読み物の場面の緊張と、後続の場面が用意する全曲のもう一つの頂点たる 延年之舞の間にあって、ゆったりとした、いわばアドルノのマーラー論における「一時止揚」(Suspension)に相当する局面であり、 奥州への道程の中途での中休み、エピソードを為す。この部分のシテと子方の対話、子方の謡を、ついでシテの謡を引き取る地謡の 音調の穏やかさは心に沁みて忘れ難い。

けれどもここでもエピソードは本質的な意味を担っていて、この場面こそが義経・弁慶主従の置かれた境遇を照らし出す機能を担っている。 つかの間の平穏のもとで、主従は自分達の置かれた絶望的な状況を再認せざるを得ない。突飛な連想で牽強付会の謗りを承知で敢えて 感じたままを記せば、それは丁度、震災後の1年をどこか緊張しつつ過して再び巡った春の中で、 だが自分達の置かれた状況が依然として多難で予断を許さないものであることを否でも再認せざるを得ない自分の心境に呼応するようで、 その穏やかさが却って胸を打つ。

それゆえ富樫との再会もまた、道行における何度目かの試練に過ぎず、前の場面が自ずと準備したものであるとさえ感じられるのだが、 その試練に対して弁慶が延年之舞を舞うことによって作品上の2度目の頂点が形作られる。曲の終盤で舞を納めることそのものが 機能的には(まずもって見所にとって)アドルノの言う「充足」(Erfüllung)であるのだが、ここでは更に、ありもしない勧進帳を読み上げる機転のみならず、 図らずも主君を打擲することにより危難を脱することを余儀なくされ、そうした状況におかれた主君と己の立場にやりきれなさを感じた 弁慶の心情の充足のためのものでもあるだろう。その一方で、未来に到来するであろう更なる試練を予感し、それに立ち向かうにあたり己の 力のみを恃むことの限界を弁えている弁慶が主君の将来を慮り、神に願う気持ちを感じずには居られない。 能の舞には色々とあるけれど、現在能のこの作品においては舞はまさに生身の人間が捧げる祈りそのものなのだ。

その一方で最初に深く一礼して始めるの弁慶の舞は舞い進むに従い、だんだんと非人間的な力に充たされていくかにさえ感じられるほどの見事さで、 そこに居るのは一人の人間ではなく、馬場さんが語っておられたように、見所も含めた「世の成り行き」に翻弄されながら生きていく人間の願いや 思いが産み出した「弁慶」の姿が結晶化したものであるかのように感じられる。見所はそれに引き寄せられ、いつしか個別的な心情を超えて、 己の心を舞に虚心に同調させずには居られない。勿論、そうしたことが可能になるのはシテの香川さんの圧倒的な技量あってのことで、無条件で 起きることが約束されているわけでは全くないのだが、この上演においてはそうしたことがあたかも必然であるかのように起きたと感じられた。

延年の舞の途中でまるで何物かを切り裂き、「突破」(Durchbruch)するかのように、掛け声とともに弁慶が空中に飛んで降りる型があり、一瞬沈黙が支配する。 丁度作品の巨視的な構成と呼応するように、それを境に音調が変わり、松田さんの笛の一閃とともに舞の音調そのものもまた「充足」の 局面に入って再び高潮してゆく。そこから最後に、既にその場を離れた弁慶や立衆を追うように弁慶が橋掛かりに進んで揚幕の前で留めるまで、 見所は息をするのを忘れたかのように静まりかえって、その余韻は終演後、囃子方が橋掛かりにかかるころまで続く。まばらな拍手はこの上演が 見所にもたらしたものが、単なる演劇の鑑賞とは質の異なるものであることを物語るものに違いない。

現在能であっても、能は単なる写実的でリアルな心情の表現に留まることはないのだ。 そもそもがフィクショナルな存在である弁慶が舞う延年之舞は、物語の内側においては弁慶が義経の運命を思う心情の表出であるとともに、 様々な人の思いを集約するアトラクターのような働きをしているに違いない。だからこそ、私のように、他の上演と比較して特徴を述べることはおろか、 この上演の素晴らしさを技術的に言い当てる適切な言葉を持たない者であっても、この上演の帯びていた凄まじい力に対峙した印象を 述べることはできるのだと思いたい。それは長く続いた緊張の中で痛めつけられ、その挙句に痛みの感覚すら 麻痺しかかってしまい、その一方で貴重な何かに接しても感動することが出来なくなってしまい、干上がりかかっていた人間の心にも注がれ、 沁みわたり、鳴り響いて心を甦らせる滝の水のようなものであったことをここに証言することで、この貴重な舞台を拝見しての感想の結びとしたい。 (2012.4.8初稿)

2011年4月17日日曜日

「第5回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成23年4月2日)

能「朝長」
シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生閑
ワキツレ・工藤和哉
ワキツレ・御厨誠吾
アイ・山本則重
後見・塩津哲生・中村邦生
笛・一噌幸弘
小鼓・曽和正博
大鼓・国川純
太鼓・金春国和
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・粟谷明生・長島茂・狩野了一・友枝雄人・金子敬一郎・佐々木多門

平成23年3月11日の東日本大震災の後、様々なジャンルの様々な公演がある場合には已む無く、ある場合には自粛という主旨で中止される中、 「第5回香川靖嗣の會」の公演は中止することなく上演されることを心の中で願いつつ、私は3月を過していた。少なくとも私の中では能ははっきりと 祭祀的な意味を備えているし、とりわけ香川さんの演能にそれを強く感じてきた私にとって、元雅が深い思いを潜ませたに違いない鎮魂の能「朝長」が他ならぬ 香川さんのシテで上演されることは是非とも実現されて欲しいことであったが、更に言えば、軽微で間接的とはいえ震災の影響から無関係ではありえなかった私自身が 何よりまずそれを拝見することを強く望んでいたのだと思う。

月替わって4月2日、暖かく晴れたこの日も公演中に余震に見舞われる中、幸い「朝長」は最後まで上演され、私はそれに 立ち会うことができた。私には本当に心から能楽堂を訪れ、能を拝見することがしみじみとありがたく感じられたし、その気持ちを終演後に主催者にお伝え せずにいられなかった。この時期に公演を(しかもそれが個人の主宰する会であってみれば尚のこと)実施するについては非常に大きな困難と、それに劣らぬ 心理的な葛藤がおありであったことと拝察する。だがそうした状況下での決断は上演に常ならぬ異様な力を齎したと私には感じられた。 主催者をはじめとした演者の方々に見所も一体となったこの公演は、能の持つ深く強く大きな力を闡明する稀有な出来事となったことを、 主催者、共演者の方々、および公演を支えられた多くの方々に対する敬意とともに、まず劈頭に書き留めておかずにはいられない。

*   *   *

香川靖嗣の会は毎回、開演に先立ってお話があるのだが、今回は番組が「朝長」ということで三宅晶子先生のお話であった。三宅先生ご自身も偶然の符合に 驚かれていたが、「光陰を惜しみ給へや」という題は「朝長」という作品の核心であるとともに、この公演の置かれた状況にあまりに相応しい。乱に敗れて落ちのびようと する途上で傷を負って自害しなくてはならなかった朝長という人物像が、個人の悲劇を超え、運命の前に無念の最期を遂げる人間の思いを集約するアトラクターの ように感じられ、だから朝長の鎮魂のための供養もまた単に一個人に向けてのものとは感じられない。否、正確を期するならば、朝長を供養するのが匿名の旅の 僧ではなく、彼の最期を知る青墓の長者であり、朝長ゆかりの僧であり、そうした彼らを前シテ、ワキとして前場を構想した如何にも元雅らしい着想が、逆説的にその 人物造形の「個別性」を通して、普遍的な、けれども個別性を決して喪わない祈りへと見所を導くのだというべきだろう。観音殲法は朝長という個人を知る 彼らの個々の懺悔の刻であり、そうであることを通して見所一人ひとりの懺悔へと通じているのだという感覚を逃れることは私にはできなかった。

前場はまぎれもなく春の風景の中で展開されるが、その透明な光の感じがかえって心の中に疼く痛みを射通すように感じられる。災厄の後も季節の巡りは超然と していて、変わらぬ光と風とが却って、非可逆なカタストロフィックな出来事が起きたこと、最早かつてのようではなく、同じではないこと、相転移のこちら側に来て しまったのだということを厳然とした事実として思い起こさせる。そうした透明感とどこかに潜む蟠りがもたらす重い空気の共存を描き出すのは名人揃いの囃子方である。 繰り返しになるが、前シテを亡霊とするのではなく、残された生者とし、ワキを縁なき旅の僧ではなく、朝長にゆかりのある僧とするのは隅田川や弱法師の作者でもある 元雅らしい着想で、後シテを呼び出す枠となる供養もまた偶々なされるのではなく、ここではそもそも前場の登場人物たちがそのために集うのだ。 「偶々」があるとすれば本来別々に各人が抱いている思いが出会い、集うことにあるのだろうが、そうしたシンクロニシティを偶然と呼ぶことはできまい。 まさに「光陰を惜しむ」気持ちが一見偶然に見える邂逅を用意するという消息を、元雅の作劇法は見事に示しているように私には感じられた。 そうして出会った想いの深さを語りだすのは地謡で、まるでギリシア悲劇のコロスのようにその「場」の想いを、だがコロスとははっきりと異なってあくまで「個」が 秘める想いをシテに直接語らせるのではなく、地謡に語らせるのは能ならではで、能としては別段の新機軸ではないのだろうが、それが元雅の構想の下で 持つ効果は格別のものがあるように思われた。謡の進行とともにいつしか深い慟哭の調子を帯びるかのような囃子の移ろいもまた見事で、特に小鼓の奥行きに 富んだ深い響きが耳に残る。

後場の観音殲法を準備するのはアイの語りと語りのあとの告知であるが、それを担うアイの語りは格調高く、場の雰囲気を一層高めて後場を用意する。 「殲法」の小書きこそないが、明らかに供養の儀式を思い起こさせずにはいない太鼓の響きに導かれるようにして登場する朝長の霊は颯爽とした若武者 姿で、三宅さんが事前に紹介された十六の面が帯びるまっすぐな勁さに私は心を打たれた。その朝長がまず「光陰を惜しみ給へや」と 語りかけるのはワキとの対話で、その後、朝長の語りは己のことのみならず父の運命にも触れつつ、前シテであった長者にも向けられる。作劇法から長者の 姿は当然舞台にはないが、それは前場で長者が語るときに朝長の姿が不在であるのと対称である。通常のつくりであれば、シテの姿は前後で異なるけれど、 いずれも結果としてはシテとワキとの対話になることを思えば、このことが持つ効果は決して小さなものではない。見所もまた幽明境を異にしつつ再会する 二人を同時に見ることができず、つまり「再会」は舞台の上では決して実現せず、それゆえそれぞれを相手の心の裡に浮かび上がるものとして、 同様に心の裡に思い浮かべるしかないのだから。

地謡が戦乱を語るクセの謡の最中に、冒頭でも述べたように余震に見舞われ、一瞬会場に緊張が走るが、まるで拡がりかかる動揺をねじ伏せるように謡と囃子が 舞台を進めていく。その中でシテが「梓弓、もとの身ながらたまきはる」と魂魄別れての苦しみを謡うのを聴いて身を切られるような想いに囚われる事無く いることは不可能である。見所の意識は最早生きて供養するものの側にあるのではなく、まさに修羅道の苦しみの裡に共にあるかのようだ。 最後に朝長が自分の最期の様を見せるのもあまりにリアルで、それが過去のこととは思えない。故あってこの感想を書き留めるのは拝見してから 2週間も経ってからなのだが、今思い起こしてもその最期の様がフラッシュバックのように鮮明に甦り、それを見たときの自分の情態が再現されて 息苦しくなるほどだ。

2週間前に会場で私が受け止めたものが、客観的に見てどこまでこの上演自体の備えた質に由来するものであるか、冷静に考えれば判断し難い部分が あるのは確かなことだが、こと今回に関しては、それを客観的に分離することにどれだけの意義があるのか、と問い返したい気持ちを抑えることができそうにない。 そもそも演者の高い技量は今更私如きが言っても始まらないことだろうし、私は寧ろ、震災からさほどの時を経ずに、まさに「光陰を惜しむ」ようにして、舞台の演者 全員がこれ一度きりの思いをぶつけあって創りあげられたに違いないこの舞台の持つ、状況と不可分の力の莫大さを書き留めておくことを積極的に選びたいと思う。

震災から約1ヶ月が経ち、この文章を綴る時間がようやく出来たときに、自分が経験したこの舞台と良く似た意味合いを帯びた、私が知っているある別の事実に ふと思い当たった。それは1948年5月、第二次世界大戦後ワルターがはじめてウィーンを訪れて演奏したマーラーの第2交響曲の演奏記録である。 戦争の記憶が生々しい時期のこの一期一会の演奏の持つ例外的な力、それに立ち会った会場の異様な雰囲気は録音記録の音質の制約を越えて尚、 充分に感じ取ることができる。「原光」と題され、「子供の魔法の角笛」に収められた天使と争うヤコブの歌(だがそれを歌うのは女声なのだが)と、クロップシュトックの 有名な賛歌「復活」を核に作曲者自身が自ら書き下ろしたテキストが歌われるこの曲の歌詞が、これほどまでに重みを持って一言一言噛み締めるように歌われ、 それを支えるパッセージが各楽器によって歌われ、聴き手の心に染み渡ってくる演奏は稀であろうと思う。それを私は半世紀以上の時を経て異郷の地で聴いている。 だが、ここで記録する「朝長」はその上演に立ち会うことができたのだ。どんなに拙く、主観的なものであっても自分の経験を記録せずにはおけない、 そうした経験であったことは間違いない。恐らくこの後も折に触れ、そのときの経験を、震災に纏わる様々な記憶ともども反芻することになるだろう。 そのためにもこのようにして、感じたことを感じたまま記録しておく次第である。(2011.4.17初稿)

2010年4月4日日曜日

「第4回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成22年4月3日)

能「実盛」
シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生閑
ワキツレ・大日向寛
ワキツレ・御厨誠吾
アイ・野村扇丞
後見・内田安信・友枝雄人
笛・一噌仙幸
小鼓・大倉源次郎
大鼓・柿原崇志
太鼓・観世元伯
地謡・友枝昭世・塩津哲生・長島茂・狩野了一・金子敬一郎・内田成信・大島輝久・井上真也

昨年の同じ時期に第3回の舞台を拝見した折、「桜を愛でる暇も、花曇りの風情を味わう時間もありはしない」といった言葉を書き付けてから1年、 身辺の慌しさは累進することすらあれ、決して緩むことはなく、けれどもそれゆえに一層、それが自分にとってかけがえのないもの、手放してはならないもので あるという気持ちは強まり、数か月分の疲れを引きずりつつも、今度は親しんだ目黒の舞台へと向かう。番組は「実盛」。あろうことか、これが初演とのお話で、 この一番の貴重さと、それを拝見できる幸運に思いを致しつつ開演を待つ。この会の常で最初に馬場あき子さんのお話があるが、齢を考えればまだ本当には 理解できていないと窘められるかも知れないことを承知で、それでも私がこの「実盛」に共感しているその根拠の幾つかに触れる内容で、肺腑を抉られるような 気持ちになる。実際には狂言一番と休憩の後、「実盛」を拝見することになるのだが、本当なら今の季節に相応しい筈の狂言よりも、私の心境は「実盛」の 舞台にこそ相応しく、久しぶりに能楽堂の見所に居ることに現実感をなかなか感じることができず、何か幻でも見ているかのうちに「実盛」の開演となる。

前場は非常に強い宗教性を帯びた舞台。遊行僧による法話の席という前場の場面設定のせいなのだろうが、宝生閑さん演じる僧の荘重な謡によって 定位された場の雰囲気が囃子によって増幅される中、気付くと幕が上がっていて橋掛かりに翁がいる。勿論それと知っている人はその出を待つこともできた だろうが、私は全く不意を討たれた。翁の歩みから、それが生身の人間ではなく幽霊であることがわかるし、舞台に翁が入ってくると すうっと背景が遠のいて、遊行僧と翁だけの空間が形成される。口開けの狂言が告げたように、舞台の上で繰り広げられている対話は、外からは 不可視であるというのが何の不思議もない、当然のことのように思われる。その一方で、なかなか名を名乗りたがらない翁の心情(幽霊に対して適切な 言い方かどうかはわからないが)がまるで我が事のように自然に感じられる。名を名乗らないというのも、この作品においては鬢髭を墨で染めて正体を 隠して最期の戦に挑んだ実盛が「名のれ名のれと責むれども、ついに名のらず」という姿勢と響きあっていて、だから一瞬その逡巡の理由について 混乱してしまいそうになるほどだ。複式夢幻能の常とは異なり、前場と後場の対比はぎりぎりまで弱められる。昼と夜の対比があり、 名乗る前と後の対比はあるけれど、遊行僧と実盛の霊だけの閉じた(他人からは)不可視の空間という場の印象も一貫している。

後場の懺悔の物語を私は涙なくして拝見できなかった。その多くは単純化して言ってしまえば共感と同情の涙であったかと思う。だけれども 拝見した舞台には単なる自己憐憫や感傷といった退嬰を拒み、それを超えていく何かがあったと私には感じられた。それがどこまでシテの立ち姿や 所作の圧倒的な美しさ、そこに込められた強い気迫によるものなのか、実盛を演じる上でのいわゆる解釈によるものなのかを分離することに 意味があるようには思えない。だが舞台に現れた実盛は敗残した老武者であるよりも寧ろ、己の運命を従容しつつもなお、最後まで自己の本懐を 遂げようとする強烈な意志の持ち主として感じられたのだ。そればかりではない、こんな感じ方は論理的には全くナンセンスだけれども、 私には何百年もの時を隔てて、実盛その人の魂に逢ったような生々しさ、実在感を感じ取らずにはいられなかった。

倒叙によりまず最初に首洗いの物語がなされるが、まずはその場面の克明さ、鮮烈さに 息を呑まずには居られない。義仲が気付くところでは、それに思い当たった義仲の心の裡の動揺が伝わってくるかのようだし、呼び出された樋口の 驚きにも胸を衝かれる。首洗いの場面も髪がみるみる白くなり、墨が水にながれる様が見える。こう書けば当たり前のことのようだが、 これらが謡と扇を使った所作だけで眼前に繰り広げられるのであり、後から思えば全く信じがたい。と同時に写実を捨て、颯爽としては いるけれど大将のいで立ちでもなければ髪も白髪の老武者姿で後場の実盛を演じるところに、まさに「見えないもの」を伝えることのできる 能の奥深さを垣間見ることができるような気がする。

クセで「故郷に錦を飾る」決意をし、己が死に場所に選んだ戦に大将のいで立ちで臨む経緯を語るところは堂々としていて、その決意の揺ぎ無さを 感じる。心のどこかで既に安堵しているような、澄み切った心境が伝わってくる。そういう心持ちで討たれた人間が何故成仏できずに怨霊となって いるのか訝しく感じられる程だ。もちろんその理由は最後に明かされる。彼はかつて自分が命を賭して助けた義仲を死ぬ前に一目見たかったに 違いない。その心情の背後には、運命の悪戯で平家に仕える身となって最期を迎えることになるまでの時間の重みがあるのだろう。 実盛の表情がどんどんと澄み切ったものになっていくように感じられたのは、後場の懺悔の物語がそうした生の時間の重みから、今度こそ 解き放たれるプロセスそのものであると思えば納得がいく。思えば不思議なことだが、馬から落ちて最早これまでと観念したときの 「戦にはしつかれたり」という言葉が、今回は悲痛一方には感じられなかった。寧ろそれは自分が選択した「死に方」を全うする瞬間が いよいよ到達したことの認識と、義仲に討たれるという最後の望みが叶わなかったことへの諦観が入り混じったものと感じられたのだ。

恐らく実盛その人が最期に至るまでそうであったに違いないように、老修羅物でありながら老体であることや諦念ばかりを強調するのではなく、 必ずしも自分の思い通りになったわけではなくとも己の最期を納得がいく仕方で全うしようとする矜持、それを一つ一つ実行していく勁さと 澄み切った心境といったものを同時に感じさせる舞台であった。組討の部分の老人とは思えない程の、職業軍人の非情なまでの 手際の鮮やかさ〈まさに「修羅」を垣間見たような思いがして、私は思わずぞっとした〉と、馬から落ちてどうと倒れた後の疲労感、諦観の対比の鋭さ、 更には懺悔の物語を終え、終曲で祈りつつ留め拍子を踏むときの横顔に浮かんでいた、ほとんど「晴れやか」と形容したくなるような微笑を湛えた表情を 忘れることができない。シテの能面の表情の微妙な変化の多様さとその一つ一つから感じ取れる含蓄の深さは特筆すべきもので、彼が生きて きた時間の長さとその行路の険しさを感じさせるような、幾重にも折り重なる心情の複雑な屈折が現れていたものが、最後には本当に安らぎに 充ちた微笑に変わっていくその変容の様は、見所の心に強いカタルシスを惹き起こさせる。こうした舞台の後では拍手は無用なものとしか感じられない。 シテが去り、ワキとワキツレが去り、囃子と地謡が去った何も無い能舞台にも確かに何か「気」が、「気配」が遺されている。それは私の心の中にも 広がっている。

演奏は囃子、地謡とも完璧と形容したくなるほどの密度の濃い、充実したもので、特に後場での地謡は圧倒的だったが、そればかりではなく、 シテの謡に込められた多様な感情に応え、時に寄り添うかのような大鼓の音色の変化の細やかさ、ほとんど澄み切ったものでありながら、 どこかに心の呻きを遺し、寂寥感を押さえることのできない実盛の心境を映し出すような笛の音色が特に印象に残った。

能楽堂を出てしまえば否応無く「世の成り行き」に引き戻されるのは避け難い。けれどもこうした舞台を拝見した後では決して元通りということはない。 もちろん私個人の問題が何か解決したわけでもないし、解決のための手がかりが得られたわけではない。更に言えば自分の心に起きた変化にしてみても、 意識に捉えうるレベルでのそれに限ってしまえば、それが育って大きな転換をもたらすような何かに至るものではないかも知れない。 そもそも最初にも述べたように、本当の意味では未だ私には実盛の心境などわかりはしないのかも知れないのだ。だがそうであったとしてもそれは、 今日拝見した舞台から受け取ったものが未だ自分には汲み尽せない程の豊かさを備えたものであるということに違いない。馬場さんは劈頭の解説で、 ご自身にとってこの「実盛」という能が突きつける物の重みを率直に語られていたけれど、私はまだその重みを充分に受け止める程に熟していないのだろう。 だが、舞台を拝見して受け取ったものは、賢しらな反省的な自己意識が己の限界と思い為した範囲を超えて、私の奥底に沁みわたり、何時の日か、 思いも拠らぬ時に何かを惹き起こす伏流となるような気はしている。それほどまでの力に充ちた演能であった。

あるいはまた、老武者の若振舞いが、見方によっては滑稽ですらある可能性に馬場さんは言及されていたけれど、だからといってそれは実盛の選択に対する否定であったり、 拒絶であるわけではないだろう。冷静な人からすれば実盛の行為は愚かしくさえあるのかも知れないけれど、少なくとも今の私にとって、そうした愚かしさは「世の成り行き」の中で 己を全うするのには必要なものに思えてならないのである。少なくとも私はそうした愚かさなしにやっていくことは出来そうにない。

実盛の最期は客観的には無慚なものに違いないのかも知れない。だがその無慚さは実盛その人が死して後、手塚を、樋口を、義仲を絶句させ、 涙を流させた。死して後ではあるけれど義仲との再会は確かに成就したと言ってはならないのだろうか。そればかりではない。そうした実盛の生き様は 200年を隔てて世阿弥に最高傑作の能を書かせ、更に数百年の後、このような名演によって語り継がれている。彼は見事に「錦を飾った」のだ。 そしてそうした事実そのものが今の私にとっては「世の成り行き」の中で生きるためのかけがえのない糧のように感じられるのである。(2010.4.4初稿)