2008年4月6日日曜日

「第2回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成20年4月5日)

能「湯谷」三段之舞・膝行
シテ・香川靖嗣
ツレ・狩野了一
ワキ・宝生閑
ワキツレ・則久英志
後見・内田安信・中村邦生
笛・一噌仙幸
小鼓・曽和正博
大鼓・柿原崇志
地謡・友枝昭世・塩津哲生・粟谷能夫・大村定・粟谷明生・友枝雄人・金子敬一郎・佐々木多門

第2回香川靖嗣の會を拝見しに目黒の舞台へ。今回の番組は「湯谷」。「湯谷・松風は米の飯」ということばがあるそうで、 名曲であると話には聞いているが、私は能を観るのは今回が初めて。ここのところ平日は強度の緊張を強いられる日々が続き、 その反動で微熱が出た状態での観能となってしまい、能を拝見するだけの気力、体力が残っているかどうかに些かの不安を感じつつ家を出る。 番組に相応しい陽気の中能楽堂に着いて、客席に入ってまず驚いたのが、置けそうなところには全て置いたのではないかというくらいの 夥しい補助席の数。記念すべき第1回であった前回も盛会だったが、今回も前回同様、その補助席も桟敷も全てが埋まる大変な盛会だった。

そして舞台もまた素晴らしかった。演能が終わって帰り際に、お世話になっている方にお会いしてご挨拶したのだが、以前にもそういうことがあったように、 今回もうまく言葉が出て来ず、「大変結構でした」というのが精一杯だったくらいだ。あまりの素晴らしさに、自分の体調のことなどすっかり 忘れてしまい、身も心もすっかりリフレッシュしたような気持ちになった一方で、何というか、自分の「容量のなさ」みたいなものを痛感しもした。 私のような、経験も知識もない人間が一度拝見しただけでは味わいつくせない程の豊かさを感じたのである。 自分が受け止めることができたのは素晴らしい演能のほんの一部に過ぎないに違いなく、経験も知識もある方が拝見されたなら、 もっともっと深い感動に浸ることができたに違いない、自分には受け止めきれないほどの感興に満ち溢れた演能であったことを感じずにはいられなかった。 一度では到底味わい尽くせないという印象を受けて、確かにこれは「米の飯」なのだろう、と、私なりに納得してしまった。

だがそうはいっても、強烈な感動に押し流され、翻弄され、打ちのめされたのかといえば、そうではない。これまで拝見した香川さんの演能が 素晴らしくなかったことなどないのだが、今回の演能の印象は、これまでのものとは些か趣が異なったものだったように思う。 今回の演能には見所の心を動かしはしても、 徒に不意打ちによって驚かしたり、平衡を喪わせることのない、圧倒的ではあるけれど、安定し調和のとれた充実を感じたのである。 そしてそうした印象は、まず第一には、シテの香川さんをはじめとした、これ以上の贅沢は望むべくもない素晴らしい演者の方々の それぞれの力の合成によるものなのだが、それと同時に「湯谷」という曲の持つ性格に起因するものに思えた。これもいつもの事ながら、 かくも素晴らしい演能を目の当たりにして、私の貧弱な感受性と、それに見合った乏しい筆力をもって、自分の受け止めたものを 表現することの無理を感じつつも、それを承知の上で、それでも些かの感想を記しておきたい。なお、当日の番組は休憩をはさんで「湯谷」の前に 前回同様、馬場あき子さんの解説、そして狂言「千鳥」がついた豪華なもの。狂言もまた素晴らしいものだったが、こちらの感想は別稿としたい。

ワキの平宗盛の名乗りから始まり、湯谷がさりげなく紹介されるところから始まるこの物語は、ツレの朝顔が東国から都にやってくる部分を除いても、 宗盛の館から清水寺へ、更に地主の桜の下での宴の場への移動、そして、そこから東国へと湯谷が向かう終曲の移動という具合に、 空間的な移動が大きい。にも関わらず、アイが登場することもなく、それらが途切れることなく連続して展開される故に、そうした移動や変化は シテのちょっとした所作、要所要所を締めるワキの言葉や地謡や囃子の効果に委ねられているのだが、その場面の変化の克明さは驚異的で、 単調になったり、弛緩してしまったりすることがないから、観ていて飽きることなどあろうはずもない。

最も印象的だったのは、何といっても春爛漫の雰囲気と湯谷の心理の陰影の対比がもたらす何とも言えない微妙な色調のニュアンスの、 その諧調の豊かさである。特に今回の演能では、湯谷の心持ちの移り変わりに明確にフォーカスが当てられて、全体が構成されていると いう印象を強く持った。湯谷が登場してから後の全篇を通じて、一貫した気持ちの流れのようなものが舞台を支配し、それがある時には 風景の後ろに退き、ある時には表層に浮び上がるような、そうした移ろいの感覚を抱いた。この能は現在能で現実の登場人物が登場し、 (当時の、ではあるが)現実の京都を舞台にしているには違いないのだが、私が受け取るのは字義通りの演劇的なリアリティではなく、 寧ろ心象のリアリティだったと思う。三段之舞の小書きによる演出もまた、そうした心の動きを克明に浮び上がらせる働きをしていたように思える。

前半の宗盛の館の場面の中心をなす文の段では(常の演出とは異なって)湯谷が一人で読み上げるやり方が採られていたが、 それ故、段全体が湯谷の気持ちの推移を反映したものになっていて、まるで心の裡に落ちる影が広がっているのを目の当たりに するようで、文を読み終えた後、その内容に動転し、持つ手から文がはらりと落ちる様には胸を衝かれる思いがした。 その後、暇乞いをする湯谷と、それを拒む宗盛との間に走る緊張感、それが花見に繰り出すという動きによって別種の緊張に転換していく 様子と、場面を通じての心理の微妙な変化が、シテ、ワキの所作と地謡と囃子によってきめ細かく、克明に描き出されていく。 抽象化され、様式化されているが故に寧ろ、演劇的な写実には到底及ばない、強い心理的なリアリティが感じられ、改めて能の 表現の凄みを感じた。宗盛の命令で車が出され、花見に繰り出すところは、地謡によって場面が一気に活気付き華やいだ雰囲気に 包まれるが、その中でシテの湯谷のみが心の憂いを引きずり逡巡するコントラストの鮮明さも特に印象に残った部分である。

その後も、春の景色に投影される彼女の気持ちの変化が作品全体の明暗の微妙な変化に繋がっていく。地謡の詞に応じた、 作り物の車の中でのシテの細かい所作が、車の外の風景が湯谷の心に惹き起こす陰影を描き出していく。その視線の向こうには 確かに春の風景が広がっていることを感じさせつつも、見ている私が受け取るのは外の風景そのものではなく、彼女の心に映ったそれに 他ならず、それらは彼女の心に宿る憂いや不安で染め上げられているのである。そうした不安が高まってゆくと、それが頂点に達する 間際に作り物の車が、出されたときと同様の鮮やかさで後見によって下げられ、清水の観音に湯谷が祈る場面となる。

花見のための道行の、特に後半の部分は春の景色の華やかさを描き出さず、寧ろ憂いに沈む湯谷の心にある不安や心配を 引き出していたかのようであったゆえ、その道行が観音参りのためのものに変質しても少しの違和感もない。 ここでもそうだが、この作品は全篇を通して、緊張が高まり爆発しそうになる前に、転調が生じ、緊張が緩和されるプロセスを繰り返してゆく。 緊張が緩むと、そこに、それまで背景に退いていた春の華やいだ風景が浮かび上がってくるのだ。 ここでは観音に対して祈ることよって湯谷の心にもたらされる安らぎが、春の穏やかな雰囲気と溶け合って見る者の心に浸透してくるのを 感じる。春の華やかさも、そこに秘められた憂いも、湯谷という女性の心そのものであるかのような心情と風景の対比と照応とが この作品の持つ独特の雰囲気を形作っているようだ。

湯谷が彼女の持っている輝きの片鱗を示し、外界の春の景色の華やぎの中でそのオーラを解き放つのは、そうした祈りの後、 地主の桜の下、宴を司る役割を果たす時で、心中にある不安をよそに少なくとも表向きは自分の務めを見事に果たす。 宗盛の酒を献じ、所望されて舞う舞もまた見事なものであるが、 それが彼女の心の裡にある憂いにも関わらずのものなのか、あるいはそれゆえのものなのか、判然としない。 村雨の到来は客観的には偶然のなせる業だろうが、それすら彼女の心の動きが外化したかのような印象を覚える。 抑えてきた感情が彼女自身の涙として溢れようとした時、まさに村雨が到来したというように感じられたのである。 そして観音の慈悲の雨と思しき村雨により、結局、湯谷の祈りは通じて東国に下ることができるわけで、 一種の観音利生譚の趣が生じることになる。 私見では湯谷の病気の母を気遣う気持ちの優しさや信仰心といった側面は全曲の雰囲気に対して極めて本質的な意味を 持っていて、それゆえ既述の湯谷の観音への祈りは作品の折り返し点のような重要性を持っているし、観音利生譚という側面も 単なる枠組みに留まることなく、有機的に機能しているように思われる。

物語の展開につれて湯谷の気質に備わっている様々な側面が浮かび上がるが、この作品の頂点で顕れ、それゆえ最も強く 印象に残ったのは、基調となっている彼女の穏やかさ、慎ましさとは一見すると両立し難いものに思われる、しなやかな勁さであると思われる。 それがはっきりとした形をとるのが、村雨に感じて、短冊に歌を書きつけ、宗盛に向かって詠む一瞬である。今回の小書きの一つである膝行は、 そうした彼女の持っているしなやかな勁さを示して鮮やかに感じられた。 この場面こそが全曲の頂点であり、従ってその後に続く転調もまた、最も劇的なものとなる。詠まれた歌に感動した 宗盛が暇を与えた瞬間の湯谷の表情の変化は鮮烈で、それ自体には表情がない面を掛けた演者によって演じられているということを思わず 忘れてしまう。曲の終結に至って、湯谷の表情から憂いが去り、それと同時にようやく喜びが春の景色に浸透していく様子を見るのは感動的である。

その場から直ちに東国への途につく彼女は、だが、喜び勇んでわき目もふらずに一目散に去っていくのではない。最後に至っても、華やいだ春の 景色から陰影が全く喪われてしまうことはない。橋掛かりを使って効果的に演じられる結末の部分では、彼女は立ち止まり、今度は自分を 送り出してくれた宗盛が居るはずの都に思いを致すのだ。

一曲の作品のなかでこれだけ豊かな心情の移ろいが、しかもきめ細かく描き出されるのは驚異的で、これだけをもって圧倒的な演能だったと思う。 しかもそれは最初にも述べた通り、他の能ではしばしばみられる激しい情念の噴出や、見所を揺さぶり、突き動かすような類のものではない。 そうした種類の能が素晴らしい演奏で上演されたときに、能の持つ鋭さが心の奥深くに消し難い印象を残すことはこれまでも何度となく経験してきたが、 この能はそうした能とは異なって、観る者を寧ろ安定に導き、癒すような働きがあるように感じた。

とはいってもそれはこの能が一面的で表面的な ものであることを意味しない。外面的には駘蕩たる春の風情に満ちているが、そこには不安や憂いが確固として存在する。 しかもそれは決して意表をつく取り合わせの妙ということではなく、そもそも春という季節がそうした憂いと容易に結びつく傾向にあることは 事実として学術的にも検証されているという話を聴いたこともあり、我が身に照らしても納得がいくし、能の作品には春の景色の中で 生じる悲劇を描いたものも少なくない。だが、この能はそうした作品ともまた一線を画しているように感じられる。

それは作品中に造形された湯谷という女性の持つ性質によるもので、それこそがこの作品全体を性格づけているのだと思う。 恐らく、湯谷その人にせよ、背景となる風景にせよ、その外面的な華やかさのみを際立たせようとしても、これほどの感動を見るものに 与えることはないのではなかろうか。今回の演能では、母を思う心の優しさとそれゆえの不安、信仰心、そして、それが当座は 自分の気持ちに反するものであっても自分に課された役割を果たしつつ、自分の気持ちをはっきりと伝え、暇乞いに成功する賢明さ といった側面を克明に表現することにより、この作品に豊かなニュアンスと彩りをもたらすことに成功していたように私には感じられた。 華やかさだけではなく、憂いだけでもなく、その両者のバランスを保ち、微妙なニュアンスの多様性を表現することは決して単純なことではないが、 それは全篇を導く湯谷の気持ちに含まれる純粋さや一途さのようなものを表現することによって可能になっていたように思われてならない。

そうした湯谷に対する宗盛もまた、器量の大きな、物事の見えた人間でなくてはならない。私が幼少より馴染んできた平家物語の 宗盛像を外挿してしまえば、自分勝手で我儘な見栄っ張りであると思い込んでしまいがちで、実際拝見するまではそのように勝手に イメージしていたのだが、宝生閑さんの宗盛は、最初の名乗りから既に全く異なった人物造形を告げていて、暇乞いを一旦拒んで 花見に連れ出し、湯谷に舞を舞わせ、歌を詠ませたのち、宴が村雨によって終わったときに暇を与えるその全体が、宗盛が湯谷の 心情を思いやって、更には湯谷の気質を知りぬいた上で仕組んだ芝居ではなかったかと思わせるような感じすらあった。劇中では 湯谷が己の勤めを果たし、宴の場で歌を詠んで暇乞いをすることによって、晴れて東国へ下ることができるようにいわば仕組むのだが、 劇の構成上はワキの宗盛はいわゆる狂言回しの役割で、見所に対してシテの湯谷の持つ魅力を披露する場を用意する 機能を果たしていて、言ってみれば宴は見所のために用意されているともいえる。宗盛の名乗りで始まる湯谷という番組一番全体が、 宗盛が演出した芝居であるかのようで、その構成の巧みさを感ぜずにはいられない。

地謡と囃子の雄弁さも特筆される。友枝さん地頭の地謡の表現のニュアンスの多彩さは驚異的で、風景の華やかさと心理的な 陰影の微妙な押し退きが鮮明に感じられる。そしてまたそうした地謡と囃子の調子の変化によって場面の転換や、 状況の心理的な緊張の高まりや弛緩、空間的な移動、温度や湿度の具合が克明に表現されていく、その手応えの確かさは圧倒的だった。 囃子については例えば、朝顔が登場する部分―それは、空間的な移動と、都と東国というトポスの交替を伴う―の笛の音色の変化、 あるいは、湯谷の内面の憂いが表現されるところでの大小の音色の繊細さ、更には、文の段の後、暇乞いをする湯谷と、 それを拒む宗盛と間に緊張が走るときの緊張の表出と印象に残った場面は枚挙に暇がない。 とりわけ柿原さんの大鼓が謡を支える時の絶妙の呼吸、湯谷の憂いに呼応するときの溜息のような音色のかそけさには息を呑んだ。

帰途、能楽堂を出て目黒の駅へと向かう途上に桜がまさに散り始めていることに気づく。もちろん行きがけも 同じ道を通ったし、桜も目にしていたのだが、夕暮の微風に吹かれて散る桜の風情を感受する自分の 心持ちは最早同じものではない。何もないはずの舞台の上で、だが確かに湯谷の姿の周囲に観た桜を 通して見る風景は何と微妙な陰影に満ちた豊かなものであるか。素晴らしい演能の余韻を味わいつつ、 帰途についた。(2008.4.6初稿、4.7補筆修正)

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